真冬の火星

朝の3時から4時の合間、ちょいと外に出てみると空気がよく冷えていて、おまけによく晴れてもいるから、星のつぶてが多々見える。
多々過ぎて、一瞬、わずかながらに知っている星座の判読が出来ず、なにやら他の遠い天体の地面から空を見上げたような、頼りない感触をおぼえたけども、よくよく見ると、馴染みある位置で幾つかが瞬いていた。
西に身体を向けてそのまま真上を見上げると、そこにおおぐま座がいて、これが右眼に入り、左眼の端に、幾つかの蒼い光点と共に、紅一点が浮く。
全天を通して他は皆な蒼や青でヒンヤリしているけれども、この西南のやや高いところの紅一点のみが、焚き火みたいな微かな温もりを、一瞬だけ、眼にあたえてくれる。
艶めかしい感じも少しある。
この色は、火星の土地の色そのものの反映だから、それを思うと、
「アンガイに近いな〜」
との感想がホンワリ浮いてくる。

朝の3時だか4時に用事もなく外に出たワケではない。
近所のコンビニにタバコを買いに外に出たのだ。
用水路沿いの細い道を歩いて260歩でコンビニに着く。
往復で520歩。
火星に出向くより遙かに近い。
たかが520歩なのだけど、この用水路の右と左は工場の壁やら民家の塀でブロックされているもんだから、実に暗い。
街路灯もないから、ヘタすると用水路に落っこちる危険があるので懐中電灯を持って歩いてく。
懐中に入るようなサイズでなく、キャンプの時に使ってる大きめなもの。遠方を指すような照射タイプじゃなくって、周辺をポワ〜ッと明るくするタイプ。
なので足元とその廻り1mくらいは照らされる。
それで、微少ながらもヴァーチャルに、ボクは、大西洋やら太平洋の先がまだ未知だった頃の船と船乗りの気分を味わう。
潮っぽい空気は闇、粘っとりした海面も闇。
星が見えているきりだ。
この光点が、どれほどに有り難かったであろうかと空想するワケだ。

人類史のどこかの時点で、人はこの星から自分の位置を割り出すという"妙技"を編み出して、それが四分儀や六分儀や八分儀に発達し、応用としてのGPSにつながっているのだけども、ともあれ、星が見えるというのは実に有り難いコトなのだ。
タバコを買いに、たかがの520歩、外を歩いただけで、そんな星の有り難みを謳うのもナンだけど… 想像の延長に大昔の航海を結わえると、星だけが頼りの綱だというコトを実感して、
「苦労したろ〜な〜。ホンマは怖かったろ〜な〜」
などなど、思いを寄せることは出来るのだ。
道のない夜の海の怖さ…。
ロシアに漂流してものすごい経験をして10年後に帰ってきた大黒屋光太夫たちの話は、井上靖の「おろしや国酔夢譚」や、みなもと太郎のマンガ「風雲児たち」(教科書にしてもイイ!)で仔細を窺えるけれど、漂流する光太夫たちはホントに心細かったろうと思う。
なんせ彼らには星は見えても、星から情報を得るという技術は持ち合わせがない。
何でもダメダメな規制のオンパレード亀甲縛りのお江戸時代の船は、あくまでも陸が見える所でしか運行が許可されていなかったんで、熟達の船乗りだった光太夫とて、「陸見(おかみ)」という目視には長けているけど、星で自身の位置を計るなんてコタ〜、出来なかった。
陸から遠のき、帆も櫂もなくした船での漂流は、だから自分たちがどこに向かっているのか皆目判らずなワケなので、余計、こわい。
太夫たちは7ヶ月も漂流する。
当然に、星は見たろうと思う。見つつ、イジイジしたろうと思う。
漂流なかばで鳥目になっているから、そこから先は星も視界から奪われたんで、いっそうに苦しかったろうにと、いまさらに同情する。精神が、よくまいらなかったな〜と感心する。
いや当然に、その辺りの消息に興味をもたれて小説やらやらに"昇華"しているワケなのだけど。
ともあれ、タバコは買った。
空気はよく冷えている。深閑として凜として、道は暗くで細く、頭上の火星は紅い。
まだ新聞配達のバイクも走りだしていないこの時刻が、好きだ。
白昼は寸ともピクリとも意識しない、天体に住まう自分を意識出来るから、かな。
あるいは… 芥川がかつて編んだ、越えようもない名編の巻頭を思い浮かべるからかもしれない。
『童話時代の薄明かりの中に、一人の老人と一頭の兎とは、舌切雀のかすかな羽音を聞きながら… 』
に、はじまるあれだ。
この詩篇の延長上には、ボクには、闇の中の大海にネモがいてノーチラスがあったりもする。
薄く半透明に明けていく夜明けの黎明に惹かれつつも、どこかでそれを拒絶したい、永遠の暗がりへの怖いながらの憧憬と愛惜を、ボクはおぼえるのかもしれない。
また一方で、上空の星々に人類としてはじめて"天体望遠鏡"を向けたガリレオが、土星をはじめてレンズで捉えた時の感想を思い出して、ニタ〜ッと笑ったりもする。
土星には耳がある」
それを思い出し、ちょっと探してみる。
いた。
火星の横、眼を少し左にずらしたやや上っかわだ。

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写真は津山の洋学資料館に展示の「グラヴェール花卉文(かきもん)ガラス絵望遠鏡。
江戸時代の長崎で作られたもので実に見事な工芸品。見ていて惚れ惚れする。