今年ファイナルのライブ

 

 光陰矢の如し

 と、初めて云ったのは、1300年前の大昔、唐の時代の詩人、李益(リ・エキ)という人物が有力らしいけど、時間とヒトの組み合わせを実にうまく顕したもんだ……。

 2025年も終わり。アッという間に1年が過ぎた感が濃厚。

 年齢を重ねると、この感覚が濃くなる。チッと侘しくもあるけどシャ~ない。

 おそらくリ・エキさんも、時間と年齢の加速関係に気づき、上記の言葉を刻んだと思う。自身の哀切の情はからめず、嘆くでなく、あえて淡々に「矢の如し」とだけ。

     _____________________________

 今年ファイナルのライブは、城下プチパインでのDATE SOLO

 岡山在住のプロフェッショナル・ギタリスト Fuminori Dateの単独ライブ。

    

 ずいぶんと近しく接し、とはいえ、「おかやまマラソン」のオープニング・アクトも努める彼のライブ活動を全て追っているワケでもないのだけど、そのオリジナル曲、アンビエントなメロデイとそれを奏でる演奏力と真摯な態度に敬服して、久しい。

 声音は小さいが音楽へのアプローチはでっかく、呼吸に自然体な音楽が滲んでいて素晴らしい……、と当方は勝手に思い決めている。

 身近に、彼と、彼の曲があるのを悦びとして、久しい。

 

 12/28の午後、プチパインでの素晴らしい環境での演奏は、我が2025年を締めくくるナマなミュージックとして、すこぶるヨロシく、待望というか、これで決まりだ~、というか、締めの場所、括りの音楽として当方には、「忘年」と「望年」を濃く意識させられる次第でもあった。

 後半部は多彩なゲストが入り、ギター奏者の先生としての側面が強調されて、当方が思っていたソロ・ライブとは違うカタチとなって意表をつかれ、「ありゃま」と、単独でないのを密かに残念に感じもした。どっぷりDATE MUSICに浸かりたかったワケで……。

 数年前にプチパインにDateを連れてったのは当方ながら、プチパイン・オーナーと彼が東京の同じ学校の同窓というコトが判明してご両者大いに語らい、当方は密かに黙々、嫉妬を憶えないでもなかったが、そんなこた~、どうでもイイ。愛する場所にDate Soundが満ちるのが断固すばらしく嬉しくってたまんない。


 年末に近くなった頃合いで、当方は、やたらゲイリー・ニューマンを聴いていて、DATE SOLOとGARY NUMANに共通するモノって何だろ? 

 ほぼまったくベクトルが違う両者だから、立ち止まってチョット考えるようなトコロもなくはないけど、奇妙な程に浸透してくるというトコロで一致をみる。

 深く考えるコトはない。それぞれの波長が当方に浸透し、シミシミ良性の効果を発揮してくれるんだから、それで、イイのだ。

 前半部でのDATEのアンビエントインストゥルメンタルに身を浸し、プチパインの広い窓の光景を凝視するでなく、真正面に岡山駅を置いた桃太郎大通り路面電車がユルユル向かってきたり去っていくのを背景画として眼に映してるうちに、ちょっとした忘我が訪れ、

「フフフっ」

 心地良い気分に蚕食されてった。

 例えるならモスラが東京タワーに糸をからませ繭を造ってその中に納まっていくような安堵と、孵化から羽化へと次なる転換への飛翔感と……、そこに「望年」をからませて、四肢を伸び伸びさせたのだった。

                             Nobuya Kuyama's Wonderful Scratch Build Model

     _____________________________

 ライブ後、早めに帰宅した直後、近所に住まうS氏が来訪。

 クリスマス前に休暇をとってイタリア方面に夫妻で出向いたそうで、小さな土産を持ってきてくれた。

 ローマで買ったかバルセロナのサグラダ・ファミリア界隈で買ったかは聞き逃したけど、チョコの中にコーヒーが入ってる、ヘタにかみ砕くとコーヒーが飛び出るから気をつけてねぇ、とのコト。

  ありがたや〜。気をつけて食べちゃおう。

     

 たまさか我が宅のイタリア車は、数週前に修理したばかりなのに、やや急斜なカーブを曲がるたびに警告音がピッ、ピッ。やがてまたぞろ、「ミッションに不具合有り・要点検」のでっかい警告表示が出て……、あらまぁ。

 年末ゆえ、これは年越しだわさ。1月になってから車屋さんにヘルプを願おうという次第で、「気をつけて」とかとは縁遠いけども、ま~ま~、妙チキにイタリアつながりでヤヤ苦笑なり。

     _____________________________

  KOHEI君が毎年創っては懇意なBARに配ってる干支置物。馬だねぇ。
 2026年には良きコトの方が多いのを強く望みまして本年のブログは、これにて。

 来たる年もよろしくおつきあい、ください。

 

鬼市

 

 ちょっと前、早朝に濃い霧。

 も少し早く気づけば、我が宅前の光景をメチャにしている電線の、その無粋な傍若を隠すのを目撃出来たろうけど、チッと気づくのが遅かった。

 下写真はだいぶんと薄れた頃合いでパチリした。

 モヤや霧は、周辺の猥雑さも隠し覆すので、アンガイと好み。年に2〜3回程度な出没なので期待値も大きい。現実のビジュアルを隠蔽するだけのコトながら、チョットした幻想が生じるのが、いいな。

      _____________________________

 好きなコミックスはアレコレあれど、幻想という一点を前面に置くと、筆頭に、諸星大二郎の『鬼市』があげられる。連作『諸怪志異』の一編。

 得体しれない奇っ怪な魔物連中が、新月の夜中(月が見えず真っ暗)にのみ開催する市場が舞台。とんでもないモノやら掘り出しモノもあり、市に入り込んだ男2人が翻弄される話。

 映画『DESTINY 鎌倉ものがたり』にも「鬼市」のシーンがある。イオンシネマ岡山で観たあとしばらくして、原作の西岸良平はそれをどう描いていたか、コミックスを買ったりもした。

 鬼市は、中国の大昔の小話やら怪奇的小説の中でたびたび出てくる魔物たちの闇市で、「おにいち」とも「きいち」とも、呼び名さまざま。

 諸星大二郎は「きし」と読ませ、西岸良平は「よるいち」と読ませた。

 いずれも地域の魔物らが跋扈する商品取引の場。そこにヒトもからむ。

 ケッタイさと奇妙な猥雑と隠密(いんみつ)さの交錯に、当方、かなり魅了され、幾つか中国の小説なりに眼をむけたりもした。

 多くの場合、2ページにも満たない小話。

 ●●州の官吏○○は某夜に、町の外れに市がたっているのに気づき、出向いてみた。奇妙な風体や奇怪なマスクをつけた売人らに少々おびえたが、素晴らしい髪飾りを格安で手にした。女房ではなく愛人にプレゼントしようと北叟笑んだ。

 けども、朝になって品をみると、それは墓に飾る造花で、使用されて久しく放置されたらしきモノで色褪せて、朽ちていた。

 ――みたいなごく短いハナシだらけなのが特徴。教訓話でも因果話でもなく、ただ物語となる怪異のみがポンと投げ出され、それで終わる。

 

 西岸も諸星もその「鬼市」を踏襲してマンガにしている。

 舞台が尋常じゃないから、面白くならないハズがない。

 映画『DESTINY 鎌倉ものがたり』は原作をうまく膨らませ、膨大な西岸“鎌倉”作品の1つ1つを点にし、巧妙に線で結んだ上で自身のストーリーを乗せ、鬼市露店にストーリー進行の重責を担わせて……、さすが山崎貴だなぁ、うまくまとめるなぁ、ずいぶん感心したりもした。

                   映画の鬼市シーン

 ヒト・魔物・幽霊・モノ……、異なるアレコレの交錯する夜中の市場というのは、実に淫靡かつ淫蕩で面白い。

 群雄跋扈、統一の名のもと中国大陸では常々に支配者が変わり、安定に遠い。

 そんな中、宋の時代、唐の時代、清の時代、実際に夜の市場が存在したらしい。

 中国文学研究の第一人者・澤田瑞穂の著作『鬼趣談義』の「鬼市考」によれば、様々な人種が往来しつつ政治的には不安定が絶えない大陸では、白昼の正規な商取引ではない真夜中の取引も横行し、盗品も売買されたそうな。

 賄賂として得た品を官吏(公務員)がこっそり売りに出す場所として利用したりも、したらしい。

 強権国家の元では賄賂が横行して絶えない。

 国家という統制から逸脱した諸々が、夜中にうごめいた。闇に乗じてコソコソやるワケだ。なのでかつては「陰市」と呼ばれたリ、「鬼神市」と云われたりもした。

 たいがい、城塞都市の門の外。通常では行かない場所、荒地や墓場近くで、真夜中の1時頃より怪しい方々が集って売買し、夜明け前には消え失せる。

 異国の言葉も飛び交えば、顔を頭巾で覆って身元がバレないようにしたヒトもいる。一種の特殊なエネルギーに「陰市」は満ちていたろう。どのような政情であろうと生き抜こうとするヒトのエネルギーの発露とも、思える。

 それが結果としてイメージとしての怪異となり、「鬼市」という小話につながっていく。

 

 岡本綺堂は中国のそれら昔々の小話を収集して1冊の本に編んでいる。個々の話の出典が判りにくいけど、驚きモモの木なワンダーの数々を手軽に読めて重宝、存分に愉しめる。

    

 現在の中国共産党支配がもたらした一党独裁の、ゆえにモノ云えない同国の人民多数には同情するし、習近平体制への忖度なくば抹消されるような公務員やら企業経営の悲哀もまた大きかろう、と想像する……。

 権力者の振る舞い1つで自身の身の上が上下する政治下では、心ならずも忖度な振る舞いをするしかない。私腹を肥やすが目当てでなく、立ち位置保持のための賄賂が絶えず、それゆえのハチャメチャも生じる。

 香港の高層マンションの連鎖的大火でもって、たちまちの内に20人ほどのヒトが逮捕されているのも、その1つのワイロ的行為の顕れだろう。出火原因も定まらない内に、警察や消防としての任務を務めてますという党中央へのアピールだとしか思えない。

 おろかな高市発言の火消し役のニホン役人に、ポケットに手を突っ込んだまま高圧な態度を見せ、あえて写真にとらせた中国役人の振るまいも、その行為で示した宛先がどこに向けられていたかは明白だ。

 実際、この役人殿は翌日の仕事として、同地のニホン企業を訪問し、「よろしく~」とニコヤカ、通常通りにやっていたというからギャップが大きい。ウラとオモテと、その狭間でのヘンゲ……。

 こういった状態がどこまで続くのか判らないけども……、今もって、かつての中国文化の多様な真髄が声をあげずとも密かにアチャコチャで、にぶく光っているハズとも思う。霧の中に実の姿を隠しているだろう、と思いたい。

 陰市も現代のカタチで存在するかもしれない。

 中国はなにしろ広大。

「わたし、ニホンにきて初めて河をみました」

 20年ほど前、BARで知り合った同国からの留学生女史は云った。

 当方はいささか面くらったけど、一言では括れない中国大陸の茫漠とした広さは知覚させられた。どんなトンデモない話でも有りっぽいのが中国か……、とも思う。

 現在の漢民族中心の中国共産党支配の時代であっても、この大陸には56もの民族がいる。声高に主張しなきゃやっていけない風土の中に多様な諸々が息を秘めている。

 

 美空ひばりのバック演奏など務めたミュージシャンの山下生翁は、中国で飲食店を開き、泥棒にスリに偽札にニセモノのだまし売り屋やらに辟易しつつも同地でガンバリ、2005年に中国生活の様子を描いた本を出している。

       

 同書によれば、例えば広東省では、バスで3時間かかる場所も「すぐ近所」という。「距離」の概念が違うんだ。

 雇っていた女の子が「1週間くらい実家に帰る」というので了承したら、1ヶ月以上経ってケロリとして戻ってきて、彼女の「1週間くらい」は「1ヶ月くらい」と同じ意味の『感覚時間』であるコトをニホン人の筆者山下さんは知ったりする。「くらい」という一語の幅が圧倒的に違ってる。

 

 ともあれニホンの戦後の「闇市」とはまったく性格が異なった「鬼市」に興を抱き、叶うなら1度、魔物ら跋扈の市を歩いてみたいとコッソリ想う。歩くだけで何も買ったり売ったりしませんが。

 ぁ、いや、余ったCDがあるから持って行こうか。ゲテルビー作品をロイヤル・フィルハーモニーが演奏してる1枚。

 最後の曲が「ペルシャの市場」なんだ。

 けども、たぶん、魔物に騙し取られるのがオチだろなぁ。クリスマス・カードでも添えておこうか。



 

 

ラスト県外

 

 瀬戸大橋を渡って香川は観音寺市に出向く。近からず遠からずな距離。今年最終の県外だな。

 男3人による忘年会を兼ねた妙なミニ・ツアー。

 ドライバーのツカサちゃん(通称)は日本酒大好きなれど当然に呑めない。でも観音寺での蔵元探訪を愉しみにハンドル握ってる。

 近年は「忘年会」と云うよりも「望年会」と記した方がな〜んとはなくシックリくるような気がしないでもないのは、窮屈の度合いが増し続けている世の中への、それでも何とか……、というささやかな願望を抱くがゆえかしら。

 

 観音寺での朝うどんをどの店で味わうか……。

 何店舗か候補にあげたけど、結局、「いつもの味」というコトで、麵やへ。

 いつもの坂出店ではないけども観音寺店に着座。来年のカレンダーを頂戴し、いささかニンマリ。

 

 定番の観光地「天空の鳥居(高屋神社)」は年末まで道路の大幅工事中。車での登坂不能。徒歩で登るにはシンド過ぎるから、こたびは神社拝殿から山頂の鳥居を見上げるのみ。

 数世代前の私のiPhone は5倍ズームゆえ、この程度。

 同行者の最新iPhoneは25倍ズームゆえ、違い歴然。鳥居の人物まで映ってる。

 

 似通う好立地というか、標高900m越えの高立地にある「天空のブランコ」にも行かない。大の男3人が、、はるか眼下の瀬戸内海見下ろして、

「きゃ〜、ステキっ」

 仲睦まじくブランコに乗る図は絵にならない。

 

 有明浜に向かい、銭形砂絵を眺める。

 江戸時代に造られたが、それが1600年代か1800年代か判然としないまま、観音寺市は保存にチカラをいれてらっしゃる。年に2回、多数の市民が集って浸透する雑草を引っこ抜き、崩れかけた畝を補正し、全域を踏み固めるといったコトをやってるらしい。

 寛永通宝が鋳造されたのは1636年(寛永13年)だから、それ以後のどこかの時点で、何ぞ目的あって造られたのだろうけど、しかし、実物を眼にすると、

「どんな目的あったの?」

 真意のピントがあわない。

 英国やドイツの小麦畑なんぞで、かつてこっそりミステリーサークルを造ったみたいな、地域の若者たちの「オモシロがらせちゃえ」的なモノだったのじゃなかろうかとも、思えたりする。

               スイスの畑で“発見”されたサークル

 江戸時代ここを治めていた丸亀藩の文献に何もないというのが、かなり妙。やはり、若者らの壮大なイタズラだったのじゃないかしら? 

 そうであるなら、この巨大モニュメントはいっそう面白い存在になるような気がしないではない。突飛な若者らの行動に地域の高齢者たちも、

「ま〜、好きにせ〜や」

 呆れ気味に放置し、砂絵が出来上がったら、

「ま〜、悪くないねぇ」

 なんてアンバイで。

 統治している丸亀藩の地域担当の役人武士も、風紀を乱すようなものでなく、砂だから直に消えちまうだろうし、なんせ寒村(江戸時代)だ、問題ないんじゃ〜ないの、一筆入れる程のものじゃないだろうと見ぬフリしたら、あんがい風化せず、工作しちゃった若者達もやがて30歳くらいになって、まだカタチが残ってるじゃんか……、ならばいっそ、永久保存的にそのカタチを残そうと、我が子らに、「大事にせ〜よ」とか、言い伝えるままに今に至ってるんじゃなかろうか……。

 文献として記録を残さねば、記憶というのは概ね10年も経てば風化し消えてしまうから、地域での保存活動が進むうちにアレコレ尾ヒレがついて、藩主歓迎のためのモニュメントとして造ったとか、コレ見たらお金タンマリ貯まるぞ、とかとか、贅肉がついていったんじゃなかろうか。

 Kosakaちゃんは1人旅の女性に頼まれて写真を撮ってた。そばに近所の方が寄ってきて、「背景の息吹島も映すようにな」映画監督みたいに親切に指示してくれる。

 監督の背後でネコが背伸びして、アッチ向いてら〜。

 砂絵のそばまで行ってみると、別段に面白いものでもないのでヤヤ拍子抜け、というか、ま〜、こんなもんだねぇ。あくまで高い視座からでないとカタチの掌握はできないワケで。

 

 海岸から車で30分くらいの場所にある豊稔池堰堤(ホウネンイケ・エンテイ)は、巨大砂絵と違い、建造年も目的も明解で輪郭クッキリ。

 中世ヨーロッパの古い城郭にも似たカタチと云われ続けているが、確かに好いなぁ。空間に馴染みきり、迫力というか、ギュッと握りしめるような握力が感じられ、やたら力強い。

 大正15年の起工以後、今に至ってもおよそ530ヘクタールもの田畑の水瓶として使われているんだからたいしたもんだ。

 水をたたえて踏ん張っている石積み構造の堂々っぷりが、好かった。

 なにより、ながく干ばつに苦しみ、窮状を訴える一揆を繰り返した地域住民の方々が、工事に大協力し、率先して労働力として参加し、公民一体の事業を完了させたという史実がイイな。延べ数にして15万人が参加してコンクリートを練り、石を運び、積み上げて、汗を流したその結晶がこのダムと思うと、「地域にいきる」という一点の光量が増す。

 

 港近くへ戻り、昼食。

 

 中丸水産から海岸通りを20分ほど駆けた仁尾町にみかんの直売所があるというので、出向いてみる。地元の方らしきがひっきりなしでやって来ては1袋2袋と買っている。

 当方も1袋買った。これで300円なり。

  

 ツカサちゃんが訪問したかった川鶴酒造の本社工場へゴ〜。

 いっけん、直売はしていなのかと訝しんだけど、事務所で親切丁寧に対応され、なかなか気持ち良い蔵元。ちょうど新酒があがったばかりゆえ、ツカサちゃん大喜びで何本も買っちゃいましたが、当方は自制し、1本のみを買ってニッコリ。

 

 観音寺市には観音寺がある。

 けども、近隣の金比羅宮や善通寺に多くのヒトは向かい、お遍路さん以外はあんがい訪ね寄らないという……。ならば寄ってみようと山門をくぐる。

 お遍路装束の方数名がいた。彼ら彼女らが鳴らす持鈴(じれい)の澄んだ音色を心地良く聴いたが、音は直に遠ざかる。次のお寺さんに巡拝しなきゃ〜いけないから、あんがいと滞在時間が短い。

 鈴の音が去ると境内静か。

 ま〜、その静けさが逆に「お寺さんだなぁ」と意識させてくれる。

 やや長い石段をシンボ〜して登る。奈良の長谷寺を思えばラクなもんだ。

 意外や朱塗りの本堂さん。この寺あっての観音寺という地名……。ここが本来の基点というか要めというワケだね。

 本堂奥の東屋裏に、山から流れる水をためる小池がひっそりあって、この佇まいにも静かを感じ、しばし、静穏を独り占めた。

 すっかり夜になりきった時刻。丸亀市に移動。街中のオリオンという店に入る。

 フワフワなオムレツにエビのフライがのってるのをいただいて、御馳走さま。

 これにて本年の県外行きは終了。

 

横たわる恐竜

 

 過日。マイナンバーカードの有効期限更新の案内状が届いたので、区役所に出向いてみるに、こたびの更新はパスワードに関したものだけで、こちらに変更がないなら「変更なしで更新」とのコトであった。

 なんじゃそれ?

 銀行のカードにもクレジットカードにも、こんな面倒はないぞ。変更したい場合は自分で届け出るだけのハナシ。

 まして、この電子証明書更新(パスワード更新の有無)がために大勢が区役所にやって来ている。

 当方が出向いたのは平日の午後1時前だったが、電光掲示板の呼び出し番号をみるに、20人待ちだ……。

 1人の対応に5~7分くらいか。それで結局、エンエン1時間半ほど待たされた挙げ句に、窓口で、パスワード変更なしというコトでそのパスワードを機器に入力し、

「適用されるまで時間がかかり、明日の朝までカード使えません」

 って……、このムダ無駄な更新に数時間費やされるバカバカしさに、あきれた。

 

 私の前の方とその前の方はお年寄りで、家族がつきそって更新に訪れてらっしゃった。本人が窓口に出頭するのが前提で、不可能な場合は代理人の署名やら書類が必要というコトで、まどろっこしい。

 坐った姿勢から立ち上がるにも家族の支えを要する老人がイチバンに健康保険証たるこのカードに頼らざるを得ないのに、これでは老人を痛めるようなアンバイじゃなかろうか。

 カード化は時代の流れの必然とは思うが、運用がズサンというか、旧態な形式ばった方式にカードを組み込んで、返ってカードの良さを台無しにしている

 アナログ管理にデジタルの方を合わせている。電子証明書という呼称にも結局はアナログ時代の運営法が抜けていない。

 

 区役所の職員も、この意図不可解な更新のために多忙になっているのは顕かで、窓口の男性のメダマにも、もうウンザリという色が浮いてるよう見えた気がする。

 市民税やらの他の窓口はいずれも1人か2人待ちで、20人待ちはマイナンバーカード部門のみ。

 窓口の男性職員さんは、多くのヒトを待たせちゃ~いけないし、丁寧な対応しなくっちゃ~いかんし、ストレス大きいハズ。やや早口の対応にその焦りが滲んでた。

 

 紙の従来の健康保険証は、なんら問題なく、期限がくれば自動的に郵送されるという至れり尽くせりだっただけに、強烈に後退だ。

 更新のために送られてきた書類の数々。デジタルカード維持のための紙の山の哀れ。これを全国民宛に送付でしょ? 空恐ろしい浪費……。

    _____________________________

 

 岡山大学病院に入院中の柔道家に手術が施され、術後は安静にとのコトなので、再び、ちっくらオチョクリに出向いた。

 あえて見舞いとは云うまい。でもま〜、一応、道中でタコヤキ買って病室に持ち込んだ。

 でっかいズ~タイ横たえて寝息たてているのを、「こりゃ起きんかい」と揺さぶる。

 表皮の移植もあり、手術は6時間越えだったというから大変だ。

 本人は麻酔で眠ってるから時間の経過は術後に知るワケで、ある意味ラクなもんだが、彼の右足はよっぽど傷んでいたのだろう、とあらためて得心した。

 入院して既に1ヶ月経つけど、10階の病棟から出してもらえず、まして術後だ、1階にあるスターバックス売店にも行けず、ただジッとしてなきゃ~いけない。

 退屈が大口あけて恐竜を吞み込んでいるワケでもあるけど、年末までに退院出来たらヨロシイなぁ。手術後の完治と解放をば願う。

 入院して規則正しい食生活(お粥だそうな)を余儀なくされて、柔道家は、

「ここに入って3キロも痩せたぜ」

 ニカッと笑ったが、私に云わせりゃ、130Kgが127Kgになったに過ぎず、相も変わらず、彼はデッカイ、チャーミングな恐竜だ。

「タコヤキ以外にうどんも喰いてぇ〜」

 と云うので、贅沢ぬかすなと笑って退出する。

 エレベーターで降下中、「うどんか……、それもイイな」

 当方の昼食を思う。

 それで、1階のセルフうどん屋さんに入って、チュルチュルチュル。おいしくいただきましたとさ。

 うどんは360円だけどアゲは180円もする。名を変えたらどうか? ネアゲに。

 うどん屋さんの前で懇意な市役所職員夫妻に遭遇。

「あらま〜ま〜っ、御大事にぃ」

 近況話し合う。妙な場所でのばったり。ありますよなぁ時々、こういう偶然。

     _____________________________

 

 突然の、映画監督・原田眞人の訃報。ブログ更新がたえて1ヶ月を越え、多少の心配はしていたが、脚本執筆への集中などで以前にもチョクチョクあったからと思ってたら、まさか……。

 ついこの前、彼の映画創りのロケ地、奈良の長谷寺に出向いたばかりゆえ、言葉を失い朦朧とした。

 やや鬱屈し、小雨の中、街に出てプチパインに寄ったら、「階下のショップさんのツリーがチョットした見物よ」

 いざなわれた。

      

 当方には用のない婦人服ブティックながら、デススターを頂点に置いたクリスマス・ツリーが店頭で煌めいて、なるほど、一見は不釣り合いながら、そのギャップが、逆に効果有りなのかな……、微笑まざるをえなかった。

 眺めつつ、1980年『スターウォーズ 帝國の逆襲』と1982年再公開時の『スターウォーズ  新たな希望』の日本語版監修演出は原田眞人だったコトを、思いだした。

      

 

 

立版古

 

 奈良方面を共に歩いたEちゃんが、芦屋方面にフラ~っと行ってきたそうだ。

 で、フラ~っと入った芦屋市立美術館に、

「こんなのあったぜ」

 と、写真をおくってくれた。

 このヒトは、休日となると、目的をもたず電車に乗って、文字通りフラ~っとどっかで降りて、その街だか町を歩いたりするのを得意として久しく、当方にはない特性を持ってらっしゃる。

 自在に動く足を持つ、天然的ボヘミアンなギャルと云えなくもない。

 


 芦屋市立美術館に展示されていたのは、立版古だ。

 たてはんこ、とも、たてばんことも読む。

 この展示はいささか珍しい。

 紙に印刷されたパーツを切り抜いて立体物とする、いわばペーパーモデルの元祖が、これですわ。

 江戸時代に登場し、明治に最盛期となり、やがてホボ消滅した玩具の1つ。

 版古とは錦絵を指し、それが立つから立版古というワケだった。

 おくられた写真を眺めるに、展示された紙模型は、おそらく実物をコピーして組み立てたものだろう。実物にしては紙がヤヤ厚いよう思える。

 私は明治28年に創建された平安神宮を記念した立版古やら、幾枚か当時モノを持っているけど、とても薄い紙で、

「これでどうやって立体物になるのかしら?」

 紙の裏に厚い紙を貼り付けなきゃ~とてものこと、組み上がらないハズだ。

 くわえて、当時のこれらは、組み立て説明もないんだね。

    

 概ねの出来上がり図みたいなのが印刷されている場合が多いが、したがって、いざ本気で組み上げようと思えば、それなりにアタマをめぐらせ、ここを折って半分ほど曲げ、次にそこに連結するであろうパーツ部分をこれは反対方向に反らせて接着かな? などと創意工夫も必要なのが「立版古」なのだった。

 玩具として広く普及したコトはしたけど、工作の難易度はかなり高く、その辺りが衰退の原因の1つだったよう、思える。

 でも、印刷物1枚か2枚だから、価格はフツ~のオモチャに較べると圧倒的に廉価だから、買いやすいとはいえる。

 切り貼りし、組み立てるとカタチになるというトコロでの「夢」もでっかい。

 というワケで、明治時代には無数の立版古が玩具店やら雑貨屋店頭に並んだ。

 当初は歌舞伎のシーンをディオラマ化するみたいなモノが多かったけど、次第にバリエーションが増し、女の子も遊べるような製品も店頭に並んだ。

  

              「教育少女きせかえ」という名の立版古

 もとより紙細工をニホンジンは好んでた。

 折り紙がそうでしょ。平面を立体面に変えるワザの秀逸は、文字通り「おりがみ」もんだ。

 さらにいえば、今はベッドが主流だけど、フトンは畳むものだし、畳は当初は敷物で、その語源は文字通り、畳むものだったからだ。

 部屋の床を全部畳で覆って据置としたのは室町時代の書院造り(現存する最古のものが銀閣寺)からで、いわばなんでもかんでも、ニホンジンは折って畳むという行為に慣れた種族だったんだなぁ。

 それゆえ、「折り目正しい」といった感覚と言葉が活き活きする。

 モンゴルの遊牧民の生活などでは畳んだり折ったりはなくって、なんでもかんでも丸めちゃうのだから、かなり違うんだな生活様式というか態度が。これを固有文化というんだ。

 明治期になっても農村などでは畳じゃなく、やはり敷物としてのムシロが家の構成要素であって、寝て起きたら、やはり畳んでいたりもした。

 それを面倒とは発想せず、あったりまえで毎日折ったり畳んだりの生活ゆえ、紙模型とてもその延長だ。

 なので明治時代の子どもは今の子と違い、この立版古を眼の前にしても、

「ぁあ、面倒くさ~」

 とは直ぐには思わなかったと考えられる。

 厚めの工作用紙もスプレーのりもなく、場合によりゴハン粒を練ってのりとして使ったとしても、それはそれでよかったのだ。

 Eちゃんがわざわざ写真をくれたのは、当方が明治期の屋台なんぞをペーパモデルとして連作していたから、それで「ぁあ、似たような」と笑ってのコトだったろうけど、良いぞ良いぞ、似たようなじゃ~なく、当方の気分はマンマ明治の頃と変わらんわいねぇ~。

 と、苦笑するんだった。

 江戸・明治期の子どものオモチャと書いたけど、実態はかなりの大人がアタマをひねりながら工作にいそしんだような気が、する。

 子どもより大人が、実は密かに愉しんでいたと、思えもする。

 ほれ、下の図の、この組み立て説明ないのを、あなたならどうする? 

 立版古は難解パズルでもあったワケなんだ。

 

   

 立版古の衰退とは逆に、ほぼ同時期に急速に台頭したのが「めんこ」だ。

 明治10年代に登場したボール紙(シルクハットの内側に巻く汗取り材として発明され、やがて梱包材に活用される)という安いが頑丈な紙と、描かれた絵の魅力が大きかった。

 シート状になっていて、切り離すだけ。たいがい、裏側にはトランプの図柄が入ってた。即座に遊べるし、ちょっとしたコレクションにもなるので人気が集まった。

「めんこ」は昭和40年代頃まで玩具の王道にいたし、今も諸々なキャラクターをモチーフに造られている。

 立版古は廃れて存在を忘れられてるけど、かろうじて専門書が数冊ある。

 いずれも絶版みたいだけど。

    

 

「アンソロジー4」の発売でまたぞろ賑やかな気配のビートルズだけど、アルバム『サージェント・ペパーズ……』ジャケットは、リアル・サイズの立版古だったと云えなくもない。

          

         

 今ならCGなんぞで手軽に造れるけど、等身大写真パネルを使って、4人がコスプレして一緒におさまった立体アート。何度眺めてもこのジャケットの秀逸は褪せないなぁ。LPレコードのサイズにマッチさせた高峰だと思う。

 そういう次第で、近頃はこんな商品も出ていて、ヤヤ微笑ましい。ちゃんと立版古と明記してらっしゃる。

 

年末トラブル

 早ちゃんが亡くなって1年になる。

 彼は奈良住まいゆえコロナ禍で会えぬままに時間が過ぎて、共にやろうとした企画も頓挫したままになった。残念でしかたない。

「もう1年経ってしまったか」

 と、偲ぶ。

  

 もしもタイムトンネルがあるなら、さかのぼり、完了しなかった小さな企画バナシを一杯吞みつつ、

「不首尾に終わったねぇ」

 話したいもんだ。彼は野球部出身で阪神の大フアンで、当方は野球のヤの字にも興味なくって……、その辺りでのギャップの可笑しみもまた、深夜のBARの隅っこで共有し、「アハハ」と笑いあいたいとも、想う。

 

   ■■■■■―■■■■■―■■■■■―■■■■■―■■■■■

 

 2週間ほど前のコトだけど、車のシフトがふいにおかしくなった。

 1速から2速に移行しない。5速から4速に戻らない。

 FIATはデュアルロジックというトランスミッションで、マニュアル・モードとAT モードの2つが選択出来る車だけども、いささかややこしいその構造ゆえ、トラブルも多いとは聞いていた。

 ATでのチェンジがおかしくなった途端に、メーターパネル中央の大きな部分に、

「エンジン・メンテナンスを至急おこなってください」

 といった意味の日本語と英文が出てくるから、大いに焦った。

 しばしはマニュアル・モードで駆けていたけど、やがてまた「警告」が出てくる。

 デュアルロジックのトラブルとなると40~50万くらいかかる……、との悪しき噂もあって、焦りつつビビりつつ、修理に出した。

 4日ほど経ってから、治ったという。

 トラブルはエンジンそのものではなく、ハンドルの内側辺りに設置されたバックランプ用のパーツだったという。

「へっ?」

 FIAT500の場合、概ね4万キロ走行の頃合いによくある症状らしい。

                 交換された小さなパーツ

 なんでこれがギアシフトと関係しているのか、さっぱり判らんけど、FIATに搭載のコンピュータはランプ作動とエンジン作動を連携づけているのか……、イタリアン・テーストの不可解を、ある意味、おもしろがれた。

 ビビっていた修理費用は数万で済んだので、ややホッ、だったけど余計な出費に変わりなし。

 

   ■■■■■―■■■■■―■■■■■―■■■■■―■■■■■

 

 てなコトがあった直後、今度は洗濯機が動かなくなった。

 最近ヤヤ不調ぎみで、何度かボタンを押し直すと動いていたのだけど、と~と~、ウンともスンともいわなくなった。

 もう15年ほど使っているから、耐用年数は優に越えている。ガンバッたな日立と褒めてはみたけど、むろん、呪文効果はない。復活はしない。

 ちゅ~ワケでやむなし。買い換えるしかセンタクの余地なし。

 取っ替えのため事前に、洗濯機周辺の小間物を片付けたり掃除したりとヤヤ面倒だった。

       

 家電屋さん2人の手で日立は外に運ばれ、アイリスオーヤマが福は内……。

 ブラックフライデーの期間だかでチビっとだけ値引きされてるらしきだけど、これまた余計な出費だ。

 12月早々にお金が飛んでいく~~、のはまったくもって嬉しくないですな。

 

   ■■■■■―■■■■■―■■■■■―■■■■■―■■■■■

 

 とか云ってるさなか、Macに外付けしていたBlu-ray機器が不調なり。

 ディスクの読み込みが出来たり出来なかったり、しはじめている。

 ま~、この機器は1万円弱規模だから「被害」は大きくないけど……、不調連鎖はまったくカンベンして欲しいデス。

  以前にも連続でモノが壊れて溜息をついたコトがあるけど、2度あるコトは3度は、ご容赦願いたい。

 

 

県北から米子方面へ

 

 冬場の蒜山高原は閑散期。スキー場はあれど12月の初旬から来春まで蒜山大山スカイラインは通行止め。道の駅の大きな農産物コーナーも閉鎖され、いわば冬眠にはいる。

 という次第で、クローズ前の今年ファイナルの最県北行き。

 例によってKosakaちゃんの車で向かい、ひるぜん大根を買い求める。

 素朴な日本料理にここの特産大根はベスト・マッチング。甘味がやや強く、おでんに好し。田楽に好し。

 当方ホントは辛みの強い大根が好きな方じゃあるけど、コレはこれ、ソレはそれ。

 でっかく白いのが2本で150円。これをカゴにいれた。

 誰かから聞いたか何かを読んだかは忘れたけど、ドイツあたりでは、大根はポピュラーなものじゃなく、大きさも小ぶりで、かなり辛いらしい。サラダに使う程度なのかな?

 なので、ドイツ方面の大根を食べてみたいなぁ~とは思ったりもするんだけど、ざ~んねん、手に入りませんがや。

 屋台のしいたけ唐揚げ。この屋台が出ているさいは必ず買い求め、その場で食べる。

 チッと値上げしているけど、驚くホドに肉厚で美味い。揚げたてで熱々なのもヨロシイ。しいたけなのに肉を味わっているような感あって、チョイっと至福。

             _____________________________________________________

 新庄村に移動し、餅を物色。

 私は買わないけど、彼は毎年年末近くになると、ここの特産「ヒメノモチ」(餅米)の購入を常としているので、おつきあいする。

 今は、ヒメノモチはごく近所のスーパーでも売っている程にポピュラーだけど、あえて生産地に出向いて買うというスタンス。切り落とし部分を集めたものやら、生産現地ゆえ近所のスーパーにはないパッケージもある。

 誰にも季節に応じた慣習というのがある。それをクリアしていくのが、ま~、人生というモノの一面だ。その繰り返しのリズムを基底部に置いてアレコレ新たなコトにトライするのが、ライフ・サイクルというか生活環というもんだろねぇ、などと爺さんのようにほざいてみるのも一興だ。

 当方は「ひめのもち粉」が練り入れられた生麺をば買う。

 

 道の駅のすぐそばを新庄川が流れ、対岸には「がいせん桜通り」があるけど、

「冬来たりなば 春遠からじ」

 11月末の新庄はしっかり冬の匂いにくるまれ、色彩が薄い。

  地元のヒトであろう方々は、いずれもヤヤ高齢っぽい。若いのをホボ見ないので、それで余計、冬枯れが意識される。

 

 新庄村だけのハナシじゃないけれど、総人口の1/3が高齢者というのが、このクニの実像。

 75歳を越えた方が2109万人もいる反面、出生率は年々ひどく減って働き手は減少の一途。子供をつくって育てるより、自分のハッピーを中心に行動する刹那主義っぽい若いヒトが増しているのだろう。結婚も子供も足かせになると考えるのだろうか?

 当然に、自衛隊に入って国防にいそしむという若者数量も確保できなくなる。

 そんな老化国なのに、霞ヶ関方面では、およそ新庄村で味わう空気とは違う空気感でアレコレ押し進めているのがケッタイ極まりない。

 米価の抑制も出来ないのに政府の顔ぶれが変わった途端、減反政策に戻すというようなハチャっぷりがワケわかんない。

 

 道の駅「がいせんざくら新庄宿」から車で15分ほど駆けた山の中に、女滝・男滝という2本の滝がある。

 近場の山間で8月だか9月だかにクマの目撃情報が寄せられているが……、東北方面と違って中国地方の山ではドングリ類が豊作らしく、ヒトの気配ある場所にやってくる確率はとても低いだろうし、冬眠に入りつつあるだろうから、遭遇確率はゼロに近いとも思い、出向いてみる。

 とても判りにくい場所に滝の看板あり。でも駐車場はなし。

 誰も訪れていないのは路地の枯葉の堆積で明白。

 男滝は濡れて滑りやすい斜面をくだらなきゃ近場に寄れないようなので断念。女滝のみを見学。

 なかなかヨロシイ森林浴でござんした。

 女滝の前で定番のポーズをとる私。空気冷たし。滝のたてる音ふくよかで重厚。

             _____________________________________________________

 ま~、ここまで来たからにはと県をまたぎ、米子にまで足を運ぶ。

 晴れ渡った空の色と日本海の色とが凜々として、風情あり。


 砂場コーヒーよりも美味いとKosakaちゃんがかねてから云ってたAffectionate Coffeeの出店で一杯を味わう。

 インド産の豆を深煎りしてもらい、なかなかのお味と云いたいところだが、当方の舌は、コーヒーの識別は出来ない。「うまいね〜」としか申しようがない。

 お昼の2時前、琴の浦で海鮮まかない丼を食べる。

 1100円ながらボリュームあって、いや、あり過ぎて食べきれなかった。

 チッと口惜しい。