月の接近(スーパームーン)

普段、日常はチ〜ッとも思わないけど、いま通常よりも5万キロも接近してる月を眺めたり、竜巻で新築の鉄筋コンクリートの家が根こそぎ宙に舞った… というニュースに接すると、
「ホントに自然というのは強靱て途方もないなァ」
あらためて、畏怖させられる。
そもそも、いまこうやってコレを書いてるさなかも、ボクは地球と共に回転しているワケで、この自転を仮りに電力でまかなうと、いったいどれくらいの電気量が必要となるのかしらと、膨大さに息をのまされる。
そもそも、ボクは足元が高速で回転しているコトすら知覚しないのだから、このスムーズな動きたるや、ディズニーランドのホーンテッドマンションのあの静かに下降してくれる油圧エレベーターの比ではない。
月はいま、通常より5万キロほど近い所にいる。

通常は38万キロくらいだから、5万キロ近いといっても、たいしたコトがないようにも思えるけれど、たとえばボクが住まう岡山と千葉の幕張メッセとの距離は680キロだ。
年に数回、車でこれを往復するけれども… 行きはまだしも帰りの680キロはかなりシンドイ…。
不幸なバスの事故が起きて何人もの命が失われて、バスの運行規定における距離というのが、いま、問題になっているけれども… その規定値としての630キロだかは、それは無茶であるとボクは我が事として注進できる。
ま、余談は置くとして、ドライブするにはシンドイ岡山〜幕張の距離680キロの実に… 75倍もあるのだよ、5万キロというのは。
それほどに近寄っているのだ。
太陽の引力(重力)、地球の引力、月そのものの引力、そして、幾ばくかの他の重力要素によって、月はたえず位置を変えて動き続け、今回は大接近なワケだ。
とはいえ、何億年ものレベルでみれば、太陽の引力は強力なのだから、やがて地球から月は分離される運命だ。
いまだって、実際には年に数メートルづつ、その距離は離れつつある。
50年に近い昔、ボクが美少年な子供の頃には、
「月はやがて地球の引力にひかれて地球側に落ち、宙で分解して、土星のような輪になります〜」
と教わって、美しい少年は愁い、校庭の土手みたいなトコロに寝っ転がって空を見上げちゃ、そんな輪を持った地球の姿を思い浮かべて1人で何やら深淵な虚空を思い浮かべてたもんだけども… 残念。
科学が発達して、そうならないコトがもう判ってる。
月はやがて遠のいて、兄弟でも姉妹でもない、疎遠な存在になる。
が、いまはまだ近場にいる。
なので、愛おしい思いにもなる。
昨夜眺めた月は、たしかに大きくも見え、実に目映く輝いていた。
こっちは夜なのに、月は太陽に照らされていて目映いという… それを同時に眼で知覚出来るというのもホントは凄いことだ。
宙に浮いた天体という存在と、狭間の空間の壮大さを意識できるワケだ。
大接近しているとはいえ、月との距離はまだ33万キロもある。
時速80キロで休みなく愛車を駆けさせても、およそ230日はかかる遠くにある。
なのでアポロ計画では、サターン・ロケットでもって、人類史上初となる凄い加速でもって… 出向いたワケだ。

それでも、行くには4〜5日かかった。
この偉業を達成させた装置としての、アポロの発射台(わけても11号で使ったもの)は、当然に、後のために、"保存"させようという話があった。
発射台(モバイルランチャー)は全部で3基あって、ML-1、ML-2、ML-3と呼ばれてた。
アポロ8号と11号の打ち上げで使われたのが、ML-1だ。
左写真はペーパーモデルでのアポロ8号とML-1、だよ。
アポロ計画を終えた後、ML-2とML-3は解体されて、シャトル発射のための施設MLP(モバイルランチャープラットフォーム)に流用された。
これが1976年。
で、11号で使われた発射台ML-1は1984年になって解体され、いずれ再組立して、何らかのカタチでミュージアム的に展示しようと広大なNASAの敷地に置かれた。
地ベタに直かに。
けども、予算はない。
高さが100メートルを越える塔をすっぽり覆う建物なんぞは… スペースシャトル計画の維持だけで火の車なNASAには作るユトリもない。

やむなく、放置に放置を重ねてたワケだ。
が、ある時、誰かが気がついた。
「赤い鉄骨が土壌を汚染してますぞ〜!」
と。
そうなのだ…。
気がつけば、発射台の赤く塗装された鉄骨から、その赤が剥がれて、地面に浸透していたんだ。
この赤はただの赤色ペイントではなく、アポロ・サターンの激しい炎に耐えるべくな鉛を含んだ合成素材が混ぜてあって、これが風雨に曝されている内に保管場所に溶けだし、地面に浸食して… 一帯を汚染していたんだ。
発射台のあるケネデイ・スペースセンターは、実は今も昔も天然な湿地帯がその領域の大半を占めていて、ここは国立の環境保護地区でもあるんだ、な。
当然に稀少な動植物がある。ワニもいる。
なので、そのような汚染はダメです、即座に撤去しなきゃダメです… というコトになっちまって、保存どころではない話になってしまったんだ。
これが実はつい最近の、2003年のことなんだ。
1964年に建造されてから39年が経過してた…。
保存しようとする人達も懸命になったけど、いかんせん、予算はない。
39年も経てば、NASAという組織内でも世代交代がおきていて、もはやアポロはただの昔、な〜んの意義もないという若い人も大勢いる。思いでポロポロで予算を食われちゃかなわんワ〜な御仁もいる。
保存派、旗色悪し。
で… どうなったか?
この顛末の詳細は、TVC-15の発射台のペーパーモデルの解説に詳しく書いてある。だ、だから… か、買わないと読めない…。
(^_^;

これで、この文章を閉じちゃうと、きっと… 怒り出す人もいるだろうから、一応、結論だけはここにも書いておくとしましょう。
時期同じ頃に、中国では超巨大なダムの建築をやっていて、これは幾つもの湖水をつなげ、日本の四国よりも広い領域がダムといったアンバイな壮大なものだ。
なのでもの凄い量の鉄材がいる。
ほれ、いっとき、日本でも鉄骨系な資材が盗まれるという事件が相次いだコトがあったでしょ。
盗まれた鉄屑は、何らかのカタチでこのダムに運ばれたと推測されますが、むろん、中国政府がそう指示したワケじゃない。
それはあくまでも泥棒がしでかしたコト。
実際の中国政府は米国やらやら世界中から、大量の鉄を買ったのだ。
その素材となる鉄の1つ(750トン相当)として… 11号を打ち上げた栄光あるアポロ発射台は、売られてしまったのである。
屑としてだよ。
よって… 発射台は切り刻まれ溶かされてカタチを変えて、今や観光地としても名高い湖北省三峡ダムの一部と化しているのだよ、諸君。
なんか… 哀しくはないか?

※ 発射塔の写真はいずれもペーパーモデルによるもの。
※ 解体された塔の一部写真はNASA。ダムの写真はWikipediaより。