白昼の月

あんまりないコトだけど白昼に月が見える日が、あるね。
昨日がそうだった。
午後の2時頃から、晴れ渡った東の空にポツリと浮いていて、一瞬、まるっこ〜〜い雲だな〜、と思ったくらいだった。

もちろん、それに気づいたからといって、ドッキリするわけでもない。
「なんだ、月か〜っ」
てな程度の感想しか浮いてはこない。
もう一度視線をそよがせ、
「それにしてもエラクくっきりと見えてるなァ」
と、ボンヤリと思うだけ。
ご承知の通り、月と地球の間には38万キロという距離がある。
ボンヤリと白昼の月を眺めつつも、ボクにはその38万キロを掌握できない。
茫漠と"遠方"を意識はするけれど、直視出来る昼間の月と38万キロという数値を身体として知覚できない・・。
かつてニール・アームストロングさんは月着陸後に米国政府の意向でオルドリンさんとコリンズと共に、日本もソ連も含む全世界を廻って、月着陸の凱旋ツアーを行なって、それが2ヶ月以上もかかって、いささかゲンナリとさせられつつもたえずニコニコ笑顔でなくってはならずというシンドイ思いをしたコトがあるのだけど、その2ヶ月オーバーで国々をめぐった総距離が10万キロに満たないと気づいて、愕然とした・・ といった内容のコトを自伝的著作に記している。
全世界を廻ったコトもなく、月に向けて旅したコトもないボクは、アームストロングさんの胸に去来した違和感めく感慨を、そのままのものとして感じるコトは出来ないけれど、白昼にありありと見えている月が、親近なものであるけれど、同時にエラク遠方な存在なのだな〜・・ と、またぞろボンヤリ考える。
眼に映え、手が届きそうにも見えるものの、それがどれっくらい遠いのかを、うまく掌握出来ないもどかしさに茫漠となる。
たとえば東京で、たとえば大阪で、未知の人に出逢い、
「あなたはどちらから?」
と、問われたら、
「岡山から来ましたよ」
と、ボクは答える。
これを月と地球に置き換えたら、どうだろう?
月の人が問う。
「あなたはどちらから?」
そうすると、もう、岡山という局地を声にしても意味はない・・。
ゆえに、
「地球からです」
と、答えるしかないのだろうね。
尺度というか、スケールというか・・ ケタが違う間隙をうまく縫い合わせるにはどうすればいいのだろうか?
白昼の青空の中の月を見たがゆえ、そんなコトをボンヤリ考えた。