8月6日の朝8時頃から、TBS系ネット配信のライブ映像を眺めてた。
広島での平和記念の式典。
もう75年になるのか……、と感慨深く眺めてた。
間断なく解説を入れる男アナウンサーの声がとても邪魔で鬱陶しかったけど、そこは我慢で眺めてた。
何人かのスピーチの後、広島の小学6年の男女が壇上にたって、声を出す。
たぶんにその文面は、学校の先生なり教育委員会だのの指示が入るなりチェックされるなりの上で、幾度も練習もさせられたもんだろうけど……、読み上げるというか、ほぼ暗誦してのスピーチは、堂々たるものだった。
とくに女の子の語気はくっきり鮮明で、言葉の端々にまで意思がのり、原爆なんて2度とあっちゃ~いけないという、無垢な心が、よくよく伝わってくるのだった。
その後の、首相のスピーチは毎度のパターン通り。
むくみきった思考停止の姿をさらしてるだけ、子供のスピーチに遠く及ばない。
一国の総理大臣が子供の主張に劣るは、無残やな……。
で、昨日の長崎の式典でも、”かぶとのしたのキリギリス”。
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申し込み締め切りが過ぎ、当選した方、落選した方……、そのことで複数の知友からも連絡をもらった。
落選の人の方が多い。
申し込みが殺到したらしいのだ。
どれっくらいの殺到だったか聞いてないけど、我が周辺では落ちちゃった方の方が多いから、かなりの申し込みがあったのは間違いない。
ソーシャルディスタンス対応で50人限定だったのを、申し込みの多さゆえにあえて80人くらいにまで、同局は間口を広げたようだが(能楽堂ホールは広いので80人を越えても個々人の距離は充分にとれるらしい)。
が、それでも落ちちゃった人の方が、多い。
ひょっとすると、講演内容よりも、放送局新社屋やら能楽堂をいちはやく味わってみたいと思った方々が、多数かな? ^_^;
そんな疑念も念頭に浮くのだったけど……、ともあれ、ウィルス騒動下であれ、多数の申し込みがあったコトは喜ばしい。
この次第あって、RSKさんは、講演をネット配信する新対応を準備中とのこと。
YouTubeを利用するらしい。
まだ詳細を聞いていないから具体は判らないけど、落選された方を含め、会場入りしなくとも、これでなんとか……、当日の様子を視聴出来るかも。
ちなみに、私が話すのは明治時代半ばのこと。
RSK山陽放送新社屋が建った同じ場所に、128年前に登場した娯楽施設のこと。
そうか……。
顧みれば、この明治時代の華やかな日々から原爆投下での惨状までは、たった55年なのだ。
そのわずか55年の合間に、日露戦争があり第一次、第二次の大戦がありで……、明治・大正・昭和が駆けてるわけだ。
そう考えると、
「明治は遠くなりにけり」
じゃ~ないね。むしろググッと近寄ってくる。
考えようでは、
「明治はつい、この前……」
なのであって、よそよそしい”歴史の彼方”じゃ~ない。
天神町でのRSK山陽放送新社屋の基礎工事のさなか、2018年の10月末に、明治の赤煉瓦構築物(亜公園閉園後に出来た岡山警察署の土台の一部)を移動させたけど、取り出した直後の砕片には、ついこの前造ったような鮮烈な紅みがあって、いささかビックりしたのを思い出す。
陽光に晒され雨にうたれと風雪を耐え続けていた表面は干からび、昭和20年の空襲時での黒焦げはそのまま黒カビと化して、その経年を味わい見られるけど、取り出すさいに割れた煉瓦の内側は、およそ100年前のものとは思えないフレッシュを保って紅色が冴え、水分を含んで、触れるや指先が直ぐに色づいた。
なので、この砕片には、
1 明治38年の警察署建造時の息吹き
2 昭和20年の空襲の苛烈
3 それを観ている”今”という時間
3つの時間が詰まってるワケなのだ。
むろん、この3つを「3蜜」などとは云わない。
咳き込まず、クシャミ1つせず、けっしてモノ云わない煉瓦だけど、秘めたる経験は、大。
それを証言としてどう聞き取るかは、3の時間をいきる、わたし達にかかってる。
過去が主体の「歴史」というのは常に、”今”というフィルターで漉してみて初めて、輪郭の内側が垣間見える。