雨降りだからヴェルヌでも読もうか


「雨降りだからミステリーでも勉強しよう」は、かの植草甚一の本のタイトルだけども、この気分はボクには鮮烈なものとして映ったよ。70年代のはじめっころだ…。
以後、その"雨降りだから"は、ボクの中で発酵し肥大し、とっても良い気分な感じの"時間"の代名詞となった。
近年のボクの気分はといえば、
『雨降りだからヴェルヌでも読もうか』
だ。
出かける予定もないし、外は雨だし、仕事は… しなきゃいけないけども、ちょっと放棄してアトやサキは考えず… ソファは持っていないのでベッドに寝っ転がり、ジュール・ヴェルヌを読み出すのだ。
願わくば、窓の外に雨音があるのが一番にいい。
音のない小雨ではダメ。かといってドシャ降りはダメ。
適度ほどよく雨音が一定のリズムを刻んでくれるようなアンバイの湯加減が最適なのだ。
そのあたりの消息を、『詳注版 月世界旅行』でW.J.ミラーは、ヴェルヌの砲弾ロケット内部の挿画を用いて、「閉ざされた室内と窓のモチーフは、世紀末文芸の固定観念でもあった」と記して、その論は、"閉じこもり原理"の的確な指摘でもあるのだけども、分析は… 雨降りだから必要はない。
2年ほど前に、水声社から「水声通信27 特集ジュール・ヴェルヌ」という本が出たんでボクは速効で紀伊国屋の通販サイトで買い求めはしたけれど、内容の硬質っぷりに驚いたもんだ。
学研の対象としてのヴェルヌとその作品像をトコトン掘り詰めていて、とてつもない労作の集合体とボクは大いに認めて感服するし、新たな知識も注入されもするのだけど、とてものこと寝っ転がって読むようなものでない。
読むうちにドンドンとヴェルヌが、漂白剤につけられて色を抜かれていくような思いになるばかりなのだった。
複数の識者が、これでもかと… とばかりにヴェルヌ作品を分析し解明し掘り下げる様相は、それはそれで凄いけども… 読めば読むほどに我がヴェルヌは遠のいていくような感じになるのだった。
だからボクは「水声通信」は傍らに置いて閉じ、雨降りには、ヴェルヌそのものだけを読むことにした。
月世界旅行」や「海底二万里」や「動く人口島」をめくるのだ。
とはいえ… ボクは本を読み出しはじめるや、スグに眠くなる。
2ページと進まぬ内に赤ん坊のように手や足の先が温もってきて、眠りの甘い誘惑に誘われるのだ。
ヴェルヌに申し訳ないと思いつつ、これは抗えない。
それでボクは本を胸のあたりに置いたまま、トロリ〜と溶ける。
雨音が心地好い。毛布の感触もよい。
外はシットリ濡れてるけどボクは程よく乾いて、例え2ページと進まなくともヴェルヌのおかげで温かい。
これを自分で良い方向にとらえるなら、1冊の文庫本で半年以上愉しめちゃうというコトでもあるんで、実際、そういうアンバイであるからボクのお小遣いの書籍に割り当てられる量はアンガイ… 少ないのだ。
物理の世界では「遠方では時計が遅れる」けど、我がベッドでは「甘睡に読書は遅れる」なのだった。
一方で… 最近、集英社がヴェルヌ作品を『ジュール・ヴェルヌの名作がヤングジャンプ人気漫画家の新カバーで登場』と銘打って販売し、若い新たな読者を惹き寄せる試みをなさってて、それはそれで良しとしますけど… ボクには内容にそぐわない違和が覚えられて手にして落ち着かない。そのカバーがゆえに甘睡の誘いが来ないのだ。
わけても永く未訳で日本では初の出版となった「チャンセラー号の筏(いかだ)」。
この本はせめて、表紙には絵を用いず、ページ内に1875年のオリジナル版の挿画で出して欲しかった…。
やはりね、本は表紙に引っ張られる所があるから、初訳ともなれば余計に。
思うに"本"としてのヴェルヌは、『挿絵と一体』なのだ。
彼の小説は「驚異の旅」というシリーズとして刊行され続け、本は挿絵付きなのだった。
挿絵は数ページに1枚という割合で登場するから、テキストを読むのと同時に読者は次の絵にも期待するという2重の楽しみを持つことになる。
「驚異の旅」シリーズはビジュアル・ブックでもあったワケだ。
だから、ヴェルヌの小説とそれら挿絵は対等に位置し機能していたように思うんだ。挿画はけっしてオマケではない。その辺りの消息は、原書のテーストを比較的忠実に再現していると思える福音館書店の、例えば「海底二万里」とか「神秘の島」をめくってみればよく判る。
数ページごとに絵が出てくるから嬉しい。それが本来は丹念に彫り込まれた木版なのだから尚、嬉しい。
ゆえに、初訳たる「チャンセラー号の筏」は、オリジナルの挿画を入れるべきだったと確信するし、表紙は、願わくば現在のマンガ家の手ではない形で販売して欲しかったという次第。
ヴェルヌを今風の意匠にすることは必要ないし、むしろそれは余計だろうとも思うのだ。
原理主義者じゃないのだけれどね。雨降りの日のベッドで、ボクはテキストを読んでばかりではなくって、実は挿絵をジ〜ッと眺めてたりしてる方が多かったりもする。それもヴェルヌを読む楽しみなのだ。
だから、いっそ今ヴェルヌ本を出版するのなら… 徹底して諸々な図版を収録したものが望ましい。エッツェル社版のオリジナル挿画だけではなく、ヴェルヌのテキストに沿って諸々な図版を、まさに百科事典のように徹底的に網羅しちゃうのだ。
もはやペーパーである必要はない。ペーパーであっても良いけれど、iPadならヴェルヌ的趣向がいっそう煌めくよう思う。そうなれば、ボクはいっそう雨降りを… 切望しちゃうだろね。