居間にしつらえた書棚の1ブロックに、ビートルズ・グッズを並べ、特注したアクリルケースで封印し、しばし眺め入る。
ミュージックの枠を軽々に越えて、60年代以後、文化現象という大きな枠で生息したこのバンドのリアルを、グッズというカタチの中に捉え直すのも、お・も・し・ろ・い。
そも、プラモデルになったミュージシャンというのは、彼ら4人をおいて他にない。
戦車や戦闘機じゃなく、実在の若者をパーツ分割し、ランナーから外して接着し、油性塗料(当時ホビー用の水性塗料はない)で顔や服を塗るプラモデルとして売られたんだから、たまげる。
そんなキットでも売れるキャラクターとして、60年代、彼らは存在していたワケだ。
1964年に米国レベル社が販売したプラスチック・モデル。ボクの手元にあるのは1985年の少量復刻版のジョン・レノン。1964年は彼らが初めて米国に進出した年。渡米して直ぐに出演したTV「エド・サリバン・ショー」が視聴率72%というメチャっぷり。で、4月にはヒット・チャートの上位5曲がすべて彼らという怒濤っぷり。
ゆえに硬派なプラモデル・メーカーまでが惑乱し眩惑され、フラ〜ッときちゃって、この模型……。
だからビートルズは偉大だとは思いもしないけど、その才能を後押しするタイミングとチャンスが彼らの前に到来し(むろん宣伝とかアレコレ経費をかけて当時のマネージャー、B・エプスタインがヒットを仕掛けたコトはまちがいないけど)、それらを呑み込みつつ、さらなる高みあるアルバムを出しては、結果、さらなる文化現象を引き起こしたバンドというのは他になく、そこが特筆すべきなビートルズの特性だ。
ティーンエイジャーのアイドルから僅か数年で、彼らは哲学者めいた風貌にもなり、辛酸なめつつもさらに改たなポップ・カルチャーの旗頭になっていくワケだけど、かえすがえす、驚くべきコトだったと、今、居間においたグッズ達を眺めて、溜息をつく。
ローリング・ストーンズやら、ロキシー・ミュージックやら、、D・ボウィやら、大瀧詠一やあがた森魚やらやら、数多、ボクが大きな影響を受けたミュージシャンはあれど、こうしてフィギュア化されたグッズを並べるようなコトはしないし、グッズがあっても、まったく欲しいとも思わない。
D・ボウィのフィギュアも、ミック・ジャガーのフィギュアも、何も意味がない。
けどだ、ビートルズに関しては別だ~ね。
アイコンというかイコンだ。
サブ・カルチャーという名も与えられぬ存在でしかなかったはずの彼らが、さらにその裾野の、よりマイノリティなフィギュアや模型などなどのカルチャーズどもを巻き込んで、側道から一気に本道への歩行へと、メインだった既成カルチャーになだれ込ませたわけだ。
その60年代にジョン・レノンが、
「キリストより自分らが有名でしょう」
と発言したというコトで米国やらで激烈な不買運動が起き、彼らのレコードをナチスの焚書のように束にして燃やすというような事件も起き、4人はナンギし、大衆という名で展開する付和雷同の糾弾の怖さをたっぷり味わい知らされもするけど、顧みると、それもが、まさにキリスト的立ち位置に置かれ、文化現象の頂点に立たされた彼らの悲劇であり喜劇でもあって、それもをイコンとしての身として受け取る以外にない宿痾を背負った、未曾有な“カルチャー現象の渦中の人達”だったワケだ。
そこまでの“騒動”を彼ら自身が演出できるハズもなく、ビートルズ現象は彼らの意向をポ~ンと越えたところで野火みたいに拡大拡散したんだね。
そこがおもしろいし、グッズ化されたモロモロの意味も顕わになってくる。
90年代に販売された米国の老舗メーカーAMTとポーラー・ライツのプラモデル
彼らの楽曲と映画をモチーフにした、ロンドン土産を意識の英国CORGI TOYのミニチュアカー。「ラブリー・リタ」のモチーフとなった交通取締りのリタさんがフィギュア化されて、あ・ぜ・ん。
ついつい最近、武道館での彼らの演奏に対して当時の警察が撮っていた、その時の警備状況を撮影した「幻の映像」(16ミリ白黒映像・36分弱)が、情報公開請求でやっとこさ公開されたけど、公開にあたって警視庁は徹底的にモザイクをかけた。
毎日新聞が伝えた映像はたぶん今も視聴できると思う。https://video.mainichi.jp/detail/videos/%E6%96%B0%E7%9D%80/video/6312782884112?autoStart=true
これをみるに、1966年6月末の武道館からもう56年も経つのに、いったいゼンタイ、何に配慮してモザイク映像にしてるんだか? (見れば判るが、ジョークかと思うほどモザイクかけてる)
現在の警視庁そのものが、当時のビートルズ文化現象にタイムスリップし、過剰加担して、ある意味でこれは、文化事象の継続的好例(悪例か)とも……、思われる。結果として、そのモザイク化ゆえにビートルズ伝説をいっそう強化しているワケだ。
56年も前のことなのに、過度に意識して、古~いフィルムに過剰極まる反応を起こしてるんだから、もはやブラックなジョークだけど、これがビートルズ神話の“底辺”にある基板の1つなんだろうなぁ。
まったくヘンテコリンで、おもしろい。
ま~ま~、そういう次第もあって、Blu-rayで『マジカル・ミステリー・ツアー』を眺める。
当時は、概ね否定的に捉えられたTV映画だけど、ヘンテコっぷりの徹底した独走が素晴らしい。
(ま〜、それゆえに当時は評価されなかったんだね。既存なモノじゃ〜なかったワケで)
ボクが高1の頃か、実は岡山でも、お昼の時間帯だったかTV放映されている。カラー作品でありながら英国では白黒でゴールデン・タイムに放送され、そのまま日本でも白黒放送だったとも聞く。当時の我が家は白黒TVだったので、色があったかどうか以前なのだけど……、ジョン・レノンがテンコ盛りのスパゲティと格闘するシーンや、ストリップショーを見てジョンが異様なテンションでニヤニヤしている辺り……、けっこう鮮明におぼえてる。
カラフルでヘンテコリンのツアー・バス
突然出て来るカラフルなマジカル・ミニ
100年ほど先でも、やはりビートルズは聴かれ、古典の風格も伴っているだろうけど、1960年辺りからの50年ほどの事は、このバンドがもたらした社会現象もからめられて、
「想定外のヘンテコな時代だったらしい。でも美しい楽曲も生まれる……」
と、たぶん思われるんだろうな。まぁ、それで概ね、よろしいですが、ヘンテコリンを愉しむ気分も、“否応なく”濃い時代だったと追記あってもイイな。