iPadと2001


アップルがiPadアイパッド)を発表していらい、何か頭の端っこにこびりついてるものがあって、おやおや? と思ってたのだけども、それが何だか判らない。
懐かしいような、新鮮なような、どこかで、いつかで、見たような、感じたような、
「ぅううう〜ん、何だったかな〜」
マチガイなく、かつてこのiPadめくものをボクは見聞してるんだけどなぁ… と、もどかしい気持ちを抱えてたワケだけど、それが何か突然に判ったので、嬉しいし、チョイと驚きでもあったので記しておく。

あまりに馴染みのものであったゆえ、逆に思い出せなかったんだけど…、iPadが出てきたのは、映画「2001年宇宙の旅」だった。
40年以上も前に、iPadめくものが描かれてたワケだ。
"情報端末"といった語もまだ生じていない時代に、こうやって機器が描かれているのだから、やはり、すごい。
一番上の写真。ボウマン船長が右手で抱えているものが、その問題の"iPad"。
これをテーブルに置いて、船長は食事の用意をし、席につくと、"iPad"を眺める。
プール副操縦士はすでに自分の"iPad"でもってニュースを読んでいらっしゃる。
別シーンでは、この機器とおぼしきもので何やら計測結果を記しているとも取れる描写があったりもする。
子細に眺めると、この機器の上に紙を置いて、それに何事か計測記録をしてるという描写もあるのだけど… 少なくとも、"iPad"めいた"持ち歩ける情報端末"が描かれていることに違いはない。朝食なり昼食なりをいただきながら、それでニュースペーパーを読むことも出来るというカタチをキューブリックは見せてくれたワケだ。
iPadはでっかいiPhoneに過ぎないという意見があるけれど、老眼に侵食されたオジサンの眼では、iPhoneの画面は小さ過ぎるのだよな。
何もかもをiPhoneに一任しなくともよいワケで、だいたいiPhoneで動画を見るというのがボクにはピシリとこない。

代用的にチョイと眺めるはあっても、常時そのサイズで何でもかんでもはチョイつらいのだ。
だからiPadの大きさとそのカタチはボクには好ましいものとして映ってるワケなのだ。その理想をカタチとして確固とさせてくれてたのが、「2001年宇宙の旅」だったというワケだ。