ここ1週間あまり、追い込まれるようにして部屋にたれこめ、とある模型作りを行っている。
今月18日からの岡山市デジタルミュージアムで開催の「坪田譲治没後30周年記念」の展示物の1つとしての建物模型…。
スケールの小さいものを実は既に作っていて、それは発表済みでもあったし、その拡大版なので製作は楽勝とも思っていたのだけども、いざ着手すると、やはり… そのスケールゆえの"情報量"が必要だと諭されてしまったのだった。
それで、
「どうすべ〜?!」
頭を振ったり揺さぶったりさせつつ諸々考察し、幾ばくか内部構造も造ろうと決めたのだったけども… まったく資料のない、ましてや勝手な想像だけのメチャも許しちゃもらえない展示物ゆえ… ア〜ダコ〜ダ〜と考えたりサンプル的にちょっと図を引いたりしてる内に時間が経ってしまってた。
勝手きままな想像ではダメだけども、"山本の考えるカタチはこれです!"の結論を出すまで1週間も要してしまった。
むろん、この1週間の間にはオチャケを呑みに出かけたり、お芝居を観にいったりで、その後、朝方近くまで、その芝居のプロデューサー氏と、
演劇における地方と中央」
とか、
「表現するって何なのよ?」
といったヤッカイだけどもオモチロイ話を真摯かつ卑猥に交わし合ったりもして、期待や失望や怒や喜な気分を縦横に味わって有意義な気分もあるんだけど、やはり、取りかかって、しかも17日の夜にはミュージアムに設置という締め切りに追われる状況にはナ〜〜ンモ変わりない。
それが念頭を離れない。
けれども、このかつて岡山に現存して多くの人が訪れた建物に関して、今や資料もとぼしいままに誰の記憶にもなくって、いわば忘れられ風化しつつある過去の記憶をカタチとして、何とかとどめめ置く手段としての模型をボクが造っていて、知らないうちになんだかこの建物に関しての第一人者的な位置にいるコトをも薄く自覚しているから… 発奮するっきゃない。

↑ まだ半分も出来上がってない途上の写真…。
造って評価を受けたいとかいう意味合いではなくって、およそ120年前に現実にあったカタチをもう1度、模型ではあるけれど再構築したい、自分自身で掌握したいという願望がどんどん濃くなって… これが知らない内にボクを動かす原動力になっている。
お・も・し・ろ・い・な〜。
しかし、逆にオモシロクないコトもあって、それが劣化したメダマという存在だ。
早い話が、"老眼"だ。
模型工作という小さな手作業に対して、これは実に面倒でヤッカイだ。
集中して作業を進めたいのに、メダマがそれについて来てくれね〜の。
無理強いると、しばし、視界がボワ〜〜〜ンとなっちゃうので、そも頃合いを計らなくちゃ、作業が進まない…。
納品日までに完成するのかしら… と、なので不安になる。
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タミヤ・ニュース』の今月号が送られて来たので、チラ〜ッとページをくってみたら、ここ2年くらい出向いていないけども、よくよく利用してた岡山市内の模型店(実際は二次問屋だ)が紹介されてたんで、嬉しかった…。
たまたまタミヤの某氏より別件で電話があったので、この記事を持ち出して、
「ええ記事や!」
タミヤニュースは模型の文化史における牙城ですぞ」
爺さんが近所の子供を褒めるみたいなモノ言いをした。
なので、受話器を置いたあと、ちょっと… 顔があからんだ。
メダマは衰えたけども、羞恥の情は健在なりと自覚した。