突然に悪の権化と糾弾される悪人顔のゴーン氏は、なるほどミスター・ビーンに似ていなくもないけど、ごくごく微量ながら、気の毒をおぼえないワケでない。
数多の企業や資産家がその収入をば過小に申請した挙げ句に国税局の調査でもって『申告漏れ』という”優しい指摘”で是正されるのと、いきおい『逮捕』でもって”虚偽の犯罪” として暴かれるのじゃ大違い。しかもこの国で2例めとなる、おまえの悪さは見逃してやるからアイツを潰すの協力しろという「司法取引」での事件化。
なんだかきな臭くもあるし、また一方で、関係者の自殺というただならない事態を引き起こしながら政治屋と周辺連中の虚偽は片目つぶってお見逃しがまかり通っているようでもあって、どうも……、バランスの悪さだけが腐臭としてハナにつく今日この頃。
毎回の事ながら、1つ講演を終えると、小さい波みたいな反響がしばらく続く。トークする身としては、ひそかな演出効果として幾つかのポイントを持って話している次第だけど、そこの反応が薄く、でも、意外な所で反応がかえって来たり、する。
講演後の複数日で、何通かメールをもらい、
「タタラの話を聴いててズッと『もののけ姫』を思った」
「フランスの風呂事情はもっとしっかり勉強した方がいい」
とかとか……、実は余談として触れたことがクローズアップされているというのが、それで判る。
こういうのが、いわばライブの醍醐味。唄って踊ったりしないけど、講演もまたライブなシーンとボクは思ってるから、それらのお声は実に嬉しくありがたい。
もちろん、いささか残念に思う面もある。
例えば今回は、鎌倉時代の東大寺再建のさい、麻苧(あさお)という綱が、いかに重要であったかを云い、そのために重源は各地に湯治場を設け、地域住民にそこを利用させて、その見返りとして綱造りを頼んだ、あるいは半ば強要したのでは……、ということを云ったのだけど、あんがいと反応が希薄だったりもした。
けど、それもまたオモチロイ。自己満足で終わらないのがライブの醍醐味。
数年スタジオにこもってアルバム作りにはげんだビートルズの4人が、鬱屈から逃れるようにして凍てつく厳寒のアビーロード・スタジオの屋上でライブを演った、そのシーンを思い出す。「ゲット・バック」は実にその気分を象徴した曲だった、な~。
講演のために準備していたものの、持ち出さなかったコトガラも幾つか。
いわば”選曲”しなかった題目。
木材がらみでの、茶室のカタチ。
木材がらみでの、鎌倉時代初期の運送に関わったヒトの着物。
などなど―――。
枝葉が広がりすぎて散漫ゆえ、あえて”選曲”しなかったワケだけど、ま~、内心は惜しむような気分もチラリンコ。
下記は、”選曲”しなかったけど参考にめくって、メチャに面白くガツ~ンと来た本。
『きものの思想』戸井田道三著 毎日新聞社刊
いかんせん絶版で今は古書で手にいれるっきゃ~ないけど、タイトル通りの中身の凝縮が素晴らしい。
着付け本や作法本はバッカみたいにたくさんあるけど、着物を通してヒトのことを思想した本は、そうはない。
水浴する天女が漁師に羽衣を奪われ天に帰れなくなって、やむなくも彼と結婚する『羽衣伝説』に触れ、天女ともあろうものが何故にわざわざ下界に降りて水浴したんだろう? との疑問から考察を進め、やがて「禊(みそぎ)」へと導くスリリングさや、『源氏物語』の光源氏の眼に映えていたであろう庶民の衣装の貧寒っぷりのコトなど、1度読んでまた直ぐ読み返していいような秀逸が冴えてる。
その『源氏物語』中に登場の末摘花(すえつむはな)は特異な人物だと戸井田は指摘する。この女性は毛皮のコートを着てるのだけど、紫式部自身の感受性はその毛皮に違和感を抱いているようだと云い、あとは……、ま〜、読んでのお楽しみ。
『図解日本の装束』
昔の、時代に応じた着物なんぞの部分呼称やらその変遷をたぐっていくに最適な本。図解で判りよく、けっして深くはないけど日本の装束の基礎知識を得るに便利。軽量な辞書として植物図鑑なんぞと共に常備しておきたい1冊。
『満洲暴走 隠された構造』 安富歩著 角川新書
不穏なタイトルだけど、中身の基本は日本の満州進出とそれに付随しての木材の話がメイン。森林破壊の様子が知れ、そこに巨大な大豆畑が出来ていく様相など、めっぽう面白い。
その大豆から油がとられ、さらにその絞りカス「大豆粕」が、当時の日本や世界での木綿作りの肥料(大量に必要)として飛ぶように売れるという実態などを本書で知る。
実は「亜公園」を造った片山儀太郎は亜公園閉園後の一時期、その満州での木材業務に関わっていたらしきであったから、満州の木材事情を知ろうと手にした本なのだった。
けども、それはそれとしてともあれ、興味深く読めた本。
男性ながら女装で通している著者にも、好感。
『きもの文化と日本』 伊藤元重・矢嶋孝敏著 日経プレミアシリーズ
いわゆる「ジャケ買い」な1冊。この表紙の、ただマッスグに立ってるだけっぽい姿カタチに惹かれた次第ながら、中身も良し。
全編、大学教授の伊藤元重と着物の(株)やまと社長の矢嶋孝敏の対談というカタチ。弾み良いフレーズがポンポコ出てきて、快調。
明治・大正・昭和・平成の着物の変遷を知るにはもってこ~~い。
2016年の出版ながら、晴れ着と成人式の関係を「制服化」で切り、ハロウィーンの流行をその「制服化」で既に予見するなど、眼の置き場が素敵でクリア。
5000円札の樋口一葉の写真に言及、襦袢の首に接する部分に衿を縫い付けた半衿部分がやたらに露出していて現代の感覚ではおかしく思われていると云い、下記に引用するけど、
矢嶋 一葉はきものをかなり下のほうで合わせてるから、半衿が大きく露出しちゃってる。それが「何か変な感じ」の正体だけど、これは彼女なりの着こなしなんです。
伊藤 おしゃれに着こなしているということですね。
矢嶋 一葉は明治の人だけど、きものがまだ行きてる時代だから、きものはファッションだった。自分なりの着方を工夫して当然ですよね。ところが、戦後、きものがファッションでなくなった。自分なりの着こなしなんて、誰も考えなくなった。自分の外に「正しい着こなし」なるものが存在すると思い込んでいるから、これを見て違和感をおぼえるわけ。正統があるから「間違ってる」と感じる。
こんな感じでトントコ話が進む。今回11/17の講演で話した鎌倉時代初期の頃の、帯のハナシもあって――――庶民はほとんど帯じゃなくって縄であったらしきコトやら、戦乱期に背中で結ぶ帯などありえないもの、背後から掴まれたらお終いじゃないか――――教わるところビッグで参考写真も適材適所に置かれたグッド本。
1000円でお釣りがくる価格も良くって、お薦めであります。木材の話が何で着物なの? と思われるバヤイもあろうけど、木を伐採した昔のヒトはどういう格好であったかにも興味あって、それで何冊かにあたってみたって〜次第。