アラン・ビーンの絵画展

今、アラン・ビーンの絵画展覧会スミソニアン博物館が開催してるんだ。
期間は、今年の7月から来年2010年の1月13日まで。
ALAN BEAN PAINTING APOLLO - FIRST ARTIST ON ANOTHER WORLD』
というタイトルがついている。

1969年の11月。アポロ11号に次いでアポロ12号が月に降りる。
月面4番目の人となったのが、このアラン・ビーンだ。
この"月世界旅行"は10日と3時間。
もちろん、それまでには膨大な準備の時間もあるけれど、彼が月面にいたのは31時間くらい、でしかない。
丸一日と半分くらい。
1973年の7月には、スカイラブ計画の第2次船長としてまた宇宙に出向き、59日間、宇宙実験室スカイラブ1に留まった。
1981年だか4年だかに彼はNASAを引退するんだけど、引退後、画家になった。
これはちょっと稀有なことだ。
スペースシャトルの飛行士とは違い、なんせ他の天体に降り立った飛行士ゆえ、アポロの宇宙飛行士は圧倒的な有名人だったし、フライト後の生活において、引く手あまたの存在だった。
天下りという手合ではなく、そのコネクションを活かせば、すぐにどこぞの企業の社長職につけた存在だった。
けれど、彼はそれをしなかった。
しかも、彼の描く絵はほぼ全て、月面上の"人間"だ。
稀有を越し、唯一だ。
その絵の展覧会を、スミソニンの航空宇宙博物館で開催中なわけ。
けっこう、規模が大きい。
なにしろ、かのアポロ11号の司令船などが展示されている、いわゆる"アポロ・ルーム"のお隣の、ほぼ同じ面積の区画を使ってるんだから、ちょっとしたもんだ。
引退以前から、彼は絵を描いていたし、月に出向いてからは、その絵の方向性がまさに一点に集約されるのだけども、今日に至るまで、延々と彼は月面上の人類を描き続けているから、その数は膨大なものになるんだろう…。
アラン・ビーンはずっと月でのコトを絵を描いてる。
アポロ14号のエドガー・ミッチェルさんは"神"を持ち出すけど、アラン・ビーンはそうしない。
ひたすら、毎日、キャンバスに向って、あの時の体験を再構築し続けていらっしゃる。
月に行った。見た。歩いた。一夜を着陸船で過ごし、また歩いた… これはボクらが想像するよりもはるかに大きな出来事だったんだろうと思う。
地球ではない場所へいくというのは、2泊3日で雲仙普賢岳にいったというのとは違うのだ。
アラン・ビーンが何を伝えようとしているのか… 科学でも経済でもない領域の何かなんだけど、たぶん、アラン・ビーンさえもその正体が判らない。
判らないから描き続けている。
そこのところにボクらはもっと眼を向けなくちゃいけないんだと痛切する。
しかも、いくら眼を向けようと、アラン・ビーンの体内に刻まれた何事かは、月に行ったコトのないボクらには判らないのだ。
そのもどかしさを了解できないままに、ただ単に"宇宙画家"なんてボクらは彼をよんだりしてるけど、つくづく、アポロ計画以後のこの40年オーバーの停滞を残念に思うのだ。
宇宙飛行士でありながら画家になったという人は、実はソ連にもいた。
アレクセイ・レオノフ。
彼は現役時代より、宇宙での何事かを絵で現してた。
A・ソコロフとの共同画集「人類の夢と幻想世界」を見ると、この人の想像力の羽ばたきの強さを濃く感じる。

アラン・ビーンはたぶん想像力という点で劣るところがあるんだ。
だから、ストレート表現をする。
一方、レオノフは、イマジネーションが豊かで、受けた印象を抽象できた。それが彼の絵になっている。
でも、ボクはアラン・ビーンのそのストレートに、心酔する。
スミソニアンのホームページ内の動画で彼が描く姿が出てくるので、見ていただきたい。
愚直といっていい表現法だ。
あの時、月に持っていって、今は彼の私物(正しくはNASAの所有物なので彼はそれを借りているワケ)となっているピッケルを使って、キャンバス(これも画布じゃなく宇宙船の素材だ)に刻印を入れているのを目の当たりにするコトが出来ると、思う。
一度描いた上で、そのピッケルや他のアポロ時代の何かで、彼は絵の中にさらに何事かを入れ込んでらっしゃる。ピッケルの先で乾いていないキャンバスにさらにラインを刻印のように入れてらっしゃる。
繰り返すが、それは愚直だ。
愚直にしか見えない。
けれど、そこにボクは、今の美術界には適用もされないだろう価値を濃く感じてる。
科学でも哲学でもなく、むしろ原始人みたいな感性を慄わせ、もうどうしてもそうしたいんだと彼は何事かを、絵に"念じるように込めて"るようなのだ。
レオノフのそれと違い、彼は徹底して月面での体験を絵のモチーフにする。
レオノフはあくまでも"宇宙開拓の情景"だろうけど、アランのは違う。
月面での彼の個人体験にのみフォーカスをあてて、いらっしゃる。
ペチャンコにして申せば、レオノフのは外に向った絵で、アランのそれは内に向けてのものだというコトになる。
それはもう徹底してる。
そこがとてもいい。
絵に登場するのは、既に亡くなったけれど、共に月を歩いたコンラッド船長だ。
共に月に立ったコンラッド船長を描くことでアラン・ビーンは月での自分に、内的に向い合ってらっしゃる。
それも、2枚や3枚描いたというんじゃない。NASAを引退した後、ずっと今日まで描き続けてるんだ。
繰り返しになるけど、その数は膨大なもんだ。
それだけでもう、宝じゃないか!
ダビンチのそれと同じ序列に入れてもいい、人類にとっての重要な"絵"だ。
ボクがどこぞの美術館の館長なら、予算を費やし、アラン・ビーンのコレクション室を作るんだけど。
あっ! いや… コレクション室じゃ駄目だ。
館まるごと、アラン・ビーンだ。
その意味で、今回のスミソニアン博物館での作品展示は悪くない。
なんせ、アポロ計画の諸々が展示されているスペースとほぼ同じ広さでもっての展示のようだし、何よりも、アートとしての彼の絵をスミソニアン博物館が重要とみとめた、これは瞬間なのだから。
日本の諸々の科学博物館も、これは見習っていいと思う。
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余談ですけどね…
アラン・ビーン達のアポロ12号の第3段ロケット(S-IVB)は、切り離し後は太陽への周回軌道コースを取って、いずれは太陽に焼かれるという運命になってた。
ところが、S-IVBのアレッジ・モーターが過剰燃焼していたために、結果として、月と地球の間を周回する準安定軌道に入ってしまい、太陽方向へはその後2年くらい経ってからユックリと向ってった。予定外ではあったけど、これで第3段ロケットは去っていったと思われていたのだけども… なんと、それから31年経過した2002年に、地球周回軌道に戻ってきたんだ。
2002年の9月に再発見された時には、浮遊する隕石くらいなものと思われて、J002E3という番号もふられたのだけど、すぐに、これが、アポロ12号のS-IVBだというコトが判って、ちょっと、なんだか乾杯したいような、懐かしい人が帰って来たような、妙に心が揺すられるコトになったんだ。
これは今も、月と地球の合間のどこかにいる。人間の尺度ではない時間の只中でS-IVBは再生したといってもいい。今後は、また太陽に引かれるかもしれないし、そうなったら、また何十年かかけて、太陽のはるか外周を廻って地球に戻ってくるというアンバイなのだ。
例えば今から200年先のニュースで、もちろん、その頃にはボクもこのブログを読んでるアナタももういないのだけど、
「250年前のS-IVBがまた地球に接近しております…」
てな報道があるかも知れないのだ。
この小さなニュースにボクはビッグな感銘を受けたよ。
それが、アポロ8号の1/48のS-IVBのペーパーモデル作製の動機だったんだ、ほんとは。(^^)
S-IVBは故郷に戻り、そこにはアラン・ビーンがいる。
すでに彼も高齢だけど、少なくとも今日、彼は生きてる。
このことをボクは嬉しく思う。
月に行った人が、生きてるんだ。
もう10年もすれば、月に行った人なんて… この地球にはいなくなる。
それって… とてつもなく寂しい話じゃないかしら。