集って笑う

 1月は、年があらたまってのアレコレな小さな行事が身辺にあって、ゆるく時間が流れているようでいて、実態は少し慌ただしい。青い空の広がりの中を悠々や急々にと淡い雲が動いているという感じ。

 

 新春恒例の同窓会。かつての小学生がジジババになって集う可笑しみ……。高校まで一緒だったS君は一昨年まで老人ホームを経営していたけど自身がそのトシになったと事業から撤退、

「やっと旅行が出来るっ」

 チョイとした自由を謳歌してる。

 もはや子供の頃のことでは話に花が咲かない。耳に届くは孫のことやらアパートを建てただの、健康センターみたいな所に通ってるだの……。

 自分もその年齢であることの事実にガックシさせられもするけども、束の間どうかしたはずみ、そんなジジババに、灰の中の炭みたいに炯々と燃えてる少年少女があったりもして、なので不思議な味わいがある。インフルエンザで来れなくなったMちゃんに会えなかったのが残念だけど、こういう味わいは、バロメーターとして通過させ自分を”測量”するに最適な滋養。

 

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 同じく新春恒例、殿下と妃殿下K夫妻との茶話会。

 ボクよりチョイっと若い夫妻は決してジジババに成り下がろうとせず、向かい風への抵抗勢力としての元気な姿勢も良し。歓談のたび新鮮な知見を披露してくれ、頼もしい。

 正月に秋山好古・真之兄弟が育った愛媛は松山に出向いたというので、明治のハナシで盛り上がる。

 

 しかし秋山兄弟って、今に残る写真を眺めるに、ほとんど西洋人の顔立ち。特に兄ちゃんの方が。

 実際、当時接した西洋人も、

「あれまっ?」 

 と思ったらしいし、そんなんだから女性にもメチャンコもてたらしい。

(ただ、もてたのは好古が留学したフランスでの話で、当時の日本国内では、いっそ異国人めいた異相ということで話題にはなるが、好まれなかったとも思える。昨今のイケメン事情と明治の事情は異る)

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 けど一方、この兄弟、風呂嫌い。とくに兄の好古にいたっては日露戦争中は2度しか入浴しなかったという嘘のようなエピソードもあってイットキは異臭漂うヒトでもあったというから、ま~、バランスとれてるなぁ。ボクなんか顔はお芋さんだけどお風呂はしょっちゅう入りますよ~、って妙なところで優越したりして、でも晩年の好古は軍にも政界にもシャシャリ出ず、松山に戻って自由思想を育むべく1教育者として過ごしたという辺りに人物のでかさが窺え、尊敬に値するとも思ったり……。

 とにかくも歓談に花が咲く。

 

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 岡山の亜公園は開業の数年後に日清戦争があり、やがて日露戦争の頃には黄昏の時期を迎えているけど、眼を岡山駅や線路に注ぐと、日露の頃には石炭満載の貨車や兵を乗せた列車が常に下関方面に駆けてたはずで、そこを想像してかつての時代に思いを飛ばすのも一興。

 幕末頃に誕生した「きびだんご」の廣榮堂は大本営が置かれていた広島に店主自ら出張し、戦地から戻る兵でいっぱいの宇品港で、錦糸をふんだんに使った派手な羽織をまとい、桃太郎の装束になって、

「鬼の成敗モモタロウ~、お国の土産は吉備団子~、岡山駅で売ってるぞ~」

 事前宣伝につとめ、帰郷兵満載の列車が岡山駅に到着するや売り子が箱入りの吉備団子(1箱5銭-1000円くらいね)を売って大繁盛したという話もあるし……、これを契機に吉備団子製造販売の店が幾つも出き、それで「商標権」というような新たなモンダイなんぞも生じたりで、『桃太郎→吉備団子→岡山』という図式が全国拡散というワケで、奇っ怪なほどに明治はお・も・し・ろ・い。

 といって明治時代が全面的に素晴らしいワケでもなく、ま~ま~、そんな話をよたよたと交じらわせる機会がこの茶話会。

 もちろん話は光速で飛び、彼方ベテルギウスやら此方山本周五郎原作の映画やらやら、賑やか。

 だから、愉しい。かつ、この1年でまた新たな自分たちのエピソードを創っていこうという蛮勇もおきる。いわばこの茶話会は、1年の核となる日、「蛮勇引力」の基点の日。

 

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 おまけにこたびは夫妻から激烈に嬉しいプレゼントもあって、なぁ~んと5.1chのAVアンプ。

「少し古いけど、次までのつなぎに」

 とのこと。マッコトありがたい。YAMAHA製というのがいい。

 DENONYAMAHAのAVレシーバーは、常々に、聴き比べて音がどう違うかを知りたいと思ってたもんだから渡りに舟……、突然にでっかいチャンスを頂戴で二重に感謝。最高のお年玉でござる。

 

 ちなみに、私の世代はDENONデンオンであって、その「電音-電気音響」な語感を愛しちゃったもんだけど、今はデノンだ。ちょっとつまんない。

 岡山弁では「これ、誰の?」と問うさい、

「でェのん?」

 と云う。活用として、

「でぇのデノン?」

 と、云いやすいけどね。

 

落花生 VS イカリ豆

 10年以上使い続けたAVレシーバー/アンプの調子が悪い。昨年末頃から本体内で異音がし始め、ジワジワと悪化している。

 ガチャガチャガチャ、と昔のTVのチャンネルを廻すような乾いた音がする。複数のスピーカーを結んだ5.1チャンネル仕様ながら、センター・スピーカーの音が出たり出なかったりする。

 たぶんに異音とその出たり出なかったりは連動しているんだろう。

 常に異音がするでなく、なんだか思い出したようにガチャガチャ音をたてる。

 だから、ひどく不快でも不安でもないけど、落ちつかない。

 そうこうする内、今年になってから視聴位置の右側背後に置いてるサラウンドのバックスピーカーがウンともスンとも音をたてなくなった……。

 

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 人体ご同様に、10数年の酷使でガタついてるんだろう。

 買い替えの時期が来ている……、といわざるをえない。

 それで最近の諸々カタログなんぞを眺める。

 そうすると、10年前になかった7.1チャンネル、スピーカー8本による映画鑑賞に最適化に努めた製品が幾つかあるんで、たちまち眼も心も奪われちまう。昨年にプロジェクター・スクリーンを取り換え映像環境を刷新してもいるし、ゥムム。

 

 この湧き出したような購買意欲を刺激させるのが、ウィスキーであったり麦焼酎の野菜ジュース割りだ。このジュース割りとて、どのメーカーの野菜ジュースでもイイわけはない。ま~、それは今回書かないけど、心地よく甘い酔いが7.1チャンネルに取っ換えの気分を昂ぶらせる。

 

 ほいでその流れの中……、ひさしぶりに落花生をオツマミにする。

 この2年ほどはイカリ豆一本ヤリだったのだけども、浮気してみる。

 この浮気がまた歯ごたえ良く風味良くで、た・ま・ん・な・い。

 パリポリぱりぽり、と・ま・ん・な・い

 落花生は皮も喰う。栄養価高きの部位らしい。ボクが買う落花生もイカリ豆も、広島のミツヤという会社製のもので、両者ともに我が嗜好にあう。

 お久しぶりにそのミツヤの落花生を口にしてるのは、上記のような購買気分が邁進したがゆえのものか、あるいはそれを抑制しようという心理でのものか……、そこが、チョイ判らない。

 

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 抑制気分は、AVアンプの設置が面倒であることに起因する。サウンド関連の機器は、Macも含めすべてアンプに接続しているから、ケーブルがのたうち、さらにスピーカー7本のケーブルもあるからメンド~この上ない。とくにスピーカーのラインはいずれも同じだから、どれがどれやら判らなくなる。

 さらにオマケに、従来使ってるのと比べ、近頃のは本体サイズの背丈が随分高い。となれば、アンプを設置してる棚板も高さを変えなきゃイケナイ。書くは容易なれど実施となると棚のいっさいを取っ払ってネジ外さなきゃいけね。

 そのわずらわしいが、すなわち抑制の第1弾だ。トシとるとわずらわしい気分も増量するんだホントだよ。も~イイヤぁ、って気分が露骨に前に出る。

 

 でさらに云えば、亜公園がらみで、新年早々かなり高額な資料本複数を古書店に発注してるもんだから、出費かさむじゃ~ん。これ第2弾の抑制効果あるね。

 なので、どうしようか、この時点で買うか買うまいか……、イカリ豆ではなく落花生に取っ換えて、ポリポリ歯がみして錯綜するんだった。関係なさそうなことじゃあるけど、たぶん落花生への浮気にはそういう背景がドテ~っと横たわってるハズ。

 

 資料本というのは、買ってページをめくってみるまではホントに資料たりえるかどうか判んない。冊子的なものや私企業が発行の社史的なものは図書館にないんで、古書組合の検索システムなど利用して探し、買ってみないと判らない。

 80ページほどの薄い冊子ながら9200円の値がつけられたのを買って、

あじゃぱ~」

 だったこともあるし、逆に、わずか1ページの数行に”どえらい価値”がある本も出てくる。亜公園のことを言及するための典拠・出典としてそれが用立てられるワケだ。

 けっこ~、調べモノには経費がかかる……。

 

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 磯田道史は『武士の家計簿』の前書きで、神田神保町古書店にとある古文書が売りに出たのに気づいて大慌てで16万円を工面し息急き切って買いに駆けたのが、同書が書けたコトの発端だった旨を記してる。

 こちらは氏のような学者でも何でもないけれど~、やはり、経費は等しくかかって来るんだから、だなぁ。

 この前の講演で披露した明治期の版画の購入は、いわゆる「第1級資料」だったから某委員会が資金提供してくれたわけで、資料探索はあくまで自費だからなぁ、実は昨日も某氏所有のとある家屋写真の使用許諾のために菓子折り買って、持ってったりしちゃってるワケで……。

 

 という次第で落花生ポリポリ齧りつつ、でも勝手に故障が治るワケもないと諦めてアタマもついでにポリポリし、アマゾンに発注。

 ただし受取日は10日ほど先を指定。

 届く本のこともあるし、正月後の恒例化した新年会や同窓会やらがこれからあったりもするし、新たな機器を目の当たりにしちゃうと心がはやりもしていっそう気ぜわしくなるから、チョイと日延べでお預け。

 もうしばし、ガチャガチャ異音とおつきあいし別れを惜しもう、という次第で落花生喰ってる意味を位置づけてまたポリポリ、袋の中に残る数粒を齧る。

 

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5日前の沖田神社の拝殿。津田永忠の開墾埋め立て事業を顕彰して出来た神社ゆえ、土木建設関連の方々がお参りする。久しぶりに出向いてみると、明日より仕事がはじまるというコトでお揃い作業着の土木関連の方々多数が参詣してらした。でも……、境内あちゃこちゃ至る所、というか、境内全域でおみくじ入りグッズの大販売会場というテイ。ちょっとガッカリしないでもなかった。

としあけて

 2020年。

 昭和半ばに生れた身として、西暦2020年というのはトンデモない未来のようにかつて思ってたコトもあるのだけど……、ナマで2020年1月の入口に立つと、

「かつて到来を楽しみにしてた、これが未来かい?」

 訝しむコトしきり。かえって、昔の方がチョイと良かアンバイだったようなアレやコレがあったような気がしないでもない。

 

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           昔々のトヨタの宣伝……。この味、今はないねぇ。

 

 ま~ま~、そんな感想を浮かせつつも正月は昭和時代同様にモチを食べ、昼寝でヘンテコな夢を見、小さなパーティに2つばかり顔を出し、1/350スケールの船舶模型の極小なテスリやら階段のエッチングパーツを見せられて、カットした爪のその1/6以下の小ささに呆れるやら感心するやらの結果として、

「ほぼ意味なし~」

 そう呟いて、”自己満足”の深度というコトに可笑しみをおぼえたり、岡山神社に挨拶に出向いて社務所でニッコリ笑顔でお辞儀したり、した。

 

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 元旦のマイ・マザ~。届いた年賀を眺めるも自身が出すことは、やはり忘れてる……。

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 早や3日には帰省先の福井から戻ってきたS君のおみやげ。メチャにありがたや。

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さっそく某パーティで「へしこの缶詰」オープン。一切れは爪くらいのサイズながら、そのサイズが絶妙に素晴らしい。辛ウマで日本酒との相性が超絶にグッドな上に缶のゴールドもピカリ。

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岡山神社の新たなグッズ。太鼓のオモチャに見えたけどマスキング・テープ。シャレてんなぁ。

 

 amazon prime阿部寛の『まだ結婚できない男』の全話が視聴出来るようになってたんで、年末年始にかけて観、

「史上最悪の続編じゃん」

 大ブーイング。初ブーだ。

 夏川結衣の女医さんの前作でこれは見事に完結していたのに、

「なんちゅ~コトするんじゃ!」

 脚本書いた尾崎将也の得点を一挙に零点にまで落とした。

 口惜しいので旧作たる『結婚できない男』を再見。

「やっぱ、これだけで充分」

 あらためてこの続編の不出来を罵倒し、あらためて結衣さまに乾杯。

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2006年の『結婚できない男』最終話からのスクリーンショット。このTVシリーズと映画『孤高のメス』でのナース役とがグッドな双璧だねぇ。

今年が終わりかけ

 2019年が終わりかけですね。今日はシド・ミートの訃報……。

 多数の良きビジュアル・イメージを残してくれました。合掌。

 

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 顧みるまでもなく、今年が良い1年であったとは思えません。来たるネズミ年2020年も暗いニュースがチュ~チュ~駆け廻るような悪しき予感もありますな。

 社会世相のみならず我がコトとしても、スムーズにコトを運べたとは云えないし、反省点が多々タッタ〜でありました。

 過日の講演の日の前夜だか前々夜だったか、入浴後に換気入れ替えにと窓を開けたさい迂闊にも指をひっかけて網戸を破いてしまい(経年劣化で脆くにもなってたんだろう)、しばし放置。

 破けた網戸というのは実にだらしない風情ですなぁ。アミ部分が破けて垂れ下がった途端に家ごとボロ屋敷に変じたような寒々しい感じ悪さ。

 

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 それをチョイ前、アミやらなんやら買って自分で修理し、100均SHOPで200円で売ってたのはさすがに買わず、もそっと高いのをホームセンターで買いましたけど、

「なんだ、あんがいと簡単にアミ張り替え出来るじゃ~ん」

 ニッタリ笑ってハッタリと思うに、破けてだらしなく垂れ下がった網戸のスガタは、そのまま今の日本のカタチに通底しているような気が、しましたわい。

 

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 この年末、実に30年ぶりくらいに年賀状を書きましたよ。

 いや、わが輩のではなく、マイ・マザ~の代筆。マザ~殿はかなり耄碌し、日によって度数が違うけどボケが進行中のご様子。ついにこの年末は賀状という存在を忘れてるようで……。

 それで、マザ〜殿が毎年出してた親族関連に数十枚をば造って投函したという次第。 何故に賀状が来ないの? と親族を心配させるのも何なんで……。

 なので自分のじゃ~ないっす。

 ご承知の方はご承知の通りで、ボクは年賀状出さない主義なのでありました。

 書きません・出しません。

 ま~、それもヨロシイがな。別におへそ曲がりでもなく、ただの慣習みたいなのがイヤなだけでごんす。当然の報いとして……、届きません、賀状きません。来るのは保険屋さんとかガソリンスタンドとかな業務的なののみ。

 でもこたびマザ~殿のをこさえ、勝手に文面も造ってみると、なるほど年に1度の近況報告として賀状は機能するんだね……、ちょいと気分を和らげもするのでした。もちろん、マザ~がもう賀状が出せない状態ならば、さらなる翌年の賀状はどうしよう……、難題が肩にのっかったなぁとも感じてるんですが……。

 

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 さぁさぁ、明日は大晦日

 暗い部分に眼を慣らすより、明るい顔で机廻りをかたづけ、2ヶ月前から止まってる腕時計の電池交換オネガイ〜に時計屋さんに行ってきましょう。

 おっとその前にKosakaちゃんがミカン持って来てくれるんだった。ありがたや。

 

 周辺見廻すに少しづつながらも、元旦を休む店、2日までは休む店、明日の大晦日も休む店……、と、売買イチバンの風潮が後退しているようで、これは良いことでしょう。

 正月早々に福袋買うために並んでたりは、すごく貧しい光景にみえます。

 とはいえ、近しい仲間に元旦8時より初売で出勤ですの……、というヒトもいて気の毒ですけど、彼女いわく、「毎年のことなんで、それがワタシのお正月かも」ということでもあるから、一概に正月は休まなきゃイケネ~みたいな全体主義もまた困るワケでもあって。

 ともあれ、悠々と時間をはみたいもんです。

 

 けど一方、昔の落語の、6代目春風亭柳橋だか三遊亭小円馬だかの咄で、

「せめて正月3日間くらいは、酒、よしちゃいましょうよ」

 長屋住まいの八っつあん熊さん両名が互いに監視しあうというのがあって、オチャケを正月最大の愉しみとして朝8時にゃもう熱燗徳利傾けてるコチラとしては、

「禁酒? ぇえっ!」

 小首を左右にフリフリしちゃうのでありますが、これもまた、慣習の悪しきと、思し召されるもまた一興カッモ~ン。

 

 来年、またお会いしましょう。

  Be seeing you.

きよしこの夜 ☆ 時をかける少女

 今更にこの大林作品を取り上げるのは周回遅れのカメの鈍足とも思うけど、イブに、超ひさしぶりに観たもんだから、書いておきたくなった。ウサギの俊足でなくていい。

 ちなみに……、クリスマス・イブをキリスト生誕の前夜、あるいは前日と思ってるヒトが多いけど、実際は、

”クリスマス当日の夜”

 であって、前夜や前日じゃない。

 これはユダヤ暦に起因する。

 ユダヤ暦では日没でもって日付が変わる。1日は陽が落ちて夜がやってきたさいスタートする。なのでキリストが生まれる”直前最初の夜”を指す単語として”イブ”は位置づけられてるわけだ。

 グレゴリオ暦が一般化して、日付変更が夜中の0時になった現在でも欧米人含めキリスト教が主体となってる国々のヒトは、そこをアタマの中で切り替えてらっしゃるようで、

「前夜ですね~」

 と、いったら、

「へっ?」

 と、笑われる可能性あり。なんせ、一夜の出来事 なので……。

 

 チャールトン・ヘストンがマゾっ気たっぷりで演じた1959年の映画『ベン・ハー』の巻頭で、闇の中、多くの人に見守られつつ、1つの星がベツレヘムの小さな羊小屋(馬屋)を指し示して東方の三賢人を導く印象的かつ絵画的な場面があるけど、それがまさに”イブ”、救世主誕生直前の夜というワケだね。

グレゴリオ暦では0時で日付変更だけど、ユダヤ暦では既に日付が変わってるワケです)

 

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             『ベン・ハー』1959年のスチール


 で、三賢人が恐縮しつつ小屋のドアを開けると、マリアとヨゼフがいてマリアの腕に赤子が抱かれてる。ここからクリスマスだ。

 だからイブとクリスマスは、休眠なしの連続した出来事なんだ。

 かの有名な、『きよしこの夜』は、

き~よ~し~ こ~の~夜~ 星はひ~かり~ す~くい~の御子は~♪

 と謳われるけど、”この夜”とは、マリアが出産する直前(イブ時間)をも含んだ祝祭の夜時間なのだった。

 

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             『ベン・ハー』1959年のスチール


 以上はともあれ、筒井康隆が『時をかける少女』を書いたのは1965年から66年にかけて。東京オリンピックが開催された翌年なんだから、ずいぶん古い。

 映画になったのが17年後の1983年。

 筒井の原作は読んではなかったし、映画館で観てもいないけど、1年後くらいにTV放映された時にこれに初めて接し、ラストシーンからエンドスクロールのつなぎのさなかの、理科実験室の床に倒れてた原田知世がムクッと起き上がり、こちらに向かって微笑しつつ彼女の歌声が流れるシーン展開に、強い衝撃をおぼえたもんだった。

 もとより少女趣味なんぞカケラもないし、この手の青春物語は苦手だったけども、ファイナル・シーンの、こちらに向けてのはにかみ笑顔に、

「えっ?」

 奇妙なテーストに困惑しつつ、

「そう来るかよ~ッ!」

 魅了されたもんだった。

 

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 で、それからもう34年だか35年が経過……

 郷愁とも憂愁ともつかない何だか蒼い心持ちが生じ、しばし悩んだ末に、ま~、自分へのクリスマス・プレゼントにと、大林監督の同作ブルーレイを買ってコッソリ観たのだった。

 老いたもんだ……

 それが最初の感想であり感慨だ。むろん、老いたのは自分の感性。幾つかのシーン、例えば岸部一徳根岸季衣の両先生がネクタイのことで言葉を交わすというようなシーン、夜の尾道市街にほとんど当時は街路灯がなくって、だから夜が暗いという事実とか、原田知世演じる芳山和子がプライベートで履くのがSUBUやクロッグみたいなサンダルでなくってゲタであるとか、本筋とは別の脇の辺りで、喉元が熱くなった。

 

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 出資者の角川春樹と監督大林は、原田知世という初々しいミューズのその魅惑にメロメロになって一致団結しての映画作り。これを奇跡と言わずして何ちゅ~んだろう。右も左もなく、ただもう原田知世という希有な存在に大のオトナが夢中になった痕跡がフィルムに定着してる……

 

 ウィキペディアには、知世ちゃんを引き立てるためにあえて共演の高柳良一(深町君の役)にはセリフを棒読みさせヘタに演技させたとあるし、原田知世をこの1作のみで引退させ、まさに永遠のミューズにしようと目論んでいたともある。

 いささか爺ッチャマな今の眼でみれば、ファイナル・シーンの彼女の頬に炭をつけて撮ったのは、角川・大林ご両名の、「この子を自分の手で汚したい」的な、けれど絶対にそれが出来ない悶々な願望をあえてホッペの炭に託したみたいなフロイト的解釈も出来ちゃうのだけども、それはそれ、30数年ぶりに再見、

「ぁぁあ~」 

 ひたすら感嘆しちゃったのだった。感嘆というより感動だ。今となっては技術的に稚拙に見えてしまう特撮シーンも逆に心地よい。シーンことごとくが、懐かしく、かつ、鮮烈にして味わい深い。

 

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          こんなキスするフィギュアって今もあるんかしら?

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 運動場の弓道部のシーンで矢が飛んでく先に帰校する生徒が多数歩くのは危なくってヤバイじゃんかとも眼に映ったけど、はるか昔のそのシーンを今になって非難するにはもう無効。

 眺めつつ、はるかに遠ざかった我が青い春をもシミジミに引き出されるようであって、何だか涙腺大いに緩むのを禁じえないのだった。 

 なぜって、もうこういう味わいを我が身としては体得できない「若い頃」がこの映画には満ちていて、それが悲しく、切なく、懐かしく、あったかく。

 が、この映画の最大の良さは、成長した芳山和子がなが~い廊下を向こうに行くまでを見せることで、青春ファンタジーの甘い円環の中に主人公をとどめなかったことだろう。『モダン・タイムス』と同じ手法ながら、その先には愛もあれば、それに伴う痛苦もまた彼女には去来するであろうとの暗示が示され、それが映画のポイントをいっそう押し上げてる。

 なので、本作もまた時を越えて駆ける名作なんだね……。買ってよかったよブルーレィ。

 という次第なのだった。

 

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この映画はシーンというか時間軸によって画面サイズが変わるんだね、はじめて知ったわい。 

 

 ま~、そんな2019年のメリ~・クリスマス。密やかに買ってたネコ型瓶の白ワインをあけ、小一時間で飲み干して、瓶は新春の花活けにでもしようかと、北叟笑む。

 

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  となれば……、『時をかける少女』でその存在が広く知られるようになったラベンダーを一輪が良いね。アッ、でもラベンダーって開花は6月頃じゃね。

 ま~、それもヨロシイがにゃ。

待てば海路の日和かな

 だよ。

 

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                『時をかける少女』のスチール

スターウォーズ・スカイウォーカーの夜明け

 初日の午後、前作同様、席指定不要のメルパ岡山で観る。

 初日行きだからといって別に気合い入れて出向いたワケもない。例によってこの日が都合良しという次第。

 イオンシネマなど他館はもっと客席は埋まってようが、初日ながらも空席が目立つメルパ岡山を、ボクは好き。館にとって客足少なしはイイことじゃないけど、馴染んだTシャツみたいな他所行きでない雰囲気や良し。その日の気分に応じて前の方でも後ろの方でも真ん中あたりでも左右あたりでも、どこにでも座れるこの自由が何より。

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        実にローカルっぽい映画館の壁面掲示。これもイイね。


 という次第でスクリーンに向けて真ん中の中ぐらいに座して眺めた9部作の最終章。亡きキャリー・フィッシャーを見るファイナルでもあるね。

 観終えた直後の評価は、50

 エレベーターで階下へと降り、外に出て気分が変わって54

 ちょっと、ブレる。

 

 しかしま~、1977年スタートから本作までの年数を思うと、『スターウォーズ』という存在が自分の半生とも重なりあう。なんせ42……

 少なくとも『スターウォーズ』には物語を編もうとするチカラが濃く働いていて、この1点では、『男はつらいよフーテンの寅さん』やTVシリーズとしての『水戸黄門』や『相棒』などの経年しないワンパターン造りとは一線をかし安定したぬるい湯はなく、だからそこに自分の時間を重ねやすい。

 

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               スケール違い……

 

 例えばいま、『帝国の逆襲』の頃の自分を思い出せるけど、『男はつらいよ・虎次郎と殿様』はいつ造られいつ観たのか定かでない。実は同じ年に公開だ……

 そういう比較はさほど意味はないけども、少なくとも自分が通過した年数の中に、『スターウォーズ』シリーズの物語が組み込まれ、それが連動して自分を省みる時間のバロメーターであったのは、感慨深い。というより喜ばしい。我が身に生じたアレコレの出来事や思いとがこのシリーズに連動し、過去が輪郭として浮いてトレースしやすい。

 すでに長い歳月が流れていても気心知れた連中と、かつて観るたびに一喜一憂した気分の上澄みとして、あ~だ~コ~ダ~と語れるのも喜ばしい。

 至極当然のように、ボクは旧3部作を褒め、新3部作をケチョンケチョンにけなしてDVDすら買ってないのを誇り、こたびの続3部作にもヤヤ辛くあたり、スピンオフ作品の『ハン・ソロ』に至っては2度と観る気がないけども、それもフアンがゆえにの心理。ただブ~イングしてるワケもない。

 といって極度のフアンでもない。かといって登場メカの模型の1つも造らないというワケもない。

 

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 手前80年代に工作したMPCモデル。後方一昨年に工作したDeAGOSTINI モデル。プラスチックの金型精度の向上や、どちらも電飾を施して改造してるが、かたや豆球、かたやLEDと発光素材の進捗も感慨深い。共通なのはどちらも壊れやすいコトか。放置してる隙にいずれも電飾の1部が点灯しなくなっている。ま~、それはたぶんに我が方の配線のエエ加減さに起因してるんでしょうけど……

 

 気づくと幾つも模型やTOYSが周辺にありもして、20代後半から今に至るまでの自分時間の中に濃く密接した存在が『スターウォーズ』シリーズという次第で、このタイトルとて、章題というかエピソード・タイトルには常々にワクワクさせられはしても、さほど好きというワケでもないし、いまだに『スターウォーズ』と口に出すさい、一種の羞恥をおぼえるのは……、これもまたフアン心理の裏返しなのだろう。

 

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        DeAGOSTINI モデルのコクピットは大改装した……

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                 本作のコクピット・シーン 

 

 ま~、理屈はいいや。

 ともあれ観終えた。感じた。

 ディジー・リドリー扮するレイは、やはりいいね、このコの険しい顔と愛らしい微笑のギャップが最高だ。

 フアン心理というものの極みは、無量大数のフアンの1人でなく、ただ1人の存在になりたいというヤッカイがあるんで、本作も観たヒトによっては高評価だったりサイテ~というように感想は二分すると思うけども、諸々感じて54点をつけ、ひとまず自身の中にマル1つ、句読点をうった。

 

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 観賞後、メルパ岡山の近くの回転寿司でビール呑みつつ寿司をつまみ、しばし映画を追想

 ディジー・リドリーのレイはもう新たには見ることは出来ないのだろうけど、それもまた良し。我が老春のヒトコマと覚悟し、ハンフリー・ボガードが『カサブランカ』でいみじくも呟いた名セリフをもじっていえば、

「ボクらには砂漠の惑星ジャクーがある」

 みたいな……、いや本作のラスト・シーンを思えば、

「ボクらには砂漠の惑星タトゥイーンがある」

 と、言い換えた方が良いか。哀切に裏打たれた記憶の永劫をば、思うかぎり。

 そう思うと、大甘になり、もう10点加算し、64点としようか。

 なんだか不思議と得点づけがブレ続ける。

 たぶんこれは、スカイウォーカーの物語が本作で終わったという、その動揺ゆえにだろう。はからずもこたび、42年前に見た懐かしい2重太陽のある景観の中、レイが名乗るラストシーンで落涙した。

 

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 ともあれ、あとは行替えての新たな物語がどう編まれ、どう見せてくれるんだか……、まだ付きあいが続くなぁ。

 

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         DeAGOSTINIのミレニアム・ファルコンのハッチ部分

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「水戸黄門(60)」やら「火天の城」やら

 昨日15日の講演は無事終了。

 予想していたけど、やはりパート2というタイトルをつけると、映画でもそうだけど……、観客動員数が減りますなぁ(苦笑)。

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 第2部トーク中の大塚氏をステージ側よりパチリ。

 かつて道路も鉄路も整備されてない明治以前の時代、岡山県北の勝山からは同じ県北の津山方面に木材を運送できず、筏に組んで旭川をくだり、瀬戸内海に出て、今度は吉井川を登ってやっと津山に運び入れ、それで津山城を造ったという、実に信じ難いような実話など……、メチャに面白かったですニャ。

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              打ち上げで喰って呑んで……

 映画のパート2と書いたんで、備忘としてついでに書いとくが……、講演の前夜を含め数日どっぷり、日本映画をば続けて観てた。

 かねてより好感持ってた1960年の『水戸黄門』がamazon primeでまた観られるようになってるもんだから、この機会を逃しちゃいけね~、前半部で木材商の仕事場が出てくるのを再見したかった。

 なぜかこの映画はDVDで市販されてない。だからと……、見ちゃったら、ちょっとブリがついた。講演前ではあるし、講演題目の木材がらみでの目線を意識的に働かせての観賞じゃ~あったけど、感ずるところ大なりだった。

 ちょいと感想をば羅列しておこう。

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         上4枚、『水戸黄門』の巨大セットと多数の役者での能。ただもう圧巻。
 

水戸黄門1960

 とにかく圧倒される名品。時代劇を1本選べといわれたら、黒澤の『七人の侍』かこれのどちらか。黒澤のリアリズムではない別次元なリアリズムに充ち満ちてアッケにとられる。

 役者がいい。セットがすごい。セリフはすべて古風な言い回しでヒアリングするに難しい。この3要素がからんで別次元リアルが生じてる。

 なによりこの黄門さんは印籠出したりしない。最後まで身元を証さないのがヨロシイ。

 若い中村錦之助扮する火消しの四郎吉が月形竜之介の黄門さんを、

「てめ~この爺いッ」

 殴りつけるところなんぞも明るく笑えて素晴らしいし、熊本方面(?)のローカル言語の大友柳太郎がまたすごい。悠々、豪快、爽快、天晴、絢爛……、そういう単語が常に点滅明滅して飽きるところがないんだから、すごすぎ。

 画面上では数分のシーンなのに、巻頭での町が燃えるシーン、木材商の職場のセット、江戸城内での能舞台のセット、などなど圧巻に次ぐ圧巻。「マジかよ?」と感嘆のため息がこぼれ続ける。

 ブルーレイなりDVDなりで、なぜに販売しないんだろ東映は?

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         カメラはパンしてさらに多数の木材と職人が映る

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    水路の筏、橋向こうの干されている木材……、素晴らしい描写の連打に見惚れる

 

火天の城』 2009

 安土城築城のハナシというので既に原作はだいぶんと前に読んでたけど、映画はさて? とこれまたamazon prime

 西田敏行の主人公や良し。椎名桔平の信長も悪くない。今やれいわ新撰組でしっかり時のヒトである山本太郎の鍛えあげられた上半身も素晴らしい。CGでの安土の山が次第に城郭になっていく様相も良い。エキストラもけっこう使い、重厚さもある。

 けど反対に、ダメ部分もいっぱい。

 戦国さなかの時代というに、信長配下の武士どもが江戸時代後半のサラリーマン化した役所仕事の連中にしか思えない描写にはガックリ。信長という希有な個性の配下の者どもがサラリーマンであろうハズがない。

 秀吉役の河本準一はまったく意味ないミスキャスト。

 主人公の娘(原作では男子だ)の描写にはゲッソリ。福田沙紀扮するこの娘だけが宙に浮き、登場シーンごとに映画が壊れてく。福田沙紀が悪いんじゃなく、この娘のキャラクター造りがひどすぎ。方言活用なし。今どきの髪形でオマケに付け睫毛。「男子に産まれりゃよかった」と嘆かせつつも着物は映画内イチバンにかわゆく女っぽく着させ、さらに糊がきいたみたいに綺麗過ぎ。これはたぶん、映画出資にイオン化粧品が入ってる関係上とは思われるけど、綺麗キレイが逆効果の噴飯腐臭もの……。

 この娘が好いていた死んだはずの若者がクライマックスに突如現れる脚本のエエ加減さには、怒りを越えてただ失笑。

 原作は原作、映画は映画。あくまで別なものだし、原作から何を引っ張り、何を

捨てるかで映画の厚み加減が知れるけれど、この映画脚本はひどく浅くすごく醜い。

 下のスチールみたいに良いシーンも散見するけれど、別脚本家+別監督で是非に再映画化してもらいたいねッ、題材が面白いんだから。

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関ヶ原』 2017

 原田眞人作品。映画館で観たさいにはストーリーを追っかけるのに懸命で、味わうというには遠かった。DVD購入後も観ずに過ごしてたけど、今回チラリ前半のみ。

 原田は観客に媚を売らない。特にセリフは極力に天然に聴かせようとする。一言一句すべては聞き取れない。だから良い。実際の我々の生活だって、しゃべってる相手の言葉すべてを聞き取っちゃ~いないんだ。ましてや東軍西軍いりまじり全国からヒトが集結なんだから国言葉、方言がとっ散らかって当然。

 木材にからむ題材じゃ~ないけど、関ヶ原の戦の混乱、その判りにくさを映像に定着させた稀な作品とボクは解釈する。要は観終えて、「判りにくい」と思えたらいいのだ。

 チラッと登場の、キムラ緑子扮するネネ(北政所)の早口方言が秀逸。そのわめくような高速な流れに、原田流のネネ像を見、愉しんじゃえばいい。座してジャジャジャっとしゃべくるだけに見せる彼女がある意味で関ヶ原の勝者……。

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梟の城』 1999

 今年の4月だかに福山に出向いたさい、「みろくの里」で久しぶりにこの映画のミニチュア・セットの城を再見。けっこう壊れてたんで哀愁をおぼえたけど……、こたび映画もついでダ~とDVDで再見。

 ケッタイな効果音を大袈裟に用いる篠田監督の老いっぷりが痛々しいが、忍者が大阪城の屋根で対峙するシーンのCGは、いいなぁ。CGのくせに屋根瓦の1枚1枚に躍動感がある。

 しかし、フフフ。やはり、何を演じても中井貴一。役になりきっていようが、いまいが、どこまで追っても中井貴一でしかないこの特異な役者が、あんがいボクは好きな方。中井貴一こちらでも言及

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 『壬生義士伝』2003 

 amazon prime で観る。新撰組のハナシ。主役は中井貴一だからフフフ。あんのじょう、中井貴一中井貴一。この中井扮する主人公を嫌いつつもその人格にうたれる佐藤浩市がすこぶる良い。木材とはまったく関係ない映画だし、個人的には新撰組って好みじゃないけども、京の都で暗躍した組の1部のヒトは明治になっても生きていて、その過去を引きずりながら晩年を過ごしている様相が佐藤浩市を通じて描かれ、けっこ~感慨深い。お江戸の時代から明治への大転換の悲哀が佐藤浩市の眼と肩のあたりで舞っていて、そこを感ずるとちょっと批判できない良性の何かが観終えても残る。

 ぁあ、でも主人公(中井)の死に至るシーンはひっぱり過ぎでダレダレ。

 あぁ、けど夏川結衣が2役演じてもいて、そこは文句なし。このヒトのふっくら笑顔には批判の余地なし。

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写真が反転してるワケじゃない。佐藤演じるのは左ききという設定ゆえに刀の位置が反対なだけ。

 

 って~~な次第で、講演の直前まで時代劇特集で眼を養っていたのでありんしたァ。