またぞろ朝の4時頃に

今朝はなんだかよく冷えてる。
朝4時に近場のコンビニにノコノコ歩いてシガレットとビ〜ちゃんを買いに外に出たけど、
「冬が来ました〜」
という感じで空気が冷えてる。
なので星がよく見える。
よく見えるといっても、ボクが小学生やら中学生の頃とは地表の明るさが違うので、その頃と比較すると… たいしたコタ〜ない。
シリウスが孤高めく輝いていて、馴染みのオリオンがあって、おうし座のアルデバランがやや朱っぽく光って、南西の地表すれすれに木星がいる。
東には土星がいるはずだけど、たぶん低い所にあるんだろう… 見えない。
ボクは熱心な観測者ではないから、星を眺めるのはチョイト外に出た時にだけなんだけども、癖として、出れば必ず天上をあおぐ
チラッと見る。
数秒、眺める。
それだけのコトだけども、これが自分の中の大きなアクセントになってるとは判ってる。
開高健風に書けば、「マルを1つうって改行するみたいな」というコトなのだと、思う。
地表に貼り付いたような日常が、その瞬間だけは解凍されるから、だから好きなのかとも思う。
冬場は空気が冷たいから、体感として否応もなく"凜"とさせられもするから、背筋をシャンとさせられる、その感じも好ましい。
それにしても不思議だ。
そうやって眺める星々の映像はすべて過去のものなんだから… これを不思議と云わずして何という?
たとえばオリオン座のベテルギウスは640光年の彼方の煌めきなのだから、ボクが先程にチラッと見たのは、640年前の光の点だ。
ナマでタイムマシンを経験しているワケなんだから、不思議じゃないか。
おまけに、小さな点に見えるけどもベテルギウスはでかいのだ。
太陽と同じ場所にベテルギウスを置くと、その直径は地球も火星ものみこんで、木星の近場まで到達するというから… すごすぎる。
そのすごい、640年前の姿を、ほんのチラッと見ただけでもうお終い、スゴスゴ部屋に戻ってるボク… という図式もまた不思議なのだ。
なので、ついつい、「人間って何なのさ」と大いなるクエスチョンが浮いてきたりもするんだけど、
『プシュッ』
買ってきたビ〜ちゃんこと発泡酒の栓を開けてゴクリ飲み込むと、もう… 哲学するの忘れてら。

※ 写真は本文と関係なし (^_^;