秋の昼間の海底二万里 part.1

秋の夜長に読書・・ な〜〜んて云われて久しいけど、秋の昼間の雨降りなんてのも読書にはもってコ〜イな感じだぞ。
どっかに出かける予定もなくって、おまけにちょいと風邪ぎみなんですワ〜なんてシチュエーションなら、さらにイイ。真っ昼間からベッドに入られる良い口実となる。
寝っ転がっておフトンをかぶり、好きな本をペラペラとめくると足の先からジンワリと昂揚めいた愉悦が沸いてきて、嬉しくて、つい、足をバタバタしちゃう。
ここで告白するけど、実は何年もかけて未だに読了出来ない本がボクにはある。
コンラッドの『闇の奥』。
エーコの『薔薇の名前』。
この2冊。
『薔薇の…』は上下2冊だから、正しくは3冊の本ということになるのだけど、これがもう10数年ばかし、枕元にあるんだけども… 読めないんだ。
どちらも小説のカタチをとっていて、堅っ苦しい学術書じゃないんだから必然として読めなくちゃイカンのに、読めないのだ。
両者ともにスジを追うという小説の王道を大きく外れていて、トライするたび弾(はじ)かれる。
弾かれつつ活字を追おうとすると睡魔が来る。
すいません… ってなもんで、また読めんかったか〜と嘆きつつも、抗し難い甘睡におちる。
薔薇の名前』はショーン・コネリー主演の実に秀逸な映画「薔薇の名前」でもって、概ねのそのスジは知っているし、『闇の奥』はこれまた映画「地獄の黙示録」でもって、語られるべくスジは判っている。ドイツ映画に「フィッツカラルド」という隠れた名作があり、アマゾンの奥地にオペラハウスを作るという夢想に取り憑かれた男が大型の蒸気船でもって熱帯雨林の中に浸透してく様子は、「地獄の黙示録」ととても似通っていて、これはいっそ『闇の奥』のそのプロローグ的内容とも思いはするが、原作とは関連がないようだ。
ともあれ、原型たる本を、未だに読めていないのが口惜しい。
仮に読めているなら、前記の「フィッツカラルド」に関しての肯定なり否定なりが出来ようものなのだけど、読んでいない以上、推測と憶測でしかものが云えない。

数年前に、とある仕事として松岡正剛氏にお会いし、その打ち上げ時に、ひそかに、『薔薇の名前』を持ち出してみると、氏は、
「心してかかるべき本ですよ、あれは」
と、いった意味のコトをおっしゃって、簡単スラスラと読むべきモノでないことを諭されて、内心、ホッとはしたものの・・ 恥ずべきかなと、ベッドに入るたびトライするものの、果たせない。
両者ともに凄い集中力がいる本だから、ホンとは寝っ転がって読むようなもんじゃないとも判っているのだけど、なぜかベッドサイドに貼りついたままで、もう10年オーバーなのだ。(20年に近いかも)
で。
秋の昼間の雨降りに、それらを読むかといえば・・ 読まんのだ。手にもしないのだ。
以上はマクラ。こっから本題だ。 \(^-^)/ 
手にするのはヴェルヌの『海底二万里』なのだ。
ボクは偕成社版のそれを枕元に置いている。
上中下の三巻で、嬉しいことに漢字にルビがうってある。原本にあるド・ヌーヴィルとエドワール・リウ両名の挿し絵(木版画)がほぼ全て入っているのも嬉しい。
この三巻を、ダ〜ラダラとめくるのだ。
もう何度も読んでるんだけど、飽きない。
寝っ転がってダ〜ラダラと拾い読む。あるいは、眺める。
近頃の子供は『海底二万里』は読まないのだろうが… ボクは近頃の子供じゃないんで『海底二万里』を愛読する。
海底二万里』といえば、ジェームス・メイスン主演のディズニー映画が一番に想起され、ノーチラス号のデザインも非常に優れていて二の句もないし、メイスンの演技が圧倒的に良くって、ネモ船長といえばこの人の顔が浮いてしまうのも常なのだけど… 強いて難をいえば、原作とこの映画には距離がある。一番にまずいのは映画の中でネモが絶命しノーチラスが沈んじゃうコトだ。

原作は違う。
ネモは不滅だしノーチラスも行方は判らなくなるも沈まない。ハナっから軍艦と敵対した記述があるワケでもない。
(ネモ船長とノーチラス号が『神秘の島』にて再登場し、ここではじめてノーチラス号は終焉を迎えるというコトをあんがいと多くの人は知らない)
原作は、あえていえば観光遊覧の趣きが濃厚にあって、そこのトコロが実に楽しいのだ。
アナクロス博士がノーチラス号に拾われて旅はスタートする次第だが、このスタート点が日本のごくごく近海からというのも嬉しい。
近年は、ノーチラスとは書かず、ノーティラスと記されるコトの方が多くなったようだけど、ボクはノーチラスと書く。
でだ。
一番に心魅かれるのは、そのノーチラスの内部なんだな。
艦内、というよりもこれは居心地良き居間じゃ〜〜ん、って部分に魅かれるんだ。
窓からは海底の様子が眺めていられるワケで、これが外の雨とうまく連動する。
フトンの中の温みと連鎖する。
居ながらにして海底を眺める心地をフトンの中で想像しちゃって、
「ケケケケ…」
と、悦んじゃえるのだ。
ご承知の通り、ノーチラスの居間にはパイプオルガンが置かれ、本が山のようにあって、海洋のあれこれな希有なコレクションがある。
それらが、どういった配置なのか、コレクションケースはどうなってるのか、本棚はどんな形をしてどんな色なのか… な〜〜どなどを空想して嬉々となる。

鉄板の防水壁を動かし、窓辺のカーテンをめくれば海中の淡い光が船内に入ってくるだろう・・ その淡麗な青い光の元でソファにうずくまり、窓の外の海中を眺めるってのはイイよなぁ。退屈しないよな〜。
隠れ家って感じで・・ 男性諸氏は好きでしょ。そこなんだな、魅惑の放射点は。
結局のトコロ、そんな場所に鎮座して自分を肴に呑みたいのさ……。
余談になるけど、そんな次第あって、あれこれ出版されてる、この『海底二万里』にはどんな挿画が描かれてるのかしらん? と興をおぼえ、英国版やらベルギー版やらフランス版などなど、何点か買い求めたコトがあった。
結果として、やはり、オリジナルの挿画がダントツに良いという結論に至って、それ以上に『海底二万里』を買うのは止めたのだけども、知らずと貯まった各国版『海底二万里』を眺めるのもまた密かな愉しみであったりもする。
(ド・ヌーヴィルとエドワール・リウ両名の挿し絵の再現としては、福音館書店版のそれが良い印刷と思われる)
さてと、そんな次第の我が雨降りの秋の昼間、だ。
そうやって偕成社版を読みつつ、ディズニー版のノーチラス号やメイソンさん演じるネモ船長なんぞを木版画で描いた挿画がたっぷり入った本があったら、さぞや楽しいだろなぁ・・ などと勝手な想像をするのが、ボクのヘキだ(笑)。
都合よくヒマで、都合よく雨が降って、都合よく風邪ぎみで… なんていうドンピシャのタイミングはそうはないのが残念だけどさ。