遠いのか・近いのか

 過日の夜中。台風のかなりの風で電線が唸り、ポリバケツの類いやら、ちぎれた葉があちこちに散乱し、転げているのだったけど、雨はなく、空は晴れて星が見えてた。

 妙なバランス。

 

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 昔々、幼年時……、自分に記憶はないことながら、津山時代のエピソードとして、父母から聞いた伊勢湾台風の直撃。

 本州はえらい被害を受けた。室戸岬あたりに上陸した台風が京阪神に移動したのは朝の8時頃だったようだ。

 この移動のさいに津山も被害を受けた。

 父母は当時、崖の上にあるオンボロな一軒家を借りた直後で、そのオンボロゆえにか、雨戸ぶっ飛び、障子ズブ濡れて桟のみの形骸。

 吹くな風・叫ぶな嵐。夫妻で畳をおこし、それを盾にし風雨の侵入を防いでいたという。

 凶猛な雨と風に晒された南面(崖側)はガラス戸がなく、縁側の奥に障子戸があるきりなのだから、大変だ。

 いや、そうじゃないな。アルミサッシのガラス窓の時代じゃない。むしろガラス窓がなかったのは幸いだったかも、だ……。

 で、夫婦は髪も肩も濡らしつつ、必死の形相(たぶん)になって自分らの体重をかけて畳を押さえてるから、部屋の奥の押入れの横に寝かされて泣き叫んでる幼い当方をあやす事ならず……、というあんばいだったようである。

 その家は崖の上にあるから視界が広がる結構を堪能出来たけど、いざや強風強雨となれば、打たれること甚だしいという次第だったのだろう。

 聞き知って以来、台風のたび密かに、遠く淡い幻影のように親子3人遭難直前の様相を思い浮かべるのが癖になった。当時まだ弟はいない。

 玉のように美しいだけがトリエの我が方は、台風直撃中の父母の修羅など知らず、小っこい綿布団にくるまってギャ〜スカ泣いてるわけだ。

 身の危険大ありのひどい状況と泣きやまない幼児……。難儀したろうなぁ両親は。

 

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 この一件を思い出すたび、ブーフーウーの3匹の子豚も思い出す。

 狼の揺さぶりに負けないウーちゃんの煉瓦の家って、イイよなぁ~。中学生の頃まではそう思って揺るぎなかった。

 ま~、今はちょっと違う。

 あんがいと、長男のブー君がこさえたワラの家がいいのじゃないかしら?

 そう思ったり、する。

 災害のたび即効で壊れるけど、ワラなら直ぐに建て換えられるじゃないか。家屋倒壊で悲嘆する時間もかなり短くって済むんじゃなかろうか……、とかね。

 

 九州での今回の気象庁の事前警告は3密回避のダブルパンチとなって、結果、ホテルをシェルター的に使う方が多く、どこも満室になったそうだが……、なるほどねぇ。

 さなか、ちょうど、明治初めのホテル事情を調べていたもんだから、感心した。

 

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 明治といえば、遠いと思うか、近いと思うか?

 我らが亜公園が閉園したのは明治38年だから、令和2年の今から見れば115年前。やはり遠い。

 しかし一方で見方を変え、明治38年から昭和あたりを眺めてみると、ちょっと様相が違う。

 例えば昭和20年の広島・長崎の惨劇は今から75年前のことながら、明治38年からは……、わずか40年後の未来でしかない。

 

 元号というのは、継続性をあえて断ち切る「装置」として機能し、事実その昔は、天災が続く場合に元号を変えてみるといった切り替えスイッチとして、心理的に有効なものじゃあったけど、ヒストリーを語るときにはちょっと困るようなトコロもあって、もどかしい。

 むろん嫌いなワケじゃない。年表的な数値換算には向かないけど、イメージとしての時代輪郭が立体視できる。

 元号という”名前”をあたえる事で、数字的西暦じゃ~ない、艶がでる。

 ただもちろん、その濡れた情感みたいな感触に溺れないようしなきゃ~いけないけど。

 

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 昨日午後。S新聞文化部の記者さんが取材にくる。

 こたび新たな記者さん。ナイスミ〜チュでキシャ貴社しゅっぽっぽ。

 あ~だぁこ~だぁ、とおしゃべりして、あっという間の数時間。

 思いがけない問いに、「ぁあ、そんな見方もあったかぁ」

 逆に刺激されたりもする。

 

 今日の午後。記者さんと甚九郎稲荷へ。

 昨日の続きの取材受けつつ、亜公園関連の遺物の前で写真撮影。ポーズ各種……。

 記事は今月内、夕刊に掲載とのこと。

 

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            稲荷はただいまリニューアル中。朱が塗り替えられて妙にまばゆい。

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  撮影されてるさなか偶然に上之町商業組合のI事務長がお越し。

 先のRSKでの講演も聴講くださっていたようで、こちら恐縮キョ〜シュク。

 けどお話するに、思わぬ収穫も頂戴することに……。

 甚九郎稲荷の長い参道に関してだけど、思えばこの規模の稲荷でこれだけ長〜い参道を持った小規模神社って、あんまりないのですわぁ。

 亜公園内天満宮が参道がなかったゆえ、

「あらっ?!」

 新たな考察のでっかいヒントをもらっちゃったよ〜。

 ま〜、この事にかんしてはもう少し煮詰めてからご報告……。

 

 この後、すぐそばの島村写場へ出向き、いつも品良きファッションでカッコいいオーナーにお会いし、とあるモノを記者さんが撮影。「煮詰める」という言葉がよく似合うモノで明治時代の稀少品なのですが〜ぁ、これもまた機会あらたに、どこぞで紹介したいと思ってる、お宝の逸品。

 ともあれ明治時代の掘り起こしは、面白い。

 毎年毎年どんどん遠くなっていくわけでもあって、その時間とのせめぎ合いもまた醍醐味に拍車をかけてくれるワケで。

 

 

レモンと雄町米の酒の樽

 やられた。

 レモンの新しい葉を虫に囓られた。

 朝は無事であったのに、夕刻の水やりで、

「あちゃ~」

 異変に気づいた。

 ガックリやら腹立たしいやらやらやら……。

 水やり後に防虫剤を散布。

 さて、どうなりますやらの小庭のレモン。

 

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      このショウリョウバッタが犯人かどうかは、わからん……。けど、怪しい。

 

 近頃は、日本酒にレモンを添えるという飲み方も、一部じゃ流行っているらしい。

 純米、吟醸本醸造とかの蔵元滋味をそのままでなく、ハイボール的変化球でもって味わってみるという趣向なんだろう、か?

 であるなら、ほぼ当然にソーダで日本酒を割るのだろう。

 そこにレモンをば添加するわけだ。

 試そうとは思わないけど、あんがい、それはそれで美味いのかもしれない。

 ただ、舌と味覚は保守的なもんだ。なので、ボクの頭には、邪道、という単語が明滅するけど、一方で、ワインに氷をたっぷり入れて呑んだりも、する。

 いけないか?

 いけなくはないだろう。

 時には……、という括りの中で、イレギュラーもいいもんだ。利休が愛でた黒茶碗でアイス珈琲飲んだって、べつだん、いけないわけじゃ~ないんだし。

 が、だからといって利休が茶道具の至宝と自ら位置づけたものを、わざわざアイス珈琲に使うヒネクレも、如何なものか。

 黒茶碗という存在は茶室という極小宇宙の中心核としてのブラックホールなんだから、理屈はともあれアイス珈琲の出番なし、ね。

 

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 明治になる11年前。安政6年(1859)に岸本甚造さんという人が、鳥取の大山だいせんに旅したさい、穂先が重くって首を垂れてる稲を採取して持ち帰り、新たな品質の米栽培に成功した。

 粒も大きく、むっちりとして滋味が濃い。

 これが良い酒米となる。

 雄町米、と名付けられて、市内の蔵元はこぞってこれを使った。

 噂は野火のように拡がり、雄町米の栽培と雄町米を使った酒が全国を席巻した。

(いまだ雄町をオスマチと読む人があるけど、オマチと読む。お間違いなきよう願いたい)

 今は山田錦が1番ということらしいが、その安政から明治・大正にかけてのダントツ1番は雄町米の酒だったし、昭和初期頃の東京での寿司米といえば雄町米が最上等ともいわれた。(『寿司ものがたり』による)

 

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            岸本甚造さんを顕彰する大きな石碑。岡山市中区雄町

 

 8月20日RSK山陽放送での講演で、この雄町米の酒と片山儀太郎の関係について、初めて触れた。

 まだ検証出来ていない部分もあって、仮説の域を出ない点もあるけど、ともあれ、明治時代の雄町米の酒の勢いは大きかった。

 後押ししたのが、明治8年(1875)の酒造税と営業税だ。

 それまで酒はややこしい規制があって誰でもが醸造家になれなかった。それが醸造技術とある程度の資本があって、キチリと税金を納めりゃ、酒造りが出来るようになった。

 なので翌年には全国で3万軒を超える酒造場が出来るという盛況で、当然に、良い酒をどこも造りたいわけゆえ、必然のように雄町米が用いられた(もちろん別品種も多々あるけど)……。

 明治半ばでの、岡山市とその近辺での醸造家の数がいまだ判らない。が、多くが雄町米のそれであったことは自明だろう。

 当然に酒販売のための、がいる。

 樽はなくてはならないアイテム、瓶はまだない。(瓶は明治30年代後半に登場)

 木材問屋である片山儀太郎は、この雄町米の酒ブームにのった。

 

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 当時、酒はどれくらい売れていたか?

 なんと――、明治半ばの国家の歳入費の、実に30%が酒税収入だ。

 自動車業界とか鉄鋼業の興隆はまだ先の時代とはいえ、当時の日本人がえらく酒を消費していたのは間違いない。

 というか、そこまで呑むか~ぁ、という程の勢い。

 明治中期というのは、酒をエネルギーにして人が闊達に動いてた時代だった、といってもイイ。

 

 だから当然に樽材も飛ぶように、売れたろう。

 片山儀太郎は奈良の吉野から、当時も今も最高と評価される吉野杉を取り寄せた。

 この証拠となる当時の広告が、ある。

 

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             井土州酒樽とあるのは、土佐の杉で造る樽のこと

 樽そのものの等級もある。当然に、吉野杉を使った樽は最高級品。

 片山木材が扱った吉野杉や土佐杉の販売実数が判ればいいけど、いかんせん、そのあたりの数値を探すのは至難かな。

 片山木材店で樽を造っていたわけじゃない。樽屋や桶職人やら蔵元が片山木材を訪ね、吉野杉の樽材を買っていたわけだ。

 樽は、四斗樽(底部分がおよそ60センチ径・1升瓶40本分)、二斗樽(およそ50センチ径・1升瓶20本分)、一斗樽(40センチ径)、五升樽(30センチ)など、各種サイズが造られたろう。

 それで、片山儀太郎が大きな収入を得た要因の1つとして(あくまで1つとして)、雄町米の酒ブームがあったろう……、というような事を、この前の講演ではちょっとだけ触れたわけなのだ。

 

 昭和11年兵庫県に登場した山田錦のそれへと次第に変わって、雄町米はシェアを落としていく。

 いっときは壊滅的なほど減少し、水田が拡がっていた雄町(地名です)は昭和50年頃より農家が田を売って宅地化が進み、もう昔のイメージは薄い。

 でも酒という嗜好品には特定銘柄に特定の顧客もついている。

 なので雄町米も復活(雄町以外のあちゃこちゃで作ってるんだろね)で、現在は4位らしい。

 

 ま~、以上はレモンに直接は関係ないけどね。酒がらみでアレコレ調べていくと、あんがい面白い事実にぶつかって、ちょいと酔い心地。ポ~ッとさせられるようなところもあるんだっぽ~~っ。

「のんのんばあ」の後ろに「捨石丸」

 8/20付けのこのブログで1冊の本が「探せない・見つからない」と嘆いた。

 それが出てきた。

 水木しげるの漫画。

 再読のために、探していたわけだけど、どこにあるやら皆目わからなくなっていた。おまけにブック・サイズもタイトルもおぼえてね~。

 それが、ベッドサイドの書棚、いつも眼が届いてるところにあった。

 その本は違う、と思い込んでいたもんだから、眼中に入れてなかった。

 とんだ、灯台もと暗し……。

 だって、そうじゃ~ないか。こんな表紙なんだ。

 

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 てっきり『のんのんばあ』の一連のシリーズのみが収録されている本だと、ま~、そう勝手に思い込んでたわけなのだ。

 ところがこの本、「のんのんばあ」は1/2ほどで、後半に、探していた水木御大の短編が複数、収録されているのだった。

 そういう構成であるのを、とっくに忘れ、「のんのんばあ」オンリーだから該当の本じゃ~ないと……、思い込んでたわけだから、腹立つというか、呆気にとられたというか、拍子抜けたというか、この3週間ばかりズッと探しては途方にくれてた我が時間って何やったの~、Oh,No!.No!.No!. なノー連呼。能舞台に立った歓喜もさめるOH NO NO。

 それら作品群は、水木御大のオリジナルと共に、古典の『雨月物語』や『春雨物語』から材をとって、水木風味に脚色したもの。

 さっそく久々、拝読。

 ぁぁぁぁあああ。

 やっぱ、良いなぁ。「のんのんばあ」も悪くはないけど、後半部に収録されたものは何れも粒ぞろい、滋味の濃さが桁違い。

 

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「捨石丸」、「二世の縁」、「目ひとつの神」(『春雨物語』より)

「青頭巾」(『雨月物語』より)

「偶然の神秘」、「徳兵衛と丸子石」、「へそまがり」、「蝶」、「偶然の神秘」、「錬金術(オリジナル)

 どれもが甘露、滋味たっぷり。

 なんで「のんのんばあ」とカップリングして1冊にしているのだか、理解しがたい。「のんのんばあ」もまた水木御大の傑作シリーズの1つじゃあるけれど、それが玄米茶なら、後半部の作品群は厳選茶葉な緑茶。

 ごった煮ちゃ~、いけね。

 おかげで探索に苦しんだヒトも、ここにいるわけで~ぇ。

 

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 ともあれ、眺めた、読んだ、久々に堪能の芯を燃焼させた。

 それで、書棚から古典を引っ張り出し、原作たるの小篇を幾つか拾い読んでもみた。

 やっぱ、良いですなぁ~。

春雨物語』、『雨月物語』ともに上田秋成の代表作じゃあるけれど、その中の「捨石丸」は妖怪が出てくる話じゃ~ない。ちょっとした行き違いによる誤解が招いた悲喜劇とでもいうべき内容。

 その原作を水木御大は脚色し、誤解による苛烈さを際立たせて結尾を少し変えて、ひょっとすると上田秋成のオリジナルを越える厚みをもたせるのに成功しているようにも、思える。

 

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「青頭巾」オリジナルはやや抹香臭い感じで物語が閉じられるが、御大はそうはせず、一種グロテスクな結末によって物語の中の僧呂のカタチを際立たせ、逆にそれでヒトの中の業の抽出に成功しているようにも、思える。

 それに加えて、主役の高僧がネズミ男の顔なのがいい。おなじみの役者が別演技でキャラクター幅をひろげているようで、いわば1粒で3倍のおいしさ味わうという豪奢。

 

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                   「青頭巾」の部分

 

 一番に好きなのは、「目ひとつの神」。

 原作オリジナルに沿うての猿やら兎の眷族どもの描写やら、目1つの神さんの描写が圧倒的でなんど眺めても感嘆する。柔らかなユーモアっぽい絵の根底にある”凄み”に圧倒される。

 

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 上田秋成も秀逸、水木御大も秀逸。

 一読者として、堪能すること、しきり。

 探し出せてホンと良かったワって~な、コロナ占領下時代の今日この頃。

 

 余談ながら、『雨月物語』三之巻に「吉備津の釜」という、なかなか恐ろしい話が載っている。

 吉備津の釜とはむろんに吉備津神社のあの吉兆占いの釜(鳴釜)で、県外者には馴染み薄いだろうけど、岡山市民は概ねで知っている同神社の神事を司るというか、他の神社にない”装置”としてのお釜だ。

 秋成はそれをモチーフの根底に置いて、浮気性の男と妻と妾の顛末を描いてる。舞台もこの岡山。

 男は熱しやすく冷めやすくの、ただの直情型のつまらん人物だけど、これを水木しげるが脚色して漫画化したらどんなアンバイの作品になってたろうか? 

 原作では浮気男はおびただしい血痕のみ残し、いずこかへ消されるが、水木御大なら、そこをどう描写したろうか……。もはや彼も鬼籍に入ったから、読めぬのを惜しまないではない。

 

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         吉備津神社のHPより 2人の巫女が釜の音を聞いて吉兆を占う

 前回講演の、期間限定の動画配信が終了し、概要を紹介するページが山陽放送のHPに出来てる。2人のスピーカーの写真……、似通う頭髪に似通うイデタチであったのは、ホンの偶然。HPはこちら

 しかし楽屋で2人話してるうち、我が方のテーマである人物と先方さんのテーマである人物とがヒョンなことで、実は接点ありということが判明で、お互いちょっと興奮したのは……、必然?

 先に紹介の水木御大の作品「偶然の神秘」は、そのあたりの消息の不可思議を描いていて、絶妙の味わいだったなっ。

 

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残暑見舞い

 緩みかけているとはいえ、まだまだ暑い日中。

 黒澤明の『野良犬』は戦争が終わって4年後の1949年作品。ねっとりした暑熱で熟れきった映画だった。

 巻頭のバスの中、濃密度な暑さ ↓。

 

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 次いで追走シーンのまだまだ焼け跡の白っぽい町並み。街路樹もなく(空襲の爪痕だ)、木陰らしきがみあたらないその空虚な空間の暑さ。

 

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 三船敏郎木村功志村喬淡路恵子……、劇中の全員が汗をかいて、額も首筋も濡れている。

 この作品を眺めるたび、この映画って、夏にみるべきか、冬にみるべきか……、いつも、そんなくだらないコトを思う。

 どのシーズンに観ようと傑作は不動じゃあるけれど、映画の中の暑熱は、シーズンによって感触が違い見えるような気がしないでもない。

 黒澤監督は本作の公開を1949年の10月からはじめてる。

 夏の盛りでなく、秋に公開だ。

 ということは、秋が最適な見頃ということか? 観客に数ヶ月前の夏を想起させ、

「ぁあ、あの暑さじゃ、こんな狂乱な事件も起きるよな~」

 と、そう感じさせたかったか?

 しかし1949年10月と2020年10月は、温度が違い過ぎ……。11月半ばでやっと、1949年10月頃の地上温度になるのかな。

 

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 山陽放送での講演から早や5日。

 YouTubeで映像を眺めるに、幾つか、言い間違ってるところがあって、ブヒ~っと溜息こぼす。

 期間限定の配信情報はこちら。明日26日で公開終了らしい。

 私のアップじゃなく、話の展開に応じたスライド・スクリーンを前面に出して欲しかったけど、能楽堂での第1号というありがたい講演の場。

 

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 能舞するワケじゃ~ないけど、そこでの最初のイベント。能舞台に立つって、めったとない体験ゆえ、何やらくすぐったい。

 ただ、ビジュアルとしての我が方の姿勢の悪さやら言い間違い、例えば明治27年を昭和27年といったり、酒というべきを米といったり……、のていたらくは困ったもんだ。

 会場の皆さんにちょいと誤解をあたえたか思うと、いささか気が重いような感もなくはない。

 

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 言葉というのは時に無自覚に発しているところがあって、頭の中にあるものと実際に口からこぼれるものが違うというのは、始末がわるい。

 

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 当日に会場で撮った唯一の写真  ↑。能楽堂の裏側。左は地詩座につながる扉部分。私はここから舞台に出入りしましたよ。

 橋掛かりの部分にスクリーンが立てられ、その手前に講演用の拡大ステージが置かれてと、なるほど能舞台もこういう工夫で”多目的”に使えるのだなぁ……、と感心。下の写真、私の背景のカーテンが上写真のそれね。

 

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 講演のバックヤードは万全で大勢の同局スタッフの至れり尽くせりは、感動もの。

 トーク後に食べちゃお~と思って楽屋に置いてた豪華っぽいお弁当を、いつのまにやら片付けられてしまった不意打ちは共演の鈴木先生ともども、「あれ?」って~な苦笑だったけど、実に細やかな進行と誘導と配慮は申し分なくって、さすが放送局だなぁ……、つくづく感心しちゃってた。

 なのでアッという間に時間が過ぎた。

 

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 スポットライトをあてられ、飛沫感染防御の透明アクリル板も眼前にあって、観客席は、最前列あたりはかろうじて見えて、「おや? Goto先生座ってるじゃん」とは判るけど、その後ろはもう見えない。知り合いを探すことが出来ない。

 ま~、そんなこたぁ、どうでもいいのだ。

 映像で観るかぎり、くらいシルエットとなった皆さんがけっこう熱心に聴いてくれてるのは判って、ありがたや、でありました。

 多謝。

 

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 小庭に置いた金属アーチに片側からパッションフルーツ、片側から昼顔をからませておいたら、暑熱の中で双方からツルが延び、途中で交錯し、それでも互いに侵攻(進行か)やまず。

 昼顔のツルにパッションフルーツのツルがからみ、またその逆もあり、一見、何が何だかわからない。

 花をつけた昼顔がヤヤ勝っているよう見えるのは成長速度の違いから来るのだろうけど、花は花で我が背丈より高い部分に群れて咲いてるので、見栄えしない。

 ま~、この夏の混乱と混沌を植物で表現したみたいなアンバイかもと思っちゃえば、この2種植物のツル合戦も、2020年のメモリアルな光景と……、いえなくもない、か……。

  

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 午後3時に撮影 ↑。

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 午前3時に撮影 ↑。

 アーチというより、ツルが垂れ下がりお椀みたいな密茂……。アーチくぐれない。

 で、昼顔は傘を閉ざして夜明け待ち。

 

 

 

 

 

消えた本

 

 1冊、ほぼ絶対に、部屋のどこかにあるハズの……、本が見つからない。

 本はよく行方不明になるけど、たいがい数日後には出てくるもんだ。

 けどもこの1冊、そうでない。

 日々刻々に探し続けてるわけでもないけど、日に1回は探して早や1ヶ月オーバー。

 ちょっと珍しい。

 探せ出せない場合は、時にひそかに同じのをもう1冊買ったりもして、過去、うっちゃってきたけど……、この1冊に関しては、タイトルをおぼえていない。ブックサイズもおぼえていない。

 なので、また買おうにも、買えない。

 内容の1部のみはおぼえてる。

 

 水木しげるの漫画なのだ。

 数話の短編が収められている。

 その昔、コツコツコツと岩を穿ち、やがて細いが1本の新たな道を造った男の話。

 やはりその昔、都にあこがれ、両親の引き留めを振り払って家を飛び出した男が、その道中の祠で怪異な集会に遭遇し、一つ眼の恐ろしげな神さんから未来の自分を見せられて、都行きを止した話。

 錬金術にはまり、他者からみれば狂乱そのものの夫婦の話。

 そういったのがはいった1冊。

 でも、本のタイトル、わからね~。

 

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 amazonでそれらしきを探し、新刊・古書ともども数冊買ってみたのだけど……、いずれも違ってた。

 ま~、それはそれで買って愉しめたけど、肝心な本は、いまだ判らない。

 これ、かなり、もどかしい。いっそ苦痛に近い……。

 

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 さぁ今日は、山陽放送での講演。

 真新しい会場。そこで初めての入場料ありのイベント。入場時のウィルス対策の手順……。

 という次第で、ちょっとしたリハーサル有りとのことで、早めに会場入りしなきゃ~いけね。

 いつもなら気心しれた仲間が後方で支えてくれて結構ラクショ~じゃあったけど、こたびはそうはいかない。

 靴紐とハートをキュッと締めて、出かけなくっちゃ~。

 

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            ぁ、どっちにしようか……

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 ブログはこういうライブ感の抽出には、向かないね。ツイッターみたいな発信が勝る。

 でも、ツイッターしない。

 

 本講演は、YouTubeでの配信が同日の夜から数日間、実施される。

 数日間のみらしいけど、興味あればどうぞ。丸ごと観られるはず。

 詳細は、RSK山陽放送のHPで。講演後にアナウンスされるのかな?

 

 朝4時。

 外に出た途端に、「おっ!」。

 東の低い空に見事な有明月。

 その左手下方でピッカリ光る金星。

 家屋で半分隠されているけど、右手にはオリオン座が登りかけ。

 iPhoneのカメラ機能程度じゃ~、この静かな情景気分を捉えることが出来ないけど、天空は早や、密かに冬支度。

 

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 盆。

 朝9時に坊さん来たりて、ウィルス騒動下でのお参り事情など雑談。

「今年は来なくていい」

 という檀家もあるそうな。

 仏教界も収入ダウンということになるんだね、ウィルスで。

 

 墓参り。例によってお墓は暑い。

 次いでゆえ、同じ墓所内のマ~ちゃんのところも草抜き。

 10mと離れていないのに、うちの墓とマ~ちゃんの墓とでは温度が違う。

 マ~ちゃんのところは樹木の陰りと重なる位置にあって、朝夕は直射されるけど昼間は、影にある。ちっと涼しい。

 なので、うちの墓とは別種な雑草がはえる。

 うちのは朝から晩まで直射される場所なので、地面を這うだけの小さなものだけど、マ~ちゃんの墓はやたら背の高いのが伸びている。

 どっちの位置がいいんだろ? 下写真の通り、抜きやすいという点ではマ〜ちゃんの方がいいけどね、冬場の厳冬はうちがしのぎやすさで勝るか……。

 

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 坊さんが来る頃合いにあわせてやって来た我が弟は、小学生の時の夏休みの日記だかで、毎日の気温を記し、

「31度の日があってびっくりした」

 という感想を書いたことがあるそうな。

 ところが今や、38度あたりがビックリ・ラインなんだから、どうかしてる。

 わずか50年ほどでの、この気温上昇……。

 メチャが日常になってるハチャはよろしくない。

 

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 過日の夕刻。

 ニッカリ笑ってKosakaちゃんが、上等な桃を持って来てくれる。

 桃というのは選別が実に難しい。

 淡い色合いの薄皮を剥いて食べて初めて、1ケの評価となる。

 うまかった。

 甘味にふくよかさが加味されて、なるほど上物だった。

 かつて孫悟空は天界の果樹園でアルバイトし、9千年に1度実をつけるという不老不死の桃を勝手に喰って、あまりの旨さに蕩けちゃってるのを仙人らに見つかって、こっぴどく叱られ、制裁を受ける羽目に陥ったけど、はたして蕩けるほどに旨い果実というのは、どれっくらい旨いんだろ?

 桃を口にするたび、孫悟空を思い出す。

 おかしなコトに、Kosakaちゃん来訪時、こたびもまた雨が落ちた。

 なので、ニヤニヤ笑った。

 彼が雨男なのか……、あるいは私が実の雨男なのか……。

 ともあれ、ウィルス騒動が一段落したら、Kosaka号で鳥取の「みたき園」だ!

 あそこの涼しさと山菜料理、格段にいいもんなぁ。

 何事もなければ何時だって行けるというに、今はそれもが夢みるみたいな憧憬。

 

遠くて近い明治

 8月6日の朝8時頃から、TBS系ネット配信のライブ映像を眺めてた。

 広島での平和記念の式典。

 もう75年になるのか……、と感慨深く眺めてた。

 間断なく解説を入れる男アナウンサーの声がとても邪魔で鬱陶しかったけど、そこは我慢で眺めてた。

 何人かのスピーチの後、広島の小学6年の男女が壇上にたって、声を出す。

 たぶんにその文面は、学校の先生なり教育委員会だのの指示が入るなりチェックされるなりの上で、幾度も練習もさせられたもんだろうけど……、読み上げるというか、ほぼ暗誦してのスピーチは、堂々たるものだった。

 とくに女の子の語気はくっきり鮮明で、言葉の端々にまで意思がのり、原爆なんて2度とあっちゃ~いけないという、無垢な心が、よくよく伝わってくるのだった。

 

 その後の、首相のスピーチは毎度のパターン通り。

 むくみきった思考停止の姿をさらしてるだけ、子供のスピーチに遠く及ばない。

 一国の総理大臣が子供の主張に劣るは、無残やな……。

 で、昨日の長崎の式典でも、”かぶとのしたのキリギリス”。

 

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 8月20日のRSK山陽放送能楽堂での講演。

 申し込み締め切りが過ぎ、当選した方、落選した方……、そのことで複数の知友からも連絡をもらった。

 落選の人の方が多い。

 申し込みが殺到したらしいのだ。

 どれっくらいの殺到だったか聞いてないけど、我が周辺では落ちちゃった方の方が多いから、かなりの申し込みがあったのは間違いない。

 ソーシャルディスタンス対応で50人限定だったのを、申し込みの多さゆえにあえて80人くらいにまで、同局は間口を広げたようだが能楽堂ホールは広いので80人を越えても個々人の距離は充分にとれるらしい)

 が、それでも落ちちゃった人の方が、多い。

 ひょっとすると、講演内容よりも、放送局新社屋やら能楽堂をいちはやく味わってみたいと思った方々が、多数かな? ^_^;

 そんな疑念も念頭に浮くのだったけど……、ともあれ、ウィルス騒動下であれ、多数の申し込みがあったコトは喜ばしい。

 

 この次第あって、RSKさんは、講演をネット配信する新対応を準備中とのこと。

 YouTubeを利用するらしい。

 まだ詳細を聞いていないから具体は判らないけど、落選された方を含め、会場入りしなくとも、これでなんとか……、当日の様子を視聴出来るかも。

 

 ちなみに、私が話すのは明治時代半ばのこと。

 RSK山陽放送新社屋が建った同じ場所に、128年前に登場した娯楽施設のこと。

 そうか……。

 顧みれば、この明治時代の華やかな日々から原爆投下での惨状までは、たった55年なのだ。

 そのわずか55年の合間に、日露戦争があり第一次、第二次の大戦がありで……、明治・大正・昭和が駆けてるわけだ。

 そう考えると、

「明治は遠くなりにけり」

 じゃ~ないね。むしろググッと近寄ってくる。

 考えようでは、

「明治はつい、この前……」

 なのであって、よそよそしい”歴史の彼方”じゃ~ない。

 

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 天神町でのRSK山陽放送新社屋の基礎工事のさなか、2018年の10月末に、明治の赤煉瓦構築物(亜公園閉園後に出来た岡山警察署の土台の一部)を移動させたけど、取り出した直後の砕片には、ついこの前造ったような鮮烈な紅みがあって、いささかビックりしたのを思い出す。

 

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 陽光に晒され雨にうたれと風雪を耐え続けていた表面は干からび、昭和20年の空襲時での黒焦げはそのまま黒カビと化して、その経年を味わい見られるけど、取り出すさいに割れた煉瓦の内側は、およそ100年前のものとは思えないフレッシュを保って紅色が冴え、水分を含んで、触れるや指先が直ぐに色づいた。

 

 なので、この砕片には、

1 明治38年の警察署建造時の息吹き

2 昭和20年の空襲の苛烈

3 それを観ている”今”という時間

 

 3つの時間が詰まってるワケなのだ。

 むろん、この3つを「3蜜」などとは云わない。

 咳き込まず、クシャミ1つせず、けっしてモノ云わない煉瓦だけど、秘めたる経験は、

 それを証言としてどう聞き取るかは、の時間をいきる、わたし達にかかってる。

 過去が主体の「歴史」というのは常に、”今”というフィルターで漉してみて初めて、輪郭の内側が垣間見える。