雨が降って雪どける

雪が降った翌々日の午後に雨が降った。
たちまちに、かろうじて、あちゃこちゃにへばりつくようにして残ってた雪も消えてった。
我がダルマも、
「カタチあるもの皆な消滅に至り・・」
ってなアンバイと化して、嗚呼無情〜〜って〜〜な感じの、これが雪ダルマだったとは思えぬ姿になっちゃった。
せめて、もう数日、そのカタチがままに徐々に溶けていって欲しかったのだけど、雨に負けた。
ガックリ。ションボリなのである。
存在とはかくもはかなきものか・・ などと哲学はしないけど、せめて雨にうたれぬ場所に転がしときゃよかったと小さな反省もチビリ。
次に雪が積もる日はいつくるだろう?
今年はもうダメだな。
来年かな。
再来年かな・・・。
雪深い地域に住まう方には、なにをアホなコトを・・ ってな感じでごさろうが、この岡山市というフィールドでは、ま〜・・ そういうこっちゃなのだ。
ちなみに、玉野市岡山市に隣接する海沿いの市)では、みぞれだったが積もりもしなかったそうな。
実にささやかな、小規模な雪ではあったけど、この岡山でお一人、福山でお一人、命を失っているそうだ。
一人は雪に転んでレンコンの畑に落ち、レンコン畑の特性としての、あの泥濘み(ぬかるみ)に身動きがつかずで低温症で亡くなり、福山の方は自宅のガレージの屋根(片流れで柱が一方しかない)が雪の重みで倒れて、そのまさに直後に玄関のドアを出て、倒れ寄ったガレージに衝突された・・。
不運。悪運。・・としか云いようもない。
そんなコトで落命だなんて・・ 天の神々をば呪いたくもなる。
誰が好んでレンコンの泥田の中での死を選ぼうや。
誰が好んで自宅のドアをあけた途端の死を望もうや。
が。
降る雪にしてみれば、それはまったく関係のないコトでしょう。
死を悼むけど雪に罪はない。
降られて大喜びする魂がいっぱいある。
雪は、いい。
結果として死者も出たけれど、雪積もる景観に大人も子供も嬉々としたとボクは思う。実際、ボクなんぞは1メートルでも2メートルでも降り積もって、この岡山市がパニックになったらさぞやオモチロカロ〜と常々に思ってたりもする。
そんな豪雪が日常になったら大変だろうけど、そうじゃないんで・・ 大雪を心底に待望してるワケだ。そんなとんでもない光景の中に身を置いて、
「うひゃ〜〜〜ん」
なんて・・ いってみたいワケよ。
なもんで、またぞろ念仏のように、
「雪、降って欲しいよ〜〜〜」
天に向かってお願いしちゃいます。