蟄居解除はまだ

 

 この前の週末、馴染んだBARに出向きたい気持ちを、かなり必死にこらえ、

「もう一週間ほどは我慢すっか」

 と、自分を鼓舞して部屋に留まった。

 そも、帰宅可能なバスがない。5月末までバス運行も自粛モード、夜8時過ぎが最終となってるんだからアジャパ〜。

 

 巷ではオンライン飲み会なるものが話題になったりしてるけど、

「馬ッ鹿じゃない……

 との感想しかない。『集まる』ものから『つながる』ものへと、ご時世は変わりつつあるとは了解するけど、酒をツール的方便に持ち出すな、と苦い顔になる。

 

 新たな生活スタイル、だの、ニューノーマルだのの、提言が政府やらやらから、なされちゃ~いるし、オンライン飲み会なるケッタイなつながりもそういう空気の中で醸造されたんだろうけど、

「そんなもの……

 求めてもいないし、云ってる連中にどれほどの認識と見識と確固たる未来像があるのか、知れもしない。

 要は、こちとら、このウィルス騒動以前に、ただただ戻って欲しいだけなんだ。

 自粛のアレコレがジンワリと解除されつつあるとはいえ、ウィルス脅威から解放されたワケでなく、むしろ、危ういバランスの上に乗っけられ、一歩誤れば、もっと大変なコトに……、という感じの方が強い。

 

f:id:yoshibey0219:20200518084535j:plain
                 一応、この黒いのは……

f:id:yoshibey0219:20200518084607j:plain
                  顕微鏡なのです~

 

 ウィルスは、

人・間・み・な・平・等・に・扱・う

 という一点で、強いインパクトをあたえてくれる。

 国籍、地域、身分、収入、など問わず、いちりつ等しくヒトと接しようとしているワケで、この一点のみ、ヒトはこいつに学ぶべきじゃ~ないのか……、と思ったりもさせられる。

 感染し、実に不平等に扱われ亡くなった大勢がいる。それはウィルスのせいじゃない。元凶じゃあるけども、28歳の相撲力士がひどい症状でありながらチャンと診てもらえぬままに没したという一例にある通り、人災だ。

 けども、そのことで罪になるヒトもいない。責任はウィルスにありというワケで、どうも妙。おびただしい無念のみが体積している。

 

 騒動後、ヒトが新たな生活スタイルを確立させるとは思えないけど、大きな教訓を提示してくれたとは、思う。

 これを活かせるかどうかが命題だけど、先進国に真似たマイナンバーカードの馬鹿馬鹿しさ同様、カ・タ・チだけがまたやって来るんだろうなぁ。

 

 多くのヒトがきっとそうだったろうけど、在宅時間増加で、それでVideoを観たり本を読んだり……、だろう。amazonを見ると、DVDの多くが「一時的品切れ」の状態だ。

 わたしの場合、たまさかMac環境がガラリと変わったもんだから、それに気をとられたりもして、それはそれでソコソコせわしなく、かつ、おもしろくはあった。

 

f:id:yoshibey0219:20200518082737j:plain


 キーボードが変わると、新鮮と不満をいつも味わう。

 最新のアップルMagic Keyboardはペチャンコでフラット過ぎ。ノートブック的なテーストをデスクトップに持ち込んでデザイン統一を図ったようじゃあるけど、使ってみるに気持ちまでフラット平坦で、気がのらない。

 それで100Shopで素材買い、下部に噛ませて傾斜をもたせたりして、馴染めるよう仕込んだりした。

 四六時中使う道具というのは、微かな変化でも大きな違和をおぼえるもんだ。

 もちろん慣れてしまえば、不満というのは薄まるものだけど、過去に使ったキーボード達を並べてみると、その変遷に自分もまた合わせて文字を打ってたのか~、と感慨深い。

 個々のキーボードにそれぞれ自分の方から歩み寄らざるをえないワケで、そこを思うとちょっと不思議っぽい、飼い馴らされるような感じもなくはない。

 

f:id:yoshibey0219:20200517101056j:plain


 年々歳々にキーストロークが短くなってる。かつてのタイプライターみたいに叩き打つという感触から、ソッと触れるや文字が出ちゃうみたいな感じになってる。

 キーとキーに隙間を作ってペッチャンコなキー配列、いわゆるアイソレーション設計というヤツだけど、それが何やらそぐわない。感覚として頼りない。指の動きは少なめになって「押す」というカタチから「タッチ」程度になって、指の負担は軽減とは判るものの、『書いてる』感じが薄いのがいただけない。

 かといって、試しに古めのキーボードを接続して、あえて比べてみると……、これはこれでオーバーアクションにも思え、さ~さ~、困ったもんだ。

 いまだ、

「こりゃメッチャいいやぁ♥」

 に出会えていない。

 キー入力はバーチャルというワケにいかない。アナログとデジタルの接点。出会いと慣れの混成が要め。

 ジッポーのライターみたいに、もはや普遍にして不動という領域にまで、まだキーボードというのは発達してないような感が濃厚。

 

f:id:yoshibey0219:20200518082642j:plain


 発達といえば……、庭の山椒がメチャに葉を拡げた。

 トゲが危なっかしくていけない。ジャジャっと剪定。

 剪定中、良い香りが周辺に散って、何やらチラシ寿司を食べたくなった。

 山椒、のっけるでしょ? 皆さんも……。

 ウィルス騒動が失せたら、大懇意のBARに、

「にゃ~にゃ~、ちらし寿司大会しようよ~~」

 日本酒前提のパーティを提案したいザンショな気分。もちろん山椒たっぷり持参しますゆえ。

 

f:id:yoshibey0219:20200518075158j:plain

f:id:yoshibey0219:20200518074959j:plain

 

庭池の水換え

 昨年末からズッと放置の庭池の水を、取っ換え。

 昨年末に金魚どもを室内水槽に移してるから、気づかうことなし。

 水中モーターを沈めて水を抜く。

 魚がいなくとも半年放置で水は汚れてる。

 枯葉が沈んでユルユル腐敗し、さらなる枯葉が幾重と浮いたりで、どんより澱んでる。

 その澱んだ中で睡蓮が葉をつけ、色もつけ始めている。(冬季は葉はないよ)

 

f:id:yoshibey0219:20200430163039j:plain

 

 作業しつつ、明治の時代を思った。

 いや、あのね、エエカッコで云ってるんでなく、モーターが動いてる間ヒマなので、水深が下ってくのを眺めつつ、空想を浮雲みたいに流してみたのさ……。

 

 明治となって岡山城は廃城。

 新たな街創りがはじまり、張り巡らされていた堀の埋め立てが企画された。

 これがとても大変だった。

 明治8年(1875)にまず外堀の水を抜き、埋めた。

 外堀というのは城郭の1番外周にあるものだけど、岡山城の場合、その内側に武家あり民家ありで、ややこしい。お城と曲輪(くるわ→城下町)を含めての城壁都市というカタチだ。

 現在の新鶴見橋付近から番町方向に延びたこの堀は、番町(江戸時代はやや下級の武士が住んでた)から南方面へ直角に曲がってまっしぐら。京橋の下流あたりまで、3キロも続くでっかいものだった。

 堀を渡るための橋が5つあり、付随して門があった。

 最北の伊勢宮口門、現在の柳川ロータリーに山崎町門、ずっと南下して常磐町門、大雲寺町門、紺屋町門。

 堀を渡って門をくぐるとそこからはお城の領域だゾ~ン、武士もいるから気をつけろヨ~ンという次第だが、西方面からの侵攻を考慮した最大にして最長の外堀だったから、幅広く、水深もかなりのものだったと推察できる。

 

 これを撤去、埋め立てて初めて城の縄張りという呪縛から離れることができる。新たな街作りが出来るワケだ。

 大工事だった。水中モーターもなければ重機もない。すべて概ね手作業。

 水を抜き、両サイドの石垣を壊して埋め、そこに旭川から採取した砂利を埋め、さらにどこかから運んできた土砂で埋め立てた。

 5月に工事ははじまり、9月に完工。

 けっこうな速度。猛速といっていい。

 この4ヶ月に渡たる埋め立てで、現在市内の太い導線たる道路が出来た次第。埋め立てた明治の時代には市内最大幅の道路だから、京橋方面から番町にかけての物流の中央道になった。

 

f:id:yoshibey0219:20200513191905j:plain

 番町交差点からの眺め。堀はほぼこの幅だった……。より正しくは下図の通り(写真上部の青ライン)で、この写真部分の左付近がお堀にあたるが、幅は同じ。グーグル・ストリートビューにて

 

 以後、岡山県岡山市は乏しい予算をやりくりしつつ、城のやぐらやら城門などを破却しつつも、中堀、内堀といった水路を埋め立てていく。

 

 天神山の外周をめぐり、やや細いながら2キロ続く中堀は、明治14年になって埋め立てた。

 旭川と結ばれていた石関を撤去して埋め(石関町という地名は今に残る)て水を断ち、外堀同様な工事を進めた、

 この時点までは、今の天神町のオシャレな写真館・島村写場のすぐそばに北之橋(通称甚九郎橋)があったワケで、橋のたもとにあった祠が移動し、甚九郎稲荷が誕生するきっかけにもなる。

    f:id:yoshibey0219:20200510183929j:plain

 

 内堀(三之曲輪東豪)は明治30年から42年まで、12年も工事が続いた。

 殿さんの居住区を守るべきのお堀だから、面積と深さが頑強で、工事は遅れに遅れた。

 現在のオランダ通りはこの内堀の西側面にあたり、シンフォニーホールの場所はほぼ半分が水中にあった。

 なのでオランダ通りをシンフォニーホールから天満屋方面に向けて歩くさいは、その西側はお堀であって、自分は堤を、水辺のそばを歩いてると想像すると、ちょっとおもしろい。

 我が友がやってる美容室もCoffee&Barのコマンドもこの時代にゃ、水中なのだった。

 堀の全埋め立ては、大正6年の終わり頃になってやっと完了した。財政不足に人力確保など、一気に進められなかった苦労がその長い歳月にシミシミ沁みている。

 

f:id:yoshibey0219:20200513192010j:plain

           オランダ通り。明治まではここは堤で左側は堀だ

 けど今思うのは、岡山池田藩がなくなって、堀が埋め立てられるまでの水のことだな。

 その間は管理出来ていないんだ。

 藩が機能していた時には、藩からお給金をもらった管理者がいて、わずかながらも常に流れもあって、ある種の鮮度が保たれていたはずながら、管理出来なくなるや、堤は雑草が繁り、水はよどみ、部分は腐敗して水面に泡が浮くようなアンバイ。

 だから放置期間が長引くに連れて、異臭漂うような惨憺たるものだったよう、思える。

 侍どもがいなくなった途端、その堀に向けて腐れた生ゴミを捨てたり、立ち小便するようなヤカラもいっぱい出てきたに違いなく、明治期の市内におけるたびたびのコレラ(経口感染で小腸に留まる)赤痢(大腸に留まって血便をおこすから赤痢の発生は、それら破棄された堀の水が原因の1つと、いっていい。

 岡山市に水道が出来るのは明治38年(1905)、かの亜公園が閉園した頃だから、それまでは全部、井戸。

 井戸水と堀の水は地下で結託、よからぬ細菌もまたそこで結ばれていた……。

コレラによる死者と思われる統計数字:明治19年岡山市内で1821人。明治25年は5697人)

 

f:id:yoshibey0219:20200506163224j:plain

f:id:yoshibey0219:20200511174116j:plain


 ま~、我が庭池は、お城の堀とは比較にならないスーパー・ミクロな存在じゃ~あるけれど、水が汚れていく現象というのは観察はできる。マクロ視座では岡山城のお堀と大差ない。

 

 47NEWSが紹介していた取り壊される前の江戸城貴重な写真たちを参照するに、江戸城であっても、このような惨状だ。これら(↓)は明治4年から6年にかけて撮られたらしいけど、もうこの時期でこのように荒れてるんだからビックリだ。

f:id:yoshibey0219:20200508060519j:plain

f:id:yoshibey0219:20200508060553j:plain

 上2枚は47NEWSのHPの画面コピー。下の写真では水上に大量の浮草というか、ゴミの堆積の上に草が茂ってるような荒れっぷりが判る。石垣の一部も壊れてるのかな?

 

 管理され循環している環境と、そうでない環境……。

 荒廃の速度が速いんだ。ちょっと考えさせられる。

 

 荒廃といえば……、ウィルス騒動のドサクサに、検察官の定年延長を強行採決してでも進めようとするAbeとその仲間どもの降るまい。三権分立を冒して民主主義を荒廃させてしまうムチャ。

 原田眞人監督は『検察側の罪人』で法を逸脱して正義を遂行しようとするエリート検察官をキムタクに演じさせたけど、それとは比較にならない根本的な逸脱。コロナ・ウィルスにAbe・ウィルス。心底おぞましい。

 

f:id:yoshibey0219:20200511173800j:plain


 さてと、池の水換え完了。

 金魚はまだ……、室内に滞在させておこう。

 どういう次第か庭池周辺に、バラが生えている。

 植えたワケでなく、勝手にあちこちで芽を出す。

 こういうのは風が運んでくるのではなく、鳥が運んでくる確率が高い。バラをくわえて来たのではなく、その糞だ。

 フ~ン……。

 良き肥やしと共に土に落ちたそれは直ぐに芽吹いてくる。

 トゲが苦手ゆえ、敬遠、雑草扱い……、”野生のバラ”は引っこ抜く。

f:id:yoshibey0219:20200506163346j:plain

 しかし、バラめはあんがい根が太く長い。地表に出た緑とほぼ同じ長さで根を拡げる。

 手では容易に引っこ抜けない。

 スコップで土掘り返す。

 昔に流行った、「マ・ベビベビ・バラバラ~♪」なんちゅう歌のフレーズを口にしつつ。

 

スペーストラッカー

 続く右往左往。

 自粛要請は緩和されつつも、状況好転、とは云い難い。

 くわえて、ろくな具体策提出できずのリーダーの、信仰めいた情緒発言が大黒柱じゃ〜、安堵できない。

 

         f:id:yoshibey0219:20200507223951j:plain

   

 愚鈍豚足政治がもたらす中央と地方のギャップと、虚実ごった煮の報道と、なにより怖いあちゃこちゃ潜んでるらしきウィルス……、この3重苦。

「いいのかなぁ?」

「たぶん、ね~っ」

 程度な根拠ない希望的観測でもって、アレコレ行動するっきゃ~ない。

 悩ましい。

 

 汚染感覚が背にはりついてる。

 高じて、それで鬱になっちゃったというヒトのことをアレコレとニュースが伝えてる。

 さもありなん。

 けども一方、「なぁ〜んとなく」に収束しちゃった〜みたいな空気が今度は出て来はしないかと、それも不安。

 

 この1月~5月、周辺で、風邪をひいたとかインフルエンザになっちゃった……、という声は、逆に聞こえなかった。不思議。

 

 ■■□□■■□□■■□□■■□□■■□□■■□□■■□□■■□□■■

 

 数年も経てば、こたびの騒動の渦中で生じた諸々を題材に、小説やら映画やらが、必ずや創られるでしょうね~。

 だぁ~れもいない繁華街とかブロードウェイとか、稀有でレアなビジュアルがえられるから、ヒト知れずきっとカット、ガッツリ記録映像が撮られてるはずだし、当然にそれを有効活用したくもなるでしょうよ。

 

  f:id:yoshibey0219:20200507232332j:plain


          
 ウィルス騒動で映画館というカタチの維持が難しくなってる。こういう場合の脆弱さが顕わにされたといっていいか……。

 ネット配信して課金するシステムでけっこうな収益が出ると判ってきた映画製作の側と、映画館との関係が、この先どうなっていくのか……

 映像を眺めるという行為はこの先さらに肥大し裾野が広くなるはずだけど、それをどこで、どう観るか、一昔前とは環境が変わり、経営規模の小さい映画館にはアタマの痛い問題でしょう。

 プロジェクターとスクリーンでホームシアターが構築できるようになって久しく、映画館にとっては、これも、いわばライバルだろうし。

 

 しかし映画館の最大ポイントは、複数で出向けて観賞でき、そのアトで映画のことをア~ダコ~ダと云いあえるっていう点でしょ。

 云いあうのは映画館じゃなく、近隣の居酒屋さんとかだけど、仲間と時間あわせて合流で共に映画を観て過ごせるという、そこだよね~。

 そう、特別な場所という位置づけね。

 そのポイントをどう維持させてくかが、このさきの課題だなぁ。

 なんといってもデートに最適じゃないか。

「ボクちゃんのお部屋のホームシアターで映画観ない、ウフ♡」

 なんて~の、サイテ~最悪でしょ。

 デートには映画カ~ン!

 2人で共通体験してる場としての映画館というのがメチャ大事なのさ。いやさ、映画観てる間は2人は会話しないけどね、他にないでしょ、このほぼ無言なれども2人の間の垣根を大いに溶融してくれる場所って~のは。

 

f:id:yoshibey0219:20200505233233j:plain

 

 なんちゅ~て理屈云ってるワタクシめ……、1人、ホームシアターで観ましたのは、『スペース・トラッカー』。

 これ、1966年のSF映画ですけど、とてもオバカでノリが良く、

「ホントはお利口さんだけど、それをどうやったらアホ~にみせるか」

 をキモに、製作者一同・出演者一同が超真摯に挑んだ怪作。

 

 宇宙をカッ飛ばす二人のトラック野郎と一人のスペース・ウェイトレスが、地球を守ってしまう物語。

 

 このキャッチ・コピーでもって深刻な内容でないことは自明。

 

f:id:yoshibey0219:20200506013353j:plain

 

 当時第一線で活躍の韮沢靖、空山基、スクリーミング・マット・ジョージといった日本人クリエーター達も参加で、主演がデニス・ホッパーなんだから、すばらしい。

 

f:id:yoshibey0219:20200506001810j:plain

 

 初見は10年以上前、スター☆チャンネルだかでの放映だったけど、ニヤニヤしつつ愉しんだ。

 で、こたびDVDにて再見。

 とはいっても、この作品、DVD販売の初期に出たっきりで、今は絶版。

 ワタクシとしてはこれ名作に価いしてると思い決めてるのだけど、ね~。

 

f:id:yoshibey0219:20200506005803j:plain

 

 チャールズ・ダンス演じる悪者のブッ飛び方が圧巻の悪漢っぷりで、あれよあれよの展開にメダマくらくら。

 この悪漢、気の毒にも身体メチャクチャ。半機械ニンゲン。

 なので男性機能もダメなの。

 それで機械仕掛けのナニを下半身に取り付け、幽閉したベッピンのヒロインにナニしようと孤軍奮闘するあたり、大笑い。

 そういう描写もあるんで、家族向きでなく、初デートにも向かない。

 

f:id:yoshibey0219:20200506005025j:plain

 

 名作と書いたけど、いわゆる感動作じゃない。

 要は、50年代末頃のチープなSFムーヴィの味覚を90年代テクノロジーで再現したというだけがポイントの映画。

 その上で「エイリアン」、「ロボコップ」、「2001」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、「スタートレック」に「スターウォーズ」、さらには珍作というかポルノ映画だった「フレッシュゴードン」なんぞの美味しいところをチョイと真似て、ごっつあんでした~のちゃんこ鍋。

 ま~、だからこそ好感してる1本。

 1時間半強、だらだらとビール呑みつつの観賞に、最適。

 見終わったアト、「ぁぁ、愉しんじゃったなぁ」と淡雪みたいな気分になるものの、な~~~にも残らないのが清々しい。こういう映画と時間も大事。

 

f:id:yoshibey0219:20200506010338j:plain

『スペーストラッカー』でのチャールズ・ダンス。いっけん怖いが、実は大笑いのビジュアルです

        

 ちなみにチャールズ・ダンスは悪役がすごくお似合いの役者だけど、脚本&監督作品もある。下写真↓

 これは名作に価するというか、記憶喪失の音楽家が浜辺で発見されるという内容が、英国封切りのすぐ後に現実に起きてピアノマン事件)、かなり話題になっちゃった作品。(ワタクシは未見)

 この映画のサウンドトラック「Ladies in Lavender」が流麗なもんだから、フィギュアスケート界では定番、今も頻繁に使われてる、らしい。

 

       f:id:yoshibey0219:20200506194012j:plain

 

 ダンス本人は本作やら長年の役者業でエリザベス女王から大英帝国勲章ももらい、ゆとりでチャールストン・ダンスしちゃえるくらい元気。

 10月誕生というから74NOW。さらなる悪役っぷりを期待。

  

カレーライスが産声あげた頃

 希有な連休。

 買い物程度のお出かけはあるものの、若い夫妻が住まう隣家も、向かいのやや若い夫妻のところも、そのお隣りさんも、みな車庫に車があった。

 拭えない不安。窮屈と退屈。でも微かにおぼえる状況の可笑しみ。

 アレコレないまぜ。

 みながみな自宅にいるもんだから、この機会にと不用なのを片づけたり。家庭内調理が増えて、週2回の燃えるゴミもやたら多い。

 

f:id:yoshibey0219:20200503135004j:plain

 さなか、道路にはみ出た紅カナメとキンモクセイを剪定。

 路上に脚立をたてて作業するも、あんまり車も通行せずで、楽勝な作業。(大きな袋でゴミ出した)

 隣家のK君も、庭先で何ぞゴソゴソやってる。

 のどかといえば、のどか。

 ニンゲンがニンゲンを取り戻したような情緒気分が、なくもない。

 もちろん、この気分は我が宅より数十メートルの狭い範囲のこと。全般ではちょっとした監視社会みたいな腐臭ありで、それがいつ町内レベルにまで浸透してくるか判ったもんじゃ~ない。

 

f:id:yoshibey0219:20200430162713j:plain

                    剪定後のスッキリ

f:id:yoshibey0219:20200430163008j:plain

                連休中に赤みを増した庭のイチゴ


 スーパーでは小麦粉やらパスタの棚がほぼ空っぽ。

 時間があるし子供もいるから自宅でパンやらクッキー焼いてみるかぁ、というアンバイなんだろう。

 同時多発でバナナケーキなんぞを焼き焼きで、非日常っぽい日常をうっちゃってるんだろう。

 近頃はレトルトに押されて家でカレーを作るというのが減少してるそうだけど、ウィルス騒動で蟄居してるなら、工夫こらしたのをコトコト煮るのもイイもんだ。

 てなコト書きつつ、こちら、LEE辛さ10倍をまた密かにいただいたけど……

 

f:id:yoshibey0219:20200501090332j:plain

         ヤマザキのレーズン入り食パンの甘さがLEE の辛さに意外に似合う

 

 カレーについてはこのにも触れたけど、その萌芽期というか黎明期の実情をまさぐってみると、随分におもしろい。

 複数の本と昔の資料で、明治時代のライスカレーのことを学習。

 明治は45年間続いたけど、幾つか本をみて考察するに、カレーで区分するとこの時代は3つに分けられる、と思う。

 

 ■ 導入期 明治20年頃まで

 ■ 浸透と改変期 明治2030年代中頃

 ■ 土着期 明治30年代末~45

 

 導入期。印度の香辛料が直に入ってきたんじゃない。

 ロンドンのカレーパウダーの製造会社クロース・ブラックウェル(&B社の缶入り製品が、日本でのカレーの基点といっていい。

 英国は16世紀末から何やかんやと印度方面に圧力をかけて、1858年には印度を完全に植民地化したが、印度という風土が育んだ食材(香辛料)もまた摂取した。

 当時の英国の食の光景は、週に一度大きなビーフを焼き、晩餐として盛大に食べ、その残りを翌日から次週までアレコレ味を変えて食べるというのが極く一般的。

 イギリス料理がまずい(過去形ですが)というのは、週6日は残り物を食べるというこの習慣に起因した。

 そんな風習的食事に、印度の香辛料を英国人の舌にあうよう調整して販売したのが&社で、これは大ヒット。

 つまらない味付けの夕げに、大きな刺激的味覚あるものとして貢献した。

       f:id:yoshibey0219:20200503024243j:plain

 C&社製のこのパウダーは仏蘭西にも入って、かの仏蘭西料理もまた、その登場で新たな味覚のドアをあけることになる。

 さすが仏蘭西、すぐに、 Riz Au Curry というドライカレーの原型みたいなものを産んでいる。カタカナで表記するとリ・オ・カリーと書くのが妥当か。肉料理に添えるポテトみたいな位置づけ。

 

f:id:yoshibey0219:20200501031019j:plain

                 riz au curry
      

 日本の場合は、日本にあって日本でない外国人居留地での、外国人による外国人のためのホテルでの&カレーパウダーの使用が、スタートになる。

 肉にかけるソースとしての使用だったようだけど、その厨房で下働きした日本人がやがて独立し、自身の西洋料理店を持つなどして居留地以外の場所で、カレーの味をばらまいてく。

「辛味入汁掛飯」

 という、おしながきが書かれるようになる。

 カラミイリシルカケメシ。元祖ライスカレーだ。

 仏蘭西語でいえば、Curry Au Riz 

 カリー・オ・リと、リ・オ・カリーがひっくり返っただけだけど、ライスにかけるという風合いがこのひっくり返りで顕わになる。

 汁掛飯を「らいすかれえ」と云い出したのは、札幌農学校のクラークだという説もある。

 Boys, be ambitious like this old man.

「少年よ大志を抱け、この老人みたいに」と云ったウィリアム.S.クラーク博士。

 余談だけど、多くのヒトは、「この老人……」の部分を知らない。老人とはクラーク本人ですけど、なんかそ〜云われちまうと、ちょっとこの先生にカチンとくるような感もなくはない。少年よ大志を抱きなさいだけならカチンはないけど、自分を手本にせよと云われるとねっ。

 

 とはいえ日本のこの時期は、まだ西洋料理の食材がない。

 ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、普及していません。

 牛肉も、それようの飼育牛は数少ないし、屠畜場も数少ないし、場所も限られる。

 牛は割りとたくさんいたけど、農耕で働く大事なものだったから農家は手放さない。

 なので流通途上。

         

                                   f:id:yoshibey0219:20200503193357j:plain

 

 明治5年の『西洋料理指南』では、

「葱一茎、生姜半個、蒜(にら)少し許(ばかり)を細やかにし、牛酪大さじを以て煎り、水一合五勺(せき)を加え、鶏、海老、鯛、蛤、赤蛙等を入れてよく煮、カレー粉一匙を入れ煮る。熟したる時、塩を加え、また小麦粉(うどんこ)大匙二つを水にて解きて入れるべし」

 とある。

 小麦粉に "うどんこ" というルビが可笑しいけど、ネギやタイやハマグリやアカガエルというのは驚き。

 が、肉の基本はギュ~ではなく鶏肉だったのが、これで判る。

 当時の鶏肉といえば、黒い羽毛で覆われた軍鶏(しゃも)が一般に流通してる。幕末、かの坂本龍馬の最後の食事となったのもシャモ鍋だった。もっとも彼と中岡慎太郎はそれを食べる前にやられてしまうのだけど……

 ともあれ、日本ライスカレーに入る肉の最初は、ギュ~でなくブ~でなく、コケコッコ~なのだった。

        f:id:yoshibey0219:20200503025301j:plain

 

 それが明治2030年代では、野菜は栽培地が増え、牛肉はそれ目的の飼育が増えてくる。

 牛肉、ジャガイモ、およびニンジンの流通と生産が増し、ライスカレーに用いられるようになる。 

 馬車しか運送手段がないから遠方に運ぶほど鮮度は落ちる。牛肉は肉質良好という次第ではないにしろ、鶏肉から牛肉へと変じてるのがこの年代。

 ライスカレーという固有名詞が定着してくのも、この年代だったろう。

 もしも日本人の舌が鶏肉のそれにチョ〜大喜びだったなら、牛肉への変換はなかったに違いなく、今もカレーといえば鶏が主流ということになったかもしれないけど、ありがたや、その味に満足しなかったワケだ。

 

 しかし、明治30年代後半、突然に牛肉の流通が悪くなる。

 なぜか? 

 日露戦争の兵員派兵だ。

 兵の食糧の1つとして牛肉の缶詰が大量に作られてくんだ。

 缶詰用として屠畜される牛はそれまで1日40頭だった。それが兵隊用のを量産のため1日あたり500頭が必要になった。

 だから一般への流通が悪くなった。

 

     f:id:yoshibey0219:20200503195713j:plain

      日本缶詰協会・80周年記念パンフレットより 缶詰製造の当時の絵

 

 さらに、いざ戦争のフタがあくや、露西亜兵の捕虜がどんどん増えてった。

 その数、7万2千人。

 国内29都市の寺や神社境内に分散されて作られた収容施設に、それだけの捕虜がいる。

 当時の日本は白人捕虜に対する扱いが比較的キチンとし、それなりの食事(自炊だから食材)を提供しようと努めてる。

日清戦争での中国人捕虜への劣悪に較べて随分な厚遇っぷりゆえ、欧米列強に向けての日本は国際法を遵守した文化国といったアピールが根底にあったとの説がある)

 

f:id:yoshibey0219:20200503030016j:plain

 捕虜生活中、本国より家族がカメラを送ってきたりしてる。だから、けっこう写真が多数残ってる

 

 ともあれ彼らのためにも、牛肉が大量に必要になる。

 そのため、明治37年に10貫目(38キロ)14円だったのが翌年には26円と、アッという間に倍近くまで値上がり。

 1番に困ったのは大流行中の牛鍋屋だったようだが、ここでは触れない。

 こういう次第が巷の西洋料理屋のライスカレーに影響をあたえた。

 

 そこで代用品が登場する。豚肉だ。

 小菅圭子著『にっぽん洋食物語』によれば、明治30年代までの日本では、豚肉の統計数字がまったくないそうだ。

 ということは、それまでは食材として流通していないワケだ。

 琉球や鹿児島じゃ~常食されてるけど地域の食材でしかなく、大半の日本人はポークの味を知らなかった。

 それが戦争で大きく変化した。

 

f:id:yoshibey0219:20200503030818j:plain

 

 関東方面では今もカレーといえばポークカレーだが、これは、日露戦争ゆえの産物なのだった。

 一方で関西は、神戸、近江、松阪などなど牛の産地が拡大して需要をまかない、ポークカレーの浸透を阻止……、やがて後年、その飼育牛はブランド化へと進んでくけど、この時点でもっていわば土着するように、ポークとビーフという二大分布にわかれてった。

 という風に解釈してもいいかな。

 

 日清、日露の戦争はもちろん平時でない。有事だ。

 捕虜は静物でない。囚われているが食事をとる。そのために彼らの口にあう牛肉を提供しなきゃいけない。

 有事というのは鉄砲の撃ち合いで前へ前へと進行するだけでなく、そのはるか背後のライスカレーすらも、プルンプルン揺さぶるのだった。

 

f:id:yoshibey0219:20200503031029j:plain
                        今回に参考にした本たち。

 

 

カート・ヴォネガット2本立て

 前回のブログを書いた頃に、Mac Proがメチャに不調になってた。

 修復に時間と経費がかかる公算が大きく、修理は断念。

 

        f:id:yoshibey0219:20200425035130j:plain

 

 過去何度かの不具合は本体設置場所(半地下で床置きで湿気含有が高いと思われるコンクリート壁ぎわ)が元凶かもと考察し、床置きでないタイプとしてのチョイス。

 あえて、iMacに変更。

 嬉しくない……。

 登ってもいない山から急に下山させられるような急な展開が落ち着かない。

 Mac Proから複数の内蔵ハードディスクを外し、外付けのケースに収納し直し、それらがiMac上で可動すべくChikaちゃんに作業してもらう。

 

f:id:yoshibey0219:20200427195229j:plain

               セッティング中のChikaちゃん  

      

「まっ、いいじゃないですか。まもなく国から10万円入るんだから、1/3ほど助成してもらうと思えば」

「ヤダよ。iMacじゃなくAbe Macになっちまう」

 そんな刻印いらんわい……、交換作業中、ブ~ブ~、ウィルス騒動の不満を口にした。

 とはいえ、外出自粛のさなかに駆けつけてくれたChikaちゃんには感謝ビッグ。

 迷える老羊と化しかけた当方には有り難い光の存在。

 

 復旧の安堵とリニューアルでのサクサク感とiMacの5Kモニターの鮮明に驚きつつも、慣れるんかしら、既存モニター2つを活かしたトリプル・モニター仕様。

 2mに近いテーブル幅いっぱいのコックピット感に威圧されつつ、しかしこれはこれで半日も経つと、利便と操作の容易さに、もう元に戻れないかも……、とも結果オ~ライで思うのだった。

 

f:id:yoshibey0219:20200428182819j:plain

 

 けどもまた一方では、Macが新たになるたび、このパーソナルなコンピュータにかつては感じた”自由っぽい”エッセンスが剥離し、パーソナルを型枠にはめ込むような「おせっかいな仕様」のアレコレの増長に、

「うむむ……」

 な感想もまた肥大するのだった。

 

    ––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––

 

 映画を2本、DVDで観る。

 どちらも原作がカート・ヴォネガット・ジュニア

 1本はもう何回も観た『スローターハウス5』。

 1本は、これはつい最近まで存在を知らなかった『ブレックファースト・オブ・チャンピオンズ』。

 え、そんな映画あったのか……、と慌てたらあんのじょうもう絶版になっていて、しゃ~ない、amazonで中古DVDを買った。

 1973年のヴォネガットの『チャンピオン達の朝食』が原作で、主役がブルース・ウィルス。『アルマゲドン』を撮った翌年、『シックス・センス』を撮る前、1999年作品。

 なんでこの映画をボクは知らなかったんだろう? それに、たしか文庫本を持ってたはずなんだけど、書棚にない。

f:id:yoshibey0219:20200429160201j:plain

 ま~、それはどうでもいい。

 ヴォネガット作品ではお馴染のキャラクター、キルゴア・トラウトアルバート・フィニーが演じてる。

 

f:id:yoshibey0219:20200429153815j:plain


 

■ 『スローターハウス5

 これは原作を先に読んだか、TV放映を先に観たか、もう記憶がないけど、呆気にとられたような面持ちで接し、時間と時代と空間が観覧車みたいにクルクル廻ってる展開にずいぶん衝撃させられたもんだった。

 いや、観覧車という例えはダメだ。均一に一方に廻ってるのじゃない。主人公が置かれるのは予想できない「痙攣的時間旅行」で、42歳のある時フイに27歳のある時の自分に戻ったり、病院のベッドに横たわってる内フイに時代の違うドイツだかベルギーの雪中に寝そべっていたりするが、その雪中の冷たさは既に主人公が経験している過去でもある。

 原作に出てくる、あの有名な”So It Goes,”という言葉はこの映画では出ていないけど、知らず、

「ま~、そんなもんだ」

 と、ボクはボクなりに日本語をあてて、しっかりこのフレーズが好きになって随分に久しい。

 日々眠るたびにみてる整合性のない夢みたいなアンバイながら、1つ1つのシーンは明確で、なぜならそれは主人公ビリー・ピルグリムの実体験であって、ドレスデン空爆による捕虜体験やらトラルファマドール星でのポルノ女優との動物園での素晴らしい生活やら、そして自分の死がどのようなものでどのように訪れるか、やらやらが、ランダムに突然にめぐって、その一方通行でない時間概念の持ち出しに、かなり驚いたもんだ……。

 そも時間そのものが1つの”次元”で、その次元のさなかに個人存在というものが断片のようにあって、生誕も、戦争も、恋も、死も、その時間次元にあっては断片、だから死は最後に来るものではなく恐怖でもなく悲しいものでもない……、というようなアンバイの連輪に若いボクは随分と感化されたもんだ。

 生まれ変わる輪廻な仏教世界でもなければ、絶対の神がいるわけでもない。

 だから醒めて眺めれば、この映画の1つ1つのシーンはどれが重く、どれが軽いとかいう比重比較は意味がない。

 ドレスデン空爆による悲惨も、ラザロという男の執拗さも、太らないようダイエットで頑張るわ~のビリーの滑稽なワイフの息遣いも、皆な均一の体験ということになるし、それを連続の映像として自分は眺めてるだけというような見方も、できる。

 その均等っぷりに、ドレスデン体験がトラウマになっている作家ヴォネガットの自身への救済法というか心のバランス法が潜んでいると思われるけど、久々に観た感想は、

「ま~、そんなもんだ」

 の1語に要約しておこう。

 ただ1点、ドレスデン市街爆撃後のドイツ少年兵の慟哭シーンは、ヴォネガットの主題からそれている。監督のジョージ・ロイ・ヒルが過剰に感情移入し、原作の原作たる主題から外れて浮いている。そこだけが惜しい。

 ビリーを演じたマイケル・サックルはこの映画がほぼデビューで、その10年後には映画界から去ってサラリーマンになった変わり種だけど、常にどこか微笑しているような表情が、重い題材なのに軽やか味がたえない造り(原作も映画も)に良くマッチしてポイントが高い。

 

       f:id:yoshibey0219:20200428003650j:plain

 

■ 『ブレックファースト・オブ・チャンピオンズ』

 これは、再見してから感想を固めよう。初見では見落としが多すぎる。というか、観賞中に用あって中座。30分後にまた観たんだけど、どうも集中に欠けた。映画に申し訳ない。

 ブルース・ウィルスランニングシャツに銃もって駆けずり廻らずとも、七三ヘアでメガネの普通なヒトを演じてもイケてる。とりわけこのブラック・コメディのような映画では、数多な彼のアクション映画にみる尖った所のいっさいが溶ろけたチーズみたいに丸くなってコミカル味が増幅、なかなかヨロシかった。

 あえて乱れたカツラ頭を晒したブルースの覚悟と意気込みが天晴。

 

f:id:yoshibey0219:20200429025954j:plain

 

 初見ではメチャに面白い映画とは感じなかった。

 強面のニック・ノルティが女装やら、ヴォネガット作品ではお馴染のローズウォーターさんが原作本の挿絵の通りに出てきたりで、ニヤッとするけど、通して顧みると、さほど印象が残らない。

 ブルース演じるドウェン・フーバーとアルバート演じるキルゴア・トラウトの視点の置き所を、再見時では注視しよう……。たぶんそこが要め。ほぼ、そうはみえないけど徹底したSF映画の旨味が隠されてる。

 この映画にはカート・ヴォネガット自身が、ある役で出てる。これにはちょっとたまげて北叟笑んだ。実のところ、この作家が動いてる映像を見たのは初めてなので。

 

f:id:yoshibey0219:20200429025145j:plain

            メーキング映像ではこの映画についても語ってる

 

   ––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––

 

 昨日、amazonから荷物が届く。

「何だ?」

 訝しみつつ開封すると、ぁあ、発売日だったのね。

 予約注文してたの忘れてた。

 

f:id:yoshibey0219:20200429181213j:plain

 

 

稗田礼二郎のフィールドノートより

 ウィルス騒動が全国区になってからというもの、何だか時間の経過がのろい。

 いつも時間が高速でとっとと過ぎてく思いでいたから、いささか妙。

 要は、停滞を肌が感じとってるワケだ。

 だから必然に時間が遅々・チチっと遅いと感じちゃう。

 1つには、ミュージアム展示予定20日から休館だ)で進めていた模型製作が騒動で中止になっちまったんで、集中すべきな時間が突然にポッカリ空白。

 時間に余剰が生じてしまった。

 そのぶん層が厚くなったというか、1mだった距離が1m数10cmに延びちゃって、その数10cm分、のろく感じているというワケなんだろう。

 こういう時は、ポジティブに事態をとらえ、余剰が出来たぞ、しめしめ、これは良い機会を得た、なんぞ有功に使ってやろうというコトになるのが普通なんだけど……、いま、普通でない。

 どこにもいけない。

 人ともあえない。

 スーパーの棚は微かだけど隙が出来、製造なり仕入れに支障がきたしてるのが、遠火のようにチラチラしてる。

 個人時間も社会時間も共々、チッ・ちっ・遅ッ、秒針回転が遅い。

 

f:id:yoshibey0219:20200424235352j:plain


 映画館も軒並み休館……。

 大手のシネマ複合館に追いこくられ、そうでなくとも客足が少なかったメルパ岡山(ボクが好みにしている映画館です)は、

「岡山の皆さん どうか助けて下さい!」

 緊急支援を口にしてらっしゃる。

 ジョ~ダンきつい状況は冗談でない現実であって、この叫びはホントに酷烈。

 ホームページではあえて羞じも外聞もこらえ、■ メルパお助けチケット ■ を買ってくれるよう声をあげてらっしゃる。

 既に休館になってるけど、1階の窓口でこのチケット(1枚1000円で1年有効の入場券)を販売している。

 危機をのりきって欲しい。全席自由席の自由な映画館を応援する。

 

f:id:yoshibey0219:20200424234255j:plain


 もちろんメルパ岡山だけじゃ~ない。個人商店の多くが”今そこにある危機”に直面し、酸欠で水面で口をパクパクさせて喘いでる金魚みたいなアンバイ。

 気が気でないけど自分に出来ることは極小。イジイジするばかりだけど極小のプレパラートの中で極大に両手両足を拡げて突っ張っていよ~。

 

 ここ1週間ほどは、ベッドに入るや諸星大二郎を読む。

 次いで、DVDで映画1本。

 異端の学者・稗田礼二郎を主役なり関連キャラクターにした一連の作品群。

 出版社はこれに”妖怪ハンター”というベチャな副題をつけてるけど、作者諸星は大いに不満らしく、単行本『海竜祭の夜』のあとがきにグチをこぼしてる。

 その気分、とっても良く判る。

 主人公は妖怪を狩猟してるワケでない。民族学と考古学の森林の奥の奥に深入りするゆえに怪異に巻き込まれ、魑魅なモノに出会ってしまっているというのがカタチの基本。

 だから作者自身は「稗田礼二郎のフィールドノートより」と副題をつけてらっしゃる。

 

 どの短編も傑作。万人が諸手をあげて耽読する内容じゃないけど、はまってしまうと、もう抜け出せない。

 着想、話のはこびかた、絵、いずれも弩級。わけても着想が常に高水準。想像の飛ばせ方に圧倒されっぱなし。

 

f:id:yoshibey0219:20200424033431j:plain

 

 このシリーズは過去に2度、映画化されている。

 1本は沢田研二が稗田を演じた『ヒルコ』。

 ビデオレンタルというカタチの商いがスタートした頃の作品で、当時、VHSでなくベータ版を借りた。

 まだジュリーがスリムな体型であった頃の作品。なので随分と前の映画だね。

 原作にはないキャラクターの肉付けがあって、沢田演じる稗田はゴキブリが超苦手。その黒い姿を部屋に見るや狂乱してフマキラーをスプレーしまくって大騒ぎ。その滑稽味がけっこう良かったけど、いかんせん今はDVDも絶版。中古品にプレミア価格がついて1万くらいする。

 再見しようがない。

           f:id:yoshibey0219:20200424234448j:plain


 もう1本は『奇談』。シリーズ初期の『生命の木』が原作で阿部寛が稗田を演じる。

 これをこたび、はじめて観る。

 原作の稗田は髪が長いけど、阿部ヘア~は短髪。ビジュアルが違うけど構わない。いい味だしてた。

 けど本作は、原作にない女性キャラクターを創り入れたことで、主題に添わない話との二重路線になって逆にハナシがもつれ平坦、かつ説明的になっちまってる。

 その上、大学院生らしき女性を演じてるこの女優の演技が、演技以前でいけない。

 カメラを首から下げて寒村を歩くシーンでは、人さし指が常にシャッターボタンの上でコの字に凝固していて、見ているだけで痛々しい。

 ぎこちなくて硬く、出てくるたび、お芝居してま~すって感じで居心地悪い。かわいいから許しちゃう……、という気はおきない。

 唯一、浴衣で寝具に入って眼をつむって眠ろうとするシーンだけはホントにかわいくてチャーミングだったけど、ね、寝っ。それじゃ~ダメでしょう。

 彼女が悪いのじゃない。撮影に不慣れと思えるこのコをちゃんと導けない監督が、ダメ。

f:id:yoshibey0219:20200424235312j:plain

 プロジェクターで観たけど、これは、小さいTVスクリーンで見た方が良いんじゃなかろうか。音作りも大仰で作り物じみ、全体に音のバランス悪過ぎ。

 良い点数はさしあげられない。

 という次第で、またベッドに寝そべり原作の方を食む。

 

 ■□ - ■□ - ■□ - ■□ - ■□ - ■□ - ■□ - ■□ 

  

 去年の4月25日、原田眞人監督とそのクルーは『燃えよ剣』の撮影のため、津山にいる。

 津山鶴山公園の高い石垣を五稜郭に見立て、岡田准一土方歳三がそこにいる。

 津山市は市長を筆頭にビッグ・ウェルカムで歓待。監督の回想によれば、

「牛そじり鍋、ホルモンうどん、牛肉メンチ、おにぎり、美味。映画人へのローカルのサポートは嬉しい」

 とのこと。

 ウィルス騒動が終わってメルパ岡山で同作が公開されたらイチバンで観にいきたい、な。津山での撮影がどのようにCGが加えられて背景が北海道に変じてるのか、興味ワクワク沸きまくり。

 岡田はこの津山でのロケが出番のラストだったらしい。津山で締めくくりか……。岡田にとっては感慨深い地となってくれたらイイな、我が故郷ゆえ。

 ちなみに津山在住中はホルモンうどん、食べたことない。母親の実家の隣りがホルモン焼きの店だったに関わらず。

 

 

LEE辛さ10倍

 5月公開予定だった『燃えよ剣』が、ウィルス渦で公開延期。

 原田眞人監督は残念がりつつ、昨年今ごろの撮影時の日誌の一部を急遽、公開してらっしゃる。

 大きな支出で映画を創り、さ~これから全国映画館で収入をという時に断たれているんだから、内心穏やかであろうハズはないと推察するけど、映画を待っていたフアンへのせめてもの情報公開で延期期間をうっちゃって欲しいとのメッセージとも取れ、心遣いがきめ細かい。

 

昨年4月13日の土曜は撮影場所の京都への移動日。朝8時前に起床しご飯を炊いて、カレーのLEE辛さ10倍と生卵。_途中略_ ランチを「みちば」で食べ、15時ののぞみで京都へ向かう。

 

 とある。

 銀座の「みちば」は、『検察側の罪人』でキムタクが官僚の仲間と食事するシーンで登場した店。映画公開後はキムタク・フアンの聖地となり、赤いトマト1つ丸ごと焼いて中に何かはいってるのを、皆さんオーダーとか。

 原田監督は朝っぱらからカレーだ……

 県外への外出前だから、炊いたご飯は1合か2合かな? 食べきれるだけの分量だったには違いないけど、朝、ゲキ辛のカレーだ。

 映画監督の体力勝負な一面を垣間見るようで興味深い。

「みちば」には行けないけど、グリコのLEE辛さ10倍なら、どこでも手にはいる。

 このレトルトは食べたことがなかったし、極度に辛いのも苦手だから敬遠してたけど、ちょっと模倣し、食べてみた。

 ご飯は炊かず、ヤマザキライ麦パンでいただいた。

 LEE辛さ10倍が登場したのは1986年というから、ゲキ辛嗜好のヒトってのはケッコ~前からいるのだねぇ。

 

f:id:yoshibey0219:20200419005009j:plain


 日本にカレーが入って来たのは安政6年頃、横浜港が出来て以後に英国からというのが通説。

 けど、調理法については諸説あり。

 当時の英国海軍が艦内メニューに採用したさい、スープっぽいのじゃ揺れでこぼれるゆえメリケン粉をカレーに混ぜて粘ばくしたのが、日本に根をおろしたという説もあって、なかなかホンマっぽい。

 

 今はもうないけど後楽園(岡山の公園)に渡る鶴見橋のそばに「つるみ食堂」というのがあって、背の高いお爺さんが店主にしてコックだった。

 そこのカレーライスが笑っちゃうほどにプルンプルンで、押すと弾力で戻ってくるホドのプルルンっぷりに、

「おわ~~、昔の感じぃ!」

 大いに笑って食べたもんだったけど、辛さはさほどでない。というか、ほぼ辛くなく、むしろ甘い食感だったよう記憶する。色も茶というより黄色に近かったか。

 

f:id:yoshibey0219:20200419005757j:plain

             どれくらい延期されるんだろうか? 

 

 明治の日本人が食べたライスカレー(カレーライスは昭和半ばになっての呼称)もまた、粘ばりがあって、きっと今ほどは辛くなかったろう、思える。

 いっそ、そのプルンプルンな食感こそが日本での原風景としてのカレーであって、それがややハンナリと辛い……、という感じじゃなかったかしら? 

 そう空想するのだけど、いかんせん明治時代のライスカレーそのものが保存されていないんで、断言出来ない。

 きっと、今の我々の舌はそれを喜ばないとも思える。

 幕末までの日本にスパイスとしての辛味は、あんまり浸透していない。

 梅干しの、酸っぱさの奥の辛さはあくまでも塩のそれであって、スパイシ~なものへの味覚は幼年期段階であったハズだから、いきおいそれをウエルカム出来たハズはないと、思える。

 異る辛さだ。だからスパイスな辛さはう~んと抑制されていただろうと想像する。

 

f:id:yoshibey0219:20200419005130j:plain

      Un plat de riz au curry japonais avec des tsukemono 

WIKIMEDIA FRANCEに載ってる日本カレーの写真 冠詞の des は複数形 ツケモノが1枚でないと示してるワケですな

 

 明治からはるか後年の昭和30〜40年代前半のライスカレーの事を思い出してみるに、天満屋デパートの大食堂でライスカレーにソースをかけて喰った少年時代の自分が映像としてホロホロ見えてくる。

 カレーが辛くないからテーブルに置かれたソースで刺激を加えたワケだ。いや、違うなぁ。カレーにはテーブル・ソースをかけると思い込んでたか……。

 ま~、その時は両親と一緒であるから注文されたのが「子供用」かもしれないけど、今やカレーにソースをかけるヒトは少ないでしょ……。私も使わない。ぁ、でも時々に醤油をかけたりはスル。

 

 ともあれかつて明治人は、鮮烈と同時に珍味ではなく美味を感じたのはマチガイないだろうし、独特な匂いに異国な風味も感じたろう。そうでなくば、今につながるハズがない。

 ご飯+おかず、という何皿かの面倒より1枚の皿で完結する仕様もオイシカッタに違いない。

 それを合理とはいわなかったろうけど、最初からメシにかかっているというカタチの機能美には、たぶん心底感嘆したとは想像できる。

 くわえて、匙(スプーン)で食べるという新体験も大きい。

 つまみ上げるのじゃなく、すくって食べる新規に、自分もまた新規の一員になったような気を膨らませたようにも、思う。いわゆる文明開化の鐘のネがここでもこだました。

 

 明治の西洋料理屋のカレーに入った肉は、さほど上等ではなかったハズ。肉質、流通、保存いずれも発展初期、2分ばかし噛んでもまだ噛み切れないような筋ばったのがケッコ~入ってたよう、思える。

 しかし、その噛みきれないのを最後にゴックンしちゃうのもまた、醍醐味としてのライスカレーではなかったか?

 

f:id:yoshibey0219:20200419011648j:plain

 

 また同時に、実はジャガイモも珍しいものだった。北海道を中心に国産化が進むのは明治も半ばになってからだから、明治前期のそれは渡来品だった可能性が高い。

 船倉いっぱいにジャガイモを積んで日本にいけば大儲けというようなコトもあったに違いなく、事実、築地・横浜・川口・神戸・箱根・長崎の外国人居留地に軒を並べた西洋人による西洋人のためのホテルではポテトは必需。となればジャガイモの末端価格も高くなる。

 あちゃらこちゃらで日本人がはじめた西洋料理屋では、当初はイモがゴロゴロ入ってるライスカレーではなくって、匙で探ってやっと、

「おっ、ジャガイモみっけ」

 という推察も出来る。

 ま~、このあたりの詮索は、タイムマシンで当時に出向いてテーブル客になるしかないが、すくなくともLEE辛さ10倍とは別物、初代のホンダの二輪と今のそれとを較べると進化の急勾配に驚くみたいに。

 

 とそれにしても、いまさらじゃ~あるけど、LEE辛さ10倍、舌先のチビッと奥側あたりが痺れ、その左右が妙にホットな感じになって水面の波紋みたいに拡散してくの……、クセになるね1度味わうと。

 

f:id:yoshibey0219:20200419005403j:plain

 

 クセになるといえば……、政府支給の御一人サマ10万円って、そのあとは、ダイジョウブかな?

 感染おさまらずで”自粛”が長期に渡ったさいの国民への再支援策って、あるんかしら?

 ドイツやカナダや英国やフランスもいずれの国も財政が潤沢じゃ~ないにしろ、期間が長引こうが自粛と補償支援をセットしての対応の厚さと速度があってクセになりそうなのに、「スピード感をもってすみやかに」な舌先さえずり国との差を思うと、空恐ろしい。本日ただいまの日銭が入らない飲食店などの方々の痛苦をどれっくらい理解してるのだか、そこを思うと煮やされる。

 甘口でも辛口でもなく、ただもう喰えない代物の舌先政治は、滑稽劇みたい。

『シタノサキサンスン・アベノジゴク』ってなお芝居があってもイイ。

 けど、誰もそんなもの、みたくもないでしょうよ。日々そのジゴクに接してるんだから。