ビートルマニア

 

 居間にしつらえた書棚の1ブロックに、ビートルズ・グッズを並べ、特注したアクリルケースで封印し、しばし眺め入る。

 ミュージックの枠を軽々に越えて、60年代以後、文化現象という大きな枠で生息したこのバンドのリアルを、グッズというカタチの中に捉え直すのも、お・も・し・ろ・い。

 

 そも、プラモデルになったミュージシャンというのは、彼ら4人をおいて他にない。

 戦車や戦闘機じゃなく、実在の若者をパーツ分割し、ランナーから外して接着し、油性塗料(当時ホビー用の水性塗料はない)で顔や服を塗るプラモデルとして売られたんだから、たまげる。

 そんなキットでも売れるキャラクターとして、60年代、彼らは存在していたワケだ。

 

 1964年に米国レベル社が販売したプラスチック・モデル。ボクの手元にあるのは1985年の少量復刻版のジョン・レノン。1964年は彼らが初めて米国に進出した年。渡米して直ぐに出演したTV「エド・サリバン・ショー」が視聴率72%というメチャっぷり。で、4月にはヒット・チャートの上位5曲がすべて彼らという怒濤っぷり。

 ゆえに硬派なプラモデル・メーカーまでが惑乱し眩惑され、フラ〜ッときちゃって、この模型……。

 

 だからビートルズは偉大だとは思いもしないけど、その才能を後押しするタイミングとチャンスが彼らの前に到来し(むろん宣伝とかアレコレ経費をかけて当時のマネージャー、B・エプスタインがヒットを仕掛けたコトはまちがいないけど)、それらを呑み込みつつ、さらなる高みあるアルバムを出しては、結果、さらなる文化現象を引き起こしたバンドというのは他になく、そこが特筆すべきなビートルズの特性だ。

 

 ティーンエイジャーのアイドルから僅か数年で、彼らは哲学者めいた風貌にもなり、辛酸なめつつもさらに改たなポップ・カルチャーの旗頭になっていくワケだけど、かえすがえす、驚くべきコトだったと、今、居間においたグッズ達を眺めて、溜息をつく。

 

 

 ローリング・ストーンズやら、ロキシー・ミュージックやら、、D・ボウィやら、大瀧詠一あがた森魚やらやら、数多、ボクが大きな影響を受けたミュージシャンはあれど、こうしてフィギュア化されたグッズを並べるようなコトはしないし、グッズがあっても、まったく欲しいとも思わない。

 D・ボウィのフィギュアも、ミック・ジャガーのフィギュアも、何も意味がない。

 けどだ、ビートルズに関しては別だ~ね。

 アイコンというかイコンだ。

 サブ・カルチャーという名も与えられぬ存在でしかなかったはずの彼らが、さらにその裾野の、よりマイノリティなフィギュアや模型などなどのカルチャーズどもを巻き込んで、側道から一気に本道への歩行へと、メインだった既成カルチャーになだれ込ませたわけだ。

 

 その60年代にジョン・レノンが、

「キリストより自分らが有名でしょう」

 と発言したというコトで米国やらで激烈な不買運動が起き、彼らのレコードをナチス焚書のように束にして燃やすというような事件も起き、4人はナンギし、大衆という名で展開する付和雷同の糾弾の怖さをたっぷり味わい知らされもするけど、顧みると、それもが、まさにキリスト的立ち位置に置かれ、文化現象の頂点に立たされた彼らの悲劇であり喜劇でもあって、それもをイコンとしての身として受け取る以外にない宿痾を背負った、未曾有な“カルチャー現象の渦中の人達”だったワケだ。

 そこまでの“騒動”を彼ら自身が演出できるハズもなく、ビートルズ現象は彼らの意向をポ~ンと越えたところで野火みたいに拡大拡散したんだね。

 そこがおもしろいし、グッズ化されたモロモロの意味も顕わになってくる。

 

       90年代に販売された米国の老舗メーカーAMTとポーラー・ライツのプラモデル

 彼らの楽曲と映画をモチーフにした、ロンドン土産を意識の英国CORGI TOYのミニチュアカー。「ラブリー・リタ」のモチーフとなった交通取締りのリタさんがフィギュア化されて、あ・ぜ・ん。

           イエローサブマリン関連のブリスターパック

 

 ついつい最近、武道館での彼らの演奏に対して当時の警察が撮っていた、その時の警備状況を撮影した「幻の映像」(16ミリ白黒映像・36分弱)が、情報公開請求でやっとこさ公開されたけど、公開にあたって警視庁は徹底的にモザイクをかけた。

 

 

 毎日新聞が伝えた映像はたぶん今も視聴できると思う。https://video.mainichi.jp/detail/videos/%E6%96%B0%E7%9D%80/video/6312782884112?autoStart=true

 これをみるに、1966年6月末の武道館からもう56年も経つのに、いったいゼンタイ、何に配慮してモザイク映像にしてるんだか? (見れば判るが、ジョークかと思うほどモザイクかけてる)

 現在の警視庁そのものが、当時のビートルズ文化現象にタイムスリップし、過剰加担して、ある意味でこれは、文化事象の継続的好例(悪例か)とも……、思われる。結果として、そのモザイク化ゆえにビートルズ伝説をいっそう強化しているワケだ。

 56年も前のことなのに、過度に意識して、古~いフィルムに過剰極まる反応を起こしてるんだから、もはやブラックなジョークだけど、これがビートルズ神話の“底辺”にある基板の1つなんだろうなぁ。

 まったくヘンテコリンで、おもしろい。

 

   

 ま~ま~、そういう次第もあって、Blu-rayで『マジカル・ミステリー・ツアー』を眺める。

 当時は、概ね否定的に捉えられたTV映画だけど、ヘンテコっぷりの徹底した独走が素晴らしい。

 (ま〜、それゆえに当時は評価されなかったんだね。既存なモノじゃ〜なかったワケで)

 ボクが高1の頃か、実は岡山でも、お昼の時間帯だったかTV放映されている。カラー作品でありながら英国では白黒でゴールデン・タイムに放送され、そのまま日本でも白黒放送だったとも聞く。当時の我が家は白黒TVだったので、色があったかどうか以前なのだけど……、ジョン・レノンがテンコ盛りのスパゲティと格闘するシーンや、ストリップショーを見てジョンが異様なテンションでニヤニヤしている辺り……、けっこう鮮明におぼえてる。

   

             カラフルでヘンテコリンのツアー・バス

   

                突然出て来るカラフルなマジカル・ミニ

 

 100年ほど先でも、やはりビートルズは聴かれ、古典の風格も伴っているだろうけど、1960年辺りからの50年ほどの事は、このバンドがもたらした社会現象もからめられて、

「想定外のヘンテコな時代だったらしい。でも美しい楽曲も生まれる……」

 と、たぶん思われるんだろうな。まぁ、それで概ね、よろしいですが、ヘンテコリンを愉しむ気分も、“否応なく”濃い時代だったと追記あってもイイな。

 

 

 

粕汁とやまんば

 

 12月に入った途端、やったらと寒くなりましたねぇ。

 過日には、石山公園で「プロジェクト・ゼロ」という岡山大学の授業の1つで、「石山公園一帯で継続的に展開できるサービスを提案する」というプレゼン発表の場があって、これは拝聴すべきと思っていたんだけど、やたらに寒くって、屋外で、それも夕刻の2時間近くは、耐えられないんじゃなかろうか? 厳寒ただ中の2月ならまだしも、12月に入ったばかりでもうこの寒さ、身も心も準備出来てないよ~。

 結局、出向くのを断念……、大きな良きチャンスを自ら破棄したようで、こういう後退決断はアトに尾をひく。

 でも、寒いっからねぇ。室内イベントじゃない屋外の公園という環境は、かなりツライんだぁ~ね。

 それで、天秤の両端で、行かなかったコトによるマイナスとプラスが、ユ~ラユラとブレ続けて、しばし停まらなかった。

 

 ちなみに、亜公園があった明治の半ばには、石山公園というパブリックな施設というか場所はなく、はるか後年の昭和14年の精密市街図でも、そこはただの土手の延長のような“空き地”で、岡山城本丸界隈に向けての旭川の流れを、L字型に蛇行回避させる水流調整のポイントなのだった。

      

 河川改修が幾度もあり、さらには近辺の道路や土地もなだらかにされたりで、その辺りの消息は、今はもう判りにくいけど宇喜多直家の頃より、旭川の流れと、それに拮抗する高さのある丘であったのが、この石山と天神山、さらには今の城がある場所なのであって、鳥瞰すれば、岡山という地名は、その3つの「丘山」が語源の根ッコにあるような……、そう想像してもイイような感じが、濃い。

 

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 寒いと、アツアツの粕汁をすすりたくなる。

 鮭、ポーク、にんじん、だいこん、アゲ、やまいも……、何が入っても構わないから、とにかく粕汁酒粕の風味が寒さを忘れさせてくれる。

 

      

 

 で、なぜか子供の頃から、粕汁と耳にすれば、「やまんば」を想起するのが常体になっている。

 

 ボクが初めて読んで接したのは坪田譲治がリライトした『牛かたと やまんば』で、牛かたというのは牛に荷を積んで運送する人をいうけど、その彼が峠でやまんばに遭遇だ。

 やまんばは牛かたが運んでいた鯖を「くれ~」とにじり寄り、牛かたはやむなく1匹を投げあたえるけど、やまんばはすかさず食べて、「もっとくれ~」と次々に鯖をたいらげ、ついには牛まで喰らう。

 で、「おまえも喰わせろ」と迫り寄る。最悪の山の鬼女……。

             日本童話集(講談社 S35年刊)の坪田版の挿絵

 

 牛かたは懸命に逃げ、けれど山中深くに迷いいってしまい、行き着いたのが一軒のぼろ屋。

 実はやまんばの住まいだ。

 牛かたはやまんばが帰ってくるのを察知すると、天井に登り、梁に身を縮める。

 やまんばは囲炉裏に鍋をかけてグツグツと甘酒を煮るが、牛かた探しでチョットつかれたか、囲炉裏の前でウトウトしちゃう。

 牛かたは腹が減ってもいるので、天井裏のカヤを抜き、それをソ~っとおろして長~いストロー。意外なホドにうまい甘酒を全部すすりあげて、ごちそうさん……。

 

   

 その甘酒がボクの中では粕汁に変じて、久しい。

 なんでそうなったかは判らないけど、中学生の頃にはもう、帰宅して夕食が粕汁と知れると、やまんばの姿が念頭に浮くんだった。

 なので粕汁となれば常にやまんばが意識され、やまんばを思い出すと粕汁が脳裏をかすめるという次第で、粕汁とやまんばがセット・メニューになっている。このセットがゆえに粕汁がいっそう美味しくなるんだから、ま~、イイじゃ~ないの。

 むろん、粕汁をストローで吸うようなコタァしない。そもそも具は吸い上げられないワケで。

 

 ちなみに坪田譲治版のやまんばは、木のからと(米びつみたいなボックス状の寝間)に入ってすっかり寝込んでしまったがゆえ、天井から降りて来た牛かたにも気づかず、熱湯を浴びせられ、あえなくご昇天となってハナシは終わるんだけど、牛かたが被った被害の復讐とはいえ……、どこか微かに、やまんばが気の毒なような気がしないでもない。

 大切な牛1頭と荷の鯖を全部喰われ、さらに牛かたも喰われそうになったとはいえど、その罪と罰の天秤バランスがいまひとつ、いまだに実はしっかりとは了解できない。

 牛かたの、これは過剰なリベンジ劇じゃ~ないかしら? とも思ったりし、もしも、やまんばの親族が訴え出たら現在の裁判所では、本事件を審査して、どのように判決をくだすか……、粕汁食べつつ想像の羽根をバッタバタバタさせるのもまたオツなもの。

 

 けど今夜は、粕汁じゃ〜なくって、この前の高知で買ったのを使って鍋。

 youtubeで「アゼルバイジャンの料理番組」眺めつつ、3合ばかり呑んでホンワカあったまる。

     

 

高知への旅

 

 

 昨年11月末の今頃、高知にツア~し、その数日後にマイ・マザ~が没した。

 小康ゆえ安心したのがいけなかったのか……、ともあれ天と地の明暗を味わった。

 で、今年。

 マザ~の一周忌。

 坊さんの経で法要、DIY改装したかつてのマザ~の部屋で弟夫妻やその子供達と会食。

 もう1年が過ぎたのかと、歳月の流れの速さをシミジミ。

 

 この法要を済ませた翌日、また高知方面に旅をした。

  今年は4月にも出向いているから2度めになるけど、マザ~没してちょうど1年というタイミングなのでヤヤ感慨深くあり、車窓に流れる風景にチビチビと1年前を思い出したり……、した。

 

 例によって讃岐で高速を降り、朝イチバンのうどんをチュルチュルチュル~。

 厚揚げが値上がりしていたものの、それでもトータルで450円。500円出せば50円お釣りなのだから、ありがたい。

 さすが、うどん県。朝っぱらから入店者次々。ササッと食べてはササッと出てく。

 月曜の朝だ。皆さん、食べ終えてそのまま会社に向かうのだろうけど、岡山じゃ見られない光景。

 

 こちらも移動。前々回に、見たことのない食材を買った道の駅に出向くものの、あいにく休業日。それでルートを変え、高知市内「とさのさと」で、同じモノを買う。

 タケノコにしか見えないけどサトイモの一種。岡山では売っていない。

 品名として京芋ともタケノコイモとも呼ばれているようだけど、どっちがホントの名かしらん。

 前回は輪切りにし、フライパンで熱して焦がし、バターたっぷりのせて食べて美味しかったけど、こたびはどうしようかな?

 スリ潰し、イチゴのジャムとかとあわせてオーブンで焼いて、スィート風なのを造ってみても良いかしら?

 空想が拡がる。ま~、たいがい、そういうコトしないけど。

 

 

 高知行きのたびに出向く中土佐町。湾岸の丘の上の黒潮本陣。

 眼下に波おだやかな海。初夏のような日差し。

 テラス席で例によっての、鰹のたたき。

 

 

 ここでしか味わえないワラ焼きの、その風味。濃厚なバターを口にふくんだような、滋味の深さと毎度感じる鰹の新鮮さの、その更新に眼も口も悦ぶ。

 7ヶ月ぶりの旨味シミジミ~ヘンドリックス、ビールがやたら旨い。

 

              カマスとサバも七輪で焼く

 

 食後、黒潮本陣から近い久礼(くれ)の西岡酒蔵へ。

 なんせ創業は1781年天明元年-江戸時代中頃)。230年以上も前から酒造り一筋。高知で1番に古い蔵元。

 見学も出来るというので、参じた。

 

 

 母屋の佇まい良し。展示の品々も良し。試飲した酒の滋味も良し。

 という次第で自分用を数本買う。

 

 正月用と日常用と、そう決めたワケじゃ~ないけれど、ことさら正月を意識したのは、「暮れ」と「久礼」の語呂合わせ感覚ゆえか?

 ま~、そんなコタァどうでもよろしい。美味そうなお酒を持ち帰る悦びが、とにかく大きい。

 当然に必然として正月は酒を呑む。タコもあげずコマも廻さないけど朝から呑む。朝から呑んで誰からも咎められない。ぁぁ、早くこいこいおっ正月♪ って~なもんだ。

 

 酒を仕入れた後に久礼から移動。アチャラにコチャラと探訪し、遅い時刻、香川まで戻って、これまた定番行きつけの店へと出向いてみれば、なんとそこも休業日。

月曜はダメよ~

 同行者らとやむなく苦笑しあい、どってコトのない店で夕食。

「次は月曜以外にイコか~」

 と、また笑った月曜の夜。瀬戸大橋を渡るさなか、左の低い位置で、黄金色した上弦の月もニッカリ笑ってた。

 

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 うどんの厚揚げ、タケノコ山芋、などなど……、いずれも値があがっているのが残念というか、時代の波が隅々まで浸透しているんだなぁ〜、と実感させられたけど、収支バランスが崩れているのは良くないねぇ。その上で大増税の声。一方で増税は不人気ゆえ、防衛費確保にまたぞろ赤字国債発行という愚策の浮上。大学キャンパス内での宮台氏への暴力事件などなど、届くニュースがいずれもダークなのがまったくねぇ……。

 

 

The Man from PLANET X

 

  某日、でっかいサイズのDIY用資材をまたぞろ柔道家の車で運び、そのあと、瀬戸内市邑久町にデミカツを食べにいく。

 国境いに長いトンネルがあるでなく、車でわずか20分もかからずなので、他市に出た感じはゼロながら、同店駐車場には他県ナンバーの車も停まり、なるほどユーチューブで紹介された店だけあって遠方からもヒトがやって来るんだね……、感心する。店名はマルバンね。

 デミカツも良かったけど何よりラーメンのお汁が良く、一口すすっただけで、メリとハリが背筋を伸ばして熱いダンスを踊っているのがわかって、

「ぁ、うまいじゃん」

 ビールで舌を冷却し、また熱々をすするというのを繰り返して堪能、デミカツ食べようというのが1番だったのに、気づくと2番になっちゃった。

 

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 ボクが生まれる以前の、1950年代初期の英国製SF映画『The Man from PLANET X』。

 白黒の低予算映画で、大道具小道具の準備が整うや、撮影はわずか4日で終えたという早撮りランク上位の1本。

 

   

 

 カルト・ムーヴィーとして英国では知られているようだけど、この作品に出てくる宇宙人の模型を持っている。

 30年ほど前、キャラクター系模型を商いの中心にしていた頃に付き合いのあった英国の小さなメーカーの社主氏からギフトされたもので、

「日本でこの模型の存在を広めてくれよ~」

 という次第だった。だけど、当時は本作の名を知っている程度で、VTRも売ってなく、広めるもナニもあったもんじゃ~なかった……。

 キット状態なので、組み立て、その頃に画材屋で売りにでた塗料+酸化剤、2液を用いて錆び表現やブロンズ風味を醸せるというペイント剤の実験に用い、以後、久しく放置プレーのお蔵入り。

 この宇宙人氏の実際のカラーが判らず、あえてカラー情報不明の仕様にしたというワケなのだけど、それが……、我が住まいを改造のさなか、棚の奥から2体、ホコリをかぶって出て来た。

 

 経年で接着部分が剥離していたり、しかけていたり、状態はヤヤかんばしくない。

 ヘッド部分はクリア・パーツで、内部に豆球が入って頭全体がボワ~っと光る。当初は白だったけど経年ですっかり黄ばんでる。でも、これが逆に良い雰囲気を、レトロな風合を醸しているような気がしないでもない。

 

 インターネットで検索してみるに、近年、当時のこの映画関係者が当時の宇宙人の姿を1/1で再現したという情報も、ある。

「ふ~ん、ホンマはこういう色なのかぁ……」

 あれこれの情報が溢れ流れる時代になっているのを再実感。歩くのをやめて、ホホ~ッと眺めいるような感を、うけた。

         

 

 ちなみにこの宇宙人は、善人で、地球人との友好を求めてやってきはったんやけど、最初に遭遇した若い女性がギャ~!と叫んで大騒ぎ。

 なんや、なんや、どないしたんや?

 ケッタイなやっちゃ、いても~たれ!

 彼女の周辺のオトコどもが血気燃やして宇宙人氏をボッコボッコ。

 やむなくカレは自衛の武器を持ちだし、

 あんたら~とは、つきお~てられへん

 男どもを追っ払うや、すたこらさっさ、宇宙に戻っていって、ジ・エンドだ。

 なるほど、カルトに価いするムーヴィーだわいね。ワケわかんないモノや者を排除したがる昨今をいみじくも70年ほど前に描いていると、云えなくもない。

 ぁあ、いやいやそうじゃ~ないですな。70年前も今もさほど変わらんのがニンゲンだ。

 

 ま~、そんな次第あって、部屋が片付いたら……、この2体を塗り直してみようかなぁ~、密かに思ったりもしたのでした。

 何やかやとヤラナキャ~いけないコトが積もってるんで、たぶん実行には至らないだろうけど、リメ~ク気分が豚骨スープみたいに濃厚。

 でも、リアルな色が判ったとはいえ、それに近似るようガンバラない方がいいかも。いっそむしろ、当時の人工彩色されたスチールの色使いの方が、1951年の映画製作時の気分が反映されるのじゃないかしら? 

 再ペイントはあえてこのカラーだな。

 

 

どうしようかしら

 

 

 岡山市より、5回目となるワクチン摂取の案内状が届いている。

 悩ましい。

 またぞろ感染者数が増加しているワケだけど、こたびのは副作用も大きいと聞くし、数ヶ月置きでの5回目というカウントも、

「もう、面倒~ッ」

 って~な感触が、池に投げ込んだ石がもたらす波紋みたいに拡がっている。

 

 たまさか、我が友の柔道家が1週間前、こちらは4回目摂取という次第だったけど、副作用に見舞われ、とってもナンギしたとの報告。

 彼の場合、注射されるたびに、ひどい副作用がおき、2~3日は腕の痛みと共に吐き気やら倦怠感やら、沼に沈んでいくみたいなゲンナリを味わう。

「やってられませんわぁ~」

 屈強であるはずの大男も、ぼやく。

 

 ま~、柔道家の難渋もさることながら、我が身として5回目の注射を受けるべきか……、悩ましさがつのる。

 摂取すべきという見解が多数のようじゃあるけれど、インフルエンザ予防接種とても過去1回こっきりしかヤッたコトがないし、それで困ったワケもないんで、

「も~、いいかぁ」

 イソップ物語の「狼が出たぁ~」じゃないけど、コロナの怖さより、ワクチンに振り回されて、「辟易」と書いた粒々がまとわりついたような現状から、逃れたい気が、あ~りあり。

 

 一方で、今日まで感染しなかったのは4回のワクチンのおかげかも……、という気分もまたヒッソリとは有るワケで、要は、眼も鼻も五感がコロナウイルスには直に対応出来ないという、なぁ~んもホンマの所が判らんチ~ンの、そのまどっろこしさがペケの最大原因なんだろうなぁ~、などとポンヤリ思ったりもするんだった。

 

 ま~、何もかも判っている世界より、何だかよく判らんコトだらけの世界の方が、“知”と“痴”がうずいて“恥”をくすぐってよっぽどオモロイという云い方も出来なくはないけど、いっそ跳躍し、リラダンが『未来のイヴ』で描いた人間人形を、近年では押井守が『イノセンス』でアニメーションし、肉体からは解放されている精神存在としてのニンゲンというカタチを見せてくれて……、その活性にごく少量ながらチラ~っと憧憬するようなトコロもなくはないのだった。“義体”という形ゆえの別種のウィルス浸食による脆弱さも同作はしっかり描いているにせよ、心が身体という呪縛から解放された状態のカタチには、ひかれる。

 ともあれ以上をグダグダ思っている根本に、

「注射イヤだぁ〜」

 タンジュン明快な理由が横たわっているのも事実ですなぁ……。

 

二胡 ロック・シーン

 

 マザ~が晩年を過ごした部屋の改装を概ね終えると、余波として隣室の大きめな部屋の改装というかイメージ・チェンジを余儀なくされる。

 不思議なもんで、部屋と部屋というのは別個空間だけども断絶した箱じゃ~なくって、連続と継続、大小の糸でつながっているんだねぇ。

 くわえて家具の移動やら加工も有り、連鎖として今度はその大きめの部屋の衣替えを行いはじめている。

 かといって、確固とした空間イメージはまだ沸きっていない。

 変更可能の箇所やモノと、そうでない部分とモノとを、どう更新させていくか、眺めては溜息をつく。壁に埋め込まれたスピーカーなんぞがその代表格。

 このあたりの消息を、あえて音楽的に云うなら、クラシックのように各楽器パートいっさい何もかも、その音符を整然と置いての融和じゃ~なく、いっそジャズやロックの、次の音がどう出るか、どう来るか……、みたいな一手先が予想できないままの進行なのだ。

 念頭に浮いた室内イメージが、作業のさなか、向きが変わったり、時に発作的に、「そうじゃなく、こ~しちゃえ」みたいな突発が起きて、そこがま~、かなりオモチロイのだ。

 それで気づいた。

 こういう状態を、光景としては、ロック・シーンと云うんだな。

 ライブ・ハウスでのサウント空間だけがロックじゃなく、こんな私的な室内転換作業にも、ロック的な、あるいはジャズ的な即興が頭角して、そこがクラシカルなそれとはまったく違う醍醐味なのだった。

 

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 過日の日曜。

 K夫妻に招待され、岡山市民会館にて二胡のコンサート。

 二胡に関しては詳しくもない。せいぜい、坂本龍一の『ラスト・エンペラー』やアルバム『BEAUTY』での印象があるきり。

 けど、印象はずいぶんに濃くって、なのでこたび誘われ、大いに悦んだ。

 

 

 中国生まれ日本育ちの二胡奏者、楊雪(ヤン・ユキ、Yang Yukiのコンサート。

 K夫妻は彼女と親交深くって当日は裏方だ。

 感謝しつつ座席にうずくまり、音色を堪能。

 出演者多数に驚きつつも、中国音楽での二胡の正統性と彼女の独自性がうまく融和し、この楽器の奥行深度を味わわせてもらえた。

 ゲスト出演者が多すぎて逆に彼女の魅力を薄めていたのが、チビリ残念で、一元さんの我が見解としては、彼女の二胡演奏に特化した方が断然に良いステージになったろうにと……、こっそり思ったりもしつつ、彼女が日本と中国、この2国の融和を願っているのはそのトークでよ〜く判った。

 

 いま政治的に中国と日本はかんばしくない状態ながら、楊雪とバンドの音色に身を委ねていると、そういう状況が実に馬鹿馬鹿しい「空疎な現象」に過ぎないとも感じた。

 けっきょく政治とそれに伴う先方を冷視したくなる心の動きは、ジャズやロックの柔軟に遠く、硬直して鮮やかさに遠く、衝突に見せて実は融和しようと常に戦慄的に旋律している音楽のゼッタイ的良性を持たないんだね。

 ナンギなこっちゃなぁ。

 

 

 こたびは宇野バスに乗って出向いたのだけど、下車直前にひどい雨になった。

 城下のバス停から市民会館まで数百メートルながら、カサを持たないから、

「こりゃ~ビッショ濡れだなぁ」

 弱音を呟いておりかけると、

「カサ、お出ししましょうか」

 やや若い運転手さんが声をかけてくれた。

 運転手さんにカサをもらったのは産まれて初めてだ。

 それでメチャメチャ助かった。

 タダの運転手じゃなく、彼は慈悲の神さんだったやも……、ありがたみをシミシミさせつつ市民会館まで歩いてった。

 コンサートを味わい、以上を帰りがけ、タクシーの運転手さんに話したら、

「タクシーでも、忘れ物のカサって驚くホド多いんですよ。中には、忘れたフリして置いてっちゃう方も……」

 とのコトだった。

 ともあれ宇野バスのドライバー氏と招いてくれたK夫妻に感謝しきりの夜だった。

 

つくもがみ

 

 ガレージに大型粗大ゴミをまとめ、市の依頼を受けた業者さんが引き取りに来るのを、待つ。

 背丈が高い書棚は運び出すのが面倒なので事前に分解している。

 まだまだ使えるけれど、そぐわないモノ達……

 

 インドアからアウトドアへと持ち出して有料回収券を貼ってるうち、「付喪神」を思い出した。

 つくもがみ、と読む。

 平安時代から室町時代にかけて登場した妖怪たち。

 立春のすす払いでニンゲンに捨てられた道具達が妖怪に変じ、一同集結して夜中に行進したりする。「百鬼夜行絵巻」なんぞでお馴染みだ。

 個体としてではなく、古道具が変じたものの総称が「つくもがみ」。

 

             捨てられたモノ達がやがて化ける……(付喪神繪より)

 

 江戸時代の写本『付喪神記』では、

「多年、家々の家具となりて、奉公の忠誠を尽くしたるに、させる恩賞こそなからめ、あまつさえ路頭に捨ておきて、牛馬の蹄にかかること、恨みの中の恨みにあらずや。詮ずるところ、いかにもして妖物となりて、各々、仇を報じ給え」

 と、ゴミにされた道具の誰かがアジテーションする。

 それを契機に、鎧やら兜、弓や太刀などの武具や、琵琶、琴、笛、太鼓、鏡、火鉢、茶碗、箪笥、などなど、捨てられた道具たちが一斉決起し、奇怪なスガタになって夜の路地を練り歩くんだ……。

            捨てられた数珠が妖怪化している図(付喪神繪より)

 平安時代鎌倉時代には、その行列に遭遇すると死んじゃうとか……、かなり真摯にマジに怖れられた存在ながら、室町時代が深まるに連れ、恐怖度は薄れ、いっそ滑稽なもののように描かれる。

 出没傾向が著しく高くなるのは室町時代ながら、その室町時代の途中あたりから今度は出没頻度もさがる。

 

   

              子供用の騎馬玩具や急須なんぞが化けちゃってる

 

 鎌倉時代にはまだまだ未成熟だった商品経済が、室町時代にはグィ~ンと進み、新しい道具が次々に出てくるようになる。

 そうなると、「新」が「旧」を駆逐するようなアンバイとなり、“古道具”という単語も定着するようになる。

 ニンゲンの生活変化が起きているワケだ。

 無論に下克上の時代ゆえ政治的に安定しているワケもないのだけど、モノ造りの生産性と流通の拡大が、けっきょくは、道具にも魂的なものがあるという観念を薄れさせて、妖怪の入る隙を埋めてったぁ~ワケだ。

 室町時代が日本のルネッサンス期と云われるのは、それまでの、霊的モノノケに怯え、それが生活の規範根底にあった「旧感覚」から「新規感覚」への移行ゆえだろう……。

 この新感覚の跋扈ゆえに、室町時代半ば以降に描かれた「百鬼夜行」の絵では、付喪神と化した古道具たちの行進は夜明け前のいっときに限られ、いまどきのハロウィーンの若者みたいに一晩中騒乱はしないのだった。

 恨み晴らしの唯一のメッセージ的行為である行列行進も時間限定に追いこくられ、存在アピールの幅をも狭まれて、付喪神はいわばニンゲンのコントロール下、手ならずけられた弱き存在に落ちてしまうワケだ……。

 顧みると、ちょいっと気の毒じゃ~、ある。

 

 我が宅から出した粗大ゴミも、むろん妖怪にはならないでしょう。

 けども、チビッとは……、

「捨てて申し訳ないっす~」

 こたび廃棄の諸々に向けて詫びるような感触も、なくはないのだ。

 モノは大切にする方ではあるし、さっこん流行りの断捨離にも諸手挙げて賛同もしないけど、我が生活にそぐわないモノモノと暮らすワケにもいかんので、これだけはま~、しかたない流れ……。

 モノは怨嗟の声をあげるでなく、まして妖怪に変化するコトも令和時代の今はなく、本の中の「過去形の文芸存在」として絶滅危惧種のように生息しているのが、その付喪神なのだった。