光あれ…

おとといの日曜、デジタルミュージアムでちょっと作業をしたのち、某理科大の某教授と奉還町のトリデンで飲んだ。
いつもいく店にはデ〜ンと1本キープしてるから、それを呑んじゃをっと思ってたんだけど、日曜だ。その店は休みなのだった。
「あ、そ〜か、今日は定休か」
「がちょ〜ん」
二人で苦笑いし、近場のトリデンに鞍替えた。
2杯めの生ビールを干す頃に、話題がニュートリノにうつった。
こたびのニュースがホンマにホンマの事実なら、『驚愕』という単語はまさにこのためにあるようなもんだ…。というか、他のどんな『驚愕』もこの『驚愕』の前では色もカタチも褪せちゃうのだ。
開口一番に、
「まったくどう解釈してよいやら判らん」
と、教授は遠い眼をしていう。
根底が、原則が、大元が、不変が、土台が崩れるワケだから、そりゃもう衝撃は大きいのだったが、ボクが思ってる以上に、教授には深刻かつ重大な問題なのだった。
お隣に住んでるのがヤマモトさんだと60年以上思ってたのに、実はヤマシタさんだった… てなビックリではないのだ。
ビックリはビックリでもBIGの加減があまりにデカイのだ。
ボクにもうっすらだけど、この驚愕と衝撃の大きさは判る。
250年前のニュートンが重力を発見し、それを100年近く前にアインシュタインがより頑丈に補足した上で打ち立てた相対性の理論だ。
光よりも早いものは存在しない。この前提が崩れたとすると森羅万象いっさいを説明して納得させてくれる、まったく新たな言葉と式が必要になってくるワケだし、なによりも感覚としての"光より早いものはない"が、ぐらついた虫歯を舌の先で触れる不穏な感じに似た不安定な気分を増長させてくれるのだ。
容易に、
「あ、実はね、これはね」
と、云えるようなもんでない。
云えるようなら、アインシュタインに次ぐヒーローの誕生だ。
方程式に少し手を加えるコトで説明が可能なのか?
まったく新たな体系と式が要るのか?
11次元宇宙モデルの、いまだ解釈できない1つの次元を解説するコトになるのか?
な〜んも今は判らない。
判っているのは、科学が変わる可能性が大で、哲学も変わることが大だ… というコトくらい。
服を着けて歩いてるつもりだったけど、実はスッポンポンでござんした… みたいな羞恥が伴うような感触がわいてくる。
思えば、まだまだその程度の知識しかボクらは持ち合わせていないワケで、それでいきおい… 原子力を制御出来るといったりするのはあまりに無茶でしょ、やっぱり… な感想も浮く。
むろん、一方でワクワクする気分もある。
なんだかどえらい"発見"をしたぞ人類は… とも思える。
極小な極小な極小なものが集積して物質になり、それが重力を産み、凝縮されて熱を出す。光り出す。
極小というのはどれくらいに極小で、それは何と何を含むのか、含まないのか。
たとえば、今、あなたが頭に描いたソレやアレは電気信号ともいえるけど、それは物質なのか?
物質なら、あなたが考えてるモロモロは掃除器で吸引が出来る。
吸引し、袋にいれ、フルイにかけて分類して、そこの棚に置いておくコトもできる。
それを冷やすか暖めるかすると、どうなる?
時間が経つと"崩壊"するのか、しないのか?
そも、その棚のビンに入れた意識のカケラに時間は適用されるのか?
昨日考えたモノを詰めたビンと一昨日考えたビンの中身をゴッチャにして攪拌したら、明後日のそれになるのか? あるいは来週に結ばれるのか?
てなSFめいたメチャでハチャで何でもこ〜いなコトになってしまった、今回の"発見"だ。
ニュートリノの速度超過をビシッと説明出来る論理が登場までは、ありとあらゆるコトがいえる、いわば新たな混沌がやってきたワケだ。
「光あれ」
が神さんの第一声と教会は教えるけど、その光の前に何ぞがいたワケで、そうすると神さんそのものが… ウソこいた、しらんかったコトになる。
なので宗教にも影響する。
オモシロイじゃないですか。
てなワケでトリデンでガッバガバ呑み喰いた。
呑まなきゃチョットやってけない… てな感じも背中にありだ。