土佐の海のチチコ

中年なれど騒々しいホドに愉快な仲間たちと土佐の高知に出向く。
目的は、新鮮なかつおのたたきに熱湯をそそいで茶漬けにして喰う・・ というただ一点。
藁で焙ったかつおの厚い身。それを茶漬ける。
その昔、ボクは、高知は桂浜にて、闘犬のショーとたたきの大盛りを同時に盛大に見せられ味わうという座敷を体験してしまい・・ 以来、たたきが食べられないという不幸な身となってしまったから、こたびの旅の目的はあんまり嬉しくはないのだけれども、土佐はたたきだけではないのでヘッチャラだい。
闘犬の肉の厚い生きた舌と、眼前の舟形に盛られたたたきの、色、かたち、などなどが混合してボクはたたきという存在そのものが苦手となっている次第ながら、魚そのものの滋味は愛しているから、例えばサバの開き、といったものを七輪の炭で焙りつつ身をほぐして口に運ぶと、ビールがとても美味いのだった。
かつおのたたきにのみボクの舌やボクの感覚が拒絶をおこすだけで、他の魚にはそれがどのようなカタチになっていようが、嫌だ〜、な感覚はない。
他の連中がたたきに夢中になって、ある者は直付けた醤油で堪能し、ある者はそれをご飯に乗せ、湯を注いでかっこむといったコトをしている合間、ボクは炭火の上でサバを焼く。
黒潮本陣という店のテラスは、久礼の小さな漁港を見下ろせる高台にあって風景がよく、また、この日はよく晴れ渡っていて空気もほど良く乾燥していたもんだから余計にビールがうまくなる。
海の広がりを眺め降ろしながら、
「クジラ・・ 見えないかなァ」
と、浮き浮きしている。

この日、はじめて、チチコなるものを七輪で焼いた。
食べた。
乳白な部分以外はレバーを想起する。食感はレバーのそれだ。噛んだ感じ、舌に広がる滋味、ノドを通る感じ、そのいっさいがレバーそのものだ。
そのものだけれども、牛のそれではない。トリのそれでもない。
写真の右側に映るコップのサイズと較べて欲しい。
一ヶ一ヶが大きい。
噛んで飲み込んだ刹那に魚の味がある。
それもその筈。
これはかつおのレバーなのだ。
チチコ、と高知は久礼の人は呼ぶ。
はじめて喰った。
で、かつおの心臓と聞いて・・ 拒絶と許容が我が体内で綱引きをはじめた。
許容が、これはたたきではないぞ。こんがり焼いてしまえばレバーじゃん・・ と囁く。
拒絶が、同じやぞ、ワラの炎で焙られただけの眼の前のかつおの身とつながってた器官やぞ・・ と呻く。
ボクは箸をこっそりおいて許容と拒絶の闘争を眺める。
どちらに軍配があがるのかしらと・・ ビールで口を洗う。