石膏ボードを買う

 

 連休終わりの日、kosakaちゃんが高知の土佐小夏をもってきてくれた。

 ありがたや。

 御礼とばかりに近場のコメダ珈琲へ誘う。彼は電気系の専門家なのでココぞとばかり、DIYでの器具取りつけについてアレコレ質問繰り出し、階段の上下のスイッチは三路回路のものでないとイケナイとか……、初歩を教えてもらったりで、果物にくわえて工作知識も学んで、こちらホックホク。

 しかし、kosakaちゃんと会う時は、いつも雨になるというのが、お・か・し・い。

 

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 翌日。

 でっかい車を持っている柔道家のS君と久しぶりに会合、ホームセンターに石膏ボードを買いに駆ける。

 前日と打って変わり夏のような日差し。暑さを数ヶ月ぶりに体感。

 石膏ボードは規格があってというか、壁の下地材なんだから自ずとサイズがでっかく、当然にMINIでは運べない。

 

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         積み込みまで手伝ってくれた、実に新設なDIYコーナーの主任さん。

 

 柔道家の車で運んだのは24枚。ゲキ重い。

 何に使う?

 我が宅の傷んだ壁のリフォームがため。

 経年でボロくなって剥離ぎみな綿壁(70年代頃までは主流だったけど今やほぼ絶滅種)部分に石膏ボードを取りつけ、新たに壁紙を貼って一新しようという魂胆。

 

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 綿壁。主材料は綿でその中にキラキラ光るもんがはいってる。これが経年で老朽しポロポロ剥離するから困ったもんだ

 

 柔道家とはしょっちゅう電話で話したりしてるんで、なぁ~んとも思ってなかったけど、彼いわく、直にこうして会ったのは6年ぶりになるという。

「へっ? そうなの?」

 意外さに眼をパチクリしたけど、ま~ま~、あんがい、そんなもんだろう。

 という次第で、石膏ボードを我が宅に運び入れたあと、2人でメシを喰いにいく。

 

 柔道家は、

「な~な~、いま、もう21世紀の21年めじゃ~ないすか、なんか未来って~感じないっすよねぇ」

「ましてウイルスでオタオタさせられて、大昔に戻ったみたい」

 おかれた現状に不平を述べるのだった。

 そこで当方は、それなり年長者らしく、

「ま~ま~、今は夜明け前と思い給え。永遠にコロナ禍であろうワケはない。ウイズコロナ何てぇ造語でごまかしちゃ~イカン。この先は、明っかるいぞっ」

 根拠のない言質でもって、ウィルス騒動後の希望的社会像を提示するんだった。

 その明っかる~い社会では、ワクチンは錠剤で年に1度、各家庭に確実に届けられ、飲めば1年効果が持続する。むろん国が支給だ。

 よって薬局やらスーパーではマスクや消毒薬売り場が縮小され、チョイっとスッキリしてる。

 ほいで例のオリンピックは、これは発祥の地ギリシャに固定され、開催国を決めるというような事から解放され、甲子園やウィンブルドンみたいになっている。財政破綻ギリシャは4年に1度お金がはいるコトになり、4年に1度ホテルやらが大幅値上げでコレはコレであらたな大問題だけど~。

 などと妄想半分混ぜつつ、浜寿司の握りを頬張る。しゃべるたびアクリルの防護板がジャマでしかたなかったけど。

 

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 で。

 買った石膏ボードは玄関内に置き、以後、壁の基礎調整中。剥離ぎみの綿壁に専用液を塗布し、硬化させるという作業をば黙々。

 

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 これをやっておかないと石膏ボードで覆っても、内部で剥離が進行し、表層は綺麗っぽいけど、めくっちゃえばヒデブ〜、みたいなアンバランスなので……、ボードの切り貼り&クロス貼りは、まだちょっと先。

 しばし玄関先が狭くて不自由なりだけど、しっかたない。

 

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洛中洛外図 舟木本

 

 本屋さんに自分の本(共著です)が積まれているのは……、嬉しいような不安なような、妙な感じをおぼえる。売れて欲しいけど、一方で、いつまでも積んであって欲しいような、充ちと欠けが一緒になってユラユラする。

 過去、何度か模型本の出版を味わってるけど、こたびはやや趣きが違う。岡山という一地域の、それも明治時代の事を書いた本なので、高知や新潟や福井の本屋に並ぶことはないだろう。

 それゆえ余計に、何かしら気がかり。

 

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 さてと、以下、違う本のハナシ。

 

 過日。

 届いた本はヤッタラ縦長なのだった。

「あっれ~?」

 咄嗟に訝しんだけど、次の瞬間には氷解し、

「あっ、そ~きたかぁ」

 なのだった。

 

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        ほかの類似大型本との比較。図抜けて背が高く……、本棚に収まらない

  

 要するに、屏風だ。

 厚めの紙を用いて屏風の姿をそのままに、本仕立てにしたというワケなのだ。なかなか、気がきいている。

 裏面に、六曲一双のカタチをそのまま25%に縮小した、と書いてある。

 初版が出たのは2010年で、東京国立博物館凸版印刷とが当時では最高水準の印刷技術でもって、”本仕立て”にしたようだ。

 

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 しかし……、やはり縮小は縮小だ。

 迫力の75%分は入っておらず、25%出力での静音可動といったところか。

 よって、あくまでも擬似的に楽しむっきゃ~、ない。

 眺めるこちら側ニンゲン・サイズを縮めなきゃ~、しっかたない。

 

 舟木本は、豊臣秀吉時代の京都を描いてる。

 自分としてはより古い、室町時代のカタチが見える上杉本(信長が謙信に贈ったもの)がイチバン好みなので、チョイっと残念でもあるけど、屏風のカタチをシミュレーション的に味わえるという点では、ありがたい。

 以前にも書いたことだけど、1隻の高さは当時の成人男性より高い1.7メートル前後あり、幅は3.5メートルもある。これが2枚なんだから、この「洛中洛外図」を眺めるには7メートル超えのスペースが必要だ。

 信長が「上杉本」を謙信に贈ったさいも、上杉謙信宅にそれだけの大きな部屋があるということを前提にしているわけだ。互いに権力者なのだから、それっくらいの部屋を持ってるのはアッタリマエだけど、逆に思えば、屏風でもって権力者のスケールも計れるようなところがあって、そこを思うとヤヤ面白い。

 端から端まで絵を眺めた謙信が、ほぼ7メートルをユルユルと移動したことは間違い、ない。

 酒が動力源だったらしき彼ゆえ、きっとおそらく……、片手に杯を持ち、チビチビ舐めつつ、京都洛中洛外の斬新を眺め入っては、疼くような都への憧憬を深め、同時にまた、そういう疼きを喚起させる絵を送ってきた信長に、

「いけ好かんやっちゃなぁ」 

 ムカッとしたり、イラッとしていたかも……、しれない。

 

 舟木本を描いたのは、岩佐又兵衛

 戦国時代から江戸時代初期にかけての人。1578天正6年)に産まれ1650(慶安3年)に没している。

 信長の息子・織田信雄の近習小姓として仕え、主に画業をやっていたらしい。大坂夏の陣の前、短期間京都にいて、この京都時代に本作「洛中洛外図」を造ったらしい。36歳か37歳頃ということになる。

 滋賀の舟木家が持っていたので、それで舟木本といわれる。

 又兵衛は40代になって福井藩主に招かれ、今の福井市に移住。その後、2代目将軍・秀忠の招きだかで江戸に移住し、徳川家光の娘の婚礼調度品などの製作なんぞもやったらしい。あちこちを点々とした生涯だが、いまやその舟木本が国宝(2016年指定)になってるというコトを当然に本人は知らない。

 

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               岩佐又兵衛 自画像 MOA美術館蔵

 

 この自画像はなかなか味わい深い。

 テーブルにコーヒーミルとトースターが置かれているように見えるが、むろん、そんなワケはない。

 額の広さとハゲた頭。憂いある山羊のような眼差し。この憂愁な目線に思慮深さを感じられるが、同時に孤独な感も伝わってくる。

 彼の父親である村重は信長の家臣だったけど、謀反を企て失敗。信長にテッテ的にやられる。一族はその家臣の家族をも含めて皆、殺されてしまう。

 けどもその時まだ2歳だった又兵衛のみが救出され(乳母が抱えて逃走したらしい)石山本願寺(当時は信長と敵対する巨大勢力)に保護された。そんな理由あって性を母方の岩佐にした。(村重本人は逃走を繰り返して最後は出家、52歳で没す)

 その後アレありコレありして、一転、信長の息子だった信雄の近習として仕え、豊臣政権となった世の中を眺め、さらに徳川政権への移行をも体感しているわけで……、大波の連打の中を生きたような人だった。常に権力者の近場にい、その意向で絵を描いてた。

 だから晩年になっての自画像が奇妙なほどに、味わい深い。

 

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 多くの修羅を見たであろうに、眼に殺伐がなく、山羊のように柔和で、なので一種の不思議を誘うんだ。

「洛中洛外図」を描いた36歳頃は既に豊臣家は滅んでる。その滅んだ豊臣の全盛期の京都を、彼はどういう気持ちで描いていたか、そこも興味深い。

 おびただしい数の人を彼は描き込んでいる。屏風の中には2500人を越える人物がいる。(国立博物館によれば2728人だそうで)それぞれが個性を持って描かれ、1人1人を抜き出してみれば、いずれもが大きなドラマを抱えていたであろうと察せられもする。アートであると同時に当時の克明な記録とも思えば、国宝に価するのは当然だろう。どんな気持ちを抱えて描いていたか……、そこがこの屏風を眺める時の、要めの1つだなぁ。

 

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 左隻第二扇に描かれた祇園祭の光景(部分)。雅びな今の行列と違い、参加者はそれぞれ好き勝手放題な衣装を着けて大いに“かぶき”、舞い狂ってた。それを見るための観覧席もある。

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 同じく祇園祭の部分。南蛮人が行列参加と思いきや、実はコスプレ。しかも複数でもって主従関係まで演出したチームプレー。おそらくは、あえて踊らず、ただ粛々と威厳をもってナリキッテ歩くことで、彼らなりの“カブくこと”の昂揚を味わっているのだろう。なかなかの強者たち。

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 同じく祇園祭の部分。この南蛮人もどきもコスプレーヤー。こちらははしゃいで踊ってる。左の武者コスプレ野郎はきっと友達だろう、互いに自己主張を譲らずでチームプレーの域に達してない。そばでオバサン笑ってる。

 

 祇園祭はこの当時、疫病退散を祈願祈念する巨大な祭で「祇園会」といい、身分に関係なく誰でも参加できた。大勢が集合すればするほど、そこにエネルギーが充満する。

 疫病コロナウイルスじゃなく疫痢や赤痢をその充満したチカラでうっちゃってしまおうと、した。

 ハチャでメチャな、いわばエネルギーの大発散の場所だったのが祇園祭。なので毎年、規模のでかいケンカも起きて死者が出た。

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 又兵衛は、信長に惨殺された母親や一族を反面教師にしてか、テッテ的に権力者の近場に立ち、その懐にあえて飛び込み、けれど決して時流に流されず、政治的渦中には足を踏み入れず、ただ絵筆1つでもって、生きた時代の光景を切り取ってみせるという”偉業”を成しちゃった感が、濃ゆい。

 織田家に向け、あるいはその後の権力の頂点にいる者に向け、絵でもって拮抗し、存在を知らしめ、いわば画業において1人の大名級の存在となって父母の仇をとったと、そう解釈するのはヤヤ大袈裟か。

 

 その偉業の25%縮小をば、虫眼鏡(メガネ仕様)で眺めてる今日のわたし。

 コロナ禍、こういう“鑑賞”時間が増えちゃってる。

 これって、いいこと? いいや。

 じゃ悪いこと? いいや。

 でも、はるか昔の京都での、「祇園会」での喧噪を屏風の中(一部分ですが)に見て、疫病を恐れ抗ってる人達の気分と、今の我らの鬱屈気分がリンクしていたり、あるいはリンク切れちゃってるとか、モロモロ思えたり出来て、そこは、マルっ。

 

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4月の映画よもやま

  この1週間ほどで、ここ岡山もジワジワとウイルス感染が拡がって、ヨロシクない。

 すでにワクチン接種予約票も頂戴しているけれど、さてさて、ワクチンの入手とて「希望的観測」に過ぎない状況。いずれ確実に……、ではあろうけど、現状じゃ印刷物に書かれた日程通りにゃ、いかないだろう。

 結局いまは、閉じこもってるのがイチバンかしら? ぅぅ、閉じこもりたくないんだけど……、オリンピック関係者への優先接種とかいったニュースが耳に入るたび、

「何のための五輪?」

 不快もつのる。

 強盗に刃物突きつけられてるのに運動会で希望の光を見よう!ってヘンテコりん。

 

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 今月は何だか気ぜわしく、ゆったり2時間ほど、映画眺めてウッシッシ~という次第にならなかった。

 時間が取れなかったというワケでなく、映画と対面しデートするユトリに欠けた。スクリーンをおろし、部屋の灯りをおとしてプロジェクターでもって眺めるという風には気が進まなかった。

 なのでほぼすべて、iMacPrime Videoをば。

 


『レディ・プレイヤー1』 Ready Player One 2018  Prime Video

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『シャイニング』やら『バック・トゥ・ザ・フューチャー』やら『ガンダム』やらやら……、あれこれのキャラクターやかつての映画の美味しいトコロが幾重と登場し、そのCG技巧でもってキャメロンの来たる新作『アバター』の続編をば凌駕する勢いだったんだろうけど、話の基本が古くさい。かつて80年代の『トロン』の二番煎じというか、その延長程度。

 CGの卓越は呆気にとられるけど、これ、ただの借り物競走。スピルバーグが老いた感じ濃厚で、ガッカリだった。『アバター』もずいぶんに古臭いハナシで、先住のインディアンと開拓者の西洋人を描いた西部劇に過ぎなかったことを思うと、内容の薄さはどっこいどっこい。

 

ランペイジ巨獣大乱闘』 2018  Prime Video

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 巻頭から猿が出る。むろんにCGであるからしばしは我慢するも、そのリアルな動きにだんだんウジウジさせられ、その白い猿(ゴリラか)がほぼメイン・キャラクターになるのだなと判ったトタンに幻滅。

 観るのをやめる。

 猿は……、苦手だ。子供の頃、名古屋のでっかい動物園の、猿の檻の前で、猿の振る舞いを見て嘔吐して以来、ダメなのだ。

 1960年代末の『猿の惑星』は人が演じた猿と判ったから楽しめたけど、いかんなぁ、昨今のCG技術は猿でさえリアルに描け、しかもそれに感情移入できるレベルなのだから、困る。

 
『フッド ビギニング Robin Hood 2018  Prime Video

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 レオナルド・ディカプリオが製作の映画。主役のタロン・エガートン2012年にデビューし、2015年の『キングスマン』でブレークして2017年の続編『キングスマン:ゴールデン・サークル』で演技が向上、やや注目に値いし、いずれ10年も経てば、この人は007ジェームズ・ボンドを演じられのではないかな……、ともマジに思ってるけど、この映画はさほど面白くなかったぜ。

 弓矢の高速度をうまく表現したりで面白いトコロもあるけど、ヒロイン役の女優が今ひとつパッとしない。ロビン・フッドの魅力に見合うだけの技量が乏しく、精彩に欠けてたのが、いけない。U2のボノの娘さんらしいが、正直なところ凡庸、平凡、パンチに欠けた。

 
真珠の耳飾りの少女 

Girl with a Pearl Earring  2004  イギリスとルクセンブルグ合作   Prime Video

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 フェルメールという希有な画家とそのモデルの話。

 どのシーンも絵画みたい。

 フェルメール役のコリン・ファースは真摯な演技ながら、どこか茫漠として決定打に欠け、一方で、モデル役のスカーレット・ヨハンソンは圧倒的な存在感。

 なるほど、この映画が公開されて以後、『青いターバンの少女』と呼ばれていた彼の絵が『真珠の耳飾りの少女』と一変してしまったのも頷ける。

 まったくの想像話ながら、説得力ある展開の妙味には感服。創作の醍醐味をおぼえるコトしばし。

 ただしかし、エッセンスを抽出し煮詰めたのは良しだけど、画家とモデルの間のモヤ~っとした空気感は最後までクリアにされずで、そこに不満をおぼえないワケでもない。フェルメールを描こうとして、結果、そのモデルとしてのスカーレット・ヨハンソンが場をさらった感が濃厚で、主旋律が曖昧。

 

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 けど一方で映画製作者はそのモヤ~っとしたところを、あえて観客には曖昧を呑み込んでもらおうと企んだような感じもあって、さぁ~、この映画をアタマの中のどこに置こう。

 印象に残るという点はなかなか良さげだけど、結局、フェルメールには近寄れず、かの絵も、結局モデルが良かったから……、みたいなアンバイになりかねない。

 

『ワイルド・スピード-スカイミッション』 

 Fast & Furious 7  2015    Prime Video

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 重量級の大軽量。な~んも考えずともイイ。

 だから逆に、これはデートで観るような映画じゃない。

「おもろかったね~」

「うん」

 これで映画後の会話が終わってしまうんで、1人で観るべきなアンリアル・リアリティー。ま〜、そこが醍醐味。

 
『ワイルド・スピード-スーパーコンボ 

Fast & Furious Presents: Hobbs & Shaw 2019   Prime Video

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 娯楽、この一語に尽きる。

 な~んも考えずともイイのが、とにかく良い。

 ジェイソン・ステイサム演じるデッカードの車コレクションの中に、ミニがあるのも良かったわ。

 ま~、ステイサムはかつて『ミニミニ大作戦』のリメーク版でミニに乗っかり大活躍だったから、それへのオマージュなんだろうけど、チョイっと顔がほころんだ。

 いうまでもなく、デート向きでない。

 米国では来たる8月にこのシリーズの新作が公開予定で、今日(米国時間ね)から6月末まで毎週金曜に今までのシリーズ8作を順次、劇場で無料公開とのこと。

 コロナ禍で映画館は青息吐息だったゆえ、こういうプロモーション企画はウェルカムだろう。ポップコーンとコーラが売れるはずだから……。なので、このさいデートも好い好い。劇場のポップコーン買って売り上げ貢献だねっ。

 

ガガーリン 世界を変えた108分』 

Aгарин. Первый в космосе  2014   Prime Video

 

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 今月でガガーリンの宇宙初飛行から60年。(1961年4月12日に人類史はじめて宇宙に出た)

 という次第ゆえ、観る。

 飛行時間108分の合間、回想としての彼の履歴が描かれる。

 なかなか魅力的なガガーリン役の役者さん。

 ボストークという小型宇宙船のカタチもよく伝わる。複数のアンテナがスス〜っと伸びるところとか。あるいは、ソビエトの宇宙計画で指揮をとってたコロリョフが良い人っぽく描写されてるところとか、米国映画にはない味を味わえる。

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 実に残念なことに、放尿エピソードが描かれない。

 ガガーリンは発射場へ向かう専用バスに乗車時、途中で止めてもらい、バスのタイヤに放尿した。

 どういう次第か、以後のボストーク打ち上げ時、ソ連の宇宙飛行士たちはこぞってこれを真似、儀式化した。女性飛行士は小瓶にオシッコを入れておき、それをひっかけた。

 米国も似たようなもんだ。同国初の宇宙フライトを成功させたアラン・シェパードは打ち上げ日の朝、ステーキを喰ったが……、これが成功の秘訣とでもいうか、慣習化し、マーキュリー計画ジェミニ計画アポロ計画と、飛行士たちがモーニングにステーキを食べるのが儀式化した。

 ま~、そういうジンクスの大元となるシーンなのだから、この映画でも描かれているだろうと思って眺めてたのだけど、ざ~んねん。出てこなかった。

 宇宙飛行士と縁起担ぎ。その辺りの心理が面白いと思うのだけどねぇ、あえて外したのかなっ。

 
『風雲児信長』  

  1940年作の『織田信長』を改訂し、戦後の1954年に再公開した作品  Prime Video

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 いささか判りにくい。セリフがすべて古い日本語だから余計にそうなんだけど、その古い日本語ゆえ、判りにくい。けども、古い日本語の言い回しを愉しめるという点は、とてもグッド。

 行列のシーンやら葬儀のシーンでは、けっこうな数量のエキストラ。そこも愉しめる。

 史実として高名な、斎藤道三との初会合シーンも、愉しめた。

 が、愉しめる反面、退屈な感も常にあって、大昔の映画という点を考慮しても……、再見に価いするかといえば、ヤヤ難しい。いっそ、戦前の1940年当時の編集がどんなものだったか、そっちに興味がわいた。

 

『アニアーラ』  ANIARA  2019     Prime Video

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 今月に観た映画としてはダントツ1番にあげていい、スウェーデンの映画。

 ノーベル文学賞受賞作家ハリー・マーティンソン(19041978)の原作『アニアーラ』をアカデミー賞受賞製作陣で映像化。放射能汚染された地球から火星へ移住するため、8000人の乗客を乗せ旅立った巨大宇宙船アニアーラ号。だが不慮の事故により燃料を失い、軌道を外れ、こと座の方面に向けて彷徨うことに。

 と、そういう流れの中、最終シーンでは500万年を越えた時間が提示される。

 女性の視点で描かれている。

 破滅に至るゆるやかな時間。厭世的な死生観。テクノロジー。正常と狂気。暴力。カルト。同性愛。歓喜と寒気。楽観者と達観者と悲観者、従順と強情。喜劇と悲劇。未知なモノとの遭遇。

 ありとあらゆる要素が超巨大な宇宙船の中に閉じ込められ、いわば宇宙船自体が人類が頂点にいる地球という次第。

 劇中、登場人物の1人(やはり女性)が、

「人類はしょせんグラスの中の泡」

 と諦観気味に云う。ま~、おそらくはこのセリフが物語の核なのではあろう。『2001年宇宙の旅』を、観るのでなく体感する映画として位置づけるなら、この『アニアーラ』もまた同じ。違うアプローチでもって傑出しているオデッセイ叙事詩-長い冒険旅行)……、思う。

 ただ断固違うのは、『2001年宇宙の旅』が結末を視聴者自身が考えなきゃいけない仕掛けになってるけど、こちらは明瞭に結末を見せていること。ペシミズム気分で終わらせず、諦観と達観をからめた仏教的な感触に近い未来を開示している。

 どこかで味わったような感触だなぁと思ったけど、諸星大二郎がかつて『暗黒神話』の最終コマで描いてたなぁ、誰ぁ~れもいない地球。たかだか100年弱しか生きられない人間と、何100万年という時間の流れにある星々との差異。それを1コマで描写した諸星の跳躍が、この映画にもあるような。


『オデッセイ』 THE MARTIAN  2015    Blu-ray 

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 NASAが火星で小型ヘリコプターの飛行に成功、というニュースがこの前にあったけど、それでちょっと火星に出向きたくなって本作再見。

 月末になってやっと、プロジェクターで観た1本。

 数年前、封切りの初日だかにイオンシネマで観たさいは、中国が友好的に描かれ過ぎて鼻白んだけど……、その後にDVD、さらにBlu-rayと買い換えて何度か観て、そこのシーンは

「まっ、いいや」

 おおらかに見過ごしている。欠点を意識的に除外して眺めている。

 火星でただ1人の孤独の中のユーモア。地球上での見解相違や保身やらのニンゲンっぽい闘争。その対比もおもしろい。

 面白さの多くは、この映画の速度からきている。余計な部分がなく(中国とのくだりは除く)、そのアップテンポの中、アバの歌もボウイの歌もタイミングが素晴らしい。

 何度観てもあきないのは、その速度に負けない個性発揮の、マット・デイモンを筆頭に登場のキャラクター全てが良いからだろう。どの人物にも真摯と滑稽があり、誰に焦点を合わせても存分にたのしめる。

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 Blu-rayでは、この火星での物語の数年後の後日談というか、ドキュメンタリー番組が収録されたという設定でリドリー・スコット自らが監督した小品などが収録されていて、これは美味しいデザート。映画本編の旨味を増量させる役を担い、な~かなかヨロシイ。いわゆるメーキングにはやや食滞してるんで、こういう、映画延長上での小品は実に気がきいていて好かアンバイ。

 コロナ禍、映画視聴がDVDなんぞに頼らざるを得ない時、ハンバーガーに添えられたポテトチップスみたいに、今後、補完コンテンツが、増えてくんじゃないかしら?

 それにしても、邦題の無残。原題『THE MARTIAN(火星人)』を換骨奪胎し、“オデッセイ”とした浅はかな愚鈍は犯罪的。

 

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 昨日、マイケル・コリンズさんが亡くなったようだ……。

 我がヒーローの1人。合唱。

 下は2019年7月に書いた記事。

tvc-15.hatenablog.com

 

 

電線絵画

 

 ちょいっと前、レンブランドが今をいきてたら電線のある風景を描いたかも……、というようなコトを書いたけど、な~んと、この前、練馬区立美術館にて、

電線絵画 小林清親から山口晃まで』

 という展覧会があったようなのだ。(2021年2月28日~4月18日)

 

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 それで、

「へ~っ」

 と感心し、さっそく図録を取り寄せたのだった。

 

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 実に意外や、この国には電線を主題として描いた絵画がかなりあるのだった。

 驚くべきなことに、かの岸田劉生も複数の電線絵画を描いてる。

 劉生といえば“麗子”の絵がアット~的に有名だけど、大正12年(1922)関東大震災までは、かなりの数量、電柱のある光景を描いてた。

 

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           岸田劉生 代々木附近 1915 豊田市美術館

 

 画家は、電線にナニを見いだしたのか? ナニを感じたのか?

 明治・大正頃の画家たちは、時代変化を見いだしたのだろうし、モダンを見いだしたのかもしれないし、昭和になってからのある画家はノスタルジーであったりもしたろうが、描くに価いすると見ていたコトは確かだろう。

 岸田劉生もその中の1人として、電柱電線に何事かを見いだしていたのだろう。関東大震災で岸田宅は全壊し、以後、彼は電柱のある風景を描かなくなったようだけど、電柱や電線に「美」を見たか、あるいは逆に「醜」を見たか、あるいは「明るい未来」を見たか、絵にする必然あっての“存在”だったのは間違いない。だから大震災の災禍にあった岸田が電柱には幻滅し、2度と描かなくなったたというような解釈とてありえる。

 

 図録のページをめくりつつ、やはり、レンブランドが今をいきてたら、電線なり電柱を描いたであろうと確信した。

 たまさか、我が宅の眼の前には、実にまったく無粋な電信柱があり、この柱にアレやコレの架線がまとわりついて、端的にいえば暴力的だ。“的”ではなくバィオレンスそのものと大げさに云ってもいい。

 毎日外に出るたび否応もなくそれが眼に入るんで、

「やだよ、まったく」

 苦悶している次第なんだけど、その苦悶は、“絵に描く価値あり”でもあるわけだ。光景の中の異物、批判としての絵として……。

 

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                 自宅前の電柱と電線たち

 

 図録に文章を寄せている1969年生まれの画家・山口晃は、

「日本近代はその始めから電信柱と共にあるので、電柱を除くとしたらその他の要素全ての再検討が必要であり」

 と云い、

「電線電柱の悪印象は圧縮写真などで記号的に印象付けられたプロパガンダであり、実風景を虚心に捉えている人は少数です」

 とも云うが、ま~、それも1つの大きな見識だけど、ボクはそうは思わない。山口の文章からは現状を肯定するだけの足踏みしか感じられず、見解としてつまらない。くわえて、彼の云う圧縮写真なる意味がわからない。その部分のみを切り取ったという事なんだろうけど、そうであるならヤッカミに過ぎない。

 我がことで云えば、認容に遠いカタチの電柱と線が庭の向こうにあるのは、愉快でない。虚心うんたらではなく、不快なんだから仕方ない。

 むろん、だからこそ、その不快を絵にする価値もまた有りとも思ってる次第だけど、ま~、要は、電線と電柱は気になる“存在”という次第が濃厚なんだな。庭先に出るたび、

「なかったら、どんなに素敵かしら」

 いつもアタマの中で電線とその柱を『消去』しているんで。

 

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           大谷写真館より転載 (津山線・宇甘川鉄橋)

 

 一方で、たとえば津山線というような単線鉄路の車両に乗れば、車窓からは常に電線が平行して延び、それが窓の中で、上へいったり下におりたり、という飽きないビジュアルが続くのを好いたりも、する。

 車両そのものはディーゼルながら、鉄路に沿ってモロモロな用途に使う電線が張られているわけで、これが車窓のアクセントになっている。

 そういう光景に親しみを持っているということもまた事実なんだ、な。

 

 ま~、いずれにせよ、この先、年数がかかるだろうけど、地表の電線と柱たちは、昨今の街中同様に田舎でも遠い将来には概ねでなくなるだろう。ホンダは2040年までにガソリン車から撤退して全て電気自動車にすると宣言したけど、そういうのも後押しになって電柱も埋設のそれに変化を促されるだろうと思う。わたし達の青や赤の静脈や動脈が皮膚で隠されるように。

 

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             牛島憲之 積わら 1961 府中市美術館蔵

 

 となれば、電線絵画というものは、22世紀頃には消滅してしまう一時代のみの限定絵画というコトにはなるだろう。

 なが~~いなが~い眼で見りゃ、電線もまた、はかない存在だぁ~ね。

 その「期間限定」を絵に残すというのは良くも悪くもない自然なフルマイだろうし、明治期の街路灯や路面電車をモチーフにした版画が今やアートとして眼に映えているのも、当然だ。「美」は瞬間で沸くこともあるけど一方で、ジンワリ沁み沁みと湧いてくるというのも、また必然だな。

 

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          笠井鳳斎本郷三丁目同四丁目の図  1907(明治40)

 

 

 

雨上がりの倉敷でカツ食べる

 

 先日、土曜の朝9時。

 Kosakaちゃんが、“どうしても食べたいモード” になったらしくで、

「倉敷の梅の木に行かない?」

 と電話してくる。

 ま~っ、男子すべからず、とある1品が念頭に浮いて離れなくなると、ムショ~かつガムシャラになっちまうコトはよ~くあること。

 こちらに異論なし。

 こちらは便乗だけど、おいしいお誘いに食欲急上昇。食べたいモードに突入だ。

 

 正午は用事があったので3時過ぎに倉敷へGO。

 夜半から降り続いた雨もやんでいる。

 岡山県内のコロナ感染が90日ぶりだかで50人を越えたとかで、倉敷市内も人は多くなく、梅の木すぐそばの駐車場もガラ空き。

 楽勝で座席につき、Kosakaちゃんは定番のみそかつ、当方はロースかつの定食。

 

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 ま~、当然にうまいですわいねっ。

 柔らかなれど歯ごたえ充分な肉厚。風味良し味良し。キャベツの盛り好し。

 しっかり堪能し、満足し、すぐまた車に乗っかり、即、帰路へ。

 大の男2名の行動としては、まこと……、健やか。爽やかにして迅速。笛吹きゃ太鼓がラッタッタ〜、てな感じ。

 車内から倉敷国際ホテル横手の藤棚をば、チラリと眺める。見学者なし。

 

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 帰ると、クロネコ便が届いてる。

 バスルームのタイル交換を終え、ここ数日はキッチンの模様替えだァ。

 その材料が届いたという次第。

 さっそく作業。翌日曜も作業。

 

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              窓の桟をペイントし壁紙も貼り替え

 

 リノベーションは、おもしろい。

 近頃は壁紙1つを例にとっても、笑っちゃうほど多種多様。DIYに適した製品に満ちている。

 けど一方で、壁のON/OFFスイッチは、これはパナソニックがほぼ独占みたいで、選択の余地が少ない。

 どこのビルも、どこの家も、どの駅も、ほぼ9割くらい……、スイッチはパナソニック製というコトのようで……、これはかなり、つまらない。

 むろん、そのスイッチとて時代が変わる内にカタチも変化しているのだし、パナソニックとて努力はされているんだろうけど……、ほぼ1社のモノしか流通していないというのは、おもしろくないな。

 

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 最新のは押す部分がやたらデッカくて、一見は良さげに見えるけど、ソ~っと押してもカチッという音が必ずし、静音じゃ~ないのもイケ好かない。昔のスイッチ(それもパナソニックだけど)はソ~っと押せば無音でON/OFF出来たから、これは後退というか退行だな。1社ほぼ独占の弊害かもだ。もちろん、同社としてはあえて音がするように造っているのかも知れないが……。

 

 月曜の午後。

 近くのスーパーに一蘭のインスタントラーメンが入ってた。

 1袋で400円か……。

 試しに買い、試しに食べる。

 フム、なるほど。

 選択肢が1つ増えたな。高いけど。

 

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       どんぶりは100円shopで200円で売ってたネコ模様。近頃はこれを愛用
            ネコまんま、とはいうまい

 

    ●○-●○-●○-●○-●○-●○-●○-●○-●○-●○-●○-●○-●○-●○

 

  久松文雄氏が亡くなったそうだ。

 小学生の頃は彼の『スーパージェッター』のTVアニメーションを毎週楽しんでた。

 だいぶんと後年になってエポックさんとの仕事がらみで、コールドキャスト製のジェッターのフィギュアを販売するということで原型師を紹介したと記憶する。

 原型の出来具合は好かったけど、中国製造での塗装が今ひとつで……、あんまり話題にならなったな、確か。

 

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 いまさら『スーパージェッター』を読み返す気力はないけど、ともあれ、かつて子供の頃のボクには割と大きな存在だった。クニョっとボディーが曲がる流星号には魅了されたもんだ。

 謹んで哀悼の意を。

 

 

出版のご案内

 

 本が出ました。

 もよりの書店で見かけたら、

「ぁ~、これだなぁ」

 チラリと眺めてみてください。

 

『近代岡山 殖産に挑んだ人々』

 発行 公益財団法人山陽放送学術文化財

    A5版 298ページ

    1500+

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 昨年夏の山陽放送新社屋・能楽堂ホールtenjin9での初イベント『シンポジウム 近代岡山の偉人伝 殖産に挑んだ人々・明治の才覚たち』の講演録です。

 講演時のトークにさらに加筆し、明治の亜公園についてを概ねで掌握出来るように文章化しています。

 本書には同シンポジウムの3回目までが収録され、明治期に活躍した5人の人物にスポットをあてています。図版も豊富。

 

亜公園と片山儀太郎           山本よしふみ

日本の黎明期における国産自動車     鈴木一義 国立科学博物館産業技術史情報センター長 

海と山を変えた男・藤田傳三朗      藤田 清 藤田美術館館長

      々              樋口尚樹 松蔭神社宝物館至誠館館長 

精巧精緻の花筵「錦莞莚」の誕生     吉原 睦 岡山商科大学非常勤講師 

川村貞次郎と川村造船所・三井造船の誕生 大島久幸 高千穂大学教授     

 

 以上6者による明治時代の岡山の傑出人物の話が6つ、掲載されている次第。

 

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 奇妙なことにグッドニュースとバットニュースが時に同時に、やって来もします。

 講演および出版を後押しくださったRSK山陽放送の社長、桑田茂氏が9日、出版の直前、亡くなってしまいました。

 まったく予想外の出来事。

 たしかボクより1つか2つ年長、さ~これから新社屋での活躍を……、という時の突然の訃報。

 我が講演時には最初に登壇し、あれこれと紹介もくださったのだけど、最後にお会いしたのは、それから2カ月後、やはり新社屋で、それもトイレでばったりでした……

「あらまっ」

「や~や~っ」

 場所柄ながながに話すわけも行かず、双方お手々洗いつつ、

「明治の頃のこの場所のこと、今度またゆっくり聴かせて」

 というような言葉を頂戴したのが最後……、まったく、残念なことになりました。

 謹んでご冥福をお祈り申しあげます。

 

 ともあれ本は出版されました。

 共著というカタチゆえページ数に制約があり、こたびの本は、亜公園についてを知る入門篇とボクは位置づけておりますが、興味をもたれた皆さんの、一助となれば幸いに思います。

 

● 本書20ページの図9と次ページ図11は、写真が入れ替わってます。うむむ……。

 

 

近所の水路

 

 今日はライブハウス・モグラに出かける気でいたけど、諸般の都合ありで身動きつかず。

 残念なり。

 けどもネット配信される予定だそうだから、「投げ銭」可能なり。

 クレジットカードで手続きしておいたんで、時間が来れば、自室でライブを見聞しよう……。

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 9日の夜。前日入りで来岡のミュージシャンと某BARで合流。

 

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 10日のライブ成功を祈念しつつ、共々、でっかいソラマメをば食べる。

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      ●○-●○-●○-●○-●○-●○-●○-●○-●○-●○

 

 さてと。

 我が宅からおよそ500メートルはなれた我が友Sunaちゃんの瀟洒なお宅までの間に、細い水路があってコンクリートで護岸されている。その脇をススイと自転車で通れば、彼んちにアッという間についてしまうのだったが、さて……、50年ほど前はこの水路周辺は田んぼしかなく、水路とて両脇に雑草が茂って魚がピチピチ跳ねる、実に良かアンバイでのどかな水のラインなのだった。

 

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すっかり宅地化されて昔と大違い。かつては田園の合間を縫う水路なり。幅も1/3くらいに縮小されている

 

 で、この細い、むろんに当時は舗装もされてない農業用水としての水路沿い(あぜ道)を高校通学で日々利用していたわけだ。

 時に歩いて出向き、時に自転車でいく。

 通ってる高校がすぐそばなもんだから、楽勝だ。

 

 2年生の冬だったか、自転車でここを駆け、よそ見したはずみ、水路に自転車ごと落ちたことがある。

 一瞬なにが起きたか判らなかったが、ともあれ水中だ

 全身ズブ濡れだ。

 ケガはしない。だってコンクリートの硬い護岸じゃなく、柔らかな雑草が生えた(冬だから枯れてるけど)盛り土だし、水路の底も泥でしかないから、擦ったり切ったり撃ったりがない。

 不思議と水は冷たくなかった。

 いや、ホントは冷たかったのかもしれないけど、咄嗟の水没で冷たさをおぼえるより、ビックリ衝動が大きかったのかもしれない。

 でも水底の泥は温かかったよう、思う。

 自転車をひきあげつつ笑いがこみ上げ、そのままグッショ濡れで学校へ行き、クラスメートどもに、濡れたザマをとくと見せて大いに笑いをとったあと、

「ほんじゃ、今日は帰るわっ」

 キンコンカンと一次元めの授業チャイムが鳴る直前に帰宅と決めこみ、悠々と退散。一日、学校をサボるのだった。

 

 その頃は障害物となる建物もなく田んぼが拡がっているだけだから、我が部屋から学校の様子がうかがえる。

 校内放送もすべてクッキリ聞こえ、あんまりサボッてる感じがしない。

 けども同級生どもは、授業でジッと椅子に座って聞きたくもないセンセの話を我慢していると思えば、気分スカッとさわやか。

 両親不在の台所でイトメンのチャンポン麵を鍋で煮て、

「ケケケっ」

 ほくそ笑みながらツルツルすすりあげるのだった。

 

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  いまだ我が定番。ワサビをお汁と鉢の境界に塗りつけ、麵にちょっとからめるのが我が食べ方

 

 そんなことがあった水路が、もはや魚は生息しにくい(それでも大きな鯉やフナの群泳が田植えの頃には見られる)ながらも、今も、形をかえてはいるがチャンと有るというのは感慨深い。

 

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 で、ふっと思うが……、より大昔はどうだったんだろ? 疑問がわく。

 肥沃な平野ゆえ、大昔から田んぼが一面連なり、そのための水路もあったはず……。少なくとも江戸時代頃の様相は想像しやすい。

 では、もっともっと古い時代はどうだ?

 たまさか近隣、賞田廃寺跡というのがあって、今は大きな公園として整備されつつある。

 古代の吉備国のなごり、いわゆる奈良時代、7世紀の頃には大規模な寺と備前国府が置かれていたらしい。哀しいかな文献としての資料が残ってないんで、詳細を詰めることが出来ないけども、そこに建っていたであろう家屋の礎を見るかぎり、規模がでかいし極めて精妙な施設であったとは想像できる。

 

 国府というのは県庁のようなものだから、だからその当時の岡山の中心であったことはマチガイない。

 13世紀の鎌倉時代頃までは存続していたようである。

 とにかくこの地域の中心であって、となれば、そのための道路もあったはず……。

 調べてみるに、どうやら道路ではなく、大きな水路があったようなのだ。

 旭川とも結ばれてはいるが、基本となるのは西大寺方面の海につながる幅広い水路だ。

 備前国府へ向かうにはその西大寺方面からの水路が、第1級の“国道”であったようである。

 

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 この当時、今の岡山市中心部界隈は川だか海だか見分けのつかない有様で、大雨のたびに広範囲が泥と水に覆われる程度な場所だった。

 岡山地域を記した最古の地誌『和気絹』(江戸時代に書かれた)でも、その昔は天神山と現在の石山公園付近と岡山城のあたりの、その3カ所のみが山のように隆起しているだけだったと書いているし、事実、源平合戦のさいには義経の部隊が石山に海を監視するための陣を設けていたというから、その当時であってさえ、地形は今とはひどく違う。海がすぐそばまで隣接し、さらに雨期ともなれば、どこが海やら川やら判らないようなアンバイだったのだろう。

 ま~、それゆえ、明治の時代、亜公園がテーマとした菅原道真ゆかりの場所(太宰府に流される途中の休憩地としての天神山)だったというポエジ~な伝承もまんざら絵空事でない真実みが濃密に塗布されているワケなのだが……。

 

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 ともあれ、大昔の岡山の地形は今とは大違い、であったことは間違いない。 

 岡山文庫にそのへんの事情を研究した本があって、掲載された水路図をみるに、様相が今とはあまりに違う。

 もはや地域名も変わって往事を偲ぶ手がかりとてないけど、大昔の文献なんぞでは、水路があった事を示唆する「大船」とか「舟着」といった地名だか場所があって、

「へ~っ」

 と、驚く。

 

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 大昔の絵図。上側の黒い部分が龍ノ口山で左側の黒が突き出たあたりが国府だった場所付近

 

 龍ノ口山から見下ろすと、その山裾に沿って東西に延びた水路があり、2〜3艘の舟がすれ違って通行できるような、かなり幅広いのがあったと知れる。

 江戸時代に造られた百間川は、そのかつての水路の、当時とて名残りでしかなかったであろう地形の一部を流用して構築したようでもある(中区米田の辺りの90度迂回する場所あたり)

 

 ならば我が輩がボッチャ~ンと落っこちた細い農業用水路は、はるか古代のでっかい水路の支流みたいなものだったかもしれない。遠縁か子孫なのかもしれない……。

 そう思うと何やら不思議な気分もおぼえる。

 落っこちてなかったら、こんな風に思いおこして書き記すこともなかったろうから。

 なので、「落ちて良かったぁ」とは思わないけど、落ちちゃったことが50年も経って、こうしてちょっくら一文を書くネタになってくれたのはマチガイない。

 どこでなにが繋がるか、わっからないもんだ。