サウンド・オブ・サイレンス

この1日、日本時間の午後5時過ぎ頃に、月に中国の衛星「嫦娥1号」が衝突した。
むろん、墜落じゃなく、運営の終了として衝突させた次第だ。衝突させるコトによって得られるデータもまた大事ゆえ。
日本の「かぐや」はこの6月頃に衝突を予定しているそうで、ついこの前の2月の12日には、リレー衛星の「おきな」が一足先に月面に衝突してる。これも墜落じゃなくって、予定された衝突だった。
とんでもなく高額なものだし、それを衝突させて壊してしまうというのは何だかもったいないように単純には思うんだけども放置しておく方がもったいないワケだ。
ぶつけて得る「データ」が貴重なワケだ。
中国国家航天局のホームページには、「嫦娥1号」の衝突時の想像絵が掲載されていて、これがあんまり上手なCGではないんだけれども、感じがよく伝わってくるイイ絵だ。
白黒で描かれているのもいい。
中国国家航天局

大気のない月には音がない。
だから、この衝突にも音がないワケだ。
男のコなら経験があろうとは思うけど、池やら川に向けて小石を放り投げたコトってあるでしょ。
当然の結果として、川面で、
「ポチャン」
なる音がしてるワケだ。
「ポチャン」だったり「ゴッボ〜ン」みたいな、石が水に落ちた証しとしての音を聞いた次第だ。
それが月においては… ないんだね。
絵のような状態で激しい衝突があっても、まったく音はないワケだ。
そこのところがどうも… 感覚として合点がいかないのだね。科学として、音がしない原理も判ってはいるけれど、感覚のところでは納得出来ないのだね。
「やっぱ、サウンドが欲しいよな〜」
なのだよ。
スターウォーズ」も「ギャラクティカ」も、あれに音がないとやはり欲求不満になりますがな。
飛んで、ぶつかって、弾けて、炸裂して… その結果としての音が相乗として事態のリアリティーの骨格を刻んでくれるんだけど、音がないと、どうも物語性の部分での裏付けが弱いよう思えて仕方ない。
楽家は地表から月を仰いでは溜息をつき、感じ入ったままに五線譜に音符を散らしてルナ感覚を示そうとし、それはそれで充分にうったえるものがあるとは思うけど、いざや月面でもって、そこのところをどう音楽として現すかというと… これはかなり難しい。
宇宙服の中で口ずさんだり遮蔽された安全なドーム状の基地の中では、そりゃナンボでも音楽は出来るけど、裸の、生の音は月ではありえない。
月に生命はないし、ましてや知的な生命体などあろうはずはないけれど、もしも… いたなら… 彼らは音楽というアートを編んだろうか?
それはやはり編みだせないよな。音がないんだから楽器も生れない。地球上的な音楽ではやはりありえない。
でも、音がないとはいえ気分を何らかのカタチとして伝えようとするのが知的な生命体であるとすると… 音楽という名ではないだろうけど、なんか… あるような気もする。
その点では、火星やタイタンはいいな(笑)。
大気があるから音がある。
今この瞬間にも火星でもタイタンでも、
「ゴソゴソ、ビュ〜ビュ〜…」
風の音やら岩がきしむ音やらがしているはず。
それは音楽じゃないけれども、聴いてみたいサウンドの一番だ。
土星の衛星タイタンでは今まで考えられてたのとは逆向き一方向にビュンビュンと風が吹いているらしきコトがわかったらしいのだけど…。
タイタンの風についてはコチラ
科学の、データとしてのそれじゃなく、耳の感覚としてその音を感じたいよな。