ノーチラス-05

朝の4時半ちょっと前に外に出てみると、低い所を西から東に向けて真っ黒い雲が幾つも幾つも、早い勢いで流れています。
すでに台風は温帯低気圧に変じているから、これはその残滓というコトになるのでしょう。
この時期になると夜が明けるのが早くなっているから、薄ら明かるい黎明の中にあって黒雲がなかなか良いアクセントに見えます。
今回の台風は大型だ〜と云われたものの、四国沖までやってきて急に勢力が衰えましたね。老人がどえらい勢いで100m走に挑んで来て、周辺の若者はちょっくらビビッたけど、フタをあけたら、65mあたりで老人はやはり息切れしちゃったみたいな感も少し。
されど、やはり、自然の振る舞いというのは面白いもんです。
規模のでかさ。振る舞いの容赦なさ、などなど… ニンゲンの尺度では測れないスケールは、これをコントロール可能と思い込みたがるニンゲンを常に翻弄してくれます。
もちろん懸命に、コントロールしたいと… ニンゲンは考えますわな。
明日、デートなんだ。花いっぱいの公園を2人で歩くんだ〜!ってな夢と希望と欲望とが煮えかかった前夜には、きっと誰しもが、
「雨、どうか降らないように」
と、願うだろうし、空模様をコントロールできるリモコンがあるなら、そのスイッチをば"快晴"のところにセットするでしょうよ。
でも、それは出来ないワケで、また出来て欲しくもない… ですね。
出来ないところに、楽しみを見いださなきゃいけません。

海底二万里』の終わりの辺りで、メキシコ湾の嵐に遭遇したノーチラス号の描写がありますよね。
潜って航行すれば、ひどく凶暴な波も風も雷もノーチラス号には関係ないのに、ネモ船長はあえて海上を行きます。
当然に波と風と雷に翻弄されます。
が、彼は自身の身体をデッキ上に結わえて、その嵐を目撃し、かつ体感します。
おもしろい人ですな…。
その姿を同じ甲板上で見たアロナクス教授は早々に室内に退散し、ネモの内面に"自分にふさわしい死を求めている"ような感触も得るわけですが、むろんに、それも有りだけども、それだけではほぼ絶対にないでしょう。
海底二万里』の奥ゆかしさは、ネモの本当の気分を彼の口からは伝えてくれないという所にあるでしょう。そこがこの小説の魅力の照射点です。
何が書かれているかも大事ですが、何が書かれていないかも、またとても大事です。
余談ですけど、この嵐のシーンの記述においてヴェルヌは日本(江戸)に押し寄せた津波に言及しています。
これは「安政東海地震」のことで、実際に1864年の12月23日に起こっています。これを、その日付を含め、自然のすさまじさの例証としてヴェルヌは本書にあげてますが… 資料を多数網羅して彼が小説を描いている証しですね。
実はこの地震… 地震地震を併発した今回の東北のと実に似通ったもので12月23日の翌日には「安政南海地震」が起きて高知は土佐が津波でやられてます…。ヴェルヌはこういった情報をもっていたんですね。日本が開国だ〜、いや、それには反対だ〜と小さな池の中でさざ波だっている頃ですよ。
このヴェルヌの時代性についてはコチラもどうぞ。
…………
それで、模型の話をしますが… ノーチラス号に錨がついているのかどうかというコトは、そのカタチを知る上でメチャンコに大きなもんではないでしょうか。
錨、というのはあのイカリです。アンカーですな。船を繋ぎ留めるもの。
ヴェルヌの本文を仔細に眺めると、錨がノーチラス号に備わっているとは一言も出てきませんぞ。
ネモ船長とその部下たちは地上との一切の連絡、接触、交渉を断つべく、ノーチラス号を建造した南太平洋の秘密の基地すらも焼き払い、以後、海に出て、その決意を実行するワケですけど、当然に、錨というモノを小説に描写すると、それは繋留、すなわち地上とノーチラス号とを結ぶ絆として『象徴』になってきますわいね。
なので、ジュール・ヴェルヌは実に周到かつ綿密に、この錨を登場させませんね。
ノーチラス号が停泊するシーンは幾つも幾つもあるけれど、錨を下ろしたとは一言も書いてません。
うまいもんです。
すごいです。
なので、単純に読み取ると、ノーチラス号には錨はない… というコトになるんですが、実体としての船には錨というのは必需なのでした。
小さなボートには必要はありませんが、ちょっと大きめな船になると、錨は必需なのです。
何かをするために海の一点に留まるには、船には錨というカタチはほぼ絶対に必要なんですね。でないと、流れるワケだから。
なので、模型というカタチでノーチラス号を描くと… 錨はモールドされなきゃいかんのです。むしろ、それはないと、おかしいのです。
当然に、実際にヨットを所有しているヴェルヌは判ってます。判って、あえて描写を省いたと思われます。
なもんだから、我が模型ノーチラス号には錨を設けました。
ヴェルヌはそれを書いてはいないけど、それは確実にあったのだと思われるんです。
ノーチラス号は万能の潜水艦と思われたりするけど、どっこい… そんなもんじゃない。
ネモ船長は自然の摂理に反したカタチを建造したのではないですね。
人との接触は断ったけど、自然の営みから逃れようとしたのではないです。
むしろ、そこに身を委ねていらっしゃる。
なので、ノーチラス号とて停泊中は錨を用いたというのが結論、です。