博物館とか美術館とか、ミュージアムを割合と好む方じゃあるけど、出向くと期待よりガッカリの方が少し多いような気が……、しなくもない。
自分が求めているものと実際とに少し隙間があるワケだ。
それは実に絶妙で、展示物のアレやソレとかも大事だけど、ただもう展示方法であるとか、館内混み具合とかで、隙間が伸び縮みする。
出向いた日の天候を含め、自分の意思と関係ない諸々が重なって、展示されたモノと自分との狭間にベールめいた障害物が置かれるような、それで失望の感触が濃くなっていくといったアンバイ。
上手でない展示も散見する。展示物をあまりに神々しく見せようとする妙なエネルギーが働き過ぎてると思える展示も、多い。
展示物とそれが置かれる空間の、空気のアリヨウというか、これは実に感覚的なことでうまくは書き記せないけど、いっそ遊園地の片隅にあったりする小スペースながら何やかやを展示して見せてるものに妙に魅了されたりもする。
学術的体系に基づかず、ただもう時計やら電話機やら品数のみ集めてみましたみたいな、その混沌と混乱がかえって、”好ましく博物館的”であったりもする。
ま~、たぶんに自分がそういう混沌めいた雰囲気を好むヘキがあるんで、自ずと好感が増量されてしまうのだろうけど。
出向いてガッカリな要因にはその場所バショでの館員の対応もある。過剰に警戒してる館員がもっとも腹立たしい。
高梁の某ミュージアムを見学中、たまたま携帯電話にメールが入り、その場で見ようと操作してたら、女性の学芸員だか館員だかがスッ飛んできて、
「撮影禁止ですっ」
そう申したもんだ。あえて反論するのもそのヒトに気の毒と思い黙ってやり過ごしたけど、この女性はさらに当方に眼をつけでもしたか、距離は置いているもののコチラの動きについてきて、たえず視線をそよがせ、いかにも監視してます~って空気をつくって、これには煮やされた。
豊島にある豊島美術館でも似た経験をした。あの広いドーム空間内に入った直後、同行者と顔を見合わせてヒトコトフタコト小声をこぼした途端、館員がすっ飛んできて、
「静かにしてください」
ときた。
同行者がたまたま某ミュージアムの学芸員だったのは暗いジョークのようなもんだった。
決して大声あげたワケでもないのに、その空間では2度も警告を受けた。
早々に退出。同行者もさすがにプッチン、
「管理、行き過ぎですね~」
と、頬プリン。
たちまちに不愉快空間となって、二度と行かない烙印をおした。
そういう人的被害も含め、展示物に見合う空気がそこにあるか、ないか、も常に問題だ。
そういう次第もあって、なんだか近頃は積極的に足を運ぶというコトから遠のいて、久しい。
いっそ空想の中でミュージアムを構想しちゃう方が愉しかったりもする。
『ウィルソン氏の驚異の陳列室』という本がある。(みすず書房刊)
とにかくヤッカイな本で、全記述を通してウソかマコトか、その境界が曖昧で霧を喰むようなところがある。
いささか高尚なハナシっぷりも気がかりだし、かなりの図版をいれているのに、肝心のその展示室の写真はなく、イラストのみで紹介される。
読み進めているうち、はは~ん、これは実在しないな、イメージとしての博物館を描こうとしてるな……、そう思ったりもする。
しかし、そうでない。
同書に出てくる「The Musuem of Jurassic Technology」は実在するし、館長のデヴィッド・ウィルソン氏も健在だ。ジュラシックたって恐竜とは関係ない。ネットで調べりゃ、ここを訪ねた訪問記がいくらでもみつかる。
暗く狭く小さな館の中にはいささか不思議なモノモノが詰まってる。本当なのか本物なのかも判らない陳列品の数々。幾つかのガラス棚に収まった展示物の前には受話器があって、そこから音声解説を聴けるが、時にそれは非常に長いトークであったり、専門的用語が凝縮して素人にはチンプンカンプンなものだったりもする。ディオラマの手前に設置された覗き窓から見るとディオラマ上に橋がかかるというような展示もあって、その橋の由来詳細がそばに書かれていたりもする。
お手軽に何かを学ぼうと訪ね寄ったヒトは足をすくわれ、自身の中の知恵と常識が覆る音を聞く……。
見終えて一巡し、屋上に出ると、館長がお茶とクッキーで歓待してくれるというのが本に出てくるけど、実際、その通りのようでもある。
いわば、博物館って何? との問いが掲げられているようなもんで、日本のアーチスト篠田太郎とウィルソン氏の対談が、この小さなミュージアムの巨大な価値を示唆してる。
真実と噂、迷信と科学とがない交ぜになったような展示作品は、現代社会がこれまでに捨て去ってきた森羅万象の捉え方を思い出させてくれます。それは、「人間のこれからの行動を考え直すことに繋がっていくのではないだろうか」、とウィルソン館長はいいます。「何が正解か、ということよりも、このように多種多様な価値観を人々が議論していくことが大事なのです」。
上記引用はコチラのサイトより
ウソかマコトの見極めじゃなく、いっそ展示されたものへの「驚き」こそが要めと、ウィルソン氏は云う。
その感覚的見解は正論だ。書籍『ウィルソン氏の驚異の陳列室』もそこが主題だ。
ヒトは何故にセッセとアートなり珍しいモノなりを収集し、またそれを見たがるか?
そこには大なり小なりの『驚き』、『驚きたい』が含有してる……。
エジプトから古代のアレコレをセッセとパリに運んでルーヴルの礎を築いたナポレオンの念頭には、立派な美術館・博物館を造るという以前に、まずは自分が感じたビックリをパリ市民にもお裾分けしたかったというのが、実情だろう。
だから、その驚きを声にした途端に2度にわたって、「静かに」と警告してくるような展示管理じゃダメ、なんだ。ましてやそれが現代アートならなおさらに、驚きの声こそが作品への評価たりえるのに、それを殺せというならば、映画館で映画観て笑っちゃイケナイ泣いちゃ困ります……、と規制するに等しい。
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この国に博物館なりミュージアムの名がついた施設が幾つあるのか知らないけど、その内の数パーセントは既に潰れたり閉館したり、してる。
博物館というのは見方によってはモノの最終の置き場とも思えるけど、博物館とて永劫のものじゃない。
そういう時、コレクションはどうなったろう? と、気になる。せっかく収集したモノが散逸するのは何とも口惜しい……。
ここに1冊、目録めいた大判の本がある。
どういう経緯で書棚に収まってるのか忘れた。「サンダーバード」がらみでバンダイ・ビジュアルさんと懇意だった頃、何かの折に何かと一緒に頂戴したもののように思うけど、記憶さだかでない。
かつてこの国にも、今の中国のように、お金を稼ぎに稼いでモノも買い集めるという時期があったでしょ。
そのバブル期にゼネコンのフジタがコーンウォール(英国の南西部の町)にあった「マリオン・ミニチュア模型博物館」をそっくり買いあげた。
収蔵物はいっさいロンドンに移送、新たなミュージアムとしてフジタ財団が運営しはじめた。企業メセナとしての文化貢献を掲げてだ。
でもバブルな時代はすぐに終わる。
フジタはひっくり返り、会社再建の出直しだ。「おもちゃ博物館」も処分することになる。
それでバンダイが、財布のヒモをゆるめた。バンダイはその頃、『ガンダム』の第1期プラモデルの大ブーム。バブル破綻はまったく関係なしの覇者で、売れに売れる勢いにのった抱き合わせ商法が国会で問題視されて警告を受けるほどに活気づいていた。
で、バンダイさんはフジタの収蔵品1万点のうちの7割を買い取ってあげた。
でもって、それを日本に持って来ちゃった。買い取られなかった3割がその後どうなったかは知らない……。
ともあれそうして7千点の玩具(16世紀~20世紀のもの)が日本に入り、「軽井沢ワールドトイミュージアム」という名でバンダイは博物館をオープンしたのだった。
英国人が玩具たちの国外持ち出しを悲しんだであろうことは想像するまでもない。
そういうコトもあってか、こたび英国政府は、注釈が書き込まれた1冊の『チャタレー夫人の恋人』の輸出を禁じる措置をとった。(5/14付けのCNNのニュース)
Express/Hulton Archive/Getty Images
1960年に同書が猥褻かどうかで裁判になったさい、裁判官とその妻が裁判のために読み込んで、アンダーラインを引いたり書き込みを入れたりした1冊で、これがオークションに出たワケだ。
英国政府はそれが国内に留まるならヨシとし、国外に売られるなら「文化遺産をなくし国益に反する」との見解で国外持ち出しを禁じたという次第。なるほどな~、と合点した。明治になって大量の浮世絵や日本美術が国外に売り飛ばされたのと同様な哀しいことは今も継続中なわけだ。
で、「軽井沢ワールドトイミュージアム」だけど、これは2007年に閉館。英国の玩具たちは以後は栃木に出来た「おもちゃのまちバンダイミュージアム」に移動して現在に至ってる。
「軽井沢ワールドトイミュージアム」の跡地は今はアウトレットの店になってるそうだけど……、本来は英国にあるべきな品々が日本に運ばれ、日本で転々としている様子は必ずしも嬉しいコトでないけど、コトここに至ってはバンダイさんの奮闘を願うしかない。所有した膨大な模型たちの維持管理と個々の模型の歴史的探求にはげんでもらいたい。
この本は、玩具たちがまだロンドンにあった頃にまとめれらたもの。
どこか急ごしらえの感じがあって、模型の撮影も今ひとつ、レイアウトも大判本の体裁にそぐわず……、必ずしも良い編集というワケでもないにしろ、かつて英国人が英国人のために収集し展示してきたであろう姿を想い起こすような気分は味わえる。
フジタのそれではなく、今はないコーンウォールの博物館をこの図録を頼りに闊歩するワケだ。そこでは、模型写真の模型たちがどんな展示ケースに入っていたか、どのような照明だったか、床は煉瓦かウッドか、廊下はどのような構造だったか……、などなどな、その夢想が実はアンガイに面白く愉しい。行かない(行けない)ことで逆に館と展示物とが光沢を帯びてくることもあるんだ。
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夢想ということでは、『今昔物語』巻十五に智光・頼光の話があるけど、何かそれを想起させられないワケでもない。
どういうハナシかと云いますと、元興寺という寺に学僧がいて、それが智光と頼光。
智光はアチャラコチャラのお寺を訪ねて経文を読んだりと勉学に励んでる人。
一方の頼光は、僧房でゴロゴロ、テッテ的に怠け者。
やがて智光はえらい坊さんになるが、頼光はあいかわらずで老境に至ってもゴロゴロ。
で、その頼光が死んださい、智光はどれほどの報いが友達であった頼光にふりかかったか知りたいと思ったら、仏のチカラで願いがかなった。
夢の中、頼光は極楽浄土に住まって幸せな顔をしてゴロゴロ寝てる。背景には柔らかな楽の音。
智光はビックリした。
今までたくさん勉強し、極楽浄土のイメージを漠然とは持っていたけど、頼光のいる夢の中の極楽浄土ほどクッキリハッキリのカタチは知らなかった。
それで頼光に、ボクもここに来たいといったら、
「汝は法文を学び、その義理を悟って知恵あきらかなれども、心散乱して、まだ浄土に生まれる資格なし」
冷たく云い返された。
智光は泣き出した。彼はアチャコチャで見聞を広めたものの、それらを自身のものとして消化しきってはいなかった。
一方の頼光は終生ゴロゴロ寝転がってはいたが、いつも極楽を夢想し、夢想したいがゆえにゴロゴロを繰り返し、その理想像を頭の中で確固なものにしてた……。
頼光はちょっと気の毒に思って、阿弥陀如来の元に智光を連れていき、どうしたもんかと尋ねてみた。
すると阿弥陀さんは、
「それは簡単。この夢の光景を全部おぼえておけばいい」
と、申される。
「全部なんておぼえられません」
智光はいっそう泣く。
それで阿弥陀さんは智光に極楽浄土のミニチュアを見せ示した。
夢から醒めた智光は直ぐに絵師を読んで、そのミニチュアを絵に描かせた。
当然に智光が見たミニチュアが100パーセント描けているワケで、ない。
以後、彼はもうアチャコチャ訪ねたりもせず、その絵を眺め続け、細部にいたるまでを懸命に思い返したりを繰り返し、やがて往生し、その絵のままの極楽にめでたくも行くことになった。
おしまい。