らっきょうに未来はあるか

 仏教の精進料理では、らっきょうは禁じられた菜の1つ。「禁葷食(きんくんしょく)」と云われる。

 らっきょう、ねぎ、ニンニク、たまねぎ、ニラ。この5種を「五葷ごくん)」と称し、その匂いゆえ、すなわち生臭いものとして、僧も徒も食べちゃいけないコトになっていた。

 らっきょうの原産国は中国(ヒマラヤに近い地域らしい)だから、日本には仏教と一緒(同時期という意味じゃない)に入ってきた事になる。

 なので、聖徳太子は食べなかったろうし、仏教観が浸透した平安~鎌倉期の公家も、きっと食べちゃ~いないだろう。平家を追い落とし大仏殿再興の式典に出席した源頼朝らもおそらく口にはしていないだろう。

 とはいえ、渡来して根付いたワケなんだから、仏教に影響されない方々は入手の機会があればきっと口にしたろう。とはいえ煮たり焼いたりだけでは旨味に乏しい。

 誰が初めて酢漬けにしたかは判らない。甘酢で漬けたのがメチャに旨いと発見した人は途方もなく、エライ。

 酢は、『古事記』や『日本書記』にも出て来てほぼ実在したと思われている応神天皇の時代に、これまた中国から渡来し、直後から酢の物といったジャンルが現れ、膾(なます)を代表に各種バリエーションが生まれたと考えられる。

 

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 今も精進料理はあるけど、あくまでスペシャルなフードに位置して日常的でなく、かつての一途な”宗教的縛り”がないのは、有り難い。

 らっきょう食の背景を考えてみるに……、江戸時代になって急激にお寺さんが堕落し、寺が持っている権力(通行手形の発行とか檀家制度による横柄とか地元ヤクザと結託しての賭場開設とか)に乗っかって、いわゆる戒律破りのナマグサ坊主がはびこって、女遊びはするわ獣肉は喰らうわ精力剤としてニンニクやらっきょうを食べちゃった、その怠惰が仏教の禁じ手をゆるめてしまったのが遠縁にあるようにも、思える。

(江戸時代末期の水戸藩ではじまったお寺さん取り壊しの「排仏毀釈」は上記のような悪しき事情への鉄拳みたいなもんだ)

 ま~、もはやどうでもいいことだけど、日本人が甘酢や塩漬けでらっきょうを盛大に食べるようになったのは、だから明治になってからの事のような感触があるし、工業としての生産は昭和時代だろうけど、根拠ある追跡はかなり難しい。

 らっきょうの最大の産地は日本海に面した鳥取だ。渡来を示す良い象徴として、鳥取はこれでチョット得をしている。

 でも実際は、江戸時代に幕府が運営していた小石川薬園から参勤交代だかで持ち帰ったのが、砂丘のような痩せた土地でも良く育っちゃって、気づくと日本1番の生産量というのが真相のようだ。(2位は福井県

 

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 鳥取市が制定している花は「らっきょうの花」。おや? 梨じゃないの? と思ったら、梨の花は鳥取県が制定の県花だったワ。写真はウィキペディアより。

 

 らっきょうに好感して早やヒトツキ。夕食毎にポリポリパリパリ齧ってる。

 やめられない・とまらない、では困るので抑制し、

「今日は12粒まで」

 とか、自分に言い聞かせてポリパリやっている。

 近所のスーパーを眺めるに、5~6種あり。もっともメーカーは2つばかりでそこがアレコレを出し、それをスーパーが仕入れているという次第だから製造者バリエーションはやや乏しい。

 だけども、ま~、それなりに繁華に売れているんだろう……、とは思ってた。

 けども実態はどうかといえば、消費量は年々に減っているらしいのだ。

 らしいのではなく、確実にジワジワ減少しているのだ。

 

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           野菜情報サイト「野菜ナビ」の画面コピー

 

 グラフ図の通り、ゆるやかなれども確実に下ってるワケだ。

 これを具体に数値で示すと、こうなる。

 2000年 作付面積1002ヘクタール 収穫量15070トン 出荷量11711トン

 2016年 作付面積  756ヘクタール 収穫量10607トン 出荷量  8836トン

農林水産省統計)

 このわずか16年で2/3に減ってるんだから、大変だ……。

 このまま減少するとさらに16年後には1/3にまで低下しちゃって、食材としてのらっきょうは絶滅危惧されるアンバイとなる。

 それほどに、らっきょう需要は減っているワケで、製造者バリエーションが乏しいのもここに起因する。

 需要が減れば生産者も減る。早いはなし、らっきょうは好まれない食品になりつつあるんだね。

 グラフを見るに、2004年がピークだ。

 何でかしら?と思ったら、その頃は第何期めかのカレー・ブームだ。レトルトなカレーのアレコレが急速に台頭した時期に重なる。

 らっきょうはその添え物として、カレー人気に併せて売れたという次第のようだ。

 でも数年で下降する。カレーは相変わらずレトルトを中心に売れてるみたいだけども、らっきょうだけがダウンしちゃってる。

 カレーはといえば、「トマトとなすとズッキーニのカレー」みたいなヘルシーな嗜好が出てきて、バリエーションも広がって興隆一途で今にいたる。

 試しにと、ズッキーニの国内生産の推移を見ると、ごらんの通り。

 

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 右肩上がりの売れっ子ぶりなのだった。

 むろんズッキーニめは具材で、添え物のらっきょうとは別だけども、しかしもはや、「トマトとなすとズッキーニのカレー」にはらっきょうは必要とされていないというコトだ。トマトが入って、これは甘酸っぱい食感でもあるから、調和しないんだね……。カレーの多様性っぷりに、らっきょうはついていけなかったワケだよ。

 

 ともあれ、らっきょうフアンになった身としては、この減少傾向を寂しく思わないではない。不安視しないわけではない。

 が、断固阻止するって~アンバイじゃぁない。

 いっそ、少数派になっていく身の上を面白がりもする。

 ただ、いささかシャクなのは、こういう伝統的(?)味わいの食品を、国内需要だけではなく、国として海外にアピールしてきたかどうか……、って~ところがメチャに脆弱なような気がしていけないのだ。

 

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 たとえば政府は「クール・ジャパン」を標榜し、むろんこれはかつてのブレア政権時代の英国で官民一体で大成功した政策「クール・ブリタニアン」の模倣だけど、海外需要を開拓していこうという趣旨でもって官民ファンド「クールジャパン機構」なる株式組織(2013年発足)を造ってる。

 政府が8割を出資でアレコレにお金を注ぎ、その中には吉本興業のエンターティメント事業に22億円というのも入る。

 けど、結果として2019年3月期決算では売上げ僅かに8億円

 対して損益が81億円

 発足以来6年弱で累積のトータル赤字が179億円

 普通の企業ならもうとっくに止めてるか倒産しているかの、ゼッタイにありえない惨憺たる状況だ。

 いうまでもなく、政府出資ということは我々の税金でヤッてますというコトなんだけど、で、その赤字を埋めるために今なにをしてるかといえば、米国企業(料理の動画配信なんぞをやってる会社だそうです)に出資して利益を出そうっていうのだから、本末転倒、ワケわかんね~国策事業になりさがってる。

 NTTと吉本が組んでの教育事業だかにこの先100億もの巨費を出すというお笑いめいたハナシも伝わってるけど……、ホントにクールでナイスなジャパンを世界に売り出す気なら、せめて、

 冷やしたらっきょう海外に売ってクールぜぇ!

 国内需要も再起動させるぜぇ! 

 この旨さ世界に大発信だぜぇ! 

 くらいな強い意思と意気込みと国産モノに対しての愛(この場合、らっきょうですが)をもって、挑んで欲しいのですがね~。

 添え物じゃなくて単体でメチャに美味しく、まだまだレシピの幅も広げられるという可能性も、きっと”売り”になると思うよっ、らっきょうは。

 不可解な教育事業だかに100億投じるより、10億でもいいから出資して、「日本の味・らっきょう漬け」に賭けたってイイんでないの? 予想としてドイツあたりの酢漬け文化圏では気にいってもらえると思うが……。でもって、ドイツ人が喰うなら我ら本家とて喰わにゃ〜、みたいなコトになればおもしろい。

 ま~、それで売れなきゃ~しかたない。らっきょうはマイノリティな滋味と覚悟し、

「この旨さをわからんって、つまらんの~、ハッハッハぁ」

 被虐的気分も混ぜあわせ、心地よく笑ってられるって~もんだ。

 

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 砂丘らっきょう甘酢漬けの高級品 アグリマーケット(JA全農とっとり)のHPより。 

 けっこう高額(200g入り4袋。送料込みで4000円弱)。けど、少量でも良いモノをの意気込みや良し。食べてみたいなぁ、スーパーじゃ売ってないこの高いのを。

 

茅輪祭(わくぐり)

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 ちょっと慌ただしい7月末。

 雨天の連続で沈黙を強いられていたセミ達が、ここ数日の早朝からの陽光にいっせいに勢いづき、大声で鳴く。

 かなりの喧騒。求愛の日程が圧縮されて大いに焦っての慌ただしさという風情。

 

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 夕刻の甚九郎稲荷で複数の方々に挨拶。

 明治にはじめられ令和で初、恒例の夏祭り。

 本殿の背後頭上にRSK山陽放送さん新社屋の工事クレーン。当然、この光景は来年には見られない。ビルが建ってしまうと、拝殿の頭上に青い空という構図は失せてしまう。ま~、しかたない。

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 ユルユルと陽が暮れ、拝殿にての巫女舞を見学。

 終演後に毎度の福引き。ボクの1つ前でクジを引いた女の子はティファールのケトル、その前に引いた奥さんが扇風機だったから、大いにでっかく期待したけど、がっかり、台所のスポンジセット。

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 翌日。国際交流センターにて、某会議。

 末席にて経緯を眺める。11月予定の講演の概要もほぼ確定。

 会合後、奉還町のなじみな店へ移動し懇談。

 酢漬けて骨まで柔らかなママカリが美味い。いつも通りにチャカポコ盛り上がって痛飲。

 

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 翌日。

 岡山神社

 茅輪祭。with 同神社境内でこの日だけのビアガーデン。

 チノワの神事は、岡山神社に限らず、あちゃこちゃの神社で見られるけど、参加して輪をくぐってる自分というカタチが……、ちょっと可笑しくもあっておもしろい。

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 終わった後に記念にと、こっそり茅(カヤ)を引っこ抜いてお持ち帰りするカップルを見かけたが、元旦からこの祭までの間にたまった半年分の災厄を茅に遷しての厄落としなワケだから……、わざわざ災いをもって帰るコトになっちまうんだけどなぁ。い・い・の・か・な~。たがみよしひさの『妖怪戦記』みたいなメ~に遭わなきゃよろしいが 😅

 と、それにしても大勢の参列。左廻り右廻りと3回くぐり終えるまで30分越えちゃった。

 その待機時間の蒸し暑さがビールののど越しを渇望させてくれる。

 前夜に痛飲したばかりというに、ビアガーデンにて、

「マッ、いいか~、もう1杯っ」

 多少は腰痛を気遣いつつ、土手下ビールを流し込む。

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 幾つかの店が出店していて、けっこう賑やか。同行者がオーダーした小籠包は、チョイ解凍不足でテッペン部分が冷たかったけど、これもまた味わい、タハハと笑う。

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 週が変わって、ひさびさ、K歯科受診。

 抜歯しなきゃいけなくなって、しばし通院となる予定。ぁ~、やだなぁ。

 もう30年このかた、事あるたびに面倒を診てくれているK医師にはでっかい信頼を置いて久しいけど、通院は苦手。わずか1時間の受診でもうすべてオッケ~で通いなし、というような未来が来てくれたら有り難いのだけど……。

 腰痛で整形外科、次いで歯科通い。ぅぅ〜〜ん。

 想像をめぐらせ理想的未来を展望すると、その未来ではもう医者というのがいなくって、明治の時代の人力車の車夫が淘汰されてったように職業としても成立せず、人体は自己免疫のパワーでもって病気に罹らなくって、腰痛もなければ歯も痛まないというようなアンバイにゃ~、ならんわなぁ。

 人間というカタチがある以上は医者という存在もまた、未来永劫に「つきまとう」って~ワケかしらん。

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 相当に医療技術が進歩しているらしき『スタートレック』とてUSSエンタープライズ号にはドクター・マッコイが乗船していたし、『スターウォーズ』とて反乱軍の艦船に医療ロボットがいて、切断されたルークの腕を巧妙に修復したもんな~~。

 ぁ、しかし、『海底二万里』のノゥチラス号にはドクター、常駐していなかったね。確かこの船には医務室に相当する部屋もなかったような。

 ふむふむ。

 って、別に意味はないけど、ともあれ本日、抜歯され、これに変わる義歯がこれから作られるという次第で、ギシギシ歯がみしてる本日ただいま7月の末。

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    下品っぽいオモチャのカスタネット。カチカチカチ♬♬

らっきょう好感

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『BladeRunner』の印象を決定づけたロイ・バッティ。彼を演じたルトガー・ハウアーが亡くなった。(75歳・オランダにて逝去)映画の中の死を迎える直前の最後のセリフは、

「思い出はすべて消える」

 といった意味合いのものだったけど……、哀悼しつつも、同映画にまつわる思い出の数々が切なさをおびて、めぐる。

 故ニ〜ゼキ君と香港の某模型メーカーと東京で会合し、ロイ・バッティのフィギュア開発を進めたのも、もう遠い昔と思えば、切なさに愛おしさもからむ。

 香港経由での版権取得ができず、結局、android 001 という名で商品となったのが残念だったけど、ロイ・バッティの象徴としての鳩をパッケージに入れることは出来た。

 映画の中の鳩は、ロイの手を離れ、雨中に飛び立っていったね……。

 

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     ____________________________   

 

 この夏の長雨。『BladeRunner』の酸性雨ではないにしろ、日々浸透され、夏という感じが薄い。

 けども庭の植物どもは大成長。アッという間に雑草が土を覆う。

 

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 小庭では玉砂利の通路にまでポリゴナムが延び茂る。

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 アスパラも大きくおごって、ちょっとオバケっぽい。

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 さてと___。

 長雨が影響したワケはなかろうけど、食べ物の好みが変化し、従来はさほど食べなかったものを率先購入の今日この頃なのだった。

 フランス料理のアレとかイタリア料理のソレとかならカッコ良いけど……、カッコ良さとは無縁な「らっきょう」を買って悦にいってるんだから、どうかしてる……

 なので、上記1行を書いてマルを置いた途端、

「書くのヤメよ~かぁ」

 と、思わないでもなかった。けども、嗜好変化を否定するワケにもいかない。

 

 だいたい、「らっきょう」というのは子供の頃から好きでなかった。

 サルに「らっきょう」を与えると、皮をむきにむいて、に何も入っていないと判って顔を赤らめて怒り出す……、という実話だか創作だか判らん話があるようなシロモノで、自ら買ったことなど、ただの1度もなかった。

 カレーに添えられたのを黙って食べる程度な、まさにソエモノの一品以外の何物でもなかったワケだ。

 ところが突然、その添え物が白磁の宝石みたいに輝きだす思いにかられ、スーパーの漬物コーナーでもって、一袋を買い求めてしまったのが変容のスタートだ。

 どって~コトのない袋入のヤツ、ね。

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 その1粒を口にするや、

「うまいじゃないか!」

 第1声として、そう呟かざるをえなかった。

 歯ごたえのシャッキり感が良い。酸味と甘味の風味良し。淡く鼻に抜ける特有の匂いも良し。

 この3連良しヨシで勢いづき、気づくと、一袋ぜんぶ食べちゃったのだから始末が悪い……、というか、

「始末しちまったぜっ」

 なのだ。

 そっすると~、また欲しくなる。

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 次にスーパーで求めたのは、鳥取産を鳥取で漬けた、いわば本場モン。(もちろんビニール袋に入ってるよ。自宅にて容器入れ替えね)

 20粒入ってない程度なボリュームのくせに、先に買った中国産らっきょうを日本で漬けた~ァ、とは大違い。

 酸味と甘味の、見合ってハッキヨイのバランスが格段に良くて美味しいのだった。

 先に食べた中国産日本漬けのモノより、シャープさがあり、視力検査的に物申せば、中国産日本漬けのそれが0.80.9あたりなら、鳥取鳥取漬けは1.21.4くらいにクッキリ感が明瞭なのだったからタマンナイ。いわば視界クリア、味覚が全方位的に明るいのだ。

 

 さほど好きでもなく、どちらかといえば無視に近かった「らっきょう」が、突然に価値あるものと化して食卓の上位に赤丸急上昇してきたのが不思議でしかたない。

 さらに深追いして云うなら、ラッキョウという名が好みでもなく、なんだか落語家の名のようでもあるし、楽して狂う、みたいなケッタイな連想もしちゃって、辣韮という漢字なんか読めもしなかったワケだ。

 ともあれ、トシをとると食の嗜好も変わる、というのは判るハナシではあるにせよ、いきおい、それが「らっきょう」というのはカッコ悪い。

 しかし、事実は「らっきょう」に今まさにチャンピオン・ベルトを渡してるんだから、しゃ~ない。

 いっそこの場合、トシは関係なく、我が舌の味覚中枢が拡大したか、あるいは衰退だか減退したか、そのどっちかかも知れないと疑ってもみるけど、理由はわからない。

 だからあえて、カギカッコ付きで「らっきょう」と記して、

「これ1つの特異点ね」

 自分の中で区別化を図ってもいるんだけど、パリポリバリ、噛みごたえ愉しめ、味を愉しめ、うまいコトに変わりなし。

 ここ2ヶ月近く、サバ缶を食べていないから、何かそれに変わる刺激を求めてというハズもない。

 近ごろのサバ缶ブームで、新規参入の商社らしきが中国産、フィリピン産、韓国産、などで店頭攻勢をかけて来て、けれどいずれもチープ、ボクは合格点をあげられず、いっそ、

「要らない、こんな不味いのは」

 ブームの擾乱に眉をしかめて、それでつい国産モノにも遠ざかってしまってる。永くサバ缶に取り組んできた日本のメーカーズにも迷惑なハナシじゃあろうけど、それと「らっきょう」は、ま~、たぶん関係ないだろう。長雨も関係はない。

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「らっきょう」はビールに合う。

 これを日常食とする国は日本以外にないと思われるけど、ビール大国のドイツでもスーパーで売ってるようだ。

 乳酸発酵による酸っぱいキャベツをビールで流し込む国民ならば、甘酸っぱい味付けの「らっきょう」が売られて、おかしくはない……。ひどくポピュラーではないにしろ、そこいらのスーパーにあるということは、そこそこ売れており、ビールのお伴になっているという次第じゃなかろうか。

 ただ厳密にいえば材料はラッキョウじゃない。パール・オニオンとかいう小粒なタマネギのようだ。でも、在ドイツの複数のヤパーナーがネット上でこれを「らっきょう」と公言してるようでもあるから、味覚似の仲間であることは間違いないだろう。

 オニオンではなくってラッキョウそのもののベトナム産瓶詰めもドイツのスーパーにはあるようだから、やはり酸っぱい系列なこの小粒はそれなりに好まれているのだろう。

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 カクテルの世界では1粒をそのままグラスに沈めた酒があるようだけど、飲んだことはないし、さほど興味もない。むしろ、そうやってドイツで売っているなら、それってソーセージとかウインナーとかフランクとかと相性がいいというコトじゃなかろうか?

 舌を焼くような熱々ジューシーなウインナーと冷やしまくった「らっきょう」。

 うん。ゼッタイに似合うと思う。

 もはや「らっきょう」はカレーのそばでジッとうずくまっていなくてイイ。大手をふってウインナー6本の横にドド~ンと20粒ほど、大きな顔で居座っていてヨシ。

 であるなら、「らっきょう」業界は自信をもってドイツの食品界に売り込みを図ってもイイのでないかしら。

 ご飯と「らっきょう」がメチャに相性が良いとは思えない。軽度に焼いたパンにバターを塗り、熱々なウィンナー2本に「らっきょう」を刻み込んで挟んじゃう、というようなのは考えられるけど、ご飯にのっけての1対1な関係となると、なんだか絶妙に間(ま)が埋まらず、やはり、ご飯とおかずの中間点でのワンポイントとしてのクッションが妥当かとも思うと、なかなか置き所が難しくって、お・も・し・ろ・い。

 むしろ、単独単品で存在誇示が1番に似合うのが「らっきょう」と云ってよいような気がするが、見極めにはもう70粒ほど、ポリパリ噛んでのみ込んでみなきゃ~自信がない。♬

月着陸から50年

 あれから、50年が経過したんですね。

 早いようで短く、短いようで長いようでもありますが、感慨深いなぁ。人間にとって1番のハイライト・シーンであったことはマチガイないでしょう。

 一方で、月面の静謐と裏腹、同時進行でもってベトナム戦争はいよいよ泥沼というのが50年前の、現実だったですね。

 沖縄の嘉手納基地は米軍の出撃基地として連日にB51爆撃機が飛んで降り、その巨体がもたらす災禍は眼もあてられない惨状の一翼を担っていたワケで、日本を含め世界規模で学生たちが街に出て戦争反対の闘争(個々の鬱屈した不平不満もからめて)を繰り広げ、ボコボコ殴ったり殴られたり、踏んだり蹴ったりのテンヤワンヤ。

 その戦争と平和の明暗の狭間にハスの花みたいに浮き立ったのが他天体への着陸だったかも知れずで、それから50年後の今、ハスの花の下、ラブ&ピースがより邁進したかといえば、チ~ッともそうでないのが残念な次第。

 

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 写真はアポロ11号司令船コロンビアのパイロットだったマイケル・コリンズと彼の著書。月旅行の後でコリンズ、オルドリン、アームストロングの3名は世界28カ国を訪問する旅に出たけど、そこでの歓迎では何処の国でも、

「我々は遂にやりましたね~!」

 異口同音、誰もがそう云ったことに言及したのが、このコリンズの本。

「あなたがたアメリカ人が」

 ではなく、皆が皆な、

「我々が」

 と口にしたことにコリンズは大きな感銘を受けたわけで、だからこそ本書の締めくくりでこれに触れ、国家力の高揚でないアポロの効能をうたったのだった。

 だから、はるか後年になってロン・ハワードが監修した記録映画『ザ・ムーン』もそこを映画の核に置いてた。

 

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 上写真は1972416日、アポロ16号打ち上げ前の光景。

 壁のスマイル・マークが愛嬌かつ意味深。

 この2ヶ月前、ニクソン大統領は電撃的に中国を訪問し、毛沢東ベトナム戦争をめぐっての話し合いをやったものの、一方では講和を有利に進めようと北ベトナムへの大規模空爆やらラオス侵攻やら、ハチャメチャが際立って、16号の月着陸ニュースなどは新聞の隅っこに追いやられていく……。

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Charles Duke reviews flight plan while undergoing spacesuit pressure checks prior to his launch to the Moon.

 

 しかし振り返ってみるに、11号でのコリンズの立場はおもしろいですなぁ。

 ボクらは36万キロの彼方の『この1歩は小さいけど人類には……』の様子をライブで見てたけど、1番間近い月の周回軌道上にいながら、そのテレビ中継を見られなかった稀有な存在が、この人。

 しかも、地球と月との交信の障害にならぬよう、彼は船内で極力に沈黙し、管制室への呼びかけをひかえて進行中のドラマを優先させていたんだから、頭がさがる。

 着陸した2人と司令船で留守を守る1人の、その明暗対比もおもしろいなぁ。

 ま~、正しくはここに明暗はなく、あくまでも役割分担、誰かが留守番役をしなきゃ~月に降りた2人が戻れないワケだけだし、降りないことでコリンズは逆に大きなものを得たはず。

 戻ってくる着陸船イーグルのために、いわば玄関の灯りたるドッキングライトを起動させ灯りをつけてやれるのはコリンズだけなんだし、降りられなかった悲哀よりも、この「おかえり~」の最初のアクションを繰り出せるマザー役もまた醍醐味ではなかったか。

 いっそ、司令船に留まったコリンズを中心に描いたアポロの映画があってもイイと思うけどね。

 

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ドッキング・ライトは機械船モジュールの外壁にあり、2船結合のドッキング時には卓上スタンドみたいに立って前方を照らし、街路灯手元の灯りとして必需のものだった。船の反対側にも埋込式タイプの前照灯あり。写真:TVC-15のペーパーモデル。

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 人が乗っかって月周回軌道を廻ったのはアポロ81011121314151617号。

 アポロ計画は一見同じコトの繰り返しに見えるけど、8号と17号では大違い。いわばコンピュータのOSがバージョンアップされるみたいに、回を増すごと、その役割に応じての改造がアチャコチャにあって、船はひたすら進化しているのでありました。

 

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 模型写真はアポロ17号。この17号でアポロ計画は打ち切られたわけだけど、もしも月探査がそのまま進行していたなら、たぶん、この司令船(機械船を含めて)の形ではもはや限界、次なる船の形が模索されたハズ。

 16号と17号では機械船の胴体部分のパネルが外れるよう設計され、そこに観測機器が置かれた。

 

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 でも観測終了後、飛行士は宇宙服を着てそこまで行かなきゃならなかった。パノラマカメラと精密地図作成のためのマッピングカメラのフイルムやデータを回収しにね、いったん外に出なきゃいけなかったわけだ。

 

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帰還中のアポロ17号船外でRエヴァンス飛行士がフィルム缶を回収している様子。腰のところに見える丸いのが缶。宇宙空間の極度の温度差と宇宙線だかの影響で既に船の表皮(被膜加工部分)がかなり傷んでいるのが判る。

 

 これを「深宇宙船外活動」というのだけど、たいそう危険な任務。そのために船外には随所にテスリが取り付けられ、飛行士はこれにすがりついて船尾方向に移動し、また戻るワケ。

 地球から遠く離れての、月の引力下での行動ゆえ、この作業は心理的にきつい。17号の船長だったジーン・サーナンは自著でその事を書いている。

 

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 1972年12月6日。初の夜間打ち上げとなる17号搭乗前、着付け中のジーン・サーナン。右は彼の著書

 

 あんまり知られてないけど、17号では3人の飛行士と一緒に実は5匹のマウスも連れていかれ、宇宙線の影響などの検体になってたよ。(途中1匹死んじゃったけど4匹は無事に帰還)

 ともあれこの17号の時点で、そのマシン・スペックの仕様限度まで使っての探査が行われたのがアポロ計画なのでしたぁ。

 

 次は火星ということ(そのためにもう一度月をめざすけど)になってるけど、近来の数多のSF系映画でそのヴィジュアル的な魅力はかなり堪能しちゃったから、月に降り立った時ほどの感動は……、現実が空想に負けて、薄いような気がしないでもないよ。

 いっそより遠くのエウロパ辺りならば感動が潮吹きしちゃいそうだけど、ま~だまだまだ先のハナシ。それに、も少し知見が進めばSF系映画に反映されて、エウロパの地底の凍えた海とかが描写されて、またも現実が後追いをするようなアンバイになるのじゃなかろうか。

 でもまた一方、ホンマに火星までの長距離をヒトは平然と行って帰ってこられるのかなぁ? 長期間の無重力とか浴びるであろう宇宙線の量とか、心理的閉塞感とかとか、かなり心配ではあるね。

 この心配のハラハラドキドキ感触が、ま~、SF物語じゃ味わえない本当のリアルって~もんだ。

 だから2週間ほど前、はやぶさ2の再着陸時での管制室の皆さんは、たぶん固唾のみつつ寿命を2年ほど縮め、やがて成功したと判るデータが届くや安堵と歓喜がやって来て、さっき縮めた寿命2年分とオマケ半年分くらいの利子が戻ってきて、トータルでちょっと得した心持ちをたっぷり味わったんじゃないしら。

 

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 ただ50年前のその時の歓喜と今の歓喜は、ちょいと違いますなっ。

 管制室の一同に葉巻が配られ互いに火をつけあったりで盛大に部屋に煙(ケム)を巻くのが、今はもう見られない。

 ノスタル爺イの嗜好でいえば……、そこがツマンナイのさ、かなりに。

 当時の映像を眺めるに、ミッション成功時での喜びは、そのシガレットやら葉巻を口にしての握手が主流で、ハグな抱擁を見ない。

 

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1970年4月17日。アポロ13号無事生還の直後。細身のシガーを口にするジーン・クランツ管制室主任の向こうでは握手。

 

 ま~、いわば葉巻だかシガレットの存在と煙(ケム)が、ヒトとヒトの狭間に置かれて巧妙な距離を作ってくれてるんだね。ベタな感情の炸裂がそれで抑制されていたんだよ。

 でも今や管制室はおろか基地敷地内でケム系は禁じられてるようだし、吸っちゃうヒトも少なくて、ま~、それゆえ葉巻咥えての握手じゃなく、そんな小道具がないから、肩抱き合って喜びを伝え合うみたいなコトになってるんだと、ボクは勝手に推測するんだ。

 その絶妙なところでの喜びようがね、文句をいうのでなく、ケム系なモノを推奨するわけでもなく、ノスタル爺さんというより偏屈爺さんみたいですが~ぁ……、なんかストレートに無邪気、じゃれ合う獣っぽくて、どこか退化な気配をおぼえ、逆にあんまりおもしろく感じられないの。

 

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 巻頭で登場したマイケル・コリンズ1990年に火星旅行に言及した本を出し、これは翻訳版も出た草思社刊。原題は「Mission to MARS」。何故こんなあざとい邦題をつけるんだろ? 本書ではたしかに2004年での火星行きが構想されていたけれど、あやかりの二番煎じ。ベタだね)

 彼の著作では『Carrying the Fire: An Astronaut's Journeys 』が、アポロ関連の本としては評価がとても高いのだけど、なぜか翻訳されてない。米国では月着陸50周年を記念して新装のパーパーバックも出てるんだけど、チェッ。

 

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で、もう1つ、チェッと舌打ちなのが、上写真(サイトにリンクしてます)。このドキュメンタリー作品が岡山じゃ、封切られないこと。広島じゃやってんだけど……。

チェッ

 

庭池改変

 腰痛でございと、かまけていても庭池は待ってくれない。

 治療開始から1ヶ月弱、池は放ったらかし。オマケに天気不順が続くゆえ、しっかり淀んでしまった。

 腰に自由が戻ったとはいえ、”仮釈放”の期間中っぽい。雨降りの夜に1度呑みに出て、目的のBARが臨時のクローズ、別店のカウンターで、

「オンモチレ~♪」

 止まり木で足をパタパタ泳がせはしたけど、バケツのヨイショはまだご法度。

 しかたない。人力による掻い出し水交換をあきらめ、排水用に小型の水中ポンプを買った。

 ホース取り付けてこれを沈め、スイッチ・オン。

 

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               ポンプは濁った水の中。みえない〜。

 さて、そうすると、吸い上げられる水をただ眺めるしかない。

 額に汗することもなく……、正直、これはつまんない。

 豪快も愉快もない機械じかけ。

 やはり……、バケツで掻い出すのをボクはオモシロがってたわけだと、あらためて嗜好の在り処に気づいたりもするけど、腰がまたヒョンなことになるやも知れずだから、だまって、排出されるのを眺めてるしかない。

 捨てた分と同量の新たな水道水を入れ、カルキ抜きをば入れ、ハイおしまい。

 

 ま~しかし、次いでというか、こうなれば、それはそれで改良してみましょうかと、野蛮な気分もわいてくる。

 フィルターを通してたえず濾過循環させてやれば、水替え頻度も少なくなるわけで、7年ほど前まではそういう装置を付けてたんだけど、壊れて破棄、以後今に至るまで、人力による水遊びをやってたという次第で、それをばこたび復活させる気になった。

 排水ポンプを買ったばかりで、また別種なポンプを買うというのもナンだけど、思い込んだらヤルっきゃ~ない。

 

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 庭池用のこの手の浄化装置は、ショボいデザインが多い。

 20年前も今も、いかにも庭池用でござ~いみたいな和式テースト。

 ショボというのは何ですけど、グニュっと曲げた松とか石灯籠にはダンコ似合うけど、そうでない場合は実にそぐわないという手合い。

 熱帯魚やらの室内水槽や周辺機器は驚くほどに発展し、種々な形で展開、価格もこなれて活況のようだけど、ことアウトドアの庭池用途というのは……、たぶんに需要が少ないんだろうな。

 その「代わり映えしない、いかにも和風」が苦手なんで……、さて、そうすると購買選択の幅が極度に薄い。

 池の容量にみあった濾過能力がないと水質維持は出来ないから、さらに限られる。

 

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 ともあれこうして、腰痛対策というか、横着仕様というべきか、庭池環境を変更した。

 しかし、ペットショップという場所は、いつ行っても賑わってるね。

 わざわざワンちゃんやミャ~ちゃんを抱っこで連れて来てる人もいる。

 魚コーナーじゃ、水槽内を食い入るように眺めてる若いのや古いのがいる。

 子犬や子猫の入ってるケージの向こうでは、若いカップルと店員が着座し、ローンの計算書だかにサインしてる。

 ワンちゃんやミャ~ちゃんを連れて来てる人は、

「ほら、ここがおまえとの出会いの場所だよ」

 みたいな気分があるんだろうか?

 なんだかよく、わからない。

 ペットショップという空間は他にない独特の空気があって、不思議。

 模型店も独特な味わいある空間だったけど(町から模型屋さんが消えたので過去形)、何かはとても近似るけど何かは決定的に別種。

 

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 その昔に読んで衝撃させられた、つげ義春の『無能の人』の、河原で石を売ってる男や和鳥専門店を営む男らの滑稽な寂寥に通じるような感が、拭えない。

 男が”石の品評会”に出る辺りで、寂寥はピークに達し、華道家・茶道家の華やぐ「侘・寂」とは対局のワビた心とサビた眼を知らされて、ただもう感嘆したことがあったけど、そのさいおぼえた可笑しみがペットショップの華やぎの裏っかわにあるよう、思えてしまうのだった。

 石や鳥など同じ磁力に吸い寄せられた方々が、けれど、群雄でなく個々人バラバラのままに、自身どうしてよいか判らぬままに、それでも1点集中で萌えた熱量を持っている、その奇妙さの中の縮まらない距離の狭間の可笑しみある寂寥だ。

 もちろん、当方とてペットショップでお買い物だから第三者じゃない。『無能の人』の男が並べた小石の1つには違いない。

 

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 な~~んちゃって書いてる内も浄化ポンプは廻り、汲み上げられた水がまた池に戻って、やや涼しめな水音をたてている。絶えない音と水面のゆらぎに、金魚めらはまだ馴染めないのか、どこかソワソワした身振りで睡蓮の葉陰をウロチョロしてる。

 でもって、それを眺めてる我が眼もまたウロチョロリン。

 24時間晴天雨天に関わらず毎日連続で可動させるゆえ、電気代ナンボかなぁ? わびしいことをよぎらせてらぁ。

 

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              『無能の人つげ義春 日本文芸社刊 

 全6話で構成されいずれも傑作。わけても第3話『鳥師』の密度と最終章の俳人・伊月を描いた『蒸発』の尋常でない精度は最初に読んださいは固唾をのまされた。

 

 

 

 

 

ポシェット

 腰痛が全快しない。概ねでオッケ~だけども、どこか安定しないというか、腹痛や歯痛みたいな、

「治った、おさまった~」

 ではない不穏が終始からまる。

 痛み野郎が隠れていて、いつ顔を出してやろうかウズウズしてるって感じ。

 いい加減で切り上げたいのだけど、医者殿もまだ通院を要求し、

「では次は水曜にね」

 てなアンバイ。

 腰痛になって以後、病院とそのそばにあるスーパーにしか出向かずで、いささかフラストレーションがたまるんカード。

 さりとて、急に痛テテテッになるのも怖くって、オチャケを呑みにバーに出向くのを躊躇してる。

 こまったもんだ。

 

 外出時には、もう30年以上、ポシェットを使ってる。

 小さく、肩に斜めにかけるスタイルゆえ、バッグといわずポシェット仏蘭西語だね)というらしいけど、汚れたり飽きたりで、気づくと幾つも取っ換えてきた。

 なんといっても便利だ。

 

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 以前はこれに財布を入れてたが、入れ物が2重じゃないか。かさばるから財布は廃止。今はポシェットに直かにお札を入れる。だから内部が仕切られているタイプが好ましい。

 お札、外出時に使うかも知れない何枚かのカード(たいがい使わないけど)、携帯電話、鍵束、シガレットとライターと携帯灰皿。

 コインはジャラジャラするから、これはズボンのポッケに放り込む。

 

 歴史はずいぶん古い。三内丸山遺跡から栗の木の皮を使ったポシェットが出土している。実用けんオシャレの上昇度合いという点で縄文時代の創意工夫の磨きは素晴らしい。

 文献として1番に古いのは『日本書紀』のヤマトタケルか? 

 焼津の野原で火攻めされたさい、火打ち石で向かい火を作って炎から逃れるというシーン。

 彼は腰にぶら下げた「御嚢(ミフクロ)」という袋に火打ち石を入れてたね。

 日本のウエスト・ポーチのこれは原点かもだ。

 

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   映画『日本誕生』。チョイ判りにくいけど三船敏郎演じるヤマトタケルの腰に御嚢あり。

 平安時代室町時代に眼を向けると、意外や、小物入れは当時の男性の必需品だ。

 面白い。

 初期の漢和辞書『新撰字鏡』には「己志不久呂」とある。コシフクロと読む。

 このコシフクロはやがてはるか後年、巾着とか巾着袋と呼ばれることになる。

 肩にかけるのではなく、腰にさげる。だから服飾用語としてのポシェットとは完全一致はしないけども、小物を入れて持ち歩くモノとしての用途は同じだ。

 火打ち石を入れる。小銭を入れる。どこぞの寺で授かった守札を入れる。そういう用途だ。

 特に火打ち石は、ヤマトタケル以後、よく持ち歩かれた。というか必需だ。街路灯なんぞ有りはしないから夜ともなれば真の闇。手元に明かりを寄せる道具として火打石と火打金はなくてはならない大事なアイテム。なので「火打袋」とも呼ばれた。

 

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七人の侍』の時代考証はかなりのもんだろう。三船敏郎演じる菊千代の腰にはアレコレが吊られてた。複数の草鞋に複数の袋。だから彼が走るシーンを見るに、腰廻りがドタドタ揺れて、ぁあ、いかにもそれが根のない浮浪の身の上をイメージとして強化させてたな~、とも感心する。

 

 かの桃太郎の歌には、

「お腰につけた~キビダンゴ~

 という部分がある。

 吉備団子を直に腰につけるわけはない。腰につけた袋をいうのだ。

 おばあさんが手縫いしたに違いなく、ひょっとすると護符とかが裏側に縫い付けてあったかもしれない。

 

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       1970年刊の『少年マガジン』 斎藤五百枝のイラストを横尾忠則がアレンジ

 

 室町時代では街道沿いに集落があれば、ほぼ必ず、そういった小物入れの袋を商う店があったようだ。

 店といっても、いわゆる店舗じゃなくて、あくまでその原型。屋根にムシロを広げた程度なものだったろうし、より多くは軒先で街頭の人に声をかけて売るという程度に思える。

 1枚の布地を袋状に糸で閉じるだけだし、多くの家が布は自分のところで織っている。その僅かな余り布を袋にして街頭で売るわけだ。組織的に造り売るというのではなく、家内工業的なもので、家族が金銭を得る1つの大きな手段であったと思われる。

 規格があるわけもないから、大小さまざま、布の色や模様もさまざま。

 亭主が近場で獲ったタヌキやキツネを剥ぎ、その皮を利用したものもあったろう。

 買う側としては用途に見合う素材やサイズや図柄を探せるわけだ。需要は高い。

 肩からかけるポシェットよりウエスト・ポーチが多く流通したのは、当然に着物の形状ゆえにのものだろう。

 腰を紐や帯で結んでいるから、それに取り付けられて便利だ。

 大刀や小刀も帯にさす。

 刀の鍔(つば)には装飾的に穴が開いてるけど、そこに巾着の紐を通すこともあったようである。ま~、多くは鞘の根本付近に巾着を結わえるというアンバイでもあったようだけど、ともあれ、けっこう腰廻りニギヤカ、ね。

 

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 室町時代が不安定になって戦国時代に突入するや、召集された雑兵はそれに干した飯を入れた。

 サイズ的に、おにぎり1ケくらい分だろうが、次にいつ食えるか判らない戦争なんだから、干飯(ほしい)は死活を左右する必需な非常食なのだった。 

『雑兵物語』で、戦場での食料調達に触れている箇所があるけれど、田畑を荒らすというだけでなく、倒れた敵兵の腰の巾着の中身、すなわち干飯を奪い取るということでもあるのだろう。

 戦国時代に鉄砲がどんどん導入されて、鉄砲の係になった兵の腰には、さらに巾着袋が1つ増えた。火薬を持ち歩かなきゃいけない。いわゆるパウダー・ポーチだ。火薬は玉薬と言った。

 布製だと雨やらに弱いから革製が好ましい。

 さらに、玉そのものが必要だから、これは数珠状にこしらえた袋に入れ、これのみ肩から袈裟懸けした。玉以外にも飯を入れたりもする。

 数珠内飼(ウチガイ)と言って1食分づつ包んで数珠状にする。(上の絵にみられる)

 なので鉄砲隊に属した兵の腰には、複数の袋が着けられる。

 火薬のそれ、干飯のそれ、小銭のそれ、火打ち石のそれ、少なくとも3つ4つくらいは腰にぶら下がる。

 

 戦争から遠ざかった江戸時代では、火薬袋の代わりに今度は刻み煙草を入れる袋が登場し、これはこれで発展、漆塗りの煙草入れなんぞに変身してくけど腰につけるという点は変わらない。

 武士の腰には、水戸黄門でお馴染みの印籠もぶら下がる。室町時代には印鑑みたいのが入ってたけど、江戸時代は薬入れだ。水戸黄門はカンシャクを抑える薬でも入れてたか?

 明治以前の日本の男は、だから、腰に色々ぶら下げて歩いていました~、といって過言でないと思う。

 で、洋装の時代が来て、そのポケットがこれらお腰のモノを駆逐したワケだ。

 けど洋装だって限度があら~ね。連射出来る短銃が開発されるや、これをポケットにというわけにゃいかんので、腰につけて歩きたいじゃ~ないか。それでガンベルトが登場のワケね。

 

 一方で、中世の絵を眺めるに、女性が腰に何かつけるという慣習は見られない。皆無じゃないけど、ほぼ見られない。

 ただ彼女たちは着物の内側、見えない部分、胸のあたりに護符をいれる小さな袋を下げていたようで、これはミニミニなポシェットとして活用はしていたろう。

 女性が単身で外出というようなことが少なく、男性のように小物入れが必要という次第ではなかったのだろう、男中心社会の様相がこれで推測出来るわけだ。また逆に、男性諸氏は上記した小物類を携帯しなきゃ~、いささか心もとないというか、頼りないワケで、自己拡張を小物に依存しなきゃ~いけなのだった。

 だからポシェットのような密着感が高い入れ物が必携なワケで。

 

 我が所にある幾つかのフィギュアで、お腰の事情を見てみまヒョ。フィギュアというモノはそのキャラクターの性質を決定づける要素が押さえられてるから成立しているわけで、こういう時に便利だね。

 

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 インディアナ・ジョーンズ先生もムチを入れたり手帳を入れたりのミニ・バッグが必要になる。肩に袈裟懸けすりゃ何かと便利だ。

 

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 スタローンの『ランボー』とシュワルツェネッガーの『コマンド』を合体させて上手に版権を回避した中国製のゼンマイ玩具も腰廻りニギヤカ。

 

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 サンダーバードのボランティア兄弟たちの衣装は、腰に吊るすのと肩がけの両方を採用の贅沢仕様だけど、街中じゃ恥ずかしいね。あくまで災害救助時のカタチ。

 

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 農民衣装のルークも腰で勝負。これで町にも行けばデススターにも行った。

 1978年の日本公開時に販売のフィギュア。さすがにまだ、 ”お人形”。フィギュアって進歩したね。

 

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         ジョバンニもポシェットを愛用してら……。

 

 

梅花点々

 

 客人に食事を出し、食べてもらい、その食後にテーブルクロスに汁の飛沫や食べるさいに散ったクズ小片など、それら点々とした様相を、かつて昔々の中国では、

『梅花点々』

 といって、顔をほころばせた。

 メイファ~ディエンテン、とでも発音したらいいか。

 ビジュアルとして、けっして綺麗な状態ではない。

 けども、盛大に食事してくれて、その結果、お汁の飛沫が飛び、食べ物の小片がテーブル上に落っこちてるのを、かつて昔の中国では「喜ばしい」ことと解してた。

 客人が夢中になって食べてくれたと解釈しているワケだ。

 当然に逆のことも云えるだろう。

 客は客として、おいしくいただきましたを証すために、あえてテーブルを汚す……

 いささか今の常識では考えにくいけども、かつてそういう風にテーブルを汚すことがいけない事でない時代もあったワケだ。

 

 過日の大阪での20カ国・地域首脳会議(G20サミット)をニュースで知る範囲では、議長国の日本は極めて盛大にふるまって、アレやコレもソレもと、歓待これ1色というアンバイだったようで、事実、それも大きめなニュースになっていた。

 いわゆる「おもてなし」。

 豪奢な具材を入れたタコヤキが不評だった……、というようなくだらないコトが報じられたりもした。

「おもてなし」のさいたるが贈り物。

 首相が各国関係者に手土産として配ったのは、大阪の「天満切子」のペアのロックグラス(2つで5万円前後か?)

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 さらに来日の報道関係者も含む登録された出席者全員に、福井特産の箸と輪島塗りの高級ボールペン三越オンライン・ストアで見るに安くて6480円。高いのだと5万4000円)が贈られたそうな。

 さらにさらに昭恵夫人名義の贈り物内閣官房機密費から支出されたのかな?)が各国首脳宛にあって、茶道具セットが配られた(価格不明)

 さらには、開催地大阪市や関西財界は、錫製の豪奢な茶壺(税込み4万6千円)。首脳の配偶者には京漆器の宝石箱(税込み9万7200円)などを贈ったそうだ。

 

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 今回のG20はメンバー国に加えて8カ国の首脳夫婦、国連機関の代表など計37カ国のオエライさん夫妻とその随行員多数が大阪に来た。

 あれこれの場で当たり外れなし均等に上記はプレゼントされてるハズだから、物量作戦……、としか言いようがない。

 総員は何人で、費やした総額は幾らだろ?

 おまけに、関係者(報道関係者も含む)が利用できるビュッフェは朝昼晩いっさい無料で、日替わりで常時150種の日本酒やらワイン、国産ウィスキーが飲み放題。先に書いたタコヤキはこのビュッフエのものらしい。

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           首脳の配偶者に贈られた宝石箱。配偶者の方が高額……。

 

 歓待は大いに結構じゃあるけれど、プレゼントし過ぎな感じもなくはないし、それだけじゃ~いけないでしょう……、とチョットわだかまる。

 要は国際会議なんだ。

 社交じゃ~なく、外交だ。

 たぶん、そこのところが、かのペリー提督の来航の頃から……、ずっとズレてるというか、勘違いな混同をやらかしているよう思えてしかたない。

 社交は外交に付随する大事な交わりポイントだけど、社交イコール外交でないのは、他国の方々の振る舞いを眺めてみりゃ、どことなく判る。

 

 ペリー提督2度めの来航で、「日米和親条約」会談をねじ込まれたさい、日本側は急ごしらえで横浜村応接所を造り、饗応の料理をふるまった。

 幕府御用達の日本橋浮世小路の料亭「百川(ももかわ)」がこの食事を2000(2億円くらいか?)で請け負い(請け負わされ)、来航の米国将兵300人分と日本側接待役200人の計500食を造って出した。

 伝統的かつ本格な本膳料理で、日本としては最高の儀礼を込めたものであったコトは間違いない。内なる心情は忌避であっても、会談の方向については「よろしくお願いします~」の念を込め。

 

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      ※ 「横浜応接場秘図」高川文筌/画 江戸時代末期 - 長野市真田宝物館 蔵

 

「百川」は、お膳の1つに豚の煮物を入れている。「百川」としては精一杯の西洋人への対応であったろうから、気が効いている。

 けども、お膳はほぼ全て醤油味付けの薄味。個々の料理もカタチ重視で量も少ない。土産として各人に紅白のカマボコと鯛の塩焼き丸ごと1匹がついていたけど、正直、米国人には、ありがたくもない。

 小さな膳が次々に出てくる華麗さは判るけども、ペリー他誰も、メイン料理の刺身に手をつけられない。生魚なんだからね。

 

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  ※ 日本側が記録したメニュー表から再現した当日の饗応膳。「日本食文化の醤油を知る」より転載

 

 のちにペリーが書いた『遠征記』には、「琉球(沖縄)王国で出された饗応料理より劣ったもの」と記される。琉球ではブタ肉をふんだんに使った宮廷料理だったからか? 

 長い船旅で、脂肪分たっぷりの肉食に飢えている将兵にとって、和食は悲しいほどに貧相に見えてしまったのだろう。

 さらに接待役の林大学頭(林復斎)の、

「粗末なものでございますがどうぞお召し上がりください」

 という日本人なら誰でも判る気持ちのアリヨウが、オランダ語経由と中国語経由の同時通訳じゃ伝わらない。

「粗末なものを出すのか?」

 誤解も産んだ。

 けど一方でペリー達は、その和食味付の基底に大豆があるのを見抜いて、米国にはない大豆として2種類ほどの大豆を持ち帰り、帰国後に米国農業委員会にそれをソイソースの元になってると、チャ~ンと報告までしているから抜け目ない。周到に観察し、日本研究をおこなっているわけだ。

 

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             ※ ペリーの『遠征記』 

 

 一方、数日後(1854.3/27)、条約案が概ねでまとまっていよいよ31日には調印という時、ペリーは林復斎たち日本側の役人らを招待して、返礼の饗応を催す。

 上陸した300人に向けて数億円かけて豪奢な料理を出した日本の「社交」に対して、その返礼としての「外交」は、旗艦ボーハタン号への日本側役人70名ほどの招待に過ぎない。

 船という性質上、招く人員に限りがあるとしても、1/4の規模でしかない。

 もっともペリーは儀礼はわきまえている。フランス人コックを連れてきている。フランス式フルコースを出しての饗宴を目論んでいた。

 この宴席主催のためにペリーは艦に、去勢牛、羊、ニワトリなどを生かしたまま乗せていた。(『歴史の影に美食あり』黒岩比佐子著による)

 けどもフタを開けると、フルコースも何もあったもんじゃ~ない。

 ペリー達が初めての和食に接したのと同様、こちらも初めての食事に眼を丸くし、西洋式マナーなど知るすべもないまま、物珍しいと盛大に食べ、皿の中の品を懐紙に包んで懐に入れちゃったりもする。(食事の持ち帰りは江戸期の文化的性質でもあるから一概に責められないけど)

 禁じられた獣肉ビーフかな?)を貪り、酢漬けの品にテーブルに置かれたソースやらジャムを入れて食べるなど、滑稽を絵に描いたようなアンバイになった。

 シャンペンでの乾杯で始まった饗宴にはブランデーやらワインやら各種のリキュールもあり、これを次々に出されるままに飲み干すもんだから、度数の違うアルコールのチャンポン。たちまちベロベロン。踊り出す者もあれば、酔ってペリーに抱きついた者もいる。(交渉係だった儒学者・松崎満太郎)

 ペリーは「日米和親条約」の調印を目前にしているから、このハチャメチャを許し、その『遠征記』にも、無作法を悪くは書いていない。なんせ条約は米国有利に結ばれようとしているのだし、その饗宴での振る舞いをそこで非礼として誹ることはしないが、世界の外交史の中では特筆に値いするベロンベロ泥酔いな、外交とはいいがたい無礼講だったとは思える。

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     蒸気外輪フリゲート艦ボーハタン。食材などは補給艦である3隻の帆走船に積んでいる。

 もちろん現在はそんなベロンベロン交際は無いとは思うけど、「社交」と「外交」のバランスは、さて、どうだろ?

 大手の新聞もなんだか「おもてなし」ばかりに注視しているようでもあって、外交ベタは政府のみならずの問題のような感がしないではない……

 ロン・ヤスと呼び合う仲になったと錯覚した中曽根某や、ロシアや米国のトップと友達関係になってると盲信してる現在の首相ご同様に、「社交と外交」の取り違えが、気がかり。

 

 大阪G20サミットの全体会合の席上、首相は「令和」の意味を『美しい調和』だと彼独特の曲解節でいい、「本サミットでも美しい調和を実現したい」とモノ申されたそうだけど、この美辞麗句と行動は一致しなかった。

 隣国の大統領とは会談もせず、そりゃ確かに腹立たしい思いにさせられてはいるものの、サミットが終わって大統領が帰国するや「嫌がらせ制裁」そのものの禁輸措置を発表だなんて……、一国のトップがせっかくの機会をスネた顔して過ごして話もせずでは、何がための経済会議たるサミットだか? それでいてプレゼントの品々は隣国にもキッチリ渡しているんだから、ア~ンバランス。

 禁輸措置は我が国のモノを売れないということでもあって、結局は誰もが判るブーメラン、被害は国内に及ぶ。短期的な金銭損益だけでなく、長い眼で見る両国好感の感度に決定的な瑕疵を刻むとも思え、おもてなし転じてロクデナシとならぬかと、ハラハラさせられる。

 

 食卓を囲んでの『梅花点々』には、食べつつの歓談と論争が意味されるような感も、ある。

 盛大にしゃべりあうがゆえにテーブル上にアレコレこぼれちゃったみたいなニュアンスが含まれている。

 その話がまとまったかどうかはいざ知らず、そういったテーブルが設けられ、双方が開襟して議論をたたかわせ、結果『梅花点々』なアンバイになったという次第が、たぶんに好ましいのだけどね。

 

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「百川」(百川楼とも)は、徳川家治が第10代の将軍だった頃17641772に店ができ、以後100年を超えて幕末期日本の文化を支えた名店であったにも関わらず、なぜか明治初年1868に閉店。高級料亭としての歴史を自ら閉じている。

 その潔さの背景に何があったのだろう? 

 一説では、幕府倒壊でペリーらの歓待費が入金されなかったともいうが、倒壊は14年後だから、ちょっと信じがたい……。幕府御用達という格ゆえに、あえて徳川家の命運に殉じたか? 

 落語の「百川」はここが舞台。シャキシャキの江戸っ子弁が地方出の男の方言と異種接近遭遇、「四神剣(シジンケン)」と「主人家(シュジンケ)」との言葉のイントネーション取り違えから次々連鎖、江戸っ子が大いに振り廻される痛快ドタバタな噺。六代めの圓生が笑わせてくれた。

 この噺の成立時期は不明だけど、拡大解釈して聴くと、幕末時の西洋人とのコミュニケーションの難しさと滑稽をお笑いにしているような感じがしないでもない。

 

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          江戸末期と明治の初めの料理事情を知る本2冊。