いびつでうすいガラスのニッポン

思うに、日本人の気質というのはかなりヤッカイなものではなろうか…。
自虐的ねメダマで見て云ってるんではなく、実際に即して… そう考えてしまうんだ。
3/27付けの朝日新聞が伝えた、「集団疎開、心の痛み抱えて残る住民、わだかりも」という記事には、そんなヤッカイでヤバイ性質の日本人の姿が垣間見える。
とりあえずの避難所にいる方々に向けて行政が疎開先を紹介したけれど、それに対して、「出ていったヤツは、戻ってこないでくれ」との声があるそうなのだ。
『自分だけイイめをするヤツはもう、この土地には帰ってくるな』
というコトだ。
記事によれば、これが暗にヒソヒソではなく、避難場所の某自治組織にいたってはそれを明確に表明しているというのだから… これは困ったもんだ。
当然に、疎開して急場をしのごうとする人はこれでは、出ていけない。
暗に縛られているワケだ。
気兼ね。遠慮。見栄。そして近所の眼。
などなどが交錯する。
災害の直後は未曾有の被害にも関わらず、粛々と秩序を保ったボクら日本人に世界中が感服して、それが幾つもの記事にもなったけれど、時間がジワジワ経って行くに連れて、違う面が、まるで化粧がはげてくように出て来たように思える。
早い話が、集団による集団のための集団。
横並びの護送船団式で、出るクギは打たれるという、かつて世界中から非難をされた日本の経済方式とまったく同じ図式が見えてくる。
経済という活動だけではなく、その根っこは、実はここにあったかと、哀しい思いに囚われる。
江戸時代300年の合間に皮膚にも骨にも浸透してしまった、「5人組」的な感性が、今も連綿とボクらの血の中にあるんだな〜… と、愕然とさせられたのだ。
「5人組」というのは、お江戸の幕府が全国の町村に作らせた互助組織だ。
互いが互いの連帯責任を担って、火急の事態な火事の対応をはじめに、年貢の納めに至るまで、何やかんやを5世帯を単位にして助け合おうという仕掛けだ。
Aさんの家のお米の出来具合が細い年には、ほかの4軒がそれを補う。
Bさんの家が火事になれば、他の4軒が焼け出されたBさん家族の面倒をみる。
ちょっと良さげだ、
この互助の精神がこたびの災害にも生きている。
だけど、でも、こんな面もある。
Cさん宅の長男がちょっと見聞をひろめ、バテレンに魅力をおぼえて、
キリスト教がいいぞ」
と、それは口にはしなかったけど、とにかくもバテレン関連の本だかを持ってるらしいという噂が出るや、4軒はCさん宅を突然に冷遇する。
意地悪をしだし、まったく無視をはじめる。役人に訴えでる。
村八分、というヤツだ。
相互扶助でありつつ監視でもあるといった、これはヤッカイな方式だ。
このヤッカイな方式が血の中に入って体温に同化するや、方式はあたえられたものではなく血肉化してしまい、
「意にそぐわぬ者は徹底的に排除疎外する」
というコトになる。
昨日までは仲間ですからとにこやかに笑みた者が、いざそういった全体的でないチョイと浮いた者が出るや、氷にように硬くなり冷たくなり、徹底的に排除しようとする。
それも… バテレンの本を読んだとおぼしきC家の長男だけでなく、C家そのものを排除しようとする。
こたびの朝日の記事を呼んで、この気分が今もって因子としてボクらにはあるのではないかと、ヒリヒリするような感じをおぼえさせられたんだ。
3/28付けの東京新聞は、論説室からとして、「いまは心を寄せ合うとき」と題し、表題通りの内容でもって記事を進め、避難している方々に向けて、"「みんな、あなたたちのことを考えていますよ」と伝えたい"と結んでらっしゃるが… あまりにこれは牧歌的な論説だ。
そんなコトは大小濃淡はあれど誰もが判ってる。
避難生活をすでに2週間も余儀なくされている方々の苦労は、到底に、
「うん、判ってるよ」
な、"感じ"だけでは断じて語れはしないのだ。
オール電化なハウスを建てて、そのローンを払いつつ、47型の3Dテレビも買ってコレもローンを払いつつ、トイレにも暖があってウォシュレットで洗浄な環境であった方々が、その家屋を失って、どこぞの体育館に否応もなく住まわざるをえなくなり、トイレに行けば、水が流れずで他人サマのウンコやペーパーがうず高く盛り上がったその上に、自身もぶちまけなくちゃいけない境遇を容認せざるをえないコトになっているんだ。
家もテレビも失ったけどローンは残ってる。その上で、必死に我慢して汚い便器にウンコしてるんだ。
あるいは、そんなんだからウンコも出なくなって心理的にもシンドイことになっているんだ。
そんな環境化で、誰それの家族は"疎開"をするらしい… と聞いた途端に、気分がグラリと変容する。
「出て行くんなら、もう2度とここへは戻ってくるな」
と、連帯を断ち切られた思いを濃くさせて、突然に冷淡になる。
これは、本当にヤッカイだと思う。
出ていこうとする人にとっても、また、それを冷淡に見詰める人にとっても、実態はメチャな苦悩の上にある"わだかまり"なのだ。
それゆえ、多くが、隣り近所の眼を猛烈に気にして、遠慮をする。
「だいじょうぶです。私らもまだこの体育館にとどまってガンバリます」
と、なる。
哀しい図式だ。
誰も悪人じゃない。
とりあえず出て行こうとする人も、留まろうとする人も、けっして悪人なんかじゃい。
けど、ジワジワと乖離が広がりつつある。
江戸時代に馴染んでしまった癖(へき)のような、普段は忘れていた因子が熱を帯びだしている…。
日本の舵をとる政府は、そこを早く、徹底的にホローしなきゃいけないと思うけど… たぶん、気づいていない。
朝日新聞のかの記事はむしろ特例のようなアンバイで、他の新聞、テレビ、ラジオ、行政、医療… まだ、そこにまで思いが運ばれていないと、そう感じる。
ボクはサンケイ新聞をさほどに嫌いではなく、朝日新聞などと比較すると、セ・リーグの野球開幕の件などを批判するトーンがちゃんとあったから評価もしたけど、一方で苛烈な現実にはそぐわない内容にも辟易させられている。
民主党への批判はそれはそれでよいけれど、例えば3/27付けの記事などには、おぞましさをおぼえた。
「独善 場当たりの首相 大震災に現れたヒットラー」なる記事は大幅な文字数を使って、ヒットラーと管首相を結びつけようとする。
事実を伝えるというのではなくって、ひたすら現政権の悪印象を植えようとしているという目的が透けてみえ、読むと不快感が昂ぶる。
わざわざヒットラーの写真までも並べ載せて、管首相との類似を浮きぼってるつもりのようだけど、いまこの時期に何を云ってるんだろ、どこにエネルギーを費やしているんだろうと逆に腹立たしく、いま、そんなコトを声高に"キャンペーン"してる場合じゃなかろうと憤慨させられた。
結局、この新聞社の“村”意識を濃く感じてしまうだけなのだ。
それは、サンケイだけではない。全マスコミは、今回の事件を上手に報じていないし、その術(すべ)の限界を明白にしてしまった…。
朝日は朝日で、どう見ても読売巨人のオーナーの暴走らしき事態の推移をニュースにもしなかった。
報じてしかるべきモノゴトに口を閉ざしたら、それはもう新聞の役割を放棄してるようなもんだし、同業ゆえの遠慮であるなら、それもまた"村社会の構図"そのものだ。
ともあれ、スリーマイル島を上廻った災害を含めて、日本と日本人はいま崖っぷちにいる。
わけても、情動の部分においてボクらは、平成の時代に生きつつも、その根幹は江戸時代のそれであり、明治時代のそれのままだったという現実の姿を世界にさらけ出している… という気がする。
『砂上の楼閣』というのがあるけど、いま日本は、まさにカタチ崩れやすき砂の上に気づかれたモロモロであったなと痛感させられている。
導く者もいないのだ。
圧力容器の破損の可能性が大きくなったことについて、3/28付けの共同通信発のニュースでは、日本の原子力安全委員会斑目委員長の発言として、
「大変な驚きで憂慮している。事態がいつ収束するか予測できない」
と報じてた。
一方で、同日、フランスの原子力安全局のラコスト局長の発言も報じられている。
こちらはといえば、
「30キロ圏外に汚染が広がり…(中略)…100キロ圏に広がったとしても驚かない。状況が管理出来るまでには、数年から数十年を要する」との考えも示した、とある。
予測すら語れない日本のトップに較べれば、原発大国でもあるフランスの同じポジションにいる局長の発言の方が重みがある。
扇情で彼は云ってるんじゃない。悲しい予測ながらも、そこからは一つの指針がえられる。あるいは覚悟を換気させる力がある。
ここでもまた、「想像力」の有無が問われてるような気がする。
この日本では、たとえば、防衛の話すらも一種のタブーみたいな感じでマトモに話せない。自衛隊の幹部なりが核武装を話として持ち出した途端に首が飛ぶんだから、これはアリスもビックリのとても不思議な国だ。
むろんにボクは核武装などは容認しないけれど、少なくとも危機を想定した上での議論はしていいし、しなくちゃいけない。
それが出来ないのが日本だ。だから、日本の原子力安全委員会のトップの発言にもその感触が滲んでる。トップをして"予測できない"と云わしめる。
そんなアホな話はない。
こんな不安定なアンバイがながく続けば、失望感がふくれてきて、たくさんの人の心の内にやがては厭世的な気分が常駐するようになるのではないかしら?
ゆえに今後は、宗教に、何か啓示をくれる宗教的なものに日本人は眼を向けていくような、そんな気がする。新興のワケのわかんない宗教的な団体や感性らが湧いてくるような気がする。
いま、「タイタンの妖女」を久しぶりに再読中なれど、本書のテーマは宗教だった。人の心はどこに落ち着きをおぼえるのか、それをヴォネガットは滑稽味たっぷりに描き出してる。