アポロのコンピュータ

アポロの月旅行の話が出るたびに、とてもよく持ち出されるのがコンピュータのことだと… 思う。
いわく、
「あの頃のって、今の電卓以下のシロモノなんだってね〜」
「それもビル一ヶ分の大きさだって云うじゃんか」
「よくもま〜、そんなもので月に行けたね〜」
てなアンバイなのだ。
前回の記事でiPadのことをちょっと書いたので、ついでゆえ、今回はアポロのコンピュータのことを書いておこう。
いや、実は… このアポロ計画があったがゆえに、今のコンピュータがあるのだと… ボクはここで強調したいのだ。
ケネディが、月に行くんだと号令をかけた時、月に向けて飛んでいくための正確な航法というものは当然になかった。

すでにヴェルヌの時代ではないので、砲弾に乗ってりゃ運ばれていくというものでないコトはよ〜く判ってた。
38万キロという彼方にまで、たとえ3人の飛行士が乗っていようと、交替でドライブするという次第のものではなかった。
完璧な飛行コースを辿れ、コース逸脱のない全自動なシステムは必需だった。
そこでアポロ計画がスタートするやただちに、NASAマサチューセッツ工科大学(MIT)のチャールズ・トレバー率いる研究所と契約をするんだ。
トレバーは、そのちょっと前に、慣性航法システムというものを開発していて、航空機を自動操縦させて全米を横断するという実験に成功していたんだ。
ジャイロに加速度計測器をつけ、それで自身の位置を見極めつつ飛行するというシステム。
この航法システムを宇宙船やサターンロケットに組み入れようというワケだ。
されど、地球上での飛行機のフライトと宇宙行きのロケットでは、そのシステムが担う仕事量には膨大な開きがある。
そこで必要となるのがコンピュータだ。
けれど、トランジスタを膨大に積み上げ、組み上げしたそれはあっても、宇宙船内に持ち込めるような小さなコンピュータというものは、まだ存在していない。
コンピュータの構成要素である集積回路(IC)というものは、まだ実用のものではなかったんだ。
けれども、それが月旅行に行くのに必要なものであることは判ってた。
そこで、集積回路の設計と製造に予算が費やされることになる。
実用でないものを実用レベルのそれも最上級に押し上げていったのがアポロ計画だ。
たまたまだったけど、シリコンを使った回路設計が特許を取ったのもこの頃だ。
製造技術が確立されていないわけだから、作れど作れどボツにするというアンバイ…。けれど、それが技術確立のための礎なんだね。
この60年代中ごろの米国におけるシリコンチップ製造の実に60パーセントが、このアポロ計画でのものだったというからスゴイじゃないか。
ムロン、今の集積回路とは全然大きさが違うのだけど、当時としては当然に最先端最先鋭の技術だ。
そうやって、宇宙船やサターンロケットに組み入れられるコンピュータは小さなものになっていく。当時の小型冷蔵庫くらいなサイズに縮小されていく。
そのサイズでもって、72キロバイトの処理が出来るんだ。
そう。
アポロ宇宙船や月着陸船のコンピュータは72キロバイトの処理能力しかないワケだ。それでいて冷蔵庫の大きさ。
でも当時はね、それでさえ息を呑むようなスゴイ能力なのだ。
72キロバイトでどの程度の仕事が出来るか… これがアンガイとよく働くのだ。
当時のコンピュータ界では、"タイム・シェアリング"といって、同時進行の作業が4つあるなら、それら4つに均等に仕事をさせるというのが基礎定義だったのだけども、ハル・ラニングさんという天才がいて、アポロに搭載させるコンピュータには"仕事の優先度"という概念を導入させたのだ。
これによって、72キロバイトという小ささながらも仕事の優先度があるワケゆえ、余計なことにメモリを費やしてしまって処理能力が落ちるという欠陥から解放されたんだ。アポロのコンピュータは刻々と変化する状況下の中で、すべき事をわきまえて飛行士達をヘルプ出来るようになった。
位置を掌握し、姿勢制御として時に小さな噴射ロケットを数秒点火させるといった見事な仕事を自動で行なうことが出来たんだ。
さてと問題は…、そうやって入れ物は出来たけど、そこを走るプログラムをどうするかという難題だ。
当時は既に磁気テープによる、あの巨大なテープレコーダーみたいなのはあったけど、それをロケットに乗せるワケにもいかないのだった。
ましてや、ぶっちゃけたところ、ソフトウェアという概念すらなかったんだ。
ソフトウェアという単語はアポロ計画でもって作られた。
このソフトウェアをどうやって船内コンピュータに入れるか…。
その解答として、「おばちゃん方式」が作られる。
全米生え抜きの縫製力のあるオバチャマ達がNASAとMITに雇用されて、なんとプログラムを細い銅線(導線)に編み込むんだ。
正式には『コア・ロープメモリ』という名がつけられる。

コンピュータは二進法ゆえ、0と1の世界だ。そこで、その細い導線と丸いコア(お数珠玉みたいな)を組み合わせ、導線がコアを通過する場合には1、コアを通らない場合は0、という"決め"の元で、二進法で書き起こされたプログラムをオバチャマ達に一本のケーブル状に編んでもらったのだった。
この当時のコンピュータとおぼしき形の中で、パネルの内部にケーブル状の赤っぽいのが見られると思うが、それがまさにこの「オバチャン方式」なメモリなのだ。
そのケーブルの1束1束が、プログラムだ。
だから、オバチャン達が編んだケーブルで船内パネルの奥はいっぱいなのだ。
このケーブルに電力を供給してやれば、ケーブル状の導線の一本一本は自分が何をすべきか判ってるというワケだ。
ちなみにアポロ11号の月着陸船イーグルの着陸用プログラムは、当時若干22歳(!)のドン・アイルズさんが書いた。
それをオバチャン達が熟達な指でもって編んだ。

この手編みのプログラムが着陸直前に「プログラムアラート1202」という警報を発して、飛行士も管制室も大慌てになるという顛末は、かのTVシリーズ「フロム・ジ・アース・トゥ・ザ・ムーン」の中にも描かれている。
ちゃんとドン・アイルズさんも出てくるよ(むろん役者さんが扮してるけど)。編み込んだモノまでは出て来ないけど…。

左の写真は当時の本物アイルズさん(ムロン長髪の方ね。もう1人はトレバーさん)。
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以上、簡単にアポロ時代のコンピュータの実態を記した。
こういった経緯を知ると、もはや、
「あの当時はね〜」
と、ちょっとバカにしたようなモノ云いは出来なくなると思う。
むしろ、尊敬しなくちゃいけなくなる。
サターンロケットの一番最後の飛行は、スカイラブ1だ。
むろん、これにもオバチャマ達の指でもって編まれたケーブルが乗っていたけれど、その頃には集積回路の技術が飛躍的に進んで、シリコンチップはさらに小さくなったし処理能力も大きくなっている。
スカイラブが打ち上げられた頃には既にスペースシャトルの開発も進行中で、この新しい宇宙船では、もうオバチャン達の仕事はない…。
5インチの紙ディスクが開発されたんだ。
と、ま〜そんな次第で、アポロ計画があったればこそ、コンピュータの発展があったというわけだ。
その過程でもって製造技術が確立し、量産も出来るようになる。
80年代の初頭に、そうやって量産されたチップなり回路が一般人の手にも入るようになって… そこでスティーブン・ジョブスさん達が自分の愛車のワーゲンだかを売ってチップなんぞを買い込んで、自分で小さなコンピュータを作るんだね。
それをガレージセールみたいにして売り出す… と、これが、今のアップルのスタートだ。
俯瞰として眺めると、アポロがアップルを作ったみたいなもんだとボクは思う。
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※ 1番上の写真:ヴェルヌの「月世界旅行」の記念切手
※ 2番めの写真:コア・ロープメモリ 下の写真:スカイラブ計画の記念切手とスカイラブ1のペーパーモデル(部分)