ジョブスの未来


iPhone 4Sの示唆するところは、結局のところ、HAL9000なのだと思う。
思い返すまでもない、最初のマッキントッシュの最初のデモでジョブスはマッキントッシュに喋らせてたもんな。
以後、マックの画面上に登場するのは「Hello」であり、「Hello again」であったりして、そこにはやはり擬人化めいた"個性"の創出がモノ作りの根っこにあったと思える。
"人工知能"って名は見果てぬ夢的な感触があるから、企業家としてのジョブスは意識的にそれを前面に出さないでいたようだけど、いきつくトコロはそこだったのではないかと愚考する。
iPhoneの、あのカメラのアイコンは、ビジュアルとしてのHAL9000の"眼"そのものといってイイだろうし、おおやけにこそしないけどジョブスは「2001年宇宙の旅」に影響を受けたハズ。
じっさい、デバイスの一部として、この映画にはiPadに似通う装置も登場していた。
それは持ち歩かれるし、ディスカバリー号内の食事シーンでは主役たちはそれで映像ニュースを見る。
その装置がHAL9000にリンクしたものであろうコトは誰でも想像がつく。
ジョブズの夢は、おそらく、チャンとしゃべり返すコトが出来る機器を産むことなのだ。当然に、映画の中のIBM製ではなく…。
今回の、iPhone 4Sの発表のタイミングには、死を目前にしたジョブスへの仲間たちからの、
「指示された通りの方向に向かいます」
の表明と捉えてもイイよう感じる。
アップルというかジョブスは、おそらくは、今回発表のSiriなる"人工知能"に大きな何事かを託したように、思える。ベータ版だというコトを前提にした発表の前倒しには、ジョブス生存がながくはないゆえにの事情もあったよう思う。
ジョブス最後のメッセージが、このSiriにあるなら… とどのつまり、マックもiPhoneiPadもただの受け皿の、デバイスの1つでしかなく、一番に大きな背景となる"絵"は、少なくとも自宅という環境内にあっては、どこにいてもチャンと受け答えしてくれる“存在”たる何事かを発明発表販売普及… というコトではないかしら… とボクは思うのだ。
ジョブスは最終的にその"絵"を描き紡ぎたかったのではなかろうかとボクは思うのだ。
なので、死が10年早過ぎた無念がいたい…。
信長は今もって大きく誤解されている人物だけども、ボクにはヒーローだ。
同様にジョブスもしかり。
ほぼ同年齢という点も彼に親近をおぼえる要因だった…。
初代のiMacの発表のとき、幕張での基調講演をボクは眼にした。同時通訳の声をイヤホンで受け取りつつ。
1999年の2月18日。ボクの誕生日の前日だった。
そのあと、ホールで、偶然にもわずか数メートルところに彼が、当時の日本法人の社長だった原田氏と並んで立ってる姿も見た。
こっ恥ずかしい話だが、この接近遭遇が今となっては、ボクの大きな宝だ。
わずか数メートルのところにジョブスはいた。ボクはいた。
その頃から最後に至るまで、講演において彼は、
「何が売れたか、どれくらい売れたか、どのような速度でそれが売れたか」
を誇張まじりに明かすスタイルをとった。
だから、表層をみると、拝金的成功物語を聞いてるようなアンバイとなる。
いささかの誤解を招くことを承知で、ジョブスはそのスタイルを通した。
そうやって、彼の"究極の夢"を語るのをあえて封じていたよう思える。その流れがあるゆえにの、いつものサップライズでもあったワケで…。ブームの常なる発火点であったワケで…。

で。
"人工知能"。
それはもうデザインとか使い勝手とかを越した、また同時に、SONYが販売して直ぐに撤退しちゃったアイボみたいなショボなオモチャでないもの。
それの真性な意味でのスタートが、iPhone 4Sであるなら良いとボクは思う。
ジョブスは一貫して民主党支持だったそうだから、根底にきっと、ケネデイがいる。
かの月旅行のための演説の一説、
「容易ではない。が、容易じゃないからやるんだ」
が常にあったよう、思う。
孤独な1人住まいの老人が深夜に会話できる相手としての、未来の家電品。
悪くない。
2001年宇宙の旅」にも描かれた空恐ろしさも感じるけれど、悪くない。
ジョブスは、"製品"ではなく、最終的には、"存在"を創造したかったのではないかとボクは思っている。