次の講演 - 11/26日曜日


きたる11月に開催予定の講演フライヤーが刷り上がり、届く。
まもなくこれはミュージアムや市の施設などに掲示されるだろう。
天神山界隈の話を、また行う予定。
タイトルは『今昔物語』。その告知フライヤー。
デザインはいつものYUKOちゃん。



甚九郎稲荷の写真は彼女が何度か直に脚を運んで撮影したもの。
この小さな社は左右に樹木がおごり、すぐそばに美術館の壁が屹立し、いざ撮影となるとアンガイ難しい。以外なほど均等に光があたらないんだ。
だから彼女は何度か日を変えトライした。
良い根性。そうでなくっちゃ〜いけない。
文字で隠れているけれど、拝殿にネコが寝ッ転がっているなかなか良い写真だった。
デザイン第1稿ではネコの姿を活かしてたけど、2稿3稿とレイアウトが練り進められるうちにネコは文字の下へ。
ま〜、そんなもんだ。



講演は…、掘り下げていくたび新たな発見があってそのたびに、過去に話したことをチョット補正するの…、繰り返し。
今回は、岡山神社宮司ノートルダム清心女子大の教授とのコラボレーション・トーク
幾つかあらたな真実を披露予定。
明治時代の天神山界隈にどれっくらい肉薄できるか…、また逆に、今の同所をどう浮き掘れるか…、そんな次第あってのタイトル『今昔物語』。
このシリーズは、そろそろテキストにまとめ上げる時期が来てもいると相棒Mと思案中。



で現在、同講演とその後の展示を考慮して、新たな模型を1つ製作中。
くわえて、亜公園・集成閣の模型を改装中。(上下の写真:解体中の模型)
劇的に変化する次第でなく、きっと改装に気づかぬヒトの方が多いだろうという内訳ながら、新造より改装の方が手間取るとは思ってたけど、予想以上に工作が進まない。自分的な絶妙をどう掘って、どうカタチに置き換えるかという点で足踏みする。
ま〜、そんなもんだ。



この世の中、下と上があって、きっとどちらも底がない。
フライヤー・デザインを含め、掘り進めば際限がない。


たとえば、この前、選挙と台風が到来した悪しき日曜の夜、某BARに懇意9名ばかりが集って、オフ会ならぬ、
「お・麩・会」
をやった。
麩とスキヤキ肉、その極上を食べ較べようという主旨でのミニな集い。
正直を申せば、どの麩もどの肉も我が日常にないもの。
近江牛、千屋牛、他いわゆる「A5」クラスのもの…。



金沢のスダレ麩、すきやき麩、京都の丁子麩、仙台の油麩、新潟の車麩…。
いわば未知との大遭遇。同時に食べて較べるなんてメッタと出来るこっちゃない。
だけど実に単純に、
「美味〜い」
「やわらこ〜い」
その程度の言葉しか出せず、喜んでる舌をうまく描写できない。




「上には上があるね…」
感想とも云えない感嘆でもって、溶けるような感触の肩ロースやらを味わい、治部煮になった麩を角煮に間違えて密かに苦笑したりした。
食材を用意してくれたH氏の知識量と堀りの深さにただもう圧倒され、ここにもまた掘りさげていく醍醐味をむろんにおぼえる次第ながら、掘り進めば際限のない感覚が凛々とあって、頼もしい迷宮を思わずにいられない。
かねてより麩に関しては、スキヤキ鍋の中でお隣に居合わせた食材の滋味をたっぷり吸い取っての「旨味」程度の認識だったけど、こたび、いささか軌道修正を余儀なくされもした。
お隣さんの滋味をまといつつも麩がちゃんと自己主張して、麩は麩、「ふがいなく」ない。
当然、H氏にはどんどん掘ってもらい、食の深みをまた教示してもらいたい。



食に関してボクはせいぜいサバ缶に言及する程度じゃあるけど、ま〜、天神山界隈の明治に関しては、海の深みと広がりをみるような蒼の色彩の多様に目眩む感覚をおぼえて久しく、H氏同様に"掘って"いく作業を繰り返しちゃ〜、長嘆息をついてるワケだ。


講演詳細はまた後日に。