稗田礼二郎のフィールドノートより

 ウィルス騒動が全国区になってからというもの、何だか時間の経過がのろい。

 いつも時間が高速でとっとと過ぎてく思いでいたから、いささか妙。

 要は、停滞を肌が感じとってるワケだ。

 だから必然に時間が遅々・チチっと遅いと感じちゃう。

 1つには、ミュージアム展示予定20日から休館だ)で進めていた模型製作が騒動で中止になっちまったんで、集中すべきな時間が突然にポッカリ空白。

 時間に余剰が生じてしまった。

 そのぶん層が厚くなったというか、1mだった距離が1m数10cmに延びちゃって、その数10cm分、のろく感じているというワケなんだろう。

 こういう時は、ポジティブに事態をとらえ、余剰が出来たぞ、しめしめ、これは良い機会を得た、なんぞ有功に使ってやろうというコトになるのが普通なんだけど……、いま、普通でない。

 どこにもいけない。

 人ともあえない。

 スーパーの棚は微かだけど隙が出来、製造なり仕入れに支障がきたしてるのが、遠火のようにチラチラしてる。

 個人時間も社会時間も共々、チッ・ちっ・遅ッ、秒針回転が遅い。

 

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 映画館も軒並み休館……。

 大手のシネマ複合館に追いこくられ、そうでなくとも客足が少なかったメルパ岡山(ボクが好みにしている映画館です)は、

「岡山の皆さん どうか助けて下さい!」

 緊急支援を口にしてらっしゃる。

 ジョ~ダンきつい状況は冗談でない現実であって、この叫びはホントに酷烈。

 ホームページではあえて羞じも外聞もこらえ、■ メルパお助けチケット ■ を買ってくれるよう声をあげてらっしゃる。

 既に休館になってるけど、1階の窓口でこのチケット(1枚1000円で1年有効の入場券)を販売している。

 危機をのりきって欲しい。全席自由席の自由な映画館を応援する。

 

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 もちろんメルパ岡山だけじゃ~ない。個人商店の多くが”今そこにある危機”に直面し、酸欠で水面で口をパクパクさせて喘いでる金魚みたいなアンバイ。

 気が気でないけど自分に出来ることは極小。イジイジするばかりだけど極小のプレパラートの中で極大に両手両足を拡げて突っ張っていよ~。

 

 ここ1週間ほどは、ベッドに入るや諸星大二郎を読む。

 次いで、DVDで映画1本。

 異端の学者・稗田礼二郎を主役なり関連キャラクターにした一連の作品群。

 出版社はこれに”妖怪ハンター”というベチャな副題をつけてるけど、作者諸星は大いに不満らしく、単行本『海竜祭の夜』のあとがきにグチをこぼしてる。

 その気分、とっても良く判る。

 主人公は妖怪を狩猟してるワケでない。民族学と考古学の森林の奥の奥に深入りするゆえに怪異に巻き込まれ、魑魅なモノに出会ってしまっているというのがカタチの基本。

 だから作者自身は「稗田礼二郎のフィールドノートより」と副題をつけてらっしゃる。

 

 どの短編も傑作。万人が諸手をあげて耽読する内容じゃないけど、はまってしまうと、もう抜け出せない。

 着想、話のはこびかた、絵、いずれも弩級。わけても着想が常に高水準。想像の飛ばせ方に圧倒されっぱなし。

 

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 このシリーズは過去に2度、映画化されている。

 1本は沢田研二が稗田を演じた『ヒルコ』。

 ビデオレンタルというカタチの商いがスタートした頃の作品で、当時、VHSでなくベータ版を借りた。

 まだジュリーがスリムな体型であった頃の作品。なので随分と前の映画だね。

 原作にはないキャラクターの肉付けがあって、沢田演じる稗田はゴキブリが超苦手。その黒い姿を部屋に見るや狂乱してフマキラーをスプレーしまくって大騒ぎ。その滑稽味がけっこう良かったけど、いかんせん今はDVDも絶版。中古品にプレミア価格がついて1万くらいする。

 再見しようがない。

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 もう1本は『奇談』。シリーズ初期の『生命の木』が原作で阿部寛が稗田を演じる。

 これをこたび、はじめて観る。

 原作の稗田は髪が長いけど、阿部ヘア~は短髪。ビジュアルが違うけど構わない。いい味だしてた。

 けど本作は、原作にない女性キャラクターを創り入れたことで、主題に添わない話との二重路線になって逆にハナシがもつれ平坦、かつ説明的になっちまってる。

 その上、大学院生らしき女性を演じてるこの女優の演技が、演技以前でいけない。

 カメラを首から下げて寒村を歩くシーンでは、人さし指が常にシャッターボタンの上でコの字に凝固していて、見ているだけで痛々しい。

 ぎこちなくて硬く、出てくるたび、お芝居してま~すって感じで居心地悪い。かわいいから許しちゃう……、という気はおきない。

 唯一、浴衣で寝具に入って眼をつむって眠ろうとするシーンだけはホントにかわいくてチャーミングだったけど、ね、寝っ。それじゃ~ダメでしょう。

 彼女が悪いのじゃない。撮影に不慣れと思えるこのコをちゃんと導けない監督が、ダメ。

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 プロジェクターで観たけど、これは、小さいTVスクリーンで見た方が良いんじゃなかろうか。音作りも大仰で作り物じみ、全体に音のバランス悪過ぎ。

 良い点数はさしあげられない。

 という次第で、またベッドに寝そべり原作の方を食む。

 

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 去年の4月25日、原田眞人監督とそのクルーは『燃えよ剣』の撮影のため、津山にいる。

 津山鶴山公園の高い石垣を五稜郭に見立て、岡田准一土方歳三がそこにいる。

 津山市は市長を筆頭にビッグ・ウェルカムで歓待。監督の回想によれば、

「牛そじり鍋、ホルモンうどん、牛肉メンチ、おにぎり、美味。映画人へのローカルのサポートは嬉しい」

 とのこと。

 ウィルス騒動が終わってメルパ岡山で同作が公開されたらイチバンで観にいきたい、な。津山での撮影がどのようにCGが加えられて背景が北海道に変じてるのか、興味ワクワク沸きまくり。

 岡田はこの津山でのロケが出番のラストだったらしい。津山で締めくくりか……。岡田にとっては感慨深い地となってくれたらイイな、我が故郷ゆえ。

 ちなみに津山在住中はホルモンうどん、食べたことない。母親の実家の隣りがホルモン焼きの店だったに関わらず。

 

 

LEE辛さ10倍

 5月公開予定だった『燃えよ剣』が、ウィルス渦で公開延期。

 原田眞人監督は残念がりつつ、昨年今ごろの撮影時の日誌の一部を急遽、公開してらっしゃる。

 大きな支出で映画を創り、さ~これから全国映画館で収入をという時に断たれているんだから、内心穏やかであろうハズはないと推察するけど、映画を待っていたフアンへのせめてもの情報公開で延期期間をうっちゃって欲しいとのメッセージとも取れ、心遣いがきめ細かい。

 

昨年4月13日の土曜は撮影場所の京都への移動日。朝8時前に起床しご飯を炊いて、カレーのLEE辛さ10倍と生卵。_途中略_ ランチを「みちば」で食べ、15時ののぞみで京都へ向かう。

 

 とある。

 銀座の「みちば」は、『検察側の罪人』でキムタクが官僚の仲間と食事するシーンで登場した店。映画公開後はキムタク・フアンの聖地となり、赤いトマト1つ丸ごと焼いて中に何かはいってるのを、皆さんオーダーとか。

 原田監督は朝っぱらからカレーだ……

 県外への外出前だから、炊いたご飯は1合か2合かな? 食べきれるだけの分量だったには違いないけど、朝、ゲキ辛のカレーだ。

 映画監督の体力勝負な一面を垣間見るようで興味深い。

「みちば」には行けないけど、グリコのLEE辛さ10倍なら、どこでも手にはいる。

 このレトルトは食べたことがなかったし、極度に辛いのも苦手だから敬遠してたけど、ちょっと模倣し、食べてみた。

 ご飯は炊かず、ヤマザキライ麦パンでいただいた。

 LEE辛さ10倍が登場したのは1986年というから、ゲキ辛嗜好のヒトってのはケッコ~前からいるのだねぇ。

 

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 日本にカレーが入って来たのは安政6年頃、横浜港が出来て以後に英国からというのが通説。

 けど、調理法については諸説あり。

 当時の英国海軍が艦内メニューに採用したさい、スープっぽいのじゃ揺れでこぼれるゆえメリケン粉をカレーに混ぜて粘ばくしたのが、日本に根をおろしたという説もあって、なかなかホンマっぽい。

 

 今はもうないけど後楽園(岡山の公園)に渡る鶴見橋のそばに「つるみ食堂」というのがあって、背の高いお爺さんが店主にしてコックだった。

 そこのカレーライスが笑っちゃうほどにプルンプルンで、押すと弾力で戻ってくるホドのプルルンっぷりに、

「おわ~~、昔の感じぃ!」

 大いに笑って食べたもんだったけど、辛さはさほどでない。というか、ほぼ辛くなく、むしろ甘い食感だったよう記憶する。色も茶というより黄色に近かったか。

 

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             どれくらい延期されるんだろうか? 

 

 明治の日本人が食べたライスカレー(カレーライスは昭和半ばになっての呼称)もまた、粘ばりがあって、きっと今ほどは辛くなかったろう、思える。

 いっそ、そのプルンプルンな食感こそが日本での原風景としてのカレーであって、それがややハンナリと辛い……、という感じじゃなかったかしら? 

 そう空想するのだけど、いかんせん明治時代のライスカレーそのものが保存されていないんで、断言出来ない。

 きっと、今の我々の舌はそれを喜ばないとも思える。

 幕末までの日本にスパイスとしての辛味は、あんまり浸透していない。

 梅干しの、酸っぱさの奥の辛さはあくまでも塩のそれであって、スパイシ~なものへの味覚は幼年期段階であったハズだから、いきおいそれをウエルカム出来たハズはないと、思える。

 異る辛さだ。だからスパイスな辛さはう~んと抑制されていただろうと想像する。

 

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      Un plat de riz au curry japonais avec des tsukemono 

WIKIMEDIA FRANCEに載ってる日本カレーの写真 冠詞の des は複数形 ツケモノが1枚でないと示してるワケですな

 

 明治からはるか後年の昭和30〜40年代前半のライスカレーの事を思い出してみるに、天満屋デパートの大食堂でライスカレーにソースをかけて喰った少年時代の自分が映像としてホロホロ見えてくる。

 カレーが辛くないからテーブルに置かれたソースで刺激を加えたワケだ。いや、違うなぁ。カレーにはテーブル・ソースをかけると思い込んでたか……。

 ま~、その時は両親と一緒であるから注文されたのが「子供用」かもしれないけど、今やカレーにソースをかけるヒトは少ないでしょ……。私も使わない。ぁ、でも時々に醤油をかけたりはスル。

 

 ともあれかつて明治人は、鮮烈と同時に珍味ではなく美味を感じたのはマチガイないだろうし、独特な匂いに異国な風味も感じたろう。そうでなくば、今につながるハズがない。

 ご飯+おかず、という何皿かの面倒より1枚の皿で完結する仕様もオイシカッタに違いない。

 それを合理とはいわなかったろうけど、最初からメシにかかっているというカタチの機能美には、たぶん心底感嘆したとは想像できる。

 くわえて、匙(スプーン)で食べるという新体験も大きい。

 つまみ上げるのじゃなく、すくって食べる新規に、自分もまた新規の一員になったような気を膨らませたようにも、思う。いわゆる文明開化の鐘のネがここでもこだました。

 

 明治の西洋料理屋のカレーに入った肉は、さほど上等ではなかったハズ。肉質、流通、保存いずれも発展初期、2分ばかし噛んでもまだ噛み切れないような筋ばったのがケッコ~入ってたよう、思える。

 しかし、その噛みきれないのを最後にゴックンしちゃうのもまた、醍醐味としてのライスカレーではなかったか?

 

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 また同時に、実はジャガイモも珍しいものだった。北海道を中心に国産化が進むのは明治も半ばになってからだから、明治前期のそれは渡来品だった可能性が高い。

 船倉いっぱいにジャガイモを積んで日本にいけば大儲けというようなコトもあったに違いなく、事実、築地・横浜・川口・神戸・箱根・長崎の外国人居留地に軒を並べた西洋人による西洋人のためのホテルではポテトは必需。となればジャガイモの末端価格も高くなる。

 あちゃらこちゃらで日本人がはじめた西洋料理屋では、当初はイモがゴロゴロ入ってるライスカレーではなくって、匙で探ってやっと、

「おっ、ジャガイモみっけ」

 という推察も出来る。

 ま~、このあたりの詮索は、タイムマシンで当時に出向いてテーブル客になるしかないが、すくなくともLEE辛さ10倍とは別物、初代のホンダの二輪と今のそれとを較べると進化の急勾配に驚くみたいに。

 

 とそれにしても、いまさらじゃ~あるけど、LEE辛さ10倍、舌先のチビッと奥側あたりが痺れ、その左右が妙にホットな感じになって水面の波紋みたいに拡散してくの……、クセになるね1度味わうと。

 

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 クセになるといえば……、政府支給の御一人サマ10万円って、そのあとは、ダイジョウブかな?

 感染おさまらずで”自粛”が長期に渡ったさいの国民への再支援策って、あるんかしら?

 ドイツやカナダや英国やフランスもいずれの国も財政が潤沢じゃ~ないにしろ、期間が長引こうが自粛と補償支援をセットしての対応の厚さと速度があってクセになりそうなのに、「スピード感をもってすみやかに」な舌先さえずり国との差を思うと、空恐ろしい。本日ただいまの日銭が入らない飲食店などの方々の痛苦をどれっくらい理解してるのだか、そこを思うと煮やされる。

 甘口でも辛口でもなく、ただもう喰えない代物の舌先政治は、滑稽劇みたい。

『シタノサキサンスン・アベノジゴク』ってなお芝居があってもイイ。

 けど、誰もそんなもの、みたくもないでしょうよ。日々そのジゴクに接してるんだから。

 

 

4月なかば

 早やもう4月も半ば。

 1月1日元旦に、この4月の様相を予想したヒトはいない。

 ま~、だからこそ未来は「未定が来る」わけなのだし、いっさいが判るなら未来という字はふさわしくなく、確来とでも書いた方がおさまりがイイ。

 

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      数日前の雨の日曜。夕刻の岡山駅前。ほぼ人影なし。

 

 ときどき思いだしたみたいにJ・G・バラードの『狂風世界』を読み返す。

 寝間での拾い読みじゃ~あるし、今となっては古っぽい部分も散見するけど、全地球的に風が吹き出し、強風は狂うばかりの怒濤なものに変じて止まないという設定に、魅かれてる。

 人は右往左往し続け地下に潜るしかなく、経済も何もあったもんじゃ~ないパニックが描かれるけど、人知を超えて解説不能な狂風、というその一点が今なおピカピカ光って秀逸。

 ヒトにとっての破滅の事態。ヒトの私感を超えてしまった世界に突入した中でのヒトの存在が消え入るほどに小さいことに一種の被虐的滅びの美……、みたいなものすら感じてるのは深読みが過ぎるだろうけど、猛り狂う風に妙な美しさを感じて久しい。

 この小説は、前触れなく唐突に、風が止むところで終わる。

 まさに「未定が来た」わけなのだ。

 それが一時的な休止符なのか、嵐が去った終止符なのかは判らない。

 その突然な終わり方も、くすぐられる。

 

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 過日の夜。ごく小さな会食。

 食事中、2度、パトカーが「自粛要請」をアナウンスして通り過ぎる。

 窓外の暗い影みたいなそのスピーカー音声は不穏を、煽る。

 確固たるものなき明日への焦燥がそれには搦んでるわけで、どうにも鬱陶しい。

 まっすぐな感染防御策ではなく、経済優先擁護みたいなアンバランス政策に知らず巻き込まれていると思えば、鬱陶しさの半分はウィルスのそれでなく二次災害としてのグラグラ政治が原因とも感じる。

 

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           最高ゲキ美味のメイン・ディッシュ。アスパラの橋渡し。

 

 明暦3年(1657)3月2日から4日にかけての火事(明暦の大火)で江戸中が丸焼けた。大名屋敷や江戸城天守閣までが焼け落ちた。

 震災と空襲を除き日本最大の火事といっていい。死者は10万人ともいう。

 この大災害にさいし、まだアチコチに煙がたってるさなか、幕府官僚は天守再建をイチバンにとアタフタうごめいた。

 徳川幕府の威信にかかわるというわけだ。

 けど、幕僚トップの大政参与(3代目将軍光之と4代目家綱の補佐)たる保科正之は、

「アホか」

 と怒声し、一蹴。

 閣僚(老中)酒井忠勝松平信綱に命じ米蔵をひらかせ、焼け出された江戸市民に食料を供給。

 当座の生活補償を率先した。

 さらに材木の価格統制をおこない、復興資材の便乗値上げをさせなかった。

 米を他藩から幕府そのものが買い付けもした。そのため、焼けた江戸には米がいっぱいということで、米価がさがって市民は大火前より安く買えた。

 次いで防火強化のため市内の主要道路幅を倍に拡張、両国や上野に広小路(火除けの空き地・公園という概念はまだない)を設け、さらに隅田川神田川の合流地点そばに両国橋を作って対岸への避難路を拡大。市街が再建された後も天守閣造営はおこなわなかった。

 だから今も皇居に天守はない。

 これら政策のために財政は逼迫した(次の将軍綱吉の時代まで財政再建の苦労が続く)

 けども市民あっての江戸というコトを保科はクッキリ認識できていた。支配者の威厳より市井再建を前面に押し出したことで、江戸市民は保科政策に共感した。賛同し、新たな防災都市計画に共同戦々みたいに共鳴した。

 保科は、納得できる未来像をみせたわけだ。

 

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                      保科正之

 

 こういうリーダーが今この国にいないのは不幸の上塗りだ。

 (現政権支持者が4割もいるのは摩訶不思議だけど……)

 けどまたウィルスそのものはゲンに存在し猛威進行中。

   誰が・いつ・どこで・悪いクジを引くか

 参加したくもないゲームに連れ込まれてるわけで、結局は「堪え難きを耐え……」とお部屋で悶々しているのがイチバンかもという諦め含みな『自衛』になってく……

 その諦めと、国家が国民に補償を云い出さないコトの諦めは別モンだ。シャクにさわるけどね。

『狂風世界』みたいな突然のの終焉を、内心ひっそり希望する次第。

 

地球の長い午後

 

 具体策とぼしく迷走に継ぐ迷走の地域限定-「緊急事態宣言」が出された日の夕刻、苦渋感たっぷりの連絡あり。

 6月予定だった某ミュージアムでの某展示企画の縮小と、会期中に予定した公開対談を中止したいとのこと。

 鉄道史にからむ対談企画でもありノリキだったけど、仕方ない。大勢が集まるわけだし、ライブ中止と同じ構図……。

 そういう次第で展示予定の某模型作業も停止。というか、これはボツだろね。

 

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 補償を考えたりはしない。しないけど、こういったイベント縮小なり中止を個々の施設がその責任者の裁量でもって判断しなきゃ~いけない状況を繰り出してる日本政府の頼りなさが、歯がゆい。 

 8月スタートのやや大きめなシンポジウム企画も用意されつつあるけど、これとて騒動の進捗によっては延期の2文字が明滅する……。ぅむむ。

 

 収束を待つしかないけど、TVに出るたび「3密-密閉・密集・密接)」を呪文みたいに唱えてばかりの都知事も如何なものか? ただもう自己陶酔っぽい主張の、自己顕示の方がめだってしかたない。マスク着用での画面を意識して目元の化粧を一段に濃くしているあたりに、このヒトの本質がチラチラ垣間見える。

 緊急事態宣言から洩れてる地域に住まっていても、その3密はある種の効果はあるだろうけど、この非常時の根本を指してはいない。これはいわばニュータイプなウィルスに対しての「村八分シメダシ対応」の1つであって、全てでない。

 政府が布マスク2枚配布に費やす費用は、466億円。ついこの前まではその半分233億円といってたはず。何とも忌まわしい。即効で中止すべきを要請の代表例だろう。

 

 しかしウィルス跋扈は、一歩誤たれば、人類滅亡の引き金になりうる険悪な事態が絵空事でないのを示してくれてるワケでもあって、そこを考えると感慨深い。

 人類史の一面は顕かにウィルスとの戦闘史でもあって、カミュの『ペスト』を読まずとも、侵略と抵抗の端境でのヒトの存亡という危うさは、判る。

 

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 この先、似通う事例が生じ、しかもそのウィルスが圧倒的に強靭でヒトが呆気なく没するようなものであるなら……、というようなSF的未来を思うなら、人間がいなくなったこの地球で勢力圏を拡げるのは、ほぼ間違いなく植物でしょうな。

 ヒトが残した温暖化が恩恵となり、アレやコレやソレが芽を伸ばし、葉を繁らせ、もはや引っこ抜かれる心配など皆無。

 伸びに伸びてたちまちに灰色のコンクリートをグリーンに染めるに違いない。

 コンクリートアスファルトもやがて侵食にやぶれ、早くて10年、遅くとも50年後には、解体されて土に同化し始める。酸化しにくいステンレスとて水温25度環境で100年前後で劣化するというから、グリーン世界にあっては微細な異物でしかない。

 その緑の上で多数の獣たちが喰うや喰われずやの攻防を繰り返すけど、地上の覇者はやはり植物以外にない。

 

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      ヘデラ(つた)にドアノブの認識なし。開け閉めしないと数ヶ月でこうなる……。

 

 以前にも触れたけど、ブライアン・W・オールディスの『地球の長い午後』を読む限りでは、その植物とて環境に応じて次第に姿カタチを変えていき、進化するものも出てくる。

 蝿獲草(ハエトリグサ)みたいなのが、より巨大化と強靭化を進め、猪1匹くらいはペロリ……、みたいなのが、現れないという確証はない。

 

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 同族の樹木が根っこだか葉で連絡を取り合い、云わば狩猟するように猪を追い詰めて退路を断ち、1匹がペロリすると、その養分を根でもって同士に分け合うというような、知恵がついたのではなく”種族として生きる機能”が強化したのが現れないという確証はない。

 

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 チェルノブィリのあれはコンクリートで石棺状に固め、近年さらにそれを覆う構造物が出来てるけど、それとて未管理で放置すりゃ徹底した根気で植物が浸透し、穴があき、穴は拡大し、結果、法外な放射能が何100年単位で拡散する。

 穴をうがった植物は死滅するか奇形化するだろうけど、それを養分にさらに続々と何らかの植物が覆っていく。

 今は原子力発電所の近くまで「観光」が出来、破裂後の一帯が自然の宝庫のように見えはするけど、草木樹木はその体内にセシウムやらを蓄積し続けている。半減期を50年ほどに見積もっても数100年単位で管理なき場合の顛末は、今のところ誰も予想できない。

 

 あれこれ想像するとケッコウ恐ろしい。けど、ま~、その時に人類はいないわけだから、恐ろしがっても意味はない……。

 奈良の大仏復興時、それを覆う大仏殿を重源が再構築出来たのは、当時、今の山口県の山奥にまだ50mクラスの檜の大木があったから作れたワケで、そこまで育っていたのは逆にいえば、ヒトがそこに寄りつけなかったからだ。

 ヒトがいなくば、樹木も草木もいずれもが徹底的に繁茂する。大地を埋めつくすと同時に陽光を求めてどんどん背伸びもする。

 

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 CNNが伝えてたけど、スコットランドの作家ピーター・メイは2005年に『Lockdown』という小説を書いた。

 鳥インフルエンザに着想を得て、ロンドンが都市封鎖を迫られる過程を描いたそうな。

 けども出版社は、

「極めて非現実的で不合理な内容」

 として出版のゴー・サインを出さなかった。

 そんなコトになるワケがない、という次第だった。

 それで作家も、この作品のことをコロリと忘れてた。

 ところがこたびのウィルス騒動だ。

 出版社は大慌て。今月4月30日に出版するそうだ……。

 

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 要は、”常識は常識としての鮮度維持が難しい”わけなのだ。

 非常識が常識をひっくり返すわけだ。

 ま~、その意味では某首相のヨメさまなんぞも、たとえ彼女がホンマのアホ~であってもこの先もがんばって非常識を続けてりゃ、多くは「アキエてものが云えない……」でも、1つくらいはヒットするかも、しんない。

 

 という次第で彼女をみならい、昨日、わが輩も非常識に挑戦。

 賞味期限が切れちゃってた、無印良品のレトルト、食べちゃった。

 なんだかやたら、うまかった。

 諸君も、食ってみ。

 と・は・い・わ・な・い

 非常用にと備蓄した食品って、賞味期限が、モ・ン・ダ・イ、ね。

 知らず非常食が非常識食に化けてる。

 なのでアナタもキッチン棚は要チェック。

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週末ダラダラ

 ウィルス騒動のさなかで植樹したリスボン・レモンは、葉が萎れるような兆候もなく、根下ろし初期段階としてホボ順調のように、見える。

 すぐそばに、抜き取ったユスラウメの木の根っこ部分をあえて置き、日々、両者をチラリと眺めてる。

 ユスラウメのその太さにまでレモンが成長するには、モモクリ3年以上の歳月がかかるはずだから10年先の夢物語じゃあるけれど、ドリームでないリアルをまのあたりに出来るのは小さな幸であるには、違いない。

 植樹して2週間ほどだけど、打算、忖度、遠慮……、そういったチマチマな世情と関係ない1ケの生命力の育ちに、ただもう眼を細めるようにして接していられるのは、喜びだ。

 温かくなるに連れて香りが立って、クロアゲハとかの蝶なんぞが葉を齧りに詰めよってくるらしいから、そこの回避策など難儀も含めてのお愉しみって~ワケだわさ。

 

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          左がレモン。ミニ垣根の右が抜き取ったユスラウメ

 70年代から80年代にかけての洋楽を聴くに、

Dream Come True

 歌詞の中にけっこう頻繁に「夢はかなう」な一語が出てきて感慨深い。

 近年はそう単純にこの一語を出せない切羽な詰まりがあって、未来のバラ色めく展望が開けない気分がこの使用を抑制しているとも思え、「歌は世に連れ……」を思い起こされる次第ながら、弘田三枝子だかザ・ピーナッツに『レモンのキッス』という曲があるのを思い出した。

 たしか弘田には、

 月の光よ 今宵レモンの海に

 恋しい面影 浮かべて見せとくれ

  という出だしではじまる曲があったハズなんだけど、今、曲名がアタマに浮かない。

 レモンというのは歌にしやすいのかな?

 同じスっぱ系なのに、ハッサクやブンタンは歌われないなぁ。

 船のデッキであのコにキッスしたら

 ぁぁ ぁは~ん 

 ハッサク香って ク~ラク

 センチュウハッサク ク~ラク

 てな歌、……聴きたくないか?

 な・い・ね。

 

 週末、呑みに出ようかどうしようかと躊躇のあげく、部屋にたれこめる。

 きっとそういうヒトが多いだろう、今は。

 でもって政府対応のトンチンカンなニュースにさらにゲンナリと。昨日のニュースでは、検査実施を増やさない日本政府にシビレをきらし、さすがの米国も在日の自国民にむけて、「日本を出なさい」との勧告を出したとか……。

 

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                    ネットで拾った画像

 

 グラスに氷とファイネスト。チェィサーに麦焼酎の野菜シューズ割り。交互に啜りながら、Blu-rayのメイキング映像集だけを眺める。

 ふだんこの手の付録はあまり観ないから妙に新鮮。

 

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007スペクター』の巻頭、ダニエルがビルの端っこを歩き、ビルからビルをまたいでいく冷や冷やシーンは 大掛かりな合成だと思ってたら、ま~、ホントに演ってたのね。驚いた。

キングスマン:ゴールデン・サークル』はウィルス感染とそれを消滅させる新薬製造をめぐる話ながら、エルトン・ジョンの奇っ怪な演技に加え、前作同様ブラックなコメディっぷりがたっぷりでお気に入りだったけど、メイキングを眺めるに監督の真摯っぷりが鮮烈。

 70年代のモンティ・パイソンの頃から英国風ブラック・ジョークのグロテクスぎみな感触にはたえずコッソリ、

「?」

 ボクちゃんにゃ判らんなぁ~、の「それってやり過ぎなんじゃ~ない」感が拭えないのだったけど、少なくともメイキングを観るかぎり、そのやり過ぎに向けて実に大まじめに取り組んでいるらしきがクッキリで……、さ~さ~、いよいよ英国仕込みの黒味ジョークが判らない。

 常々に、靴を脱がない土足文化というコトを考えてたけど、ブラックなジョークも、なんか、そんな所から……、笑いの毛細根そのものの育ち環境が違ってるような、気がしていけない。

 

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 芥川龍之介は『かちかち山』の文末を、

 童話時代の明け方に、−−−− 獣性の獣性を亡ぼす争ひに、歓喜する人間を象徴しようとするのであらう、日輪は、さうして、その下にさく象嵌(ざうがん)のやうな桜の花は。

 と、結んで同作を実にエレガントにまとめあげてたけど、その「獣性」の中のユーモアというものにもう少し接近したいと思うものの、これがなかなか難しい。

 靴を履いたままで己れのベッドに寝っ転がるコトが出来ない以上、日本的獣性にとどまることしか出来ないワケで、シューズ履いたままベッドインは野蛮にしか見えず、そのあたりの感性から来るであろうユーモアもまたうまく解せない。

 ま~、その解せないところが面白くもありで、前作『キングマンシークレットサービス』での末尾、悪人どものアタマが続々に吹っ飛んでカラフルなキノコ雲がこれまた次々に沸きあがるシーンの妙味は……、強硬に婉曲するなら芥川の云う「象嵌のやうな桜の花」のようでもあるが、決定的なところで何かが違う。

 

 ってな事いってるうちに夜が更ける。

 「ふける」って語は、耽る、酖る、蒸ける、老ける……、けっこう用法有りだけど、意味するところ、いずれも”進行形”なのが、お・も・し・ろ・い。

ちがった言葉 ~言葉と歩く日記~

 5〜6日ほど前に河野太郎の、

「なぜカタカナで言うのか」

クラスター・集団感染、オーバーシュート・感染爆発、ロックダウン・都市封鎖ではダメなのか」

 が、話題になったけど、確かにその通り。人物には好感しないけど、この発言にかんしては二重丸。もっと強く云っていい。

 馴染みない英語より日本語の直球がダントツに判りよいし、危機を皮膚で感じられる。

 母語であることがこの場合、優先される言葉と想う。

 

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 昔々、中学1年だか2年の時、はじめて足がつった。どっちのアンヨだったか忘れたけど、ともあれ、ギュ~っと締まってくる激痛に呻き、

「これが、あれか~ぁ!」 

 即座に了解した。

 こぶらがえり

 この5文字は高校生になっても活き活きに生きた。

 コブラ返り、とはよくつけた名だと感心もした。かま首もたげた凶悪なスネークの首と胴体が我がアンヨのふくらはぎと結ばれて、まさに皮膚的だった。

 

 それが大間違いのコンコンチキと判ったのは20歳を過ぎてからではなかったか?

 コブラなんかじゃ~ない。

 こむらがえり

 が正しい。

「あらま~」

 驚くと共にかなり羞恥をおぼえもした。

 その羞恥はその時のシュ~チでなく、過去の己のが身への羞ずかしさだったから、妙なアンバイに恥辱めいた。

 だどもオラ~、そこから先を調べるこたぁ、しなかった。

 調べたんは、それから20……、もう40も半ばになってからのことだった。

 

」と書いて「こむら」と読む。ふくらはぎのコトをいう古語なのだった。

 よって毒蛇のそれとはまったく無関係だし、外来語でもなんでもなかった。

 そこでまた羞恥した。

 知らんこと多いなぁ、とグッタリし、焼けたアスフェルトの上を迂闊に進もうとしたスネークみたいにクネクネ身をよじらせた。

 

 こういうマチガイは誰にでもある。

 カマイタチというのが、イタチの一種だと思いこみ、「日本の動物園にはいないね~」と本気でかつて云ったヒトもいる。

 

 三十路を、老婆を指す単語と思い決めてたヤツもいる。

 ミソジという音と、女性を指すらしき使用方に、味噌臭いような濃い生活臭で疲弊しきった老女のコトだと、このヒト(大学時代のK君だけど)は勝手に信じ込んでたワケで、正しいのを教えた時にゃ、

「嘘つくなっ」

 と、怒ってた。

 その後、彼がチャンと調べて、自身の大間違いに気づいてくれたかどうかは、知らない。卒業いらい会ってもいないし、安否情報の取得のすべもない。

 味噌路ババァを抱えたまま死んじゃってるかもしれないし、三十路のいいのに出会い、ウフッ♡、ラブリ~エブリ~な生活エンジョイをやってるんかも知れない。

 

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 多和田葉子がエッセー『言葉と歩く日記』で、こむらがえりに言及しているのには、かなり驚いた。

 これほどの言葉の探究者、発想を八艘飛びで跳躍できるヒトが、ボク同様にこむらがえって、その「腓」を岩波の古語辞典ひいて初めて知ったさいの気分を綴ってらっしゃる。

 が、しかしそこは文学の先鋭者、実に巧みにその事実と感想を記され、さらに別ページでは「感想」という単語にクエスチョンを投げかける。

 その辺りの掘り下げ深度をまのあたりにして、奇妙なほどに嫉妬が沸きあがり、それでまたボクは羞恥をおぼえてた。

 

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                岩波書店の「古語辞典・補訂版」より

 

 サライ.jp の「暮らし」項目で教育学博士の晏生茉衣(アンジョマリイ)女史が「クラスター(cluster)」という単語を解説しているのを読んで、そのこまやかな解説は解説として実にありがたかったけど、

 

感染者集団としての「クラスター」は、一気に私たちの日常用語になった感があります。

 

 との、平坦な観察による「感」には感心しなかった。

 その単語をウィルス騒動のさなか最初に耳にしておぼえたのは、「一気にワケわかんなくなったぞ~」という混乱と困惑であって、

「非日常な用語のさいたるモノ。ややこしいのが進行してるのに、さらにややこしくするなよ~」

 との「感」なのだったし、ましてそれを日常語にしなきゃ~いけない性質なんてどこにもない違和だったもんだから、言葉によるこの侵食にも感染爆発的な危なっかしさをおぼえるんだった。

 

 違っちゃった言葉事例として、先の多和田さんの本ではお住まいのベルリンの町にオープンしたドイツ人経営の寿司屋のメニューを紹介されてた。

 

 VORSPEISE 前菜

 HOSO MAKI ニッポン放送 

 NIGIRI     寿司

 

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      多和田葉子『言葉と歩く日記』岩波新書 83ページの画像

 同氏はこのケッタイな「ニッポン放送」について頭をひねって、推察する。

 

 このメニューは、寿司屋さんが自分でデザインしたのか、それともグラフィック・デザイナーに頼んだのか知らないが、つくった人は日本語が全くできない。それでもオンラインの辞書を使えば、装飾用に日本の文字を見つけられるだろうと想って、「Sushi」と入力すると、「寿司」が出たのではないか。それから、「Temaki」と入れると、「手巻き」が出た。ここまでは良かった。次に「細巻き」の「細 Hoso」をローマ字で入れると、「放送」という漢字が出て、その例として「ニッポン放送」が出てきた。それをそのままコピー・アンド・ペーストしてしまったのではないか。

 

 以上の顛末はまだ続くのだけど、大いに笑いつつ読み、やがて眉間にシワ寄せ、ボクちゃんも気をつけよう……、半知半解を戒めるんだった。

ユスラウメとレモン ~ Hello, Goodbye ~

 数日前この岡山市でも感染者が登場で、ワールドワイドな時流の只中にここも入っちゃったアンバイ。まだしばらくは右往左往のドタバタが続くと覚悟もするのだったけど、公平公正な施策の速度アップと報道が続くよう願うばかり。

 公共を最優先の、ある種の社会主義的発想でのアレコレな政策なり示唆を出せるかどうかで、大袈裟にいえばジンルイに明るいヒゥーチャーな兆しが見えるような気もしないではないけど、オリンピックも延期したので、

「心ひとつで、皆んで乗り切ろう」

 みたいな精神主義的掛け声は願い下げ。

 

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 ながく親しんだユスラウメを、抜いた。

 土を掘り起こし根を断って、木を土から抜いた。

 ながく親しんだゆえに感傷がなくはない。

 根は太く、踏ん張るがごとく土中の四方に伸びていた。

 

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 最盛期にはバケツ数個分、5キロを越える実りもあって、数年間毎年、ジャムにして楽しんだりもした。(味はたいしたコトはない)

 煮立て、アクをとり、さらにフツフツ煮やし、裏ごしていくと、5キロもあったのが僅か1/4だか1/5の量になって、減少幅に「ぁぁあ」と驚きもした。

 瓶を買ってきてラベルを創ったりもして、愉しんだ。

 

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                   かつて記したユスラウメの記事。あれこれそれ

 

 けど、この数年は「ふくろみ病」が完治せずで、開花も次第に少なくなっていた。

 昨年はごく僅かに実りはしたが直に落下した。

 

 花の下につく実が文字通りの袋状に奇形する「ふくろみ病」は、アマチュアにはけっこうハードルが高い。

 スモモやユスラウメに特有した細菌がもたらす病いで、菌は土中で越冬するから始末が悪い。石灰と硫黄を混合させた薬剤散布が効くらしいが、ほとんど一般には売ってない。

 おまけに、この薬剤は他の樹木を傷めるらしく、散布はユスラウメ全体をビニールなどで覆っての作業となるようだ。

 それをしなかった。

 そのまま放置した。

 ちゃんと世話してやれなかったのを、悔やむしかない。

 

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               冬姿のユスラウメ

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 枝や根にノコを入れると、脆くなっていることにも気づかされた。

 病いに侵食され、年々に衰えていたのだろう。

 南無……

 

 ひっこ抜いた幹は、しばらく庭に置いておく。そうやって日々、眼にしつつ、次第に感傷が抜けていくのを待とう。

 大量の白い小さな花がついた姿。その花が失せて実がつき、やがていっぱいの実りになった時のふくよかさ。収穫の醍醐味。

 夏の、ものすごいような枝の伸びっぷりと葉の勢い。

 冬の、葉のないガイコツのような枝の寒々しさ。

 いずれもが眼に焼きついている。これは消えない。

 

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 ユスラウメを抜いた後、腐葉土やらやらを土に入れて混ぜ、数日放置。

 しばし土を養う。

 

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 で。

 ユスラウメの跡地に、一考二考と悩んだ末、レモンを植えることにした。

 最近はトゲのない品種もある。

 なにより常緑だ。ユスラウメの冬の姿を思うと、この一点は魅力的。

 残念ながら近場のガーデニング・ショップには、トゲのある品種しかない。

 そこで通販。

 富山県富山市の北山ナーセリーという園芸ショップに、発注。

 直かに眼で見られない不安もあったけど、届いたものは悪くなかった。栽培方法を記したプリントも添えられていた。

 

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 リスボンという種類のレモン。むろん育てたことはない。

 リスボンとはあのリスボンか? リスの坊っちゃん悦ぶレモンではないはず。ポルトガルが原産地だそうだから、ああ~、そういうことか。

 サンキストレモンはリスボンレモンと同じだそうな。カリフォルニアの内陸地域で作ってるリスボンのブランド名が「サンキスト」なんだというコトを、こたび初めて知った。

 ベチャ~っと云えば、どこにでもあるレモンというわけだ。

 けど、我が庭じゃ初めてだ。

 First experience 、初体験の酸っぱさだ、ウフ。

 

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 プリントには植樹後は2年ほどは実らないと、ある。

 かまいません。

 風に弱いというから支柱で支え、植えた。

 いまは、根づいてくれるのを願うばかり。

 ユスラウメがくれた喜びと同じく、レモンの育ちに期待。

 ながい交際になるのを求む。

 

 イタリアでは、ウイルス感染で危篤となって臨終の患者に、祝福を与える聖職者の死亡が相次ぐという。ミラノ近くのベルガモ教区だけでもう10人を超えるという。AFP

 無残で黒い光景ながら、それでも聖職者は死の床についた患者に寄りそう。もちろん防護服を着てマスクでだろうけど。

「明日、世界が滅ぼうと、今日、リンゴを植える」

 レモンを植えつつ、そんな言葉を想いだす。