1月の映画よもやま 

 大停滞ながら、なぜか高速で過ぎてくようなこの1月。悶々が常態化しちゃって酸欠ぎみ。

 岡山に亜公園が出来た明治25年(1892)、フランスのクーベルタンが近代オリンピックを提唱。国際オリンピック委員会、いわゆるIOCが設立され、4年後、アテネにて第1回目の大会が開かれる。彼が発した言葉としては、

「自己を知り、自己を律し、自己に打ち克つ。これがAthlete(アスリート・抜きんでた人)の義務であり、最も大切なことだぞよ」

 というのがあるそうな。

 この発言をストレートに適用するなら、この状況下、自分達が置かれた位置を知って開催延期か中止かをアスリート的速度で決断する……、ことこそが、もっとも自分達を律し自分達に打ち克つ事になるんじゃないかしら。

 

 さてさて……、新年今月もまた何本か映画をば眺め、感心したり笑ったりしてる。

 

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『シャドー』The Shadow1994

 10年以上前。福山の友人が贈ってくれたVHSで観て、良い印象が幾重と刻まれた映画だけど、その後なぜか日本では、冷遇されてる作品。

 今は字幕対応のDVDBlu-rayもなく、輸入モノに頼らざるをえない。

 しかしこの前、amazon primeが「販売」しているのを見つけた。

 字幕もついている。映画をネットで買うのは好みでないけど、無料視聴出来ないんだからしゃ~ない、「購入」した。

 

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 こちらのハードディスクに映像が収納されるワケでなく、あくまでもネット上、amazon primeでもって何時でも視聴可能……、というだけの「権利の購入」だから嬉しくもないが、でもま~、久しぶりの再見は、嬉しい。

 

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 アレック・ボールドウィン。ジョン・ローン。ファンタジー的SF。1920年代。大都会。上品なシルク。キャバレーでの優雅な食事。気送管での情報伝達。大型イエローなタクシー。シガレット。ギャング。突拍子ない科学者。脇をかためる助演者たちの層の厚みと熱狂の演技。『ヤング・フランケンシュタイン』でモンスターを演じ、ジョン・レノンの友人でもあったピーター・ボイルのクールなタクシー・ドライバーぷり。アレックの『レッド・オクトーバーを追え!』では軍医役としてショーン・コネリーとも共演したティム・カリーの素っ頓狂っぷり。鋭い歯を持って空中を飛び時に噛みつくナイフ…。色々なキーとなるものが明滅するが……

 おばあさんはモンゴルの山へ潮干狩りに出かけて意外にもタクシーで帰宅

 と、こういうようなハチャなフレーズに似るメチャな愉しさがこの映画にはあって、かなり好き。

 

 

『本陣殺人事件』1975

 監督・高林陽一。音楽・大林宣彦金田一耕助中尾彬

 原作を75年当時の現代に移行させての物語。大林が音楽監督というのも味噌ながら、あんがいと、この作品は知られていない。

 けどもなぜかBlu-rayがちゃ~んと、ある。

 

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 1月になって某BARのママ~ンに貸し出したるや、こちらが驚く好反応。

 早や、数回観て、観るたび感心と関心が感震しちゃうというアンバイのよう。

 ま~、その反応はムリもない。というか、こちらとて初見がそうだった。

 田村高廣が圧倒にして圧巻なんだ……

 なのでそこを味わってもらお~と思ったわけだけど、それ以上のアレコレを彼女の方から逆に示唆されて、

「ありゃ~!」

 嬉しさ倍返し、希有なことになっちゃった。

 去年3月、倉敷のギャラリー「十露」に PUGLAND君の焼き物作品を観に出向いたさい、雑談の中、彼が奨める複数の映画があって、その内の1本がコレなのだった。で、ワタシがはまり、こたびママがはまる。

 ということは「感染力が高いんだ」よ、この映画。

 

 田村高廣は随分に真面目な役者だったらしく、出演映画もその指向に準じてマジメなのが多かったようだけど、その代表作たる『天空の甍』も『泥の河』も、今、発売されていない。

 Blu-rayはおろか、DVDも出てないって…… どういうこっちゃ?

 

 

『江戸最後の日』1953

 その田村3兄弟の父・阪東妻三郎作品。amazon primeで観る。勝海舟の役。史実と照らし合わすとやや難があるし、西郷隆盛との丁々発止を描きつつ西郷は画中にいっさい出ないという妙なところもあるけど、息子・高廣もがビビッてた巨大な存在感はこの映画にもよく出ていて、なるほど日本映画のトップ・スターがここに有り……、と感慨するのだった。けど、史実の中の彼はわずか51歳で亡くなっている。そこにあらためて驚かされもした。

 

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ウィキペディアで読むに田村高廣は、父・阪東妻三郎について「ぼくには、怖かったな。直接話したことないですね。食事も奥座敷で母に給仕させ、むずかしい顔をして、一人で食べてました」と語っている。

 

スポットライト 世紀のスクープSPOTLIGHT2015

 amazon primeで日を換え2回観る。

 レイチェル・マクアダムスラッセル・クロウと共演の『消されたヘッドライン』に次ぐ新聞記者の役。これがとてもよろしくって好感。『シャーロック・ホームズ』でのアイリーン・アドラー役も良かったけど、要はこの女優をボクは好きなんだろう。去年の秋頃にもこれは1回観てる。派手なシーンなど皆無だけど淡々とした描写の連続がこの映画の価値をグッギュ~ンと支えてる。

 Abe政権やらトランプ政権のインチキ共々に、劣化はなはだしい報道者の姿勢。この大事ポイントたる職を、映画はこの先どう追っていくか……、そのあたりも興味継続中。『消されたヘッドライン』と本作とが我がアタマの中じゃ~、ツイン・タワーみたいな存在。

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         編集長役のマイケル・キートンと記者役のレイチェル

 

ドクター・ストレンジ2017

 Blu-rayで鑑賞。主役ベネディクト・カンバーバッチが随分にヨロシイけど、ここでもレイチェル・マクアダムズがヒロインで、ま~文句ありません。

 

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中国の資本が入ってるゆえにチベット問題が矮小化されているとの批判がでかいけど、これは本作だけでなく今後も尾をひく大問題だろう。今はなにかと中国は厄介。一党独裁が解体されるのを望むけど、そうなればまた昔のごとく、三国志みたいな覇者競い合いの闘争ばかりになりにけり……

 

イミテーション・ゲーム2014

 DVDで何度目かの鑑賞。ベネディクトは何を演じても上手いけど、これはその最上位かな……。  

 良い映画はみるたびに新たな発見があるものだけど、この作品もそう。以外なところで『ブレードランナー』の影響が濃くあって、人物造詣に深みあり。

 

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 彼が駆けるシーンがあるけど、『スタートレック・イントゥ・ダークネス』でも同様に駆ける所があって、ちゃんと上体を起こしての本格走法の姿勢を見せてるのはさすが。ラッセル・クロウオーソン・ウェルズみたいにブクブク太ってもはやアクションを撮れる体躯じゃないけど、この人はどうだろ? 

 

 ちなみに我らが岡田准一も駆けてる駆けてる。

SP THE MOTION PICTURE 野望篇』で前傾姿勢での高速駆けっこ。これはこれ、なかなか魅せてくれたなぁ。

 

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『バイデン新大統領就任式』2021

 映画じゃないけど21日になった夜中、ネットの中継映像を眺める。マスクを外し、メモも原稿もなく堂々と就任演説してるバイデン氏……。トランプの悪夢から民主主義の大義がどれっくらい復興するかは判らないけど、少なくとも戻ろうとする意思は伝わった。むろん、これからが大変だけど……。

 

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 上画面は聖職者のシルベスター・ニーマンの演説。サングラスで精悍、カッコ良さげだったけどスピーチいまひとつ。

 ともあれ演説者以外オール・マスクの異形。4年先の次のセレモニーでは「あの時はね~っ」と笑えることを切望するが、セレモニー参加者の多くが厚着に毛布なんぞも巻いて寒さを辛抱してるのが、氷上のオットセイの群れのようで妙に印象づけられた。日本ではどんな式典でもそんなラフなスタイルって出来ない外見こだわり症があるんで、この点、まだ米国はいいなぁ。

 

風の又三郎1940

 amazon prime81年前の映画。良い画質、良い音声とはいいがたい。しかしこういうのを観られるのは有り難い。1人の先生で1年生から6年生までの全員が1つの学級での複式授業の姿が興味深い。以外なほど丁寧にそこを描いてた。

 

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 登場の子供らがひたすら目映く美しい。冗談ぬきで美しい。

 豆腐を買うため鍋を手に、背の高い雑草の中を又三郎くんが進んでくシーン。野球選手らがコーン畑に消えていく『フィールド・オブ・ドリームス』がデジャブみたいに点滅した。

 宮澤賢治はペチャ~っとしたファンタジーでなく子供の成長物語を画策し、その過程においてごく微量の幻想色を混ぜたのだと思われるけど、この81年前の映画はそこをよく汲み取り、だから見終えたあとにスカッとはしない残滓が残る。それはいわば賢治自身が童話に含み入れた後味そのものであって、この一点で本作は「原作に忠実」ということは、いえそう。

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 今はもう先生と生徒のけじめが曖昧な「総こども時代」っぽいけど、この81年前作品では先生は先生、学童は学童として棲み分けがキッチリしていて、そこは眩しい。その学童どもが少し大人側へと寄っていく姿を映画として創ってるワケで、だから残滓の中の成分として、チャイルド・フード・エンド、日本語で申せば「幼年期の終わり」があって、それが映画作品として良い味わいとなっている。

  

 まっ、今月に観たのは概ね以上の通りね。

 

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要スペース

 前回に紹介した模型「雷神蕎麦」。しばしデスクトップに置いていたけど、ヤヤ邪魔にはなるんで、仕方ない。amazonでショーケースを買い、展示仕様にして別室に置いた。

 ウィルス騒動が退いてミュージアムで講演なんぞがまた出来るようになれば、亜公園がらみで紹介出来るかもしれない。

 ま~、それは副次的な事であって、こたび模型を造ってあらためて、亜公園での屋台というのをリアルに感じ取れ、説得力ある言葉に紡げるような感が増したのはグッドだった。

 

 模型というのは常に、床を取る。既にだいぶんと前から数部屋が埋まってる。1つや2つの模型なら構わないけど、100を軽~く越え、それも大型なものとなるとエライ事に……

 ミュージアムの場合、一部を除いて展示期間が終われば戻って来るわけで、じゃ~、終わったら廃棄かといえば、そうでない。

 こういう製作物は、時期まったく未定ながら、たいがい再びの出番がやって来る。

「〇〇〇展をやるので、またお貸し願えないかしら」

 という循環だ。

 なので多数の模型を抱えて生息してなきゃ~いけない。

 そ~すると管理がおろそか、ゴミ屋敷みたいな状況……、というか事実、一部の部屋はそうなっている。

 模型には常に大きな問題として、収納スペースというヤッカイが、もれなく、くっついて来る。

 まっ、それはそれとして、亜公園に関してはま~だまだ、わからんちんな事がアレコレ。

 

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 亜公園内にあった八角形の塔舎。園内に4つある。その用途が謎ゆえ、模型でもって、あれこれ考察をくわえている……。

 

 数日前の日曜の夜、K先生とリモート呑み会し、マックの画面中、実に9ヶ月ぶり、尊顔と声をば頂戴し(ウィルス騒動のボリュームがあがった去年3月いらい彼は外で呑んでいないんで)、互いのゴブジを確認で笑い、およそ1時間半ばかり、メ〜メ〜勝手に呑みながらヨモヤマな話をしちゃったけど、そこでもまた亜公園のいまだ解けぬ謎について触れたりもするのだった。

 最近の我が調べで判明したことと、K先生の記憶の中のとある明治の史実とが、それで符合し、

「ぁ、そっかぁ」

 パズルの一部分が解けたりもした。それで、オンライン呑み会も、役に立つんだゴロゴロにゃ~ん、こっそり喜ばしい気分になったりもするのだったけど、しかし、直に会って呑むのがやっぱり、何よりイチバンということも再認識させられるんだった。

 そりゃま〜、そうだよね。会うが一番ですわい。

 

 

雷神蕎麦 -亜公園の屋台-

 コロナ・ウィルスに侵食されて以来、ナンギを背負わされている飲食店を思わないではいられない。ブレ続ける政策に翻弄されっぱなしが、不憫。

 誰もが今なにかにしがみつきたい気分だけど、政治指導者にスガれないのが、痛々しい。

 昨年1月15〜16日が日本での感染スタートだから、今、ちょうど1年。気兼ねなく、躊躇もなく飲食店で食べて笑顔しちゃえる日は、さて、いつになるやら……。

  

 年明けて、ペーパーモデルを1つ、創った。

 明治の亜公園での「食の光景」を再現してもヨロシイなと思い起こし、それで作図し、工作したというワケだ。

 創ったのは、担ぎ屋台。

 蕎麦の店。

 うどんも商うというカタチも有りだけど、あえて、蕎麦専門で、お酒も扱うと想定。

 

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 亜公園内に屋台が出ていた、という資料は今のところ、ない。

 しかしながら、あってもおかしくないと常々考えてた。

 お江戸の時代から続く「屋台文化」は明治になっていっそう闊達になっている。

 神社などでの祭事同様、賑わい創成の1つとして、期間限定、初春や秋なんぞには、屋台はほぼ確実に登場したろうと思っている。

 

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                 亜公園・集成閣の手前にての想像復元……

 

 なので創作だ。史実に基づかない。

 が、それもいいのだ。

 創作するコトで史実に近寄れるとも思ってるから。

 ただ、この場合とて、「歴史を都合よく解釈しちゃう」のは、いけない。

 軸足は常に実証主義におく。

 

 この屋台は「雷神蕎麦」という。

 菅原道真を念頭に置いた亜公園の、そのテーマ・パークとしての方向性を他店同様に、名に適用した。

 亜公園内小庭園付近で営業という形態だ。

 

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 当時の屋台は、資料があるようでアンガイと少ないが、概ねでカタチは決まってる。

 基礎のフォーマットは江戸時代に固まり、そのバリエーションが多岐に渡って明治に続いてる。

 

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 イザベラ・バードが明治11年に描いた屋台。1軒の店がニンゲンの肩に乗って移動するんだからイザベラさんはビックラこいたろう。彼女の描写は驚くほどに克明。1級資料といってよい。

 

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 同じく1級資料。エドワード・S・モースが明治15年頃に撮影した屋台。屋根のないカタチだが、なかなかに凝った造りでらっしゃる。わけても「義経」の看板部分は秀逸。五条の橋での弁慶との遭遇らしきが描かれた絵がその上にあって、イメージ作りがこまかい。貝塚の発見で高名なモース先生は、こんな所にも着目していて、さ・す・が。

 奇しくもイザベラさんが描いたと同様、この屋台でも引き出し1つを開け2つの塔屋に板を渡してる。作業効率のアップというか、システム化された形状がここに垣間見える。

 両店ともに風鈴を吊っている。かけ蕎麦だけの「夜鷹そば」のチープな店じゃなく、オアゲとかの具をのっける店ですよ~、という江戸時代以来の屋台シンボルだ。

 

    

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              江戸時代の書籍の挿絵

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 絵草紙「忠臣蔵前世幕無(ちゅうしんぐらぜんぜのまくなし)」の挿絵。右に担ぎ屋台。やはり風鈴が描き込まれている。中央は甘酒売り。

 

 担ぎ屋台の床面積は、概ねで畳一枚ほどのサイズ。

 高さは2メートルあるかないか。幅は人の肩幅程度。

 まことにコンパクトながら、1軒の店なんだから素晴らしい。

 しかも移動が前提だ。

 たぶん、世界に類例なきな独立移動小店舗の白眉、日本が大いに誇っていいカタチだ。なのでイザベラさんもモースさんも、そこに眼を向けたワケなのだ。

 

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               指の先ほどの小さな小物たち……
 

 創るにあたり、チョイっと調べた。

 一杯の蕎麦は二八の16文が江戸時代後期の相場。

 明治4年に通貨は円になるけど同年で5厘。

 亜公園が出来る明治中頃では1銭〜1銭5厘くらい。今でいえば、200〜250円くらいか……

 一日に50杯売れたら、250×5012500円。

 当時、大工の日当が安くて10000(今の換算ね)くらい、野菜の行商が50008000円くらいらしいから、客次第で屋台は高収入になる。

 そこで亜公園の中という限定された場所を想定すると、当然に娯楽施設なのだから人は多い。当時の岡山市内で一番の繁華地だ。

 昼食時、夕食時。ピーク2つを思えば、はたして50杯だけか? ヘタすると100杯を越える可能性がある。

 蕎麦の玉もその分用意しなきゃ〜いかん。

 さ~、そうなると、小さな屋台に100玉もの蕎麦を収納出来るのか? という問題が出てくる。

 

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 それで……、当時の概ねの屋台よりは備品数が多い店というカタチを考え、さらには、この店のオーナーは、亜公園近くの上之町だか石関町だか弓之町あたりに住まい、夜に蕎麦を捏ね、打ち、刻み、翌日営業分の100玉を越える数を揃えている……、というような生活スタイルも考えた。

 仕込みはあくまで自宅でだ。

 

 明治26年刊の職業一覧『岡山鏡』によれば、うどんと蕎麦を扱っている方が1名、中之町にいる。「煮売屋」の欄には亜公園近隣として、上之町・中之町・下之町で5名(あるいは5軒)、石関町で3名、弓之町には10名(10軒)が記載されている。通常、屋台は煮売に分類される。

 この資料から、その内の誰かが「雷神蕎麦」をやっている……、と設定した。

(弓之町に煮売屋が多いのは県庁のすぐそばだからだ。庁舎勤務者の昼食需要が大きい)

 

 亜公園オーナー片山儀太郎との契約で、店は毎日撤去せずともよく、園内のどこか雨のあたらない家屋そばに撤収するのみであるなら、これは随分に助かる。仕込んだ蕎麦とツユ、酒、炭なんぞを営業前に運び込むだけてオッケ~という次第だ。

 なので、この「雷神蕎麦」には、2つ、煮鍋を装備させてみた。

 

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          下段が炭箱。2段目は穴があいていて鍋をセットする。


 通常、このカタチでの屋台は、煮炊きの炭箱(火鉢)は1つっきりなんだけど、あえてツイン仕様だ。

 1つで蕎麦を湯がき、1つで蕎麦つゆや燗酒を温っためるという、ゴ~ジャスかつファーストフードの本領発揮の先進スタイル……

 ま~、その分、せわしないはずだけど、せわしなさはそのまま収入だ。

 という次第で、一般的屋台より備品が多い。

 

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 蕎麦などを収納する引き出し箱は、屋台とは別個にあるというカタチ……

 資料がないので決定的とはいえないけど、当時の屋台にほぼなかったと思われる丼の簡易洗浄用の桶もある。(当時は使用後に布巾で拭う程度だったと思われる)

 

 ま~ま~、ともあれ、亜公園内で営業していたという想像の元での「雷神蕎麦」。

 基本形は深川江戸資料館にある原寸復元の「風鈴蕎麦」を踏襲。4段棚を5棚に変えたり、若干のアレンジをくわえた。

 

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             浮世絵。落合芳幾画『江戸砂子々供遊』


 市松模様の障子や屋根(紙だよ)。これは江戸時代の中頃、初代佐野川市松(さのがわいちまつ 17221762中村座での歌舞伎「心中万年草」で着けた白と黒のチェッカー文様の袴がスタートだ。

 それまでにない斬新だったんで、たちまちブームになった。江戸のブームは流行通信としての浮世絵に描かれ、たちまち日本中、チェッカーチェッカーに、なっちゃった。

 着物の図柄やら、屋台の障子やらやら……。

 

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               石川豊信描くチェッカーな帯

 

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 この流行でもって「市松模様」といわれるワケだが、「雷神蕎麦」もそれをそっくり踏襲だ。明治の屋台ゆえ、チェッカー障子はやや復古調という次第……

 

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 看板部分はロウソクが灯されてたはずだから、LEDの「ゆらぎ灯」でも入れたら良かったか……

 

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 上は歌川国貞17861865が描いた浮世絵「當穐八幡祭(できあきやわたまつり)(太田美術館蔵)。

 この屋根も紙製チェッカーだ。雨天では営業する気がないらしい。ま~、このあたり、実に江戸っ子らしい気風が知れ、好感。

 (唐傘のように油紙を使ってるなら、濡れてもオッケ〜だな)

 ちなみに、「二八そば」の文字下のグニャグニャした部分は、

「うんとん」

 と、読む。当時はうどんをそう書いた。この店は蕎麦とうどん両方扱ってるワケね。

 

 で、店のおやじ。

 国貞描いた重ね着とポーズをそのまま模倣。(完全立体じゃないけど5つのパーツで構成し、折り曲げ加工なんぞで立体にみせている。眼鏡のみ2021年仕様)

 

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 と、ま~、こんな次第での蕎麦屋台。工作しつつ、燃えてる炭のままに移動したのかしら? 湯をきったり丼洗ったりでけっこう地面が濡れるだろな? 障子も熱や湯気で傷みが早いか? 食べ残しの場合どうするんだ? あれこれ現実のコトとして空想しちゃったりもしてけっこう……、学習しちゃいましたよ。

 もっとも、これを担ぎたいとは思わない。重さに耐えかね5メートルも歩めないと確実にいえる軟弱ひ弱、空想の中の「雷神蕎麦」のオヤジの肩と足腰の屈強にただもう羨望するだけなのだった。

 

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 「雷神蕎麦」模型フルセット。屋台部全高18㎝。手前の桶たちは食器洗いの簡易セットのつまり……。

 

新年10日め

 3日前、高齢の親族1人が没してしまった。

 コロナウィルスとは関係なく、心筋梗塞。おそらくは温度差によるものだったろう。

 残念このうえない次第ながら、葬儀に出られない……。

 多数の集いは今は回避しなきゃいけない。出向きたい気は強靱ながらウィルス蔓延はなはだしいから、行くに行けず、なので葬儀はごくごく近親者のみで執り行うという次第。

 

 葬儀社や仕出し屋さんや花屋さんなどなど……、葬儀に伴うアレコレには、思えばけっこうな人がたずさわる。

 仕出し屋で例えるなら、50名前後の宴席1つがなくなったワケで、ダメージはでかい。

 葬式という不幸の上にさらなる不幸が重なるみたいなもんで、なるほど、経済への影響がこんな所にも顔を出している。

 エドガー・アラン・ポーは『赤い死の仮面』で、感染症からの回避を模索して城に閉じこもった人々が、束の間の安穏の中でパーティーを催し、その賑わいのさなかに、発病者が出てジ・エンド、という次第を描いてまことに秀逸、まことに怖かったけど、さすがに経済への言及まではやってない。

 

 結局こたびは、親族同士で電話で連絡しあい、香典の額やら電報の件など、可能な限りの気持ちを遺族に伝えるという事しか出来なく、まこと心残り……。

 しかたないが、しかたない

 言葉遊びめいたガックリ気分を味わうしか、何も出来ない。

 こちらとて、こたび没した方とほぼ同年齢のマザーを抱えた身。1つの覚悟のみが徐々に輪郭線を濃くしてく……。

 

 なくなった親族は、とある地域では誰もが知る呉服商を営み、かつては店の2階で琴の教室なんぞもやって、和のテーストを地域に広めてたようだけど、はるか後年、当方がジャズフェスの運営に関わるようになって、その仲間のKusano君と雑談してるさなか、

「うちのおふくろ、昔、琴の教室に通ってましたよ~ん」

 というハナシになって、

「えっ? どこの?」

「○○○○のY呉服店ですがっ」

 思わぬ接近遭遇、人と人のつながりの妙味を知らされ、互いに、

「へっ?」

「ええ~っ!」

 楽しい思いになったコトがあるけど、こたびのウィルス騒動はそんな人同士のつながりまでを揺さぶってくれる……。

 

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 Kちゃんのメールで、福本清三さんがこの元旦に亡くなったのを知る。『ラスト サムライ』のボブだ。

 我が親族といいボブといい……、良き武者が去っていくのは淋しい。

 

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 毎年の今ごろはK夫妻との新年茶話会をやり、マジな話、バカな話、アレコレ喋って1年の基点、ここよりスタートだぁ! と決めてるけど、こたびはそうもいかずで中止だ。

 けども昨日、こっそり車でやって来たK氏は、郵便受けに、毎年恒例のオリジナルの「星のカレンダー」を置いてくれてた。

 彼は大型望遠鏡で星を追う人、クールなナイスガイ。

「ぁぁ、なんて素晴らしいお年玉ッ」

 サンキュ~サンキュ~と、夜になってモシモシし、しばし、あれこれ電話歓談。

 笑い声や 心地よし

 

 

 

新年5日め

 年が明けて早や数日。

 昨日。

 朝日新聞が、面白いニュースを報じてた。

 光秀本人は信長攻めに参加しておらず、8㎞ほど後方の鳥羽京都市南部)でもって戦果朗報を待っていたという新たな事実が古文書から出てきた……、という次第だ。

 ま~、かねてよりその説はあったものの、光秀のそばにいる上級家臣の家から、事をしたためた文章が出てきたというんだから、これ、かなり信憑性が高い。

 

 なんで今ごろ、この時期に、そんなニュースがニュースとして記事になったのか、そこは不可思議な感がなくもないけど、ともあれ本当なら、幾つかの定説がひっくり変えるんで、ま~ま~、そこが、

「へ~!」

 ってな感慨を沸き上がらせる。

 

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 ボクちゃんが主張してきた事がこれでアジャパ~になっちまったぁ、とうな垂れるセンセもいるこっちゃろうし、逆に発奮、そんなこたぁ~ない、その文献こそ怪しいや、と吠え出すセンセもいるかもしれない。

 ともあれ、盛大に声を発するがいい。異論反論もまた建築的で面白いし、そうでなくっちゃ~いけねっ。

 信長が早朝に不意打ちされてやられちゃった事実は事実としてあるワケで、そこへのロードマップがガラリと変わるかもしれずで……、興味深い。兵の数が数万でなく、2千人余りというのも頷ける。

 

 閻魔大王的な巨大な存在を討ち取るべく、しかし光秀本人は本能寺に行かずというのは、どんな心境だったろう?

 不安の焦燥に駆られるまま、「朗報はまだか? それともアカンかったかっ」ヤキモキして落ち着かなかったであろう事は想像できるし、明智家トップとしてオタオタしちゃ~いけねぇ、じっと堪えて不動の姿勢で座してなきゃ~とガンバッたかも知れないし、54歳の彼の悶々はどんなもんだったかしら。

「撃ちてし止まん」

 と念じているものの、心の隅っこじゃ~、

「バカなこと、しちまったかなぁ」

 ブレの振幅が次第に大きくなっていってたかもしれないし。

 

 ま~ま~、ともあれ、決断と実行と確実についてくる結果

 自身の軍団を派遣させている頃合い、光秀の顔はずっと青ざめていたには違いない。

 で、「やりましたぁ!」の第一報が届いたさいには、心脈数があがって、顔がにわかに上気もしたろう。

 が、次の瞬間には、事象の巨大さに、また蒼白っぽい顔に戻ってこわばってたんじゃなかろうか。その先に敗北があるとは思ってはいないものの、逆に血が冷えるような感じではなかったか?

 なかなか刺激的な朝日新聞のニュースではありんした、な。

 

 たぶん、今年もまた、アレコレと刺激に満ちたニュースが届くんだろうねっ。

 で、ビックリしたり怒ったり湿ったり……、の1年が続くんだろねぇ。

 まっ、そんなもんだ。

 我ら川面を流れ翻弄されるばっかりの、木の葉って~感じかいね。

 けど、流されつつもアチャラコチャラの景観はしっかり眺めまっせぇ、ってね。

 

 

 

さいなら2020

 

 妙なアンバイの年末年始。

 とはいえ、まいとし、三箇日は基本としてどこにも行かずなので、べつだん困らない。

 普段は自室ベッドで食事しているマイ・マザ~をば別室にいざない、3日間は共に食事というのを繰り返してるだけなんで、騒動の影響は薄い。

 元旦夕刻か2日め夕刻になると弟夫妻とその子供たち全部で7人が、ハイホ~ヘイホ~ ♫ とやって来て、老いたるマザ~は孫来訪で大いに喜び庭駆け廻りはしないけど、顔をほころばす。

 ま~、さすがにこの正月、一気に7名ご来訪は、マザ~の年齢を思うと1粒のウィルスがもたらす危なっかしさを意識しないワケでなく、

「弟よ、来るなら、分散でなっ」

 言明してるから、騒動の影響がゼロというワケでもない。

 (1粒で感染するものなら……、分散とて、さほど意味ないけどねっ)

 

 ともあれ、慌てようが騒ごうがうずくまっていようが、否が応でも2020は終わる。

 個々人であれ国歌であれ争ってばかりでヤッカイな生き物が我々だけど、「ゆくとし・くるとし」だけは皆~んな受け入れて共通共同。

 ワタシの家は、2021は迎えません

 とか、

 ワタシ達の国は、2020に踏みとどまります

 という反抗も英断もベラボ~も、まったくないんだから、思えばこの一点、ちょっと不思議な感じがしなくもない。

 呼吸が欠かせないように、年が変わるのもまた要め、欠かせないんだねぇ。

「せ~の~!」

 のかけ声いっせい全国津々浦々で、2021迎撃バリケード封鎖って~コト、安物のSF映画にもないもんねぇ。

 

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 ま~、理屈はともあれ、こちら、年明ければ元旦早朝から熱燗、だぁ。

 小さな行為だけど、デッカイ、た・の・し・み。

 チョコっとした杯は小さいけんど我がハイにゃ、大きなキックいっぱ~つ。

 小原の庄助さんは朝寝朝酒朝湯をくりかえし、そ~れで寝床つ~ぶしたぁワケだけど、こちらあくまで3日限定。

 庄助さんに較べ、けっこ~自己管理しちゃってるというか、小心者というか、ま~ま~、されど、

「新年いらっしゃ~い」

 祝宴としての熱燗とっくり、チャカポコちゃかぽこで、次いでカマボコ入った雑煮だよ~。

 

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 準備万端。新年はウィルス騒動がさらにエライことになる予感があるけど、せめて3日間、何ぁ~んもかも忘れ、大停滞しましちゃお。

 

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2020年 - バッドなハイライト 

  コロナ禍- 某ミュージアムでの展示縮小と講演の中止

  コロナ禍- ジャズフェスの中止

  コロナ禍- 某社の新企画案の頓挫

  コロナ禍- 同窓会や新年会を含めアレコレなイベント中止の連打

  MINIの冷却装置部分のシャフト破損という希有な珍事

   おまけに、ウィルス騒動で物流混乱の英国からいまだパーツが届かず……

  春、夏、秋……、同じ本を3回もAmazonに注文しちまったこと

  工作道具と模型でテンコ盛りになってる複数の部屋を2020もまた、整理整頓できなかったこと

 

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2020年 - グッドなハイライト

   マック環境更新とその後の快適(ま~、逆に不便になった点もあるけど)

  山陽放送新館-能楽堂での講演とその後の諸々

  図書館で稀覯本扱いの某書を某氏より贈られたこと

  大事な人の手術の成功と復帰

  あと幾つか諸々。それら点みたいな小さな良き粒々を線でつないでくと、なカタチにならんかなぁ

 

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2020年に観たイチバンの映像

   1980年代前半のものか……。ドラムのハナ肇を筆頭に超越エンターテインメントもすごいけど、ベースの犬塚弘松重豊にソックリなのも可笑しくて。いや、その逆、松重が似てるんだ(犬塚氏は90越えて存命。静岡の老人ホームみたいなところでお過ごしのようだけど引退してるワケじゃないのも素晴らしい) 

ともあれ「芸能」の深度極まるタモリクレージー・キャッツの凄み

 

 

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2021年期待のフィルム

    編集次第で『レット・イットビー』の暗鬱っぽい塩味にでも、甘みたっぷりにでも操作出来るというトコロを、確認したく

 


2021年8月27日(金)世界同時劇場公開!

 

クリスマスのトナカイ

 

 映画『かもめ食堂』には片桐はいり精肉店に立ち寄るシーンがあって、店主が彼女に勧めるのがトナカイのお肉だった、ね~。

 片桐扮したミドリさんは、おにぎりの具材として買う。

 フィンランドではジビエではなく、定番の肉として扱われているようで、チョイっとそそられる。 

 サンタクロース発祥の同国ではソリを引かせてプレゼントをお届けもするけど、そのお肉もしっかり食べちゃってるワケで、なかなか頼もしい。

 缶詰はごくあたりまえに売ってるらしいし、国内線の機内食では調理されたのが出てくるそうな。

 きっと美味いに違いないのだろうけど、食べたことは、ない。

 

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                  映画『かもめ食堂』より

 

 北海道の幌延町、ほろのべ トナカイ観光牧場では限定販売物としてトナカイの缶詰があって、大和煮や味噌煮といった和風テーストになってるらしきだけど、3缶セットで1万円とのことで……、とても買えないわ。

 それに、せっかくのトナカイだも~ん、和のテーストじゃなくって、あちゃらっぽい味付けがいいなぁ……、などと買いもしないのに云っちゃ~いけないなッ。

 

 しかし顧みるに、トナカイという生き物を直に見た記憶が、ない。

 動物園で見たおぼえがない。

 ひょっとすると園内にいたかも知れないけれど、記憶に残らないような”展示物”でしかなかったんだろうか。

 逆に、ヤギがいたのはよくおぼえている。津山の動物園にいた。

 ヤギなんて、どこにでもいるような存在(昭和30〜40年代の話)だったので、わざわざ檻の中にいれてあるのが奇異だった。それで覚えてる。

 トナカイはヤギに較べて大きいし、オスもメスも立派なツノを頭上にかかげて、ヤギと較べようもなく目立つはずだし、幼少時にはアチャコチャ県外の動物園にも連れていかれてるけど、ともかく記憶にござんせん。

 すまんねトナカイ。

 

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                  ネットで拾った画像……

 

 なのでこのクリスマス、

「味わわせてよ、トナカイのお肉300グラムほど」

 サンタクロースに願わなくもないのだ。

 けど、子供対応にせわしない老いたサンタが同年代らしき当方にお肉持って駆けてくるハズはなく、ま~、あきらるっきゃ~ない降誕祭の夜。

「肉は自分で買ぅたんさい」

 ちなみに英語のChristmas、あるいはX’masは、フィンランド語ではJoilu(ヨゥル)と云うんだって、昼でも。

 

f:id:yoshibey0219:20201223233931j:plain                   映画『かもめ食堂』より。

フィンランドイッタラ社(iittala)のブランド「ARABIA」のこのお皿(24h Avec)も、日本にイッタラの直営店ができたり通販で買えたりと、便利っちゃ〜ベンリになったにゃ〜。3000円ほどだよ。

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         映画『かもめ食堂』より。満員御礼のお昼時。めでたしめでたし。

 

 こんなごく普通の光景までが今は歓迎されないわけで、さすがのサンタクロースとても、めでたしとはいかず、天をあおいで溜息か。

 サンタも苦労す……、万事休すなメリ〜クリスマス。

 おまけに、よりによってイブの夕刻に、「桜問題」のすっきりに遠い言質をプレゼントさせられたコチラとしては……、

「トナカイよ、今宵の仕事が終わったら、ABEンちの玄関先にウ●チしてけよ。嫌悪の証しとして300グラムほど」

 そう密かに願わなくも、ない。

 

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 暗いだけのクリスマスも何だ……。

 我がイブの夕げ。仲間の考平君手作りのワインをば頂戴す。

 

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 20㎏ものブドウをば買い込んでの自家製。その1本。

 防腐剤も何も添加しない真のワイン。めちゃんこにふくよか、ブドウの美味み濃縮の煌めき。

 幸少なき1年にあって、この赤は2020年度イチバンの不羈(ふき)の澄明。

 ロマネ・コンティに価いする旨さとありがたさ、と称して良し。

 1本丸ごとイッキにたいらげて貯まった憂さをば緩和。