ネモの食卓 〜牡蠣入りの一銭洋食〜


日曜の夜にライブに出向いたのは何だか久しぶりのよう。
城下公会堂での「taka -Wind of Legend Japan」。
アンコール曲が終わって拍手なりやまい刻限にボクは用あって退座したけども、鳥越啓介のコントラバスが実に素晴らしく感じられた。
客足少なしと聞いていたのだけども、出向けば満員の上にテレビ局のカメラまで入っていて、
「あんれ〜?!」
てな感じもあって、気づけば、アッという間のライブ体験でござんした。
………………
その翌日。
2軒の某コンビニのオーナーで自身も常に店頭に立っていて、この人はいつ寝ているのだろうかと思ってる人物から、牡蠣を頂戴した。
ひどく懇意というワケではないし、どういうコトかと訝しみつつも、頂戴出来るのは有り難い。
殻つきだ。

なので、蒸して、焼いた。
お好み焼きの具材とした。
ただし、ボクはこれを『お好み焼き』とはゼッタイに云わない。
幼児の頃よりズ〜〜ッと、それはお好み焼きではなくって、『イッセンヨウショク』と呼ばれている。
島風なそれを津山で産まれ育った我が母が独自解釈しての、造り方と名称である。
極く薄に溶いた小麦をひき、そこに刻んだキャベツ、テンカス、ブタのお肉をのせる。
とどめに、卵を1ヶ、のせる。
頃合い見計らい、その上にまた溶けた小麦粉を薄く引いて、素早く返す。
ヘラでギュッ。
強く押す。
これを皿にとって二分にたたむ。
クレーブのようにだ。
いまだ、かつて母が作ったようにうまく出来ないけども、気分は、いわば伝来の製法だ…。
今回は、そこに頂戴した牡蠣をのせた。
実は、かつて自炊のイッセンヨウショクに牡蠣を入れたことは1度もない。
なので初体験。
自身、これは特筆に価いすると思うから… こうしてここに書き留めているワケだ。
函館出身の税理士がいて、バーでよく会い、共に呑んではケタケタ笑う。
彼女所有の駐車場にジャズフェスのさいは車を無償で止めさせてもらったりという恩恵もあって、常々に、1度は奢らねばと思っているのだけども、いまだ奢ったコトがない。
その彼女いわく、
「函館にお好み焼きはなかった」
そうなのだ。
はじめて、お好み焼きなるものを口にしたのは、東京の大学に入って、そこで知り合った人の自宅であったという。
函館に居た頃には噂と聞いていて、いつかは食べてみたい… と、いわば彼女の中の伝説な料理がお好み焼きであったらしい。
たしか、ボクよりも10歳ほど年齢が若いはず。
その頃の函館にはお好み焼きがなかったというのも驚きだけども、東京ではじめて、眼の前にお好み焼きなるモノが出てきたさいには、緊張したという。
それでボクは呵々と笑ったけども、
「クレープのように折りたたんで、ナイフとフォークで食べる」
と、ボクが告げたら… 逆に驚愕されて、笑われた。
ま〜〜、そりゃ、そうだろう。
ナイフとフォークというのが、確かに可笑しいや。
でも、それが我が母(今は老いてほぼ終日ベッドの上にいる)から伝わる"作法"なのだから、シャ〜〜〜ない。
我が宅のイッセンヨウショクはナイフとフォーク、にゃのだ。
断固! 箸ではない。
また、お好み焼きとも云わない。
徹底して、それはイッセンヨウショクなのにゃ。
そこに牡蠣が入ったのだから、こりゃ特筆なご馳走なのにゃ。
語尾がフニャっとなるくらい、ボクの舌、ボクの感性は、これをご馳走と規定して揺るがないの、ニャ。
ボクがネモ船長なら、ノーチラス号の食卓メニューに、これを加えたい。
船員一同、大いに悦んでくれるであろうと… 勝手に思う。
当然にこの場合、ビールだ。
ワインという手もあろうが、ちょいオシャレ過ぎる。
基本はお好み焼き。
流し込むようにという意味合いでビールが似合うのだ。
ウスターソースとやや濃いめのソースの2種をかけ、マヨネーズをかけ、その上に青のりをふりかける。
こってり味。
濃厚。
でもカタチはクレープの繊細。
でもクレープじゃない。
熱いうちに、めしあがれ。

時にボクは、この一品のみで店一軒作れるような気もしてる…。
それほどに、ボクにはスペシャルなものなの、ニャ。
…………
※ 初の牡蠣入り。ちょっと火加減が難しかった。牡蠣ゆえ火を通しておかねばの思いがあったから、火通しが長くなり、牡蠣の周辺が硬くなり過ぎた。
これは教訓。子孫に伝えよう。
子も何もないないけど (^_^; 
ア! いや、だからこうしてブログに書いているのだけど…。