ハッピ〜サンデ〜

 

 3月後半にトタン屋根のペイントをやって以来、DIYでの家屋リフォームがとまらない。

 コロナ騒動がもたらした副産物と云えなくもないけど、バスルーム、脱衣所、トイレ、階段、と続いて今はマイ・マザーの部屋だった場所を改造中。

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同室に鎮座した古い桐のタンスは過日にワックスがけし、成功したとは云いがたいけど、ともあれ完了。 

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 ワックス塗布でよりアンチックに…… と云いたいところだけど、艶やかになったのは良いけど、サンドペーパーで磨ききれていないのが、かえって露骨に判ってしまい、残念マイナス54点。

 

 で、今は同室の天井の加工を画策中。

 家の中でイチバンに傷んだ天井で、過去に何度か、台風に伴う大雨の吹き込み(北方向からの暴雨)で雨漏りし、それが経年して天板に沁みを作ってる。

 天井板を張り直すには技術を要するんで素人にゃ、無理。

 よって現状のままに、それを覆うべく石膏ボードを取りつけるか、あるいはベニヤで処理するか、思案する。

 いずれにせよ天井クロスを貼る気でいる。和室から洋室風に転換しちゃうワケで、その下地となる素材のチョイスに悩む次第。

 ま~、悩むといってもたいしたコトはない。

 石膏ボードは重いから作業がシンドくなると判ってるし、雨被害にあった天井ゆえ、あんまり重みをかけるのもヨロシクない。

 ベニヤ合板は最近は真っ白ツルリンに表面処理されたのがあって軽量だけど、その薄さがヤヤ気になる。

 

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 で、いつもの柔道家にでっかい車で来てもらい、ホームセンターで……、ベニヤを買い込む。

 真っ白ツルリンなタイプは壁紙(クロス)が貼れないと知り、断念。適度な厚みの合板をば求める。

 石膏ボードと同寸910×1820とデカイながら軽さは1/10程度。ただ思ってたよりネダンが高いのが残念。

(コロナ禍、世界的に巣ごもり需要が発生で、カナダも米国もインドネシアでも、従来は輸出していた木材までが国内消費され、流通が変。この状況を木材業界では“ウッドショック”と呼んでるらしい。そんな次第で輸入に頼ってる日本には大きな打撃。影響が価格に反映されている)

 2.5cm角182㎝の木材も買い込んで、これは桟の補強材。これもおそらく割高になってるんだろう。ユトリを持って10本ほどゲットするつもりだったけど、価格にビビって数本減らして購入。

 

 さぁ、ともあれ、揃えた。

 作業をば、愉しまなければ……。

 

 柔道家労をねぎらうべく、どこぞで食事しよう。こたびは、魚でいこう。

 という次第で「魚しん」に向かう。

 郊外ながら、やや漁港に近く、鮮度とボリュームが評判の店。

 ところがガッチョ〜ン。

 午前11時半ちょっと過ぎ。開店直後の時間というのに、駐車場満車、店の外まで人が並んでる。

 ここ数日の岡山市はコロナ感染がゼロなもんだから、皆さん、ゾロゾロ出歩きか?

 

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 しゃ〜ない……。並んでまでして食事したくない。

 そのままグチャグチャしゃべりあいつつドライブ、西大寺の観音院に駐車。

 裸祭の当日でないから、境内ガラ〜ン。参拝の人もゼロ。

 

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 前夜の雨から一転で日差しが強いが凶猛な湿気。

 たちまちに汗ばみ、ヨロシクない。

 適当に店に入り、適当に肉をオーダー。(この店もなぜかほぼ満席だった)

 

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 労をねぎらうと云いつつ、彼に運転させ、こちらビールも喉をお通しで、いやぁ、爽快ソ〜カイ。

「すいませ〜ん。ビール、おかわりぃ」

 

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 帰宅し、荷を下ろすと、どういう次第か、柔道家からプラモデルを贈られ、嬉しさ二乗。

 輸入品のディスカバリー号とその他1点。

 合算で1万4〜5千円のはず。

 労をねぎらうどころか、こっちがホクホク。

 海鮮は味わえなかったけど、代わりに肉で、オマケにプラモデル。

 いや~、いい1日。

 

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6月の映画よもやま

 

 おととい、定例化している諸先生方とのzoom呑み会にて、Eっちゃんが贈ってくれたRSK山陽放送の例の放送部分録画およそ10分を“上映”。

 モニター画面の中、諸氏の反応を直に見るのは、面白かった。

 zoomを使っての「疑似呑み会」に当初は違和もあったけれど、毎月やってると馴染んできて、これはこれで有効なり。sunaちゃんのPCR検査の顛末には大笑いさせられた。

 

 一方で、この危ういコロナ禍、世論調査によれば、チョイっと前まで無観客を要望していた声が一気に半減し、容認に転じているようで、ヒトの気分の変わり身の早さに唖然ともさせられ、

「いいのかよ~、お~い」

 流れのままに流されるコトの是非を思う。

 

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 さてと今月に観た映画たち。

 

 

キラー エリート』  Killer Elite 2011 amazon prime

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 ジェイソン・ステイサムロバート・デ・ニーロ、クライブ・オーウェンの3人の大物役者登場でそれぞれの見せ場を維持したままどういう結末になるかしら?

 と思ってたら、あんのじょう、3人ともども、それなりにカッコ良く終わる。

 ま~、それだけの映画ながら、アラブ系中東の政治的情勢やらアラブ系家族主義やらの欧米化されない文化事情の根深さみたいなものに欧米のこの映画もまた、苛立ちを含んだ不可解でござ~いを溶出させていて、そこが面白くはあった。

 

MALAVITA』 マラヴィータ 2013  amazon prime

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 マーティン・スコセッシが製作にからみ、ロバート・デ・ニーロミシェル・ファイファートミー・リー・ジョーンズ……FBIの保護の元に秘密裏に生活する元大物マフィアの家族の話。真顔のコメディ。

 FBIの眼を盗んでは相手ボコボコのデ・ニーロを筆頭、ファイファー演じる女房も高校生のその娘と息子もハチャな暴力家族。笑わずにはいられないが、軽量なコメディ。

 潜伏の引っ越し先の隣人に作家だと偽ったがゆえ、次第に真摯な自伝を書きはじめるあたりが、マル。軽っぽい映画ながら、さすがデ・ニーロの重量級な存在感。それをば堪能。

 

ダーク・シャドウ』 Dark Shadows  2012

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 封切り時に観ることかなわず、そのまま忘れてたけど、amazon primeにタイトルがあったんで、観る。

 エスカレートし続ける展開にはさほど醍醐味をおぼえなかったけど、脇役のミシェル・ファイファーに、2006年の『007 カジノ・ロワイヤル』で濃い印象を残したエヴァ・グリーン、さらに、子役で出てるクロエ・グレース・モレッツの3女優に着目しっぱなしだった。

 モレッツは今は2425くらいだろうが、本作の1年前、『ヒューゴの不思議な発明』で妙に芸達者な少女だな~と思って印象に残り、2014年のデンゼル・ワシントンの『イコライザー』ではロシア人の幼い娼婦を演じてもいて、かつてのジョディ・フォスターを彷彿するようなトコロがあって、印象深い。

 ヘレナ・ボナム=カーターを含め、なんだか女優たちの映画に見えもして、主役のジョニー・デップより彼女たちに眼がむいた。

 ヴァンパイア化したデップと、悪魔化しているグリーンとの、部屋1つを破壊する激しいセックス・シーンには苦笑したけど、そのあたりの過激過剰が監督ティム・バートンの本領かいな。

 

舟を編む2012  amazon prime

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 なにか、どこか、すべてが、ぎこちなかった。

 10数年の歳月を経て1冊の国語辞典が出来上がる過程そのものはマルながら、予定調和な展開がつまらない。

 宮崎あおい演じるヒロイン名がカグヤだからといって、彼女の背景に超でっかい満月を置くセンスのなさ。

 編集者の1人・伊佐山ひろ子が良い。松重豊の『孤独のグルメ』の第何話だかで、松重演じるゴローちゃんのプランを上から目線でケチョンケチョンに扱う建築事務所のアルバイトでしかない女性を演じて、伊佐山はすごい存在感を見せたけど、この映画でもそう。監督の力量よりも伊佐山の存在が優り、その分、監督は得をした感あり。

 映画の終わり近く、松田龍平宮崎あおいの自宅でソバを食べるシーンがあるけど、宮崎は女性板前で店をもつ身。なのに箸の置き方がぞんざい。箸置きさえない。30歳の若い監督の眼の届きがいたらない。この程度が同年の日本アカデミー賞なんだから、どうかしてる。

 

天地明察2012 amazon prime

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 算学と天文。暦の大事さ……岡田准一宮崎あおい恋愛模様……。そのあたりが我が関心の中心。

 市川猿之助笹野高史岸部一徳の演技がいい。一方で保科正之に扮した松本幸四郎は大御所でございな雰囲気がダメ。

 映画としてはヤヤつまらない。改暦反対派の武装集団が天文所を襲い、岡田の恩師が岡田をかばって射殺されるシーンなど、史実にも原作にもない余計な映画的スペクタルを混ぜちゃったあたりで、この映画、ペケ。

 映画は映画、原作はあくまで原作なのだから2者がベツモノであって一向に構わないけど、この映画はそこの「踏まえ」が伸びた輪ゴムみたいにユルイ。なにより岡田准一の魅力をこの映画では活かせてなく、それが最大のペケ。

 

グリーンブック』 Green Book 2018  amazon prime

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 60年代、黒人の高名なミュージシャンとその専属ドライバーになった白人の実話。色々と賞をとって評価も高いが、アカデミー賞の作品賞をとったさい、スパイク・リーは大いにブ~イングし吠え猛った。

 こたび初めて観て、スパイクの見解に納得。

 とどのつまり結末部で躓いてた。

 絶妙で無自覚な視点の差が白人優位をいみじくも示唆し、その最終シーンでもって映画そのものが台無しになってた……。残念というしかないけど、スパイクの抗議を機に米国アカデミーの姿勢制御がはじまったのは、ま~、マルだねっ。差別問題を主題とする映像の作り手は、この先いっそうに自身の作品を精査しなきゃいけない。

 その一点では、スパイク・リーも同じ土俵。白人を嘲笑ぎみに描く手法もまた今後、逆説的に、「どうなの? それ」と問われる時代が来るような気がしないでもない。

 

DANTE’S PEAK』ダンデス・ピーク 1997  amazon prime

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 VHS時代に2~3度観ている。リンダ・ハミルトンの演技がよろしい。小さなスナックバーの経営者で小さな町の市長(郡長が正しいか)でありながら亭主に逃げられていて、それで町にやってきたビアーズ・ブロスナン扮する火山学者と懇意になって、さ~さ~、ひょっとしてセックスするかもとの心の動きがコミカルに演じられ、いい感じ。その2人の子役もいい。

 町1つを灰まみれにしてケッコ~お金がかかった映画。雲仙普賢岳の破滅的噴火から30年ということもあって視聴したのだけど、俊足で駆け下りる火砕流も描かれている。ま~、その状況でブロスナン達が生還するのは、雲仙の現実をみるまでもなく、娯楽映画ゆえの……

 1980年のワシントン州のセント・ヘレンズ山の大噴火をモチーフにしているらしいが、実際のその噴火の写真など見るに、かなり強烈。

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嵐電2019  amazon prime

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 前々回だかでも触れたけど映画というカタチの奇妙な魅力が伝わってくる。ストーリーを追うだけの映画じゃない。むしろ、ストーリーを解体させるべく作ったフシあり。ただま~、音楽にあがた森魚を起用したのは、正解のようで正解でなかったようなカンもあり。

 いうまでもなく、こんなカタチの映画ばっかりじゃ~、それはそれでちょっとシンドイ。

 モチーフとなった京福電気鉄道嵐山本線嵐電は路線距離が7.2Kmのみだけど、明治43年に営業開始だから、歴史が古い岡山電気軌道は明治45年)太秦を含むその沿線は、だからこの路面電車が光景の一部として生活に溶け込んでいるわけだ。

 路面電車といえば、大滝詠一松本隆細野晴臣鈴木茂のはっぴえんどのアルバム『風街ろまん』が直ぐに想起される。LPの中ジャケットには大きく路面電車の絵があり、松本の歌詞にもそれが反映している。とりわけA面3曲めの「風を集めて」は、今現在の日本とズバリ重なる。

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 松本は幼き頃、64年オリンピック開催がために生家が立ち退きを強要され、当時遊んでいた子供たちとも別れ別れになってしまったことを哀しむ。近場を駆けていた路面電車の路線も移動だか撤去され、光景も人の交流も一変したのを嘆く……。そのことをアルバムのコンセプトにし、産まれ育った東京への憂いを歌詞とした。だからこそこのアルバムは反抗気分としてのロックそのもの、なのだった。

 そういう点において、この『嵐電』もまた、失われていく光景とそこに住まった人々の”記憶の固執”といったようなニュアンスでの憂愁含みの「気分」を映像化……、といえなくもない。

 静かな映画だけど意外や、ロックした映画なのだった。

 

カツベン』 2019 amazon prime

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 周防正行監督の最新作。

 かつての周防映画で花形脇役だった面々がさらに奥の脇役にと後退して、世代的交代を監督は意識的に実施したようにも見受けられ、寂しさもチラリ。

 けど一方でそれが、およそ100年前の無声映画時代の去りゆく映画弁士の存在と重なり合うような意識された起用とも取れる。

 あえてわざわざ劇中の無声映画を白黒で創ったあたりも監督のワザあり。まさか草刈民代が外人女優に扮してたとは、最後まで気づかなかったぜ。

 後半部の追いつ追われつの展開は……、ヤヤだるかった。いや、かなりだるかった。

 2019年度の日本映画アカデミー賞で監督賞含めてアレコレな賞を受けてるのだけど、『Shall we ダンス?』の頃ほどの濃いインパクトがなかった。

 タンスの引き出しによる滑稽なケンカ・シーンには、「しゃれうぃ~タンス」みたいと笑ったけど、かつて無声映画時代にタンスはギャグの道具として使われていたらしいから周防監督のオリジナルじゃないけど、ともあれ笑えた。

 主役の成田凌はいいね。ヒロインのクモが苦手の黒島結花もよく、2時間と10分ほど退屈しなかったし、映画館のある町の一角が、彩色された大正時代頃の絵はがきを見るようで、そのあたりの美術もなかなか良かった。

 かつてのキレとコクが薄まっているよう思えたけど、これまた……、映画館で観ていない自分をちょっと恥じた。映画評価のバロメーターでイチバンに大事なのは、映画館でそれを観たかどうかだ……、とも思ってるから。

 でもまた一方で、amazon primeでこうやって自室でラクラクに観られる現状をも肯定してるワケで、ともあれ、ウダウダ云わずとも、1本の映画2時間ほどと過ごしてる自分というのが、お・も・し・く、もあり。

 先に書いた追っかけシーンの導入部で、「スマホ落としたよ」と聞こえるシーンあり。成田凌が賞を受賞のヒット作『スマホを落としただけなのに』へのラブコール? まさかね、周防監督がそんなコトやるワケない。

 

舞子はレディ』 2014 Blu-ray

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 今月観た唯一のBlu-ray。この周防作品のことは封切り時まったく知らず、あとで知って、「ありゃ~」と残念がったけど、1年ほど前にレンタル落ちのBlu-rayを廉価で買い、それをこたび再視聴。 

 実はまだ最後まで観きっていない……。

 理想化された京都に鼻白むようなところがあり、舞妓研究の若手大学教授にも好感しない。良いところも多々あるけど、どこか、なにか、薄い皮膜みたいな違和感が終始して、それで観るのを途中で止めるというのを繰り返している。

 ミュージカル仕立てが悪いのではなく、「なんか、この京都は違う」みたいな違和感。『カツベン』を観て、再トライしたわけだけど、あきまへん。強調される京都弁の中の冷ややかさみたいなものに、はじかれる。

 

Field of Dreams フィールド・オブ・ドリーム 1989 amazon prime

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 かつて封切り時、映画館で見たさいの醍醐味を再び味わえるかしら? そう思いつつ眺める。ケビン・コスナー以上に奥さん役のエイミー・マディガンがよく、さらにいいのがジェームズ・R・ジョーンズとシューレス・ジョー・ジャクソンを演じたレイ・リオッタ

 野球選手たちのゴーストが続々に登場するも、そこを説明なんぞはしない映画的マジックが要め。『嵐電』もまたこの感覚に近いが、『嵐電』の方がより積極的に映画って何ぞやを問うている。この映画はもっぱら、良き60年代への郷愁がメインの隠しテーマというか隠し味。

 ちなみにエイミー・マディガンはこの当時も今もエド・ハリスの奥さん。離婚しない米国人俳優カップルは珍しいから、妙なところでこの女優さんに興味あり。なぜか70年代頃の大滝詠一のサイダーのCMソングを想い出す。

 

三島由紀夫 VS 東大全共闘 50年目の真実』 

 2020 amazon prime

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 今月観た映像中、イチバンにショッキング、かつ、示唆に富んで、含有物の量がマックスだった。

 当初は観るのを躊躇した。いまさら三島でもあるまい……、と思いもした。

 右翼の三島、左翼の学生たち。激烈な対立以外のナニモノでもなく、対峙した喧噪以外に得るものはないだろうと思ってた。

 けれど蛮勇ふるって観るに、そうでなかった……。

 フタを開けるや、信じがたいホドの言葉の応酬。今となってはまさに「豊穣の海」としか云えない、言論闊達な応酬なのだった。

 

 希代の天才作家・三島由紀夫と、血気盛んな東大全共闘の討論会の全貌。時は1969年5月13日。東大駒場キャンパス900番教室に、1000人を越える学生たちが集まり、今か今かと待ち受けていた。旧体制変革のためには暴力も辞さない東大全共闘のメンバーがこの討論会の首謀者。~~~~~ 「三島を論破して立ち往生させ、舞台の上で切腹させる」と盛り上がり、異様なテンションが充満している敵地に、三島は警察が申し出た警護も断り、その身1つで乗り込んでいった。

 

 この危険な討論会の場を当時TBSが取材、録画していた。その映像記録がこの作品。

 ファナティックな展開となろうコトは誰もが予想し覚悟したはずだ、当時。だから後に三島と共にこの世を去った森田必勝ほか数名の楯の会メンバーが密かに1000人の学生の中に紛れ込み、三島が襲撃されたさいの楯となるべく潜んでいた。

 ところが、そうはならなかった。

 言葉の応酬に徹した。

 驚くべきに、互いに聞く耳をもち、誹謗も中傷もない。先方が言い終えるや即座に返答があり、その返答にさらにと言葉が続く。

 互いに媚びず、また互いに、言葉に流されない。

 その応酬に場内は時に大爆笑、時に敵たる側への拍手まで、おきる。

 三島はひっきりなしにショート・ピースを吸い、学生たちもまたシガレットにお茶をすする。対話は時に抽象的になり、時に具象的なものとなる。

 当時の全共闘で最大の論客といわれた芥正彦が学生結婚して生まれた女児を抱えつつ、認識と行動の二元対立についてを語り、右と左、体制と民衆の相違を云い、右翼陣営を「日本がなければ存在しない」と揶揄するや、三島はすかさず、

「そりゃ、僕だ」

 返答し、場内はドッと湧いて爆笑となる。そして三島はすかさず持論を展開する。

 野次も飛ぶ。

 その野次った学生が壇上にあがり、三島に言葉をぶつける。

 三島はショート・ピースを手にしつつ、それに答え、さらに話を展開させていく……。

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 つい数週前に国会で党首討論会があったけど、この映像を見るまでもなく、痴戯で幼稚、あまりのレベルの低さに唖然とするほどに、50年前のこの討論会の両者は「言葉を持って」いた。

 で、2時間に渡る討論のさなかに、次第に炙り出てくるモノの気配がある。

 そのことを、今もお元気でらっしゃる芥正彦がインタビューに応え、

右翼でも左翼でなく、あやふやで猥褻な日本国……」

 真摯に、50年前の討論会で炙りでた日本というカタチのイビツを回想する。

 

 三島の決起と自殺は、この討論の1年半後のことだけど、三島は既に、その来たる日のことを覚悟していたと思われる言葉を発してもいる。

 が、それよりも何よりも、50年前、暴力ではなく、言葉が炯々とし、大いに活用されていた事実を知らされて、そこに衝撃させられた次第。

 右の三島も左の全共闘もある種の暴力を肯定する。はっきり公言する。が、それでいて、討論の場においては徹底して言葉を駆使し、言葉による言葉でのコトダマを響かせようと努める。

 そこが何より鮮烈でショッキングだったわけだ。この50年で言葉は退化してしまったか、と痛感させられ、その復旧と復興を切に思った映画じゃあった。

 芥は回顧して云う。

「言葉の最後の時代だったかも……」

 後年に彼は寺山修司たちとも親交するが、思えばその寺山は『詞のボクシング』というカタチを考案していたね。

 コ・ト・バ、で闘える時代でない、言葉が矢面に出てこない、今の僕らの退化っぷりが口惜しい。

 

 

古い桐のタンス

 拝察の一語があったとはいえ、

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  天皇の「気持ち」もまともに取らず、封殺する現政権って……、おそろしや。

 

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 マイ・マザーが介護を必要となって既に久しい。この数ヶ月でボケ具合も進行し、歩行困難ゆえ徘徊の心配はないけども、昼夜の区別がつかず、夜中もヤヤ眼が離せないというテイタラク

 大ボケ小ボケで日が暮れて やまのお寺の鐘がなる……

 ベッドには柵を造ってあるけど、腰で身体を動かして、それをミゴトにすり抜け、落ちたりもする。

 そのマザーが元気な頃に使ってた部屋は、そんな次第もあって勝手に物置として使ってた。(マザーは日当たり良好の別室に移動してる)

 近来は展示用の大型模型製作が多く、木箱やら段ボールに入ったそれらを無雑作に積み上げる……、というのを繰り返しているうち、気づくと、一歩誤ればゴミ屋敷の一室というアンバイになりかねない堆積物の山と化している。

 

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 なのでアレコレとリフォーム作業をやってる延長として、この旧マザー部屋にも改造の触手を伸ばしたのだった。

 

 でっかい和ダンスが2棹ある。

 両方、こちらが物心がついた頃よりあったものだから、我が宅の中ではイチバンに古い。

 おそらくはマザーの結婚時に用立てられた花嫁道具であったろう。

 

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 どちらにも着物の類いがどっちゃり、入ってる。引違戸(ひきちがいど)の中には、10枚ほどの1964年の東京五輪記念硬貨やら昭和天皇の在位61年記念硬化なんぞも、入ってた。

 思案のあげく、1つのタンスを廃棄し、もう1つは残すことにした。

 桐のタンスで、3分割できるが、でかいので重い。

 我が宅の最古参。およそ70年前、あるいはもっと古いかもしれないモノゆえ、捨てるにはしのびない。

 廃棄する方は、残すタンスとほぼ同寸でカタチも近似で、一見はマホガニーっぽいが、部分に合板が使われている。古いけれど再生させるホドでもなかろうと決め、中身はとりあえず、押し入れに退避させることに。

 

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 が、今度は、押し入れの中のモノが邪魔になる。使わない寝具の類いが一山……。しかもメチャに重い綿ぎっしりの昔の布団~ズ。

 結局、ところてん式に……、そのフト~ンズをば廃棄するコトに。かといってゴミ捨て場に出せないわけで、これもタンスと共に近いうちに回収業者さんにお願いというカタチになるだろう。

 

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 で、残すタンスだ。

 いまどきのタンスは表層にラッカー系の塗料が塗布されたりだけど、昔の桐ダンスは、「砥の粉仕上げ」とか「時代仕上げ」とかいうフィニッシュ作業でもって完成させていたらしい。

 (ラッカーとかウレタン塗料は桐自体の呼吸を止めてしまい。桐の特性を奪う)

 我が宅にあるのはおそらく「時代仕上げ」されたものであろう。製作過程で桐の表面を炎であぶって黒ずませ、それで木目を際立たせた後に砥の粉(とのこ)を塗り、蝋をひく。

 相当に面倒な過程を経て桐ダンスは出来あがっている。

 桐という木材は湿気にとても強いから、なので着物の安置所として最適であったらしいし、今もそういうことで流通している。

(時代仕上げという名称は昭和になってから作られた単語であろう)

 

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 古い桐のタンスが白っぽく見えるのは、木目に浸透した砥の粉が劣化し、ただ表面にくっついているだけの状態なわけだ。

 それをサンドペーパーで削いでみると、そこそこ、オリジナルの木肌が顕わになる。

   上写真で違いが判るデショ。

 電動のサンダーがあればイイのだろうけど、あいにく持ってないんで、サンドパーパーのみで、シャコシャコシャコ……、表面を磨いた。

 

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               下台から抽斗3つをハズしたところ

 

 砥の粉とか蝋引きとかは当然に出来そうにないから、ペーパーで磨き直すに留めるけど(蜜蝋が主成分のワックスをかける気はあるけど今はその段階でなし)、サビて劣化しきった引手(ひきて)は取り外し、あえて真鍮のを買ってきて、つけ替えてみたりもした。

 

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 ちなみにオリジナルの引手は「蕨手(わらびて)」という名だ。

 廃棄を決めたもう1つのタンスから、使えそうな引手部分を移植させもした。

 

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                      蕨手

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     下のブラックが廃棄予定のタンスから移植したもの。これも蕨手

 

 和箪笥専門の業者さんにお願いすれば、水洗いして砥の粉や蝋を除去して全体を削り直すという処置が施され、「あっ」と驚くほどに見事に再生されるらしいけど、いかんせん……、それには相応のお金がかかる。人の背丈ほどある桐ダンス修復なら、概ねで10数万円が相場らしい。

 なワケで、シコシコシコと自らの手を動かしたのだった。

 桐の微粉末が大量に飛散し、掃除も手間だけど、ま~それでも、古びたのがチビリと再生し、マザーに向け、

「Shall we タ・ン・ス?」

 意味不明な語呂合わせを口にすることが、できた。

 いかんせん、哀しいかな、マザーは興味を示さない。願わくばマザーこそが元気を再生して欲しいところだけど、ね。

 これだけは、どうしようもない。タンスの劣化より人の劣化が甚だしい……。

 

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        飾り房はかなり傷んでるけど、あえて、このままに。

 およそ70年、あるいはもっと……、こうしてぶら下がってるワケでおろそかに出来ないワイ。

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 一応、7割がた、削り終える。天然素材の良性のワックスを入手したら、塗布し、研磨してみよう。 おっと、今、気がついた。最上段の引違戸、中央2枚は手前にあるものだった。これ、逆ね。

ひさびさ士郎正宗

 

 この国の諸々アレコレの進み方をニュースで聞くたび、希望より失望が膨らむ。

 青息吐息な呼吸不全な状況を糊塗しまくっての、まやかしの連打。

 ウンザリ。

 

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 ここ数夜、眠る前は、士郎正宗の漫画をば。

 彼が漫画を描かなくなって既に久しいけど、べつだん、かまわない。

 こうして手元に複数冊あるのが至福。

 

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アップルシード』1巻・2巻、『攻殻機動隊2』が何故か見当たらない……。誰ぞに貸し出したままかいなぁ。

 

 遠い昔、彼が大阪の青心社を基点に本を出してた頃、登場のメカや人物を幾つか模型化したことがあって、青心社の当時の担当者にはずいぶんお世話になった。ただの著作権窓口の営業者でなく、士郎作品に惚れ込んでいるマニアの1人という感じで、小気味よかった。ゼニカネでなく、士郎作品をもっと知って欲しい、読んで欲しいという真摯さが前面にあって、ずいぶん心地良かった。

 士郎正宗が大きなブームの火点となる以前の話、だ。(むろんコアなフアンは既に多数いらっしゃったね)

 そういう先見も、もう「懐かしい過去」のことになってしまったけど、べつだん、かまわない。

 この記事のために、それら模型のパッケージを引っ張りだそうかとも思ったけど、倉庫のどこぞの段ボール箱に入れてるのだか判らないんで、やめた。『攻殻機動隊』のフチコマなんぞもあるはずだけど、懐かしみを反芻するだけなので、やめた。

 でもま〜。手元にある写真を何枚か……。

 

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 画集『Intron depot』からレリーフ化したもの。

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 部分のアップ。

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 同じ作品ながらブロンズ風味に仕上げたもの。

 

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レリーフ別作品。青銅風に仕上げたものだけど、中国で複製品が出回ってガックリやら怒った記憶あり……。

 

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ドミニオンC1』に登場のミニ・パトをキット化したもの。パッケージは士郎作品で多々登場する手書き注釈を模し、あえて活字使用せず。

 あんがい売れなかったのは、当時まだ士郎正宗ブームじゃなくってぇ……。士郎作品を好む人がそのまま模型を作る人ではないワケで。

 

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 同じく『ドミニオンC1』より、ボナパルド戦車。あちゃこちゃ可動する。これも当時、中国でパーツを省略したコピー製品が出てしまい……。ブ〜ブ〜。

 

 士郎正宗作品でダントツに好みは、『仙術超攻殻ORIONだな。

 こたび超久々に読んで、その感をより厚くした。『攻殻機動隊』よりも物語世界の像型が堅牢で、彼の独自独善の私感と史観がはち切れんばかりに溢れ、密度が濃ゆい。厚切りしたバターのみを口に頬張ったような、だから美味としてでなく、激烈な濃厚さに舌が喜悦に麻痺するに似た……

 各々のキャラクターの立ちようもいいし、魅力が各々でかい。

 そも、この漫画が万人向けでないトコロが、いい。士郎テーストの感覚をそちらの感覚で読んでくれたらそれでイイというスタンスに好感。

 

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 以前に何度となく読んだ頃は、宿参ノ王スサノオがダントツにキャラクターとして面白かったけど、こたびの再読では、櫛薙刀(クシナタ)をガードしている2人の女性キャラクター(神さんの一種だね)、桜花と梅花に惚れた

 出番はさほど多くはないけど、キリリとして爽やかで、その上、清廉。2分身化した宿参ノ王にちょっと翻弄されるあたりの描写が、漫画作品としての極上の醍醐味を味じわわさせてくれた。

 

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 仏像風に工作した1/6スケールの櫛薙刀姫フィギュア。当時うちに出入りしていたK君の作品。

 

 例によって例のごとしで、数ページをめくってる内に眠ってしまうけど、数夜それを繰り返してると、おかげで、突拍子もないSF的な夢を見たりもして、士郎正宗効果かしらん、悪くないねっ。

 

 士郎正宗氏は父親の介護でナンギされている(既に過去形か?)と聞く……。それが漫画を描けなくなっているダイレクトな原因とは思わないけど、自宅介護は日を増すごとにナンギもつのる。当方も今、そのさいちゅう。

 それをストレスとしないよう心がけ、なワケでチョイっと士郎正宗を読んで日頃を束の間忘れるんだけど、当の士郎正宗……、介護疲れを自身の作品見て癒やすワケにもいかなかったろう。これ、気の毒。

2回目ワクチン

 

 数日前、2回目のワクチン接種。

 注射後数時間経って1回目とは少し違う痛みが発生。

 前回は机の角にぶつけたような感じだったけど、こたびは常に疼くようなピリピリ感ありな痛み。

 20時間後くらいにはコーヒーカップを持つのもナンギ。

 

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 接種の翌日。

 表町の某カメラ店のオーナーの元へMと訪ね、亜公園がらみの取材。

 左手気遣いつつゆえヤヤ不自由。

 Mに介護というか補助されつつ、とある写真についてを根掘り葉掘り。

 でもって、あらたな資料の提供を受ける。

 明治時代の色紙……。亜公園内に店を出していたとある人物の都々逸(どどいつ)作品。

 基本、駄洒落か、駄洒落にみせかけた風刺が都々逸なのじゃあろうけど、これが読めない限り、原稿の一部が書けない。

 だれか読んでくれ~と切なる叫び。

 

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 明治中期頃までは、こんなニョロニョロした文字はちゃんと読めたらしきだけど、以後、日本語はこういうミミズ文字ワールドから離れ、いまや解読に難渋してるというのが実状。

 ということは明治中期に文字としての日本語はリセットされ、システムも更新されてしまって古いのが駆逐されちまったといって……、ヨイのかも。

 事実、古文専攻のA先生とB先生が同じニョロリを読んでも、意味が違う“訳”になったりして、大変。

 

 取材後、山陽放送新社屋の一角に出来たカフェ、QINCO RSKでお茶。

 厨房には知友のワイフがいるハズなのだけど、姿見えず。

「ワクチン接種の翌日は仕事休んだ方がラクだぞ~ん」

若い女性の方が副作用大きいらしぃぞ~ん」

「我が知人の女史は接種した晩にゃ服が脱げず、ご亭主にブラ外してもらったってさ」

 まだ未接種の30代の若いMを脅し、嗜虐の味わい……、ではなく、先行接種した年上からの衷心。

 と、それにしてもでっかいボリューム、シーザーサラダサンド。

 水菜にタマネギ、レタスにベーコン、お腹ふくるるるる~をカップすりきれいっぱいのカプチーノで流し込み、山羊のように一声。

「ぅんめ~~~」

 

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 時すでに夕刻。お腹ごなしの散歩。岡山神社に詣でてみると、狛犬もマスク姿。

 

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 ガランとした駐車場にネコ一匹。不動の姿勢。

 近寄るのも気の毒ゆえ、離れた場所からパチリ。

 

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 このネコの写真を見つつ、おととい香港警察から釈放された周庭さんをふと思う。インスタグラムに投稿の真っ黒画面に、身動きを抑制された彼女の立場が透けて見える。苦渋の黒。多くを語ってる。前途多難。 

 

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 腕の痛みは前回より回復が遅く、3日経ってもまだ痛みが消えきらない。

 とはいえ退いているのはマチガイない。

 この日はリフォーム作業をせず、あえて安静。本を手にちょいっと午睡したら、あらあら、小1時間のつもりが3時間ほどグ~ス~ピ~。

 怠惰の2文字が点燈したけど、いやいやきっと、身体が休息を求めてるんだろう。

 

TV & MOVIE 嵐電

 

 3日前のテレビ……。岡山・香川エリアで見て下さった複数の方々より電話やらメールを頂戴し、なんともくすぐったいような感じ。

バック・トゥ・ザ・フューチャーのドク博士風で良かったよ」

 と感想したヒトもいたりで、いつもの我が友sunaちゃんを含め、画面を写した写真が何枚も届いた。

 私がTVを持ってないのを皆さん知ってるんで。(見る時はマザ〜の部屋で)

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 収録に半日ばかり費やされたものの、10分ほどのシーンに要約されての放送。刈り込まれたような感触と、ま~、こんなもんでっしゃろという感じとの2極が交錯しつつも、見た方々にとっては、別の感慨があるというようなコトをも含めて、いささか愉しくもあったし、10分ほどに良くまとめてくれたな~、と感慨も深かった。

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岡山神社禰宜の久山氏も登場。

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 テレビでは初公開となる、亜公園内天満宮の模型にCG処理を加えた我が作品。

 拝殿の横に硯岩が立っている。

 

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岡山神社内の天満宮紹介から甚九郎稲荷にある亜公園遺物の紹介と、シーンは高速で進む。

 

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 足下は金網……。下、丸見え。f:id:yoshibey0219:20210609155835j:plain

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 腰が引けてる電波塔屋上シーンには苦笑したけど、かつての亜公園・集成閣と現在のRSK山陽放送新社屋の電波塔をオーバーラップさせて映し出してくれたのは、す・ご・く、嬉しかった。

 明治と現在をリンクさせたいと願って当方は講演なんぞをやってきたワケだけど、シーンとしてそれが具現され、

「ぁぁ~、テレビって、そういう風に出来るんだもんなぁ」

 ちょっと羨ましくもあった。もちろん講演でiPadを使って似通う演出は容易なんだけど、聴衆100人前後と数万の視聴者という違いが……、でっか過ぎなんで。

 

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 RSK山陽放送の天神町の新社屋は、建造に2年弱、放送設備の完備におよそ1年と、3年くらいの日数を要したようだけど、130年ほど昔の同じ場所にあった亜公園の建造はというと……、わずか半年だ。

 そのことは、亜公園が発行した本『亜公園漫録』にも記されているのだけど、あまりに期間が短くね~かぁ、と訝しんだもんだ。

 それで、岡山県を代表する建築史探求者でらっしゃるN女子大のU教授の元を訪ねて、お聞きしたところ、

「半年で出来たでしょうね」

 多数の家屋の集合体である亜公園とはいえど、意外や、それっくらいの日数で完了するという次第を教わって、

「へ~~っ」

 感嘆したもんだ。

 当然そこには木造家屋建造のエキスパートがいるのが前提ながら、ある種のフォーマットもあり、ノウハウもあり、設計から施工までの合間に思い悩むことがなく、淡々と作業すれば半年で無理がないとのハナシなのだった。

 まして建造者の片山儀太郎は木材商なんだから、資材とても潤沢だったわけで。

 むろん、木造7階建ての集成閣には、設計段階で苦労があったろうし、大工や左官や瓦職人たちも初のチャレンジゆえに重圧はあったろうけど、逆に、初となるでっかい塔の建造に“萌えた”り”燃えた”であろうことも、これは想像できるのだった。

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 ま~、以上のことは、この前のテレビで語ったわけでもないけど、放送のための放送局の工事というのがとんでもなく面倒で大変なコトという次第は、ちょいっと理解もした。

 出来上がった社屋の床下やら天井に膨大な数のケーブルを這わせ、その動作テストを行いつつの工事は、明治の大規模工事とはニュアンスが違うわけでもあって……、その新社屋が全面起動した日の放送の一部に登場できたことは、幸いとしか云いようがないのだった。

 

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 以上の放送があった夜、amazon Primeで『嵐電』という映画を観た。

 京都太秦撮影所の仕出し弁当屋だかカフェに勤める若い女性と新人俳優、妻を失っているのか離れて暮らしているだけなのかよく判らないルポライターが話の主軸で、ライターは井浦新が演じてた。

 それにくわえて、8ミリカメラで路面電車の姿を追う高校生と、その高校生に恋慕する青森からの修学旅行の女子高校生がからむ。

 全編同時録音なのか、音声は聞きづらい。青森から京都に修学旅行で来ている高校生の話も混ざるので方言の判りにくさと相まみえる。

 3つの恋愛模様がゆるやかに描かれているが、描写は淡々でなかなかドラマが動かない。

 観光としての京都はいっさい出ず、どってこともない生活の場としての京都とそこを駆ける嵐山電鉄の路面電車が出てくるきり。

 そのスローモーな電車の動きと恋愛模様の描写が似た速度で進む。

 そのユッタリリズムはテレビ向けでない。仮りにテレビ放映されたとしても、おそらく、チャンネルを変えられてしまう。

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 たまたま当方はこれを部屋を暗くして大きなスクリーンで観たのだけど、意外なほどに“映画”が意識されるのが妙だった。

 で、映画半ばでやっとドラマが動き出す。というか、怪異がおきる。

 車掌姿のタヌキとキツネの変化妖怪みたいなのが唐突に出てきて、細い川の流れの中に小さな波紋が浮くような転回が生じてくる。

 けれど、妖怪も大きな役割があるようでもない。

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 唐突に映画内の時間が飛ぶが、それを説明する場面もなくいっさい解説がない。

 観つつ、

「ぁ~、これはテレビドラマじゃないなぁ」

 ことさらに、映画とテレヴィジョンの違いをば意識させられるんだった。

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 流れている時間感覚がまるで違い、「これは映画だ~!」の空気が濃い。

 そこを文章で顕すのが難しい。

 けど、その事もまた、この映画の“映画性”を示唆している。

 要は、映画でしか出来ない表現……、というやつだ。文章化できない性質が濃く、ことさら、その点が目映くって、だからこそ観つつ、

「ぁ~、これはテレビじゃないなぁ」

 奇妙な味わいをおぼえるんだった。

 傑作とは云いがたい。けども、何やら良性なモヤ~ッとした感覚が観ているさなかにも見終えたあとにも、残る。いわゆるテレビと違い、何かを感じようとしてコチラの気持ちが動くんだ。

 たまたま自分が束の間テレビに出たりもしたんで、映画とテレビ、似ているけどまったく違う「見る」と「観る」なのだというコトを、あらためて身に沁ませてくれたのが映画『嵐電』。らんでん、と読むんだよ。

 8ミリカメラという2昔ほど古いメディア機器を登場させ、過去の姿カタチを残す……、というあたりも、この映画はちょっと面白いアプローチをやっていて、好感だった。

 岡山では去年にシネマクレールで1週間ほど上映されたようだが、しまったな、劇場で味わうべきだったわ。

 

 

 

 

 

この前の新聞・この次のテレビ

 

 先日火曜の山陽新聞に亜公園の記事が載って、ホッとした。

 取材はもう数ヶ月前に終わってた。

 でもコロナ禍で、市民生活に影響ありのアレやコレがあって、掲載が確定しつつも土壇場で延期というのが、2回続いていたのだった。

(明治時代の、こういう昔話的な文化情報は至急性が薄いので、どうしても後回しになりがちね)

 2回めドタキャンは先週土曜で、印刷される数時間前に紙面変更だったらしい。前日に非常事態宣言の延期が決まって、その関連記事が急遽に優先され、土曜発のこちらの記事はまたまた見合わせとなったわけなんだから、コロナめ~~。

 

 ま~、これ以上は延ばせないと判断してくれたのかしら、6月1日火曜に載ったという次第。

 やれやれ……。

 安堵しつつ、紙上のボクは冬服だぁ。

 

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     毎度ながら、写真データをSunaちゃんが送ってきてくれた。助かる〜

 

 取材から掲載までの、アッという間に過ぎた時間を思わないでもない。

 常に、何が起きるか判らないのがこの世の中……。

 亜公園のことを顧みると、その辺りの消息が知れる。

 開園して3カ月めの巨大台風(明治25年)。

 翌年、それを上廻る台風の再来。死者も多数(明治26年)。

 亜公園そのものは、旭川のすぐそばという立地ながらも高台(天神山というくらいだもんね)ゆえ難を逃れたけど、岡山平野はほぼ水没。市内はテンヤワンヤなのだったから亜公園とてノンキに営業出来たわけもない。

 

 さてと次の月曜、6月7日の午後4時50分から。

 RSK山陽放送の情報番組『チャンネルロック』に、出没予定。

 すでに録画収録済み。

 むろん、亜公園のハナシをば。

 かつて亜公園があった場所に、いま、山陽放送の新社屋。

 でもって、この6月7日から本格運用ということらしく、そのモニュメントというか、ヒストリーというか、130年ほど昔のこの場所を紹介という次第。

 記念すべきな新たな場所での放送開始日ゆえ、こちらヤヤ至急性ありという感じ、ね。

 

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 亜公園にあった7階建ての塔・集成閣の高さを味わうべく、新社屋の電波塔にも登った(収録の一環として)。

 およそ70メートル。明治時代の木造集成閣の倍の高さ。しかも天神山ゆえ周辺より小高い場所……。

 屋上のアンテナ部(金甲山に向いて電波を放射。いわゆる地上波。金甲山アンテナがこれを受信しあまねく放送をお届けという仕組み)までは急斜な金属階段があるきりで、下は丸見え。

 一般人はおろか同局の職員とて上がらないというか、上がれない電波塔。その屋上部は強風を考慮して床が金網のみの場所もあり……。

 

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 正直なハナシ、冷や汗怒濤。足竦みっぱなし。風に身体は揺れ、立ってらんないワケで~。上記写真、見上げて足が竦むわけはないけど、いざこの塔の最上部に登るとねぇ、足ガックガクに硬直。(屋上の白く抜けてる部分は金網のみ……。わたし、登ったもののアンテナ支柱(右側)にへばりついて動けず……)

 ま~、収録はたっぷり数時間が費やされたけど、番組では5分ほどかな? 

 RSK山陽放送を受信出来るエリアの方で、お時間がありますれば、ご笑覧あれ。月曜の夕刻です。