彼岸チョイ前

 

 さぁ、この土曜には、また坊さんがやってきて仏前に座る。

 お彼岸だ。秋分の日を真ん中においてその前後の3日、合計7日間が“正しい期日”らしいから今月20日~26日が該当するけど、お寺さんの檀家廻りの都合で、数日早い17日の土曜が指定されての前倒し。

 ま~、べつだん、早過ぎぃ~、と文句をいうホドのもんでなし。

 なので仏間を掃除し、ちょびっと準備しなきゃ~いけない。熨斗袋、まだあったっけ? 茶菓子は明日買いに行こうか……。

 せわしくはないけど、わずかにおちつかない。

 ちなみに、仏教系の本を読むと、お彼岸という行事は他国の仏教にはまったくないコトが判って、

「へ~っ。日本だけかよ~」

 ややあきれる。

 というコトは、何を意味してるんだぁ? お寺さん維持のための方便かいなぁ? などとヒッソリ思ったりもするんだけど、来てくれる坊さんに、そのむね、告げるワケでなし。 

 

 だけども、昨年9月のお彼岸参りではマイ・マザ~が健在だったことを思うと、彼岸と此岸、その二極の距離と、その幅の意味を、意識させられもするのだった。

 

 で、彼岸とは関係もないけど……、3枚組Blu-rayGet Back』の1枚めを観て、懐かしいはずのものが何故にこれほどに鮮烈で、かつ緊張するものとして眼前スクリーンに映ってるのか……、奇妙をおぼえている。

 しかも、全8時間に及ぶワケゆえ、一挙3本見て通過させてしまうのが、あまりに惜しいと……、ヘンテコな貧乏性めいた気分も味わいつつの、ゲット・バック。

 ジョージ・ハリスンがジョン以上にズバズバ意見する場面、あるいはギター奏者として自分はクラプトンのようにはいかない……、吐露する場面などなどなど、おどろき連打の4ビート。

 

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 その昔70年代、大学に、家がお寺さんという同窓生がいて、そのコいわく、ときどき真夜中、家の廻りをお墓全体がグルグル廻る……、んだそうで、高2の時に、またぞろその感覚に囚われ、窓を開けたらホントに廻っていると見えたんで、翌日の夕飯時、住職である父親にそれを話したら、

「ぁあ、ときどき、廻るよなぁ」

 平然と返されて、

「わたし、笑っちゃったわよ~」

 これまた屈託なく、そうボクに教えてくれて、こちらの方が面喰らったコトがある。

 

 彼女は今はどうしてるだろう?

 跡取り娘だったゆえ、婿養子をもらって、そのヒトが坊さんとして住職になってるのかな?

 で、あいかわらす、グルグルと墓は廻ってるんだろか?

 フッ、と懐かしく思いだすと同時に、Let it Bleedのジャケットが頭に浮かんだ。

 

 

 いいねぇ、なんど聴いてもゾクゾクするGimme Shelterの出だし。45回転のシングルでなくLPの33回転に実に似合っていた、あの出だし。

 ストリーミングじゃ、ヴィジュアルとして音が廻ってる感覚って~のは、味わえんわなぁ。CDも回転するけど、33回転のグルグルとは違うよねぇ。

 レコード盤へのノスタルジ~を云うのではなくって……、曲を聴くその感覚の違いを、いまだうまく言葉で表現できないのがもどっかしいけど。

 

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 4日後、エリザベス女王2世の国葬

 ボクが生まれる前より彼女は、英国とその連邦14カ国の君主として、世界を見つめ、誰よりも多くの諸々を見聞きしたはず。もてなされるままに最高で最良の諸々もまたたくさん、味わったはず。

 一方で、多くの権限を持ち、もっとも政治に近い所にありつつ、それに口出し出来ない立場の悶々、かつ、家族のアレコレをも抱えて、おそらく休まるところなき日々だったろうとも、思う。

 それら激動連打の中で、確固として揺るがない英国連邦の定点であろうと奮闘されもしたろう。

 その奮闘努力の痕跡を、彼女はあの微笑みでもって、見事、覆い包んでた。

 人類史の中で、たぶん、もっとも、そのスマイル顔が知られた女性でもあったろう。

 

 1965年10月に女王よりBeatlesに勲章(第5級勲位)がおくられたさい、ロンドンで販売された記念メダル。長髪の20代の青年4人に勲章授与というコトで同列の勲章をもらってた英国退役軍人さんたちが猛然と反撥というようなコトもありましたなぁ

 

 女王の国葬でもって、感触として、20世紀が真に終わるような感が、ある。

 すでに21世紀も20年ほど経過しているけど、さっぱり21世紀の味覚なく、彼女が去ったことを軸足に20世紀のエンドを意識すると、手から離れた風船みたいに、どこに向かっているのか判らんチ~ンの21世紀は、実にまったく頼りなくって危うゲ~。

 ぁあ、いやいや違うっ。20世紀とて危うかったんだけど、英国クィーンは渋顔見せず、眉間に皺よせず、モナリザめく笑み続けていたというトコロがよく、その笑みに鬱屈を緩和させられた方々もきっと多くあったろうと思うと、英国という一領域にとどまらず、存在そのものが希有な、文字通りの大粒の玉石だった。

 おつかれさまでした、と、20世紀と彼女を哀悼する。

 で同時に、20世紀が産んだBeatlesやRolling Stones、CreamやHollies、Pink Floyd、Bowieたち数多が自分の中で継続してガンゴン鳴ってるのを、ありがたがってもいる。

岡山の 太陽の塔

 

 過日、コマンドのNaoさんが、

太陽の塔 が、岡山にもありますぞ……

 と、雑誌記事のカラーコピーを手紙で送ってくれた。

 電子メールでなく手紙というのがイイのだ。情報の味わいと重みが紙の中からピースサインをおくってくれる。

 

 場所を調べると、真庭市落合と判った。

 しかもですねぇ、まったく奇遇ながら、いつか確認に出かけたいと思ってたボクにとっては謎の神社の近くじゃ~ありませんか。

 という次第で、台風一過っぽいカンカン照りとなった日、2つの目的地めがけ、落合方面に駆けたのだった。

 

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 まずは神社。

 箸立天満宮はしだててんまんぐう - 旧名・箸立天神)。

 思った以上に規模ささやか。駐車場もない。でも清掃が行き届き、日々、しっかり管理されている気配は濃厚。

 

 

 境内では、オリジナルの絵馬を販売している。お金は空き缶に入れ、絵馬1つを頂戴するという無人販売

 絵馬は直ぐに使われる。ここは勉学の神さん……、菅原道真を祀ってるんだ。

 お願いを書いた絵馬が境内の一角にけっこうな数、ぶら下がってた。

「○○大学に入れますように」

 とか、

「○○高校の○○科に弟が入りますよう・姉より」

 とかとか。

 

 だいぶんと前だけど、亜公園と菅原道真の関係についてを探索しているさなか、県内の道真情報の1つとして、この神社の存在に気づき、いささか気になっていた。

 神社庁が公開している由来書きを要約すると、

 

 道真が左遷の途中(901)に津山を経由して落合に立ち寄り、村人が敬慕して創建した。

 天安2年(858)、通御(つうぎょ-普通は天皇ないし皇太后がお通りするという意味だけど、ここでは貴人としての道真を指すのか?)のさい、そこで食事をされたが、使った箸が不思議にも根を降ろし、成木し、それをご神木とする。

 という2つだ。

 探訪するに、神社庁が記載した由来書きの元になったらしき石碑もある。

 

           

 

 しかし、かなり、変でしょ。

 左遷時、京都からわざわざ山間の地を巡って津山へ向かい、そっから落合に南下するというような遠回りは、いくら大昔であったとはいえ、わざわざ何で? といぶかしむ。

 なるほど、津山に住まっている人物たれば、落合に出て、そこから吉井川に沿って西大寺方面に出て、舟で備後国(広島)方面に向かうって~のはありそうだけど、京都からわざわざ津山方向に向かうよりは、大坂(当時はそんな名はないけど)に出て、平安時代以前から港として存在する難波津(なにわのつ)で舟を調達するのが、たぶん、当時の常套だったはず……。

 

 にしても、天安2年に道真が何歳かといえば、わずか13歳なんだから、これもねぇ……。

 せっかくの由来にケチつけるのは申し訳ないですがぁ、無理があるなぁ、と感想し、それで謎だったワケなんだ。

 そもそも、山間の地に、どうして道真伝承があるのか?

 

    

 この神社の、書くに価いする特徴としては、拝殿の後方に本殿がないことだろね。そこにあるのは、樹齢千年クラスのイブキの大木。

 この木が本殿そのものなのだ。神さんが宿る場所。

 見上げるまでもなく、なるほど霊験あらかた……、おそらくは、この立派な巨木に神を感じた昔々の当地の方々が、その気分に上乗せで、道真を借用したのだろう。

 そう思い決めて半ば納得しつつ境内を一周すると、やや真新しい、真庭市教育委員会の解説看板がある。大木の由来が書かれてる。

 

 

 伝説によると天安2年(858)春、美作国菅原是善とその子道真が高田庄(現勝山町)へ向かう途中でこの地で休憩し、昼食に用いた箸を立てたのが活着して本樹になったといわれる。

 

 この一文のおかげで、謎の一部がとけた。

 道真の父親である是善(これよし)が、京都より美作権守(みまさかごんのもり)として、この岡山県真庭界隈に派遣された地方長官職にあったことはマチガイなく、その子供の道真は天安2年当時13歳、ほぼ当然ながら、その父親のそばで育っていたろうから、道真と落合方面は、つながっていたのだった。

 

 

 ネット情報だけにとどまらず、やはり、現地に出向いて見聞するのが、正解だねぇ。この神社の場合、石碑に残した由来を、新たな看板で「内容修正」しているワケだ。

 こたびの探訪後にもうチョット調べてみたら、勝田美作市を中心に菅原是善を祖とする氏族がいらっしゃるのも知り、あらあらあら……、おどろいた。

 道真失脚でその氏族は京都から追放されるなど、ひどく冷遇されたけど、のち道真が怨霊化すると、朝廷は祟りを怖れ、神宮寺(現在の北野天満宮を新造、道真を神格化すると同時に菅原一族を復権させる。

 道真の曾孫の1人は落合方面に定住し、やがて美作管氏という氏族になり、美作方面では有力な武家になっている。思わぬカタチで菅原道真の血脈がこの地で継がれているワケだ。

 箸立神社の由来を「」だなぁと思って探訪したら、道真との「」が横たわっているのをマノアタリにさせられた次第。

 箸立天満宮は、明暗悲喜こもごもな菅原家の、その長大で大河物語めいた史実の中の1つの光点として今に残っているという感を、あらたに受けた。

 

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 さぁさぁ。もう1つ。

 岡山の、太陽の塔

 ありました。アリマシタ。

 箸立神社から、北上するコト、車で数分。

 県道313号線沿いの落合鈑金塗装(株)さんのお客様用敷地の端っこに、これ、ニョッキと立っておりました。

 

 

 さすが鈑金屋さん。驚くなかれ、オール金属。

 たたくと、カ~ンカン、乾いた音たてる。

 近くによってしまうと、リベット打ちとかの製作状況が見えてしまうし、風雨にさらされての傷みも見えるけど、よく出来てます。

 

 

 ホンモノのカタチの掌握がすこぶる良くって、しかも、金属ゆえでの滑稽味まで“創作”され、

「どうです。これ見て、笑顔になってくれますかぁ?」

 って~な、この鈑金塗装会社さんの、茶目っ気あるユトリが感じられるようで、良かアンバイでした。

 蝶番が付いていて、顔は左右に開くようになっております。このアイデアもステキです。

 黄金の顔部分がバネで結ばれていて、ビックリ箱っぽくもあり、これも微笑ましい。というか、このアイデアがいい。

 それが青空に映え、「落合の調和と進歩」が展望されているワケはないけど、ともあれ、アッパレ天晴れです。

 

 背面の黒い顔もしっかり作られ、これまた金属。ホンモノをしっかり掌握していなきゃ~、これ、作れませんわね。思いつきでチャチャっとは作れませんぞ、まして金属だもん。仕事の傍ら、複数の同社の方々が「工作の愉悦」を甘受しつつ、日数かけたに……、違いない。

 いや、違う。

 仕事は後回しにして、これを図面化し、金属を加工し、ペイントして、数週ほど、大いに愉しんだに違いない。

 モノ作りの「Hobby的醍醐味」の片鱗が窺えようというもんだ。

  

 塔のすぐ足元では、稲穂がたわわに実ってた。なので、よりいっそう、めぐみとしての太陽を意識させられた。 

 

 

醤油を買いに・たつの

 

 たつの市に出向く。

 はるか大昔、奈良時代以前の昔々のその昔、同地には出雲方面からの移住者が多く住まいはじめ、仲間が没すると出雲出身者たち一同が墳墓建立のために野にズラリと並び立ったという故事から、立野という地名が生じ、やがて龍野になったという。

 その龍野市がいつにヒラガナ表記の「たつの市」になったのか知らないし、なんで山陽本線の駅名が竜野なのか、ややこしいなぁと思いつつも、訪ねるのは初めて。

 

 たつのといえば、揖保乃糸と醤油。うすくち醤油発祥の地。

 さらに云えば、インスタントラーメンのイトメンと佃煮のアラが、たつの市の産。

 かねてより出向きたい場所だったけど、な~かなか出向けず、ようやくこたび……、お醤油求めて、仲間との小旅行とあいなった。

 

 念頭にあったのは、出雲に住まった小泉八雲……

 7~8年ほど前、集中的に彼の本を読んだ時期があって、意外なコトに気づいてた。

 あれほど良き日本の姿を描いたヒトが、日本食についての記述のみ、ゲキ的に少ないのだった。

 日本に来る前の彼は、ニューオーリンズの家庭料理をまとめた「クレオール料理」という本を出している。

        

    10数年前に日本でも翻訳版が出てる。ニューオリンズの地域特性ある料理のレシピ集

 

 それっくらい食に通じたヒトが何故に和食に触れなかったのか? 

 耳なし芳一の耳の大きさよりも、記述の小ささに、

「なんでや~?」

 と、思ってた。

                 

 そのごく僅かな記述として、紀行文「美保関にて」(角川文庫-『日本の面影II』がある。

 彼は、宿泊した美保関の宿の女中に、まことにオズオズと、

はありませんか?」

 と問い、その返事として、

「アヒルの卵がございます」

 と返答され、その驚きと鮮烈を書いている。

 けども、どう食べたかは、いっさい書いていない。

 この文から判るのは、彼がすくなくとも生卵を注文し、それを食べようとしていたであろうコトでしょう……。

 卵かけご飯なのか、生卵そのものを味わいたかったのかも判らないけど、それを、どう味つける? 

 醤油、でしょう。ほかに考えられない。

 

 ラフカディオ・ハーンあらため小泉八雲が、宿泊した旅館で生卵にお醤油をかけ、クルクルとお箸でかき混ぜて啜るスガタを想像すると、調味料らしきがまだまだ少ない明治日本のカタチも見えてこようというもんだ。

 ただ、明治日本の旅館の食卓に、醤油瓶が常時置いてあるという次第じゃ~ない

 今はどこの食堂でも小瓶がテーブルにあるのが“常体”だけど、ハーンが出雲で執筆していた明治半ばは、実は、醤油は高価で贅沢品の部類に入ってた。

 なので通常は、味噌由来のたまり(醤油同様に黒く、けど塩分がやたら高い)が調味料の王様だ……。

 はたして当時、美保関の旅館に醤油はあったろうか?

 

 加えて云えば、明治の時代、旅館は朝夕にゴハンを炊いていたか、どうか?

 電気もなくパナソニックのジャーもなく。保温できないんだから、当時、炊きたて以外は常に冷や飯なのだ。冷や飯に卵は……、かけて美味しいものじゃない。

 となれば、八雲が卵を求めたのは朝食時だったろう。小鉢に卵を溶いて、直に啜りたかったのじゃ……、なかろうか。

 

 こういう些末なコトを歴史の本は教えてくれない。

 江戸時代半ば、その江戸では醤油はかなり消費されていた次第ながら、これは江戸という巨大都市での特異現象。全国的に普及していたワケじゃ~ない。

 初物を好んだり美味珍味を愛好し、贅沢を贅沢と思っていない流行通信の最前線・江戸ゆえの醤油消費であって、地方にあっては、江戸での消費を担って醤油の素材となる大豆の生産は増えているものの、加工品としての醤油は庶民生活からはアンガイと遠い存在だった。

 概ね誰もが知るけど、誰もが使っていたワケじゃ〜ない。

 

 以上のコトがず~~っとアタマにあって、それで醤油といえば小泉八雲のスガタと生卵がセットになって浮かぶんだった。

 味噌を基調にした日本の味わいに、おそらくハーンは好感を持っていないよう思うのだけど、醤油テーストに関しては、彼の舌も拍手したのじゃなかろうか? 彼の舌の許容範囲の味わいとして……、生卵に醤油をかけて食べるのはオッケ~だったのじゃなかろうか。

 でなくば、旅館のお女中さんに「卵はありませんか?」とは、問わないでしょう。

 

 龍野と出雲は古来より往来盛んで、ゆえにその道は「出雲街道」と呼ばれて縁深い。

 龍野発の「うすくち醤油」(寛文6年(1666年)- 徳川家綱の時代に龍野で誕生)は、やがて京都へも出荷され、上品で淡麗な色合いと裏腹に塩分のあるシャキっとした味わいは、公家の眼と舌を悦ばせた。

 出雲方面にも、おそらくは荷が運ばれたろう、思う。まずは出雲大社の献上品として運ばれ、やがて徐々に浸透……。

 なワケで、明治期、美保関の旅館に、薄口であれ濃口であれ、醤油がなかったとは云いきれないし、あったとも断言できないにしろ、たつの方面と縁深いことは確か。その確かと不明のハザカイで小泉八雲が食事しているスガタがユラユラ浮かぶ。

 

 ともあれ、たつの市、初探訪。

 人影が尋常でないほど、少なめ。静かな町並み。車も人もスガタなし。

 

 ヒガシマル醤油が運営する「うすくち醤油資料館」などなど見学し、龍野城のごく近くにある末廣醤油を訪ねるんだった。 上:うすくち醤油資料館の外観。

 

 末廣醤油の外観。雨降りなので暖簾を外している。

 ヒガシマル醤油なら岡山市のどこのスーパーにもあるけど、規模ささやかな同店のは流通していない。

 ま~、あるトコロにはあるのかも知れないがぁ、いいのだ、わざわざに買いに出向いたという点を自分でヨイショしなくっちゃ~いけない。

 

 

 末廣醤油の創業は明治12年というから、今に至る143年間、うすくち醤油を造り続けているワケだ。小泉八雲がそれを使ったという証しなんぞは皆無だけど、何だかカンだか、たつの探訪で出雲の八雲がチビッと近寄って来たような……、勝手な気がして嬉しくもあった。上写真は当方が買った同社の製品。中央は伊勢丹のみに出しているポン酢。

 

 なにより嬉しくあったのは、対応してくれた若い職人さんの、そのコトバの端々からこぼれる醤油への深い愛情

 訪ねたさいは雨降りで湿気が高かったけど、おしゃべりしつつ、ずいぶん晴ればれさせられ、気持ちがよかった。めっちゃ、良かった。

 揖保川の水を使ってるのではなく、創業以来、地下水を使っているとのことで、たつの市の地下水は軟水で鉄分少なく、それで赤錆色にならず薄い色の基本が出来たというコトも聴いて、感心したりもさせられた。

 

 と、それにしても、たつのの佇まいは良かったなぁ。

 古い町並みと静かな空気。西の京都と云われるのも頷ける。けども、車で20分ほど駆けちゃうと海があるから、これは京都よりイイじゃ~ないか。

 

                道の駅みつから眺める、たつのの海

 

 西の京都などと、へりくだらなくってイイ。たつのはたつの。

 なによりヘンテコリンに観光地化されていないトコロが良かアンバイ。「うすくち醤油資料館」なんぞは、大きな規模での展示ながら、入館料10円だぞ。

 100円でも1000円でもなく、10円というのが、ま~、運営しているのはヒガシマル醤油という一私企業ではあるけんど~、見せてあげるからゼニ置いてけぇ~ではない、良性な「」を感じてしまった次第。

 ヒガシマル醤油のみをアピールするのじゃなく、たつので醤油を造っている全メーカーへの気遣いと同胞意識が展示の隅々に行き渡っていて、10円というプライスの奥に生息する「醤油愛」の深みに、これまた感服させられるんだった。

              同資料館に展示の江戸時代の大豆圧搾機

 姫路で1日あそんで来たぁ、というのはよく聞くハナシだけど、そのお隣であるたつのを訪ねたというハナシは聞かない。

 わたし自身そうだった。同行の2人もそうだった。でも、こたびの探訪で気分一新。また出向きたい場所だと強く感じた。

 

 さてもう1点。

 イトメンだ。

 高校生の頃より、インスタントラーメンといえば、当方にとってはイトメンのチャンポン麵が最上座にあり、今もかかさずキッチンに常備、2週に1度っくらいは夜食なんぞで、食べている。

 

 で、ひさしく、このイトメンという会社はこの即席麵のみを作っている小さな会社なんだろうと思い決めていたのだったけど、初めて訪ね寄って、ヤヤヤっと、面喰らった。

 大きな規模の工場を設けてらっしゃる。

 その直売所で、チャンポン麵以外にもアレコレ作って販売しているのをマノアタリにして、

「ぁんりゃま~!」

 大きな感嘆符を浮かせるんだった。

 岡山のスーパーでは見ることも見たこともないパッケージのアレコレ……。

 あさりだしラーメンとか、めっちゃ、そそられるじゃ〜ないか。

 たぶん関西方面じゃ、イトメン製品は普通に売ってるのかも知れないけど、岡山では断固見たコトないんだから、思わず買ったよ、自分宛のお土産に。

 しじみラーメンは帰岡した翌日に食べてみたけど。乾燥させたしじみの小粒がケッコ〜入っており、けっこうな滋味。こりゃまた食べたいぞ〜。

(後日、同社の「二八そば」という乾麺は近所のスーパーにあるのを知ったけどね)

 

 という次第で我がイトメンは、我が心のうちで規模がでかくなった。たつの市という町のささやかな規模に反比例して、その良性規模が拡大したのと同じく、

VIVA! TATSUNO !!

 なんか、そんなタイトルがついたロック・アルバム1枚が創れそうな感がムックムクとタツノ~~ってぇ感じ。

 知り合いのミュージシャン達と再訪し、帰岡したら、それぞれミュージシャンが感じたたつののイメージで1曲創って、それを1枚のCDに封印って~のどうだろ、ね。

 なんだかねぇ、たつのの佇まいに音楽がからむといっそう良さげな町になるような感じを、ヒシヒシ受けた。

                 

 ちなみに、イトメンのチャンポン麵パッケージに昔っからついてるマークは、たつの市に住まった童謡作家・三木露風の「赤とんぼ」がモチーフだ。

 ♪夕やけ小やけの 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か♪

 の、赤とんぼ。

 イトメンという会社は地域愛をしっかり持ってる会社なんだねぇ、とこれまた、またまた、感じいった。(創業開始時は伊藤麵という)

 現在のたつの市のキャッチ・キャラクターも赤とんぼだけど、イトメンは50年も前から、しっかり赤とんぼ……。す・ば・ら・し・い。

 三木露風の生家はお城入り口のすぐそばにあって、しばしその佇まいを眺めたけど、うっかり、写真を撮るの忘れたぁ~~のだけど、この「赤とんぼ」という存在が、音楽を意識させられる、たつのイメージの根ッコにある大きなキー、なのかもだ。

 

        龍野城の本丸御殿。雨天ゆえか、誰ぁ〜れもいなかった。

 余談ながら、揖保乃糸も味わった。

 たつのの中心部から揖保川をはさんで車で数分の所に、「揖保乃糸 そうめんの里」があって、廉価で極上のそうめんが食べられる。

 ランチはわずか900円で、下写真のボリューム。そうめんは3束か? 

 すすっても啜っても減らない量ゆえ、ゴハンは残しちゃったわい……。ぁぁ、でも美味しかったなぁ揖保乃糸。もちろんビールは別料金。

 そうめんもビールものどごし爽やか。ええぞエエゾ〜の二重奏にポークカツの重厚がかさんでのシンフォニー。喉も舌もが、大いに悦んだ。


 町の静かさに較べ、「そうめんの里」は繁華でヒト多し。駐車場には県外ナンバーが幾つか。

 食べ終えたのはお昼の1時前頃だったのだけど、たちまちソールドアウトになってたのには、おどろいた。

 そうめんって、皆さんお好きなのね。

 

 

 

 

8月もおわり

 

 あらあら、8月ももう終わり。

 日中はともあれ、気づくと、朝夕やたら涼しい空気になって、これはこれで、

「ちょっと早過ぎやしない?」

 妙な心配に駆られもするんだった。

 

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 諸星大二郎の『西遊妖猿伝』の最新刊が1年ぶりに出たので、ワクワクしながら読む……、のではなく、まずは、その前編、1年前の「西域編/火焔山の章」第3巻をば書棚からおろし、最初っから読み返す。

 ストーリーやらコマ割やら、6割くらいは覚えているけど、4割ほどはやはり忘れてる。

 なので、復習だ。

 これが、ま~、実に、愉しい。本番前の前戯と云っちゃ~何だけどぅ~、読みたい気持ちチョ~ゼツ・ビッグな新刊を横に置いて、我慢しつつの復習……、というのが……、イケてるわけだ。

 1年1冊のペースで進む諸星のこのシリーズは、我が数少ない愉しみコミックス。

 愉しむ時間を多く取りたくもあり、なので復習から始めるんだった。

 

 

 次の5巻は来年か? 読了後の、

「ぁあ、続き読みてぇ~」

 な、イジイジさせられる気分は1年後の楽しみだっ。これもまた諸星・時間と思えば、苦でもなんでもないわいな。

 こたびも、たっぷり味わった、諸星もたらす漫画愉悦。

 

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 過日のサンデー。ルネスホールでの「スチューデントジャズ」。

 馴染みある高砂高校・ジャズバンド部のステージを味わう。

 高校生の若さ……。

 良いねぇ。自分はもう通過してしまった年齢じゃ~あるけど、16~17歳だった頃の自分とステージ上の彼女彼ら達の演奏と振る舞いを眺めると、懐かしい感慨が湯のように沸く……。

 その年齢、ホントは、生意気なホドに良いのだ、ぞ。

 なぁ~んも判っちゃいないけど、判ってるような大きな顔が出来る特権ある年齢が、16~17というもんだ。

 なのでドンドン、ヤンチャであっていいのだし、ヤンチャであるべきなんだ……、と思う。「萎縮」とかいった単語とは無縁であるべき年齢なのだからな、な。

 

 ま~もっとも、上記のごとく教条っぽい云い方が出来ちゃうのが、こちとらの、老いたる証しでもあるんだけど、けどけど、それはそれで、やはり、老境という境いに分け入って、その未知なワールドを“戸惑いつつも愉しんで放っつき歩いてる”という証しでもあって、16~17歳では味わい知れない領域の醍醐味もまた、あるんだな、これが……。

 何のこたぁ~ない、10代とて60代とて、それぞれ特権があら~ね……、というだけのコトなのかもだよ。

 

 ただ……、1年生の時、2年生の時と、コロナ禍ゆえに発表の機会のないまま過ごさざるをえなかった不遇は、とても気の毒だ。

 味わうべきを味わえず、経験できたであろう機会を封じられるままに3年生となっているワケで、ようやくステージ上のヒーロー・ヒロインになれたとはいえ……、コロナで損した2年間は、60代の当方のそれよりはるかにでっかい大損だったろう。

 ま〜ま〜、だからこそ、もっとヤンチャで弾けてイイのだぞ……、とエールをおくってもいる次第。

 もっとも、ジュール・ヴェルヌの『2年間のバカンス(私が子供のころは『十五少年漂流記』という邦題だったね)では、エリート系の学校の生徒らが漂流し島に流れ着き、以後2年、その逆境の中で通常の学校生活では味わえなかった日々をおくって、逆にググ〜ンと成長する。

 そんな“事例”を思うと、高砂高校ジャズバンド部の連中とて、この2年間が「無」であったワケでもないだろうな、逆境がゆえに逆に得たものもまた、あると思う……、きっと。

 何人か、この先、グ〜ッと伸びそうな子がいたのも頼もしい。

 

 

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  明日の朝は粗大ゴミの回収に業者さんがやって来る。

 乗らなくなった自転車3台、マザ〜が使っていた座椅子セット、でっかく重いスキャナーなどなどをゴミとして、出す。

岡山市の場合は自転車1台500円、スキャナーなどは1ケ200円で、1回につき10品まで引き取りに来てくれる)

 そのうちの1品。台所の奥にあったサンヨーのトースター。

 かつてこれでパン焼いてたんだなぁ……。ほどよく焼けた頃合いに勝手にジョキ~ンって音たててパンを排出するアンバイとか思いだすし、花柄が時代を反映してもいる。真鍋博のパターン・デザインだっけ?

 捨てるには惜しいような懐かしみがあるんだけど、ま~、持っていてもしかたない。写真をば撮ってデジタルで残すことにしちゃう。

 すでにとっくにサンヨーという会社はないけども、いつでもどこでも、パンの焼ける良い匂いがあれば、このスガタカタチを思いだすのだろう、な。

 



 

サーカスにはピエロが

 

 

 昨日24日は、サーカス見物のお誘いがあったのだけど、あいにくと用事ありでいけなかった。残念

 サーカスを最後に観たのは大阪だなぁ。学生の時だ。天王寺公園だかその近隣で観覧したと記憶する。木下サーカスじゃなく、矢野サーカスだか国際サーカスだか……、憶えさだかでない。

 見世物小屋も併設(?)され、なんだかそっちに関心がむいた。

 檻に入った全身毛むくじゃらの女獣人とか、なが~い刃物を飲み込んじゃう男とか、生きた鶏を喰らう野生の女とか……

 もう、ないでしょ? 

 その当時も、

「ありゃ、まだこんなの、あるんだぁ

 と、いささか面喰らったのを、今もしっかりおぼえてらぁ。

 その場だけが、何やら大正時代だか昭和初期頃にさかのぼったような、猥雑色なエネルギーが充満した異界だった。

 蛍光灯的明るさはなく、裸電球の、それも40ワットくらいのほの暗さの中に、赤や緑や黄色のまがまがしい絵とおどろおどろな文字が踊っていて、やたらにいかがわしい匂いをたてていたのが、懐かしい。

 

 

 そんな小屋と小屋を結んだ狭い小路の暗がりで、顔を緑に塗ったピエロとすれ違ったけど、その唇からアゴにかけて血の滴りが見え、もちろんそれもメークだろうけど、いささか怖かったとも記憶する。緑のピエロはタバコをくわえてた。

 大人も子供も楽しめるエンターティメントとしてのサーカスが健康色のA面ならば、見世物小屋はエログロの扇情、大人向きで猥雑なダーク色のB面だ。

 いわば、そのA・B両面で「楽しみと愉しみ」の輪が閉じていたワケだ。

 そんな時代があり、そんな時代はもう過ぎ去ってしまって、今はもうA面のみというのを、いささか残念に、チビッとばかし思ったりもする今日この頃。

 

 今、還りみるに、あの時にすれ違ったのは、鶏を喰らう女を演じたオトコだったのかもしれないな。ちょうど演技を終え、カツラはとって、小屋の楽屋から出たところで遭遇という次第だったのかも。だからピエロじゃ~なかったのかも。

 ま~、以上は、我が数少ない、“サーカス体験”の一部なのでした。

 

 余談だけど、同じ年の8月に、道頓堀で「ロッキー・ホラー・ショー」の日本公演を観ている。

 

  

 

 ケッタイな人物たち演じるSFとロックン・ロールとのごった煮ミュージカルは、ぜんぶ英語なので細かいコトは判らないにしろ、半裸の男女のけばい乱舞は、洋的な“見世物”そのものだった。

 なのでこの1975年(だったハズ・47年も前だよ〜ん)、いみじくも、2種類の『見世物』をまのあたりにしていたワケだ、なっ。

 当時のチケットの半キレを今も持っている……。なんでも捨てりゃ〜イイというもんじゃ〜ない。

 S席3000円は今の3000円と等価じゃない。ビンボ〜な学生の身の上で何でこのチケットを買えたのかしら……。

 

 

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 お盆のあと、我が住まいの界隈ではコロナ感染があいつぎ、当方も濃厚感染の疑い があって、

「ぁっちゃ~、まいったなぁ」

 数日、絶妙な鬱屈を味わった。

 幸いかな、感染疑い有りの近親者が検査の結果、タダの夏風邪と判明したりで、身構えて覚悟していただけに、昇りかけていたハシゴを外されたような、ヘンテコな拍子抜けを味わったりした。

 我が宅とブロック塀でさえぎったお隣は若い夫妻と幼い子供の3人が住まって、近しく接しているけど、およそ2週間ほど、夫妻の2台の車は駐車場に止まったきり。数日おきに、どちらかの両親の車がやって来て、食品らしきを運んでた……

 それが数日前から解禁、夫妻ともども朝には車で職場に向かっている。よかったよかった。

 やはりごく近所のタケちゃんの、そのかわいい妹も感染したりで、なにかとドタバタな妖しい空気が流れたお盆以後。

 

 けどもま~、「幸い住むとヒトの云う」とブッセが短い詞の中で云ってる通りでしょうなぁ。

 山のあなたの空遠く

 幸い住むとひとのいふ

 ああ、われひとと尋(と)めゆきて

 涙さしぐみかえり来(き)ぬ

 山のあなたになおとおく

 幸い住むとひとのいふ

 

 この6行、上田敏の訳だけど、感傷的過ぎるという評もあるけどね、違うだろ。

 眼の前の苦労苦難はしんどいし、1つ山を越えてもやっぱりしんどいかもしれないけど、次の山を越えりゃ~、ひょっとして幸いが在るかも……、とカール・ブッセの難解詞を訳したワケだ。名訳だ

 当然に、その2山めもシンドイだけかもしれないけど、じゃ~、次の3つめの山を越えてみようや、ひょっとして、ようやくに“幸い”らしきがあるかもよ~ん……。

 辛苦辛酸あじわってグッタリしても、希望を忘れちゃイカンよ~という、こっちゃね。

 

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 カール・ブッセと書いて、ついつい連想してしまうのは……、お菓子ですなぁ。

 で、近頃最近、八重洲の、銀の鈴附近で売ってるらしき東京土産。

 

 

 マクドナルドやらのファストフードの容器とカタチをなかなか見事に……、お菓子にしちゃって、可笑しいなぁ。

 東京へ行くヒトは帰りに買って、ワタシのところへ運んでください。

 甘味さがシャープ。あんがい、おいしいクッキーなのでした。

 

 

 

ジャスト・ア・Ronin

 

 映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』がDVD化されているのを知ったのは、お盆前。

 Blu-rayは出ていないようだけど、DVDでかまや~しない。

 隠れた名作として忘れられてしまうんかなぁ~、と思っていただけに、喜びのランプがピカピカ点燈。

 という次第で買ってきて、1986年の封切り時以来だよ~ん、36年ぶりに、観る。

 

 TVや映画で多くの役者さんが坂本龍馬を演じてきたけど、本作での武田鉄矢の竜馬(龍馬にあらず)がダントツだろうなぁ。

 足の短さ、顔のでかさ、額のカタチ、などの外見もプラスに働いて、滑稽かつ真摯な竜馬像がフィルムに定着している。武田鉄矢は昔も今も好きじゃないんだけど、この映画の彼は、メチャに良い。

 

 高杉晋作役の吉田拓郎もヨロシイ、ね。

 演技はダメだけど、地の拓郎っぽさが、29歳で没した高杉という男の中のエキセントリックやアナーキーなところと合致しているよう見受けられ、そこが大きなプラスになっている。吉田拓郎のアクターとしての素人な硬さと、吉田拓郎というキャラクターがもっている奔放が、彼自身の中で正面衝突して、逆に高杉晋作という人物の複雑な輪郭線がよく浮き出たカタチ。

 高杉役として吉田拓郎でなきゃダメだと、映画製作者サイドと吉田自身をくちどいた武田鉄矢の功績がデッカイ。

 

 史実に近くはあるけど、けっして史実に基づかす、ひたすら青春群像としての鮮烈を追った監督・河合義隆は、もっと評価されてよいよう思うんだけどねぇ、彼が荻野目慶子の家で自死してしまったスキャンダルばかりが伝わり、本作が影に隠れているのは残念。ま~、DVDが出たから観るヒトは観るだろうけどさ。

 

 内藤剛志陣内孝則大仁田厚などの面々が、えっ、このヒトがセリフなしのチョイ役かよ~! っと、時代のうつろいをヒシヒシ感じたりもできる。

 本作の音楽監督加藤和彦も、土佐勤皇党の脱藩藩士役の古尾谷雅人も後に自死してるから、悲しみの色合いも滲むけど……、けども、その加藤和彦が創ったテーマ曲『ジャスト・ア・Ronin(歌詞は安井かずみは、吉田拓郎がその後も彼のコンサートの幾つかで披露し続けた通り、やはり絶品だと、思う。

 むろん加藤ももういないから、彼のパート部分も拓郎が唱うという次第ながら、ロックでもフォークでもない青春メッセージ・ソングとして秀逸と、思う。

 


 

 20~30代の頃は、「青春」というコトバそのものが大嫌いで、ゼッタイにクチにしたくないコトバの1つじゃあったけど、川は流れに流れて今や60代……、若さゆえのそんなコダワリから抜け、飄々として映画の中の、「青春」を、た・の・し・ん・だ。

 

 この映画には、薩長が運営し坂本龍馬も大きく関わった蒸気船ユニオン号が出てくるけど、映画公開前だったか、後だったか、尾道で偶然、これと遭遇しているのを思い出した。

 尾道の「アンクル船長の館」常石造船経営・2009年に閉館)に、柳原良平のアートを見ようと訪ねたさい、ごく近くの港湾に泊まっていた蒸気外輪船がそれだった。

 いかんせん、訪ねた日は、同館の休館日だかで、柳原が描いて一世を風靡したサントリーのマスコット・キャラクターたる「アンクルトリス」のオリジナル画を観るコトかなわず、くさって波止場でタバコを吸ってる眼の前にあったのが、撮影用に復元されたユニオン号なのだった。

            特典映像の中のユニオン号。ちゃんと外輪で自走する

 こたびのDVDには、特典映像が1時間分ほど入っていて、ユニオン号を含む海上でのシーンは、福山で撮影されたと判ったし、その福山市常石造船の協力がメッチャに大きく、ユニオン号などの再現、武田鉄矢吉田拓郎伊武雅刀やらやら出演者・スタッフの宿泊場所も、同社の社員寮みろくの里・この当時はまだ映画撮影現場としては未整備だが同パークも常石造船の経営)だったというコトも判って、

「なんだ~、この映画って、福山や尾道とのエンがメチャに濃ゆい~~~」

 と、なんだか妙に親近をおぼえ……、同方面にまた出向きたくなった。

     特典映像より。再現された幕府の主力艦・富士山丸。これはエンジンを積んでいない

 ま~ま~、とはいえ、こちら老いたる身、若きこの映画のペケな部分も眼にとまる。

 正直に申せば、「これスゲ~映画」とは素直には云えない面もある。

 武田鉄矢の脚本(名義は片山蒼)には、ほどよいユーモアが随所にあり、それをこなした役者たちが素晴らしくもあるのだけど、情緒過剰ぎみの哀切は、いささかハナにつく。挿入歌としてのオフコースの甘い歌声がむず痒くもある……。

 けど、総じて綴じてしまえば、やはり、「青春の青春ゆえの青春っぷり」は堪能できた。

 DVDパッケージ裏面のキャッチコピーがいいね、

好きなことやらずに、なにが青春じゃ

 と、書いてある。

 これ……、老春 と置き換えても、かまや~せんぞ。

 

 

 

初盆

 

 昨日の日曜、坊さん来たりて正座する。

 こたび、初盆。

 春の彼岸時には、弟の家族がコロナにやられ、来るに来られず、むろん、来てもらっても困るという次第で、坊さんの読経を耳にしながら、坊さんの真後ろにピタリ座って、坊さんのうなじに息をふきかけたら、坊さん、どんな反応を示すかしら?

 1対1での退屈な時間をうっちゃった次第ながら、この初盆は弟の家族複数が加わって、そこそこ賑やか。

 

 

 マイ・マザ~没して初めてのお盆ゆえ、

「ファミリー、概ねで揃ってますぜぇ」

 遺影を前に、慈恩精舎から届いた仕出し弁当を総出でひろげるんだった。

 

    

 

 慈恩精舎というのは精進料理の店で、法事用仕出しがピンからキリまであって、便利というか、20年ほど前、オヤジが没した頃より、利用しているワケだけど、ピンは高過ぎ、キリはやや頼りない。

 なので、そこそこ、真ん中あたりのお値段のヤツを発注し、

「ぁ、これはお吸い物も付いてるのね」

 春以前からまったく会えていなかった弟ファミリーとの会食を、それなりに愉しむんだった。

 

 初盆を愉しむ? 

 ま~、よろしいではないか。来夏は初盆じゃなくって、ただのボ~ンなんだ。

「来年は弁当、出ないよ」

 食い気旺盛な弟の子供らに、ニカッと笑ってネン押しといた。

 

 

 実のところ、宗教というカタチにはアレコレ興味をもつけど、信仰心は薄い。

 ならば坊さんに来てもらわなくてもイイのではないか、仏壇も仏間も要らないんじゃねいかしら……、とコッソリ思わないでもないのだけど、ま~、そのあたり、極めてアイマイ。

 慣習と慣例のままに、ズルズルひこずっている。

 もちろん、マザ~を偲ばないではない。その気持ちと初盆だからウンタラカンタラとが、うまく一致しないだけのこと。

 たぶん……、宗派、宗教というワクの中にマザ~を封じたくないんだろう。まっ、そういうイミでは信仰に逆説的に囚われている自分を意識しちゃったりもするけどねっ。

 

 

 この数日は夕立とも思えぬゲリラ的雷雨もあったりと、お天気具合はなはだ不安定。

 墓に詣でたさいは、日差し濃く、けれど湿度たっぷり。

 額や首筋に汗がつたう。

 

 

 同じ苑内にあるマ~ちゃんのお墓にも詣で、手をあわせる。

 既に花がある。娘さんが来たのかな。桃色の大輪の垂れ具合と墓所の温度を思うと、おそらく前日にいらっしゃったのじゃなかろうかと……、シャーロック・ホームズする。

 一応、お菓子を墓前にそなえたけど、持ち帰り。

 食品にめざといカラスが喰い散らかすので、この苑では禁止。食べ物を置いては帰れないのだった。

 

        生前のマ〜ちゃんがおはぎを好んでたかどうかは不明だけど〜……。

 

 どうでもイイことだろうけど、『生前』という言葉って、どうもアイマイというか、どっち向いてるんだか……、よく判らんねぇ。

 普通に解釈すれば、“生きてた前”、すなわち、生まれるより前か、あるいは、死んじゃってる状態をいうのじゃなかろうか? 

 でも、そうでない。ス〜ハ〜ス〜ハ〜と呼吸してるのが“生前”だ。

 一方で反対語である『没後』は、ストレート。解釈でアタマをひねることがない。

 なんで生きてる状態を、せいぜんやらしょうぜんというのかしら? いささか時空が歪んでる感があって、不思議。

 死というカタチを軸足にした単語なんだろうけど、仏教用語ではないそうな。

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 まだまだ暑いけど、しかし「暑さ寒さも彼岸まで」という通り、音をたてず季節はめぐってますなァ。

 朝4時には夜が明けはじめていたのが、気づくと、5時を過ぎてもまだホンノリ暗いというところまで後退している。

 夏が枯れはじめているワケだ。

 ヒトツキ後には、もう秋の彼岸。

 ぁ、そうか、9/15前後にゃ、また坊さん来るんだ。

 せわしィ〜なぁ。