備前市ミニツアー02

ずっと車の面倒をみてくれているKAWAHARA CARSの大きな運搬車がやってきて、我がミニは修理工場行き。
いつも担当してくれてるF君と共に久しぶりに社長自らもやってきた。ミニの壊れた後部を見て、
「やられたな〜」
と、笑う。次いで、
「徹底的に直してあげる」
と、申される。こういう発言は、大きくて柔らかなクッションに飛び乗るような安堵があって心地良い。
運搬車にのったミニの足回りを一瞥して、
「エンジン・ガードが歪んだかも知れんな」
瞬時の仮診断をくれる所が頼もしい。
代車も用立ててくれたけど、今週は宴会が続くので… たぶん、乗ることはないな。
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備前は伊部(いんべ)。
むろんに備前焼の里。あっちもこっちも備前焼だらけ。瀟洒で静かな町の佇まいが良い。
とある調査が目的で、この伊部の天津(あまつ)神社を訪ねた。
鳥居の看板は「天神」になっているのが不思議。
ついてビックリ。
なんと本殿界隈を修理とのことで、この日は大きな作業車が入っていて本殿は作業用の安全シートにくるまれてた。
だから見学出来ない。
「あらま〜」
と、ガックリきたけども、目的とするモノは鳥居の横手に鎮座しているから、大きくガッカリはしなかった。
それは万延2年の作、だという。
ここでは、焼き物だというコトのみを明かし… 西暦換算してみるに… 1861年だ。
けれど、150年前のものには見えない。
なるほど確かに補修の痕跡もあり、仔細を眺めると胴体部分に、万延2年に某(なにがし)が奉納と流麗なくずし文字が掘られていて、これは確かに当時のものと判るのだけども、一見は真新しくみえる。
数年前に作った… と云われたら、それはそれで信じちゃいそう。
総じて焼き物というのは強いものとは思っていたけれど、屋外の日光に晒され続けて150年以上が経っても、劣化の気配をみせないというのは、すごいと、云わざるをえない。
鉄、アルミ、プラスチック、ABS、ポリカーボネートと… 諸々な素材はあるけれども、いずれもが経年で酸化する。サビたり変色したり歪んだり粉々になったりする。
その点で、焼き物という"土"は、メチャに強靱なのだな〜、と感心した。
むしろ、経年によって表面の艶に深みが出ているのではないか… さえ思えた。
ともあれ、天津神社を含めて何カ所かで調べものをし、さてとゴハンだ。
衆楽館本館、というところに入ってみた。
古い商家をそのまま使っていて、塀越しに中を窺うと、備前焼が畳の部屋縦横に置かれて、最初、食べ物を出す店には見えなかった。
靴を脱いで居間に案内されたけど、そこにも所狭しと各種の備前焼が並べられていて、家中が焼き物大会なのだった。
むろん、それは全てが販売物だ。
ちゃぶ台が2つばかしあって、ボクらはそこに座る。
昼をとっくに過ぎた時間ゆえにか他に誰もいないし、静か極まりないし、廻り中が備前焼のアレコレなのだから、最初はちょっと落ちつかない。
でも、木漏れ日が古い窓ガラスを通して入っていて、光が柔らかい。
次第に落ち着いてくる。
なんだか田舎の親戚の家を訪ねたような親和が生じてリラックスしてくる。
で、食べたのが、「ひなせミカンのスープ鍋」だった。

メニューをみて、いわばB級の、なんじゃそれ? な感じを最初に受けたけども、同類なものを食べたコトもないから… 恐る恐るにオーダーしたのだった。
同行者は、キーマカレーをチーズで焼いたもの(名を忘れた)を頼んだ。
両方ともに、この店にしかない。
みかんの酸味でゼッタイに酸っぱいであろうと… ボクはオーダーしたものの覚悟めいた諦めも念頭に浮かせてしまったのだけど、口にしたら…、
「おっ!」
なのだった。
酸味は確かにあるけれども、それは甘味に押さえられて前にしゃしゃり出ず、甘味は甘味で、煮立った鶏肉やら豚肉やら白菜やらエノキやらやらの具材の滋味に押さえられ、予想外にバランスが良い。
なによりミカンの熱い煮汁がノドに好もしく、3口、4口と啜るうち、なにやら唄っちゃいたくなるような心地になってくる。
かぼちゃも入っていて、これがまた良く煮えていてミカンのスープにあう。
後で知ったことだけど、使われた備前焼鍋は、この衆楽館が作ったものだった。
眼を地球全域に広げれば、お仏蘭西にはオレンジソースのソテーなるものもあるのだけど、この日生(ひなせ)ミカンのスープ鍋はお仏蘭西のそれに負けない"芯"がある。
なにより気取りのないお鍋であるトコロがいいし、ビールが旨くなるという科学的な特性が証明されている備前焼ゆえ、滋味がいっそうに深まっているのかも知れない。
気にいった。
カレーも良かった。
備前焼の平皿。こちらも皿自体を火にかけて調理されている。
見た目もいい。
ボリュームがあり、こってりもしてる。
ただ、そのこってりゆえに女性には量が多い。
なのでボクはその残りを頂戴して満足の花をさらに咲かせたってワケ。
甘みと辛みが拮抗してせめぎ合うから、量さえ適量ならこれも良い。
メニューの写真には、ただカレーの写真があるきりだったけど、実際にはサラダもついてくる。たっぷりな福新浸けもついてきた。

というワケで、食べ終える頃にはすっかり、くつろいだ。
くつろげる要因の1つには、たぶん、廻り中の備前焼の"茶色"があるとも思える。
いわば日本のどこにでもあるような色。
山にあり、雀にあり… の"茶色"だ。
その茶色が何やら空気を穏やかに濾過しているよう… 思える。
今まであんまり備前焼のコトを好きでもなかったけど、今回、良さを見直した。
取材のアレといい、食事のコレといい、ボクの身辺にこの焼き物はもっと在っていいなと実感した。
先進性でも強いアート性でもなくって、"オリジナルの日本が呼吸している"のを感じたワケだ。
この数時間後に追突されるなんて… 予想だにしやしないけどさ、伊部で良い空気を吸えたのは確かだった。