3月5日のスケッチ

 

 数百人の犠牲が数日で数千人と、犠牲者が増すウクライナ

 コロナの犠牲が増えるのと一緒にしちゃいけないけど、ハチャメチャ振りまくプーチン政権に、

 ハァ~

 と溜息落としたまま、思考停止っぽくなりそうな感触がメッチャ気分悪し……。

 

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 数日前、柔道家の車で、西大寺のマルシェinさいだいじにイチゴやらを買いに行き、ついでにブルーラインを駆けて、道の駅一本松の展望台から瀬戸内海の眺望を眺めて束の間の憂さ晴らし。

 で、その後に某所でランチという次第で、ビールを頼んだら、あんのじょう、

まだ、お酒はお出し出来ません

 ことわられた。

 ヤッカイなこのコロナの、岡山県での蔓延防止等重点処置がもうすぐ、終わる。

 白昼に大騒ぎするでもないのに、コーラはイイがビールはペケの区分けがさっぱり判らないまま、ともあれ、1つのヤッカイが終わる。

 ただ今回はピークアウトしたのかどうか曖昧だし、日本国内トータル、2月だけで4856人!  も亡くなってるんで、よろしくない傾向のまま、というコトではあるんだろう。事実、条例解除とならない県のほうが多いわけで。

 

 かねてより予約必需の吹田の某所に出向きたいと思ってるけど、いまだ行けてない。

 ま~、あせるコトもないんで、流れをみつつ、考えよっと。

 

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 一昨日、カレー食べつつ米国議会のニュースを見ると、米国じゃ、もうマスクなしでオッケ~というコトにしちゃったのね。

 バイデン大統領ほか議会の誰もが、ことごとくノー・マスク。

 思いっ切りがイイというか、キッパリ過ぎというか、マスク依存率の高い当方としては、これはこれで、

「?」

 なんだか、マスクに対してひ弱なイメージを持ってて、マスクなしの姿でもって自分が勇気あるヒトなんだぞ〜、と懸命にアピールしているようでもあって、滑稽っぽくもあり、これまた、やや思考停止気味な感触を頂戴するんだった。

 

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 ちなみに自宅でのお昼のカレー(レトルト)は、ゴハンよりもパンがいい。

 顧みると、最近はパンパンパン・パパンパ~ン♫

 

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     松屋のレトルトを入手したさいのみ、ゴハン……。らっきょうは玉野の山下食品

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 高級食パンはブーム的に拡散しているけど、いつまで続くのかな?

 なるほど一切れ二切れをナマで食べると、豪奢な鮮烈が含まれて美味しいけれど、日常の食としてこれを使えるかというと、大きく疑問。

 個々の店によって度合いはヤヤ違うけど、バターを塗っても甘さが先行し、くどくって、鼻白む。

 本来あってしかるべき小麦テーストが甘みに封殺され、パンと共に食べる諸々の味に影響する。

 それ、ダメでしょう。

 パンがパンを主張するのはイイけど、あまりに甘〜い声高(こわだか)で、他の味をだいなしにする存在では、こ・ま・る。

 

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 その点では、どこにでもあるヤマザキやパスコの方が俄然いい。

 近頃もっぱらレーズンパンを買うけど、これの甘みはあくまでレーズンによるもの。生地そのものを甘くしたもんじゃ~ないんで、甘味の方向が違う。

 なので、ビールとの相性もイイと僕か~ぁ思うんだけども、ま~、これは私的感覚と見解だね。

 私的見解というのは便利な言葉、ね。

 もっとも、それで他国に乱入、私的見解でしかない野望のままに行動し、国家の方向だと言いつのってゴリゴリ押しちゃう、すり替えたグッチャラケは、まったくダメ。

2月が終わり

 

 2月は短いや。

 損したような、はかない気分が残る。

 くわえて、今日3月1日からは「春」という感触が濃くって、あれだけ、寒み~サビ~凍えるよ~、ってなコトを云ってたのが、月が変わった途端に、

「ぁ、冬、も~おしまいかぁ」

 いささか屈折した愛惜をも感じて、妙なアンバイなのだった。

 実質さほど寒さは変わらないのだけど、暦でもって強制される “気分変更を命ず” の号令に、たぶんに身体も心もうまく馴染まないから、ま~、2月のジ・エンドを……、どこか惜しんでモロモロ、感慨しているんだろう。

 

 この2022年2月は、この先の教科書や歴史本に確実に記述されるであろう忌まわしい年月になっちまった。

 いわゆる歴史年表みたいなモノでは、

「ロシア、ウクライナに侵攻」

 そう記されることになるんだろう。

 一行で片付くコトでないのは明白だけど、年表というカタチでは、憤怒も悲惨も狂気も描かれない。

 その一行、あるいは一節の次に、

ウクライナ、ロシアに併合される」

 となるのか、

ウクライナ、危機を脱す」

 となるのかは、いま現在は判らない……。

 数年先には確実に見える光景が、今この瞬間には、ま~るで見えないというのが、「NOW」というもんなんだけど、この一点では、“今”という瞬間は、とてもむず痒い。

 

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 朝の4時ちょっと前に外に出て、星空を見上げると、屋根の真上に北斗七星がいる。(ちょうど真上ではなくって、やや北より。でも覆い被さるような感触)

 ヒシャクが下を向き、詩的に眺めれば、家に水をかけてあげましょう……、ととれないコトもない。

 

 時差で日本の方が7時間進んでいるから、こちらが朝4時ならばウクライナは昨日の21時。

 なので7時間後には、ウクライナでも、この星座は天空にのぼって、家屋のはるか上にいる。

 歴史年表に、地球の回転によるビジュアル的事実が記されないのは、ま~、当然ながら、

「この星座の足下で、いま、ウクライナでは……」

 という悲痛含みの怒りの感慨は忘れないでおこう。

 

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 1970年のEXPO70、いわゆる大阪万博を顧みると、ソ連館とアメリカ館の建物の相違に眼がむかう。

 地表にへばりついてフラットで横広がりなアメリカ館の佇まい。

 かたや、天にのぼろうとするソ連館のきつい鋭角の佇まい。

 この縦方向と横方向の違いが、あまりに象徴的……、と今は思える。

 ロシアというかプーチンという男が目論んでいるカタチが、高く屹立したその赤色のソ連館の、強固な意志めいた何かと合致しているよう、思える。

 70年代のその頃のソビエトは「ソビエト社会主義共和国連邦」が本名で、当然にウクライナもその中の一地域だったわけだけども、万博でのこのカタチは、偉容というより、「異様」という単語がイチバンにピッタリに、思えてしかたない。

 アメリカ館同様に宇宙開発に用いたソユーズを含めた諸々の道具を展示して人気の館だったけど、入館してイチバンに見せられるのはロシア初代の首相レーニンがいかに偉い人物だったかという顕彰的かつ個人崇拝的展示であって、まずそこを見なきゃ〜宇宙船なんぞの展示室には向かえないのだった。

 

 ちなみに、プーチンは性で、ウラジミールが名前。実はレーニンも名前はウラジミール。同名なのだ。

 

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 プーチンは現在69歳だから、大阪万博の頃、高校3年か大学1年生だったはず。

 たぶんきっと、レーニンが構築した「社会主義連邦」という幻想の元での教育にテッテ的に感化され染まってしまった生徒だったんだろう。

 その上に、彼独自な史観による帝政時代の栄光としての、大帝国としてのロシアという幻影がのっかる。

 それでたぶん、彼の思想としての背骨が歪んだんだろう……。未来志向じゃなく、ノスタル爺ィな過去指向、自ら成長をとめてしまったよう、見える。

 いや、たぶん彼は、成長の道は過去の栄冠にしかないと……、必死に自分の背中を追うコトに躍起になっているのだろう。ウラジミール・レーニンを越える存在としてのウラジミール・プーチンでありたいと願望したのか、ともあれ、こういう人物が官僚になり、やがて頭角してく……。

 さらにくわえてその体内には、いわゆる西側的自由主義への恐怖が渦巻いてもいるんだろう。

 我々が時に社会主義を名乗るアレコレに抱く不穏な感情と同じく、まったく逆の立場から、学生の頃から身に沁ませた自由主義への不安が彼の焦燥を駆り立てているようにも窺える。

 一途といえないこともないけど、多方向を眺めるメダマがない、その愚鈍な蒙昧をこたび全世界に露呈させた今、その一点のみでいえば、実にまったく気の毒な人物……、というコトにも、なるんだろう。

 

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 対して、贔屓めにあえて見るけど、攻め込まれた国のリーダー、ウクライナ大統領の孤軍奮闘っぷりは、痛々しいながら、しかし、頼もしくもある。

 TVドラマの大統領役で人気を得て、そのままホンマに大統領になったヒトだから、けっこう他国からはバカにされ、私もまた「タレント政治家」の序列に加えていた方だけど、逼迫した現状の中、懸命かつ真摯な彼のコトバは実直。意外やウクライナ国民はチャンとした人物を選んでいたんだと、今は思う。

 プーチンがこのゼレンスキー大統領をイチバンの標的にしているのはマチガイないだろうし、ゼレンスキーさんもまたそう意識しているはず。殺される可能性が高いのを承知している……。

 今日これを書いてる時点では、ほぼ無力な人達と都市を蹂躙したプーチンは、彼らを守ろうとするぜレンスキー政権を「交渉の席」につかせるコトに“成功”しているようだが、銃をぶっ放しての交渉って国家の振る舞いじゃ〜ないだろう。

 国の体をなさず、プーチン組という広域暴力団の破天荒以外のナニモンでもなく、アチャコチャの凶猛なマフィアでさえ、

「そこまでメチャするんか」

 びっくりものの、最低限の仁義すらないのね。

 

 ミャンマーでのメチャもそうだけど、なんて非道い世の中になっちまったもんだろう。

 つくづく、暗澹とさせられる。

 信じがたいコトに、3月になったトタン、実は、春が遠のいているんだった。

 けどまだ、微かな希望はあるね。

 池袋だかでロシア国籍の人達が悲憤にかられて声をあげているのをニュースで見、そこに光明があると思ってる。厳しい状況だろうけど、ロシア国内での、「侵略なんてもってのほか」といった声なき声、サウンド・オブ・サイレンスが次第に大きくなって、ウラジミール・プーチンの狂気を押し包んでいくことを切に望んでる。

 

 

レモン ~光琳の松~

 

 感染者数が減少ぎみながら、いぜんコロナ禍。

 若いヒトは軽症で済むようじゃあるけど、高齢者の重症化がアップップ~。

 シルバーシートご優待の檻に押し込められた当方としては、平気ヘ~キィというようなノ~テンキで日々をうっちゃえるかといえば、当然そうでない。

 肺機能は誰よりも弱いし、それゆえ毎年風邪にかかりやすい。なので、コロナ・ウィルス1粒でも喰らえば、10メートルも駆けられない、グリコとは真逆のエライコッチャの可能性大。

 

 真夜中に外に出て、口の手前を懐中電灯で照らしつつ、ハァ~~っと息を吐き出すと、白い呼気がいとも容易に1メートル越えた向こうまで飛散するのが判る。(ウソとおもうならヤッてみんちゃい)

 けっこうな勢いに、いまさら驚き、

「なるほどなぁ」

 呼気と大気の関係をシミジミ知覚し、唾液なんぞの飛翔っぷりを思い返すんだった。マスクで口と鼻を覆っても、目玉はむきだし。

 粘液性の眼から、「うつるんですよ〜」だって充分にありえる……。

 が、だからといって、フルタイム誰にも接しないというようなコトは出来っこないワケで、

「なんだ、結局、リスク抱えて、まだしばらくはビビッてなきゃいかんのか」

 途方にくれるというワケでもないにしろ、マスクを着けるというか、マスクにしがみついてでなきゃ〜、「渡る世間にツバ、ペッペ〜」の困ったちゃんの状態継続を、嘆くしかない。

 

 数日前、Wakame Mizumichi 宅で某君のバースデ~・ミニ・パ~ティ。うまいお好み焼を食べる予定だったけど、前夜より体調不良になりにけり。

 で、結局キャンセル。

 風邪の初期症状だったようで、今は概ね正常。こういう場合もコロナかも? と一応は、自分にビビるわけで。

 Wakameは元関西人ゆえ当然に関西コテコテのお好みだったろう。痛烈に残念。

 

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 1年チョイ前に庭に植えたレモンの苗木。

 昨年冬は全て葉が落ち、ガイコツのような姿になって、はたして越冬するのかしら? といぶかった。

 幸いかな春にまた芽吹き、夏は葉をおごらせて、ヤレヤレと安堵したんだけど、この冬はあえてビニールをかけている。

 ビニールの温室効果は大きく、葉は落ちない。

 過保護……、の一語が明滅するけど、背丈もない苗木2年生だから、ま~、これはこれで良いだろう。

 とはいっても葉は色が落ちている。春になると生え替わるんだろう、たぶん。

 ヒトの頭髪も冬に抜け落ち、春にあらたに生えちゃう……、みたいになればオモチロイけどな。

 おそらくレモンは、ビニールなど掛けずとも、季節のサイクルに順応し、寒ければ自ら葉を落とし、たとえガイコツのごとき姿になっても、翌春まで体力温存、次ステップもそなえる聡明な生きる叡智を持ってるはずなんだけど、ね。

 

 日本でレモンの栽培がはじまったのは明治6年というから、その157年前の江戸時代に没した尾形光琳はレモンを見たことがなく、当然に描いてもいないわけなんだけど……、彼なら、どうレモンの木を眺め、描いたろうか、かなり、興味あり。

 

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光琳図案」にみる彼の樹木、たとえば松なんかの抽象の仕方がハンパでなくって、

「えっ、こう描くのかぁ」

 しばしアッケにとられ、なるほど岡本太郎光琳を絶賛したわけだと妙に得心もするんだけど、と、それにしても、この松はすごいわね。

 

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 抽象心眼というか、対象をガッと捉え、それをほぼ一筆で バッとまとめあげる眼力と画力の凄みが、文字通り、スゴ過ぎ。

 下の図案では、松の枝葉の横手で鳥までが松化(昇華)しちゃってる。

 当然、上図の遠景と下図近景の松は、松は松でもま〜るで違う。

 

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 リアリジュームよりも光琳自身の眼にどう映えるか、この徹底が光琳光琳たらしめているわけで、天才や非凡といった当方にはない超越した、まったく真似できないレベルの高みに、

「とやかくと凡人の思はぬ心さえ」

 哀しいほどに、なぜかレモンの酸っぱさをも思うんだった。

 

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 シーナ&ロケッツに『レモンティー』という曲があって、かねがね、そのパワフルなノリノリを好みとしつつも、いささか猥褻風味な歌詞には今もって小っ恥ずかしい感触があって、好きだけど感心しない……、でも、ヤッパ好きだわ~ん、なんだけど、その歌詞はどうあれ、作曲は鮎川誠となっている。

 

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 けどねえ~~、この曲って、彼のオリジナル発想じゃ~ないね。

 ヤードバーズの「Train Kept A-Rollin’」にあまりにソックリさん。

 以後もこの曲は、エアロスミスやレッド・ツェッペリンがカバーし、よりハードでビートの効いた曲に進化させる……。

 

ボーカルとハーモニカは若きボリス・ジョンソン英国首相じゃなくって、1976年、33歳の時にギターで感電死してしまったキース・レリフ。大きな才能を抱えた人物ゆえ、この夭逝は残念。

 

 大元は、1951年のタイニー・ブラッドショウの曲だ。

 ジャズのダンシング曲で、それをヤードバーズ以前に、ジョニー・バーネット・トリオがロック風味でカバー、歌詞も含めて大幅にアレンジしていたワケだね。

 

      

下のYoutube映像が、本来の、タイニー・ブラッドショウのサウンド。上記

2本と較べるまでもなく、どんだけ変わったか……、ビックリもの。

 

 そういうヒストリ~あって、さらに後年、福岡で鮎川が、あのノリノリな”レモン風味”に造りあげてるワケだ。

 けど、なんで元々の作曲者としてタイニー・ブラッドショウの名が出てこないのか、ふ・し・ぎ。タイニーさんを、いささか気の毒に思う……。

 

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            Tiny Bradshaw   1907~1958

 

 たぶん鮎川さんは自身意識しないうち、この曲を自己の血と肉にして、自分表現の”原木”と化させたんだろう。だから、オリジナルという次第……、ぅん?。

 こういう例証もまた。拭えない酸っぱさがアリアリなんだけど、そこに旨味アリって~感じかしら。楽曲通り、レモンティ~ストかもだね。

 

 尾形光琳の画業のデカサは、やがて光琳派というカタチでもって後世に伝搬波及していくけど、タイニー・ブラッドショウの曲にもそんな原点気配があるね。

 ただ、こちらの場合はドンドン変化するってぇ〜トコロで価値上昇、酸化具合がマックス。ひたすら酸っぱい方向に向かい、光琳派の光琳作風を伝統化するゆえにの保守的生息とは、違うんだった。ま〜、ロックだもんにゃ。ロックが守りに入っちゃ、イカンだろう。

 むろん、その一点では、尾形光琳は江戸時代に絵画の枠をブッ壊して新たな地平をみせ、自身もキラキラした人物だったというから……、D・ボウィみたいな、華やぎある、でっかいロック・スターだったろうさ。

 でもでも、光琳さんはレモンは見たことも嗅いだことも味わったことないんだね。

 あ〜、でもスダチは見たり噛んだりしたコトはあるかもぅ〜。すでに当時は徳島のスダチが京都でも江戸でも売られてたそうだから、うどんにのっけ、

すっ

 くちびる、すぼめていたかも。

 

 

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 時代と時間が100年以上昔に戻ったようなプーチンの振る舞い……。

 プーチンというより、ラスプーチンの名がふさわしい。奇っ怪で醜悪。

 どう転んでも「裸の王様」以外のナニモノでもないけど……、この裸ん坊に服を着せたり鈴をつけたり出来ない周辺のドンヨリにもがっくり。

 踏みにじられる人達がとにかく心配。

 

 

昼のうどん

 午前中、本を読みつつ、ごくゴクごく近所のタケちゃんより頂戴のバレンタインのショコラをもったいないんでチビチビ囓りつつ、チラリ時計を眺めるに、もう昼過ぎ。

 

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 近頃のランチはやたらと、うどんだ。

 寒いからあったかいのがイイやという単純な理由。

 こったをの造るとかいうのも、なし。

 小腹を満たしつつ暖を取るという感触。

 これで充分に幸福になるんだから、ずいぶん、ボクは安上がりだぁ。

 

 ただ最近、うどん鉢は 買い換えた

 高からず安からずの美濃焼を二種類。

 器を変えると確かにチビリと味も良くなるというか、気分変わって効能あり。

 器がウツワとして意識されて使うべく定着したのは縄文時代だろうけど、この時代はやたらに長いから、西暦換算で何年頃というワケにいかないのが残念。

 けど石皿やら素朴な素焼きの椀(だいぶんと後期だろうけど)だかで、煮た貝を食べつつ汁をすすれる悦びを味わったのは確かじゃなかろうか。

 煮炊きの土器と個人個別の食事用土器を使い分けるような発想が生じて、それを実践したら、どんな風に食生活が変わったか?

 そこを想像するとチョット一緒に食べさせてよ……、って~な気分もわく。

 今と較べて魚貝類はアット〜的に豊富で、いずれも、今の私達の眼から見ると倍以上と思える、大きなサイズ。(アチャコチャに残る貝塚の貝殻を見るとそれが歴然)

 ハマグリがはるか後に高価なモノになるとは皆目意識せず、アサリとて当然に産地偽装の心配もない。

 味噌も七味もないけど、では、どういう味付けだったか? 

 貝はちゃんと砂抜きしたのか? 

 1つ椀の中に何個くらい入ってるのか? 

 貝と一緒に植物系な何かを煮たか? いややはり、弥生時代の定着住まいの文化が生じるまでは、貝はあくまで直に火にくべ、煮立ったのを口ですすりあげ、モシャモシャ喰らってたか? 

 幼い子には母親が貝を噛んで潰して、それを与えたか?

 などなど諸々、空想しつつ……、うどんをすすってる令和時代のこの1週間ほど。

 

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                コロッケもオニギリも食べ、完食……

 余談ながら、若い頃はうどんは 好みでなかった

 マイ・マザ~が造るうどんが食卓にあがるたび、1度たりとも美味いと思えず、 食事がうどんと判った途端にメッチャクチャ、ガックリしてた。それが尾を引いて久しかった。

(故人には申し訳ないが、マザ~は料理は上手でなかったよう思ってる)

 けども、極くまれに家族で四国に旅するコトがあって、宇高連絡船  のデッキで食べられるうどんは、まったく別格。実に美味かった。

 なので、香川の栗林公園に行こうかというようなプランを両親から聞くや、密かに、連絡船のうどんを念頭に浮かせ、ワクワクした。

 麵も汁も、のっかってる天かすの親分みたいななんだか今となってはよく判らないモノも、総じて滋味が天上的、大鵬製薬のCMで流れるラッパのマークの、パッパラパッパ~・パ~パラッラッラ~みたいな晴れ晴れしい、頬っぺも喜ぶ食の歓喜を味わうんだった。

 今に思えばマザ~調理でないうどんとの最初の遭遇が宇高連絡船のそれであり、マザ~のそれに較べるという次第ではなく、別な味覚として舌が反応したというに過ぎないのかもだけど……。

 

 我が両親は当方が中学生の時に別居したから、以後、宇野港から船に乗るような楽しみが消え、うどんと縁が切れ、それからは、自らの意志でうどんを求めるコトは1回もなかったけど、24~25歳の頃、HONDAのシビックを運転し、山口方面に出向いたさいに立ち寄った高速のサービスエリアで、他に食べるものがなくってやむなくに食べたうどんが、

っ」

 というほどに宇高連絡船の味が想起され、絶品、舌が喜んだ。

 以後、うどんという一品は、「まずいモノ」から「うまいモノ」に昇格。

 ま~ま~、そういう次第で、25歳頃にようやく忍術皆伝の免状をもらったようなもの。遅咲き開花というか開化が遅かった。

 一個人としての歴史が浅く、しかも、廉価で雑っかけなファストフード的滋味が極上というようなヘンテコな開化になってるんだけど……、ま~ま~ま~、それで一向に、か・ま・い・ま・せ・ん

 

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 スダチの輪切りをメインに卵にトロロにネギ。これだけで午後のいっときが裕福になる安上がり。ま~、ヤマザキのレーズンパンも添えたけど、お汁まで全部すすっちゃう。

 けっしてかき混ぜず、鰹だしのお汁の味わいと、その中央あたりのスダチの酸味に変じたお味の変化を愉しむ。

 これをワガハイはスダチによるドップラー効果と呼んでるんだけど、全部すすったのは鉢に描かれた古染花鳥を眺めたいという気分あってのコト。

 器を変えるってのは確かにポイント大っきぃね。

 たぶん、その辺りの消息として、ウツワとフードの相乗効果の味覚アップが意識されたのは縄文時代の後期頃じゃ〜ないだろか、と強く思う。

 さすがに火炎土器では食べにくいけどね。

 しかし、食べにくいって思うのは今の感覚だ。当時はマッタクそうは思わなかったって〜のも、ありうるだろう。70年代後期に男の子が総じてロンドンブーツ履いてたのが今となっては“ありえない”レベルの滑稽で信じがたい光景のように。

 実際、何かを煮た、それも何度も似たらしき痕跡がある火炎土器が幾つもアチャコチャで出土しているから、あのややこしいカタチの土器が祭祀専用だったかどうか、怪しいもんだ。

 こういう空想しながらの、うどんって、とりとめもなく、おいしい。「午後の紅茶」よりも、「午後のうどん」の余韻の方が、コクと深みが優るんだワ。

 

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日本再発見

 

 明治神宮の創建以来守られ続けていた神宮の森。東京都はその一部を更地にし、再開発するらしい。

 神宮の森の、その外苑にあたる場所らしいけど、100年以上前に植えられたモロモロであるのはマチガイない。

 明治政府が設け、全国から集められ植樹された樹木。以後100年以上の歳月が育んだ希有で稀少なこの都心の木々とそれに伴う自然環境を壊し、またぞろ高層ビル群を目論んでいるようで、なんちゅ~愚かな決定か、とアタマがク~ラクラした。

 ニューヨーク市はセントラルパークを、パリ市は16区のブローニュの森を壊したりはしないでしょう。

 

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 岡本太郎の『日本再発見』を書棚から引っ張りだし、久々に読み返す。

 昭和33年、47歳の時に岡本はこの本を出した。

 秋田を皮切りに、長崎、京都、出雲、岩手、大阪、四国を旅し、アレコレを見聞し、自ら写真も撮って本書にもそれが載っている。(今は文庫版のみが流通してるけど、その写真の濃い味わいは文庫サイズでは堪能しきれない)

 岡本は「泥臭い民芸的な気配」を嫌うが、地方地域の「純粋で透き通った」諸々を見るにつけ、

「ほほ笑ましく、美しいし、そのセンスも高い」

 と、名もない地方での創作物とヒトの心を称賛する。

 が、一方で、

「センスと芸術とはまったく違うものだ」

 クギをさす。

 せっかくの創作物を民芸品という名でくくってしまう媚びたおろかさを糾弾する。モノ創りの覚悟のホドを突き詰める。

 

 再読し、京都での茶会シーンと、出雲大社でのシーンが濃く印象された。

 大徳寺・聚光院での、茶をテーマにした「伝統芸術の会」に招かれた岡本は、

 

 うやうやしくお道具拝見の光景は、ユーモラスである。

 ぺたっとオイドをすえてエサ箱に首を突っ込んでるみたいに前かゞみになり、結構なお品をいためないように、大事に大事に顔の方をすりよせて、「コレハコレハ」「ヘェー」「ホウ」「マア」ためつすがめつする。ほめことば(けなすことは厳禁)、感嘆、見えすいたきまり文句だが、ヴァリエーションとりどり、堂にいったものである。あれも芸術のうちかナと思った。

 太閤や居ならぶ大名たち、利休さんにやらされたんだろう。そこにそゞがれていた利休の目は、皮肉で冷たかったにちがいない。

 

 コトの本質を喝破して揺るぎない。

 岡本は茶道を否定しはしないが、利休がもたらした茶を通しての「対立」という構図と観念には、甚大な関心を寄せている。数ページを費やし、利休が提供した茶器やらそのスタイルの深層をさぐったあげく、現状の茶道を……、利休同様に冷ややかに眺める。

 なるほど、もっともだ……。巨大権力と化した信長や秀吉に対抗すべく「茶」という観念でもって彼らと拮抗し、権威に向けて抵抗を試みたと思える利休の遺産が今はもう、ただの習い事、上品ぶったカタチの模倣に過ぎない事を、悲しむ。

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 出雲大社では5月14日の例大祭に招かれ、それを取材し、皇族の代表として岡山から来訪の池田厚子さんに出雲の方々が直立不動で応対している様子をいささか滑稽に描く。

 出雲は大和朝廷に激しく対抗するものの、破れ、朝廷側の”国譲り”という綺麗事で美化修正された地域というのが定説。その確固とした過去が今や皇室に向けては隷属しかないというていたらくを、彼は数行でもって描写し、にが笑う。

 岡本はアートという立場から、それらを眺め、モノ申す。

 ユーモアと辛辣で岡本の文章は脈打つが、血中の芸術濃度は尋常でなく、そこを中点に、切ったりえぐったりまさぐったり、撫でてさすったりで、彼が何を見、何を云いたいか良く判る。鉛筆の芯が削られ尖っていくような小気味良さに、おのずページをめくる速度もあがる。

 

 岡本は出雲大社本殿を、

「日本の過去の建築物で、これほど私をひきつけたものはなかった。おそらく日本建築美の最高の表現だろう」

 と称え、

「かつてこの土地に、われわれの祖先はこういう美意識に生きたという凄まじさにうたれた」

 と感動を記す。

 がまた一方で、本殿そばに雑木の植込みがあって、本殿をみあげる決定的な角度がさえぎられていると苦言し、

 

 バカバカしい。腹が立った。どうしてこんな意味のないものを生やしておくのか。何でも、樹を植えさえすれば自然をとりいれたつもりで安心するという、形式的な自然主義のアイの手だ。こんなものがはじめっからあったはずはない。あるいは明治から大正あたりに、偶然生えだしたのかもしれないが、後生大事にとっておくというのは卑小な庭園趣味の勘ちがいだ。

 

 と手厳しい。

 そんな岡本太郎だけど、もし彼が生きているなら、巻頭で触れた明治神宮の森の伐採計画には、俄然に烈火のごとく怒ったであろうと……、想像する。

 自然の原生林に近寄せる壮大な計画で構築された神宮の森なのだから、明治のその想念を破き、茂った樹木を1000本も切ってしまう無謀に、怒りをバクハツさせるだろうと想像する。

 

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 昭和33年という早い時期にすでに、

 

 自分達のもり上がりがなくて、爛熟した文化の上ずみだけを、小器用に、美・芸術として受け入れてしまう。その受け入れ方の要領のよさだけが、一種の民族的な素質として久しく身についてしまっていないか。

 

 岡本はそう問い、

 

 文化は本来、民俗の生命力のもり上がり、その高度な緊張から爆発する。その表情である。しかし日本文化はほとんどあらゆる時代にそのもり上がりをまたないで、舶来品の出来あいで間に合わせてしまった。その方が好都合、ずっとシャレているし、苦労がない。 

 結果、生活を抽象した、ていさいのよい趣味的文化はあたかも日本の伝統の如く、ながく続けられる。

 

 と批判する。

 で、その上で、このアチャラコチャラで見聞した諸々の中に、灰の中にくすぶる炎が存在しているのを彼は見いだし、そこに希望をおく。

 彼のその発見の数々が本書を今でも目映く照らしてる。頷き合点させられ、引き寄せられるまま、こたび2度、読み返した。

 スケールのでかさと、ただでかいだけでない、岡本太郎という存在は常々に意識していたけど、今また彼の残した文章に発奮させられ、「ゲ~ジツはバクハツだぁ!」の背景となる真摯極まる一途な眼差しを感じて、うっとろろ……。

 昭和33年から既に63年が経過しているけど、岡本太郎が抱いた怒りや不信もまた変わらずくすぶっているようで、容易にうっとろろと文に酔いきれないのが残念。

 

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イケズな東京 〜岡山市民会館〜

 

 ここ数日の早朝、やたらに寒くって、

「ぅぅうっ」

 肩カタカタ慄わせることしきり。

 まっ、2月だもん、厳冬のみぎり。あったりまえのコトなんだけど、けどチョイっと昔はもっと厳しかったね。

 小学生の頃は庭池に氷が2センチくらいはるのが冬景色の1つ。登校前、恐る恐るに乗ってみたもんだ。

 むろん、その程度の厚さじゃ、ミシミシってイヤ~な音が直ぐに生じ、

「ぁ、やばっ」

 慌てて乗っかるのを止めたけど、今やもう、そんなコトは出来ない。

 氷が出来ても、せ~ぜ~1ミリか2ミリで、これもやはり温暖化の証しなんだろう。

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 20年ほど前では、

「温暖化というけど、そ~そ~眼に見えるような進行じゃ~ないよ」

 苦笑ぎみに、まだ先のハナシだと思ってたけど、その後たかが20年で露骨に変化しちゃってるワケだから、アッチャ~。苦笑も凍りついて久しいのだった。

 なので、この先さらに20年も経てば、庭木や花々にまで影響が及んで、2月にもう桜、咲いちゃったよ~、みたいなコトになるんだろう。

 いや、それも甘いか。1月元旦に桜をみるハメに陥るかもだ。くわばらクワバラ……。

 

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 過日、井上章一青木淳の『イケズな東京』を読んで、示唆に富んだ言及に、幾つか頷いたり感心したり、した。

 かたや建築史家で『京都ぎらい』の作者、かたや京都市美術館の館長を務める建築家。

 リレー・エッセーと対談で構成され、お気軽に読めるのだけど、2人の見解の大きな違いも含め、けっこうヘビーな内容で、もろもろ学習したり考えさせられた。

 

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 読んでビックリ、開催2回目となる1900年のオリンピックが万国博覧会と同時開催で、実質は、博覧会の”余興”であったコトにまずは、アリャっ、と云わされた。

 競技場は新造されることなく既存施設でまにあわせ、水泳競技はセーヌ川の一部をロープで囲っただけのものだったし、その次の第3回のオリンピックも同様で、しかもだよ……、金メダルやら銀メダルというのは、優秀な科学・化学技術者らを博覧会で表彰し授与したメダルであって、オリンピックがオリジナルじゃないコトを教えてもらったワケだ。

 まぁ〜、判らないではない。19世紀末〜20世紀半ば頃までは万国博覧会というのは抜きん出たイベントだったわけで。

 

 さらには、日本における建築模型というのは、どうやら丹下健三の試みがスタートらしい、といった雑学的知識も得られ、

「おやおや、意外と歴史が浅かったんだな、建築模型は……」

 蒙を啓かされたりした。あんがい知らなかったというか、思わぬトコロでの事実をモロモロ教わったワケだ。

 

 しかし何より感慨させられ、納得しつつ頷いたのは、明治から今にいたる日本の建築の在り方についてだろうかな。

 わけても街づくり。

 明治以後、造っては壊してまた造るを繰り返し、造った家屋を捨てることを躊躇しない、その指向と思考と嗜好の三位一体的なカタチへのでっかい疑問を本書は暴露っぽく記している点だろうか。

 欧米に学びつつ、その欧米の街造りの本質についてはサッパリ咀嚼しなかった近代日本の哀しい姿が立ち現れて、読みつつ、すさんだような気分をも味わえた。

 

 この岡山でも似通う事例がある。

 たとえば、岡山市民会館

 これは1964年に造られた。8角形の外観の中に大型ホールがあり、1階席より2階席の方が席数多くてしかも見栄えがイイという希有な施設。

 上空からみる8角形のその多角なカタチは今も鮮烈だ。

 けども、老朽化という理由で取り壊しが決められ、今あらたに、別場所にまったくあらたなホールを建造中だ。名を「文化創造劇場」という。

 しかし、その新劇場はさておき、はたして岡山市民会館を取り壊すのは、正論かつ正解か?

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 岡山市民会館の設計者は、佐藤武夫。

 昭和の前期を代表する建築家で、彼が造った新宿の大隈講堂は重要文化財だし、山口の博物館、岩国徴古館は国の登録文化財だ。

 

 で、その佐藤氏が設計した岡山市民会館とほぼ同型の建物が熊本にあるんだ。

 岡山市民会館建造に次ぎ、1967年に氏は依頼され、熊本にそれを造った。

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 こちらは12角形ながら、いわば岡山の市民会館と熊本の市民会館は顔立ちが似た兄弟だ。

 立地も似ている。かたや旭川のそば、かたや坪井川のそば。どちらも城がすぐそばにある(熊本城/岡山城)。いっそ兄弟というより双子の家屋なのだった。

 このコトを教えてくれたのは我が友Sunaちゃん。素直に感謝だぁ、というかホントびっくりで、こういうコトは新聞なりが報じてしかるべきとも思うがぁ、地域マスコミは言及しない……。

 

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                   岡山市民会館の俯瞰

 当然に、老朽化という点では熊本も岡山と、まったく変わらない。

 ところが熊本市民会館は、2006年に既に大規模改修工事をやっている。今後も使い続けることを熊本市の議会は市民総意の元で決めている。 

 運営のためにあえてネーミングライツ(公共施設の命名権をとり、現在の愛称は「市民会館シアーズホーム夢ホール」。熊本の住宅メーカー「シアーズホーム」が名義料を出し、文化拠点としての市民会館を守って後世にまで残そうと努めてる。

 

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                   熊本市民会館の俯瞰

 

 要は熊本では認知され、活用継続を決めているワケだ。その姿カタチが愛されている建物なのだろう。

 岡山市民会館とて音楽や芝居発信の基地であって愛されるべき建物なハズだし、“昭和の息吹き”を伝える稀少な公共施設だろうし、イベントのたびにモロモロの思い出が刻まれたはず。

 残して使うべき……、と当方は思うんだけど、行政はどうもそうは思っていないようで、取り壊してしまうようなのだ……。 

 同じ岡山ながら、県が主導した、旧日本銀行をルネスホールに変えたような良い風通しが感じられず、この方策はまったく残念。

 

 改修に何億もかかるから新たなのを造った方がイイというのでは、いつまでたっても何も根付かないような気がしていけない。

 昭和時代のものとはいえ、それすら切り捨てるなら歴史は刻まれない、そんな街は、つ・ま・ら・な・い、んじゃ〜ないかしら。

 

 ちなみに余談だけど、ルネスホールの場合、家屋保存もさることながら、運営のスタッフがいい。館を愛し、そこでのイベントを愛してる姿勢が常に垣間見え、実にまったく気持ちがいい。

 文化拠点というのは、容器としての建物も大事だけど、同時に、最前線にいるスタッフの度量が大事。

 OJF( 岡山ジャズフェスティバル実行委員会)で、過去、何度もルネスホールを使わせてもらい、昨年も海野雅威コンサートを開催したけど……、ごく個人的ながらイチバンに濃く印象されてるのは、鳥取在住の鉄筋彫刻家の徳持耕一郎氏の作品展示とジャズをコラボレーション出来ないかと悪戦苦闘した時だろか。

 複数日を費やした大がかりなイベントだったけど、ルネスホールの大きな容器の中、自分たち主催者がどれっくらいチカラが出せたかを最終日に振り返ったさい、チカラ不足を感じ、德持氏とビシバシ事務局長と3人で泣いたことがある。

 ワンワン泣いたワケでもないけど、なぜか3人一緒に、涙がこぼれた。3人とも感性に相違あれど、その瞬間の情動はピュア~で、シンクロナイズドされた本気のココロだった。

 ある種の達成感を味わうと共に、ルネスホールのスタッフの期待(施設使用の制約とこちらの要望との狭間における溝を少しでも縮めようとしてくれた)に応えるホドでもなかったような自分たちの不甲斐なさを、身に沁みさせたワケだ。

 公共施設における、それは小さなドラマに過ぎないけれど、そういう小っこいドラマ舞台として、ルネスホールは我が輩には大きな存在だ……。

 岡山市民会館でも、きっときっと、そんな小さなドラマが多数にあったはずだし、この先とて、それはあり得るだろうけど、取り壊す方向で駆けているようなのだ。

 

 ま~、『イケズな東京』ではそういった人的好感までは触れない。あくまで俯瞰として、街の在り方が書かれている。示唆に富んだ視線に感心しきりで、時に2人の見方がまったく逆の場合もあって、そこも興味深かった。

 都(みやこ)としての京都やら東京のハナシでなく、我が住まう岡山にもこの本の内容は合致してるんで、1行読み進めるたび、ホロホロハレホレ……、モロモロ身に沁ませるんだった。

 

 

庭池のそばで

 

 自宅の庭池。毎年11月の半ばに水換えし、年を跨いで3月あたりまで放ったらかすというのを繰り返していた。

 池に覆い被さるようなカタチで金木犀があって、これが10月末頃に咲いて11月に落花し、水面を山吹色に変える。放置すると色が染み出し、水は茶色に濁る。ひどく濁る。

 なので落花がいつも合図みたいなもんだった。けど、マイ・マザ~の容体などもあってグズグズしているうちにマザ~が没し……、結局、今期はアミで落花を拾う程度にし、水換え出来ないままに年越した。沈潜した花は放置……。

 幸い、魚たちはインドアの水槽にいるんで、ひどく気にするというホドでもなし。

 12月頃は笑っちゃうほどに水が変色し、とてもみっともなかったけど仕方ない。

 

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                   昨年11月10日頃に撮影

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 水を循環させるウォータークリーナーもスイッチを切っておかないと、花を吸い込みえらいコトになる。

 

 以後、何度か雨もあり、いっときよりは透明度が増しているけど、茶系の色合いに変わりなし。

 茶色成分が水底に沈殿しているのだろう。だから掻き混ぜれば、えらい色にまた濁ると思われる。

 けども今はただもう寒く、水は冷たく……、とても水換え作業する気がおきない。

 

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 空想の羽根をパタパタはばたかせ、

「いっそ金木犀直下じゃなく、池の位置を変えてみようか」

 などと、大胆に考えもする。

 陽当たりも立地場所もヨサゲな場所があるにはある……。現在の庭池は水抜きが出来ないからポンプとバケツで汲みだしせざるをえないけど、新たに創るなら、バスタブ同様な排水栓を設けよう。

 ちょっと浅めに構築し、金魚じゃなく、水草とメダカというのはどうだ……。

 撤去した池の後には、腐葉土を入れ、麗しい花壇を造るというのは、どうだ……。

  ご近所ではちょっと見かけない花たち。赤、白、青、黄、紫……。これ見よがしと咲き誇る。

 道ゆくベッピンさんが、

「ぁら、ステキなオニワですこと。貴男がお造りに?」

 なんて〜声をかけてくるんじゃないの。

 そっすると〜、当然に、こちらにっこりハニワ顔。

「遠慮なく見学してください。ちょうど、入れたトコです。呑んでいきませんか、アマジャケ?」

 午後の甘酒、ロマンの香り……。

「ぉ、ぃ、いいぞ~」

 愉しくファンタジ~するのだ。

 

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                    池のそばの金木犀

 

 しっかし、ま~、いざ本気でそんな作業に取っかかると、それはそれでオオゴトだがや。

 甘酒の仕込みでなく石組みのコトだ。それを解体し、1ケ1ケがゲキ重い石を、脆弱な二の腕で移動させる自信がない。

 以前、1度、庭で抱えるホドのを動かすのに、どんだけ苦労したか。4000年オーバー昔のエジプシャンじゃないワガハイには、石1つ動かせないのが……、眼にみえている。

 ピラミッドのそれに較べてはるかに小っさ~い石ながら、石は石。実にメッチャクチャに重く、動じない意志の硬さハンパない。ウソだと思うなら試すがヨロシイ。

 チョイっと動かすにもテコの原理やら、枕木やらやら、準備と知恵とチカラが必要だ。

 重機使えばワケないだろうが、あくまでホームガーデン。あくまで手作業。

「やっぱ、無理よねっ。現状維持が無難だにゃ」

 空想羽根を閉じ、ややグンニャリ。

 水換え作業が苦にならぬ春の到来を待とう。気温がゆる~くなるまで、待ちぼうけ。

 まっ、その前に、金木犀の剪定をやった方が、よさげかも……。冬場の今はさほでないけど夏前にはえらく茂るからなっ。道路にはみ出しちゃうからなっ。道ゆくベッピンさんに、

「ジャマじゃけ〜」

 と云われるのもナンだしなっ。

 やはり、アマジャケ〜は1人ですするっきゃ〜ない。

 

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