タイタンに雨が降る

ここ数回、なんだか生っぽい言葉で書き連ねている。
なのでちょっと反省だ…。
地表を離れ、他の星のコトを書いて少し気持ちを乾かそう。
と、いいつつも… 内容は雨についてだから、ドライな話ではないのだけどね。
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タイタンに雨が降っている。今、この瞬間にも。
NASAからの報告だ。
ココココを参照。

タイタンというのは土星の衛星だ。
衛星だけども実際は水星より大きい。土星の磁場から離れていたら、これは立派な惑星だ。
そこに探査機「カッシーニ」が近寄って観測。
雨が降ってるのを確認した。
カッシーニは1997年に打ち上げられ、2004年に土星の軌道に入った。土星をクルクル廻りつつ半年後にはホイヘンスという名の重さ320Kgの小型探査機を衛星タイタンに軟着陸させもした。
ホイヘンスは降下中からタイタンを撮影したけど、着陸は妙にフンワリとした感触のもののようだった。と同時にカメラのレンズに泥のようなものが付いちゃった。なので撮影がおぼつかない。そうこうする内、4時間後くらいに連絡も絶えた。
どうも… ゆるい沼のような所へ降りちゃったようなのだ。だから、ゆっくり沈んだとも考えられる。
でも軌道周回しているカッシーニはその後も元気。
地球時間の朝6時に目覚めるとスグにラヂオ体操第1で身体をほぐし、味噌汁に食パンの和洋折衷な朝食をすませたら、さ〜、観測だ… (うそ)。
予定では2017年の半ばまで色々な探査を日々続けるハズだ。
タイタンに雨が… というのはこれは既に予想されていたことだったのだけど、ホントに降ってるのを観測出来た意義は大きい。
雨、といっても地球のそれではなく、メタンの雨だ。
メタンは、地球では天然のガスとして掘り出されているし、エネルギー源として活用できるから工場で多量が作られてもいる。都市ガスがそうだね。
人体には基本として無害。
でも、ヘタに扱うと発火する。メタンガスに塩素を加えて太陽光に晒せば、それだけでボン! 発火する。
このメタンが液体状になって、タイタンの地表に川や湖を構成しているコトは2004年のホイヘンスの降下中の写真で判ってた。
無色なものだから、傍目からは、水のようにも見えるであろう。
比重が水にくらべて半分ほどだから、このメタン湖で泳ごうとすると、浮き上がってしまい、なかなかうまくは前に進まないだろうし、潜るのも簡単でない。
なので誰しもが、
「めたんこ難しい…」
と、感想をこぼす。

そのメタンめが今回、観測として、雨として降っているのが確認されたのだから、『衛星タイタンは生きている』と大袈裟にいってもよい。
一応は、無害ということであるから、この雨に濡れても差し支えはないと思われる。
メタンは、水素と一酸化炭素の混合反応で生じるものらしいが、またメタン菌という菌が作るものでもあるらしく地球における天然モノはほぼ全て、そのメタン菌が作った。
メタン菌は動物のお腹の中や沼にいる。人間の体内にもチビッといる。
牛や羊がゲップすると意外と大量のメタンガスが出る。
なので、衛星タイタンのメタンは、そんなメタン菌が介在してのものではなかろうかと推測されもする。
すなわち、タイタンに菌がいるワケだ。菌があるならば当然にそれを発生させる元になる微生物がいなくてはいけない。
なので、タイタンは生きている… 可能性がある。
もし、そんな菌を産む微生物がいるなら、今のうちに名前をつけて、これをボクは商標としてか生物名としてかで、登録しておいた方がいいかも知れないな。
たぶん、まだ誰もそんな先物買いみたいなコトはやってない。
タイタニアン」
「メタリアン」
そんな感じの名が良さげかな。

でも、ここまで書いて何だけど… 実際はいささか残念なことに、タイタンのメタンは生物が介在してのものではないであろうとの推測の方が有力だ。
ともあれ、タイタンに雨が降っている。
ちなみにタイタンの生な音も既に地球に届けられている。
音源はココ
着陸探査機ホイヘンスがタイタンへ降下中に収録した音だ。
風切り音みたいな感触でけっして雨音ではないけれど、他の星のナマのサウンドであることに違いはない。これはとても貴重な音源だ。でも音楽じゃないからリズミカルじゃない。人によっては、何の意味もないノイズだ。
でも、想像力を膨らませて聴くがよい。はるか遠い彼方の星で収録された本当の"音"なのだ。
タイタンの大気はほとんどが窒素なので、大気という意味では地球に似た音を味わえる。大気のない月じゃ、こうはいかない。音がない世界なんだから。
いつか遠くない未来に人類がこのタイタンを傘をさして歩く日が来るかしら?
あって欲しいな。
傘だよ、傘。
宇宙飛行士が傘を持ってる図というのは、それはそれでイイではないか。宇宙服を着ているから傘は不要だけど、なんか、傘は、"絵"になるじゃないか。
ちょいと高価な皇室御用達の前原光榮商店製でも、普及廉価なアイデアル製品でもよい。
「あ、降ってまいりましたな〜」
と、携帯した折りたたみ式を取り出して展開。傍らの女性飛行士に、
「あなたもお入りよ」
相合い傘だ。
「少し歩きませんか?」
「そうね」
「あ、そこ、水たまり」
「おっと、いけね〜。よっこらさ」
と、ショボショボ降るメタン雨の中を向こうの丘まで散策し、
「御覧よ。あの雲の向こう。ほらっ」
朱色がかった雲の切れ目の向こうを指して、
「ほら、あそに見えてる。カッシーニの間隙が」
_________などと、タイタンタイタンと連呼してる内に、ずっと前に読んだ1冊の本を、今、思いだしたよ。
タイタンの妖女」。
ごぞんじ、ヴォネガットの傑作だ。
もちろん、この小説では科学としてのタイタンなんかはどうでもいいのだ。
ヴォネガットの本は読んでる内に幸福感にくるまれるようなところがある。文体がもつ魔法かも知れないが、読むのが楽しいと思える数少ない作家の1人に思う。
大富豪の主人公が貧乏の底に落ちる瞬間をホテルのバーで待っている2人の火星人のリアリティやら、わずか1時間ほどの実体化の後にまた存在が消失していく犬の描写などなど、読んでもう20年以上が経ってストーリーの全貌は忘れたけども、いつまでも余韻として残る秀逸なシーンが、あるいは言葉が多々散りばめられていたのを思い出す。
想像力・空想力・何かをまとめる力… 誰にでもある能力ながら、これには大小がある。幅がある。深さがある。
ヴォネガットの小説はそんな力の極大が実によく働き実によく編み上げられた産物に思える。容易に出来るワザではない。
なによりも、彼の文章はよく乾かされていて濡れてしめった感じがない。
ドレスデン空爆をモチーフとしたかの傑作「スローターハウス5」においてさえ、彼は彼自身が経験した怒りや失望や悦びを生々しい言葉として吐き出しはしなかった。そういった湿潤な言葉を徹底して遠ざけた。
ナマな言葉を排除し、あえて、スルメを作るように言葉の一切を乾かした。
だから、軽〜く書いていると見せかけてはいるが、作品はどれも、実は時間をかけている。
採取し、並べ、選び、乾かし、そこからまた選んで乾かせ… と、時間をかけて文を紡いでいらっしゃる。
そこにまさに、スルメを噛んで滋味が出るみたいな旨味がある。
タイタンの妖女」もそうだ。
よし。決めた。ちょっと久しぶりに読み返そう。
もちろん、日本版のハヤカワ文庫で。