5月公開予定だった『燃えよ剣』が、ウィルス渦で公開延期。
原田眞人監督は残念がりつつ、昨年今ごろの撮影時の日誌の一部を急遽、公開してらっしゃる。
大きな支出で映画を創り、さ~これから全国映画館で収入をという時に断たれているんだから、内心穏やかであろうハズはないと推察するけど、映画を待っていたフアンへのせめてもの情報公開で延期期間をうっちゃって欲しいとのメッセージとも取れ、心遣いがきめ細かい。
昨年4月13日の土曜は撮影場所の京都への移動日。朝8時前に起床しご飯を炊いて、カレーのLEE辛さ10倍と生卵。_途中略_ ランチを「みちば」で食べ、15時ののぞみで京都へ向かう。
とある。
銀座の「みちば」は、『検察側の罪人』でキムタクが官僚の仲間と食事するシーンで登場した店。映画公開後はキムタク・フアンの”聖地”となり、赤いトマト1つ丸ごと焼いて中に何かはいってるのを、皆さんオーダーとか。
原田監督は朝っぱらからカレーだ……。
県外への外出前だから、炊いたご飯は1合か2合かな? 食べきれるだけの分量だったには違いないけど、朝、ゲキ辛のカレーだ。
映画監督の体力勝負な一面を垣間見るようで興味深い。
「みちば」には行けないけど、グリコのLEE辛さ10倍なら、どこでも手にはいる。
このレトルトは食べたことがなかったし、極度に辛いのも苦手だから敬遠してたけど、ちょっと模倣し、食べてみた。
LEE辛さ10倍が登場したのは1986年というから、ゲキ辛嗜好のヒトってのはケッコ~前からいるのだねぇ。
日本にカレーが入って来たのは安政6年頃、横浜港が出来て以後に英国からというのが通説。
けど、調理法については諸説あり。
当時の英国海軍が艦内メニューに採用したさい、スープっぽいのじゃ揺れでこぼれるゆえメリケン粉をカレーに混ぜて粘ばくしたのが、日本に根をおろしたという説もあって、なかなかホンマっぽい。
今はもうないけど後楽園(岡山の公園)に渡る鶴見橋のそばに「つるみ食堂」というのがあって、背の高いお爺さんが店主にしてコックだった。
そこのカレーライスが笑っちゃうほどにプルンプルンで、押すと弾力で戻ってくるホドのプルルンっぷりに、
「おわ~~、昔の感じぃ!」
大いに笑って食べたもんだったけど、辛さはさほどでない。というか、ほぼ辛くなく、むしろ甘い食感だったよう記憶する。色も茶というより黄色に近かったか。
どれくらい延期されるんだろうか?
明治の日本人が食べたライスカレー(カレーライスは昭和半ばになっての呼称)もまた、粘ばりがあって、きっと今ほどは辛くなかったろう、思える。
いっそ、そのプルンプルンな食感こそが日本での原風景としてのカレーであって、それがややハンナリと辛い……、という感じじゃなかったかしら?
そう空想するのだけど、いかんせん明治時代のライスカレーそのものが保存されていないんで、断言出来ない。
きっと、今の我々の舌はそれを喜ばないとも思える。
幕末までの日本にスパイスとしての辛味は、あんまり浸透していない。
梅干しの、酸っぱさの奥の辛さはあくまでも塩のそれであって、スパイシ~なものへの味覚は幼年期段階であったハズだから、いきおいそれをウエルカム出来たハズはないと、思える。
異る辛さだ。だからスパイスな辛さはう~んと抑制されていただろうと想像する。
Un plat de riz au curry japonais avec des tsukemono
WIKIMEDIA FRANCEに載ってる日本カレーの写真 冠詞の des は複数形 ツケモノが1枚でないと示してるワケですな
明治からはるか後年の昭和30〜40年代前半のライスカレーの事を思い出してみるに、天満屋デパートの大食堂でライスカレーにソースをかけて喰った少年時代の自分が映像としてホロホロ見えてくる。
カレーが辛くないからテーブルに置かれたソースで刺激を加えたワケだ。いや、違うなぁ。カレーにはテーブル・ソースをかけると思い込んでたか……。
ま~、その時は両親と一緒であるから注文されたのが「子供用」かもしれないけど、今やカレーにソースをかけるヒトは少ないでしょ……。私も使わない。ぁ、でも時々に醤油をかけたりはスル。
ともあれかつて明治人は、鮮烈と同時に”珍味”ではなく”美味”を感じたのはマチガイないだろうし、独特な匂いに”異国な風味”も感じたろう。そうでなくば、今につながるハズがない。
ご飯+おかず、という何皿かの面倒より1枚の皿で完結する仕様もオイシカッタに違いない。
それを合理とはいわなかったろうけど、最初からメシにかかっているというカタチの”機能美”には、たぶん心底感嘆したとは想像できる。
くわえて、匙(スプーン)で食べるという新体験も大きい。
つまみ上げるのじゃなく、すくって食べる新規に、自分もまた新規の一員になったような気を膨らませたようにも、思う。いわゆる文明開化の鐘のネがここでもこだました。
明治の西洋料理屋のカレーに入った肉は、さほど上等ではなかったハズ。肉質、流通、保存いずれも発展初期、2分ばかし噛んでもまだ噛み切れないような筋ばったのがケッコ~入ってたよう、思える。
しかし、その噛みきれないのを最後にゴックンしちゃうのもまた、醍醐味としてのライスカレーではなかったか?
また同時に、実はジャガイモも珍しいものだった。北海道を中心に国産化が進むのは明治も半ばになってからだから、明治前期のそれは渡来品だった可能性が高い。
船倉いっぱいにジャガイモを積んで日本にいけば大儲けというようなコトもあったに違いなく、事実、築地・横浜・川口・神戸・箱根・長崎の外国人居留地に軒を並べた西洋人による西洋人のためのホテルではポテトは必需。となればジャガイモの末端価格も高くなる。
あちゃらこちゃらで日本人がはじめた西洋料理屋では、当初はイモがゴロゴロ入ってるライスカレーではなくって、匙で探ってやっと、
「おっ、ジャガイモみっけ」
という推察も出来る。
ま~、このあたりの詮索は、タイムマシンで当時に出向いてテーブル客になるしかないが、すくなくともLEE辛さ10倍とは別物、初代のホンダの二輪と今のそれとを較べると進化の急勾配に驚くみたいに。
とそれにしても、いまさらじゃ~あるけど、LEE辛さ10倍、舌先のチビッと奥側あたりが痺れ、その左右が妙にホットな感じになって水面の波紋みたいに拡散してくの……、クセになるね1度味わうと。
クセになるといえば……、政府支給の御一人サマ10万円って、そのあとは、ダイジョウブかな?
感染おさまらずで”自粛”が長期に渡ったさいの国民への再支援策って、あるんかしら?
ドイツやカナダや英国やフランスもいずれの国も財政が潤沢じゃ~ないにしろ、期間が長引こうが自粛と補償支援をセットしての対応の厚さと速度があってクセになりそうなのに、「スピード感をもってすみやかに」な舌先さえずり国との差を思うと、空恐ろしい。本日ただいまの日銭が入らない飲食店などの方々の痛苦をどれっくらい理解してるのだか、そこを思うと煮やされる。
甘口でも辛口でもなく、ただもう喰えない代物の舌先政治は、滑稽劇みたい。
『シタノサキサンスン・アベノジゴク』ってなお芝居があってもイイ。
けど、誰もそんなもの、みたくもないでしょうよ。日々そのジゴクに接してるんだから。