プリズナーNO.6 ~MINI 60年~

 MINIが誕生して今年で60年。

 英国やこの国でも、いくつか比較的大掛かりな記念イベントが開催されているようで、慶賀というほかない。

 私的感想を申せば、BMW-MINIに変わった時点で「楽しい車」としてのMINIのヒストリーは終焉し、今そこいらを駆けてるMINIは名を踏襲したものの現代仕様な「普通の車」とみえて、ほぼ関心ナシなのだけど、ともあれ登場して60年という歳月が刻まれたのは感慨深い。

 この9月8日には県北は蒜山高原でもMINIを中心にした英国車大集合のイベントが予定され、先日には蒜山在住の某MINI乗り君にも誘われたけど、90年代には足繁く鈴鹿サーキットやら英田のレース場やらに出向き、出店したりもし、大いにハッスルしたものの、さすがに年齢がかさむとねぇ、ま~、いまさらという感じも濃くってご辞退申し上げた次第。f:id:yoshibey0219:20190903055120j:plain

              MINIを設計したアレック・イシゴニス。

彼は、F!などのレーシングカーと同じコンセプトを導入。一体化されたモノコックボディの前後に独立したサブフレームを取り付け、そこに全部の機構部分を置くというカタチでMINIを作った。というかレーシングカーがこれを真似ていったというのが正しいか……、その構造ゆえに剛性が高いのだ。おまけに小廻りが圧倒的だから、MINIを一躍有名にした急なカーブがいっぱいのモンテカルロ・ラリー3連覇はいわば必然の勝利だったのかもしれない。

 

 MINIで忘れられないのはMOKEだな。

 MINI MOKE(ミニ・モーク)。

 登場は1964年。設計はMINIと同じくアレック・イシゴニス。

 英国陸軍での多用途車両を想定し、エンジン廻りやシャーシはMINIそのままで外装を大幅にチェンジした。

 米軍のジープのような役割を期待されたワケだが、軍で試用するに、

「おもしろ過ぎる……」

 とのことで不採用。MINIベースだから車高も低く、まして4輪駆動でもないから、軍隊としては使えないという判断だったろう。

 ちなみに、MOKEはロバという意味ね。

 

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 英国海軍は空母の艦上車両としてかなり真剣に検討したらしきだけど、戦闘機を引っ張るようなパワーは望めないんで断念した。

 結局、コンパクトなサイズとカタチゆえアチャラコチャラのゴルフ場のカートとか、リゾート的専用空間で活かせる車ということになっていく。特にオーストラリアでは砂上を駆けるビーチバギーとして人気の車となった。

 


プリズナーNO.6の舞台たる”村”で使われたのが、このミニ・モーク。

 ホワイトカラーのボデイ(TVシリーズの撮影開始と同じ1967年に販売されたMINI MOKE MarkⅡ)にクリーム・ストライプな幌屋根。劇中では村のタクシーとして役があたえられ、選挙では選挙カーとしても使われ、その小ぶりなスタイルゆえ印象が深かった。

 劇中では、リアカーとして寝台を引く救急車仕様も登場した。

 

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             TVシリーズプリズナーNO.6』の劇中シーン

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           撮影ロケ地(後述)で販売されていたキャビネ・サイズの生写真 

 

 ミニ・モークはかわいらしいというかチャーミングというか、どこかユーモラスでもあるし、キビキビと駆け廻るもんだから頼もしくもあった。

 しかし、それが何らかの理由で拉致監禁されている村の住人達の、唯一の”足”なのである。

(正しくは、ミニ・モークと同じカラーリングの自転車と1人乗り電動カートもあり)

 その硬軟なギャップある設定が憎いほどに活きていたのがこの番組だ。

 ホントは重い題材なのに、奇妙にポップな匂いをたてる番組(全17話)としての『プリズナーNO.6』の背景を大きく支えてた。

 もちろん最大のポイントはポートメイリオンという実在のリゾートホテル(かなり広大です)をそっくりそのまま使い、そこに点在する家屋に”性格”を与えた上で多数のエキストラを動員し、その上で、家屋外観からは想定しえない大掛かりでモダンな室内セットを組んでいたのがこの番組のツボだったろうけど、村を疾走する車両はミニ・モークだけ、ボンネットに村のロゴ(自転車のマーク)をあしらった白いミニ・モークだけというのが高得点なのだった。

 

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 で、村から脱出を試みようとする者たちは皆、あの謎の大きな風船玉に追っかけられ、呑み込まれ、捕まって、一見は自由に振る舞えても、それはあくまで ”あたえられた”、ものでしかないという、”拘束された自由”、いわば為政者NO.2の手のひらの中の自由であるコトを味わい知らされるのだった。

 でもって、そのNO.2もまたNO.2でしかなく、ではNO.1は誰か? 何か? という中心核に向けて全17話は進行するのだった。

 

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 この番組を思うたび、あたまの中にミニ・モークの排気音が響く。我がミニと同じ音なのでまったく馴染んじゃってる音でもあるのだけど、それはどうでもよくって、ともあれモークという単語が聴こえたら必ず『プリズナーNO.6』が念頭に浮いて早や何10年という次第。

Be See You.

劇中毎回必ず出てくるアイサツ言葉と共に、いっこうに色あせしない不思議存在が、この番組なのだった。

 村の中の自由は常に、

「じゃ、また……」

 ってな村内限定での再会をお約束するっきゃ~ない一語に要約されるというアンバイに、誰もが置かれているであろう実生活の自由の在処についての、これは寓話なのだというコトも判ってくるのだったが、今もってこの番組ほど自在に番組そのものを構成させたTVドラマはあんまりないというコトにも驚きの念が消えないんだった。

 

 第14話『悪夢のような』では、なんとタイトルすら出て来ず、いきなり西部劇がはじまり、主役が序盤では出てこないままドラマが進行し、最後の最後で

「あっ!」

 なんだから、も~~、やられちゃったよ。

 DVDやらでなく、当時、NHKで放送され、接したさいは、

チャンネルまちがえた?!

 ずいぶん慌てたもんだ。

 

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 なるほど今の眼で観れば、スクリーンサイズは4:3だし、描写も時代を感じさせて経年劣化な部分もある。コンピュータのカタチ、人工知能のとらえ方など顕らかにもはや古びてしまった所もある。

 けれどサビはサビでしかなく、拭ってしまえばいまだ斬新の光輝をきらめかせる。ミニ・モークの登場を含め、まばゆい宝石であり続けてくれている。

 番組の立案企画者であり主役だったパトリック・マクグーハンが晩年に執筆していたというリメーク脚本を元に、リドリー・スコットが新たな劇場版の映画を計画しているというハナシがあるけど、さ~さ~、それはどんな具合なものになるんだろう? 少なくとも60年代テーストのミニ・モークなんぞはそれには加わっていないだろうと予測するんだけど、ね。

 

  Be See You. の日本語字幕では、使われるシーンによって、「じゃ~」、「さようなら」、「では明日っ」といった具合で翻訳時にニュアンスがあまり配慮されなかったようで、これはかなり残念だ。

 ヒトの顔にホクロがあって、それが往々にしてその人物の特定になるように、『プリズナーNO.6』でのそのホクロたるが、「Be See You.」じゃなかろうかと思ってる。

 だから「じゃ、また……」とかの1つに統一すべきだったろう思うわけだし、マクグーハンは意図的にこれを使って”不自由”を顕わしていたと確信してるんだ。

 

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『Model Cars』(30号 1996 ネコ・パブリッシング刊) 筆者執筆の特集記事。模型としてのミニ・モークと『プリズナーNO.6』を大きく取り上げたおそらく初めての記事だったろう思う。それから10数年経って、岡山の某BARで真夜中、この記事を読んで本を今も持っているという人と遭遇してビックラこいたコトがある。ま~、先方もまさか岡山に執筆者がいようとは思ってもいずで……、イスから転げ落ちてたけど。

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                 TVC-15のキット(1/24)のプリズナー仕様の完成品。製作は請地利一氏。上記の記事に使用。

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      主人公NO.6の家の着色済み模型。ホテル・ポートメイリオンで販売されていたもの。

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            NO.2の家の模型。これも同所で販売されていたもの。

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                 実際のポートメイリオンの家。

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  『Model Cars』に載せるために少量製作した1/43スケールのプリズナー仕様のミニチュア・カー。

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プロジェクタースクリーン

 平日月曜のライブというのは、むろんあり得ないワケではないけども、やや少ない。

 そのやや少ない日程での「嶋津健一ピアノコンサート」。

 ゲスト歌手に我れらが、なかだたかこ。

 チラシも我れらが、Yukoちゃん。

 客席のアッチコッチにジャズフェスやら別の某会やらの我がお仲間。

 なかなか良い感じなライブ。

 嶋津のピアノは一音一音が堅実で澄み、オリジナルの一曲一曲が小窓から眺める四季の景観のよう。

 16年間一緒に暮らしたネコを想っての「はな」という曲は、眼を閉じて聴いてると彼とはなちゃんの楽しかったであろう午後のいっときのようなものが感じられもし、それが今度は逆に、小窓の中に、ピアニストとネコがいて戯れている様子が窺えるよう。

 この曲の出だしはやや重く聴こえ、それはおそらく愛猫の死を間近にした嶋津の未整理な気分を音符に乗せ換えたものなのだろう。それが次第に軽やか軽快になっていくのは、ネコのはなちゃんと過ごした日々の充実への追想であろう。

 嶋津は演奏前に、はなちゃんへの思いは「ただ一言、感謝です」と言ったけど、その情愛の深みは聴いていてよ~~く判ったし伝わった。

 いいライブは時間があっという間に過ぎる。

 帰宅すると荷物を発送した旨のメールが届いてた。

 

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 火曜に荷物が届く。プロジェクター用スクリーン。

 水曜。終日の雨天。九州方面は大雨とのことで佐賀県在住の若い友にモシモシ。自分のところは大丈夫であります、とのこと。ホッ。

 週末にやろうと思ってたけど、せっかくの雨だから前倒し、荷物を開封。スクリーンの取り換え作業。

 日常の大半を過ごして居座っている環境はさほど広くないから、スクリーンは書棚の上でロール状に巻かれ、映像を観るさいは棚を覆い隠すようにして展開させる。

 その白いキャンバスを手で巻いて上部で固定するのは1分ほどのコトでしかないけど、2mほどの横幅のものを左右均一に巻き上げるにはチョイとした慣れと辛抱が要る。たいがい綺麗均一に巻けない……。

 

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 背丈が高いから毎度に脚立も要る。ま~、脚立は大げさなんで丸イスの上にのっかってスクリーンの上げ下げをする。

 まったくもって難儀するという次第には遠いけども、これが日々、映画を観るたびの一仕事となると……、面倒になる。堆積して苦々しい味になる。

 だから、映像を眺め終えてもスクリーンを展開したままにすることも多くなる。

 しかしそうすると書棚にアクセス出来ない……

 

 という次第で、ワンタッチ自動で巻き上がってくれるスプリング・タイプに換えた。

 スクリーン・サイズもちょっとだけ小さくし、72インチ。

 丸イスの上にのらなくていい。ガレージの金属シャッターの開閉時に似たガラガラガラ~ッな音が可笑しいけども、勢いよくほぼ瞬時で左右均一に巻き上がってくれる。

 なによりこれで、本の取り出しが容易になった。楽勝かつ効果甚大。

 

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                      新旧のスクリーン

 

 きっと人生とは、日常の小さいな不都合をプチプチ潰しては改修する、その繰り返しを言うのだと大袈裟に納得しぃ~しぃ~、スプリング機能の動作確認をと何度か上げ下げさせし、スクリーンとしての簾(すだれ)のことをチラリ思った。

 その昔、天皇は閲見の者に向けては必ず御簾(みす)を隔てて対面した。

 茅や竹を編んだものだったり薄い布であったりと材質あれこれ。多くは黄色がかった着色がなされていたらしいが、これは皇室の菊色の連想か?

 上げ下げには御簾(ぎょれん)という専門の係の人がいて、ロールカーテンのようにチェーンがあるワケはなく、まして当然、電動やらスプリングはない。

 面倒なご対面というしかないけど、御簾というスクリーンが「向こうとコチラ」の結界として意識され、身分の違いを具象化するにはなかなか良い装置ではあったろう。

 灯りがある側はスダレ越しにその姿が見え、ない側は見えない。たいがい、平伏している側が明るくされ、天皇側からはその姿が見えるも、ひれ伏した側からはスダレが見えるきりで座した天皇は見えない。

 スクリーンというのは、それを意識すると、なるほど不思議な装置じゃ~ある。

 

 数年前、中国銀行本店前広場での『ちゅうぎんまえジャズナイト』にプロジェクター投影を導入することになり、どのようなスクリーンがもっとも低予算かつ効率よく綺麗に映し出せるかを検討のために、Kurozumi君の事務所にメイン・メンバーが集まって、いろいろテストしたことがある。

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 市販のスクリーンやら農業用の透明な大型ビニールシートやらやらに前年度のビデオ映像を流して試し、イチバンに安くて綺麗に映ったトレーシング・ペーパーでの上映を決定したのだったけど、半透明だから、スクリーンの反対側にも映ってるワケで、当然にそれは像の左右が反転している。

 さほど大きな意味はないけど、妙におもしろい光景だったから印象深かった。

 画像を投影すれば半透明なモノが半透明ではない映像として現出し、投影する側からは反転映像と共にそれを眺めてる人物たちも見えるという、その「2重のヴィジュアル」がおもしろかった……

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    2017年9月30日。中国銀行本店前広場でのトレーシングペーパー・スクリーン(右)

    ライブステージは中央の奥・立ち見黒山の人だかり。今年も9月28日(土曜)にやります。

 かつてジュール・ヴェルヌは『カルパチアの城』で、映像の醍醐味をまさにマジック的機械仕掛けとして提示し3D映像の登場を予見していたけど、実体がないのに実体のように見えるという不思議の面白さに彼は既に気づいていたのだろう。

 いや正しくは、面白さと同時に、その装置(スクリーンという単語はまだないにしろ)が結果としてもたらすデッカイ哀しみを予兆していたのだろう。

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 そのヴェルヌをいま現在の世の中に連れて来ちゃったら、彼はCGあたりまえの映像の氾濫に、驚くというよりも、たぶんあきれて閉口し、憮然とした顔になるような気がしていけない。

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 それは彼のごく初期の作『20世紀のパリ』で描いた暗い未来、科学技術が人間本来の姿を失わせる元凶にもなるというペシミスティックな気分をただ裏打ちしてしまうだけかもしれない。

『カルパチアの城』で彼が、映像の中にしか存在しない女をヒロインにすることで、それに触れられない男のもどかしい悲しみを暗示させたように、スクリーンという投影装置は、どこかはかなく、近くて遠いものを意識させてくれる。

 

 ま~ま~、てなコト書いて秘めやかな暗鬱に浸ってるワケじゃない。装置一新で逆にささやかに昂揚している次第。ヴェルヌ原作の『悪魔の発明』をまた観ましょうかの。で、観終えたらワンタッチでスクリーンが巻かれてくのを、早く眺めたかったり……。

 ということは、いっそピョンピョン跳ねるスプリング効果……、『霊幻道士』がいいか。

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             何度観ても感嘆の、カレル・ゼイマンの『悪魔の発明

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                バカだね、買ってきちゃった、よ。

 

チョンドリーノとイチジク

 よそ様の庭のイチジクは知らないけれど、うちのイチジクは今年やたらに実ってる。昨年の5~6倍はあろうか……

 それらがこの前の台風の強風に大いに煽られた後、なにやら急速に熟し出し、連日、2つやら4つやらを収穫するという有り様。

 でかい実で、けっこう甘い。

 

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 いわゆる、「なりどし」というコトになるんだろうけど、台風が影響を与えたような気がしていけない。

 秋の松茸は、夏の終わり頃だかに地震があると、収穫量が増えるらしい。大地の揺れが、松茸生育の土壌のカンフル剤みたいなアンバイなのだろう。

 イチジクの熟成も、強い風が刺激になったんじゃ~なかろうか? 葉も枝もかなりこっぴどく揺さぶられていたもんな。それが刺激になっての実りの増量という感じがしていけない。

 1つの枝に2粒ついていたら、いつもなら片方は実って他方は成育が悪かったのだけど、こたびは両方がニッコリ笑って口開けるという次第。

 強張った肩の筋肉がマッサージで揉みほぐされて血行がケッコ~になるように、揺さぶられつつ雨にうたれたのが結果としての実り豊かにつながった……、そうであるなら、ことイチジクに関していえば、台風によるでっかい恵みと思わなきゃいけない。

 

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                台風の風に揺さぶられるイチジク

f:id:yoshibey0219:20190824175312j:plain                     台風去って2日め ↑
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                   4日めの朝の実り ↑

 

 しかし一方で、独特な甘い匂いにアリが寄ってくるんだ。

 かなり高い部分に実ったところまで這い上がる。

 地面から幹を登り、枝を登りと、アリの身の丈をヒトのそれに換算すると、およそ5~6Kmを移動し、標高およそ1000mくらいな高さにまで上がってるワケで、ニンゲン感覚でいえば、

「そんなんアリ?」

 な、大冒険めいた壮挙に近い。

 むろん、褒めているワケでなく、アリを養うためにイチジクを植えてるワケでないから、迷惑だ、アリがたくない。

 地上に幾らでも食料となるモノが落っこちてるでしょうに……、好んで長距離移動かつ高所にまでやって来る、その熱意に敬意をおぼえはしても、邪険に払い除けてしまうのだった。

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 なにより迷惑至極は実の中に入って甘味を堪能してるアリどもだ。イチジクの実を割ってはじめて、

「アリっ!」

 こちらが仰天するほどの数、2030匹くらいがワンサカたかって黒山のヒトだァ~リだと、もうイケネ~。その実は破棄するっきゃ~なくなるんで、烈火ヒンシュクもの。

 かといって腹立ちまぎれに実を熱湯にチャポンで、「アリマ~温泉」なんて~ことをヤッちゃうと、蟻地獄を見るだけのジェノサイド、報復連鎖の昨今のアレコレと変わらないワケで、アリとキリギリスが共存しにくいのとご同様、むずかしいですなァ、アリとヒトの関係も。

 

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 小学校の低学年頃だかに『チョンドリーノ君のふしぎな冒険』というのを読んで、なにやらアリに好感したり、シャツの裾がちょこっといつも出ちゃってる主人公に自分を重ねてみたりして、気づくと今もってそのチョンドリーノという単語だけはアタマの中に焼き付いているというケッタイなことになっていたんだけど、久々に本を探し出し、拾い読んでみるに、それは主人公の名ではなく、破けたズボンからシャツがシッポみたいにのぞいている状態をさす単語なのだった。

 

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             『世界童話文学全集10-南欧童話集』(講談社

 

 主人公ジジーノはそんな破けたズボンがチョンドリーノ状態をもたらすコトを気にし、たえず羞恥をおぼえ、学校生活が疎ましい。嫌でたまんない。

「アリは年がら年じゅう、ぎょうれつばかりして、朝からばんまで、さんぽのほかはなにもしないんだもの」

 アリになる願望を口にし、ちょっとした魔法がかかってアリの卵になっちまう。

 そこからアリ生活を余儀なくされ、大きなミミズの死骸を仲間と引いたり押したりし、アリ生活がどういうものかを学習しはじめる。

 

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 『チョンドリーノ君のふしぎな冒険』(北イタリアの作家バンバ(1860-1920)の作品。バンパと書かれてたりも。この挿し絵は講談社の童話全集10より。

 

 やがて赤アリとの戦争に巻き込まれ、総司令官となって戦い、ついには皇帝チョンドリーノ1世になるところまでいって横柄傲慢にもなったけど、さらなる戦いに破れて戦争裁判にかけられ、足をひっこ抜かれつつの処刑の場にあらわれたスズメバチにさらに命を狙われるテンヤワンヤ。

 けどもハチの体色の美しさに惚れたりして、なんだか友達になり、さらにアレコレあって、大事な友や育ててくれたおばさん(アリの)の死を経験しつつ、アリとして生きてる自身に誇らしさをおぼえつつも人間であった頃の記憶を頼りに”実家”に近寄ってみようと思ったり……、というようなけっこう長いお話なのだった。

 

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                  講談社版のカラー口絵

 一読、アリはアリでアリの生活がありという大事なポイントを再認識されられる仕掛けになっている。

 ジジーノが人間に戻るワケではない話のとじ方に感慨させられもする。

 老いて読むべきは、このような童話かな? ともチラリ思ったりもする。

 ただ『チョンドリーノ君のふしぎな冒険』の場合は、その作家名を含め忘れられつつあって、残念なことに今は版が重ねられていないようだ。

 殺された仲間への言及で、

「いまごろ、みんなは、おなかの中で、とけちゃっているでしょう」

 とか、赤アリの部隊に捕らわれたジジーノ君が真ん中の足2本を引っこ抜かれたりとかの描写に、

「子供には刺激が強すぎ」

 の配慮あってのコトなのか、状況を知らないけれど、もしそうであるなら、バカげてらぁ。

 良書を、”大人の勝手な思い込みと配慮”で駆逐しちゃ~いかん。

 上記の通り、ジジー(チョンドリーノ1世)は人間であった頃の家に戻ってみようとするところで物語が閉じられ、『ピノキオ』みたいなハッピーエンドをまのあたりに出来ない構造になっている。

 そこがこの童話の肝心な奥行きあるところだと思え、余計に、今、日本では出版されないコトの背景を考えると哀しいもどかしさをおぼえる。

 チョンドリーノという単語がボクのあたまに刻まれている理由も、良い物語を子供の時に読んだ……、その輝きが衰えぬままにあたまの中にあって、いわば夜道の向こうに1つ灯っている、放射性の夜光塗料を塗布したような道しるべとなっているワケだ。

 

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  集英社が出していたバージョン。古書店で1000円くらいで入手出来るかな? ボクは持っていない。絵がいささかメルヘンチックか……?

 

 しかし、台風 → イチジク → アリ → 昔読んだ童話 → 読み返してアッ。こういう連鎖って面白いね~。概ねは結合しないであろう諸々が線で結ばれ化学反応を起こして1枚の透明な板になっちゃったみたいなところが、お・も・し・ろ・あ・り。

 

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      アリになったジジーノは相変わらずシッポのところがチョンドリーノ。講談社版より。

ファラオの食卓

 愛すべき親類から、らっきょう漬けが届く。

 畑で栽培し、収穫し、自ら漬け込んで3年が経過したもの。チョイと大量。

 過日に会ったさい、

「らっきょう、ない?」

 期待もせずに問うてみるに、

「あるあるある」

 の三拍子。毎年作るゆえ消費が追いつかないとの事で、それでチョイ大量。

 

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 フタをあけるや、いかにもな、らっきょうの匂い。唐芥子を浮かせた甘酢に浸けて3年。いささか濃厚な匂いに一瞬たじろぐ。

 市販のらっきょう漬けはここまでは匂わない。

 味も濃い。唐芥子が味を後押しする。ピリ辛という次第でなく、らっきょうの特性としての風味を後ろから突っ張ってプッシュしてる感じ。

 市販品なら12粒食べてもまだ食べられる……、というアンバイだけど、この手作り3年は、6粒食べればもうたっぷりな濃ゆい感触。

 しかし、らっきょう魔力というか、魅惑というか、数日食べるうち、その昔にゴダイゴが歌った「モンキー・マジック」を替え歌にしちゃったような、

「ラッキョ・マ~ジック ♪」

 どんどん舌がこの濃密に慣れてくるのは不思議。

 1415歳の少年だった頃の自分が、今のこのらっきょうに淫してるような姿を見たなら、

「うっそ~~!」

 さぞやたまげて自己嫌悪しちゃうのじゃなかろうか……

 変化変貌とは、ま~、そんなもんだ。

 

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                         猫はらっきょう食べるとは思わないけど……

 

 吉村作治の『ファラオの食卓 -古代エジプトの食物語小学館では、ニラ、タマネギ、ニンニクが登場する。

 およそ5000年前の古王国時代(盛んにピラミッドが造られていた頃)からエジプトでは馴染みの野菜たち。栽培されたタマネギとニンニクは、労働者に配給されてもいたようだ。神殿の新造工事で石はこびや日干し煉瓦を積み上げたりした後、何個かづつ支給されたりしたんだろう。

 既に貴金属による貨幣は存在するが、一方で物々交換の「流通」も大きく、数ヶ月の保存が可能なタマネギは、むろん食材として最終的には誰かが食べているわけだけど、その「流通」の1つの柱となる存在、”食べられる通貨”でもあった。

 

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 タマネギは中央アジアが原産だから、はるか古代、何らかの方法でエジプトにもたらされて定着したと思われる。

 パンにビール、刻んだタマネギやトマトやキュウリに酢やらライムを搾ってかけるサラダというのが定番だ。

 つぶした鶏肉にモロヘイヤとニンニクのみじん切りが入ったチキンスープなんぞは、ちょっとしたご馳走だ。

 

 ちなみに、まったく意外なことにタマネギが日本に入ってきたのは江戸時代で、それも鑑賞用用途でしかなかった。食用となったのはな~んと明治4年(1878)に札幌で栽培され出してからというから、古代エジプトに遅れるコトはなはだしい。メチャンコに歴史が浅いんだね~。だから坂本龍馬はシャモは喰ってもタマネギは知らないまま他界したコトになるね。残念ですなぁ。

 だから、日本では圧倒的に、らっきょうの方が歴史が古い。

 

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石碑。ネフェルティアベト王女の食事(テーブルの上に並んでいるのは菓子パン) ギザ墓地出土。

ヒョウ柄のスパッツ風衣装が大阪のオバサンっぽくパンチがきいてるけど、紀元前2500年頃の王女。

 

 その古代エジプトでは、重要な食料であると同時にタマネギは強力な魔力がある野菜という認識でもあった。

 ラムセス4世のミイラではタマネギは眼のくぼみに詰め込まれ、包帯の間や脇の下の辺りに置かれたりして、この野菜が死者に活力をあたえるものであると信じられていた。

 人々の日常生活においても、たとえば何かの誓いをたてるさいには、タマネギとニラを捧げ、ラムセス3世はナイルの神に対して1万2712篭ものタマネギを捧げたと碑文に残る。

 けれど一方で、神官の一部ではタマネギやニラなどの匂いの強い植物を忌避する傾向が高かった。詳細は省くけどセト神にまつわる伝えともいう。(セトは悪神であり、性欲を司る神でもあるそうな)

 吉村作治は「タマネギには2面性があった」と書いている。統治者のファラオが推奨しようとも神官の一部は密かに断固にタマネギを拒絶していたのだろう。

 同様にニラも神官たちは嫌った。ニラもまた日常的に生産されていながら、宗教上の理由でもって避けるヒトは避けてたようだ。

 

 やがてファラオの時代が過ぎ、エジプトもイスラム化していく。

 ムハンマドの教えでは、祈りの前にニンニクやタマネギを食べるのは禁じられている。

 それがかつての神官たちの頑なさと合致し、匂いの強いこれら食料が遠のけられていく。

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 15世紀のワラキア公国(現在のルーマニアに実在したヴラド3世は、オスマン帝国と対立し、攻め寄せたオスマン(トルコ兵)を串刺しにして晒しちゃったりしたから、串刺し公の異名をつけられ、やがてブラム・ストーカーの『ドラキュラ』のモデルになるけど、ドラキュラがニンニクを嫌うのは、イスラム教のオスマンがニンニクを嫌っていたからに過ぎない。

 ヴラド3世はオスマンと対峙している頃はイスラム教徒、後年にキリスト教徒になる。その辺りの消息が投影されたということだろう。

 

 仏教も匂いの強いタマネギ・ニラ・ラッキョウ・ニンニク・ネギ、この5品を嫌って禁葷食(きんくんしょく)といってたけど、なんだか同じだね~。

 だいたい同じニュアンスな感じ。匂いが強かったり風味が強いものは、すなわち「淫するもの」に結びつけられていたんだね、かつては……

 植物たちにとっては、不幸としかいいようがない。

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 古代エジプトでのセト神は好物がレタス(エジプトが原産)だったそうで、茎から出る白い液体が精液の素になるといわれ、信じられ、真面目な神官以外の一般ピープル男性は媚薬や勢力増強剤として大いに食べていたというから、これまた何やら、おかしくもある。苦笑せざるをえないけども、ま~、信じちゃえば、そういうコトになるんだねぇ。1トン食べたって、茶柱さえ立たないんですけどねぇレタスじゃぁ。

 これも意外だけど、今はニンニクといえばある種の強壮効果有りということになってるワケですが~ぁ、古代のエジプトじゃそんな効果は誰も期待しない、思ったコトもない。

 ニンニクはノドに効いて声が良くなるとして蜂蜜なんかと一緒に食べていたんだってさ。

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 したがってかつての古王国時代の宮廷音楽家(女性が多かったそうです)にボーカル担当がいるなら、きっとニンニク臭かっただろう。けども、それは嫌な匂いとはとらえられず、音楽家の匂いとして好感的に嗅がれたかもしれない。糸をひく納豆のあの風味が一部のヒトにはウッエ~~な臭気だけども、一部のヒトには蕩けるほどに美味い匂いと感じられるみたいに。

 らっきょうも、そんな位置づけかしら?

 

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 ちなみに、みなもと太郎描くところの、ややらっきょう顔の小早川秀秋の絵が大好きだったりします。右上のハナたれね。ナス顔というヒトもあるようだけどキャラクターとしての秀秋はらっきょうがふさわしいよう思えます。小粒で、いくら皮をむいても実はないぞよ、というところも。

 しかし、そういう存在に成り下がったとはいえ北政所(ネネ)には生涯忘れられないかわいい甥だったのでしょうよ。そうでなくば、高台寺・圓徳院の床の間に秀吉の画像と共に幼少時の秀秋像をかけて、晩年、いつも眺めていたりはしなかったでしょうし。

 

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              絹本着色小早川秀秋像 高台寺所蔵 重要文化財

 

 彼女が秀秋の幼年時代の面影を投影させた絵を描かせたために、後年、秀秋の画像としてはこれしかないから、ボンヤリ顔イメージが定着してしまったとも思えるし、この辺りの痛し痒しの沁みっぷりにも興を抱く。ま~、らっきょうに直接に関係ないけど。

 数多にとっては関ヶ原の裏切り者であり、30を前にしてのアルコール依存による狂死のような哀れな青年であっても、ネネのみは違う感想を持っていたであろうことに、ちょっとボクはらっきょうを重ねたいのだ。

 

 

お盆の蚊

 12日。朝の3時過ぎ、外に出て夜空を眺める。

 ペルセウルス座流星雨。

 ふとよそ見をした瞬間に、天井近くに取り付けて忘れていた画鋲が1つ抜け落ちたみたいな、

「んっ?」

 動いたような気配が何度かあったけど、クッキリ見えたのは僅かに3つ。

 うち1つはそこそこの尾をひいて、北寄りの空から南西に流れた。

 流星は大気に触れて熱っせられて見えるワケだから、距離としてはおよそ100~150Kmほど上空の出来事、瞬時の移動は、飛行機が移動していく様子を眺めるのとはケタが違う。

 その高速っぷりにただ感嘆するしかなく、願い事をたくすような時間はないけど、ま~、そこがおもしろくもある。

 外にいたのは15分ほどだったが、4ヶ所、蚊にくわれる。

 

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 お盆界隈の小庭。

 朝にしか咲かない花。写真のこれは10時半頃にはもう店じまいでしぼみかける。

 こういうのは植物園向きではない。来園者が来る頃には閉じちゃうから白昼はつまらない。けどま~、うちの小庭は誰かに見せようとしてるワケでないから構や~しない。夕刻になったら、また水をやり、朝にひっそり咲くたすけとしよう。

 

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 だいたいにおいて庭作業というのは朝か夕にヤルもんだ。

 これが蚊の活動時間に重なるからヤッカイだ。特に夕刻が。

 虫よけを手足にスプレーしても、蚊めらは実に巧妙狡猾、半袖シャツと腕の端境あたりで仕事する。しかもまったく手際がいい。

 複数個所をたいがいやられ、

「痒ィィィ」

 いらつかせてくれる。

 ボリボリ掻くと汗に沁み、それでいっそう、

「ぁぁ、もう~ッ」 

 苛立たせてくれる。

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 だいぶんと前、開高健は暑熱のアマゾン川の粘っこい空気感に満ちた『オーパ!』でもってそういった虫との格闘を克明に描き込み、笑わされるやら同情するやらだったけど、鮮烈でもあった。

 一斉蜂起のように寄ってたかり執拗にからんで、強烈な痒みを置き土産にするけれど、一定時間が来るとサッと引き揚げる、その店じまいの潔さに開高ともどもに感嘆させられたもんだった。

 似通う事を椎名誠も『十五少年漂流記への旅』で書いていた。

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 椎名は蚊の”名所”として、ブラジルとシベリアとアラスカをあげて、しかしそれ以上に強烈なのがいるカナダのベーカレイクから40キロほど離れた川沿いのツンドラ地帯を持ち出していた。

 そのあたりではスーパーマーケットで「蚊よけ服」というスペーススーツみたいな大げさなのを普通に売っていて、当初はジョークかと思ったけど、キャンプをはった場所にて、椎名いわく「5万匹」のそれが「陰険に黙ったまま煙のように濃厚にヒトに群がって」、「蚊よけ服」のたとえば顔面部分のファスナーをちょっと下ろした瞬間にはもう数十の蚊が服の中に浸透し、刺しに刺しまくって顔面が腫れ上がった様相を書いていて、いささか空恐ろしくさせられた。

 

 うちの小さな庭で味わうのは、開高や椎名が体験した1/1000程度の痛苦じゃあろうけど、たとえ一刺しであろうと、蚊は蚊だ、痛苦は痛苦で掻痒はそ~よ~、痒いったらナイんだった。

 

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 トム・ハンクスのほぼ独り芝居だった『キャスト・アウェイ』は無人島での生活っぷりを堪能させてくれ、木材をこすり合わせるだけでは火はおこせないコトをリアルに見せてくれたけど、ただの1匹の虫も出さず描かれずで羽根音もなく、チョット拍子抜けさせられた。

 メーキング映像でロバート・ゼメキス監督が語るに、意識的に虫の存在を消去し、それによって主人公の孤独を際立たせたというコトらしいけど、どうなんだろうな? むしろ虫に悩まされるのを描いた方がよかったよう思えてしかたない。

 たぶん製作時には、虫の存在の有無をどうするか、ケンケンガクガク意見がぶつかったに違いない。

 蚊はヤッカイだけど、あれこれ虫が生息しているのは、ファーブルを持ち出すまでもなく、自然の必然、生命サイクルの重要な役者なのだから、そこを消去したのは間違った選択だったよう思う。どう自然の中で生き延びるかをテーマにした以上、これは役者配分を間違えたといっていい。

 墜落して流れ着いたトム・ハンクス無人島にとってはエイリアン、空から落ちてきた侵略者であって、むしろ、その外来のニンゲンを駆除すべく自然がどう振る舞おうとするかを描き足せば、より面白くなったような気がしないではないが、記録映画じゃなく娯楽映画なんだから、煎じ詰めてもしゃ~ない。かえってまずくなる可能性が高いや。

 

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 お盆。

 毎度のことながら坊さんが来て座り、ちょいと拝んで茶をすすり、次の檀家にゴ~。

 毎度のことながら坊さんはピンポ~ン♪とベルを鳴らすものの、玄関先でこちらを待ったりしない。迎えに出る前にもう草履を脱いであがりこみ、応接間から仏間へと移動中。

 流星めいた高速にいつも苦笑させられる。

 これはきっと、こちらが供出のお布施の小額っぷりによる、いわゆる、「Time is Money」の原理かもとも思われるけど、坊さんに聞くワケにもいかないし、聞くほどのものでもあるまい。慣れ親しんだ慣習といってしまえば、いい。

 

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 墓参り前にホームセンターに寄って、小粒な玉砂利を購入。

 それを墓の周辺にまく。

 雨に流されたり、風化で小さな砕片になったりと、こういう小さい石の類いは気付くと数が減っている。10年くらいの単位で眺めれば20~30パーセントほどは減ってるような感触。

 小石が減るとそこに雑草が根をおろし、小さな枝葉を顔出しさせる。

 葉が出てくるさい、小石は微かながら移動もさせられる。

 だから微速度カメラみたいなので墓場を数ヶ月監視すれば、墓石周辺の土がモゾモゾ動くといった映像が撮れるんじゃなかろうか。

 

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 お隣りのお墓は除草剤が巻かれて草のクの字もないが、こちらは除草剤まかない主義。

 小石をまいても草は下から出てくるんだけど、ま~、そこがいいのさ。除草剤は「草葉の陰」さえ根絶やしだからね、ありがたくないのさ。

 と、それにしてもやたらに蒸し暑かったお墓。台風接近によるフェーン現象だろなぁ。午後より雨。

 

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 今日15日は敗戦記念日。ただいま台風は四国の端っこを通過中か? 今はそこそこの風と雨、電線がうなってる。午後からしばらくは荒れるかな。

 終日、部屋に垂れ籠めるっきゃ~ない。

 うちから100mほどのところをに鉄路があるけど、山陽新幹線も在来線も運行休止。きっと庭の蚊も本日は営業休止だろうさ。飛行しづらい風だろうし、なによりヒトが庭に立ってくれないし。

 

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 15日午前10時10分に撮影。東からの風にイチヂクの葉が難儀中。フウセンカズラはあんがい良く耐えてる。

 

 

 

 

 

酒飯論絵巻

 狩野元信が描いたと伝わる『酒飯論絵巻』をMacのモニター上に開くと、いつも決まって小さな解放感みたいな気分が心地よく泡立つのを感じ、シゲシゲ眺めては感嘆、その痛烈や諧謔を愉しみつつ、空想、妄想、アレコレな思いにかられるのだった。

 酒飯論は、ごく普通に、シュハンロンと読む。

 

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 文化庁が所蔵(2002年に入手)しデジタル公開しているのは2つあって、1つは狩野元信、もう1つは土佐光元が描いたという。だから室町時代後期のもの。

 応仁の乱やらで京都が丸焼けになった後、その復興期のさなかに描かれたということになる。以後、江戸時代になるまで複写本や異本が多々に出ていて、このオリジナルがかなりの人気作(ここで紹介する狩野元信のもの)であったことがしれる。

 愛媛の西予市にある愛媛県歴史文化博物館にも、江戸後期の写本があって、うどんツアーをかねて見に出向いてもイイなぁと思いつつも、実現しない。

 

『酒飯論絵巻』はのびのびした感触が何より良いし、中世の食の光景をリアルに写し出している絵というのもポイントがでっかい。

 11年も続いた戦乱の、その後のつかの間の平穏の中、平和な感触を強く望む気分が、食の光景として描かれたように思えないこともない。

 絵画研究の世界では、法華宗一向宗天台宗の宗教的対立が滑稽に暗示されるというようなコトらしのだけど、学術的諸々はさておき、16世紀の食物を窺い知れて興味ぶかい。眺めていて、絵の中の品を食ってみたい……、と思ってしまった希有な絵巻がこれ。

 

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            この僧は明らかに菜の香りを愉しんでますな。

 

 絵巻は、酒好き(上戸)と飯好き(下戸)とその両方を好む(中戸)の3者が競い、結果として中戸が1番に良いと結論されてメデタシメデタシという内容。そこに至る個々の描写が細かくって、見飽きない。あれこれ示唆されて、おもしろい。

 上の絵でお膳にのってるのはいずれもご飯の類い。

 

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  宴もたけなわ……。今も昔も何故に男は酔うとハダカ踊りするのだろう? バカだねホント(*^^*)。

  酒の肴はほぼ塩だけという所がこの絵のキモだね。

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 奥方は困惑というか、これ明らかに迷惑顔。一方のこの家の主は酩酊ぎみで大いにお楽しみってトコかな。

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             寝てるヤツもいる。手前に塩の小皿。ごま塩だな。

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これはおそらく、この武家の客人として迎えられた僧。酔っちまって、「これっくらいの~・お弁当ばっこに~~♪」羽目を外して謡い踊ってしまったと思えて、おかしい。

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こちらの僧は付き合いとして酒盛りの場にいるけど、呑めない、あるいは呑まない人に思える。手元に杯がなく、盛り上げられた焼き菓子みたいなモノに着目。でもって、仲間の僧(たぶん彼より身分が下の)の失態に、あちゃ~~、って感じかなと眺めていて思うのだけど、どうよ? 顔面に朱がさしているのは酔いではなく、羞恥の色合いとボクは思うのだけどね。

 

 総じてこの巻物を観察するに、まず感じ入ったのは、武家には2つの厨房があるというコトだった。

 鳥や魚を扱う血なまぐさくもある厨房と、精進料理の調理場の2つが明確に分離しているということに最初にハッとさせられた。

 

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 今と違い、相応の身分ある家なら屋敷は広いだろうから厨房あるいは調理の場は2つ2種あったと思っても、いいか。(上の絵は土間ではなく明らかに中庭だ)

 寺の場合は魚や獣肉はないし、食事作りは日々の日課、役割分担をかねた務めであったろうが、武家や公家の厨房では、お給金が出ている。当然に、そこに従事する人は専門職。

 鳥獣も扱う調理職と、精進一筋の調理職の、この2つは明確に分離していることにハッとしてグッときた。魚をさばく人はそれに徹し、米を扱う人はそれに徹し、兼ねたりはしないということなのだろう。なので、けっこう大勢の人が厨房(庭先も含め)にいる。

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縁側で鴨のハラワタを抜く人。「気持ちわり〜」な表情がいい。子に乳をふくませているのは下働きのこの男のワイフか? となれば共働きだ……。

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  こちらカモをさばく人。どこかカメラ目線なのがこの人の自信のほどをしめしているよう。

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             刻まれたカモを煮てるのか? さて?

 

 絵を眺めているだけでは、ドクダンとヘンケンが増してくるし、やや理解が薄い。

 ハタッと困ったのは、この部分。(下写真)

 米粒を拾っているのは判るにしても、何で? な疑問でわだかまる。

 

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 こういう場合は、参考書というか解説してくれる本が要る。

 ありがたいことにチャンとある。3冊もある。

 うち1冊は、日仏共同でこの絵巻を研究した専門書だ。

 嘆かわしいコトに文明開化の鐘が鳴った幕末から明治初期にかけて、こんなのもう要らないと、日本の美術品のアレコレが海外に売り飛ばされた。

 『酒飯論』もその各種バージョンが流出。

 今は、NYパブリック・ライブラリー、チェスタービーティ・ライブラリー、大英博物館、フランス国立図書館、やはりパリにある東洋美術専門のギメ美術館などが所蔵する。

 で、近年になってフランスでは『酒飯論絵巻』の研究を進めてた。

 実に意外なことに日本では、およそ20数ヶ所の美術館やお寺が何らかのバージョンを所蔵しているというのに、これを美術史の研究対象とするセンセイが少なかった。(何でだろ?)

 なので外からの圧力(?)に巻かれ日仏共同研究というカタチで、本となったわけだ。

 これがあればボクのような部外の素人でも随分にお勉強が進むとは判るけど、ただ圧倒的に高額。大学の助成費で買うワケでない一般ピープルには1万6000円弱というのは……、いかにも高い。

 幸い、上記の本の抜粋的編集ながらツボを押さえてくれたやや廉価な良書があるので、よってこちらをば参考にさせていただいてる次第。

 

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 米粒を選び取るハナシに戻る。

 何とも手間ヒマかかる作業だけど、室町末期のゴハンというのは、蒸したオコワが主体で、今とは様相が少し異なる。

 ここで粒を選別しているのは大唐米という種類の米だそうな。赤みがかった色合いのものや白いのや何種かある。

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 収穫量が多くて脱穀もしやすいが、傷みやすくて粘り気も少なく、味はかなり淡泊、ただし温かいうちは香気があって大変によい(和漢三才図会)とのこと。

 これは江戸時代になると赤米と云われて下等品扱いになる。栽培収穫しても赤いのや白いのが混ざって、時代の気風に見合わなくなってしまった。

 昭和時代には神社の神事で使うだけで、ほぼ壊滅状態だったけど平成の頃から各地で「古代ロマン」的流れでもって赤いのが復活栽培されているらしい。

 けれど室町期後半、戦乱に次ぐ戦乱で疲弊した京都界隈では、もっとも入手しやすいのが大唐米であって、家来を抱えた武家でもこれをよく食べていたというコトのようである。

 そこでこの絵では、一度蒸した後、ひろげ、うまく脱桴(ダップ)しなかった粒を捨てているというのを描いているらしいのだ。あるいは、白に混じった赤いのを取り除いているか……。

 何とも手間がかかるお米だけど、しかたない。特殊事例として絵になっているワケでなく、当時はこういう光景がどこでも見られた……、ということなんだ。

 

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 2種類の米でニギリなりモチらしきを作っている人。右端に積み上げられているのはその混合かしら?


「おこわ」は「強飯」と書き、これは甑(コシキ)で蒸す。

 甑というのは手作りで簡単に造れる鍋で、現在の土鍋のような上薬をかけて1200度の高温で焼いたような強度あるものではない土器だけれど、鉄釜の入手が難しい時代ゆえ1番に重宝されていたようだ。

 今は、「ごはん」の調理といえばただの1種類、米と水を鍋に入れて熱するというだけのモノだけど、室町時代の「ごはん」は、これが何種もある。お米の種類もかなりある。

 主だった”ごはん類”をあげると下記のようなアンバイ。

 

「強飯」

「炊飯(かしきかて)」

「黒米飯」

「油飯(あぶらいひ)」

「糒(ほしいい)」

「餉(かれいい」

「糄(やきごめ-ひめひ?)」

「𤇆妝(おごしごめ)」

「頓食(とんじき)」

「姫飯(ひめいひ)」

「水飯」

「湯漬」

「饘(かたかゆ)」

「汁粥」

「漿(こずみ)」

「味噌水(みそうず)」

「望粥(もちがゆ)」

「薯蕷粥(いもがゆ)」

 

 現在の我々の「ごはん」は室町時代の「姫飯」に近い調理法だけど、「姫飯」は沸騰させてしばらく炊いた後で粘り気のある白湯を取り除いて、再び蒸し上げる「湯取り」を必要とした。

 で、この湯取りのさいの白湯は、これは「漿(こみず)」と呼んで、これはこれで食卓の汁物の1つであったらしいから……、ややこしい。では、同じ漢字ながら読みの違う「漿(こずみ)」とはどんな調理なのか? どのようなお米だったか? まだまだ不明な部分がある。米の種類が豊富で、このあたり、今とはかなり違う。

 だから、膳に高く盛られた「ごはん」と共に、別な「ごはん」もお椀に盛られている。

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      武家に招かれ食事をいただく2人の僧とこの武家の跡取り息子。お酒なしの食事。

 

 ごはんばっかり……、という印象が際立ってくるけど、それぞれ別の米や麦、別な調理法ということで味覚には幅がある。ごはんの周辺に刻んだ菜を添えたり、豆をのせたりもする。僧が香りを嗅いでいるのは、だからごはんに菜をまぶすか、乗せているんだね。

 いわゆるごはんとおかず、主と副の関係も曖昧なんだ。さらに餅が加わる。餅も各種の米が使われ、これまた調理は多岐にわたる。

 

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 一方で、茶が必需なものとして出て来ているのも注目だ。

 割った竹で構成された縁側にて、臼で茶葉を粉末にしている人の姿がある。「挽茶」を作っているわけだ。挽いた茶粉を掃き寄せるためか、あるいはゴミを取り除くためか、その両方でか、鳥の羽根が手前に置かれていて、このあたりの写実具合もまた素晴らしい。挽き具合を均等にすべく、この人物(僧か?)が作業に傾注している息吹すら感じられる。

 この巻物を描いた狩野元信は永禄2年(1559)に没しているが、記録に残る千利休の最初の茶会は天文13年(1544)だから、ちょいと時代が重なってもいる。

 

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            こちらお上品な食事光景。お酒はほとほどという感じ。

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                お酌の係りも何だか手持ちぶさた。

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          かなり今に近いお膳。お汁の中に菜っ葉があるのが判るね。

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ご飯のおかわり係の家来。食事中の3人に向けてたえず目線を動かし、立てひざで即動けるよう待機中。

ウィンブルトンのコート横で待機のボールボーイの原形みたいなもんだな……。

 ともあれ室町期を経て、やがて戦国の時代へと変遷するに連れ、お膳のカタチも整えられていったような感じかな。この『酒飯論』が結論した中戸のかたち、ほどほどの飯と肴に酒の混声合唱へと向かったという次第か……

 ただ、戦国時代突入頃に”ちょっと昔の室町時代”を描いているワケだから、酒呑みではない下戸の食風景を誇張し強調し、あえてアレコレのお椀にごはんを描き込んでいるのでは? という説もあって、いまだ、明快に立証されているわけでもないようで、謎は謎として浮遊し続けている。

 ま~、それが余計にこの巻物の醍醐味のような感もチラホラで、おもしろさ継続中。謎というのは魅力を増加させる効能あり……。

 

らっきょうに未来はあるか

 仏教の精進料理では、らっきょうは禁じられた菜の1つ。「禁葷食(きんくんしょく)」と云われる。

 らっきょう、ねぎ、ニンニク、たまねぎ、ニラ。この5種を「五葷ごくん)」と称し、その匂いゆえ、すなわち生臭いものとして、僧も徒も食べちゃいけないコトになっていた。

 らっきょうの原産国は中国(ヒマラヤに近い地域らしい)だから、日本には仏教と一緒(同時期という意味じゃない)に入ってきた事になる。

 なので、聖徳太子は食べなかったろうし、仏教観が浸透した平安~鎌倉期の公家も、きっと食べちゃ~いないだろう。平家を追い落とし大仏殿再興の式典に出席した源頼朝らもおそらく口にはしていないだろう。

 とはいえ、渡来して根付いたワケなんだから、仏教に影響されない方々は入手の機会があればきっと口にしたろう。とはいえ煮たり焼いたりだけでは旨味に乏しい。

 誰が初めて酢漬けにしたかは判らない。甘酢で漬けたのがメチャに旨いと発見した人は途方もなく、エライ。

 酢は、『古事記』や『日本書記』にも出て来てほぼ実在したと思われている応神天皇の時代に、これまた中国から渡来し、直後から酢の物といったジャンルが現れ、膾(なます)を代表に各種バリエーションが生まれたと考えられる。

 

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 今も精進料理はあるけど、あくまでスペシャルなフードに位置して日常的でなく、かつての一途な”宗教的縛り”がないのは、有り難い。

 らっきょう食の背景を考えてみるに……、江戸時代になって急激にお寺さんが堕落し、寺が持っている権力(通行手形の発行とか檀家制度による横柄とか地元ヤクザと結託しての賭場開設とか)に乗っかって、いわゆる戒律破りのナマグサ坊主がはびこって、女遊びはするわ獣肉は喰らうわ精力剤としてニンニクやらっきょうを食べちゃった、その怠惰が仏教の禁じ手をゆるめてしまったのが遠縁にあるようにも、思える。

(江戸時代末期の水戸藩ではじまったお寺さん取り壊しの「排仏毀釈」は上記のような悪しき事情への鉄拳みたいなもんだ)

 ま~、もはやどうでもいいことだけど、日本人が甘酢や塩漬けでらっきょうを盛大に食べるようになったのは、だから明治になってからの事のような感触があるし、工業としての生産は昭和時代だろうけど、根拠ある追跡はかなり難しい。

 らっきょうの最大の産地は日本海に面した鳥取だ。渡来を示す良い象徴として、鳥取はこれでチョット得をしている。

 でも実際は、江戸時代に幕府が運営していた小石川薬園から参勤交代だかで持ち帰ったのが、砂丘のような痩せた土地でも良く育っちゃって、気づくと日本1番の生産量というのが真相のようだ。(2位は福井県

 

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 鳥取市が制定している花は「らっきょうの花」。おや? 梨じゃないの? と思ったら、梨の花は鳥取県が制定の県花だったワ。写真はウィキペディアより。

 

 らっきょうに好感して早やヒトツキ。夕食毎にポリポリパリパリ齧ってる。

 やめられない・とまらない、では困るので抑制し、

「今日は12粒まで」

 とか、自分に言い聞かせてポリパリやっている。

 近所のスーパーを眺めるに、5~6種あり。もっともメーカーは2つばかりでそこがアレコレを出し、それをスーパーが仕入れているという次第だから製造者バリエーションはやや乏しい。

 だけども、ま~、それなりに繁華に売れているんだろう……、とは思ってた。

 けども実態はどうかといえば、消費量は年々に減っているらしいのだ。

 らしいのではなく、確実にジワジワ減少しているのだ。

 

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 グラフ図の通り、ゆるやかなれども確実に下ってるワケだ。

 これを具体に数値で示すと、こうなる。

 2000年 作付面積1002ヘクタール 収穫量15070トン 出荷量11711トン

 2016年 作付面積  756ヘクタール 収穫量10607トン 出荷量  8836トン

農林水産省統計)

 このわずか16年で2/3に減ってるんだから、大変だ……。

 このまま減少するとさらに16年後には1/3にまで低下しちゃって、食材としてのらっきょうは絶滅危惧されるアンバイとなる。

 それほどに、らっきょう需要は減っているワケで、製造者バリエーションが乏しいのもここに起因する。

 需要が減れば生産者も減る。早いはなし、らっきょうは好まれない食品になりつつあるんだね。

 グラフを見るに、2004年がピークだ。

 何でかしら?と思ったら、その頃は第何期めかのカレー・ブームだ。レトルトなカレーのアレコレが急速に台頭した時期に重なる。

 らっきょうはその添え物として、カレー人気に併せて売れたという次第のようだ。

 でも数年で下降する。カレーは相変わらずレトルトを中心に売れてるみたいだけども、らっきょうだけがダウンしちゃってる。

 カレーはといえば、「トマトとなすとズッキーニのカレー」みたいなヘルシーな嗜好が出てきて、バリエーションも広がって興隆一途で今にいたる。

 試しにと、ズッキーニの国内生産の推移を見ると、ごらんの通り。

 

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 右肩上がりの売れっ子ぶりなのだった。

 むろんズッキーニめは具材で、添え物のらっきょうとは別だけども、しかしもはや、「トマトとなすとズッキーニのカレー」にはらっきょうは必要とされていないというコトだ。トマトが入って、これは甘酸っぱい食感でもあるから、調和しないんだね……。カレーの多様性っぷりに、らっきょうはついていけなかったワケだよ。

 

 ともあれ、らっきょうフアンになった身としては、この減少傾向を寂しく思わないではない。不安視しないわけではない。

 が、断固阻止するって~アンバイじゃぁない。

 いっそ、少数派になっていく身の上を面白がりもする。

 ただ、いささかシャクなのは、こういう伝統的(?)味わいの食品を、国内需要だけではなく、国として海外にアピールしてきたかどうか……、って~ところがメチャに脆弱なような気がしていけないのだ。

 

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 たとえば政府は「クール・ジャパン」を標榜し、むろんこれはかつてのブレア政権時代の英国で官民一体で大成功した政策「クール・ブリタニアン」の模倣だけど、海外需要を開拓していこうという趣旨でもって官民ファンド「クールジャパン機構」なる株式組織(2013年発足)を造ってる。

 政府が8割を出資でアレコレにお金を注ぎ、その中には吉本興業のエンターティメント事業に22億円というのも入る。

 けど、結果として2019年3月期決算では売上げ僅かに8億円

 対して損益が81億円

 発足以来6年弱で累積のトータル赤字が179億円

 普通の企業ならもうとっくに止めてるか倒産しているかの、ゼッタイにありえない惨憺たる状況だ。

 いうまでもなく、政府出資ということは我々の税金でヤッてますというコトなんだけど、で、その赤字を埋めるために今なにをしてるかといえば、米国企業(料理の動画配信なんぞをやってる会社だそうです)に出資して利益を出そうっていうのだから、本末転倒、ワケわかんね~国策事業になりさがってる。

 NTTと吉本が組んでの教育事業だかにこの先100億もの巨費を出すというお笑いめいたハナシも伝わってるけど……、ホントにクールでナイスなジャパンを世界に売り出す気なら、せめて、

 冷やしたらっきょう海外に売ってクールぜぇ!

 国内需要も再起動させるぜぇ! 

 この旨さ世界に大発信だぜぇ! 

 くらいな強い意思と意気込みと国産モノに対しての愛(この場合、らっきょうですが)をもって、挑んで欲しいのですがね~。

 添え物じゃなくて単体でメチャに美味しく、まだまだレシピの幅も広げられるという可能性も、きっと”売り”になると思うよっ、らっきょうは。

 不可解な教育事業だかに100億投じるより、10億でもいいから出資して、「日本の味・らっきょう漬け」に賭けたってイイんでないの? 予想としてドイツあたりの酢漬け文化圏では気にいってもらえると思うが……。でもって、ドイツ人が喰うなら我ら本家とて喰わにゃ〜、みたいなコトになればおもしろい。

 ま~、それで売れなきゃ~しかたない。らっきょうはマイノリティな滋味と覚悟し、

「この旨さをわからんって、つまらんの~、ハッハッハぁ」

 被虐的気分も混ぜあわせ、心地よく笑ってられるって~もんだ。

 

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 砂丘らっきょう甘酢漬けの高級品 アグリマーケット(JA全農とっとり)のHPより。 

 けっこう高額(200g入り4袋。送料込みで4000円弱)。けど、少量でも良いモノをの意気込みや良し。食べてみたいなぁ、スーパーじゃ売ってないこの高いのを。