中華料理四千年

 またゲラが届いて、真顔になっていささか傾注。

 ほぼ最終となる3回目の校正。

 編集者と連絡しつつ、あっちをつつき、こっちをつつきと、時間がかかる。

 しかし、フィニッシュまぎわ。そこの松林をまがったらゴールが見えるというアンバイ。

 

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 とある作業を継続中で、いささかの筋肉痛。

 ゆえに適度の息抜き。

 2月の半ばに届いてた諸星大二郎西遊妖猿伝-西域編』の第2巻。

 ちょっとだけ愉しもうと読みかけたら、止まんない。

 ホントはチビチビと読み進めたかったんだけど~、さすが諸星大先生、展開の妙味が素晴らしく、途中で止められない。

 アッちゅ~まに読了で、なにやらもったいないコトをしてしまったような……。

 次の巻は秋に出るそうな。

 あせらず、あわてず、の諸星御大の速度をば見習うべしかな。

 

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 以前、腰痛でO整形外科に処方されてた塗り薬をば、あちゃこちゃに塗布。

 筋肉痛の緩和を願いつつ、寝っ転がり、中華料理についての本を読む。

『中華料理四千年』、とタイトルがでっかいが、なかなか面白い。

 

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 例外も多いが、中華料理は基本、4文字で書かれる。

 そのポイントさえ掴んでおけば、「食材-調理方法-味付け」が瞬時に判るのだそうな。

 

 (ロウ)と書いてあれば、豚肉をさす。

 牛肉なら牛(ニウ)、鶏肉なら鶏ジー、羊肉なら羊(ヤン)、と肉の前側に固有名が置かれる。

 それらに「(ピエン)」がくっついていれば、スライスした肉、「(デイン)」とあればさいの目切り、「(スー)」で細切り、「(クァイ)」でぶつ切りとなる。

 

 で、調理方法を示す部分として、

 (チャオ)    炒める

 (バオ)     強火で炒める

 (ドウン)    とろ火でじっくり煮込み

 (ヂャー)    揚げる

 (カオ)     じっくり炙る

 (チン)     澄ます・素材は1つで醤油味ではないものを意味する

 (ゴン)     片栗粉でとろりと

 清蒸(チンヂェン) 下味をつけて蒸す

 紅焼(ホンシヤオ) 炒めて醤油味で煮込む

 撹拌(バン)    混ぜる

 などなど。

 

 それらにさらにくっつくのが、味付けで、

 (スアン) 酸っぱい

 (ティエン)あまい

 (シエン) 塩からい

 (ラー)  からい 主として唐辛子のからさ

 (クー)  にがい

 この5つが基本。「辣」が基本の1つになってるのが、いかにも中国だっちゃ。日本なら「醤」か。

 

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 概ね以上の組み合わせ4文字でメニュー内容が知れるというコトらしい。

青椒肉絲(チンジャオロウスー)」  

 {青椒}でピーマンやらシシトウを、{絲肉}で細切りの豚肉をいう。

紅焼海参(ホンシヤオハイツアン)

 {海参}でナマコ、これを{紅焼}、炒めた後に醤油煮込み。実にストレート。

炒魚片(チャオユイピエン)」    

 スライスした魚の炒め物。何という魚なんだか判らないところがポイント。食べてのお楽しみという次第か? 日本にも似通うネーミングあるね、「白身魚のフライ」とか。(たいがいスケトウダラらしいが)

清炒虾仁(チンチャオシャーレン)」 

 これを分解すれば、むいた{仁}・エビ{虾}・だけの{清}いためもの{炒}と個々が意味されるが、たいがいキュウリなども入っていて必ずしも単品素材でもない。が、メインとなるモノの調理具合はこの4文字で判るという仕掛け。

 

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満漢全席」が、日清戦争の頃、西太后の全盛期に頂点に達した宮廷料理ということは薄らボンヤリと知ってはいたけど、西太后が没した3年後に清王朝は滅亡。その動乱辛亥革命-君主制が廃され中華民国ができる)と共に宮廷料理人達も方々に逃げるしかなく、調理の秘伝やら伝統も四散。今の「満漢全席」とはまったく違うものだったということを知る。

 客が店に予約を入れると、日時の指定は店側がおこなって客はそれに従う。

 3月3日の午後6時から食べたいは通用しない。3月4日の午後7時に来るなら食事を出す……、という次第。

 一皿の料理は全部食べてはならず、必ず残す。

 箸は1度手にするや食事終了まで置いちゃダメ。

 などなど、あれこれの決まり事の上で、信じがたいような料理が続々に出ていたようだが、さらに年数が経ち、あの苛烈な文化大革命が終わった1979年には、北京で「満漢全席」が食べられる店はただの1軒にまで「粛清」されていたというから、中国では政治動向でもって料理までが右往左往するというのが、ま~、いわば1つの伝統的習俗というか、生きるがゆえの処方というか、連続と裁ち切りがせめぎ合っての4千年の大河というコトなんだろう。

 

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              箸は縦に置かれる

 

 4文字メニューが増えてったのは清の時代以後のようで、清王朝全盛期西太后が産まれる100年以上前)の詩人・袁枚(えんばい)が残した料理本随園食単』を眺めると、あんがい3文字が多い。

 時代の変化が料理メニューにまで浸透したような感じもありあり……

 

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 ちなみに「酢豚」は、「咕咾肉(クーラオロウ)と3文字だそうで、「咾」はオトナを意味するから、脂分の多い豚肉を使ってるというコトになるらしいけど、「スブタ」という方がなんだかボクには美味っぽ~い。

 これにパイナップルを入れちゃうのは日本がオリジナルと思ってたけど、違ってた。

 清の時代に欧米人の居留地が出来て(英国がアヘンを清に売ってた頃ね)、そこのレストランやらで使われだしたそうな。

 当時のパイナップルは稀少な食材だったから当然に酢豚単品のネダンは高かったろう、思うがや。

 要は、清国に駐在の英国人らが悦ぶ味だったわけで、中国人が好みとしていたワケじゃ~なかったんだねぇ。

 当時の英国は清(中国)から茶葉や絹や陶磁器を大量に買うんだけど、逆に清に売るモノがない……。支出ばっかりじゃ~、いわゆる貿易赤字となる。

 ま~、それでアヘンを清で売って、「輸出入」のバランスをとったわけだな。ひで~なぁ。

 パイナップルが入った酢豚は、そんなドサクサのさなかに産まれ、すぐに定着して中華料理の大きな顔となり、今や我が舌をも悦ばせてくれてるワケだけど、フムフム……、酢豚の背景にも「歴史あり」だな。 

 

 この3月1日から中国政府は台湾産パイナップルの禁輸をおこなう。 

 台湾で作られるパイナップルのほぼ9割が中国へ輸出されているんだね。

 台湾の農産物収益として、これはかなり大きい。

 それを全て禁じ、要は……、云うことを聞かない台湾に圧力をかけようというわけだ。姑息というかエゲツナイというか、チカラづくのムテッポウ。

 対して台湾、産地の桃園市の市長は、

決してたじろぎません

 と決意表明だ。それもあえて日本語でだ。

 日本に向けてメッセージを送ってるわけだよ、SOSとして。

 詳細はこちらこっちやら。

 なんか、応援したいね……。むろん、台湾の方を。

 現状で、日本には西友などが輸入し、売ってるみたいだけど、ま~、日本政府は中国にビビッて何もアクションしないと思う。コロナ渦の右往左往をみるまでなく、将来を見据えた決断は遠い夢。

 が、そうであるならホント、な・さ・け・な・や、の中国と日本。

 

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 台湾のパイナップル(年中食べられるけど、旬は4月~8月だそう)。この写真は台北ナビから転載

 

2月の映画よもやま

 

『あの夜、マイアミで』 2020 Amazon prime

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 黒人差別の問題を描く。舞台は1964年。カシアス・クレイフットボールの有名選手ジム・ブラウン、マルコムX、ゴスペル歌手サム・クックが、クレイのボクシング試合後に一同に介し、ケンケンガクガク話し合う。『Ray/レイ』やらアレコレの映画に出てた女優のレジーナ・キングの初監督作品。

 現実にこの4人の有名人たちが会ったという記録はないけど、あえて4人を会合させての話。ずいぶんブッ飛んだ設定だなぁと思ったら、脚本は『スタートレックディスカバリー』を手がけた人だった。

 コロナ渦の今、直に人と人が接して深く語りあう姿が、妙に御馳走にみえた。何より劇中の4人がちゃんと相手の話を「聞く耳」を持っているのが良かアンバイ。

 

『ブラック・クランズマン』 2018 Amazon prime

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 去年に2度ばかり観て、また観る。この映画のリズムとテンポが好み。ジョン・デヴィッド・ワシントンのカリフラワー頭とヒゲもこの映画じゃ悪くない。アダム・ドライバーの飄々とした感じもいい。

 スパイク・リー監督は『モ’・ベター・ブルース』やら『マルコムX』やら『インサイド・マン』でデンゼル・ワシントンを起用し、この作品では息子を起用で器用だね~。その『インサイド・マン』のDVD、探して見つからん。あれ?、と思ったら、福山在住のノビ~に貸し出したまんま観~やだ。しゃ~ない、Blu-rayに買い換えようかしら。

 

TIGERLAND』 2000  Amazon prime

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 徴兵され、ベトナムに送り出される前に訓練される兵士達の話。

 主演のコリン・ファレルの唇の傷が妙に痛々しいのが印象に残るも、さほど感じるところなし。

 

ハンターキラー潜航せよ』 2018 Amazon prime

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 潜水艦好きなら、ついつい、観てしまうんだろうけど、内容は無イヨ~で、せっかくのゲイリー・オールドマンなんか出てる意味がなく、主役ジェラルド・バトラーがかっこよくふるまっているだけ。けども、こういう映画は嫌いじゃ~! とは言い切れないタチで、魚雷発射とその結果をばメダマが追う追うオ~OH。

 

スパイ・ゾル』 2003 DVD

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 篠田正浩監督の引退作品。

 夏川結衣が出てるんで観たものの、3時間に近い長さ。それを長いと感じさせない映画と、そうでない映画があるけど、この作品は残念なことに、う~ん……。そも何で「イマジン」が流れる? 

 

梟の城』 1999 DVD

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 篠田正浩作品で中井貴一主演。大仰な音作りに鼻白むし、「それってどうなの?」な点もあるけど何故か時々観たくなる。3年にイッペンは見返してる。要は嫌いじゃないんだろう。じゃ、好きか? といえばそうでもなく……、その好き嫌いの中間辺りでのモヤ~っとした所に「愛嬌」のようなものがあるような。

 で、その「愛嬌」って~のがどういうものかと考えるに、篠田御大は懸命に風船に息を吹き入れてらっしゃるのだけど、風船そのものに穴があいていて、どこまで吹いても大きくならないのを、実は御大は知りつつ、なおも吹いてるような感じで、『スパイ・ゾルゲ』も同じ。

 氏は「かぶき者」とか「かわら者」研究の第一人者で数々の秀逸な著述があるけど、ご自身の映画作品にその「かぶき者テースト」を混ぜ混ぜさせて、

「どう? ついてこれないでしょ」

 と、ワザとやってるような感じがしないでもない。この映画のケッタイな音作りにしろ、『スパイ・ゾルゲ』の「イマジン」にしろ……。

 

サリュート』 2018 Amazon prime

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 ロシア映画。1980年代の、サリュート7の軌道逸脱事故と宇宙ステーション・ミールの落下事故を、1つの話にまとめたストーリー。だから史実を追った映画じゃなくって、部分に史実を含むという感じの映画。

 米国産映画の特殊効果と遜色ないSFX。当時のロシアの宇宙船内の様子とか、なかなか興味深い。

 意外にも体制批判が根底にあって、最近のロシアの変化が覗えるような感もある。

 ニヤッと笑えたのは宇宙船内での喫煙。なんだかロシアっぽい。危ないぞ~って感じと共に、たぶん当時、ホンマにタバコ持ちこんで、無重力の中で吸ったんだろうなぁともリアルに思えた。逆に思えば、当時のロシア軍部の飛行士への管理が甘いというか、タバコ1箱持ち込んでるのも気づかないという辺りの組織力の硬直と脆さの垣間見えが、面白い。もちろん無重力だから煙は上にあがっていかない。

 

宇宙戦争』 1954 2005  DVDで2本立て

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 1月のはじめ、英国でH・G・ウェルズの没後75年を記念する硬貨が出たものの、図柄がメチャだと大ブーイング。ウェルズの描いた火星人の戦闘マシン・トライポッドの足は3本でなきゃ~駄目だし、硬い金属足じゃなく、もっとしなやかで柔軟なものでないとイカンじゃ~んのクレームに、硬貨のデザインを担当したデザイナーが懸命に自己弁護したりで、何かと話題になったようだけど……。

 

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 ま~、それに触発されて、20年っぷりくらいか、原作をば読んで、

「うん、うん。やっぱ、今回のコイン、めっちゃ駄目だわさ~」

 他国の硬貨に内政干渉ぎみに感想したのだったけど、あわせて次いで、2本の『宇宙戦争』をば鑑賞。

 

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 1954年のは名作中の名作。1954年当時に時代設定をかえ、さらにトライポッドなんぞもクールでエレガントなデザインとして描いてるけど、3という数にこだわって、火星人とその機器類の特徴づけに大成功している。ウェルズの原作でも3単位の火星人が描かれているけど、この映画ほどそこは際立たせていなかった。その辺りの原作の延長と拡大と強化が、だから見事。あっぱれ。何度観ても素晴らしい。

 圧倒的パワーに蹂躙されるだけの人類が暴徒と化したり神さんに祈ることしか出来ないという無力の膨大、その描き方も実によろしかった。

 

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 2005年のはウェルズの原作に近いトライポッドが出てきてコンニチワ~。これはこれでとても良いし、原作をうまく踏襲しつつ現代の話に置き換えて、さらに1954年版映画へのオマージュまでが含まれて、そこもさすがなれど、家族愛、子供親父の大人への脱皮みたいな……、スピルバーグ的なファミリー主題が前面に出てしまって、せっかくのウェルズ・テーストが後退。観るたび、

「惜しいなぁ」

 と思ってたけど、今回も同じ感想。

 お・し・い。

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 希望を申せば、ウェルズが描いた19世紀末(1898年)を舞台にしての『宇宙戦争』をば観てみたいな。原作は回想談として話が進む。そこもそのままでの映画版を希望っす。

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 こたび久々に読んで、今の政治不信やらコロナ渦での状況にとても近似する人の動向が描かれていて、「あらまっ」とおどろいた。第7章の「パトニー・ヒルズの男」のくだりでは、陰謀論をかたくなに信じるトランプ熱烈支持者に似る元兵士が出てきたりもして、その動向の活写はさすがウェルズ、本作品モチーフの硬貨が出るのもアタリマエ……、と思ったりした。むろん、何よりも凄みあるのは、人類が既に持っているウィルスへの抗体、抵抗力を火星人らが持ってなかったという顛末だ。『宇宙戦争』はおそらく唯一、ウィルスが人類側に立ってる(結果としてだけど)ドラマ。

 

イントウ・ザ・スカイ ~気球で未来を変えたふたり~』 

 2019 Amazon primeのオリジナル映画

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 原題は「THE AERONAUTS」。

 直訳では、「気球乗り達」か。

 それをわざわざに、「イントウ・ザ・スカイ ~気球で未来を変えたふたり~」との邦題づけ。Amazonの日本法人よ、お前もか……、とガッカリしないではない。タイトルでもって説明しないで欲しい。

 ま~、しかしこの映画、足が竦むことタビタビ。こちら観覧車でさえ苦手なんで、高さをありありと示す秀逸な描写の連打にお尻あたりから両足まで竦むこと竦むこと。

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 フェリシティ・ジョーンズは『ROGUE ONE /  STAR WARS』で充分にハラハラさせてくれたけど、この作品はそこをはるかに凌駕。いきおい彼女の代表作に躍り出た感ありありの高度10㎞での痛々しげな両手の凍傷。

 

バベットの晩餐会』1989 Amazon primeBlu-ray

 

 デンマーク映画。2月に観た映画中、ナンバーワンのダントツ。

 実に静かな映画。料理を基底部に置いた素晴らしいドラマと云ったが良いか。

 舞台は19世紀末のデンマーク。海辺の小さい村。

 出演の方々、とりわけ老いた方々が素晴らしい。最高に近い。

 Amazon primeで観た後にちょいと調べてみるに、この作品、最近、Blu-rayが出てた。

 手元に置いときたくなった。

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 なので買った。

 いや~、この映画はね、Blu-ray画質で観るのがいいよ。家のカタチ、干された魚(ヒラメかな?)、小さな商店、暗い台所、食卓の様子、テーブルクロス、アイロン……、わけても後半の晩餐シーンの老人たちの頬。食事が進みワインのグラスが干される内に白い顔がピンク色にと変わってく微笑ましい様相。ここはBlu-rayでの再現が望ましい。

 日本映画にみられるベタな感情移入に導くようなつまらん造りでないのが良く、淡々の中に清廉と熱が存在していて、ちゃんとした感動が味わえる。それもね、映画の進行と共にジワジワ、ジワジワ~っとくる。こういうのは希有だし、まして主題となるベースが料理だよ。

 屠られた鶏の首、羽毛をむしられていくウズラ、いずれもが赤裸に描写される。美と残酷とがあたりまえに同居し、隠されないのがいい。

 

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         バベットが石炭オーブンから焼き菓子を出してるシーン

 

 前半部の描写は、この映画が何を主題にしてるのか皆目わかんないのだけど、ま~、そこが日本の即興的お刺身文化じゃない、ヨーロピアンのコトコト煮込み料理文化なのであって、概ねで西洋の古典文学もそうでしょ……、出だしのギアはあくまでロー、流れてく時間の速度の違いもまた味わえるって~もんだ。

 

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 その上で、19世紀末デンマークでの質素極まりない食の光景(古いパンを湯に溶いてお粥みたいにして食べたり)と、後半でのフランス料理との対比も激烈に素晴らしい。劇中の1人の老人の口癖になってる「ハレルヤ~」を、そのままに復唱したくもなるんだハレル~ヤ。

 ま~、なによりもバベットと二人の老女だなぁ、魅力は。

 などと書いてる内、また観たくなって来ましたよ~。というか、この映画をまた「味わい」たくなった。 

 食える映画があるんだぜ、この世界にゃ。

         この予告編は作りがまずく本編の魅力を伝えてないけど……。

 

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 フランス料理というカテゴリーでは『大統領の料理人』(2013)というこれまた秀逸な作品もあるし、料理を前面に描くという点でもこちらの方がたっぷり感ありなんだけど、手元に置きたい度合いは『バベットの晩餐会』が上にくる。抽象化への粘度が高いんだ。

『ラスト・サムライ』が現実の幕末ではない描写の連打ながらも、日本の数多の映画が描こうとしたサムライのカタチ、日本というカタチをより上手く抽出していたように、『バベットの晩餐会』は料理がもたらすかもしれない良きポイントを極上なファンタジィ~にまで昇華させていると思え、ま~、そこにBlu-rayを買うだけの価値ありと。

 

 

 

 

レンジが

 

 マックのハードディスクが復旧した翌朝、電子レンジが、

ポンッ!

 乾いた音たてて、ウンともスンともいわなくなった。

 もう何年も使ってたもの。ポンッ!はおそらく電源部が逝った音なんだろう。「壊れ連鎖」にガックリさせられるけど、コンピュータのように修復とはいかない。

 やむなく新たなのを買った。

 しかしね~、電子レンジが壊れると、たちまち、ミルク1つあっためるにも、面倒なことになるんだなぁ。小さい鍋にコンロ、使うたび鍋は洗わなきゃ~いけね。

 いかにレンジが重宝してたか、失ってよ~く判る。

 

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 山下和美の漫画『天才柳沢教授の生活』で、主人公がミルクをコンロで沸かすシーンがあって、沸騰寸前に火を落とそうとする教授のカタチが、好もしい。

 この漫画が描かれた1980年頃はIH製品はないけれどレンジでチンが全盛時代。

 けども67歳の教授はレンジ使わずコンロと対峙してるワケで、そこでの、機械にお任せしない、火加減のこだわりが好もしい。

 

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 当方チョイスでベスト10映画の1本『リスボンに誘われて』では、ジェレミー・アイアンズ扮する国語教授が朝の紅茶を沸かそうとして、キッチンにティーパックの在庫がないのに気づく。

 季節は真冬。それでゴミ箱をあけ、イチバン上にのってる、おそらく前日朝に使ったと思われるティーパックを回収し、実に無造作にカップに浸けて一杯のティーを作り出すというのが巻頭にあって、教授の生活の一端を垣間見せるという仕掛けになっていたけど、ここでもレンジは使われない。

 前日朝食時のゴミがゴミ箱の最上部にあるのは、彼が夕食を外食で済ませている事を物語る。

 調理しないから、いわゆる生ゴミがなく、孤独なシングル・ライフを送っているのが、この巻頭でアリアリ判るわけだ。

 

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 本に囲まれたアパートの中、寝起きでまずは、1人、チェスの駒を動かして、アタマの体操というか、これが彼の趣味であろうコトが判る描写。

 

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 時計のアラームが鳴って着替え、学校へ出向く準備をし、朝食を用意する。ゴミ箱に入った空のパッケージがほんの僅かに映って、その図柄から想像するに、それはトワイニングのじゃなく、ドイツのロンネフェルト紅茶のダージリン徳用パッケージと思われけど、いかんせんBlu-ray画質じゃないんで、わかんない。(この徳用は日本では売ってないのかな?)

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 当日の授業の書類を見つつ小さなテーブルで朝食をとる。冬のスイス(ベルン市)の朝はまだまだ暗い。

 当然に紅茶はデガラシだが、仔細を眺めるに、教授はチェス用の小テーブルと朝食用のテーブル、2つを使い分けて、そこはそこでチャンとしてこだわりを持ってる生活だというのも、わかる……。

 山下和美の漫画もそうだけど、良い作品はたいがい、細部のディティール描写に妙味あり。

 

 我が宅には、さて? いつ電子レンジが入ったかしら?

 いつ初めてコーヒーをチンしたかしら?

 今は2~3万円で買えちゃうけど、その昔は10倍ほどの値段だったような気がする……。

 レンジは床が回転するのと、しないのと、2種類があるけど、どっちがイイのだろ? 判らんまんま、「ポンッ!」で昇天したのと同じく、回転しないのを買った。

 コンビニ弁当をあっためるに、回転式は弁当のサイズにもよるけど、フチが庫内の壁にあたってモーターに負荷をかけるゆえ、ペケね。

 

 ペケといえば、『リスボンに誘われて』、DVDどまりで、なんでBlu-ray化しないんだろ、焦れったいな……。

 

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梅のさく 門は茶屋なり

 地震はホントに怖いね……。

 

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     なんか妙な、よこしまな視線っぽいのを感じたのだけど……

 

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               ペコちゃんだった

 

 ペコちゃんといえば不二家。1973年にバレンタインデーの仕返しじゃ~なくって、お返しとして「リターン・バレンタイン」というキャンペーンをやって、これが今のホワイトデーになったという説があるらしい……、などとウィキペディアに書いてあるのを読みつつ、ご近所のタケちゃんより頂戴のチョコをばかじる。

 

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 なぜか、外付けHDD(ハードディスク)2つからデータ完全消失。そのくせハード的にはちゃんと活きているっぽい。

 

 一つ家に 遊女もねたり 萩と月

 

 ではないけれど、1ケースに2つ入ったHDD。

 熱暴走? 急電圧? フリースなどのポリエステル素材の服を近場で脱ぐコトありだけど、そのさいの静電気? まさかね? 

 我が輩の不始末? 

 原因不明。

 ともあれ中身が全てゼロ。別の外付けHDDにそのバックアップがあるきり。

 遭難直前の心細さは芭蕉の描く遊女に等しい。(この遊女は友達と2人旅の途中で別れてしまい、1人旅でメチャに心もとないというコトが『奥の細道』で紹介され、そう書いた後にこの有名な句が添えられる)

 こちらとて心もとない。容量のでっかいHDDを買いたし、月のような坊主アタマになったChikaちゃんに来てもらい、おはぎ食べつつ取り付けとデータの移動作業。

 

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 あれこれ眺めるに、近頃やたらにこの国、タソガレて悲哀色、「後進」という感じが明滅していけない……、というような話を交えつつの作業。

 MacのTime Machine機能で遭難回避。バックアップ1つじゃ~イカンという次第明白で、こたびの復旧を機会にバックアップは2つ取ることに。

 

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 ついこの前、お雑煮食べていたような感じがあるけど、もう2月も半ば。

 

 梅のさく 門は茶屋なり よきやすみ

 

 正岡子規の句。

 18~19歳の時の作品という。

 梅が咲いた角っこの茶店で休んだらいい気分になった……、と、それだけのコトなんだけど、それだけのコトの中に大きな安泰が横たわっていて、若い子規の才能に驚く。

 19歳なら、1886年(明治19)頃だ。松山から東京に出て既に3年、東大予備門に通っていた頃だろう。この学校で漱石と出会っているから、ひょっとして2月の梅が咲く、あるいは梅が咲いた頃の角っこの茶店に同席していたのは漱石かも……、というような想像も許される。

 メチャに友達が多い人だったから別に漱石でなくともよいけど、ともあれ梅が背景にあって春の句だ。冬ではない日差しの心地よさが「よきやすみ」の5語に集約されてるわけだ。

 

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 一方その頃、岡山では……、船着町に片山木材店が登場。店主は30歳の片山儀太郎。

 奈良から吉野杉を仕入れ、樽材として売り出している。

 (樽そのものを仕入れたとも思えるが)

 この頃は、雄町米を使った酒が全国に知られ出し、岡山市内や近隣の酒蔵家は大忙し。

 高級の代名詞たる吉野杉を使った樽は、雄町米の酒の品格をいっそう引き上げる役を担う。

 吉野からの杉では足りず、片山木材では、土州(高知方面)の杉も仕入れていく。

 

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 儀太郎さんが酒を好むヒトだったかどうかは、わからない。

 わからないけど、嗜むヒトではあったろうとは思う。晩酌に1合徳利を2つばかり。

 

 

 子規には『酒』という作品がある。

 原稿用紙1枚に満たない小品だから、全文を載せる。

 

 一つ橋外の学校の寄宿舎に居る時に、明日は三角術の試験だというので、ノートを広げてサイン、アルファ、タン、スィータスィータと読んで居るけれど少しも分らぬ。困って居ると友達が酒飲みに行かんかというから、直に一処いっしょ)に飛び出した。いつも行く神保町の洋酒屋へ往って、ラッキョを肴で正宗を飲んだ。自分は五勺しゃく)飲むのがきまりであるが、この日は一合傾けた。この勢いで帰って三角を勉強しようという意気込であった。

 ところが学校の門を這入る頃から、足が土地へつかぬようになって、自分の室に帰って来た時は最早酔がまわって苦しくてたまらぬ。試験の用意などは思いもつかぬので、その晩はそれきり寐てしまった。すると翌日の試験には満点百のものをようよう十四点だけもらった。十四点とは余り例のない事だ。酒も悪いが先生もひどいや。

                     明治32年『ホトトギス』第2巻第9号 所載

 

 子規は1合でダウンした。酒を嫌いじゃなかったろうけど、体質的に呑めないタチだったんだろう。

 そこを本人が苦(?)にしているらしきは、後年の作品の中、けっこう酒のことを書いていることで概ね察しがつく。

 彼の父・常尚は酒豪中の酒豪で、ほぼ毎日1升呑んでいたというし、明治の2年には酔って寝入ったか、正岡家を全焼させた不始末もある……。その時に一緒に呑んでたのが常尚の父すなわち子規のお爺さん。この人も一升クラスのようで、そんな呑めるはずの家系ながら自分が下戸であるのを、子規が気にしないワケがない。

 

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 上記の『酒』に出てくる正宗はどこの酒蔵か知れないし、使われた米のブランドとても判んないけど、かまや~しない。正岡式の子規失敗談を愉しめるというもんだ。

 この頃はまだ一升瓶は存在しない。子規が入った店の奥にはサイズは判らないけど幾つか樽が並んでいたはずで、店員がその栓を抜いて冷ややら燗の用意をしたのだろう。

 子規はどっちを呑んだろう? 部屋に戻った頃に酔いの頂点があるようだから、遅延気味に酔いがやって来る冷やだったような感もある。

 ラッキョウが肴か……。1合あけるために、5つも6つも口に運んだか?

 そこを考えると、おもしろいや。

 

 

ふりだしにもどる ~亜公園~

 20日に開催予定の西大寺の裸祭り。今年は関係者以外の境内立ち入りを禁じ、宝木は投下するけど参加者は過去に福男になった人のみで、競り合うことはさせず、住職がフダをひいて本年度の福男を選ぶそうな。

 裸祭りがはじまって500年以上が経つけど、初のことらしい。

 ま~、しゃ~ない。

 ちなみに、高齢で1月に亡くなった我が親族は、若い頃に裸祭りに参加し、争奪戦が開始されて揉み合いに翻弄される中、たまたま飛んで来た宝木が手にあたり、すかさずマワシのタマタマの近くに隠し入れ、両手を上にあげて、

「ボクちゃんも探してるよ〜」

 なフリをしつつ裸衆から離れるべく、徐々にその外周へと移動し、たまたまに社務所前付近に押し流されたので、ここぞとばかりに駆け込んで、その年の福男になったラッキ~マンだった。

 けどもその事をけっして自慢せず、実に謙虚に言葉少なめに、

「いや〜」

 と頭をかいて、

「たまたま」

 と申されたグッドマンだった。

 

     ●○-●○-●○-●○-●○-●○-●○-●○-●○-●○

 

 さてと、また亜公園のことを。

 亜公園には街路灯があった。

 4燈あった。

 ガス燈か、西洋燈か、アーク燈か?

 

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          『岡山亜公園之図』(岡山中央図書館蔵)の街路灯部分

 

 その街路灯それぞれのそばに小さな八角形の塔屋がある。

 これも4つ、ある。

 そこで、この塔屋はアーク燈のための動力源、蓄電池を置く“小屋”ではなかったかしら?

 そう思って当時の電気事情を記した本やらで諸々を精査し、

「おそらく、そうだろな」

 ほぼ見解を固めたのだった。

 

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                『岡山亜公園之図』の小さな塔屋。

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                    部分のアップ

 

 で、最後の一押し、フィニッシュのイチバン搾りとして、やはり当時の事情を知る手がかりになる関連本を何冊か仕入れ、確認がてらにめくってると……、すると照明の話じゃない所で、

「おやっ?

 立ち止まるべきな記述があるじゃ~ないの。

 予期しないカタチで想定外な形のモノが出てきてしまった。

 

    ––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––

 

 江戸時代末期から明治になった頃、横浜港界隈での話。

 日本にやって来て横浜に滞在した外国人たちが、

「ワッ! 何てこったい!」

 おどろき、あきれ、声高に非難し、日本政府にクレームを入れたのが、日本人男性の「立ち小便」だ。

 道ばたシ~シ~、壁にシャ~シャ~。平気の平左。

「何とかせ~よっ!」

 英語やオランダ語やドイツ語でブ~垂れた。

 日本は当時、公衆衛生の概念が希薄だったわけだ。

 

 そこで明治政府はあわて、いわゆる外圧に押され、邏卒(らそつ。警察官の前身)に取り締まりさせた。

 明治4年1871に発足した邏卒の仕事は、ほぼ、立ち小便の取り締まりが主務という有様だった。

 それと同時に政府は、横浜の町の辻々に「路傍便所」というのも設置した。

 四斗樽を地面に埋めてだなぁ、その廻りを板で囲っただけのチープなものだけど、一応、これトイレはトイレだ。

 けどま~、ブッサイクだわさ。

 そこで明治12。外国人多数なオシャレ横浜にふさわしいのを考案したヒトが出てくる。

 

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                  横浜「公同便所」の図。

      鹿島建設が運営する鹿島出版会の本『ものの建築史 便所のはなし』より転載

 

 それが、この図面だ。

 六角形だ。西洋っぽいね。市内63カ所に設置され「公同便所」と呼ばれた。

 総予算は2千円だというから、今でいえば10億円くらいかかってる……。

 この建物、あんがいと大きい。六角のカタチを活かし、男性用6ケ、女性用途も含むであろう大用3ケを上手にまとめてる。トンガリ屋根は臭気抜きだ。

 

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              伊奈製陶の『厠まんだら』より転載


 となればだよ……明治25年オープンの亜公園の小さな塔屋も、トイレじゃないのか、いや、トイレそのものだよ~! という考えに急転直下するのだった。

 

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                 『岡山亜公園之図』部分

 

 なんのことはない。『岡山亜公園之図』を最初に見たさいの、

「トイレかしら?」

 の素朴でストレートな感想が、実は正解だった……、ということになってきた。

 数が多すぎると疑念し、早々にトイレ説は捨てていたのだけど、後述するけど、その数もキーポイントだった。

 ともあれ、あれこれ考えた末に、ふりだしに戻ったワケだ。

 

 しかしま~、これはこれでマッコト面白いのだ。

 実のところ、明治4年まで、日本には公衆トイレがなかったワケだ。

 外圧によって横浜にそれが出来、ついで政府は、明治5年に「違式註違条例」という、軽犯罪法を作って全国発令、街中での立ち小便を禁じた。

 条文に、

「市中往来筋に於いて、便所にあらざる場所へ小便するもの」

「店先に於いて往来に向ひ、幼児に大小便せしむるもの」

 罰則対象を小まめに明記した。

 

 岡山でも、このために「公同便所」が出来た。

 しかし、明治23年(亜公園オープンの2年前)の山陽新報によれば、屋根付きの「公同便所」は、わずか8カ所で、屋根のない坪(瓶?)を埋め込んだだけのもの41カ所……

 これが、岡山市の実態。

 およそ、今の公衆衛生とはかけ離れてる。

 となれば、亜公園の登場で、その4つの塔屋がトイレであるなら、岡山での屋根付きトイレは12カ所と、ぐっと数が増えたことになる。

 

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 亜公園は、岡山の公衆衛生面・美観面に大きく寄与したという事に、なりもする。

 考察するなら、『岡山亜公園之図』は、その辺の事情も含め、あえてトイレを描き入れていたのかも……、知れないのだ。

 

 サイズはそう大きくないよう、思える。

 集成閣に準じて八角形なのだろうが、このサイズであるなら床面積はしれている。はたして内部に大用・小用をどれくらい設置出来たろう?

 男女は別としたろうか?

 あれこれ新たに考えることになっちまった。

 が、ともあれ、お江戸の時代から明治にかけて、トイレがないから立ち小便したのか? 立ち小便で済ませちゃえるからトイレがなかったのか?

 どっちでしょ、ねっ?

 これケッコ〜大きな問題、だよ。

 

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エルムの鉛筆削り

 森喜朗翁の老害っぷりが、痛々しい。

 けど一人、彼のみがおぞましい存在という次第ではなく、たぶん、私をも含め、日本人男性の体内にある「閉じきった感覚」がもたらす弊害のような気がしないではない。

 未だ、女性に慟哭させて物語りの情感極まったりだと思い込んでる日本のTVドラマなんぞのクライマックス作りと、表裏なような……。

 ぁあ、それにしても滑稽。翁の周辺含め、痛々しさ増量のオリンピック狂騒。

 

   ××-××-××-××-××-××-××-××-××-××-××-××-××-××-××-××-××-××

 

 ゲラが届いて、ただいま赤ペン入れの作業中。

 8月の山陽放送新社屋での講演録。その詰め作業、2度目の校正という次第で、手が抜けない。

 1時間、絶え間なく山のように喋ったはずだけど、テキストに起こしてもらうと、意外や、分量としては少なく、

「おや、おやっ」

 トーキングとライティングの違いに唖然とさせられる。

 講演後に新たに判明した事実もあって、それらをどこまで混ぜてくか悩みもする。

 ともあれ一言一句を追いかけつつ赤鉛筆……。

 

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 我が鉛筆削り。

 これ、小学生の時より使ってる。

 入学したさいに買ってもらったのだと思う。

 ハンドルグリップと削りかす箱以外はオール金属。

 だからずっしり重い。

 この重さ感は、今も、子供の頃に感じたそれと何ら変わらない。

 1度たりとも手入れせず、手垢にまみれちゃいるけど、常にそばにある。

 なんと60年……、使ってるワケだ。

 

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 子供のボクはこれを輸入品と思い決め、自分の所有物の中、唯一の外国製と北叟笑んでもいた。

 ボディ横のロゴがすべてローマ字だ。

 横文字がイコール、ボクには外国への通路だった。

 そんなのを自分が持ってるのが、嬉しかったワケなんだけど……、実はまったくそうでない。

 これは、国産品。

 東京は板橋のエルムという会社のものだ。

 エルムは1935年(昭和10)に金属文具の工場として起業した。

 戦後は鉛筆削り機といえばエルムという時代もあったようだし、国内ではじめて電動の鉛筆削りを創ったのもこの会社。

 

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 すべて英語表記なのは、これが盛大に輸出もされていたコトを示す。

 ま~、そこを子供のボクは舶来と取り違えたワケだけど、半世紀経っても使えるのは有り難い。

 だから、ボクは電動式鉛筆削り機が出たさいも、欲しくもカユクもなかった。

 ハンドルをクルクル廻せば、これ1つで鉛筆のいっさいが賄われ、しかも、その手加減1つで芯を尖らせも出来れば、やや甘く……、も出来るんだから買い換えの必要がないんだった。

 

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 今の眼でみると、質実の剛健っぷりが際立つ。

 鉛筆をセットすると、ガッツリ、歯形をつけるんだ。

 ゼッタイに放さないぞ……、の意志がこの歯形だ。

 なので、鉛筆にはそれを使い切るまで無数の歯形がつくコトになる。

 かつて誰かが唄ってた、

「あなたが〜噛んだ小指がぁ痛い~♪」

 をもじれば、

「あなたがたが〜噛んだぁ~♪」

 って~な感じの傷を鉛筆は、ボディにうける。

 

 けど、それがイイのだ。

 鉛筆は何事かを紙に刻みしるすものだけど、その鉛筆自体がそうやって毎度刻印めく傷をつけられヒストリーを更新してく様子を、ボクは好きなんだ。

 

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 しかしエルムは平成時代になって、売り上げ低迷。

 ボールペン全盛。シャープペンシルとかの躍進も斜陽に拍車をかけていた。

 収入より出費が大きくなってった。

 それで2015年、負債が10億円を超えた時点で、延命策はあえて取らず、会社を閉じた。

 事業継続は困難と、撤退していった。

 残念な話じゃあるけど、そのいさぎよさは良かった。

 こちら、そんな会社の良品をいまだ使い、赤鉛筆を研いでもらってる。

 本来、モノというのは容易に壊れるようなモンじゃ~駄目なんだ。

 エルムという会社はもうないけれど、その良き製品はこうして卓上で活き続け、当方を助けてくれる。

 あ・り・が・た・や・あ・り・が・た・や

 

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 子供の頃からのヘキだけど……、削りかすを捨てる時、いつも躊躇する。

 このフンワリ柔らかな感触と微かな木の匂いを好く方で、なんかもったいない気がしていけない。

 といって何かに使えるかというと、アイデアはない。自分が極く極く小さきヒトであるなら、この中に入り込んでスヤスヤあったかく眠れるかも……、みたいな空想しか沸いてこないのだけど、まっ、はやい話、貧乏性なんだろう。

史料が届く

 

 1月最終の昨日の金曜、またzoom呑み会。

 今回は県外、兵庫県在住氏も加わっての5人の会。

「や~、ども~、ごぶさた~」

 隣県への移動も不自由な今、ま~、こういう呑み会も容認しなきゃ、やってらんない。

 ただ、これは、ピッチが速くなるというか、呑むペースが速くなっちまう。

 BARだと、黙ってボ~~ッとしてる時間もあるし、カウンター内の綺麗さんや口うるさい小っこいのがチョコマカ大きく働くのを眺めて変化を愉しめるけど、画面見ぃ~見ぃ~だけの変化なしなんで、つい、手が動いてグラスを口に運んでしまうんだ、ねっ。

 間、をどう取ってくか、まだ要領をえない。

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 あと、この5人の間でも話題になったけど、去年や今年に大学に入ったものの、zoomなどのバーチャルでの授業や会合でしか人と接することが出来なくなっている若い世代にとって、これはどうその人の今後に影をおとすのか? あるいはおとさないのか? 実は極めて大きな問題のような……。

 リアルな恋愛が出来なく、画面を通してでないと「萌えない」妙なアンバイになるんではなかろうか、とかとか。人は人との交流が何より大事ポイントなんだけど、そこの根幹がユサユサしているわけで、何かと後々に尾を引きそうな予感。

 

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 某古書店から連絡。「依頼の本、出物あり」との事。

 探してもらって半年ほどが経つ。

 価格を聞いて、メダマ、ウロウロしちゃったけど、クロネコで送ってもらった。

 

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 明治時代の岡山の電気事情を知る資料。

 この場合は「史料」と書くのが良いのかな。

 中世史研究の伊藤正俊氏いわく、「歴史を復元する資料を「史料」という」らしい。

 想定外にでっかく、ページ数は1200を越える。重いったらない。

 

 予想はしていたけど、この昭和47年刊行の本であっても、明治期の、それも岡山の事となると50ページに満たない分量。残りの1150ページは概ね戦後の事だらけ。

 けど、いいのだ。

 50ページもの、「史料」記述が有ると思えば、久々、ワクワクだ。

 もとより、探して欲しいと願って数ヶ月経ってたから、やはりダメだろな、だいたい本屋で売られず関係者にのみ配られた「社史」というのが外骨格だからなぁ……、入手はムリだろと諦めてた。

 それが、半ば忘れた頃、年明けて、「入りましたよ~」なんだから、「よ~よ~マァ」とワクワク電圧上昇。

 当事者(社)が書いたものだから第1級史料、メチャにありがたいという次第。

 

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 なぁに……、亜公園がらみで、明治の電気について確実な所をば知りたいと思ってたワケなのさ。そうすると電力会社自身が記したものがイチバンではないか。

 いやぁ、おかげで大きな智見を得たノ~ル。

 今月最大のスマイリ~・ポイントになりましたですよ。

 

 とはいえ……、この1冊でいっさいが氷解したかといえば、まったくそ~でない。

 むしろ、ふいに眼前に、よりでっかい氷山が現れ、

「あんりゃ、ま~」

 舵をどちらに切って良いやら、判らんちんタイタニック

 スマイリ~は数分でフリーズし、

「いっそ混沌だぁ~~」

 慨嘆、一筋縄でくくれない明治の裾野の広さに唖然とさせられるんだった。

 

 詳しいことが判れば判るほどに慎重に扱わざるも得なくなる。

 でもまた、これでポイントの絞り込みも出来たわけで、一長一短、けっして後退したワケでない。

 虚実を明快に解いて、「あった事」と「なかった事」を分別し、その上で「ありえる事」を抽出して考察するっきゃ~、ない。

 

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   亜公園内の謎の八角形のミニハウス。電気がらみの塔屋じゃないかと睨んでるのだが……

 その「なかった事」のさいたるものとしては、ガス燈かしら。

 明治岡山の事を書いた郷土史の本の幾つかには、明治になるや京橋付近にガス燈が灯ったというような記述がある。

 大きなマチガイあるね。

 ガス燈は当然にガスが必要だ。

 けど当時、岡山にガスを供給する会社はない。岡山ガスという会社が創立されるのは明治の終わり頃、1910年(明治43)なのだから、明治初期にも中期にもガス燈があろうハズがないんだ。

 なるほど横浜や銀座ではごく初期にガス燈が灯った。

 

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         明治7~15年の間で撮影されたらしき銀座。手前にガス燈あり

 

 これは当時としては大きな資本でもってガス会社が設立されたから出来たわけで、この新しい照明は錦絵の格好の題材になって、今でも本にまとめられるくらい多数の作品が残るけど……、岡山の実際は、灯油を使う街路灯だった。いわゆる西洋燈だ。

 ガラスケースに入ってるからガラス燈とも呼ばれた。

 岡山文庫の『岡山事物起源』では明治34年に野田屋町に「岡山点燈会社」が設立され、夕方になると若い衆がガス燈に火を点けてまわったとあるけど……、これもその一例、この会社は実際同年の3月に起業しているけど、灯油での灯りを売った会社だ。ガスとガラスを混同されてるんだろね。

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       電気仕掛けの初の灯りとなるアーク放電と直列つなぎの蓄電池たち

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                 フランスのアーク街灯

 

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 2日ほど前のニュース、部分。

 

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 どう呼びあうかなんか、どうでもよくって、肝心なこと話せてもいないなんて……。

 や・く・た・た・ず・め~

 

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 明治半ばの岡山にアンガイと影響を与えていたのは、神戸港とその外国人居留地

 ここでの独自な「文化」がヒタヒタ波のように寄せては返してる。

 

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 横浜のそれも影響は大きかったろうけど、神戸は隣県。岡山は近い。輸入のアレコレ、技術のソレやコレの多くは神戸から京橋の港や三蟠の港へやって来た……。

 その辺りを小まめに追跡出来たら、かなり面白い構図が見えて来そう。