川原にて

年に3回ほど、川原(旭川-岡山市を流れてます)に出向いて一晩をボ〜〜ッと過ごします。
主として日常の呑み仲間と一緒にという次第ですけどね、陽が落ちて暗くなり、焚き火の明りの揺らめきをボンヤリと眺めていると、妙な具合に、"宇宙のでかさ"みたいなものを濃く意識しますな。
音としては、川のせせらぎとカジカの声。
カジカというのはカエルの一種。いい声で鳴きます。姿をみるとただのカエルなのでひっくりカエルくらいガックリですけど・・ 平安の昔から、この声は詠(うた)に読まれていたりします。
江戸期の川柳っぽく使ってみると、
『かじか かじかと 火消しが騒ぎ〜〜』
てなダジャレも生れます。
そんなカジカの声とせせらぎの音、そして、焚き火の揺らぎ。
見上げると暗空に丸い月、であります。
映画「ライトスタッフ」の中で、オーストラリアの先住民アポジニの人達が、やはり焚き火を囲い、うねるような、うなるような音声でもって、何事か謳っているシーンがありますけど・・ 旭川の川原で茫漠と炎を眺めていると、深々と宇宙が身辺に寄せてくるような不思議を覚えます。
室内で、例えば、アポロの模型の原型製作に格闘している時なんぞよりはるかに強靱に、川原にいると宇宙を感じますね。
一体感でもない。疎外感でもない。
空間としての広がりでも狭まりでもない。
何でしょう?
茫漠としつつも醒めていて、醒めていつつモワ〜ッとしている感じ。
ふだんは地表に根を生やしている感触を時に持つけれど、川原で焚き火を眺めていると・・ 根は足先から地上に向けてだけじゃなく、手や肩や胸や頭の先からも生え出して、外に、上に、横に、縦横に広がっていくような、そんな悪しき意味ではない膨満していく感触ですかね。
宇宙が寄せてくるというより、自分が宇宙に向けて拡散していくような按配かな・・
そのくせ、拡散ではありながら凝縮された何かが常にあって、それには喜怒哀楽な日常的な臭気も香気もないのですな・・
悠々としている。
それが、好きですね。  (o^_^o)
ところで今回、はじめてね。
川原でお腹をこわしましたよ。
急にね・・ お腹がね・・ グルグルグル・・
冷えたのですな。
「あかん。シンボ〜たまらん」
と、草むらに直行。
しゃがんだら、もう・・・ 超特急なイキオイでの放出ではありましたが・・ 見上げると月であります。
凛として静粛に、月は、ウンチしたわたくしめを見ておりました、な。