ザ・ムーン

40年が経って、今ようやく、こうして一本の記録映画が編まれた事を素直に喜びたい。
ザ・ムーン」。
こうして2009年の1月16日に、映画館の中で40年前の映像を眺めた事にちょっとした感慨をおぼえる。
日々、アポロの模型と格闘しているゆえ、この映画につい… 過剰な期待を寄せたのも事実ながら、模型へのアプローチとして、資料として、眺めちゃいけないのだ。
模型的視線で申せば、
「おや?」
と思わさせられるシーンもないワケではない。
手持ちの資料では判別出来なかった、たとえばS-IIC第2段ロケット部分の思いがけない所から水蒸気が噴射されていて… これにはいささかたまげちゃったりもした。
「へ〜! あんな所にバルブがあったんかァ」
てな再発見に眼が炯々となりもした。
けれど、この映画の主題はそういった模型的なものではないので、その辺りに過剰に期待しちゃいけない。
映画に登場するのは17号のジーン・サーナンや、お馴染みのジム・ラヴェルや、シュミット博士にエドガー・ミッチェルジョン・ヤングにディヴ・スコットだ。
すごいメンバー。
10人もの月旅行者が一同に出てくるんだから、それだけでもうご馳走だ。
オールスターだ。
例によってニール・アームストロングは登場しない。
が、バズ・オルドリンとマイク・コリンズが出る。
わけてもコリンズ。
この人が語るのを見るだけで、ボクは幸福を感じた。(コリンズさんは今はスミソニアン博物館の館長さんだ)
「打ち上げは恐くないのか?」
の問いに、
「自分は不安をおぼえていたよ。ちなみに、恐怖と不安は違うものなのだよ」
と、素直に言葉を紡いでいくコリンズさんがカッコいいのだ。
映画の中、アラン・ビーンは、ニールの逸話を披露する。ハリソン・シュミットもニールの事に触れる。
アラン・ビーンさんの明るい声と笑顔がボクは大好きで、ひょっとしてボクの知る宇宙飛行士の名の中で一番に好きなのが、この人なのかもしれないな〜、と映画館の中で思いかえしたりしたけど、この映画の中に、"今"のニールが何故に不在なのかというコトをこの映画は実はとても雄弁に語っているんでオドロイタ。
ニールさんの、
「一人の人間にとっては小さき一歩だが人類にとっては大きな一歩だ」
の、あの高名な言葉は、当の本人に一番に重くのしかかったに違いない。
たぶんに彼は、アームストロングという名の個人として「最初の男」になったという事実よりも、「人類」として振る舞っているよう… そう自身に云い聞かせたように思える。
「他の天体に足をはじめて踏み入れたのは、ニールという男じゃないすよ〜。踏み入れたのは人類ですよ〜」
ってなもんだ。
ゆえに彼はあえて、人前に出てこない…。
そう決めて… この40年の間、沈黙し続けているワケだ。
なかなか出来ないよ、これは。
この映画にニール・アームストロングが不在なのが逆に彼の存在を際立たせるコトにもなり… 映画を見ながら、そのような感想がジンワリと浮いてくるのだよ。
映画の中でとても印象的だったのは、彼ら飛行士が月から帰還後に世界のアチコチに出向いたさい、どこの国でも、どのような人でも、異口同音に、
「とうとう人類は月に行きましたね〜!」
と、いったというのだ。
アメリカが」
とか、
「ニールさんが」
ではなく、
「人類はやりましたね〜」
なのだ。
この40年… そんな称賛の言葉が出る事業って、ないね。
それをニールさんは月から帰って、きっと直ぐに真摯に受け止めたんだろうと思う。
匿名でいいと、自身に言い聞かせたんだ。
アラン・ビーンは映画の中でアームストロングのことを笑顔で云ってた。
「ライト・スタッフだよ」
と。
カッコいいなぁ、とボクは思う。
アランさんもニールさんもだ。