次の講演ご案内

 前回に吾妻ひでおの事を書いて数日後、某所某BAR にてEっちゃんから、

「『失踪日記』、おまいさんに貸した本じゃん」

 そう云われたんだった。

「へっ?」

「マジ?」

「うっそ~」

「ぇぇえええっ?!」

 困惑4連打。というかコンニャク踏んで滑ったというか、またまたまた……、彼女からの借り物だったんかぁァ~ん。

 記憶の自信がひっくり返る自身に直面させられたんだった。

 けど、ど~もそうらしい。借りて読んだ末に借りたコタ~忘れ、いつのまにやら自分で勝った本と思うてたらしい。

 だから、ノ~ノ~とこの『月のひつじ』に記してたんだけど……。

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 それで、なにやら、孫悟空を思い出すのだった。

 放蕩の末、觔斗雲にのって何万キロも移動して、もうココまではお釈迦さんも追送してこないだろうとニッタリ笑ったら、雲間から釈迦の手がニュッと出てきて鷲掴まれてギョッ。

 逃走したと思いきや何ぁ~んのコタァない、釈迦の手の中にいる自身を知らされるという、あの悟空陥落談……。

『阿房列車』の件といい、こたびといい、まるでそれでは読んだ本は皆な、Eっちゃん経由、あたかも彼女のテノヒラの中の出来事みたいではあるまいか。自身に向けて懐疑な情がわく。

 

 ともあれやむなしヤム茶にナンで胃がもたれてしかたなし。

「まいった、まいった」

 借りてたとわかった以上、お返しするのがマナ~というもんだわい。ほとぼり冷めて、Eっちゃん老いぼれ歯抜けに腑抜けになった頃合いにリボンをつけて返してあげて、

「え、これって私の本?」

 そう云わせてみようと、真剣に思った某日のBAR。

 

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 次講演のフライヤーがあがって来た。

 タイトルは『岡山木材史 part.2』。

 前回の続きという位置づけで、前回と同じく岡山中央図書館前館長の大塚利昭氏との共演。

 また面白い話が出来ると思う。

 

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 ぼくは例によって、明治の娯楽施設『亜公園』を話す。

 同園は明治25年の3月に開業するが、オープンと同時に押すな押すなの大盛況。

 当時、中四国最大かつ独自な施設でもあって、前年に開通したばかりの山陽鐵道(現山陽本線で姫路方面からも客がワンサカ来た。

 山陽鐵道はさらに西へ西へと、『亜公園』が開業した頃は尾道-三原間の工事が進み、鉄路はドンドン延びていた。なので『亜公園』へは福山方面からも人がやって来た。

 話題が話題を呼んでの人だかり。岡山市民は愛を込めて、『あほう園』と呼んだりもした。

 

 けども、その開業の年、オープンして4ヶ月め、岡山市は大水害に見舞われた。

 台風だよ。それも大型。

 県内河川はいずれも増水。

 足守川(あしもりがわ)が決壊。足守地区では10数名が溺死。

 県内の2大河川たる旭川・吉井川は6mも増水した。

 旭川の増水時に水を逃がす仕組みとして江戸時代にでき上がってた百間川も4m増水。これが砂川と合流するあたりで決壊。現在の可知(かち・地名)あたりや幡多地域、東岡山から上道(じょうどう)(当時)にかけて一面が浸水し、死者が11名でた。

 岡山市内を流れる旭川は、百間川への水迂回で何とかしのいでいたものの、風強まり雨やまずで遂に、亜公園近くの石関町と下出石町の堤防が相次いで決壊。ついで、上手の南方(みなみがた・地名)と北方(きたがた・地名)の3ヶ所が決壊。

 一挙に濁流が市内を襲った。

 も~、ひっちゃかめっちゃか……。深い場所で1階の軒の上あたり、浅くても床上1mという状況。

 市内95戸が流壊。半壊140戸。床上浸水6千余戸。当時の市内は非常に狭く、津高や御野(みの)、牧山あたりは市内に入らないから、この被害数にカウントされてない。

(県下木全域での全壊3188戸・半壊2221戸・死者74名。御野や牧山界隈では25名が亡くなった)

 えらいコトになったぞというワケで、亜公園見学どころじゃ~ない。

 

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 こたびの講演では、水害が「亜公園」にもたらした影響をば、話す予定。

 知ってる人は知ってようが、実はこの大災害時、コトもあろうにあの夏目金之助岡山市内にいて、これまたエライ目ぇ~に遭ってるんだ。後の漱石先生ですな。

 一歩間違えば彼とて存命していなかったホドの危機。そのコトにも、講演では触れる(かもしれない)

 いうまでもなく暗ぁ〜い話をしたいワケじゃない。”木材史”という括りの中、かつて川は重要な”道路”であって、川がもたらした恩恵もタップリ話すことにもなるでしょう。ちなみに『亜公園』を創ったのは木材商。明治の木材商にとって川はチョ〜大事な、いわば血管でもあって……。

 

 期日は12月15日の日曜。午後2時から(開場は1時半)。場所は岡山シティミュージアム4F。

 詳報告知は、また後日に。フライヤーは公民館を含めて岡山市内の公共施設などで入手可。

 

吾妻ひでおとモスラ饅頭

先日夕刻、Eっちゃんから吾妻ひでおが亡くなったという速報を聞いて、

「えっ!」

 絶句したのだった。

 けどしかし、打ちのめされるようでも、悲嘆の激情が沸きあがってくるようなものでもなかった。

 数分後には、妙に淡々とし、亡くなった事実は事実として受け入れつつも、アタマの中の吾妻ひでおは永遠に消失しないであろうと確信して、なんだか納得したりもして合掌した。

 

 久しぶりに彼の『失踪日記』を引っ張り出し、巻頭のあたりを再読。

 失踪していた頃の詳細、あのホームレス生活を、こうも明るく描ける才能の方向性にあらてめて感心するのだったけど、吾妻ひでおの絵は吾妻ひでお自身を救済し続けたという感想が始終湧いて離れない。

 

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 その昔、ぼくが模型業界入りしてちょっと経った頃、東宝映像から限定版権とって、『モスラ饅頭』というのを販売した。イベント用に造った白餡の饅頭で、総社の◎◎◎屋という和菓子屋さんで製造してもらった。

 表面に薄く餅があり、これでカタチを成型していた。

 1986年7月号の『S-Fマガジン』で吾妻ひでお野阿梓が、『モスラ饅頭』を取り上げてくれたことがある。

 吾妻と我が接点は唯一、その記事とイラストでしかないのだけども、それだけのコトゆえに逆にいつまでも糸が切れないんだった。彼の絵に足はないけど、饅頭にはチョボチョボっと複数の足が造形されていた。そこは餡が入らず餅だけだからモチモチしてた。

 

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 記事ゆえにか、しばらくは通販で饅頭を求める人が続き、郵便為替や現金書留でもって代金が送られてきたりした。仕方ない……。そのたびに総社の和菓子屋さんに連絡し、ごく少量を造ってもらい、バイクに乗れるスタッフにわざわざ取りに出向いてもらったりした。

 たしか、8ケ単位で造ってもらい、それを1パックにして、ケッタイな”取り扱い説明書”付きで販売したと思う。

 和菓子屋さんは手で捏ねて造る。だから1つ1つ顔が違い、眼の位置や足の位置が変わり、愛嬌があって、正直を申せばモスラには遠いカタチなのだったけど、ぼくが関係した模したカタチとしての”模型”の中、唯一、あま~~い作品だったから、接着剤はいらないけどお茶は必需だった。写真を撮ってるハズだけど、もう容易に探せない。

 昭和36年公開の『モスラ』第1作めを製作中の東宝撮影所で、「モスラ幕の内」だか「モスラ弁当」というのが撮影スタッフに配布されたという事実があって、それなら饅頭も有りじゃな、という単純な発想でのものじゃ~あったけど、今となっては懐かしい。モスラ幼虫はこの作品以外の登場では茶色なコロネって感じになりさがったけど、第1作めモスラのみは蚕(かいこ)がイメージされて典雅にして神々しく、これは白餡と餅でヒョ〜ゲンするっきゃ〜なかった。

 

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 吾妻ひでおの絵は、温度がいつも一定で、顧みりみるに、熱すぎず、醒めすぎずで、そこが良かったんだと気づかされる。ちょっと独特にぬくもるんだね。

 いま、うちの庭ではパッションフルーツに幾つも実がなって成長してるけど、意外やこの植物、南洋産のクセに、熱さを嫌う。植物の本にも30度を越えると高温障害をおこすとある。

 なるほど盛夏の頃、パッションフルーツは期待を裏切ってさほどに成長せずでグリーン・カーテンの役割をはたしてくれないのだけども、10月半ば頃からグイグイ育ってツルを伸ばし、葉を繁らせ、でもって気づくと幾つも丸っこい実をつけてるというアンバイ……。

 

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 そこいらに、なにやら吾妻ひでおの絵の熱量が思いかえされるような気がしないでもない。ちょいと外しつつも、おのが道・おのがスタイルをば維持するというワケだ。

 パッションフルーツの実は意外と大きいけど、重さはない。呆気にとらるほど軽い。

 けども果肉というかお汁は独特で他にない妙味。

 吾妻ひでおが自身で置いたポジションと似ていなくも、ない。

アポロ11

 

 主要都市では既に7月、上映が終わってる。

 それがやっと岡山にやってきた。とはいえ期間はわずか1週間だった。それも毎朝9時50分からの1回きり。

 ま~、しかたない。

 この上映館は好きでない。プログラムを工夫し、大手の映画館では上映されない作品を揃えてガンバッてらっしゃる反面、堅たっ苦しく、ともすれば官僚的な空気が匂い、映画を大事にするあまり往々に客を粗末に扱う。結果、映画を愉しませてくれる装置ではなく、映画を見せてやるという感じ悪さがつきまとう。

 ま~、それも眼をつむり、朝1回きりのを観た。

 入場番号8番で、ボクの後から2人入ったから、10人での鑑賞という次第。

 少ないといえば少ないし、10人もと思えば多いかも……、とも思わないでもない。

 自分と同じくらいの年齢か、ちょいと上の年齢の方での10人。もっと若い、アポロ時代以後に生まれたピープルに接してもらいたいとも思うけど、ま~、しかたない。

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 1969年当時、NASAはハリウッドから70ミリ・カメラとカメラマンを呼び、膨大な量の記録撮影を行っていたものの、それを編集するでもなく、撮りっ放しのままに倉庫にしまい込み、いつのまにやらただの備品扱いにして、今に至ってたんだから、どうかしてる。

 11号での熱狂は12号で既に冷めはじめ、13号ではテレビ中継もない状態だったのが、あの事故でもって世界を心配させたものの、14から17号では月への憧憬と冒険への興味は急速に沈んでいった経緯を思うと、撮ったものの、使えぬままにという状態になったのも判らないではないけれど……。

 そのフイルムが再発見され、さらに他の記録映像と混ぜ合わせて、こたびのドキュメンタリーとなったワケで、ともあれど捨てられずに保存されていただけでも後世の者にとってはありがたい。

 

 同じような試みとして、2007年にロン・ハワードが、やはりしまい込まれていたフィルムを復活させてドキュメンタリー『ザ・ムーン』を製作して、それもまた秀逸な編集だったけど、こたびのは編集のワザもさることながら、何しろ元の素材が70ミリなんだから、絵の情報量がでかい。

 クリアにして明瞭な画質、ついさっき撮ってきたみたいな鮮烈が随所にあって、眺めいってるだけで、時間を忘れちゃった。

 とりわけ打ち上げまでの前半が素晴らしい。

 

 

 あの赤い発射塔の各フロア随所に取り付けられていたテレビカメラの白黒映像もこたびは本ドキュメンタリーにうまく組み入れられ、これを観てはじめてやっと、どう、カメラが機能していたかを知らされたりもした。

 

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Paper Modelにみるカメラ配置

 

 自明のことながら、月に到着してからの映像はいささかツマラナクなる。第3者としてのカメラマンは存在しないのだから、ま~、それはしかたがないけど、地球での打ち上げの様子が潤沢に撮られているだけにギャップを意識しないでもない。

 とはいえ、そんなことに不満はない。

 

 あるのは……、観終えた途端に物足りない感がやってくるコトだ。

 当然にアポロ計画の全容が2時間弱のドキュメンタリーに封入できるワケではないのだけど、ベチャっといえば、もう一膳、ご飯いただいていいすか? みたいな満足の延長をもっと味わいたいゆえの物足りなさがあるのだった。

 たぶんボクは全容を掌握したいのではなく、たとえば、飛行士達が鉄塔に到着し、エレベーターにのり、エレベーターを乗り換えて一気に9番スゥイング・アームのフロアまで運ばれ、そこから塔の外周の通路をめぐってアポロの搭乗ハッチに至るまでをカメラで追うというような……、部分の克明詳細を味わいたいのだろう。

 

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 映画を観に出向いた日、CNNNASAの新たな宇宙服の発表会を報じてたのは、タイムリー。

 アポロ11号から17号に至る探査でもって、月の表層は実に細かいパウダーで覆われているコトが判ってる。それは概ね、月が誕生して以来続々と衝突し続けた隕石やらの木っ端が積もりに積もったものなのだけど、温度差は極度なれど風のない世界……、風化して次第に丸くなるという現象が起きない。なので微粉末状とはいえガラスの粉みたいなアンバイ。表面はギザギザにささくれてる。素手で触れたり吸い込んだりしたら、きっとエライことになるだろう。

 地球上では、ジーンズで地べたに座った後は素手でホコリやら土を払い除けりゃ済むけど、月でそれをやると、きっとチカチカした後で手のひらだかに血がにじむ。

 なので長期滞在に向いた宇宙服もまた必需。アポロ計画での月面状況を踏まえてのスペーススーツ進化は、待望されたものだったろうし。

 映像を見るに、こたびやっと自力で前屈みやら、しゃがむことが出来るようで、喜ばしい。色使いは微妙にヘンテコとも思うけど、ま~、いいや。

 

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CNNのニュース画面より

 

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 この前、台風19号の災害対応として政権は、予備費の支出を決定したけど、額面をきいて唖然。

 たったの7億1千万だよ……。

 一方で、『桜をみる会』の来年度支出が5千7百万を予定というんだから、バカにしてら~。

 それで野党が「いかがなものか?」という次第だけど、解決させるのは簡単だ。

 税金使った上で意図的に選民し、芸NO人なんぞを呼ぶ必要も必然もないわけで、『桜をみる会』に行くなら御1人1万5千円ほどの「祝儀」を必要にすればいいんだ。

 安倍は1万人を目安に選民してるようだけど、ならば逆に、1万5千人規模で募集(政権が勝手に選ばない)し、当選した方々は1万5千円支払って、それで大好きな首相やらと握手したり携帯で写真撮って披露すりゃいいじゃんか。

 1万5千×1万5千の収益は2億2千5百万になる。

 初期運営経費は、事務局の郵送代がメインとなろうから、5百万もあればお釣りがたっぷりだろう。

 飲食経費など差し引いた後、収益はそのまま災害支援に即座に廻せばいい。

『桜をみる会』は安倍政権がはじめたワケでもなく、1952年から延々とやってる「慣習」に過ぎなく、この政権になって費用がアホみたいに膨れてるだけのものだから、止めてしかるべきだけども、継続するなら祝儀なり会費を集めて行え……、と思うね本気で。それではじめて”桜マーク”って~感じ。

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2つめイベントをクリアして

 日曜のおかやま国際音楽祭『JAZZ UNDER THE SKY Vol.7』。

 昨年のVol.6は台風通過で開催出来ず、さてと今年もでっかい台風にじり寄り、直前までダメかも……、と按じられたものの、コースが外れ、結果は皆さんご承知の通り。

 関東方面では被害甚大で心傷むばかり。泥沼と化して電車も動かなければ家の掃除もおぼつかない方面の方々には申し訳ないのだけど、イベント開催にこぎつけた。

 とはいえ、突貫工事でのステージ設営。

 ステージを覆う屋根は断念。だからチョット物足りない。

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 ま~、それでも開催でき、東京からのミュージシャンや関連者も、運休から運行に変わったギュ~ギュ~詰めの新幹線で1部の方は立ったまま岡山まで来てくれた。

 色々な歯車が、こたびはうまく噛み合い、うまく廻ってくれた。

 

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 飲食部門テントのショップ配置を検討中のK女史とS氏。

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 ステージに運ばれたピアノを早速に調律のY氏

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 ステージ・バックヤードでは束の間、記録班の連中と司会者と運営委員の少数で自撮りで戯れるユトリも出来ちゃった。

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 Photo by Ohbayashi

 

 けれどまた一方、後述するけど、今回はスタッフ不足。飲食部門担当者も会場整備にテンヤワンヤ、兼務を余儀なくされてるのだった。

 

 ほぼ設営完了で即効のリハーサル。下写真はSHIHOとガスト指揮による京都ジャズオーケストラ。

 リハーサルの音(ね)が響き出すや、それまでの会場造りの喧騒が一気に音符に変わり、1つの束となってく感じがあって、この瞬間は何度味わっても魅力的、裏方冥利につきる。

 

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 開場からステージ・スタートとなるまでの時間はアッという間に過ぎちゃう。

 開場直前でのあわただしいミーティング。後方では既に入場待ち長蛇の列。

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 Photo by Ohbayashi なが〜い影法師が印象的

 

 予想はしていたけど、予想を上廻る来客ライホウ大盛況。

 用意した椅子席1500はたちまち埋まり、さらにピープルズ老若男女がやってくる。ドローン撮影とかで上空から写真が撮れたら、さぞや壮観だろうと思うけどドローン持ってないし、ここじゃきっと飛ばせない。

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 司会の平川さんとK副実行委員長。こたびは男子スタッフ複数があれこれ急があったり家族に不幸があったりで、決定的ヒトデ不足。K氏は本来のステージ業務から外れ、会場のお客整理係をやってくれた。その不本意をチビリとも顔に出さない清々しいK氏の姿に感動しつつ、

「感動した~ッ」

 とは声に出さなくていいい空気が流れちゃってるOJF(おかやまジャズフェスティバル)面々の粒ぞろいの良さ。

 世の中、「連帯」とか「絆」の単語が容易に使われちゃ~いるけれど、単語を口先でもてあそんじゃいけない。眼に見えないところ、たとえば帽子の中とかにホントの光りもんアリ。

 

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 Photo by Ohbayashi


 通称OJFバーでの飲食部門では、生ビール部門を筆頭に人ヒト人の黒山。炙ったお肉をこそぎ落として提供のケバブなんぞは、1時間待ちの長蛇。ごく個人的には『はせい』の”ひら”Tシャツを欲しいな、と思ったり。

 

 陽がかげるや気温が下り、ジッとしてると震えるほどじゃあったけど、そこをステージがあっためてくれる。

 名渡山遼、Shiho&Gast Waltzing with Kyoto Composers Jazz Orchestra、武田真治

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 Photo by Ohbayashi

 

 我がことで申せば、Shihoのフアンなもんだから、2年ぶりの再会も嬉しく、あいかわらずのステージ・パワーに魅了されるコトしきり。

 ステージをおりた彼女に告げるや、京都ジャズオーケストラ・メンバー全員が狭い場所に集結してくれ、おかげでこの1枚、パチリ。

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 さ〜さ〜。裏方として早朝7時から夜10時頃までのブッ通し15時間。

 やってる時にゃさほどでもないけど、事務所に荷物を運び入れて片づけ終えるや、いつもの通りの疲労に浸透された自分と直面。

アヘアヘアヘ~」

 こっそり肩をばサスリ擦りしましたよ~んの、なが~~い充足の1日終了。

 夕飯食べてるヒマもなかったゆえ、帰り道、kosakaちゃんと吉野家で、チャチャッと「月見牛とじ御前」。旨いと感じる間もなくたいらげ、後はひたすらベッドが恋しや。

 

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見舞いの後に食事して

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 週末にホントに台風なの? と疑念するほどに良い天気だった昨日。

 呼び出され、天神町の高層マンションの一室にて、Y氏、S放送の某氏と会合。

 そこからは同局の新社屋建造中がよく見え、定点観測にはもってこいだなぁとも思う。甚九郎稲荷の本殿両サイドの樹木のデカサがこの写真で知れる。

 まだ先の話となるけど、とある企画が動き出したのが嬉しい。懇談し資料提供し、うまい茶を啜る。

 

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 数日前の日曜。トモダチが入院している岡山市民病院に、kosakaちゃんの車でヒョイ~っと行ったのだった。

 サップライズ効果を考え、ベッドに寝ているであろう本人には告げずに訪問だぁ。

 このでっかい病院の立体駐車場は病棟にピッタリ隣接しているけど、フロアに高低差がある。車を留め、エスカレーターに乗ると2階へ行くよう案内が書かれ、指示通り2階へ行くと乗ったさいのドアとは反対側、背後のドアがあいて、病院2階のセンター・フロアに入れるようになっている。エスカレーターが2つのビルの段差を意識させないよう工夫されているワケだ。

 けども日曜。ガラ~ンとして、明かりも少なく落とされ、2階にある総合受付に人はない。

 病室を聞こうにも、入退院センターとかいう場所もカーテンが下ろされてクローズ。職員が誰ぁ~れもいないのだ。

 

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 で、あちゃこちゃ探すと、総合案内所の小さな告知板に、さらに小さな文字で、対応の場所が書かれてた。

 1階の緊急外来受付に行け、という意味のことが書かれてる。

 

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 さらに、別の壁の掲示板に13番窓口に行けとある。

「なんか判りにくいにゃ~」 

 ブツブツ呟きつつも、ともあれ階下へ。

 ところがその1階に13番が、ない。

 しゃ~ないから守衛室で訊ねると、「それなら12番に行って」という。

 なんだぁ~~?

 苦笑しつつ、ともあれ12番窓口で「6階西病棟653号室」の情報を得た。

 やれやれ。安堵しつつ売店で見舞いの品を買い、エスカレーターで上へ上へと上がり、目的の病室を訪ねると4人部屋。

 年配な方が3人寝ていて、1つベッドが空いている。

 あれ?

 すぐそばのナース詰め所で訊ねると、

「ぁ、Kurozumiさん、1時間ほど前に退院されましたわよ」

 

 病棟から1階12番窓口への連絡もまだ出来ていない間隙での見舞いというコトになるんだろうか。せっかく見舞いの品も買ったのに……、こういうのを徒労というのか? 

 いや、そうではありません。術後の経過もよろしく、めでたくも退院出来たコトを喜ばねばいけません。

 

 という次第でちょいと時間が空いた。

「ならいっそ……、倉敷まで駆けて、旨いモン喰うか」

 というコトに予定がコロリンコ。

 小一時間駆けて倉敷にゴ~。

 さすが日曜。どこの駐車場もいっぱい。市営駐車場の入口界隈は駐車待ちの車がズラリ。

 でも、美観地区すぐそばの某所に空きを発見。

 車を留め、徒歩2分で目的の「梅の木」。

 kosakaちゃんお勧めの味噌カツ屋さん。

 

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 倉敷のトンカツといえば「かっぱ」が高名ながら、ここのは一見、トンカツに見えないカツのカタチ。ふ~ん、こんなカタチもありなのね……。

 オーブンで焼いたお肉柔らか、味噌だれ甘旨。キャベツの山良し。味噌汁の中の小さな卵も気がきくな~。

 ビールに合いました。おなか満足。

 

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 そのうまいタイミングで、退院したKurozumiちゃんからモシモシあり。僅差で見舞えずを話し、クスクス笑う。

 で、店を出て、車に戻って、駐車料金払おうとすると……。

 

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 1時間と3分ほどなのに、1500円!

 食事代より高いでないの……。普通、1時間なら高くっても400円か500円っしょ!

    kosakaちゃんとしばし顔見合わせ、ボ~リ暴利ボウリッ、アタマをかきくけこ。

 せっかくの「梅の木」の味わいが、これでちょっとスッぱくなっちまったわい。

 なるほど、この状況を知ってる倉敷市民は、ぼったくられない市営の駐車場に置きたいワケだな、並んで時間がかかっても。

 でもねぇ、観光地にありがちなコトとはいえ、こんなネダンを出してくる駐車場があることジタイを市民は恥ずかしいと思わない? 

 そう呟いたのは、このハナシを翌日に聞いたジャズフェスのY女子の感想だけど、ぁあ、もっともだァもっともだァ、と呻きブシ。

 

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 さぁ、数日後の日曜。13日。

 予定では下石井公園特設ステージでの『下石井3days』でのメダマ・イベント『ジャズ・アンダー・ザ・スカイ』を開催するつもりで準備を重ねつつじゃ~あるのだけど、台風接近中。

 実は去年も台風襲来。それで中止になってるんだ。

 なので風と雨の動向、数時間置きに天気予報をチャックしているんだけど、新幹線の計画運休というヤッカイなのもあって、そうなるとミュージシャンの移動が制限されるし、一憂に次ぐ一憂、天候に向けて何か出来るワケもなしで、こういう気苦労はあんまり、味わいたきゃ~ないね~。

 

 

お金の流れがわからない

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 庭のキンモクセイに花がいっぱいつき、あたりに良い匂いを散らせてる。まことに香しく、ホッホッホ……、と繊麗にして寛雅な気分になりはするけど、当然に落花する……

「お池にはまって、さ~大変」

 池を汚す。

 生息中の金魚たちは、エサと思ってついばむものの、「何じゃこれ」ペッペッと吐き出し迷惑顔。

 

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 消費税10%になって早や5日。

 この税が何に活用される事になっているのか、といえば本来は社会福祉

 年金・医療・介護にあてられ、さらに今回より少子化への対策にも使う、というコトになっているようだけど、平成元年にスタートした3%消費税導入からこの10%にアップに至るまでの、その恩恵としての実感が皆目サッパリないのが、気持ち悪い。

 チャンと使われているの? という不信が拭えない。

 

 世界で1番に幸せな国たるフィンランドの消費税(同国では売上税という)24%と、日本に比べてメチャに高額に思えるけども、なぜ世界で1番に幸せを実感出来るのかといえば、結局はその税金がキチンと還元されているからだろう。それが眼にみえ、耳に聞こえ、還元されているのがチャンと判る仕組みがカッチリ動いてるからだろう。

 使い道に国民が納得し、事実、その社会保障は分厚くて至れり尽くせり、育児保証も老後保障も行き届いて、日本でよく聞く「漠然たる不安を抱えて生きてる」なんて~のとは、かなり違う。社会がふくよかなんだな。

 

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 フィンランドの場合、車を買うと、それに100%の税金がのっかる。250万の車は500万円を支払う。だから必ずしも皆が皆は新車に乗れない。

 そこで中古車が幅をきかせるワケだけど、それとても100%の税がかかるから、20万キロも走ったような、日本だと15万円でも高すぎると思われるのが150万やら200万円(税込み)で売られてる。

 でも誰も文句がない……、のはその税金が道路維持や整備や自動車を利用しての移動のための快適なインフラに、車の整備修理工場を含めて、確実に使われているのを承知しているからだろう。(雪深い国でもありスパイク・タイヤ装着が義務化され、道路は1シーズンでかなり傷むし)

 大袈裟にいえば、国家とその人民の歯車が合致して、そこに不信がないワケだ。住みよくしようというエネルギーが行政側にも市民側にも同一のものとしてあるワケだ。

 そういうところが日本は希薄というか、税があがるたびに不信度もまた募るというのがヨロシクない。国家のカタチが実態は……、成熟していないんだね。

 

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 税のハナシじゃないけど……。その昔、鎖国で閉じてたこの国に向け、露西亜、亜米利加、英国などの船が次々にやって来ては開国を要求し、その圧力に江戸幕府はその場限りの策でもって応じ、後退に後退を繰り返し、遂にはペリー艦隊を横浜(当時は貧寒とした村)に受け入れて、日米和親条約を結び、500人規模で上陸した米国人全員に、数億円相当の出費でもって日本橋「百川」に饗応の食事を依頼。宴席を設けたものの、その返礼的な亜米利加の行事は旗艦ボーハタン号に20人ほどの役人を招いただけという、早やこの時点で、「おもてなし」の通じない国家格差を見せつけられているというテイタラクだったワケだけども、その後が問題だ……

 
 安政5年の日米修好通商条約はいわゆる不平等条約のさいたるものだったけど、その第5条での「金銀等価交換」でもって、たちまちに混乱の大波をかぶることになる。

 

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     タウンゼント・ハリス初代駐日領事(トランプ同様この人も基本は商人(貿易商))

 

 全権領事のハリスの頑強さに日本側役人がオタオタしたということもあろうけど、亜米利加との交渉直前になって幕府は長崎・出島のオランダ人居留地を管轄の長崎奉行所に交換レートを訊ねるというノンビリっぷり。

 オランダと幕府の間では長きに渡って1ドル・メキシコ銀貨と一分銀貨を等価として交換してきた。この実態はオランダ側の慈善的交換だったけど幕府はそうとは理解していなかった。

 そこをハリスは突いた。1ドル・コインの銀の量と一分銀とでは3倍ほど1ドルの方が多い。

「おかしいじゃないか」

 ハリスにガンガン詰め寄られ、タジタジしちゃった幕府側は、それで1ドル銀貨・イコール・一分銀3枚という条件をゴックン呑んでしまう。

 金や銀で鋳造されているコインの世界基準での価値(交換レート)を掌握しないままに条約を結んでしまったから、さ~大変。

 

 どう大変かといえば日本国内では、一分銀4枚は1枚の小判に相当するが、この金の小判1枚は、海外の貨幣社会では1ドル・メキシコ銀貨4枚と等価なのだった。

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 だから日本にやって来た外国人は、たとえば1ドル銀貨2枚を一分銀6枚と交換、そのうちの4枚の一分銀を、横浜の幕府ご用達の両替商に持ち込んで小判1枚に替える。

 1ドル銀貨を交換しただけで、4倍になっちゃうのだった。(ホントはもっとヤヤコシイけど簡単に書くとそんな感じ}

 小判はすなわち、金だ、ゴールドだ。

 当時の世界基準に照らし合わせると1両小判は地金として4ドル以上に相当した。

 日本で両替して小判を持ち帰って溶かして板チョコレート状態にすれば、1ドルで額面価値4倍をはるかに上回るゴールドとなるワケだ。

 だから何も海外の珍しいモノを持ち込んで売らなくても、両替だけで儲かるんだから、笑いが止まらない。

 この状況を知って続々に亜米利加から商人が来た。ズタ袋に大量の1ドル銀貨を詰め込み、それを持ち込んじゃ~2度の両替をして小判に替え、さっさと帰ってった。ワッハッハ、と大笑いで帰ってった。

 1万ドルの銀貨を用意すれば、4万ドル以上の金を手に入れちゃえるんだ。

 これで日本国内から大量の金が奪われた。

 どれっくらいの損失だったか今も詳しく判ってないのは、時の幕府がこの失策を隠蔽したからかも知れない。

 もちろん、ボ~~ッとしてたワケじゃない。幕府はその状況に慌て、小判の金の含有率を下げたり、新たな硬貨を準備したりで、この騒動をおよそ1年ほどで収束させることはした。

 でもきっちりと、総領事ハリスはその間に私財を両替ででっかく膨らませてもいたらしい。儲けちゃったワイと日記に書いてもいる(ハリス日記によれば、儲けは慈善事業に使ったとある。彼の生まれ故郷のキリスト教団体で活用したらしきだけど、日本は奪われただけで何ぁにも慈善されてはいない)。

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        幕末のこの金騒動は『大君の通貨』佐藤雅美著 講談社が詳しい。

お気軽にチョットの場合は我らがみなもと太郎の『風雲児たち』幕末編第12巻がツボをおさえてる。

 

 海の向こうのしたたかな連中と交渉するのは、今も日本は苦手でしょう。

 トランプと安倍のこの前の「日米貿易協定」もそうだ。安倍のいう「ウインウィン」なんて~対等なもんじゃない。いいようにあしらわれちゃってるのを彼はごまかして笑ってるだけで、はるか昔のなさけない幕府役人とチッとも変わらない国益の差し出しをやってる。


 ま~ま~ともあれ、お金は出てくばかりで、上手に還元されない……、という感想がやたらに浮沈する今日この頃。

 消費税対策として政府は広報や宣伝に74億円も投じてるとも聞く。なんで?

 さらには、10%にアップしての増収のうち大半を、税率アップによる景気落ち込みの対策に廻すともいう。「プレミアム付商品券」とか「ポイント還元制度」などがその1部だけど、なんで?

 おまけに今日になって、「日米貿易協定」締結で農業の落ち込みを抑止のために” 支援策”として補正予算を編成とのことで、なんだ? 「ウインウィ~ン」って云いつつ、農業部門にお金をバラまかにゃ、結局やってけないワケだ……。

 意味不明な連打に、つい首をかしげ、そのままひっくり返りそう。

 災害大国で世界最先端の高齢者だらけの社会。そんな国での税の再分配となれば、もっとアタマを使わねばイカンのですが……

「漠然たる不安を抱えて生きて」

 を更新するしかないのが口惜しや。

 

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 まったくどうでもイイ話ですが……、この前の「ちゅうぎんまえジャズナイト」に履いてったシューズはフィンランドKARHV(カルフ)製。足幅がやや細めの人にはフィットするけど扁平だと履きにくいというのが特性。

 新人の女の子スタッフが「きゃ~きゃ~」いい、「それ、ワタシも持ってる〜」色違いのを神戸に買いに行ったそう。きっとファッション誌だかに載ってたんだろう。限定仕様だったか? コチラそういうことは知らず「岡山で買った」と告げたら、「ァっれ~」眼をおよがせ口惜しがってらっしゃった。

 き・の・ど・く……。

 

イベント1つをクリアして

 大事なスタッフの1人がイベント数日前に自転車転倒。鎖骨が折れちゃうアクシデントがあってアタフタさせられ、当日はここ数年同様に雨が落ちる・落ちない…… でヤキモキ。

 28日の土曜。会場近く、天神町の朝。RSK山陽放送の新社屋建造現場の上空に暗雲たれこめて、さ~さ~今から降りますぞ、ってな感じ。

 

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 けどもしかし、昼前には眩い日差しが会場である中国銀行本店前広場に差し込んで、準備中のスタッフ達なにやら無意識で日陰へ移動。

「雨が降るはずなのに、何で~?」

 訝しむようなアンバイだった。(下写真:日差しで明暗クッキリ)

 

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 という次第で湿気は高いものの雨落ちず。

 『ちゅうぎんまえジャズナイト-2019』は大勢の方が来てくださった。

 傷の痛みでトホホ~っのkurozumi君は大事なポジションであったから、こちらもトホホ~っなのだったけど、手術で1日も早く癒えるのを待つばかり。自転車でコケちゃって大怪我はボクも数年前にやっちまってるからね、痛いの痛いの飛んでけ~なグッタリ気分はよく判る。

 ま~、彼の分も含め、当日はグァンバッタ頑張った。

 アレしてコレして、緊張したり、ほぐれたり、眉しかめたり、笑ったり。

 

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 恒例の楽しいスタッフ・ランチは、今回は「じゅんぺい」でなく、唐揚げがうまい「とも」。でもワガハイはトンカツ。

 長丁場のイベント運営なのでモリモリ食べておかねば身がもたないの……、というワケで隣りの美女は、竜田揚げに肉ジャガのミックス。

 「とも」はふりかけとゴハンはお代わり自由。ふりかけはきっと広島産の「ふりかけの友」だろう……。

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 開場17時半。開演18時半。

 ハヤちゃんこと司会の早田氏が開演を待つ観客席に向け、ラグビーW杯の日本チームが逆転勝ちの速報をMCした途端の「ウォ~ッ」てな大歓声と拍手で、18回目となった『ちゅうぎんまえジャズナイト』はいい空気に満たされてのスタートとなった。

 

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 中国銀行の屋根付きの広場はかなりの広さ。その広さを活かすべく、ステージと観客席、テントを設けての飲食ブースと、会場には2つの顔がある。その飲食ブース、パラソルシート席利用の観客に向け、スクリーン設置でライブを生中継予定であったものの、骨折で部門のリーダー不在、かつ予想がつなかい天気具合に翻弄され早い時間で実施を断念。

 これが痛恨の極みであるにはあったけど、ご来場の大勢の方々はきっと楽しんでくださったろう、思う。

 

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                  Abobe 2 photos by Y.Ohbayashi

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              カレー完売でニッコリのスタッフ(右端)

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                舞台袖からステージを見る早田氏


 終演は21時。いつもの通り、会場撤収の作業を終えた頃にはもう23時近い。

 毎回ボクを送迎してくれ、この日の前日は我が部屋の天井照明をLEDタイプのものに取り換えてくれた電気系アレコレが専門職な Kosakaちゃんと「長崎ちゃんめん」で遅い夕食。

 生ビールで餃子をたいらげてる頃には、早くも、肩、首、腰、ふくらはぎ、アチャコチャが痛みを訴えだしてらぁ。

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 翌日サンデー。肩重く、首ギシギシ。くたびれのピークが到来中。

 ランチ用に安いステーキ肉買って来て、ちょいとスタミナ補強の1人飯……。

 で、夕刻まで昼寝。"急"な後のこの怠惰めいた"緩"が大事ね。昨日のせわしなさを追想しつつ午後の甘睡に蕩ける。

 

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 OJFイベントの次ステージは「下石井3Days」の中日、10月13日の下石井公園特設ステージ

 SHIHO(元フライド・プライドとジャズオーケストラ、名渡山遼、武田真治……、という強力布陣。おそらくはこの3日間連続催しでの最大規模の観客動員になるのじゃなかろうか。

 良い天気でありますよう。