えきそば

 

 10月の末。S夫妻が姫路に住まう娘さんのところへ出向き、その帰り、当方宛の土産を持参してくれた。

 かねて姫路での「えきそば」のことを当方より話していたので、その現物をわざわざ買ってきてくれたワケだ。

 しかも2割引きのを。

「こんな割引品をお土産って、いけませんよねぇ」

 Sさんは申し訳なさそうにアタマをかくけど、ぅんな~コタぁござんせん。むしろ、姫路の日常リアルがその2割引きシールに刻まれていて、いっそ極上のお土産なのだった。

 

 姫路に本社がある、まねき食品の蕎麦。

 蕎麦と漢字で書くより、ひらがなで「そば」と記すのが似合うと思うし、事実、製品も「えきそば」とひらがなで書いてある。

 

 

 この会社の創業は明治21年。

 で、翌年、神戸~姫路を結ぶ山陽鐵道が出来るや、姫路駅構内で「幕の内弁当」を売り出した。

 これは「駅弁」の初事例で、だから当然、「駅弁」のスタート地点は姫路……、というコトになる。

 我が岡山での「駅弁」の最初は、三好野(みよしの)だけど、これは明治24年、山陽鐵道が姫路から伸び、岡山と結ばれてのこと。

 翌25年に亜公園が開業するのだけど、三好野の経営者・若林加之(かの)は亜公園のオーナー片山儀太郎と結託し、岡山観光の目玉として同園のことを位置づけたよう……、思われる。これはおそらく岡山における『観光業』の初事例だ。(当時、片山家と若林家はごくご近所でもあった)

 事実、亜公園内天満宮の梅鉢紋灯篭は三好野の寄進によるもので、さらに、現在は甚九郎稲荷境内にある「集成閣案内碑」は、本来は岡山駅前の三好野のそばにあったと推察できるんだけど、今回は岡山のことは置いて、姫路のまねきの「えきそば」だ。

 

 日本で最初に「駅弁」を創ったまねき食品は、戦後、昭和24年に姫路駅でおそばも売るようになる。

 というか、お米が統制品なので弁当を大量に作るコトが出来なく、ならば……、というのが真相だったろうが、そば粉も満足に流通せず、小麦粉も統制がかかっていて配給される量は微量という物資不足の時代。

 同社は小麦粉でなくこんにゃく粉とそば粉をまぜあわせて麵を造り、これを販売した。構内で弁当を売る発想といい、こんにゃくを用いた点といい、この会社のチャレンジャ~な柔軟さが素晴らしい。

 当然に不安混じりであったろう。けども、売り出してみると、大好評。

 同社HPによると、販売価格50円。うどん鉢も戦後で流通しておらず、空襲被害がなかった出雲今市まで買いに出かけ、それを使用(出西窯かな?)。

 蓋付きの瀬戸物だから、列車に持ち込んで食べた方が多くあったようで、食べ終えた後日にうどん鉢を持参すれば10円で引き取った、そうな。

 

 連合国GHQの統制から解放された昭和27年(1952)、物資流通が概ねで正常化して、こんにゃく粉から、かんすいが入った中華麺に変え、さらに和風だしに変えた。

 いわばミスマッチ(同社のホームページにもそう記している)。うどんと中華蕎麦の真ん中あたりで、でも、そのどちらでもない断固オリジナルの「そば」という位置づけだ。だから蕎麦じゃなく、「そば}。

 で、このオリジナルを「えきそば」と名付け、今に至ってる。

 

 「えきそば」、はじめて、食べた。麵がヤヤ白っぽい。上写真はいささか白が強すぎ。もすこし黄ばんでる。

 一口、啜って、メッチャにうま~い……、といえば嘘になる。2割引プライスだから味も差し引いたワケでない。

 けど、おいしいコトは確かで、小エビが中央にあるテンプラが良いアクセント。麵も良いし、お汁も良い。(七味は製品に入ってる)

 気づくと、お汁全部飲み干していた。

 食べて数日経つと、妙にその味を思い出し、またぞろ食べてみたくなる。マクドナルドのビッグマックを定期的に欲する気分に、似てる。

 

 こりゃ~1度、姫路に出向かなきゃ~イカンなぁ。

 いや、実のところ、おっ友達のKosakaちゃんに会うたび、彼に、

「姫路駅に、えきそば食べに行きませんか」

 勧誘されてたんだ。

 けど、駅のそばを食べるためだけに姫路行きってどうよ……、と訝しんでいたのだけど、こたび、撤回だ。

 機会つくって、いっちゃお~~~。

 姫路駅構内だけで何と5ヶ所5店舗もある上、駅のすぐソバにもあるそうな。

 

 

 

お金で読み解くビートルズ

 

 2週間で作業を終えるつもりだった部屋のDIY作業。

 予定した14日間の10日が過ぎてしまい……、残り4日じゃ、無理ムリむり。

 鼻風邪やらの弊害があったものの、それなりに実際は進んでるんだけど、最初の見立てが甘かったな。

 

 マザ~の残した家具に古いタンスがあって、古いといっても桐じゃなく合板なんで、それは廃棄のつもりでイッタンは外に出したものの、

「おや? 待てよ」

 一考した。

 タンスそのものは古いけど、抽斗(ひきだし)って、引き出せば、とても綺麗な状態じゃ~ないの。加えて頑丈だ。

 これを廃棄するのは惜しい、もったいない……。

 という次第で作業の一部を変更、抽斗を壁固定の棚に再利用するコトにきめちゃった。(タンスの外側や小抽斗は廃棄)

 横使いから縦使いへの転身。マザ~が使っていたモノの一部を継承するという意義も含めて、作業やりつつ現場判断で変更という次第だから、そりゃ~時間も追加されますわいねぇ。

 ま~、いいのだ。

 これに関しては〆切り厳守なんて~のは、なぁ~いんだもん。11月末のマザ~の一周忌までにカタチにすればヨロシイわい。……軌道修正でござい。

 本来タンスがあった場所での工作。ホワイトのクロスで壁と一体化させたので、オリジナルがタンス抽斗とは、ポアロもホームズも即座にゃ気づくまい。ウフフ。

 

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 バタピー囓ってビールで流し込みながら、この本、読んだ。

 なかなか、おもしろかった。

 タイトルの前半「お金の流れで読み解く」は、とてもキャッチーで的確。でも後半部「ビートルズの栄光と挫折」は、これは内容にそぐわないなぁ、余計な尾ひれだな。

 なので本ブログのタイトルは、あえて『お金で読み解くビートルズ』と換えた。

 けども、かねて久しく自分にとって理解できていなかったコトを本書で教えられ、

「あら、ま~、そうだったのね」

 けっこう感心したり関心深まったりさせられた。

 

 60年代という時期、彼らビートルズにしても、著作権印税というカタチが彼らにとってどういう性質なモノなのかをよく理解していなかった……、というコトの示唆がこの本のイチバンに良い点だ。

 そのあたり、現在の常識的通念で眺めちゃ~いけないのであって、60年代半ば、ジョンもポールも、

「自分たちの曲が以後半世紀にわたって売れ続けるもの」

 とは、チビッとも思っていなかったんだね。

 ポップスは流行る時期を過ぎると後はもう売れやしない、というのが当時の決定的常識なのだった。

 それで彼らは56曲の著作権利いっさいを、ノーザン・ソング社に売ってしまった。

 ジョンとポールはそれぞれ14万5千ポンド(当時の日本円でおよそ1500万円)を手にした。

 信じられないホドの安値だけど、当時は、上記した通りに、「もう売れないであろう曲たち」にあわせて3000万円払ってくれるなら御の字、メチャにおいしい話じゃ~ん……、という次第なのだった。

 

 で、後々、これがジョンやポールを悩ませる。

 自分らの歌だったのに、自分らのモノじゃ~なくなって、コンサートでそれを唄えば、著作料をノーザン・ソング社に払わなければイケナイというヘンテコなことになる。ラヂオやテレビで使われてもノーザン・ソング社にお金は運ばれる。

 ジョンとポールはノーザン・ソング社の株主でもあるんだけど、株主としてのメリットよりもミュージシャンとしてのデメリットの方がメッチャでっかくなる……。

 時が流れ、その後いっとき90年代には、ノーザン・ソング社が権利を手放し、マイケル・ジャクソンがこの56曲の全権利を入手したりで、今はソニーに権利が移っている。

(幾つかの裁判を経て、現状ではジョンやポールがその収益の75%を受け取れるようにはなってるようだけど……)

 

 さらに60年代当時の英国の税制が、大きな問題として横たわってた。

 高額所得者は収入の90〜95%は国におさめなきゃ~いけない。

 当時、共産主義の台頭とそれへの若者の傾倒が目立つというコトで、英国政府(労働党・当時の首相はウィルソン)は富裕層の課税を強化して、社会保障を充実させるという方策をとった(当時、我が国も右にならえしてる)

 ま~、それゆえに今でいう格差というモンダイは生じにくくなっていた……、のだけど90%以上を取り上げられる身としては、嬉しい方策じゃ~ない。

 ま~ま~、だからあの「タックスマン」という曲も創ってるワケだね。作詞も作曲もジョージ・ハリスンで、彼もビートルズで得た収入の9割を国に持っていかれ、高額所得者であるハズなのに、会計事務所から破産に近い状況と説明され、その身の上に悲憤した。なので歌詞の中にはウィルソンも登場する……。

 それでジョンとポールとエプスタイン(マネージャー)は「レンマック」という会社を作り、ビートルズが得た収益はそこに入り、そこから配当というカタチでジョンとポールとジョージとリンゴは収入を得るという対応策をとる。

 そうするコトで大幅な節税になるワケだ。これが後のアップルだiPhoneのアップルじゃないよ)

           

 映画『ヘルプ!』はバハマ諸島で撮った。

 バハマは税金がほとんどかからない、いわゆるタックスヘブンの地。

 それで彼ら4人は、バハマにキャパケイド・プロダクションという会社を設けて、この会社が制作したコトにし、映画の収益も同国の銀行に預けた。

 英国にお金を持ち帰れば、ど~んと税引きされるんだからね。

 ま~、けど、うまい方法だったけど、英国政府が1967年にポンドの引き下げをおこない、自ずとそれはバハマの銀行にも影響がでて……、結局、ビートルズは同年に8万ポンドの損失をこうむる。

 

 とかとかとか、おもしろい記事が続いて、

「なるほどねぇ~」

 頷いたり、アタマかしげたり、したのだった。

 

 でも読後、なんか、ある種の違和感が残ったのも確かで、それは何だろうと思って考えるに、この本、いささか無味乾燥なんだなっ。

 ドライ&ウエットの情感がなく、帳簿をみるような、“無味乾燥”を感じた次第。

 著者は、大蔵署の元国税調査官で、退職後にあれこれ経済本、『信長の経済戦略』、『龍馬のマネー戦略』などなどを出してらっしゃるみたいだけど、そのあたりの消息が影響しているのかしら?

 興味をひかれる記述は多々あるし、ベンキョウにもなったんだけど、

「おっ、この本、いいな」

 という「情」がわいてこなかった。

 各章ごとに、著者がまとめとしてポイントを列記し、ビジネスやら経営としての参考にしなさいというカタチの掲示が、逆に、金銭しばりの型枠にビートルズを押し込んでしまっているような感じもあって、そこら辺りがどうも……。

 とどのつまり、本書で著者があぶり出したビートルズにまとわりついたマネーにまつわる人物らと著者は同じ水面にいるんじゃないかしら……、路面の端っこの水溜まりに浮いてる油膜のような、妙な感触が拭えないんだった。

 

鼻風邪

 

 金木犀のシーズンが終わり、毎年のことながら、庭池に落ちた花をセッセと金網で広い集める。沈んでしまう前にやっておかないと、水が濁ってサ〜大変。

 良き芳香はごく束の間……、落下は冬近しを物語る。

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 午後から夕刻まで窓を全開で部屋の改装作業をやってる内、風邪をひいた。

 鼻水がとまらない。

 1分おきにティッシュを使わなきゃいけない……。

 ちょうど、行きつけ医院での定期診療があったので、症状緩和を願うコトにする。

 

 医師の診察前、別室で血糖値やらの事前検診をされるさい、

「風邪ひいちゃたようです」

 一言告げると、2人の看護士が、

「えっ」

 とかいって、身をひいた。

 その露骨な仕草をみて、ぁあ、コロナを疑ったんだなぁ……、速効で感じた。

「いやいや、この医院で4回目ワクチン、うったじゃんか」

「そも、さっき体温測ったでしょ。36.4度で熱はないっつ~の」

 診察してもらいに出向いたのに、なんだか、言い訳している自分が口惜しや。

 

 結局、医師にノドを検査されたりで、

「ぁあ、鼻風邪ですねえ」

 確定され、風邪薬を処方され、ただいま服用中。

 たいがい、こういう場合はPLという顆粒剤を処方され、じっさい、こたびもそうだったのだけど、効いたタメシがないんで、

「より強いの、ないですかね?」

 と問い、PA(ピーエイ)という錠剤に変えてもらった。

 

 服用してみるに、効果がすぐに現れた。鼻水がピタリとまった。

 薬をのんで数時間は持続。いいじゃないの……。

 けど効力が薄れ出すや、またジンワリ鼻水溶出。

 改装作業も継続中で、チョイっと汗をかきつつも、そのまま身体を動かしているのがいけないんだろう。

 

 ズルズルと尾をひきそうだけど、首相になって僅か45日、史上最短となる不名誉ながらも辞任を決めた英国首相のズルズルしない「いさぎよさ」を対比的に思ったりもした。

 ま〜彼女の場合は、自身が巻こうとしたタネが腐れていたがゆえの失態とはいえ、「無念残念」がコインの裏側に張り付いていたろう。エリザベス女王のオフィシャルな生前最後の写真が、首相就任の挨拶に出向いた彼女とのツーショットだったのが印象深い。

 その栄誉ある撮影からわずか一月半で、もう忘れられつつある存在という、高速度の明暗が、いたいたしい。

 英国ポップスのシンガーソングライターの誰か、リズ・トラス女史を歌にしないかな? かつてポール・マッカートニーが、違法駐車で反則切符をきった交通取締の女史をとりあげ、「ラブリー・リタ」に編みこんだみたいに。

(高齢になってリタさんが亡くなったさいは、たしか日本の朝日新聞もその訃報を外電として伝え、ごくごく無名だった女性に束の間ながらスポットをあてていたぞ……。近年にポールは唄われたリタについて実在の人物ではないと否定しているみたいだけど)

 

 ところで……、風邪ひくと、やたら、あったかいうどんを啜りたく、なるね。

 テンプラをのっけるより、オアゲにトロロ程度なのが、いいな。

 トロロはたっぷり。

 放置すると、水面が下がっちまうくらい吸収率が高いんで、その勢いの速度より早く口に運んで、

「旨っまっ~」

 とか云いつつ、併せて風邪のかったるさも吸引しちゃって、欲しいぞよ。

 

 

改装

 

 マザ~が最晩年を過ごした部屋は、概ね荷物は片付けたものの、部屋そのものは手つかずだった。

 来月末で、早や、没して1年になる。

 寝たきり生活が長かったから、当然に同室は古ぼけたままで、時間が止まっている。

 これを機に、部屋を改装することにする。

 といって、使用目的は明確でない。

 マイ・マザ~の面影を払拭したいワケでなく、共に生活していた場としての空間に新たな色合いをのせたい……、そう思った次第。 

 なので業者に依頼するようなものじゃない、あくまでDIY

 

 築後50年が経過した家屋は何度となく改装改築を繰り返して、初期の姿はもうマッタクないけど、それでも、マザ~の部屋は、そのもっとも古い部分にあたる。

 隣室が仏間で、仕切りは昭和感漂うガラス引き戸。さらに南側のサッシ窓部分にもガラス引き戸が付いた2重構造で、雪深い東北方面みたいな寒冷仕様。

 その昭和感たっぷりなカタチをどう改造するか……、思案を重ねた末、それなりの方策を見いだして、いざ作業。

 

      もう使わないであろうタンスなどを屋外に出し、これらは廃棄予定

 

 諸々なサイズを計り、石膏ボードやらベニヤ合板を買い込む。

 ベニヤは高騰中で、1820×910の基本サイズが1枚2400円を超える。

 1年半ほど前はたしか1600~1800円で、それとてコロナ禍での木材輸入の困難進行中での値上げ価格だったのだけど、今やいっそう険しい状況。メチャといっていい価格上昇。

「うげ~っ、高っかぁ~」

 下地用として15枚買うつもりでいたけど、眼がクラクラ。

 マレーシアやインドネシアなどベニヤ合板の生産地が、コロナ禍で都市封鎖(ロックダウン)が相次いたんで、当然に日本への供給もひどく滞り、加えて激しいホドの円安……。輸入品の物価はどんどん上がる。

うげ~っ

 を何度クチにしようと、こちらの財布は薄くなるばかり。困ったもんだ。

 なので急遽、購入予定のベニヤの1/3は廉価な別素材を買って……、経費を圧縮。

 

 一応、工期を14日間と自己設定し、さっそくに、壁をたたいたり、ガラスを外して引き戸をペイントしたり……、などなど、し始めたのだけど、4日ほど作業しただけで、もう腕が筋肉痛。

 2週間で終わるや否や?

 

 ベニヤ合板などの買い出しでは、前回のDIY時と同様、柔道家と彼のでっかい車の出動を要請したのだけど、柔道家は彼が住まう地域の消防団員でもあり、たまさか買い出しの前々日に、小規模ながら山林火災があったとのコトで、夜中にホースを抱えて山野に踏み入ってヘットヘト。

 買い出しのさいにも、そのヘトヘト継続中で、

「足腰痛いわ~っ」

 とか云いつつも、重いモノいっさいを運んでくれた。

 感謝だ、カンシャだ、キンロ〜サンキュ〜だ。

 こういう若い(と云っても50を少し過ぎてるけど)良き友人がいるのがメチャに、あ・り・が・た・い。

 買い出し後、ベニヤ板の経費を削減した分で、2人でおいしい昼食を食べに行き、昼下がりのビールを呑みつつ、

トップガン、けっきょく、観なかったなぁ~、アハハハっ」

「おまえ、この夏、ウナギ食べた? 僕、1回こっきり」

「ありゃ、ワシもそうです。だって国産、メッチャ高かったっしょ~」

 とかとか、くっちゃべって、良い時間を過ごす。

 ビールのほろ酔いで……、当然、その日は作業するワケがない。ソファに寝っ転がり、午後の甘睡に落ちてった。

 

 

 

タンタンの冒険旅行

 

 近所のスーパーがセルフレジに変わって、もう数週間経過。

 大きな混乱はないようだけど、それでも……、枯れた声で爺さんが、

「こんなんヤッてられんわ」

 怒ってた。

 お婆さんがバーコードの読み取りにナンギ四苦八苦し、店員がかざし方を教えてた。

 そのレジ店員さんも、まだ誰も退職してはいないようだけど、店頭では以前の半分ほどの人数。

 いずれもパート・タイムの方と思うけど、当然、勤務時間を減らされているワケだ。いずれの方も時間給ゆえ、収入も減っているはず。

 いいのかなぁ、それで?

 

 任意であったハズのマイナンバー・カードを、突如の義務化。

 保険証と合体させるコトでの、いきなりの強制……。

 マイナンバー・カードはチャンと運営されるなら、自分が番号化されている不快はあれど、国家という単位で眺めると、そのメリットは大きいとも思い、必ずしもこれを否定はしないけど、独断専行スタンドプレーの首相や大臣と、不始末連打の稚拙な組織デジタル庁との狭間……、本当にキチンと運営出来るのか、とても疑問。

 マイナンバー・カードは最大級の「個人情報」なんだから激烈に慎重でなきゃ~いけないのに……、導入への扱いがひどく乱雑乱暴。

 大きく不安、かつ不穏。怖いなぁ。

 

 健康保険制度は昭和36年からスタートで、そのさいの「社会保障」される意味と意義と恩恵はとても大きかったけども、こたびのは有意義に遠く、何を急いでるんだかも不明。

 小規模な医院とかでは、機械導入やら院内システム構築なんぞで負担テンコ盛りともきく。そも、1年ほど前はカード導入で数万円分のポイントなんて〜エサをぶらさげて国費を費やしていたというに、今度は一転、義務だなんて……。ポイント付与に投じた国費もまたまた無駄金じゃ〜ござんせんかいね。

 IT導入の無理強いで、振り回されるばかり……。せっかくの情報技術が、かえって不安と窮屈を産むようじゃ~いけないのでは?

 

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 書棚からエルジェの本を取り出して眺める。

 1930年よりベルギーで刊行された漫画シリーズ。そのうち19531954年に刊行された2冊の翻訳版。(翻訳初版は1991年)

 天部分にけっこうホコリがのっていたから、たぶん10年以上、書棚で眠ったままだったんだろう。

 でも馴染んだ絵だから、久しぶりという感触はない。

 

 

 実のところ、いまだこの2冊のコミックスの最初から最後までを読み通したコトがない。

 大型本ではあるものの、細かいコマ割にくわえ、各コマに行数の多いフキダシがあるんで、字面を追うのがメンド~なのだ……

 

 けども、コマの1つ1つが丹念に描かれているのは一発でわかる。

 なによりときおり、1ページ丸ごと使っての大きな1コマの完成度が素晴らしく、そこを眺めるだけで堪能の芯が燃焼し、

「ぇえな~ぁ」

 細い眼をいっそうに細めちゃえるんだから素晴らしいじゃ~ないの。

 こたびは、完読でないにしろ、けっこう小まめにコマの進捗を追って、小さなギャグの積み重ねを楽しんだ。

 

 素晴らしいといえば、原作のチンチン(Tintin)をタンタン(Tantan)に変えた翻訳者の遠慮と配慮の采配っぷりも素晴らしい。

 ボクと年齢が近い川口恵子氏(夫は中沢新一が翻訳者だけど、彼女と出版元の福音館書店の英断というか采配が、ステキだ。

(正しくは、きたさわひろお訳で1968年に数冊が刊行されているようだから、チンチン→タンタンはこれがスタートだろう)

 あのチンチンとこのチンチンはまったく別物なのだけど、チンチンとて男の子ゆえにチンチンあってぬかりなしと……、我が国特有の語感的モンダイながら、看過できない影響ある単語には違いなく、ゆえのこの取っ替えが素晴らしく、

名翻訳の単語百選

 とかいった「選」があるなら筆頭にあげていいのが、このチンチン。

Tin」は錫を意味して、「Tin Toy」と書けばブリキのオモチャを指すという次第で、あちゃらでは「かわいらしい」というニュアンスも含まれ、なので英国の人形劇『サンダーバード』の主要キャラクターの娘の名も、Tintinだったんだけど、そこをHNKではティンティンに取っ替え、下世話な感触と誤解を回避している。

 語感から連想されるアレコレというのは、小さいようだけどデッカイ問題なのにゃ。

 なのでボクは密かに、「大きなチンチン問題」とこっそり思って、ゆるぎない。

 

     1991年にフランスとカナダで合同制作されたTVシリーズ版のタイトル部分

       福音館書店の大型版のシリーズ・タイトル部分

 

 ま~、そんな余談よりは、こたびの2冊、その主軸となるロケットが、良い味シミ滋味でありますなぁ。

 白と赤のチェックが、10年ぶりに見ても、

「良いね~っ」

 好感度数が落ちない。いやむしろ、10年ぶりゆえに鮮烈増加。最近のSF映画なんぞにはこのアート・テーストはほぼ皆無ゆえ、余計に、

「いいなぁ」

 と感嘆させられるんだ。

 

 実際のロケットも、ごく最近の北朝鮮のミサイルを含め、この市松模様は機体に描かれている。発射時の機体回転とかを目視するためのもので、次の打ち上げに向けての機器制御の大事な資料となるべく考案された塗り分けなのだけど、そこをアート領域に転換したのがエルジェのセンスというもんだ……

 

 かつて、70年代後半頃から活躍したイラストレーターの原田治の絵には随分とそのポップ感覚に好感したもんだけど、いうまでもなく、『タイタンの冒険旅行』シリーズの影響が、色濃い。

 氏のイラストが着目された頃は、先に記したさかたひろお訳の数冊のみが日本にはあるきりで、それもほぼ注目されていなかったらしい。

  

 悪しく云えば、エルジェが創作したその美味しい部分のみを抽出しアレンジして我が物とした、というコトになるかもしれないけど、これについては、ま~、追求するようなコトでもない。

 ロイ・リキテンスタインが自分の作品ではない新聞の通俗漫画の1コマを流用してアートに昇華させたように、原田は、エルジェが意図しなかった部分をうまく縫い合わせ、絵1枚によるアピールの強さを示しみせるというコトに成功し、逆にエルジェのそのオリジナルの強さを浮き上がらせてくれてもいる……、ような気がしないでもない。

 

     

      『ヘアリボンの少女』(1965年作品) 

      東京都美術館1995年に6億円で購入したリキテンスタインの代表作

 

 ともあれ久しぶりにページをめくり、さらに再度再度、表紙を眺めてウットリし、御馳走をたっぷり味わった気分上昇をしっかり知覚して、書棚に戻す。

 さて次は、いつまた……、取り出すかしら? 

 この手の本は図書館で借りちゃ~いけない。ま~、そのためにも書棚というものは在るわけで。

連続ミュージック・デー

 

 今期のジャズフェスを終え、一息いれているここ数日。

 裏方としての責務から解放されて、ちょっとした真空状態かしら?

 何をするのも億劫な感じ。「祭りの後の淋しさ」ではなく「祭りの後のくたびれと飽和」って~感じだな。

 

 昨日の土曜、シンフォニーホールで岡山フィルハーモニック管弦楽団のコンサート。

 3階席の高みから、ブラームス交響曲第1番やらを聴く。

 チケットを購入したものの用事が出来てしまったT氏の代理としてシートをあっためる。

 クラシック演奏を生で鑑賞するのは何年ぶりかしら?

 こういうのを聴いて、

「癒やされた」

 とか、云う気はない。そうそう簡単にヒトは癒やされるワケがないとも思っている。癒やされるという感触はかなり深淵かつ絶妙で、その感触を容易に言葉として「癒やされた~」なんて呟いてしまうのは……、イケナイと思って久しい。表現として薄っぺらなんだ。

 でもま~、旋律に身を委ねていると、ちょびっと裕福な感じは募る。代理鑑賞なのでチケット無料という意味でなく、音楽と共にいる時間のありがたみは、味わい、刻まれた。

                   

 エドワード・エルガーの「チェロ協奏曲」を聴いてるさなか、なぜか、炭火でジュ~ジュ~焼かれているサンマが念頭に浮いた。

 それにスダチをしぼり、お醤油をかけ、箸で身をほぐして、熱つつっ……、口に運んでるシーンが曲と一緒に脳内に拡がって、なんだかそのアンバランスな連想も面白かった。

 エルガーがこの曲を創ったさいも、シンフォニーホールでチェロを奏でた宮田大の脳裏にも、サンマのサの字もなかったろうハズだけど、いいのだ……、どう感じ、何を思ったかがポイント。

 我が輩の中の「チェロ協奏曲」は秋サンマの旨味とリンクし、香ばしい匂いをたててくれた。

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 翌日の今日。サンデ~。岡山神社の『岡山神社音楽祭』。

 あれまっ、2日連続の音楽ドップリだわいね。

 朝まで雨だったけど、やんで良かった。

 昨日のシンフォニーホールの空気より、こっちの和らぎが、やはりイイネ。

 クラシックはゼッタイのものとして大いに了解するけど、ソ~タイとして、神社境内での祝祭の楽音を好む。

 なんせビール呑みつつの鑑賞だし、ミュージシャンや観客席に知った顔もあって、自ずと身体も心も馴染みモード。クラシック・コンサートのヤヤ肩張った定型はなく、聴きつつ談笑し、会話がとぎれるとまたステージを眺め、足を伸ばし、くつろぐ。

 午後のビールが、うまい。焼けたサンマを食べたい気分上昇ながら、あいにくそういう出店はないんで、しかたない。

  ほぼ立ち飲みで3杯目をまもなくクリア……。

 チェロの独演。ミュージシャンの芸名は「マーマー・ヨ Jr.」。

 昨日シンフォニーホールのチェロは無論にプロのそれながら、こちらは堂々の自称チェロ歴半年。そのアマチュアリズムと、妖しいネ~ミングの発揮と揮発でもって、否応なく笑わされた。

 

 この愉しい場所を神社内に設けた裏方さん達の苦労をも、ねぎらいたい。

 おそらくは雨中の前日からの仕込み。雨はきっと止むと念じての設営だったろうけど、開催可能かしら? との不安の焦燥にさぞや炙られたであろうとも、思う。

 幸い、雨は遠ざかったわけで、そこの気苦労を含めて、

「おつかれさんでした~」

 直には云ってないけど、こっそり記しおく。

 それにしても、このデザイン秀逸。岡山神社音楽祭のフライヤーの一部)

 

 

 

 

 

 

 

冷たいご飯

 

 さてと前回は、第20回目となった『中銀前ジャズナイト』の前日に本ブログを記したわけだけど、こたび明日6日は、ルネスホールでの『Revival of JAZZ UNDER THE SKY』なのだった。

 なにゆえの「リバイバル」と訝しむ方もいらっしゃるだろうけど、コロナ以前、下石井公園での4000人規模のビッグなステージに何度も登壇してくれたShihoさん(フライド・プライドとして)TOKUさんを迎え、新たな家屋が建ってもはや大型イベントの場所でなくなった下石井公園での良きイメージを追想……、というようなニュアンス込みでの「リバイバル・ジャズ・アンダー・ザ・スカイ」。

 ルネスホールはあくまでホール。アウトドアじゃ〜ないけれど、インドアだって、空の青さとその元での活き活き音楽はイメージ出来よう……。

         

 

 なので例によって準備がため、早起きしなくっちゃ~いけない。かといって、そうヒドク早いわけでもない。ShihoさんやTOKUさんと楽屋で言葉を交わすのが楽しみだ。

 

 過日10月1日の『中銀前ジャズナイト』は、朝8時20分に会場入りで機材搬入からはじめ、アレありコレありしつつ本番は夕刻6時半から。

 想定を上廻る入場者で開場と同時に席は埋まり、立ち見の誘導やらやらで世話しなく動き廻り、片付けも含めいっさい終えたのが夜10時半。およそ15時間の長丁場。

 毎年のことながら吉野家で遅い夕飯。けど疲労困憊でメニューを眺めるのもヤヤ面倒。

「ぁりゃ、今日から牛丼も値上げなのね」

 収入は増えないのに食品がドンドン値上がりする不都合にブ〜イングしつつ、ビールと並盛りをモグモグ食べてるさなかにゃ、もう眠くっていけね~。

 

 明日はどんなアンバイで進行するんだろう? 主催の一員としていつもの通り、小さな不安と大きな期待を抱えて、いま、この時間を過ごしている。

 

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 ごく最近、江戸時代の食文化についての博士論文を読む機会があって、つらつら読み通してみるに、重大な欠落があるのに気づいて、

「詰めが、あまいぞ」

 小さくひっそり呟いた。

 同論文では、江戸庶民は「かけ飯」を食べることが多かったと指摘し、

 かけ汁を作り、飯の上から汁をかける方法である 中略) かけ飯は現在のお茶漬けの形式にして食べるようで、すでに江戸時代に流行していたようである。

 と、結んでる。

 う~~ん。そうじゃないでしょう。

 この、若い方の論文には、ご飯を炊くという行為のバックヤードとしての経済感が欠けてるんだな。

 スイッチ1つでご飯の保温が出来る今じゃ~ないんだ。

 ご飯を炊くには、がいる。

 朝炊いて、夕にまた新たに炊く……、というようなコトは江戸暮らしの庶民には、まず出来ないんだ。

 だって、山に入って薪を取ってくるなんて~コトは出来ないんだから、薪や炭は買うわけだよ。必ずしもメッチャ安いシロモノじゃ~ないんだから、1日に2度もご飯を炊くという経済的ユトリも生活のユトリも、ないはずなんだ。

 そうでなくとも江戸っ子は、見栄張って、高額な初物を買って喰らったりで、生活の中の支出バランスがヘンテコなのだ。

 なので、ご飯は朝に炊き、昼食・夕食は冷や飯というのが常だったのが江戸時代の実相だ。(夕方に炊いて翌朝は冷めたご飯を食べるというコトもあったようだ)

 

 冷めたご飯は嬉しいものじゃない。ならば、それを補う手法としての「かけ飯」が生活の工夫として出てくるのは必然であって、「流行」とかいったレベルじゃ~ないはずなんだ。

 

 時代考証を極めてしっかり押さえて映像とした『たそがれ清兵衛』では、真田広之演じる下級武士宅でも、冷や飯を「かけ飯」にして食べていた。味噌汁らしきをご飯にかけて食べていた。

 

武士の家計簿』では、下級の武家ではないけども、堺雅人演じる御算用役人の家の夕食シーンでも、冷めたご飯のようだったし、描写の仔細に徹底的にこだわった黒澤明の『用心棒』でも、宿場町の居酒屋ケン飯屋の主人が三船敏郎演じる主人公に、

「飯は冷たいぞ」

 ことわり入れて食事を出す。それをとっくに承知して主人公は、平然と、囲炉裏にかけられた鍋の芋と汁をご飯にかけて喰らうんだ。

 

 我らがキムタク主演の『武士の一分』の夕食も、シーンとして明確に示唆されてはいないけど冷めたご飯だ……。茶碗を口にあてがい、キムタクが搔っ食らうトコロからも、それが冷めたメシというのが判る。

 

 ご飯を炊くという行為には、とにかく薪が必要なのであって、費用を思えば、そうそう易々には炊かれないのがご飯なのだ……。

 なので、良く出来た論文で参考になるコト多々でもあったけど、ご飯を炊くための経済という視点が欠けていたのが、

「玉に瑕じゃな~っ」

 ひっそり、こっそり、思うんだった。

 ちなみにアナタ……、最近、自宅で冷たいご飯を食べたコト、ありますか?

 たぶん、ないっしょ~。そこが江戸時代との大きな「喰い違い」ですねぇ。

 

 さてと明日のルネスホール。どのタイミングでご飯食べようか?

 おそらく何やかんやで、イベント終了後にやっと……、なんだろうなぁ。

 ま〜、これも自分にとっては年に数度あるかないかの特殊事情の1つ。大いにそれを、愉しもう。