はやぶさ2とピーター・トーク

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 先日22日。朝6時半頃にMacを起動させ、「はやぶさ2」の着陸実況配信を眺める。

 思った以上にチカラの入った番組で、実況ゆえの醍醐味を感じた。

 同居のマイ・マザ~へのモーニング・サービス時間と重なっていて、オシメ交換やら朝食をお出しした頃合いで着陸が成功したようで、そのちょうどのタイミングを見ることが出来なかったけど、ま~、かまやしない。

 20代後半から30代にかけての若い方々の炯々を見て取れたし、イオン・エンジンの技術者らしきで番組の解説役の1人となってた月崎竜童という、ま~、まるで芸名みたいなヒトの丁寧かつ親切な案内ボキャブラリーにも感心させられた。

 このヒトは判りにくい専門用語を柔らかく溶いて、上手くほぐし、

「個人情報につながるコトでもあるから、どこまでおしゃべりして良いか判りませんが……

 咄嗟の判断でもって、管制室内の男性と女性の比率なども解説してくれた。

 こういう軽妙洒脱いたれり尽くせりな、柔らかい人物がいる組織はイイ。

 このヒト自身きっと今後、いっそう伸びてくに違いない。

 

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     右から2人めが月崎氏。司会の女性も矢継ぎ早やい質問攻勢で醍醐味あり♡

             

 何人もの欧米人も管制室にはいて、日本イチバンのアクがない様子も伺いしれ、それもよろしかった。

 月や火星に居座わるような着陸でなく、あくまでもタッチ・アンド・ゴーな数秒の着陸の第1回めの成功だけど、ともあれ、よろこばしい。

 テレビ局的でない、オープンで溌剌とした実況だったのが何よりよろしかった。

 

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                   月崎竜童氏のアップ

 

 けど日本経済新聞が同日の社説で、

「科学的興味は尽きないが」

 と前置きしつつも、

「資源探査に生かせ」

 だなんてセッカチにも早々とガチンコな経済最優先を云ってるのにはゲンナリだった。

 石炭や石油はどうやって産まれたか、今はその系譜の大元たる地球生成の、その図帳を作るための実証考察をやってるワケで、この社説を眺める限りは、喰うことしか考えない恐竜の貪婪しか見えずなのだった。

 

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 同日の夕刻に、ピーター・トークの訃報。

 つい最近、実は連日のようにモンキーズを聴いてたもんだから、

「えっ!」

 けったいなタイミングじゃ~あった。

 4人のメンバーの中でイチバンに興味のないヒトではあったけど、それでもメンバーの1人。

 ディビー・ジョーンズに次いでこのヒトも去ったか……、遠い中学生時代に接した感覚と今の感覚がもつれ、

「光陰矢の如し」

 っぽい人生速度を思わないでもなかった。

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 今あらためて、あえてヘッドフォーンで聴くに、デビュー曲『恋の終列車』でリード・ボーカルしてるミッキー・ドレンツの歌声には緊張が感じられる。

 初々しいといえば単純だけど、その緊張ぎみな声ゆえに当時の米国の同世代が共感し、この曲も入ったデビュー・アルバムがいきなり500万枚という次第につながったのかも知れない。

 歌詞の内容とその震えを抑えたような声が連動し、徴兵制ゆえにベトナム戦争に駆り出されるやもしれない当時のヤング層ご一同に連鎖の反応を起こさせたのかも知れない。

 


 

 

 出だしで、ドラムのミッキーは、

クラークスヴィル行き最終列車に乗るから、駅で待ち合わせよう」

 と歌いだす。

 Take the last train to Clarksville,

    and I’ll be meet at the station.

 

 クラークスヴィルテネシー州にある人口12万の都市。

 その中心街から16kmの所にキャンベル砦という極めて広大な地所があって、ここには米国陸軍の第101空挺師団の基地がある。

 2万人の兵を擁する大掛かりな駐屯地で、第2次大戦から今に至るまで多くの陸兵を養成し送り出す場所でもある。

 米国の当時の若者なら、とくに徴兵制度でベトナム戦争に送り出されるのを不安がってるヤングメン一同には、『徴兵 - 戦争 - 死ぬかも』な誰もが感じるであろう不安の代名詞となる場所の名がクラークスヴィルなのだった。

 

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            101st Airborne Division  Base

 

「恋の終列車」はそのクラークスヴィル行きの直前、つきあってる彼女と駅で束の間だけど会おうという内容。

 歌詞に徴兵もベトナムもないけど、クラークスヴィルの1語でもってこの歌が意味している深刻度合いは当時の米国ヤンガーズにはピンと来るという次第……。

 ピーター・トークはこの曲ではベースとコーラスを担当、どこか軽々しい彼の頼りなさげな風情、ガニ股ぎみな不格好さもまた、アイドル的存在ではなく、すぐそばにいるお仲間的同世代の子の元気な素振りという感じで当時のヤング一同、

 Oh, no, no, no  Oh, no, no, no

 And I don’t Know if I’m ever coming home.

「嫌だ嫌だ嫌だ……、僕、戻れるかどうか判らないんだっ」

 背景にひかえた不安を懸命に隠蔽して青春を謳歌してるような姿カタチの見せかけに、ヒリヒリと共感したのかも知れない。

 ティーンエイジな浮かれ気分の時間は短く、18になると徴兵される、その不安の焦燥こそが「恋の終列車」の核となっていたろう。

 

 CNNなどの米国ニュースではピーターの訃報が割と大きく取り上げられていて、

「おやっ?」

 と思わさせられた。

 60年代をヤング全開で育ったヒトらが今は50半ば~60歳代、紙面構成の決定を担う方々だろう。

 モンキーズというのはTVが創ったバンドとしてスタートしたけど、今現在の米国の60歳くらいのヒトにとって以外と大きな位置を占めているのだろう。

 ただの郷愁としてではなく、通過した政治的兵役の辛酸と文化的ポップな甘みある色彩が混合し、頬っぺに浮き上がった経年によるシミみたいに、独特の位置に置かれているのだろう。

 同世代ながら日本に産まれ育って『モンキーズ・ショー』をおバカで楽しくカッコイイ~~っと観ていたワタクシと、米国でこれを眺めてた同い年の人物とは、たぶんにモンキーズの位置が違ってるんだ。

 辺野古の埋め立て問題が真に問題と感じて苦悶してる当地のヒトと、他県でもって傍観し他人事のニュースとして眺めてるのとの違いみたいに、といえばコジツケな大袈裟にしろ……

 

 

影に仰天 ~火星年代記~

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 過日。The Recycleのライブ。

 このバンドの溌剌を見るのは年に1度っきり。ニドサンドゥウィッチィじゃなくって年イチド~ッキリがドッキリ鮮度も保たれるって~もんだ。いいね。

 スナザイル君のMCとボーカル。タケザイル君の確実なベース。動と静の佇まいがいいね。

 ギターのナカザイル君とドラムのコニザイル君もいい。ガツ~ンと濃厚な豚汁の旨味めくギターのコクと、炭酸多めのスカッシュめくなキレあるドラムがヨーロピアンの重厚な城塞を思わせてハードにハートをまさぐってくれるんだホントだよ。

 メンバーによるコーラスが加わればさらに良しと思わないでもないけど、音楽がもたらすデッカイ喜びを味わえるバンドのナマを味わえる1度っきりの気分や、良しヨシ。

 70年代80年代90年代と通り過ぎた、いつかでどこかでの楽曲が今風味になってリサイクルされて還って来る感触も、大いに良しヨシ。

 

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 過日、いっぱい呑んで良い加減で家路にむかう夜道。フイに人が急接近でかなりドッキリ、ゾッとした。

 けど、誰もいね~。

 何のことはない。光の悪戯。街路灯の光加減でスポット的にすぽっと自分の影が出来ただけ。

 何だオドカスなよ~ん。

 確認のため一枚写真パチリ。

 自分に怯えちゃいけませんなぁ、カッコ悪い。

 

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 2004年の1月に火星に着陸して以来、自分の影に怯えたりもせず、がんばって単独行動していた探査車オポチュニティが動かなくなったそうで……、なんと15年の孤軍奮闘だったのだから立派でしたなぁ。

 想定された可動寿命は90日だったワケで、性能の圧倒的良さが際立った。火星大気の風が太陽光パネルや機器に積もる砂埃をはらってくれてたのも幸いだったようだけど、15年はすごい。

 

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 で、思うのだけど、自分が、オポチュニティみたいに単独1人っきりで火星にいるとしたら、どうだろ?

 マット・ディモンの『オデッセイ』(バカな邦題)はその1人ぼっちを描いて秀逸だったけど、いざや自分があの境遇にあったら、あぁ、もちろんジャガイモ栽培なんぞはしなくても良いリゾート気分な隠遁滞在者として考えるに……、夜は、カーテンを降ろすだろか?

 『オデッセイ』にそんなシーンはなかったし、そもそも誰もいないのだし、地球に較べて太陽光も弱いし、カーテン不要の環境なんだけどね。マット・デイモンも夜を恐れるような演技はしていない。

 けど、なんだかほぼゼッタイ的にボクはカーテンを欲しがるねっ。

 そうでないと、も~まるで落ち着かない。

 

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 出来ますればこの場合、ヴィクトリア調な重厚なのがイイ。

 アングルが描いた公爵夫人の衣装なんかの豪奢な生地がイイ。レースとサテン。とくにこの蒼色。火星の闇夜を遮断するには最適っぽい。

 ビロード系の赤も考えたけど、な~んかムラムラしてきそうな予感もあるし、1人ぼっちでムラムラもね~。やはり蒼っぽい沈静だか鎮静を促すようなカラーが良いね、火星では。

 で、レースを多少に取り入れたいのは、これは地球への郷愁……。

(上:『ドブロイ公爵夫人ブログリィ妃』肖像 アングル作)

 

 とはいえ白昼の火星は、景観としてはたぶん4日めにはもう飽きちゃうだろうし、太古の火星人の都が発見出来そうでもないし、さてそうするとやはり、夜の闇が浸透して空想の鎌首がもたげられ、

「ぁ~、それでも何かいるような気が」

 ゾクゾクッと薄ら寒い感触を背筋にはしらせて、あえてそれを愉しむがための装置は要るな……。

 外にナンか変なのがいるぜっ、てな妄想がためにも、ほら~Horror、やはりカーテン要りますなっ。

 そこで読むブラッドベリの『火星年代記』は地球で読み感じてたのと異相し、1つの滅亡史として、よっぽどに怖いものとなって刺さってくるやも。

 

火星年代記 (ハヤカワ文庫 NV 114)

 

昔の寒い日々

 先日の朝日新聞web版に下写真のようなタイトルの記事があって、ウムムッ、つまらなかった。

 あくまでもライアン・ゴズリングの発言というインタビュー記述になってるけど、その部分「スマホより劣った技術で宇宙へ」をタイトルにしたところに、執筆者の感覚が垣間見えて、逆撫でされるような感アリだった。

 

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 50年前が今の技術より劣ってるのは誰もが知るところだし、スマートフォンを持ち出すまでもない。そも、新聞社が何でスマホって縮めて書いてしまうのか?

 縮めることで経費節約出来るのか?

 ゴズリングは日本的短縮コトバで云ってないはずで、この表記って大衆迎合的な悪しきとみえて、不快。最近、こういうのが多すぎ。

 

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             朝日新聞2018.05.18

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             朝日新聞2018.08.21

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             東京新聞2019.02.11

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             朝日新聞2019.02.13

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             朝日新聞2018.09.22

 

 オリのユニ着たバスケ選手って、何っ、この三段縮め?

 アンケってなんじゃ? 小児言語じゃあるまいし、「ート」の2文字省略に何の必然があるのか?

  一方でペーパーの新聞そのものは、さほど縮ませてなくって、なんだか妙な使い分け。

 新聞社は言葉や単語の牙城たれ、な~んて爺さんみたいなことは云わないけども、ええ加減になさい、とは思ってブ~ふ~ゥ~。

 

 朝日記事の技術云々をいえば……、アポロ計画というのは巨大システムを精密に動かす初事例となったプロジェクトと言い換えてもいい。

 システムという単語が広く使われはじめるのも、アポロ計画からだ。

 月飛行に関しては、宇宙飛行士の個人能力や一部少数のヒューマン・パワーだけではまったく成り立たないものだったし、シミュレーションという模擬練習が絶対的に必需でもあったし、それはヒューマン・パワーと精度高きな機器とが密接連動して初めて機能する、まさにシステムの名に値いするものでもあった。もちろんその中枢にコンピュータがいる。

 朝日新聞記事はそれを「スマホより劣った技術で宇宙へ……」と云い、ついで「あの飛行士の恐怖を思う」と結ぶ。

 しかし、これは絶対につながらない。

 メモリー容量とかの小ささはまったく関係ない。当時はそれで最高にして最強パワフルなものだったし、飛行士たちはそれを信頼し、むしろ誇った上で搭乗しているワケで、そこに恐怖をおぼえような人物は皆無。そうでなくちゃ、アポロ計画は進まない。宇宙ロケットは飛ばせないじゃないか。

 こういう自明を省いてしまったお気軽軽量なあさ~い記事が、大嫌い、です。

 新聞社が本来書くべきは、アポロ時代のコンピュータがはたした巨大な役割の方じゃないかしら? その上でライアン・ゴズリングのインタビューとすべきだったと思うが、ね。

 

 アポロ司令船のコンピュータとソフトウェアに関しての記述はコチラへ、どうぞ。

 ソフトウェアという単語もアポロ計画で誕生した単語だよ。アポロのソフトウェアたる「コア・ロープ・メモリー」という重要なプログラムは、全米から選ばれた針仕事の達人たるオバチャン達が縫ったというような、「初めの一歩」を書いてます。実はそこだけで面白い映画が撮れそうなんですけどね。

 

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 数日前、夜明け前の4時頃から雪が降り出して、降雪が少ない岡山市ゆえ、

「おや、珍しや」

 ヨッちゃん喜び庭駆け回ったりはしないけども、こっそり嬉しい感触をもたげはしたのだった。

 昔聴いて耳が馴染んだダークダックスの、

「ゆぅ~きのふぅるま~ちを~~♪」

 と口ずさみ、

「お~もいでだぁけがとおりすぎてゆっく~~」

 今もちゃ~んと歌える自分に感心したりしつつ、ブルルルッ、寒さというか空気の冷たさに身震いするのだった。

 で、同時にまたぞろ、室町期末期頃に生きてた人達って、どれっくらい我慢強かったのか……、その逞しさにはとても追従できない脆弱なボクちゃんを見出したりもするんだった。

 

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              早朝4時過ぎ。窓ごしからパシャリ

 

 過日ここで紹介した「おあむ物語」のおあむの例を当時の衣料の通例とするなら、厳寒のみぎりとても、粗末な手縫いの麻の帷子(かたびら)一枚だ。

 帷子というのは、ひとえあわせな麻の小袖のことで、当然に裏地なんかない。涼し気な麻は今は夏用ということになってるけど、おあむが生きた時代に夏冬の区別はなかったようで、彼女はその一枚っきりで、13歳から17歳まで過ごしたというから……、今となっては信じがたい薄着。

 冬場に羽織る綿入れなんてシャレたものもない。綿製品は室町期を過ぎてからのもの。

 いよいよ寒い夜はボロっきれめいたのを帷子の上に重ね着したであろうとも思うけど、今の感覚じゃ~、とても耐え難い衣装にはマチガイない。

 だからそこを耐え忍んでるんだから、えらいというか、何というか、皮膚の強さもまた今とは違ってたんだろうさ。耐寒強度が今とは違ってたとしか思えない。

 

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                    朝8時頃
 

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           朝9時頃の甚九郎稲荷。撮影はEっちゃん

        足跡は本人のものに違いない。麻一枚の薄着で歩いたハズはない

 
 おあむの語った人生を眺めると、寒さだけじゃなく、もっとドエライ経験もつんでらっしゃる。

 下級とはいえ300石取りの武士の家に産まれ育ち、その主人たるが石田三成だったんだから、その末路は今のワタシらは誰もが知るところ。

 慶長5年(1600)、西軍の根拠地であった美濃の大垣城からリーダーの三成たち本隊は関ヶ原に移動。そこで東軍と対峙し、でもって敗れる。

 西軍敗退で関ヶ原から東軍攻め寄せ、大垣城は包囲されてガンガン攻められる。

 

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                  戦後に再現された大垣城

 

 おあむは家族ともども城内にいる。

 その籠城で、おあむは母や他の女性たちと、運び込まれる敵方の首(!)を洗い、おしろい施し、お歯黒をさす。

 で、それら生首は一箇所に集められ、敵方にも見える場所に晒す。

 

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        享保15年刊『御庵物語』の装画  岩波文庫版より

 

 死化粧を施す理由の一つには、首の主が敵方の重要人物であると見せかけて敵の戦意を萎えさせる役に使う一方で、戦場における敵方への敬意も含まれる……、ようだ。

 とはいえ、そのようなことをば、城で女性たちが総出でやってる図は、今の感覚じゃ修羅の地獄図としか映らない……。

 けども、当時の感覚は違うんだなぁ、おあむは告げる。

「おはぐろ首は 良き人とて ……中略…… 首もこわいものでは あらない」

「その首どもの血くさき中に 寝たことでおじゃった」

  この時、おあむ(御庵とも書く。庵は愛称だろう)は18歳前後か? 血に動ぜず、首の重みにアタフタしないのは、生首は「良き人」という感覚が先行支配しているからだろか?

 おあむには14歳の弟がいて、この子は、城内で鉄砲玉にあたる。

「そのまま ひりひりとして 死(しん)でおじゃった。扨々(さてさて)むごい事を見て おじゃった」 

 この、「ひりひりとして」に酷烈な哀れを感じるのだけど、おあん達はその翌々日の夜だかに城から脱出する。

 取り囲んでいる家康側から矢文が射込まれていて、「城をのがれたくは 御たすけ有べし 何方へなりとも おち候へ」とのことで、おあむの父・山田去暦は天守近くに家族呼び寄せ、吊り縄で石垣を降り、用意していたタライに家族を順次に乗せては堀を渡りインディアナ・ジョーンズの冒険みたいですが)、夜の闇にまぎれて城から離れてった。

 300石取りだから家来もいるのだけど、家来には告げず、親子4名(兄がいた)で逃れる。

 けど途中で、おあむの母親が産気づく。おあむによれば城から5、6町離れた田んぼの中であったようで、女の子がその場で産まれる。

「おとな 其まま 田の水にて うぶ湯つかひ 引あげて つまにつつみ(着物の裾でつつむ) はは人をば 親父 かたかけて あを野ケ原のかたへ落ちておじゃった」

 その後の記述に、

「こはい事でおじゃったのぅ むかいまつかふ 南無阿弥陀南無阿弥陀

 と続くから、おそらくその女の子は逃走中に亡くなったのかもしれない。

 

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 江戸期(享保15年)に描かれた装画を見るに、夫は妻を背負い、長男に子を持たせての遁走だ。この絵からは凄惨さは伝わらないし、衣装描写も資料的価値は薄いけど、家来を見捨てはしたものの家族という単位だけは何とか維持して逃げざるを得なくなった境遇の壮絶は、ちょいと判らないではない。妻を背負うた夫は草履も履いてない。

 

 そうやって山田一家は土州(土佐)にまで下り、おあむは同地にて近江出身の雨森儀右衛門という人物と結婚。儀右衛門没後には甥の山田喜助宅に身を置いた――― と、波乱万丈の生涯だけど、尼僧になった晩年(1661~1673頃。4代目将軍徳川家綱の時代)に語った「おあむ物語」の後部では、当時とを比べ、

「ひる飯など喰ふという事は 夢にもないこと 夜にいり 夜食といふ事もなかった 今どきの若衆は 衣類のものずき 心をつくし 金ついやし 食物にいろいろの このみ事めされる 沙汰の限りなきこととて」

 と、衣装に心を奪われたり金(こがね)で何でも食べられ好みもうるさいのを、おあむはどうかしてるよ~、と嘆いてるのだった。

 彼女の青春時代を顧みると、

「朝夕雑炊をたべて おじゃった おれが兄様は 折々山へ 鉄砲うちに まゐられた」

「其のときに 朝菜飯をかしきて 昼飯にも 持たれた その時に われ等も菜めしをもらふて たべておじゃったゆゐ 兄様をさいさいすすめて 鉄砲うちにいくとあれば うれしうて ならなんだ」 

 とある。

 日常2食。それもお粥。時に菜っ葉を刻み入れたご飯のみという粗食。キジだか鳥だか猪だかの肉が渇望されているのが、ここでよく判る。

 300石取りの武士の家でこうなんだから、その家来の家というのは、さらに米の摂取量は少なかっただろうから、お粥とても、いっそ白湯に近いようなもんじゃなかったかしら。

 しかし、大垣城から脱出しておよそ50年、徳川4代目家綱の時代になった頃には、金さえあれば色々な食物を口に出来る社会になってるのも感心……。自明なことではあるけれど、戦争しなくてよくなると衣料や食品物量も良くなってくんだね。

 おあむにはその変化が眩かったに違いない。昔は良かったなんて〜コトはチッとも思わないだろうけど、口惜しいような気分もまたなくはなかったのじゃあるまいか。

 巻頭で紹介のアポロ記事にひっかかれるような思いを受けたのは、たぶんにそんな時代変化の渦中での体感温度差を、軋みめいた悲哀として……、おぼえてのコトかも知れない。

 

 

 

ファースト・マン

 封切り初日に映画館のシートに座るのは久しぶり。いつ以来だろう?

 といって、とても楽しみにしていたから……、じゃない

 本年が月着陸50周年だから、ワクワク……、でもない。

 たまさか初日が都合がよかったという次第で、むしろ、この映画にはちょっと不安をおぼえてた。

「どこまで描けてるのかしら?」

 予告編をみるかぎり、何やら平凡な、かつて他のこの手の映画でも見たような感触がジミジミ沁み出てくるようで、だから期待せず、いささか上から目線的アンバイで着座したのだった。

 むろん、アポロ計画の話なんだから興味の高揚度は高い。

 

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 主演のライアン・ゴズリングという一点に眼を向ければ、悪くはない。

 そりゃま~、『ブレードランナー2049』はダメ映画じゃあったけど、それは同映画のビジュアルとステレオタイプの域をまったく出ない脚本のつまらなさから来るもので、ゴズリングが悪いわけでない。

 『ラ・ラ・ランド』は未見だけど、2016年の『ナイスガイズ』でのラッセル・クロウとの共演は良かった。1970年代後半が舞台で、当時流行ってたアールデコっぽいフォントを使ったタイトルなど、随所に気が効いたコシラエがあってなかなかの見栄えだった。ゴズリングは子連れのヘンテコな探偵役でメチャおかしい。モンティ・パイソン的辛辣ユーモアとアメリカン・ジョーク的大味とがうまく結合した妙味で、物憂げなその顔とは裏腹にこのヒトはおバカなコメディをこなせるのだなぁ、と妙に感心もした。

 で、今回は一転し、もの静かな、ニール・アームストロングを演じたワケだ。

 

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       実際のニール・アームストロング。ラングレー月着陸訓練センターにて

 

 アームストロングは月から帰って以来、意識的にその名を消去しようとしていたヒトだと僕は感じたこともあって、だから彼の没後にこうして伝記映画が出来るのは良いことだと思ってる。

 月面で、

「この一歩は小さなものだけど人類にとっては大きな跳躍だ」

 と発してからは、ニール・アームストロングが月に最初に立ったと云われるのをヤンワリ回避し、あくまでも人類を代表したに過ぎない個人という感覚をずっと持っていたかも……、とボクは彼を希望的に眺めてた。月着陸は人類そのものの業績ゆえ降り立った人物は匿名性を帯びた方が良いという風に。

 もちろん実際はそう単純でない。

 重圧を背負ったヒト特有の寡黙だったかも、しれない。

 アポロ13号帰還劇の当事者ジム・ラヴェルは80年代だかに、NASA関連の行事にも現れないアームストロングの隠遁者めいた沈黙に対し、

リンドバーグは私費で大冒険したから、その後の沈黙は自由だったけど、自分たちは公的資金でもって月に行った。そのことも忘れちゃいかん」

 苦言めいた発言もしている。

 

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               NASAのオフィシャル・ポートレット

 

 60年代の、ケネデイ暗殺の日とアームストロングが月面に第1歩を下ろした日は、60年代を生きたヒトにとっては大きな共通体験だったと、思う。

 だからまず誰もが、この2日の”事件”があった時、自分がどこにいたかをおぼえている。

 1963年11月22日のボクは津山の小学生であり、ケネディ遭難をきいたのは朝の寝起き。初の宇宙中継がもたらしたニュースでだ。

 そして1969年7月21日は、高校の職員室横の職員当直室でだった。部活は放り投げてその畳敷きの部屋に詰め、白黒テレビに大勢でしがみついてた。教師の1人が、

「オルドリンはまだおるどりん」

 くだらないジョークを飛ばしたが、そのお寒い13文字が自分にとっての月着陸の一部になって、もう久しい。それを耳にして50年が経つわけだ、今年の7月で。

 まったく同じことが、原作『ファーストマン』にも書かれてる。60年代を生きた米国人もこの2つの日は、深く刻まれた別格の何かなんだ。

 悲しみどん底の日と、ブラボ~月着陸の日は、月という球の上でバランスをとってる天秤の2つの両端だ……。

 ちなみにアームストロングはケネディ暗殺のニュースを、ジム・ラヴェルの車と並列で駆けながらヒューストンに向かうさいのカーラヂオで聴いたという。

 数多の訓練が詰まっている宇宙飛行士たちは身動きがつかず、代表としてジョン・グレンがワシントンDCの葬儀に参列したと同書にはある。

 

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 原作は史実たる経過を一歩一歩追いながら、当時関わったであろう多数の方々の発言を丹念にひろって、パッチワークみたいににしてニール・アームストロングという人物を浮き上がらせるのに成功しているけど、それでもまだ彼の輪郭の一部は見えていないような気がしないでもない。

 冷静。沈着。勤勉。忍耐。慎重。強靭。真面目……。

 それらはハタからみると素晴らしくあるが、つまらなくもある。微笑みたくなるようなキャラクター性に乏しい。

 が、一方では彼のユーモアは第一級で、一度味わうとしばらくは笑い転げてしまうとの証言も多い。

 幼い愛娘が症例の非常に少ない癌に犯されて亡くなったさいは、葬儀後はすぐまた飛行訓練に出向き、娘のことなど一言も触れずで、周辺の同僚は彼に娘がいたというのを知らなかったというヒトもいるらしきだけれど、その前後の彼の動向や言動には巨大な陰りとしての悲痛が、今となっては読み取れるというヒトもいる。

 このあたりのバランスが不可解で、判りにくい。

 

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          月着陸船の中継カメラ部分の操作訓練中のアームストロング

 その点で二番目に月面に立ったバズ・オルドリンは判りよい。

 ま~、彼は彼で二番目に甘んじた自分というものをどう表現するかで、大きく苦悩し、一時はアルコールにおぼれ、鬱になり、そこから抜けると逆説的にマスコミの脚光を浴びるべく務めだすワケだけども……。

 そういう次第もあって、アームストロングという人物の中の未知を、何事か”映画的に示唆”してくれるかしら? 映画館のシートに座りつつ、そのような期待はかすかにありはした。

 とどのつまり、ボクはアームストロングという人物に惹かれているわけなのだ。

 

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            石の採集を練習中のアームストロング&オルドリン

 

 で、映画だ。

 映画は淡々と彼の人生をなぞっていく。ジェミニの時代、そしてアポロの時代。多少そのあたりの進行を囓ったものには、ま~、さほど目新しくはない。

 ボクとしては、当時いた宇宙飛行士の中で何故に彼がアポロ11号船長に選ばれ、月歩行の第1番めに抜擢されたか、彼は数多の飛行士の中、1つの特異点があったのじゃないかしら? などなど複数の疑問の答えのヒントがあるかもな期待をそよがせつつの鑑賞なのだったけど、ま~、そこはやはりちょっと期待過多だった。

 監督デミアン・チャゼルは1985年産まれだから、アポロの時代は彼がオギャ~と発する前の歴史、昔話だ。

 でも、悪くないよ。良い映画だ。

 米国では、「星条旗を立てるシーンがない」とブ~ブ~云った若い議員がいたらしいけど、そういうナショナリズムでもってチャゼルはこの映画を組み立てていないのがまったく、イイ。

 今までのアポロ計画を描いた映画とは違うアプローチも、イイ。

 アップを多用し、ローアングルめなカメラ視点とかも、試みとしては、イイ。いっそ『2001年宇宙の旅』が想起されるようなシーンも散見。

 かつて他の映画で描かれなかった打ち上げ日早朝のステーキ朝食の様子や、帰還後の隔離施設の様子が出て来たのもポイントが高い。

 

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    実際のステーキ・モーニング。右の赤シャツは飛行士室室長のディーク・スレイトン

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            実際の隔離施設(Lunar Receiving LAB)の面会室

 

 ただま~、娘の死でスタートし、娘への気持ちを月面上で顕わにすという”起”と “結”は、いささかドラマ的過ぎると感じたし、アップ多用がゆえにジェミニやアポロの宇宙船の姿を堪能するというには、遠い。”勇姿”としての宇宙船などメカニカルなビジュアルは大幅にはぶかれる。

 X-15での飛行の意味や、ジェミニ計画アポロ計画と進んでいく開発史としては、これはまったく判りにくく、ある程度の予備知識がないと話にノッてけないようでもあって、良い映画だったけど、ウムムムッ……、加速度がついたボールの行方を懸命に追わされた感がなくはない。

 宇宙飛行士たちの配役も妙に悪い。当時の飛行士たちは皆な30代後半だけど、この映画じゃ皆な50に手が届いたオッサンに見えてしまうのが難点。

 けど、ダンコにお薦めしたく思ったのは、アームストロングの奥さんジャネットを演じたクレア・フォイだ。

 

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            『ファースト・マン』より ©Universal-Pictures

 

 この人が、この映画の最大のツボ、最大の見所。

 ボクがアカデミーの審査員なら、この女優に主演女優賞を贈ってイイと断言できるほどに存在が際立ってた。

 現実の月と地球が年に3cm程度ながらも離れていってるのと同様、次第次第にと乖離幅が増す夫婦の、その妻の目線がこの映画最大の肝だったとするなら、クレア・フォイは実にまったく素晴らしい演技でもって、その心のカタチを見せてくれた。ライアン・ゴズリングすらが、かすむほどに。

 感情を押し殺してスマートたらんとするのを既に血肉化させている夫と、夫がそうであるゆえに感情をむき出していくしかなくなっていく妻の、これは悲しみのラブ・ストーリーと云ってよく、輝ける宇宙フロンティアを眺める映画じゃない。

「この一歩は小さな」ものではなく、夫婦という単位にとって,

「大きな苦難のいっそうの跳躍」

 だったと、その大きな目はモノ申してた。

 そうであるなら、ニール・アームストロングは自身の言葉、「この一歩は小さなものだけど人類にとっては大きな跳躍だ」でもっていっそうに自己規制をかけ、そう振る舞わねばとの思いが空転してしまった不幸を人類史初めて味わった、まさに「ファーストマン」であったと、同情ぎみに思い返しもするのだった。 

 

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         ジェミニ8号帰還記念の式典場での実際のアームストロング夫妻

            離婚は月着陸から25年経った1994年だったという

 

 

花戦さ 余談

 前回記事で触れたムジンサイについて。

 ムジンサイは無人斎と書く。

 歌詠みの人でもあったから、これは号。正確には無人斎道有という。

 本名は武田信虎

 かの武田信玄に追放された、その実の父親だ。(信虎43歳・信玄(晴信)は20歳の時の事件)

 信玄は父を追放して甲斐の領主となって後、歴史上に名を残す快進撃を続けるワケだけど、あまりその父のことは語られない。

 

 息子の信玄に追い出される前、彼が躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた - 信虎の住まいで現在の甲府市の礎)の中の一室・竹ノ間にて猿を飼っていたことは、『武田三代軍記』にも載っているから事実だろう。

 「白山」という名がついた大きな猿で、一室を与える程に信虎は溺愛していたようだ。

 

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                  『武田三代軍記』の該当部分

 

 その「白山」の世話係の武士が猿のあまりの振る舞いに激昂して、ある日、猿を殺してしまい(上の該当部分、左側後半に顛末が記されている)、それで怒った信虎は武士を惨殺してその家督も消滅させたりと……、配下の者への手ひどい扱いが追放劇の一端だったとの説もある。

 襖という襖に竹林が描かれて豪奢であったろう竹ノ間は荒れ、掛け軸も襖も破れ、畳は糞尿で汚れに汚れて異臭を放っていたろう。そんな部屋の中の猿一匹を世話させられた末に殺されてしまった家来は、哀れ気の毒というほかない。

 

 けれど、息子に追放された信虎が野ざらしのフ~テン虎さんになったかといえば、そうでない。

 しっかり生き、駿河と京都に屋敷をかまえ、京都界隈の有力者六角氏や公家らと連絡を取り合っては何事か策動し、足利義昭とも結託したりのあげく……、追放した信玄よりもはるかに長生きしちゃったこともまた、事実なのだった。

 織田信長がなくなった後も生き、当時としては大変に長寿、81歳で没したというから、えらく元気だった。

 彼が京の都で何をどう密かに策動していたかは定かでないから諸説入り乱れて現在にいたる。

 追われた甲斐の国を取り戻したかったのか、あるいは実際は……、信玄とも連絡を取り合っていて、まったく密かに信玄と共に武田家覇権をホントは画策していたかも知れずで、いわば彼は逆境にあえて身を置いた武田の第1級なスパイであったかもと……、幾らでも想像できるホドに、彼の事績はよく判っていない。

 信玄没後にはその弟の信廉(のぶかど)と会い、久しぶりの親子対面で意気投合、信廉は絵師の才もあったから父親・信虎の肖像画を描いてもいる。信玄の跡を次いだ勝頼とも会って何事か談合した気配もある。

 

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絹本著色武田信虎像(武田信廉画 山梨県甲府市大泉寺蔵)

 

 信玄のあのデブっと肥えた体躯から来る印象とはまったく違って、信廉が描いた袈裟姿の信虎は細身。どこか冷暗な策謀家といったシャープさがあって、畏怖をおぼえるような凄みがある。

 ひょっとすると信玄以上に、甲斐の武田家を代表する人物であったようにも思われるけど、どういうワケだか認知度が低いのは、その取っつきにくく、気を許せない得体不明の雰囲気が遠縁にあるのかもしれない。

 下のアップをご覧よ。唇のカタチ、眼の凄み、僧形ながら襟の合わせを緩めにした野生味など、これらパーツが醸しだすのは負性なキャラクター性というもんだろう。

 眼球を白く描いているのはひょっとして白内障だったのかも知れないけど、たとえとして良くはないが、印象として、近頃の「スターウォーズ」シリーズの、ダークサイド側の親玉スノーク(だっけ?)とも相似する……。

 それほどに、この絵の人物は”魅力的”だ。

 

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 この謎の信虎 = 無人斎をヒントに、脚本家・森下佳子はそれを猿の絵を描ける絵師として『花戦さ』で使ったんじゃないかしら? そう勝手な想像をめぐらせているワケだ。

 もしそうであるなら、ものの見方を変え、人物を換えて、猿というキーワードを投影させたその秀逸が際立つのだけど、さて、どうだろ?

 

 黒澤明の『影武者』では、仲代達矢演じる信玄に、大滝秀治の山縣昌景が、

「お屋形さまはしょせん甲斐の山猿じゃ……

 可笑しみを誘う嘆きごとをいうシーンがあったけど、甲斐に限らず、かつて当時この国は山野だらけなのだから、猿の人口もまた多かったろう。あたりまえのように山に猿がいたろう、ね。

 ボクは猿が大の苦手で、子供の時、名古屋のでっかい動物園の猿舎前で嘔吐したこともあって、この1件で決定的に嫌猿家になったから……、猿人口が多かったであろう戦国時代はとてものこと生きづらい。

 そうでなくとも群雄割拠、戦国武将という名目でもって得体知れないボス猿みたいなヤカラがこれまた山のように生息していたんだから、とてものこと。

 だから織田信長が、いみじくも若い秀吉を「さる」と呼んでいたのはチョット象徴的だ、ネ。

 映画『花戦さ』での秀吉は、その「さる」の呼称を侮蔑と沁ませてコンプレックスの塊りと化した人物として描いてるようではあったけど、あたらずとも遠からず、秀吉もまた激しく猿嫌いであったに違いない。

 

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枯木猿猴図(こぼくえんこうず)長谷川等伯1539-1610)の代表作品 重要文化財

 

 信長は信長流の愛あっての「さる」の連呼だったろうけど、受ける本人は呼ばれるたびに赤裸な恥辱を浴びるようで苦痛であったろうし、そう云われてニコニコしてなきゃいけなかった我慢と鬱屈の堆積もまた大きかったに違いないだろうし、その克服がらみな対処として、マゾヒズムを一身に受け入れた果てにサディズムに転化燃焼させ、勇猛し、やがて、黄金の茶室だの、朝鮮出兵だの、派手な振る舞いに出てったとも云えるかもだけど、結局は他山を見られないサル山のボスでしかなかった感は、攻撃的な黄金の茶室というカタチに濃厚に出ている。

 簡素を極めるというカタチに向かう利休の飛翔に秀吉はついていけず、ついていけない自身の感性に怯え、利休が絶対に嫌うであろう華美をあえてその利休に造らせるコトで束の間は嗜虐に昂悦したろうが、彼は自身の山を出られない猿であることをも強く再認識もしたろう。

 その一点において信長がつけた愛称は正鵠を射たものだったかもだ。

 

 『花戦さ』では信長を中井貴一が演っていて、ま~、悪くはなかったな、1つのサル山のボスの顔としては。

 ただ中井さんは良い意味で云うけど何を演っても中井さんだ、邪気を孕んだような凄みはない。いわば ”中井貴一”というネームのフード・チェーン店みたいなもんで、褒めて云えば、実に安定の味わいを醸す存在なんだ。

 

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 どの店もトンガリ屋根の「長崎ちゃんめん」。どの店も同じ味だから好もしい。なのでボクのリピート率が高い。中井貴一さんにはそういう味わいがありんすね。

 

 ところで、戦国の時代、戦争に出向いたさい徴兵されて最下層の立場に置かれてる人たちには、昼食を含め食事は毎日支給されていたのかしら?

 何だかどうも、チャンとは届いてないような……

 道中、食べられる廉価なチェーン店があるでなし、小銭あるでなし。自分用の米をどうにか掻き集めて持参してたり、そこいらから略奪して来なきゃいけない行軍もあったんじゃなかろうか?

江戸時代になった頃に書かれた『雑兵物語』では、たしか、戦場にかりだされたら仲間の飯でも躊躇なくぶん取らないと生きていけないみたいなコトが書いてあったような気がするけど、この本、書棚のどこに置いたかみつからない。

 文庫本って、見失うと実に見つけにくいカタチだと思いませんか?

 

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 ともあれ、そういう悲哀を帯びた末端の兵士さんが行軍の道沿いの草むらで、モソモソと何か喰ってるのを、その界隈にお住まいの猿やらキツネやらタヌキは、クツクツ笑って見てたんじゃなかろうかしら。

 ならばいっそ、化かしてやろか……、アン饅頭に見せかけて馬糞なんぞを1つ丸くにして転がすとかで。

 池坊専好が花をいけてたのは、野山あって獣も多々いて自然は活き活きながらも、ヒトの争いたえずなワヤクチャな内乱時代だ。そんなさなかに花と向き合うというのは、なかなか出来ないこと。

 なので、興の尾がなが~くひかれる次第。

 芥川はそのあたりを含むであろう気分をば……、こう書いてたね。

 

童話時代の明け方に、――獣性の獣性を亡ぼす争ひに、歓喜する人間を象徴しようとするのであらう、日輪は、さうして、その下にさく象嵌(ざうがん)のやうな桜の花は。

 

『Paul Smith』と『花戦さ』

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 日本の専売特許みたいに昨今しきりに用いられる「クール・ジャパン」は、労働党トニー・ブレアが首相だった1997年から10年間に渡って彼のスーツを担当したポール・スミスたちの『クール・ブリタニア構想』がオリジナルだ。

Cool Britannia - Creative Industries Task Force: CITF  ブレア政権時代の産業振興の一翼として提唱された)

 ベチャっといえばカッコいい英国みたいな感じをワールドワイドに発信し推進させようという試み。ポールやヴァージン航空のR・ブランソン達がメンバーでこれは政治的にも商業的にも大きなヒットだった。

 けど、ブレア時代は良かったものの、政権も変わってポールらが抜けたその後、ジワジワと概要が変質し肥大していって……、いまだオリンピックだのレガシーだの、その模倣をやってたらヨロシクはないぞ~、という指摘となるのが『文化資本』という本だけど、最近のポール・スミスの日々を追ったドキュメンタリー『Paul Smith』を観た。

 で、ポポンと膝打って感心したのは政治がらみな話でなく、純然たる服の事、時代による生地の硬さのことだった。

 

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 ご承知の通り、彼は60年代のホックニーの明るい色彩や、60年代半ばから70年代半ば頃に台頭著しいブリティッシュ・ロックのミュージシャンたちのファッションに着目し、そのテーストを隠し味的に、それも丹念かつ丁寧に取り入れるというスタイルをとって成功したけど、ではその頃の英国ロックの衣装がどういうものかといえば、それは時代をさらに遡る生地たちによるファッションなのだった。

 当時のアート気質なトンがったミュージシャンは、たとえば、スタピルフィールズの朝市でもって20世紀初頭の花柄なんぞの古いカーテンやらテーブルクロスをタダ同然で買ってくる。

 それをサビルロウの仕立て屋に持ってってスーツやシャツにしてもらってた。

 意外なことにスーツ造りの職人らはそれらヘンテコな依頼を拒否しない。頑固で律儀で保守的と”ジョンブル気質”はいわれるけども、

「ワイは着ぃへんけど、オモロイやん。よしゃ、造ったるワ」

 新規でケッタイなコトガラに首を突っ込みたがる性質もまた濃くあるんだろう。

 コンサバティブの表とプログレッシブな裏という意味で、それは現在のポール・スミスもまたその通りの気質を持った人の直系だろうけど、そうやって当時、例えば花柄のスーツだの、衿や袖のみにカラフルな他生地をあしらうみたいな、”非常識”なファッションが登場して時代の先端を泳ぎだし、その自由感が、戦争はもうウンザリだのの、いわゆる”フラワー・チルドレン”の装束母体となってった。

 

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 この格好にのみ注視して現象を探れば、時代がカクテルされた装いというコトになる。60年代という時代の生地に、より過去な布地がミックス、色彩と図柄が混ざった状態が現出したのだった。

 ただ、60~70年代ミュージシャンはエエ格好で奇抜を装うが、なんせ古いカーテン地やテーブルクロスの布などなど、ゴワゴワして硬くもあり、けっして着心地良いもんじゃなかったハズ。

 そのことをポールはドキュメンタリーの中で言及してる。

 彼は当時の若者文化の表層を見事に切り抜くが、当時の素材まで真似はしない。今は素材加工の技術が違う。同じ明るいストライプ柄でも素材も加工の琢磨も進んでより人体に馴染む生地が出来るから、そこが決定的に当時のモノとは違ってる。

 

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 2017年の映画『花戦さ』で感じた違和感は、その素材感だったのかもしれない。

 天正時代、すなわち信長が興隆の頂点と奈落に落ちた時代の京都の町並みと人の往来が本作には登場するけど、その町衆の装束にボクは妙な違和感をおぼえたもんだった。

 それがポール・スミスのドキュメンタリーで何ととなく氷解した気がするんだ。

 後期室町時代の装束でありながら、どこか違和があるのは、その素材の柔軟さにあると、みた。

 早い話、見た目、柔らか過ぎるんだよ。

 麻、葛などが主体の当時の着物は、実体はよりゴワゴワしたものであったはずなんだ。

 ひどくゴワゴワじゃないけど、しゃがんださいのシワの寄り方とか、肩部分の張りであるとか、かすかであるけど絶対的に現在の”製品としての着物”とは別物だったはずなんだ。

(木綿は天正時代を終え、いわゆる戦国時代を抜けてから流行りだす)

 そこが映画じゃ難しい。

 

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 今の衣装は今の素材で作られたものなんだから、柔軟性が違う。

 映画で使われた衣装にまさかそれは混ざっていないとも思うけど、今は麻とレーヨン、綿とポリエステルといった混紡でもって生地は柔らかさを出していたりもする。その違いのような感触がいみじくも映画の中に出てしまってる……、と薄々に感じるんだ。

 それに何より、背景にいる町衆の着物が皆、綺麗すぎる。

 主役クラスの方々の衣装は着古した感じや襟部分のほつれなど上手く造られていたけど、背景の方々がほぼ総員、「よそ行き」な感じ……、新品同様じゃ~いけないんじゃなかろうか。

 

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 もっともイケナイ違和だったのが、ヒロインの衣装だ。

 彼女は河原で拾われ、尼寺に預けられるものの、絵師としての力量を迸らせるこのヒロインの着物が華美過ぎだ。

 

 この当時の実際の記録として『おあむ物語』というのがある。

 石田三成配下の武士の家に生まれたおあむという女性が、高齢になった江戸時代の初期、尼僧になってから語ったのを筆記した、いわば自伝で、一民衆の生活史として天正期の戦国末期の貴重な資料となっている。 

「さて、衣類もなく、おれが十三の時、手作のはなぞめの帷子一つあるよりほかには、なかりし。その一つのかたびらを、十七の年まで着たるによりて、すねが出て、難儀にあった。せめて、すねのかくれるほどの帷子ひとつ、欲しやと、おもふた……」

『新・木綿以前のこと』 永原慶二著 中央新書 

 三成の下にいる武士(300石とりだったというから決して低い所得でもない)の娘であってさえ、この有様が実態なんだから、野村萬斎演じる池坊専好に河原で拾われ寺で保護されることになるヒロインが、下写真のような浴衣をあたえられるワケがないのだ。

 ちなみに、はなぞめというのは花をあしらった図柄じゃなく、何かの花から抽出した色で染めた麻をいう。麻は浸透性が高くて染まりやすい。おあむは思春の盛りをそのただの一枚で夏も冬も過ごしていたようだ。

 

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 この映画の最大の見所は、佐藤浩市演じる利休だと思える。いや正しくいえば利休を演じた佐藤浩市だ。

 演出上、狂言的な顔演技を願われたと思える主役の野村萬斎はややリキみ過ぎで、さほど自然体でないのが惜しまれる。むろん坊主頭になっての熱演ではあるし、かつての『陰陽師』を彷彿する所作が出てきてニヤリ北叟笑んでもしまうし、微細な表情の変化など素晴らしい演技なれども、佐藤の抑えきった利休へのアプローチの前では、いささか比重が違うような気がしないでもない。

 物覚えの悪い池坊専好の言葉に困惑やらプライドの矛先を失ったさいの絶妙な表情や、庭先に立ってジッと一点を見つめて棒立ちしている利休-佐藤の格好良さは、ポール・スミスを着たから見栄えいいだろうのレベルでなく、もうそこだけ切り取って額に入れてよい程に見事、存在が極まっていた。

 

 根掘り葉掘りすればこの映画の欠陥はいくらでも出てくるけど、けどもいわゆる華道のスタート地点に着目し映像化した一点はブラボ〜、素晴らしい。

 もちろん、だからこそ激しいほどに物足りないんだけど……。

 

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 物足りない最大は、花でもって秀吉を諌めるという原作の陳腐さが映画となっても引きずられるままで、花をいける、その精神の昇華と抽象化はこの映画では前面に出てこないコトだろう。

 なぜに、「生けはな」か? 

 なぜに、生花と書いて「しょうか」というか?

 なぜに、花は「立てる」のか?

 だから惜しいなぁ、と思うんだ、せっかくの題材ゆえに。

 それは概ねで室町時代の後期、池坊専応にはじまり、やがて初代となる池坊専好によって飛躍するという次第なんだろうけど……、その飛躍と定着をもっと花そのもので描けなかったか……、と惜しむのだった。

 京の河原にゴロゴロ死体が転がってる貧寒の時代さなか、なぜに花に向かうのか、その辺りの消息をこそ前面に打ち出して欲しかった。

 太閤を諌めるという程度の形而下で話を進行させるのは、いかにも花の存在を貶めるようで……、そこがハナじらむわけだ。

 

 もちろん見所あり。

 かつて実際に前田利家の京都邸宅に作られたらしき松を主体にした大砂物を映画の中でクッキリ見せてくれるし、事実、ものすごく迫力ある造形。

 

f:id:yoshibey0219:20190128181155j:plain           ※ 「花戦さ」オフィシャル・ホームページより

 

 ルネサンス期の天井一面の絵画同様、規模に制約されない伸びやかな昇華を見せられる。

 それは現在の華道家池坊が全面強力な協力しているから出来たモノだろうし、それはそれで素晴らしい。ノコまで用い、自然な感じを"作為"する「造型妙味」をこの映画では見せてくれる。

 が、逆にいえば、その関与があるゆえに映画的冒険が出来なかったとも思える。遠慮な気配を微かに感じる。

 コンプレックスを背負い込んでいる秀吉(市川猿之助の絶妙な演技が冴えてる)の、その哄笑でもって家臣一同も笑い出す顛末には、たとえそれが哄笑であって爆笑のそれではなかったにしろ、そこでもって思考停止しちゃってるようでいただけないし、ヒロインが生き返ってるラストは、あまりにひょっこり唐突で漫画チックじゃなかろうか。

 終わりのスタッフ・スクロールでの池坊への配慮には、野村萬斎が力演して云う「花の中の仏さん」には遠い、家元制ピラミッド構造が透けて滑稽、巻頭であげた『文化資本』に描かれる、

「少数の人ではなく多くの人に」

 との当初のクール・ブリタニアン構想がやがて、

「少数のために、多くの大衆のためでなく」

 という流れとなったとする指摘と重なって、妙な既視感をおぼえるのだった。

 たぶんもっとも残念なのは、ラストの河原シーンでCGで花を咲かせたことだろう。池坊の全面協力があるに関わらず、デジタル描画の花で映画を閉じちゃ~イケナイんでないのかしら?

 

f:id:yoshibey0219:20190128181256j:plain               ※ 劇中に登場の見事な立花。

 

 ことさら、花を生ける行為を神聖視するワケもないけど、しかし、日本の出版業界というのは……、1本映画が出来ると速攻でムックを出すから便利だね。

 入門編として実に重宝。でも一方、こういうのを眺めて学んだような気になって自己完結しちゃうコトもまたデッカイのが難点。

 

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 表紙でもって、「豊臣秀吉に戦いを挑んだ戦国乱世の花人」とあるのは、あくまで映画のこと。この辺りの虚実の曖昧が問題だ。

 実際の池坊は時の権力にぴったり寄り添うて生息し、またそのことでもって華道家としての地盤をかため、免許皆伝という巧妙でもって花いけを商業化していったとみていいだろうから、ファンタジーとリアルを一緒にしちゃう本造りはいささか……。

 

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 原作は開栓した発泡酒を一晩置いてしまったような、キレなくコクなく、さらにあげれば、背表紙が装画の色に重なって読めないという最悪部類の本だったにしろ、映画の脚本(森下佳子・「JIN-仁」を脚色)は原作の薄っぺらをかなり上等にグレードアップさせてる。

 彼女が、ムジンサイという新たな人物を創って背景に置いたことでちょっとしたフカミを醸させるのに成功しているようにも、思える。

 このムジンサイというのは、当時の戦国武将なら誰もが知っている人物で、そこに着想を得て名を借りたと思えるが、もしそうであるなら森下氏のワザありと云わねばなるまい。まっ、それは別機会にでも。

 

 ま~、けどもされども、次なるを期待するという導火線役として『花戦さ』は、異議ありじゃなくって意義あった。

 華道をテーマにした映画は他にないんだし、読んでつまらなかったけども原作もまた、この映画で面目を得た。

 ポール・スミスを持ち出して衣装に言及したのは、室町前期の花いけの興隆にヒョットして当時の方々が着衣した着物の、そのつまらなさが影響していたかもという疑念めいた感じも受けたから……、だ。

 花ぞめとか、アレコレとアプローチしてみても、依然として実際の花や葉の活き活きたる華麗に及ばないがゆえにの、人の、花への憧憬が濃くあったんじゃなかろうか? と思ったのだ。

 憧憬は常にそれを越えたい願望がからんでくる。そうであるがゆえ、人は花をいけようとする、掌握したくって……。

 もしそうであったなら、こたびの映画での町衆の方々の衣装はやはり今風に出来上がり過ぎて、花よりも華やかに見えもして……、華道のスタート地点を描くには眩い過ぎる存在だ。京の町衆の装束はもっと色のない粗末な感じを前面に出すべきものだった、と思うんだ。

 ともあれ。ま~ま~フゥフ~、願えるなら花をテーマにした映画にまた会いたいもんだ。『2001年宇宙の旅』っくらいのブッ飛んだのに会いたいもんだ。

 

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 なが~くなった次いでだから……、紹介。

 某ダイニング・バーに置かれてる本。池坊で修行したらしき筆者が日々毎日にいけた花の作品集。

 ちぎれて枯れかけた一葉をあえていけてる。これは鮮烈だった。

 川瀬敏郎『一日一花』 新潮社

 

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 これは、某バーの片隅。

 花をなりわいにする某Mちゃんの初春モードの逸品。

 写真におさめるにはヤヤ難しいけど、「東海の小島の磯の白浜……」と啄木が詠んだ情けなさではなくって、どこか鶴と亀が潜むような長寿安泰めいた風合に好感させられた。都合よくも右手の万成石のアート小品が海辺の岩場のようにも見え。

 

 

 

ミカン

 ミカンの中に種が出て来るようになると、いつもきまって、チョイ淋しいようなシーズンのうつろいを意識させられる。

 それが冬の終わりとイコールではないのが、心地よくない。

 あいかわらす寒いのだから、もすこし冬味覚として食べていたいから。

 

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 歩いて3分半ほどの所にジョイフルがあって、年に2~3回利用する。

 チャチャっと食べるに都合がいい。

 この店では、数年前に某スポーツ系大学の大きな寮が出来てから、やったら学生が多くなった。

 たまさか昨日の昼下がりがそうで、前の席、後ろの席、横の席、その向こうの席、いずこも若い子たちなのだった。

 単位取得のレポート提出だか何だか知らないけど、ノートやら資料を広げてる。

 女の子が多い。真面目そうで、ややおとなしい。

 チラリ盗み見るに、本にはピッチャー投球時の分解写真やらが載っていて、フォーム理論? 何だかよく判らないのだけど、Wi-Fiがあるし、窓際の席では電源も取れるし、たいそう便利だろう。

 たいがい、1番安い299円のポテトとか枝豆を発注し、それにドリンクバーをセットにしての安上がり。

 で、途中でドリアとかオーダーしてる子もいる。それが昼食か?

 この子らはきっと2~3時間くらいは、冷めるとまずいポテトフライかじりつつ、寒さを味わうことなくヌクヌクお勉強を続けるんだろう。

 いずれも1回生か? なかなかかわいらしいけど、でもどこか子供っぽい。私服の中学生程度にしか見えない。

 そういうのに囲まれてモグモグ食べると、若さを頂戴できる……、ワケはない。

 ミカンの皮と実のように薄い被膜で隔絶され、ただ同じ店内にいるだけのこと。若い人たちが住むようになると地域の活性化につながる、なんて~コトもいわれるけど、そんなの卓上の夢想。単純でない。

 

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 はるか昔、義務教育を受けてる子供だった頃、弟がミカン1箱を1晩で喰ってしまい、両親激昂という修羅になったことがあるけど、実際は弟と共に兄のワタクシめも加担して大いに喰らい、叱られるさいは、

「ボク、知らない」

 そしらぬ顔。罪を弟に全部きせたのだからタチが悪いというか、そういう子の方が子らしいと……、云えばいえなくもない。

 この正月に弟にその話をしたら、彼は彼でしっかり、自分が全量食べたと思い込んでいて、

「えらく叱られたなぁ」

 大きく笑ってる。

 遠方では光が曲がるらしいが、事実もまた虚実を通せば曲がる。ま~、そんなもんだね。事実というのは脆弱なもんだ。