サンマーメン

 まったく食通でないんで、フード関連のアレコレを知らない。

 サンマーメンという名を知ったのは、今年になってから。

 プライムビデオで『孤独のグルメ』を観ていて、初めて知った。

 けど、この麺は壁のメニュー張り紙と五郎ちゃんの独白に出てくるだけで、食べるシーンはないのだった。

 なので、それがどのようなモノであるかは判らずだった。

 

 しかし一方、近頃数ヶ月、日曜ともなれば近所のスーパーでもって、とある冷凍食品をば1ケ買っちゃ~、たいらげていたのだった。

 あんかけ野菜豊富で、はんなり醤油味。トロミ適度。

 これがアンガイうまい。ボリュームもある。

 

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 日曜のみ買うのは冷凍食品オール半額デー、だからだ。

 通常は3割引き。3割と5割はホッケの開きくらい大きいッショ。

 それで日曜昼食は5割価格の、その一品なのだった。

 缶ビールとこの熱々のリピートでもって、昼食が完結するのだから、おおらかというか安上がりというか、何だかよくワカランけど、それでもって満足度合いがコキュ~ンと高まるんだから、ま~、それでイイのだ。

 で、久しくもそのパッケージに小さな文字で書かれてる単語を、ボクは見逃してたんだ。

 見りゃ……

「生碼麺」

 と、書いてある。

 

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 先週の日曜だかに気づいて、

「あっ!」

「わっ!」

 嬉々混ざった感嘆符を2つ程ついてしまったのだった。

 いや、それまではこの冷凍食品の名なんてチッとも興味なくって、ただも~、他の冷凍麺に比べてボクと相性イイじゃん、それだけで日曜ごと買い求めを繰り返したものの、名は、せいぜいがパッケージにでかく書かれた「横浜あんかけ」を見る程度で、菜は喰っても名は食わずで、どうでもよかったのだった。

 それが、チョイ興味を持ってたサンマーメンであるというコトにやっと気づいて、

……ったくも~♥」

 自身の無知は棚上げで羞恥せず、ただ顔をほころばせたのだった。

 

 それで今更に調べてみるに、な~るほど発祥の地である横浜界隈じゃ~カップ麺として幾つか発売されてるコトを知ったワケだけど、この岡山では、少なくもワガハイが出向く何軒かのスーパーにゃ、それは扱ってないのだった。

 が、扱っていたとしても、冷凍食品よりは劣るだろうな予測もつく。

 食べ較べるホドのモノでもないし、もはやこの冷凍食品に満足しちゃってるんだから、これはこれでイイのだ。

 

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 サンマーメンは、およそ60年ほど前に横浜の中華屋さんがマカナイの一品として創ったという。

 生馬麺、あるいは、生碼麺、と漢字で書く。

 読みは広東語に属するというから、始めた店はきっと広東料理の店だったに違いね~。

 生はサン、馬(碼)はマー。

 新鮮野菜をシャッキリした食感として味わうという意味で、生「サン」、上にのせるという意味合いで馬または碼の字「マー」があてられているらしい。

 フ~~ン、と知ったかぶりしつつも、とはいえ、オリジナル求めて横浜くんだりにまで行きたくなるようなタチでない。

 けどもだ、『かながわサンマー麺の会』のHPをば見るに、モヤシの存在は欠かせないと書いてある。

 我が日曜の冷凍食品にもそれは入ってる。

 入ってるけど、増量もまたイイだろう。生(サン)を強調するのも手であろう。

 

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 同時にモヤシも買い、湯がいて、あんかけスープに搦めちゃえば、何やらいっそ~旨くなるんじゃなかろうか……、日曜午後の自分時間の満足をば、さらに数パーセントほどアップしちぇるかもだ。

 善は急げ 麺伸び前にDo it Now

 これを我が標語として掲げ、チョイ作ってみたです、よ。

 

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 しかし、『かながわサンマー麺の会』も書いてるけど、あくまであんかけが要め。

 ただモヤシ増量では、「もやしラーメン」になっちまう。

 そこの加減がマー馬~、むじゅかしい。

 

 

 

 

 

新聞記事はありがたい

 明治に造られた岡山警察署。

 でもって、ながく久しく忘れられたその煉瓦の遺構。

 この数年、講演などのたびにチラチラと遺構の話をし、こたび、それを甚九郎稲荷に移動させてどうにか保存のめどを立てたわけだけど、30日金曜の朝刊で山陽新聞がヤヤ大きく取り上げてくれた。

 ありがたい、ですね~。

 地元の新聞だから眼にされる方も多く、そこがま~、とても重宝というか、ありがたいのですゥ。

 早朝から複数な知友から、

「また載ってますね~、シンブン」

 ってな連絡を速攻で頂戴するし、ならばと、ごくごく少数の懇意にこちらから厚かましくも、「読んでちょ」連絡したりもした。

 

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 たまさか昨日金曜は夕刻より大学関連のとある映像コンテンツを創る委員会の打ち合わせと忘年会だったけど、忘年会場の店の女将やらの眼にもとまっていたようで、ちょっとくすぐったい嬉しさを味わったりもした。

 たださすがにこの年齢ともなると、自分が露出するコトよりもやはり、遺構移動の件を、新聞というカタチでもって伝えてもらえたコトがとても嬉しい。

 このメディアは人物を紹介するさい、ほぼ必ず年齢も記載するから、そんな個人情報の部類を名と併記されるのは、こんな年増になったゆえ、どこか哀しいような気分も味わわさせられるから、それで、自分が記事の中にいるお喜び感覚よりも、記事となった遺構に関してに着目してもらいて~、という気色が断然に濃ゆい。

 

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  ともかくも、市の文化担当者さんもその存在を知らなかった気配濃厚な明治の煉瓦組みを、一部とはいえ保存のために移設出来たコトが、なにより嬉しい。

 先の11/17の講演でも巻頭でチラリ告げたけど、RSK山陽放送さん、岡山神社さん、天神町界隈の理解ある町内会の方々……、そういった多くの方の「注視」がなくば、この移設は出来なかったワケで、ボクはその”火付け”の役を担っただけ。

 加えて、大事なポイントは、現状はとりあえず甚九郎稲荷境内に運んで設置したというに過ぎないこと。

 なが~い眼でもっての「保存と展示」は、これから考えなきゃいけない。新聞記事はその途上を紹介してくれたという次第。

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 今、ボクの手元には、移動工事のさいに生じた煉瓦の砕片が幾つか、ある。

 これは、カケラになったがゆえ煉瓦の中身が露出したモノで、明治半ばでの煉瓦の国産化がいかに難しいものだったかをよく示す貴重な破片なんだ。

 触ると判るのだけど、指に赤い土がつく。爪をたててやると赤い土が容易に剥離もする。

 

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 要は、ナマ焼けなんだ。お肉でいえばミディアムレアというヤツね。

 煉瓦は固めた土を焼いて造るワケだけど、その火加減具合が技法としてまだ確立出来ていなくって、表面はコンガリだけど、内部まで高温にさらされずで、よって中がナマなんだ。

 なので、100年以上も前のモノとは思えないフレッシュな色合いが露呈してるというワケだ。

 おそらく、これは岡山産の煉瓦だろう、とボクは見ている。

 明治の半ば頃、今の備前市に三石耐火煉瓦という会社が出来たのは1892年。亜公園が出来た年でもある。

 西欧からの技術導入ながらスタートからシャッキリした製品は、おそらく至難であったろうに思う。

 その至難っぷりを示す”遺品”なんだよ、これは。だから当然に、脆い……。

 そんな状態の煉瓦でありながら、明治38年頃から昭和20年の空襲まで警察署の建物土台としてガンバリ続け、さらに今年の10/31の移動工事まで誰からも忘れられたようなアンバイながら、通算112年(!)、風雨や直射光に苦しみつつもカタチを維持してきたんだから、新聞に載っかった真の主役こそは、この煉瓦。その集積物としての遺構そのものなのだった。

 その上に、この煉瓦達は表層が黒く焼け焦げてる。

 昭和20年の空襲の、その猛火の痕跡なんだ。

 なので、時代を顧みるモノとして、この煉瓦は2重に貴重なんだ。

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↑ キーストーン(左の三角屋根の煉瓦)配置の典型的西洋式煉瓦積み。白くなっているのは経年のホコリなどで生じた白カビと思われる。
 

  我が手元の煉瓦砕片を含め、良い保存と恒久な展示については、これからの課題だ。

 あちゃらこちゃらで、も少し、その方策についての下ごしらえをしなきゃいけない。幸いかな岡山神社のk氏やノートルダム清心女子大のU先生ら理解ある方々がいる。心強い。1人の足踏みはたいしたコトないけど、先日観たクィーンの映画の、「We Will Rock You」の通り、皆んなで一斉に足を鳴らせば、なかなかのハーモニーになるのを知ってるんで、ね。

 

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↑ 移設の工事現場にて瓦礫を見つめるK氏

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 ↑ 甚九郎稲荷に移設した煉瓦遺構の一部。左側(写真にちょっと写ってるもの)の御影石がこの煉瓦積みを支えていた土台石。都合上、分離して置いてます。

 

ボヘミアン・ラプソディ

 正直をいうと、クイーンというバンドは好きでなかった。

 彼らのデビューは1973年、ボクが大学生の頃。

 好きでないどころか、ブリティッシュ・ロックの中でイチバンに嫌いというホドのポジションに置いたもんだった。

 何が嫌いかといえば、も~、イチもニもなく、そのルックスだ。

 すでにD・ボウイもB・フェリーも髪を短くし、あらたなスタイルでもってロック・シーンの色合いを変えつつあるというのに、メチャンコ長い髪だし、衣装もダサイ。デビュー数年後にはフレディは髪は短いがランニング・シャツでのマッチョ・アピール。脇の下を晒すし……、カッコ悪いたらありゃ~しないのだった。

 なんせこちとら、幼少時よりランニング・シャツが大嫌い。母親が買ってきて着せようとするのを泣きながらジタバタ大暴れで拒絶したっちゅうくらいにイヤなのだった。

 

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 だから当然、そのような衣装のロック・バンドは眼のヤリバがない。やたら女の子のフアンが多いという背景も相まって、音楽の良し悪し以前のモンダイだ。

 なので食わず嫌いのままにクイーンを聴かず、遠ざけた。ボクの中にクイーンの居場所なんか、チッともないのだった。

 緩急自在な構成曲調での、やや高い歌声としてのバンドとしては、当時のボクはスパークスを聴いていた。

 ロンとラッセルのメイル兄弟だ。

 このバンドはまずジャケットが圧倒的に秀逸だったし、兄ロンの見てくれがケッタイだ。ポマードで撫でつけたヘアにヒットラーも笑うであろうチョビひげでもってホワイトカラーのシャツに黒いタイを結び、ごく無表情にキーボードに向かうのがマコトあっぱれ、ビジュアルもサウンドもとても美味しく感じたもんだった。

 

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 唯一買ったクイーンのLPは、1980年の映画『フラッシュゴードン』のサントラだった。

 映画中のセリフや効果音も入ったままの映画音楽としての文字通りな”サウンド・トラック”だ。

 ご承知の通り、この映画はダメ映画の典型じゃ~あるけど、そのダメさ加減がボクはあんがいと好きだったりもするし、公開と同時に「ダメじゃ~ん」な嘲笑に晒されてもいたから、その同情ともあいまって、エールを贈るような気分で、ま~。買っちゃったワケなんだ。

 いやしかし、アンガイと良いのだよ、このアルバムは。

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 マックス・フォン・シドー扮したケッタイなチャイナひげのミン皇帝の高笑いにかぶさってジョン・ディーコンのベースがデンデンデンデンと入ってきて数秒続き、ふいに、

「フラッシュ! アッハ~~!♫」

 昇り調子なコーラスが炸裂する展開の小気味よさは、映画以上にこのサントラの方が映画的だったりもした。

 

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 それから歳月が流れ、こたび伝記映画が登場し……、こちらワタクシめも、も~昔のようなトンガッた気分はない。もちろん今もランニング・シャツは大ッ嫌いだけど、バンドには、久々におつきあいしてみようという野蛮も出てきたワケなのだ。

 この映画に好感を持った人は、多い。

 すでに2回観て、さらに福山のIMAX仕様のシアターにまで足を運んだという某ビューティフルな女史もいる。

 彼女いわく、

「やがてD・ボウイの伝記映画も撮られるでしょうね」

 とのことながら、

「でもボウイを演じる役者って、いないでしょ」

 付け加えて苦笑するのだった。 

 同感。

ボヘミアン・ラプソディ』は予告編を見るだけでも、フレディ・マーキュリーブライアン・メイがかなり良く出来てる(役者が偉いね)んでズイブンに感心しちゃったけど、ボウイのあの美形は……、難しいでしょ。

 

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  てなワケで、イオンシネマ岡山で『ボヘミアン・ラプソディ』、観る。

 部分で史実と違うという声もあるけど、イイのだ。

 オペラ的展開のロックが曲として、どう編まれてったか、どうそれを彼ら自身が呑み込んでったかを眺めればいいワケで、フレディの性愛嗜好の詳細なんぞはまた別の切り口の何かでもって感じりゃ~いい。展開の速度と流れの緩急がクイーンの音楽映画だという一点に向けて突き進むのを、堪能すればいいのだ。

 中盤までに登場の曲はいずれも美味しくなりそうな所で次シーンに変わって、それで見てる内に次第シダイに欲求不満を上昇させてって、その挙げ句で、ライブエイドだ。英国会場のウェンブリー・サッカースタジアムを丸ごと、みっしり、むっちり、これでもかと見せてくれるという昇華構造。

 これは納得だった。

 

 ああ、それにしてもライブエイド。

 今更に、このチャリティーコンサートは思った以上の規模であったなぁとつくづく思う。それゆえの弊害や問題もあったと記憶するし、この辺りからチャリティーを方便にしたTVショーが生まれ出てきてハナにつくようにもなったけど、そんなことはクイーンを含め、ミュージシャンの責任じゃ~ないや。

 

 2軒ばかしハシゴして遅い時間に帰宅。

 YouTubeで当時の映像にあたってみると、こたびのライブエイド・シーンの再現度がハンパなく、実にうまく造られているのを”再見”させられるのだった。


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 ところで、日本では、この手のアーチストの伝記的映画って産まれてこないなァ。

 没後数年と経たぬ内に、ベニー・グッドマンジャニス・ジョプリンジョニー・キャッシュジム・モリスン、などなどと続々と映画になる状況に、ない。アップルのジョブスが亡くなるや、ほぼ即座で伝記映画が企画されちゃうのとは様相が違う。

 そうでないなら、とっくの昔に『お嬢』とかなタイトルで美空ひばりの伝記映画が出来てるハズ。『夜霧よ』ってなタイトルで裕次郎が、『今夜の夜汽車で』ってな、あるいは『ノーノー・ボーイ』とかなタイトルでかまやつひろしとて映画になるハズ。

 そういうのが登場しないのは、何故だろ?

 かつて司馬遼太郎は何かの講演で、

「明治以後の歴史は描きにくい」

  と前置きし、

「まだ死体が温か過ぎるんですよ」

 そう申されたことがある。

 似た役者がいるいないではなく、観客動員が期待出来る出来ないかでもなく、その辺りの死生観、死者への感覚が欧米と違うのだろう。

 さらには、描こうとする方が亡くなっていなくとも、描き出せる環境が―――クイーン違いじゃあるけど、ダイアナ妃が亡くなった直後のエリザベス女王を描いた映画『クィーン』での、今も健在なその女王の描写なんぞは―――この国とは土壌が違い過ぎてクラック~ラ、目眩がしちゃう。

クィーン [DVD]

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  まっ、ともあれ、なが~い歳月を経て、本映画でもってというのもシャクだけど……、ボクのクイーン嫌いはかなり「規制緩和」しましたな、ルックス以外、サウンド面で大幅に。

ディケンズの肖像

 大阪での万国博覧会が決定し、喜んでる方も多々あろうけど、

「よしゃ~いいのに」

 開催確定の報に、東京オリンピックが確定したさいと同様、とてもガッカリな気分を体内に充満させたのだった。

 『いのち輝く未来社会のデザイン』というテーマ・フレーズが、なんとも陳腐で空虚だし、確定と同時に発した大阪府知事の、

「万博とIR(カジノを中心に置いたリゾート)でベイエリアを開発し、東京五輪後の日本経済を牽引する」

 という発言も、結局は銭儲けかい……、てな感想が湧くだけで、砂場に落としたアメ玉をしゃぶらされるようで、ジャリジャリ不快、とても空疎。

 テーマなんて実は口実。『祭り事』をでっち上げ、たえず何かヤラなきゃ何も進められない貧寒が目立つ。というか、頑張って進めましょう、と張り切り出すエネルギーの方向性が、変。

 そも、万国博覧会を発明し、その発祥地として長く頑張ってたフランスですらが、もはや19世紀的万博の時代じゃ~ないと自国開催から撤退したというに、まだ大時代的な幻想にしがみついて、立候補していたロシアとアゼルバイジャンに勝った~と喜んでるのが、どうにもね。

格好悪くってイケナイんだ。

 

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 ひょんなコトからディケンズ肖像画南アフリカで見つかった、というニュースをCNNで読んで、

「へ~っ、何でまた南アフリカで?」

 数秒立ち止まるような不思議をおぼえた。

 その掌サイズの小さな絵は1843年に画家マーガレット・ギリースが描き、後年、所在不明となって、マーガレット自身も晩年までズ~ッと探していたらしい。

 ディケンズ31歳。ちょうど『クリスマス・キャロル』を書いてた頃の肖像。彼の肖像画は晩年の頃の、険しげな表情の絵が数点あるのみだから、だから貴重極まりない

 それが、英国じゃ~なく南アフリカの、とある家の処分のさなか、ヒョッコリ出て来たというのだから、何だか物語的だ。

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 近頃はもうチャールズ・ディケンズを熱心に読むヒトはこの国では少ないとも思うし、自分とて熱心に読んだおぼえがない。

 長編ときたらホントに長~く、4~5冊の分冊というアンバイだから、読むのを途中でやめちゃうコトも多。

 ディケンズ原作の映画は幾つもあって、その幾つかを DVDで観てるけど、それとてあくまでもお勉強程度な関心での視聴。

 けども、欧米でそうやって繰り返し映画化されるというコトは、西洋ではディケンズは今も重要な文化ポジションにあるという次第なのだろう。

 直接に原作としなくとも、たとえばイーストウッド監督の不思議な味ある映画『ヒアアフター』を観ると、そこの影響力というか浸透力が垣間見える。

 この映画ではマット・ディモン演じる主人公の霊能力者が熱心なディケンズ・フアンであることが前面に置かれてたし、ロンドンのディケンズ博物館を嬉々として訪ねるディモンのシーンなどもあって、おやおやっほほ~ッ、と興をひかされ、顧みれば、このSF的アプローチで多層な人々を描いた『ヒアアフター』は、構成、シリアス、ユーモア、帰結へとの展開を含め、意外やもっとも正統なディケンズ的香気に長けた映画といってよいよう、思えもする。

 長編『ニコラス・ニクルビー』に登場の双子を意識してか、この映画でも双子の少年が重要な役回りとして配置されていたり、ジグソーのピースのように配分された人物達すべてが心に傷ある、いわば弱者で、かつ”ごく普通な大衆”視点として置かれ……、それを見ると、程良く勘ぐればクリント・イーストウッドディケンズに捧げるオマージュと解しても、いいような感触チラリ。

 彼の映像作品では、ボクはダントツでこの『ヒアアフター』が好きだけど、その根っこにディケンズがあるかも知れないと考えると、またちょっと観たくもなる。 

ヒア アフター [DVD]

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 ディケンズ原作の映画としてはミュージカル仕立てな『オリバー・ツイスト』とジョージ・C・スコット主演の『クリスマス・キャロル』が圧倒的に高名だけど、DVD鑑賞という枠でいえば、かつてBBCが作ったTV版の『デビット・コパーフィールド』がダントツにお薦めだ。

 画面は4:3サイズの TVサイズだけど、ま~、これは作られた年代ゆえ仕方ない(1999年作品)。

 この作品、あんがい知られていない。

 なんちゅ~ても、かのハリー・ポッターダニエル・ラドクリフ君がハリー・ポッターとなる以前に主演してるんで若さがさらにウナギ登りでツルリンコ、かわゆいったらアリャしない。

 それに加え、ハリー・ポッター・シリーズでハリーの良き理解者だったミネルバ先生役のマギー・スミスが『デビット・コパーフィールド』では彼の叔母役なんだから、これは数年後に撮られるコトになる『ハリー・ポッター』シリーズの幕開けみたいなもんだ……

デビッド・コパーフィールド〈トールケース〉 [DVD]

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 で、ディケンズそのものを読むなら、ボクならその複数冊に分かれた大長編よりも、短編をおしたい。

 かなり怖いホラーあり、しばし笑える滑稽あり、と1冊でたっぷり堪能できるディケンズ・ワールド。

 こたび発見された肖像画クリリンとしたディケンズの眼の光輝を思えば、

「そっか~。この顔でアレやソレを書いたんかぁ~」

 妙に感心するコトしばし。

ディケンズ短篇集 (岩波文庫 赤 228-7)

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 たまさか今月末頃には新作として『クリスマス・キャロル』の誕生秘話を描いた映画『Merry Christmas! ロンドンに奇跡を起こした男』が上映されるらしい。

 (原題は『The Man Who Invented Christmas』)

 邦題の安っぽさは最悪で、日本の配給会社というのは観客の感性を信じていないというか、親切が過ぎて大迷惑というかだけど、けどけど、やはりあちゃらでは、ディケンズは大きな存在なのだニャ、という次第。

 ユーライア・ヒープとかミコーバーとか、登場人物の個人名も秀逸で、70年代にゃ、その名のロックバンドもあったね〜。

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講演余談

 突然に悪の権化と糾弾される悪人顔のゴーン氏は、なるほどミスター・ビーンに似ていなくもないけど、ごくごく微量ながら、気の毒をおぼえないワケでない。

 数多の企業や資産家がその収入をば過小に申請した挙げ句に国税局の調査でもって『申告漏れ』という”優しい指摘”で是正されるのと、いきおい『逮捕』でもって”虚偽の犯罪” として暴かれるのじゃ大違い。しかもこの国で2例めとなる、おまえの悪さは見逃してやるからアイツを潰すの協力しろという「司法取引」での事件化。

 なんだかきな臭くもあるし、また一方で、関係者の自殺というただならない事態を引き起こしながら政治屋と周辺連中の虚偽は片目つぶってお見逃しがまかり通っているようでもあって、どうも……、バランスの悪さだけが腐臭としてハナにつく今日この頃。

 

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 毎回の事ながら、1つ講演を終えると、小さい波みたいな反響がしばらく続く。トークする身としては、ひそかな演出効果として幾つかのポイントを持って話している次第だけど、そこの反応が薄く、でも、意外な所で反応がかえって来たり、する。

 講演後の複数日で、何通かメールをもらい、

「タタラの話を聴いててズッと『もののけ姫』を思った」

「フランスの風呂事情はもっとしっかり勉強した方がいい」

 とかとか……、実は余談として触れたことがクローズアップされているというのが、それで判る。

 こういうのが、いわばライブの醍醐味。唄って踊ったりしないけど、講演もまたライブなシーンとボクは思ってるから、それらのお声は実に嬉しくありがたい。

 もちろん、いささか残念に思う面もある。

 例えば今回は、鎌倉時代東大寺再建のさい、麻苧(あさお)という綱が、いかに重要であったかを云い、そのために重源は各地に湯治場を設け、地域住民にそこを利用させて、その見返りとして綱造りを頼んだ、あるいは半ば強要したのでは……、ということを云ったのだけど、あんがいと反応が希薄だったりもした。

 けど、それもまたオモチロイ。自己満足で終わらないのがライブの醍醐味。

 数年スタジオにこもってアルバム作りにはげんだビートルズの4人が、鬱屈から逃れるようにして凍てつく厳寒のアビーロード・スタジオの屋上でライブを演った、そのシーンを思い出す。「ゲット・バック」は実にその気分を象徴した曲だった、な~。

 

 講演のために準備していたものの、持ち出さなかったコトガラも幾つか。

 いわば”選曲”しなかった題目。

 木材がらみでの、茶室のカタチ。

 木材がらみでの、鎌倉時代初期の運送に関わったヒトの着物。

 などなど―――。

 枝葉が広がりすぎて散漫ゆえ、あえて”選曲”しなかったワケだけど、ま~、内心は惜しむような気分もチラリンコ。

  下記は、”選曲”しなかったけど参考にめくって、メチャに面白くガツ~ンと来た本。

 

『きものの思想』戸井田道三著 毎日新聞社

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 いかんせん絶版で今は古書で手にいれるっきゃ~ないけど、タイトル通りの中身の凝縮が素晴らしい。

 着付け本や作法本はバッカみたいにたくさんあるけど、着物を通してヒトのことを思想した本は、そうはない。

 水浴する天女が漁師に羽衣を奪われ天に帰れなくなって、やむなくも彼と結婚する『羽衣伝説』に触れ、天女ともあろうものが何故にわざわざ下界に降りて水浴したんだろう? との疑問から考察を進め、やがて「禊(みそぎ)」へと導くスリリングさや、『源氏物語』の光源氏の眼に映えていたであろう庶民の衣装の貧寒っぷりのコトなど、1度読んでまた直ぐ読み返していいような秀逸が冴えてる。

 その『源氏物語』中に登場の末摘花(すえつむはな)は特異な人物だと戸井田は指摘する。この女性は毛皮のコートを着てるのだけど、紫式部自身の感受性はその毛皮に違和感を抱いているようだと云い、あとは……、ま〜、読んでのお楽しみ。

 

『図解日本の装束』 

図解 日本の装束 (F-Files No.018)

図解 日本の装束 (F-Files No.018)

 

 昔の、時代に応じた着物なんぞの部分呼称やらその変遷をたぐっていくに最適な本。図解で判りよく、けっして深くはないけど日本の装束の基礎知識を得るに便利。軽量な辞書として植物図鑑なんぞと共に常備しておきたい1冊。

 

満洲暴走 隠された構造』 安富歩著 角川新書

満洲暴走 隠された構造 大豆・満鉄・総力戦 (角川新書)

 不穏なタイトルだけど、中身の基本は日本の満州進出とそれに付随しての木材の話がメイン。森林破壊の様子が知れ、そこに巨大な大豆畑が出来ていく様相など、めっぽう面白い。

 その大豆から油がとられ、さらにその絞りカス「大豆粕」が、当時の日本や世界での木綿作りの肥料(大量に必要)として飛ぶように売れるという実態などを本書で知る。

 実は「亜公園」を造った片山儀太郎は亜公園閉園後の一時期、その満州での木材業務に関わっていたらしきであったから、満州の木材事情を知ろうと手にした本なのだった。

 けども、それはそれとしてともあれ、興味深く読めた本。

 男性ながら女装で通している著者にも、好感。

  

『きもの文化と日本』 伊藤元重・矢嶋孝敏著 日経プレミアシリーズ

きもの文化と日本 日経プレミアシリーズ

 いわゆる「ジャケ買い」な1冊。この表紙の、ただマッスグに立ってるだけっぽい姿カタチに惹かれた次第ながら、中身も良し。

 全編、大学教授の伊藤元重と着物の(株)やまと社長の矢嶋孝敏の対談というカタチ。弾み良いフレーズがポンポコ出てきて、快調。

 明治・大正・昭和・平成の着物の変遷を知るにはもってこ~~い。

 2016年の出版ながら、晴れ着と成人式の関係を「制服化」で切り、ハロウィーンの流行をその「制服化」で既に予見するなど、眼の置き場が素敵でクリア。

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 5000円札樋口一葉の写真に言及、襦袢の首に接する部分に衿を縫い付けた半衿部分がやたらに露出していて現代の感覚ではおかしく思われていると云い、下記に引用するけど、

矢嶋  一葉はきものをかなり下のほうで合わせてるから、半衿が大きく露出しちゃってる。それが「何か変な感じ」の正体だけど、これは彼女なりの着こなしなんです。

伊藤  おしゃれに着こなしているということですね。

矢嶋  一葉は明治の人だけど、きものがまだ行きてる時代だから、きものはファッションだった。自分なりの着方を工夫して当然ですよね。ところが、戦後、きものがファッションでなくなった。自分なりの着こなしなんて、誰も考えなくなった。自分の外に「正しい着こなし」なるものが存在すると思い込んでいるから、これを見て違和感をおぼえるわけ。正統があるから「間違ってる」と感じる。

 

 こんな感じでトントコ話が進む。今回11/17の講演で話した鎌倉時代初期の頃の、帯のハナシもあって――――庶民はほとんど帯じゃなくって縄であったらしきコトやら、戦乱期に背中で結ぶ帯などありえないもの、背後から掴まれたらお終いじゃないか――――教わるところビッグで参考写真も適材適所に置かれたグッド本。

 1000円でお釣りがくる価格も良くって、お薦めであります。木材の話が何で着物なの? と思われるバヤイもあろうけど、木を伐採した昔のヒトはどういう格好であったかにも興味あって、それで何冊かにあたってみたって〜次第。

きもの文化と日本 日経プレミアシリーズ

きもの文化と日本 日経プレミアシリーズ

 

 

引っ越しました

 ブログを引っ越し。

 従来のブラックな画面になれた方には違和感もありましょうが、ま〜、しかたないと思って、お付き合いください。

 ブックマークのアドレスをご変更ください、ね。

(たぶん自動で変わってると思いますがネンのため)

 「月のひつじ」の従来の記事ももちろん読めます。

「ブログ」というカタチはヘンテコで、アレコレ書いてるけど未だに、自分自身が納得するカタチじゃ〜ないとも思ってますが、ま〜、しかたない。ツイッターとかフェイスブックは好みじゃないからやりません。

 そんな次第で、ボクの開いてる数少ない窓の1つです。

 ときおり、お覗きください、ね。

 

 

ちょっと一服



某日午前。
百間川の橋の上から、眺める。
3羽のシラサギが昼食を狙う。
およそ4分ばかり付き合ったけど、収穫なし。
その間、3羽ジッと動かず。
見飽きて場を去りはしたけど、尺度の違う根気強さを思わずにいられない。


この11日に、ダグラス・レインさんが死去したね。
2001年宇宙の旅』で HAL9000の声を演じた人。
ハルといえば、その静かな声。
静かな声といえば、ハルを思うほどにボクの頭の中では1つの独立したボックスに収まる声だった。
概ねで静かな声というのはさほど印象に刻まれないものだけど、ハル=レインの声は転写作用が大きかった。
声だけが出てきて姿がないから……、と思ってしまいがちながら、姿は常に、ゆるぎない自身に満ちた”健康体”としてのディスカバリー号という宇宙船というカタチで出ている。
HAL9000ディスカバリー号
しかもチャンとした目的意識を持って。
なのでこの”健康体”は、内部に搭乗した3人の科学者と2人の飛行士を、当初は良き善玉菌ではあったけど、悪しきなガン細胞にそれらが転化したと考えだす。
コンピュターが殺人を犯した初事例とかいうけど、HAL9000は自身の健康維持のためのウィルスの駆除を開始した……、と、いまだこうやってアレコレ解釈したくなる。
だから、近頃の自動車業界やらがAIの自動運転めざして躍起になってるけども、はたしてボクはその手の車に乗りたいか? といえば、ノ〜ノ〜と今は答えるっきゃ〜ない。



17日の午後、講演。
推薦入試に文化祭。ピタリ重なって先生方不在。やや空席が目立つコトになってしまったけど、しかたない。
でも、思わぬ方が聴いてくださったり。


ほぼ定刻にて終え、某所でかる〜く乾杯。
打ち上げは来月某日と決まってるから暫定乾杯、でもこの機会はこの時でしかないから、ナ。
イベントは常に裏方に徹してくれる方々あって成立するもの。終えて一同しちゃうのは嬉しいなぁ。
ホッとしますなぁ。
かる〜くなつもりが、チャカポコ3時間。


翌日18日。
某高層マンションの一室にて、ミニなパーティ。
講演がらみじゃなく、プライベート。
やや慣れ親しんだ、見晴らし良きそのマンションから別マンションに我が友が転居というコトで、惜しむような、祝うような、が同居した「猪鍋パーティ」。
幸いかな、何ぁ〜〜んも気兼ねしないですむ仲ゆえ、やっぱ、この団欒、ホッとしますなぁ。
病欠となったKちゃんをば心配しつつ、シシ肉つっつき、熱いジューシーな脂をばビールで流し込む。



来岡中のS氏持参の、コマイなる魚を初めて食べる。
氷下魚、と漢字でかくそうな。
北海道産。岡山には出廻らない。
タラの親戚らしいが、骨組み頑丈でちょっと食べ方にコツあり。
熱々が旨く、これは日本酒の肴じゃな……、即座に思ったら、S氏いわく「その通り」とのこと。
ハシでなく手掴みでもって背骨をさけるようにしてかぶりつけば、身離れがよくって、骨は綺麗に分離する。



ひとしきり食べ、大いに談笑後、ケーキ。
ワタクシめが、ラ・セゾン・ド・フランスという店で買ったもの。
いや〜、しかし、これが甘いのなんの。
アルコールと肉でまったりした胃がその甘味に驚いて、やや拒絶ぎみ。
「若い頃ならペロリじゃけど、さすがに年齢……、甘すぎぃ〜」
オノケーちゃまが笑う。
けども全員、完食。


ああ、しかしだね、新幹線とローカルの速度違いを上から目線で眺められるこのマンションとはお別れだ。
甘い口元ほころばせ、少し寂しい感じを呑み込んで、記念写真をば撮ってもらう。
でもま〜、「次は転居パーティだな」と大いに北叟笑む。
いうまでもないけど、次はケーキはよしましょう。
……、などと思いつつ、フッと巻頭で紹介のシラサギの姿がよぎる。
小魚追ってジッと我慢で川面を見つめる姿が、チラリ。