顧みて07年〜かぐや編〜

今現在、月の周回をセレーネ(かぐや)が飛んでいるのは、嬉しい現実だ。
熱狂はないけど、な〜んか嬉しい。
ハイビジョンでの地球の出の撮影を最初の売りとし、この前だか、NHKで特番もあったね〜。
桂文珍が司会のその番組の出来は・・ 残念なコトにかんばしくなかった。
生の衛星中継でもってニューヨークのNHKスタジオにアラン・ビーンさん(アポロ12号で月に降り、今は画家として活躍)を呼んでいるのはすこぶるイイのだが、その扱い方がまったくひどかった。
ビーンさんにおバカな初歩的質問をし、ビーンさんが真摯に応えてらっしゃる途中で、
「はいはい、ありがと〜ございました〜」
チャッチャッと言葉を遮って番組を進行させる愚劣にゃ、腹が立ったよ。
なんなのだ、文珍。重しにもならない迷司会。
事前仕込みのVTRなどには良性なものも散見でき、ほ〜、そ〜かい、と眼をはるような部分もあったけど、総じてナマの部分での出来がひどくってガックリさせられた。
ハイビジョンだ。
ハイビジョンだ。
NHKゆえに謳いたいのは判るけど・・ 地球の出の映像にしろ、実はもう39年前のアポロ8号のフライトのさい、しっかり撮られ、どっしりとしたインパクトをあたえてくれたモノの繰り返しでしかないワケで・・。
番組巻頭で、「月といえばわたくしの名からとって月桂樹・・」などと脈略もないコトを文珍さんがぬかすので悪い予感はあったのだけど、やはりな・・ とガックリの番組であった。
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39年前、あなたはもう生れてたかな? 何歳だったろう?
1968年。
今から39年前だ。
ベトナム戦争は泥沼化し、世界的に学生運動が盛んな頃だ。
米国、スペイン、フランス・・ 大学生は烈火のように燃えて街に出る。日本でも東大の医学部を筆頭にした紛争が火のように燃え上がる時期だ。時の首相は佐藤栄作で、マラソン円谷幸吉さんが自殺し、我が国最初の超高層な霞ヶ関ビルが出来た年。
霞ヶ関ビルには2万人もの人が勤務出来るが、オープンと同時にその2万の内の半分の1万人が1万台のマイカーで出勤しようとしたもんだから当然に駐車スペースはない。
たちまちに駐車場は周辺に多々出来はしたが、あわせて地価も跳ね上がる。土地がお金になる時代がやってきてしまった・・。
まだ沖縄は日本ではない。
歪みを肌に感じて声を荒げる大学生と、それを阻止する同い年の高校卒の機動隊・・・。
その喧燥のさなか、グループサウンドは最盛期となる。タイガースは「花の首飾り」やら「シー・シー・シー」で人気者。ショーケンがボーカルのテンプターズ「神様お願い」がヒットチャートを急上昇中だ。千昌夫さんはデビュー曲の「星影のワルツ」が大ヒット。青江美奈は「伊勢佐木町ブルース」で色気をふりまき、砂良直美は「世界は2人のために」を歌ってウブでジュンな世界を垣間見せた。
一方で既製のワクにとらわれない手作りの名曲も作られた。フォーク・クルセイダーズの「帰って来たヨッパライ」だ。これはこの年、アッという間に大ヒットし、既存でない世界から既存の世界に進出が可能なのだというコトを当時の若者は知らされて衝撃を受けた。
サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」がヒットしたのもこの年だ。だから当然に、映画「卒業」もこの年に封切られた。
映画「猿の惑星」もこの年だし、「俺たちに明日はない」もこの年だ。
ヒットこそしなかったけど、他作品を大きく凌駕する傑作もこの年に封切られた。
2001年宇宙の旅」だ。
そんな1968年の年末に、突然のようにして、アポロ8号は月に向かった。
12月の21日のコトだ。
この7ヶ月後にアポロ11号が月に着陸するワケだが、68年の12月には、実はまだ、グラマン社の月着陸船は完成していない。形は出来上がっているけれど細かい調整に難渋していたのだ。
どこぞのスイッチを入れると電源が落ちるとか、そこぞという時にスイッチを入れるとよからぬ振る舞いをするとか、諸々・・。悪戦苦闘。
だから当然にこの時期、月に向かっての飛行は考慮されていなかった次第ながら、ソビエトのゾンド無人月探査機の成功やら、その動向を気にして、前倒し的プランとして8号を月に向かわせるコトになった。
とにもかくにもソビエトと競走しているんだから、一つのでっかいパフォーマンスを示すコトで米国有利の構造を見せようとしたワケだ。
もちろんながら、そういった政治的意図とは関係なく、宇宙飛行士やNASA関係者は、決定された月への飛行に向け懸命となった。
ボクはその12月、中学3年で、進学に怯えていた。落っこちたらド〜すんだ・・ 自信がなく、ましてや勇気もなく、前方が皆目見えない日々を竦んだようにして、うっちゃってた。
アポロ8号は月着陸船は積んでいないが、アポロ11号と同じ装備でもって月に向かった。
船長はフランク・ボーマン。
アポロ13号で船長になるジム・ラベル。
司令船のパイロットとしてビル・アンダース。
の三人。
人類始まって以来、最初に地球の軌道から外に出たのがこの三人だ。
こりゃ大変なコトだ。
アポロ11号の初の月面着陸同様に、もっと讚えられていい壮挙だ。
8号は月を10周する。
この三人が月の上空で人類として初めて地球の出を目撃するのだ。
たくさんの写真が撮られ、翌日の日本の新聞はいっせいにその写真を載せたぞ。
当時の新聞は白黒だったから、写真の持つインパクトはやや薄まったけど、次いで発売された週刊誌でもって色のついた写真をボクらは見た。
なるほど、こりゃ宝石だな〜! とたまげたもんだ。
受験にお悩みしつつ我がタマシ〜はケッコ〜な感動を受けたもんだ。
やれベトナムだの、やれ全学連だのとの喧燥がまるで嘘のような、美しさだった。
艶ややかでありながらも清廉で、清廉でありつつも妖艶な"姿"だったので、ボクは当時、週刊誌の写真を切り取って卓上に飾り、たびたび眺めては、もの思いに沈潜したりした。その白と青の丸っこい中に自分というモノが存在しているんだ・・ と、少年は足りない頭でもって茫漠と哲学しちゃったりもした。
それから・・ ほぼ40年が経つ。
今回のかぐやによるハイビジョン撮影はムロンに意義あるコトなれど、インパクトという点では、やはり強壮で、ない。
今後数年、地道な活動をセレーネは行なうワケで、そこに期待するし、頼もしくもあるし、その成果にワクワク感をおぼえるのだけれど、ネ・・ 強く引っ叩(ぱた)かれるようなトコロがないのがホントに残念だ。
おまけに、CGの技術が進んで昨今の映像としての宇宙空間は、"ないものまでも見せて"しまえるだけのモノになってるんで、ホンモノの映像が"虚(きょ)"に負けてるのが現状なのだ。映像を見る人の眼が肥えちゃってて、ちょっとした"絵"ではもう驚けもしないのだ。
厄介な時代なんだなァ、今は・・ と、映像技術の進捗によって逆に何事かが後退を余儀なくされてるなぁ・・
「これでエエのんかいなァ」
などと、考えてしまう2007年であったのだ。
※ 掲載の写真は最後の一枚が17号で、あとは全てアポロ8号の司令船からの眺めです。ハスブローカメラによる高精度の写真。NASAのホームページにはオリジナルサイズのでっかいのがありますよ。