遠くて近い明治

 8月6日の朝8時頃から、TBS系ネット配信のライブ映像を眺めてた。

 広島での平和記念の式典。

 もう75年になるのか……、と感慨深く眺めてた。

 間断なく解説を入れる男アナウンサーの声がとても邪魔で鬱陶しかったけど、そこは我慢で眺めてた。

 何人かのスピーチの後、広島の小学6年の男女が壇上にたって、声を出す。

 たぶんにその文面は、学校の先生なり教育委員会だのの指示が入るなりチェックされるなりの上で、幾度も練習もさせられたもんだろうけど……、読み上げるというか、ほぼ暗誦してのスピーチは、堂々たるものだった。

 とくに女の子の語気はくっきり鮮明で、言葉の端々にまで意思がのり、原爆なんて2度とあっちゃ~いけないという、無垢な心が、よくよく伝わってくるのだった。

 

 その後の、首相のスピーチは毎度のパターン通り。

 むくみきった思考停止の姿をさらしてるだけ、子供のスピーチに遠く及ばない。

 一国の総理大臣が子供の主張に劣るは、無残やな……。

 で、昨日の長崎の式典でも、”かぶとのしたのキリギリス”。

 

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 8月20日のRSK山陽放送能楽堂での講演。

 申し込み締め切りが過ぎ、当選した方、落選した方……、そのことで複数の知友からも連絡をもらった。

 落選の人の方が多い。

 申し込みが殺到したらしいのだ。

 どれっくらいの殺到だったか聞いてないけど、我が周辺では落ちちゃった方の方が多いから、かなりの申し込みがあったのは間違いない。

 ソーシャルディスタンス対応で50人限定だったのを、申し込みの多さゆえにあえて80人くらいにまで、同局は間口を広げたようだが能楽堂ホールは広いので80人を越えても個々人の距離は充分にとれるらしい)

 が、それでも落ちちゃった人の方が、多い。

 ひょっとすると、講演内容よりも、放送局新社屋やら能楽堂をいちはやく味わってみたいと思った方々が、多数かな? ^_^;

 そんな疑念も念頭に浮くのだったけど……、ともあれ、ウィルス騒動下であれ、多数の申し込みがあったコトは喜ばしい。

 

 この次第あって、RSKさんは、講演をネット配信する新対応を準備中とのこと。

 YouTubeを利用するらしい。

 まだ詳細を聞いていないから具体は判らないけど、落選された方を含め、会場入りしなくとも、これでなんとか……、当日の様子を視聴出来るかも。

 

 ちなみに、私が話すのは明治時代半ばのこと。

 RSK山陽放送新社屋が建った同じ場所に、128年前に登場した娯楽施設のこと。

 そうか……。

 顧みれば、この明治時代の華やかな日々から原爆投下での惨状までは、たった55年なのだ。

 そのわずか55年の合間に、日露戦争があり第一次、第二次の大戦がありで……、明治・大正・昭和が駆けてるわけだ。

 そう考えると、

「明治は遠くなりにけり」

 じゃ~ないね。むしろググッと近寄ってくる。

 考えようでは、

「明治はつい、この前……」

 なのであって、よそよそしい”歴史の彼方”じゃ~ない。

 

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 天神町でのRSK山陽放送新社屋の基礎工事のさなか、2018年の10月末に、明治の赤煉瓦構築物(亜公園閉園後に出来た岡山警察署の土台の一部)を移動させたけど、取り出した直後の砕片には、ついこの前造ったような鮮烈な紅みがあって、いささかビックりしたのを思い出す。

 

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 陽光に晒され雨にうたれと風雪を耐え続けていた表面は干からび、昭和20年の空襲時での黒焦げはそのまま黒カビと化して、その経年を味わい見られるけど、取り出すさいに割れた煉瓦の内側は、およそ100年前のものとは思えないフレッシュを保って紅色が冴え、水分を含んで、触れるや指先が直ぐに色づいた。

 

 なので、この砕片には、

1 明治38年の警察署建造時の息吹き

2 昭和20年の空襲の苛烈

3 それを観ている”今”という時間

 

 3つの時間が詰まってるワケなのだ。

 むろん、この3つを「3蜜」などとは云わない。

 咳き込まず、クシャミ1つせず、けっしてモノ云わない煉瓦だけど、秘めたる経験は、

 それを証言としてどう聞き取るかは、の時間をいきる、わたし達にかかってる。

 過去が主体の「歴史」というのは常に、”今”というフィルターで漉してみて初めて、輪郭の内側が垣間見える。

8月ですが

 8月なのだけど、8月感が薄い。

 長雨から一転して蒸れた暑さだけれど、日々の中のメリとハリが失せて、季節の「季」も「節」も色あせてる。1月から8月、連続の朦朧が居座ってる。

 

 過日。午後にけっこうな雷と雨。

 ゴロゴロじゃなく、パァン!ってな発砲音めいたのも何度か。

 さなか突然、Wi-Fiルーターの電源、プッツン。

 めちゃに発熱してる。

 落雷されたわけじゃないけど、雷の影響が濃厚。

 これは弱った、大困り。

 ネットにつながらない。2回線ある電話も使えない。

 ぐずぐずしていても、はじまらない。

 雨中に車を出し、エディオンにゴ~。

 安からず高からずのルーターを1つ買う。

 

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 しかし、戻って設置しようとするに、大チョンボ……。

 電源プッツンのルーターは、光ケーブルを受け入れる、いわゆる、

光回線終端装置」

 なわけで、単なるルーターでない……。

 買ってきたものに、光ケーブルの接続ラインなし。

 それで調べるに、「光回線終端装置」は電話会社が独自規格でもって作ってるモノだから、家電店では売ってないのだった。

 なのでこの場合は、エディオンじゃなく、NTTに連絡して修理なり取り替えてもらわないといけないのだった。

 ガッチョ~ン。

 まいったな……、と困り顔。

 

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 でも、ダメ元、念をいれてと再通電してみると、あらまっ、復帰した。

 これはおそらく、雷による過剰電圧だかで一時的にシャットダウンしたのだろう、そう結論づけた。

 という次第で、ま~、せっかく買ったんだ。

光回線終端装置」と新たなルーターをLANで結び、無線Wi-Fi機能を新たな側へ移行。

 もろもろ再設定。

 あたふた慌てて損しちゃった典型例かな、これは……。

 

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 過日。F子さんとプラザホテルで「うな重」。

 ウィルス騒動下、客はほぼ、いない。

 旨さに頬ほころばせつつ、かつて岡山の高名なデパート最上階にあった大型のホールのことやら、そこでの演劇話の数々を聞く。

 彼女はそこの支配人(正式には係長。同デパート初となる役職付き女性だ)を務めつつ、自身も演劇活動に身を置いてた……。

 ホールの席数は800。

 今思うに、ずいぶんデカイ。

 寄席も催されたという。

「落語に『うなぎや』って~のがあって、店を構えたものの、暴れるうなぎにビビッってるうなぎ屋の店主のふるまいが大笑い……、って~のがあったにゃぁ」

 話は膨らむ。

「ちなみに、このホテルのうな重、秘伝のタレか?」

「ホテルって、秘伝という云い方、似合わんなぁ」

 ケラケラ笑う。

 旨い食事に美味しい話。

 いやぁ、ごちそうになりましたぁ。

 

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      ○○-□□- ○○-□□- ○○-□□- ○○-□□- ○○-□□-○○

 

 過日。

 気づくと。家の中にヤモリの子供が入ってた。

 悪害あるわけでもなく、小さな蚊やハエを捕食して”家を守り”してくれもするが、ガラス窓の外にいるならオッケーだけども、うちの中はちょっと……。

 こういう場合、部屋の電灯は保安灯のみ点灯、その部屋から退出する。

 で、5~6分後にそっと覗いてみる。

 そっすると~、ヤモリっ子はその習性上、灯りのある方向に壁を登ってく。

 郊外に住まってると、2~3年に1度、大きなかわいい眼をしたヤモリの子供が、網戸のほんのちょっとした隙から入ってくる。

 で、上記の通り、同じ行動を取るから、こちらも慣れたもんで、あんがい見つけるのは簡単。

 うちの場合は、保安灯で壁の時計がちょっと反射し、その反射光めがけ、すなわち時計を目指し、壁をヨチヨチあがってくのがパターン。

 こういう時のために目の細かい網を用意してる。(ホントは庭池用だけど)

 そ~っと網を近づけ、さっと被せて、ハイ、御用。

 むろん、殺生しない。

 庭に戻してやる。

 

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 開高健は『ベトナム戦記』の中、滞在中のホテルの部屋の壁をはってるヤモリに言及し、60年代当時のベトナムのホテルはそんなアンバイだったか~、と読んで感慨深かったけど、ベトナムも日本もそうは変わらない。

 むしろ温暖化で差は縮まって日本でも、網戸の隙間から昆虫やら小動物が浸透してくる機会は、増してるはず。

 100円Shopで昆虫網を1つ買っておけば、こういうさい、便利ぞ。

 

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    開高健の眼の鋭敏とそれを言葉に紡ぐチカラをありありと見せてくれるルポタージュ4冊

 

 F子さん宅は街中の高層マンションだけども、7~8年前、10階でネズミが出たとかで、小さな騒動になったことがあるそうな。

 登ってくるんだね~、チュ~公も。 

 今のニュータイプのコロナ・ウィルスめも、とにかく拡大と浸透という具合で懸命に”登って”んだろねぇ。

 住まいと食を求めて、皆な、それぞれが生存を賭してるわけだ。

 ま~、ウィルスは、我らが眼では見えないヤツなんで、チュ~公やヤモリ児童とは違い、見えないがゆえ、気味悪い感覚も別。そばに寄ってくるのは勘弁願いたいなぁ。

 ウィルスめに、色をつけ、かつ体重を重くする技術があればイイねぇ。

 室内とかでシュッと一吹きすりゃ、眼に見えなかったヤツらめが、赤だか青だのに染まって床に落ちてるの……、ならば掃除機で吸い取って、ハイ御用って。

 そうはいかない現状が、残念。

 

 東京五輪はどうなるの? って~前に、元旦の山崎製パンが第一スポンサーの「実業団駅伝競走」やら、2日と3日の「箱根駅伝」やら、どうなるの?

 中止となれば、我が正月の光景(朝から日本酒で餅食べつつ、チラチラ駅伝をみやる)をも、変わるワケで~~ぇ。

 そんな慣習までが、眼にみえないヤカラに浸食されてくのは、ウゲ~~、だね。

 そも、初詣の大密集は……、どう対処すべきか?

 例えば、今年の伊勢神宮は初詣客56万人……。すぐそばの、おかげ横丁の多数の屋台はある程度には減らせても、神社に”営業自粛”ってナイだろし。

 なんかもう、来春を心配しなきゃいかんね。

「初詣は遠慮しなせ~」

 って~コトになるか、ならんか……、まだ8月ながら年明けに思いが飛ぶ。居座った朦朧がチョイと先の未来までを蚕食にかかってる。

 でも、そんなこた〜知らず、庭池で睡蓮に花1つ。

 

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蝉の声・静かな庭池

 やたらの長雨。

 そのせいかどうかは判らないけど、この夏はやたらにセミが多い。

 キンモクセイにも、名を知らない成長の早いヤツの幹にも、複数のセミが3密越えてウジャウジャ。

 この2本の木だけで、たぶん40匹くらいはいるだろう。

 

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 当然に朝、にぎやか。

 というより、すごい音量での唱名。

 それが午後近くになるや、いっせいに泣き止んで、写真の通り、じっと動ぜず、梢やら幹に留まってる。

 こちらがセミ捕りしないと判ってるのか、近づいたって動かない。

 ま~、それでよろしい。

 セミの命は短い。悠々として急げ……。

 

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 やはり、やたらの長雨が影響しているのだろう。

 キンモクセイの下にある庭池の睡蓮も、本夏はやや生育がよろしくない。

 水の中にいようと陽光必要。水面に浮く葉がさほど大きくならないし、緑色も濃くない。

 長雨で水量はたっぷりながら、水温があがらず……、水槽の金魚どもを庭池に戻す予定だったけど、いまだ水槽内に生息中。

 だから庭池は無人じゃなくって無金魚。

 魚が遊泳していれば、ある程度は水を撹拌するし、浮草の根っこなんぞをつっついたりで、藻の発生をちょっと抑止するけど、それがいないもんだから、水が静止し、結果としてふやけたトロロ昆布みたいな藻が生じてしまう。

 あれもこれもが停滞……、調子が狂っちまった夏。 

 ま~、それもしかたない。こういう夏もあったと、た・の・し・ま・な・きゃ、しかたない。

 

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 3日ほど前、Kosakaちゃんがやって来て、白いトウモロコシをば。

 ありがたや~。

 小夏を運んでくれた日、前回のトウモロコシの日、で、こたびと、3度とも雨中。

「なんじゃろね~」

 と、笑う。

  

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 書店から『西遊妖猿伝 西域編 火焔山の章1』が届く。

 実に5年ぶりの最新刊。

 待ちに待った、といってよし。

 表紙のアートがガラリと変わって、「おや?」とも思ったけど、数年ぶりの再会、新陳代謝の新鮮とおもえばイイ。

 諸星大二郎は、悠々にして急がず。

 なので一気読み厳禁。チビチビすするように一コマ一コマ、ゴックン呑み読む。

 新たな章の、あくまでもプロローグ。

 馴染みのキャラクターと新たなキャラクターの顔見せ……。この先また何年もかけてポツンポツンと単行本が出るんだろう。

 ワクワクは続く。

 

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 何でもかんでも、せっつき・せっつかれる、ようなアンバイのさなか、このスローな悠々こそが気分いい。

 諸星作品は、ファスト・フードじゃない。週刊ベースな”消費”としてのFastじゃない。じっくり煮込んだ、First(一級)な滋味をおぼしめせ、だな。

 巻末に毎回登場の講釈師(作者)が、マスクしてるのにゃ、

「ぁぁ、諸星御大も同時代……」

 妙なところで顔がほころんだ。

 

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 そうやって、いつもほころんでいたいけど、国政やらその指針をきくたび、ブ〜〜。

 遊びも仕事もゴッチャゴチャの「ワーケーション」って何じゃろね?

 政府の指針をきくたび、我らが実生活とのあまりの乖離っぷりに、シッシンしそ。

 あちゃこちゃでアタフタ拡大というに、トップはこの1ヶ月会見なし、種々の委員会にも出ずというんだから、すさまじい逃げっぷりというか……、ろくでもね〜というか。ブブ〜。

 

宇宙のランデヴー

 ちょいと前、毎日新聞だかの書評というか本紹介みたいなコーナーで、A・C・クラークの『宇宙のランデヴー』が取り上げられていて、ずいぶんに、褒めている。

「あれ? そうだっけ?」

 訝しんだ。

 かなり昔に、1/3ほど読み進めたもののオモチロクなかったんで、途中でやめ、そのまま書棚に放り込んでたのが、『宇宙のランデヴー』だ。(1973年に刊行されてる)

「そんなに、オモチロかったの?」

 なので、本棚を探してみた。

 あんのじょう、出てこない。誰ぞに貸したおぼえはないし、どこかにあるハズなんだけど、わっからね~。文庫本は失踪の名人かもだ。

 先の書評をみるに、5年ほど前に新訳が出てるそうなので……、しゃ~ない。

 amazonでひっそり買い、ベッドに転んで、今度は全部読んでしまうのだった。

 

 ほいでその結果を云うなら、

「やっぱり、オモチロクないじゃ~ん」

 なのだった。

 あっ、というほどもない。

 お~っ、ということもない。

 ううっ、唸るところもない。

 刊行時、ネビュラ賞だのヒューゴー賞だの、幾つもの賞をとったらしき作品だけど、

「なんで、賞をとれたの?」

 あらためて訝しむのだった。

 

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 23世紀に近い時代の話なのに、登場人物が、20世紀の映画を観る趣味であったりする。

 なんぞ大きな行動をするさい、似通う映画シーンを思いおこしてそのキャラクターは自身を鼓舞したりする。

 もちろん、クラーク御大は、「古い映画の……」とことわってはいるけれど、この物語での人類は金星以外の惑星に既に分散して住居し、地球内での国歌という枠はとっくになくって惑星連合というカタチで語られ、それぞれの惑星の環境に応じた”性格”づけまでされた、今とは隔絶な世界だ。

 なので、たとえ”古いもの”ということわりがあれど、キャラクターの趣味としては違和がある。太陽系の惑星ことごとくを制覇した科学力がある、そんなはるか時代にあっては、たぶんに映画とて大進化していて、もはやスクリーンで観るとかいった単純なものじゃないだろう。

 なのに、個々のキャラクターは20世紀(本書が書かれた時代)の空気をまとってる。

 その世界観と個人感の乖離っぷりが……、面白くない要因だ。

 

 けどま~、全長50Kmを越える超大型の外宇宙からの正体不明宇宙船と、それを探査しようと努力する人との、大きな差という一点は、おもしろい。

 先方は徹底して人のふるまいを無視する。

 要は隔絶すぎてるワケだ。

 文明の衝突だと思ってる人類と、文明以前の、蚊にたかられた程度の遭遇でしかない何者(物かも)かとの、離れすぎた感触は、おもしろかった。

 でも結局それゆえに、見聞録としてなら有効かもだけど、小説としての醍醐味が薄い。

 やはりクラークは、『前哨』と『幼年期の終わり』、とりわけ後者がダントツに屹立して素晴らしかったなぁ、残念だなぁ、と再認識をさせられるのだった。

 

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 新たに買ってしまった新訳本の解説で、モーガン・フリーマンが同書の映画化権を取って、企画を温めている事をしった。

 とはいえ、新訳本出版は5年前だから、難航しているんだろうなぁ。

 もし、映画になったら、それはそれとして……、観たいもんだ。

 

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 いっそ、中国の映画会社と組んでみるのも有効かも。

 トランプ政権下で近頃は中国とは不仲が進行してるけど、中国映画人のイマジネーションは捨て難い。

 中国映画人は、中国共産党一色の風圧下で、近代や現在とかは描けない不自由ながら、そこを逆手に、古代の武闘やらに夢幻的要素を加味させての狭い領域で奮闘中。

 それゆえ、半端でない想像力を働かせ、かなり見事な映像化に成功してる例も多々だから、ビジュアルありきな映画としては……、面白いのが創れそうな気がしないではないけど、地球人じゃなく、国歌・中国をフロントに出してチョ、みたいなコトになっちまう可能性も濃ゆいけどね。

 

 

 

トマトとトウモロコシ

 ちぐはぐ、バラバラ、ぐっちゃぐちゃ。

 そんな、どしたらイイんだぁ、みたいな生煮えな感想しか出てこない今日この頃。水たまりに浮いた油沁みみたいに、Go Toやら強盗やら誤答やらが、プクプク浮き沈む。

 メリもハリもないんだね。

 なんだか今時のトマトの、つまらなさに似てる。

 ただもう甘くって、フニャけきってくだらない。

 

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 我がミニミニ・ガーデンのトマト。この先赤くなるに連れて虫もやってきて、かじり、穴をあける。

 その昔に食べていたトマトを思い出す。

 赤く染まりきってなくて、ヘタ部分が緑っぽいやつ。

 硬くて形が崩れず、シャキっとした歯ごたえ。けど、とてもスっぱい。

 子供の頃はこのスィィ〜のが嫌いで、食卓にこやつが出ると、ガックリしてた。

 けども、塩をふると酸味があいまいになり、種部分のわずかな甘みが逆に引き立ってもきて、

「なんだ? うまいじゃないか」

 とは思わないまでも、食べるには食べた。

 なにぶん子供だから、ご飯にあわないと決めつけて、好きになる野菜じゃなかったけど……、こんな年齢になって顧みると、今の甘くて真っ赤なのは性分にあわない。

 いわば昔のトマトは、子供のために存在しない大人の食べ物なのだった。

 

 そんなんだから、昔のそれを懐かしむ。

 トマトについては以前にも書いたけど、そういう昔のスっぱくて硬いのは、今は食べられない。

 品種改良が進んでしまって、すっぱいのを作ろうにも作れないのかな?

 手に入らない。

 うちの小庭のトマトとて苗はホームセンターで買ったもの。実っても、昔のそれじゃ〜ない。

 いっさい総じて、お子ちゃま向けのトマトへと堕してしまった……。

 

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  昭和30年代後期あたりの子供。シャボン玉遊びだね。衣類はたいがい母親だかのミシン縫いや手編み。

 ワカメちゃんカットの後頭部が懐かしいというか、丈の短いアッパッパーが99パーセント確率でパンツ丸見えで遊ぶわけで痛々しいというか、でも本人も他者もまるで気にしない時代でもあって……。

 ちなみにシャボンを膨らませてる子は女の子。赤い鼻緒の自分用雪駄がお気に入り。ほぼ100パーセント、この写真の4名も、トマトのスッぱさに難儀したクチであったろう……。

 一昨日の土曜、Kosakaちゃんが、

「この前の小夏、うまくなかったでしょ」

 ニッカリ笑いつつ、今度はトウモロコシをば持ってきてくれた。

 蒜山のと吉備高原のと、2種類。

 

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「うんうん。この前の小夏、幾つかはスカスカだったね~。けど幾つかはダイジョ~ヴィ~」 

 こちらもニッカリ笑いつつ、トウモロコシに目ん玉を細める。

 蒜山高原のそれは、およそ20年前ほど、某BARで初めてナマで味わって、背筋のシャキ~ンとした甘味にずいぶん驚かされ、

「これって、生のままで食べられるんだ……」

 EAT初心者の域を出ない感想を漏らして、K ママに、

「あらま〜、知らんかっとってんチントンシャン」

 笑われたけど、以後は蒜山のトウモロコシと言われたら、自然と「良品」の一語が点灯するような癖になって久しい。

 

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 良品、というのはたいがいに、メリもハリもがシャキ~ンとしてる。

 さっそくに、レンジで7分間チ~ンして頬張るに、

「うんうん、これこれ」

 粒々の1つ1つが硬すぎず柔らか過ぎず、旨味が凝縮して豊穣、顔がとろけた。

 最近のトマトがいずれも甘~いフォーカスでピントがあっていないアンバイなのに較べ、このトウモロコシの甘味は明確な意思で裏打ちされてるようなところがあって、

「ぁあ~、なるほど、こんなところにも!」

 メリとハリの凜々しさのようなものを感じたりもするのだった。

 

 

明治の感染症騒動

 

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          ↑ 7月13日新聞休刊日の毎日新聞ネット記事の見出し

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       ↑ 昭和18年日本陸軍省が発行し全国に配布した標語ポスター

 

 イヤな匂いの感じ悪さ……。 

 上記の2つ。雰囲気、似ていなくもない……。

  

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 亜公園のことを調べていくと、芋づる式に、あれこれな当時の姿が立ち上がってくる。

 ま~、それが面白くもあり、同時に、いつまでも調べ続けなきゃいけないというアンバイになって、ゴールが見えなくもなるのだけど。

 とはいえ別にレースに参加しているんじゃないから、あせる事もない。自分の中での区切りをどの辺りに置くか……、という一点のみが問題かな。

 

 亜公園がオープンした明治25年。開園後4ヶ月めの7月、大きな台風が岡山にやって来た話は、前回の岡山シティミュージアムの講演で披露した。

 岡山市全域がほぼ床上浸水という悪しきな事になっちまった。

 亜公園は高台だから、水にやられなかったものの、オーナーの片山儀太郎は京橋のすぐそばに住まっている関係上、レッド・アラートな場所。

 家から出られず、大量に抱え持つ材木の流出や京橋倒壊を心配でやきもきしてた、というような事を話した。

 一方で、この時岡山の親戚宅に滞在していた夏目金之助は、親戚宅が浸水。縁あって知人の光藤亀吉が金之助のところに馳せ参じさせた弟(後に2代目亀吉を名乗り岡山ガスの社長になる)の誘導で、高台たる県庁ないしは亜公園に丸2晩ほど避難していたという事も、話した。

 ま~、その辺り、来月のRSK山陽放送でのトークでは、やや長い話になるから言わないかも知れないけど。

 

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 さ~、その水害の後だ。

 台風後、実は、コレラ赤痢が発生し、かなりの被害が出ているようなのだ。

 明治半ばという事もあり、統計数字としての被害者数など、詳細は判らない。

 けど、死者もかなり出たようである……。

 当時、上水道・下水道ともに未発達というか、水道なんか、ない

 

 誰しもが、飲料は井戸に頼る。

 トイレはすべてくみ取り。

 市内はほぼ全域が床上浸水だ……。

 さて。そうすると、どうなる?

 要は井戸の水もトイレの中身もごっちゃに混ざるわけだ。

 その水をナマで飲む。

 コレラ赤痢は経口感染するから、当然に、てんでワヤな状況になるワケだ。

 グツグツ水を沸騰させて飲むならまだしも、なにぶん夏だ、チメテ~のを飲みたいじゃないか。

 それで井戸の濁りがないのを見てから、

「茶碗いっぱいくれ~ならデェ~ジョウブじゃろう」

 飲んじまう。

 大丈夫なはずがない……。

 菌は彼ないし彼女の小腸に蚕食にかかり、その彼ないし彼女の排泄物が地中からまた井戸水へと移動し、次いで家族が感染し、今でいうクラスターみたいな事となる。

 

 今回の、我々が経験中のウィルス騒動ではオリンピックの前にワクチン開発完了、といった希望的ニュースが耳に届くけど、はたして、そんなお薬、出来るのかしら?

 実は、赤痢コレラも、いまだ特効薬は、ない

 出来ていないんだ。

 昭和の半ばころに両者は日本から急減し、なにやら良く効く薬があるよう思いがちなれど、実態はそうでない。

 要は上下水道が発達して、飲料水とトイレを含む汚水とが分離され、人間にとっての衛生面が大きく向上したのがポイント中のポイントだ。

 コレラ菌赤痢菌も、今もウジャラカ、いる事はいるのだね。

 

 明治の半ば、開業した亜公園はそういう伝染病蔓延をも経験しているワケだ。

 ということは、今とあんまり変わらないじゃないの。

 (亜公園で伝染病が出たという話はない)

 ニュータイプのコロナ・ウィルスは、コレラ菌なんぞよりはるかに微細なものらしいが、そのコレラですら完治薬ができないのに、はたしてウィルスに効く薬が数ヶ月で開発出来るんだろうか……。

 難儀は続くと思った方が気がラクかも、だ。

 だから呼吸器系衛生面の充実が結局は要めって~コトかな……。コレラ達と人間達同様に、このさきは共存するっきゃ~ないのかも、だなぁ。ヤだなぁ。

 

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 ちなみに、岡山での上水道のスタート時を顧みるに……、明治21年に自費でもって上水道を構築して市民に提供しようとした人があったけど、大掛かりで予算も甚大ゆえ断念。

 明治33年には市役所に水道工事課を設けたものの、意外や、市民の半数は水道設置に反対。市議会がそれで二分して、何も進まない。

 明治35年。全国的コレラ蔓延。水道敷設がコレラ赤痢に対抗する手段という知識が広まり、反対の方々も賛成へと意見を変える。

 明治38年岡山市は申し込みのあった7434戸に向け水道給水を開始。以後、徐々に拡大……。

 その拡大と共に赤痢などの発生がカク〜ンと減少する。

 

 上記の通り、かつて、水道なんぞは要らない、というピープルがけっこういたのですなぁ。

 ヘンテコだけど、お・も・し・ろ・い

 水道を整備してやっとコレラ赤痢蔓延をコントロール出来たというのを今に適用すれば、さ~、わたし達はどういう社会整備をやったらいいか?

 今やどの店でもやってる透明ビニールの間仕切りのみが、”効能あり”とは思えない。共存となるなら、生活スタイルの根幹にある何かを変えなきゃいけない。

 けど、決定的となる何かがまだ判ってないというのが、ま~、ペケなところでしょうなぁ。この状態でオリンピック開催なんて、ありえないでしょ。

 それでもヤリタイという人があれば、それは明治時代の、水道施設に反対を唱えたヒトに逆説的に似るなぁ。

 

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 という次第で、次の講演は8月20日

 申し込みはRSK山陽放送へどうぞ。当初は250名様を予定でしたがソーシャルディスタンスにて、50名様限定。

 7月末が締め切りだそうですから、興味ある方はお早めによろしくどうぞ。

 

 

フルーツ少々

 曇天ないしは雨天が続き、いささかにうんざりの日々。

 雨が落ちない束の間に、パッションフルーツを室内から庭へ。

 去年より1ケ月、遅い作業。

 去年夏に金属製のアーチを小庭に置いたから、それにからんでいくよう鉢を置く。

 今年はあえて鉢を土に埋めない。ま~、ちょっと下あたりのみ埋めたけど、鉢底の水抜き穴から土に向けて根は伸びてく。

 

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 根がメチャ広範囲に拡がるのがパッションフルーツの特徴。なので深鉢だと当然に根も深い場所に伸びる。

 そこを今回は、やや浅い部分で根をおろしてもらおうと思ったのけど、さ~、どうなることやら……。

 

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 パッションフルーツの葉は緑が濃く、なにより、柔らかなのが良い。

 外に出されると、環境急変でしばしはぐったりな姿を見せることになるし、ズッと雨でもあるから……、どう育って葉を茂らせるか、しばし静観するしかない。

 

 数日前の雨の夕刻、Kosakaちゃんが小夏を持ってきてくれた。

 高知の土佐町久礼にカツオのたたきを食べに出向いた、その道ばたで売ってたものだそうで。

 店販売用のカタチ整ったものでなく農家の方が直に売っていたものらしい。ウィルス騒動で県外からの来訪も激減、ちょっとでも現金に……、という流れでの販売か、驚く程安かったという。

 カタチが揃わなくていいし、傷もあっていい。

 ありがたい。頂戴して酸味を味わう。

 

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               幾つか食べた後で写真パチリ

 

 小夏は白い毛布のような皮部分ごと食べちゃうという、やや不思議な果物だけど、食べつつ、小庭のレモンに思いを跳ばす。

 周りの植物が派手におごって、チッとも目立たないし、葉もパッションフルーツのように柔らかでない。どっちかといえばゴワっとした感触。

 ゴワゴワ葉っぱはさほど好みじゃないけど、ま~、いいや。今は育って大きくなって周りの植物に負けないくらいのサイズになるのを祈念するのみ。

 

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                    レモンはどこだ?

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      写真の中央、ここだ。周辺の伸びっぷりにヤヤ気後れしてるんじゃ~ないかしら。

 

 年々歳々、温暖化によるらしき、いわゆる激甚災害の厳しさに拍車がかかってる。

 ヒトの作った治水構造を越えて川が氾濫することたびたび。

 それでエライことになっているけど、川に住まう魚たちはどうしているんだろう?

 上流から下流への流れが尋常でない中、同じ場所にとどまっているとは思えず、急激な流れと増水に当然に流されているだろうとは考えられるけど、はたしてどれっくらい流されているのかしら?

 

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 2㎞とか4㎞でなく、数10㎞移動しちゃう場合もあるのかな? ネット配信の川の映像を見る限り、流れに対抗して踏ん張っていられるのは数分って〜ところだろう。

 となれば、土砂の流出と共に、上流部分では魚が一気にいなくなっているんじゃなかろうか?

 やむにやまれぬ流れ旅での故郷喪失……、魚の目線で思ってみるんだけど、さ~、どんなもんでしょう。

 おそらくは魚界でも被害甚大ということなのだろう、な。