鰻重にありつく


今年はじめての鰻なのだ…。
高くって買えず、いささか諦めていたら、F子さんが、
「しゃ〜ね〜。おごってやら〜」
申し出てくれたのだ。
チョイと前に某NHK・FMの某広島局のドラマ番組でナレーションの仕事をしちゃって、その出演料が振り込まれたから、それを使おうとおっしゃったのだ。
気っ風(ぷ)がいい。
実にイイ女だ。
ボクより14歳年上でなかったら、きっと、ぜったい、知り合った12年前に… 懸命にくどいていたろうと思う。
信頼のおける数少ない女友達。
ボクが生まれた頃にはもう演劇を志してた。
20代の半ば前にそれで東京に出ようともしたけど、お母さんが大病した。
母1人娘1人という身。
やむなく上京をあきらめて、地方都市での演劇の世界に身をおいた。
今はもうないけど某デパート階上の劇場支配人をながく務めつつ、自身の劇団をはぐくんだ。
劇場が閉じられた後はBARを経営しつつ、芝居を続けた。
いっときの岡山の夜姿を知る方々には伝説のBARだった。
お母さんをなくしてBARはやめた。
ボクはその頃に彼女と知り合った。
なので彼女のBARをボクは知らないけど、演劇家の彼女にはすぐに魅了されて… 今にいたる。
彼女が出た芝居、彼女が演出した芝居。ことごとくを観た。
酔うと、F子さんは甲高い笑い声をあげ、人の頭を思いっきりこづいたりする。
これがけっこう、怖くって危ないのだけども、酔ってギャハハと笑う彼女を、ボクは好きだ。
ついこの前に、天神山文化プラザで映像と芝居のコラボレーション的な催しがあって、彼女はそれに客演したのだけども、うっかり… ボクはイベント期日をまちがえた。
芝居の翌日に会場に出向くというアホなていたらくをやってのけた。
それでショゲちゃった。ガックリしちゃった。
それを彼女は知っていたから、こたびのウナギの伏線となる。
「元気だせ、ほらほら」
てなもんだ。
本来なら、芝居を観なかったよ、ゴメン、とボクが鰻をおごるのがスジなんだろうし、なんだか構図がおかしいけども、ま〜、そういうコトなのだ。
児島湾で獲れた天然の青うなぎ。
安かろうハズがない…。
それが眼の前にある。(苦笑)
まずは白焼きに日本酒。

乾杯して杯をちょっと重ね、チェーサーとして生ビール。
「ね〜、Fちゃん。これを食べ終わったら、キスしようか」
ホンワカな酔いにまかせ、そう申すと、彼女は例の甲高い笑いで、
「アホ! 脂っぽい口で接吻できるか!」
たやすく却下された。
それでボクは、
「ぁ、すべっちゃったね」
切り返した。
途端、彼女は我が方のメダマをシゲシゲ見遣り、
「あんたにしちゃ、うまいコトを云ったじゃん」
いっそう高らかに笑った。
何年か前、彼女が演出した清水邦夫作の「哄笑」という芝居があった。
高村光太郎の奥方・智恵子の晩年を描いた作品で… 例の「智恵子抄」のあの智恵子にF子さんは扮した。
智恵子は発狂していてゼームス坂病院にいて、見舞いに来た光太郎とのやりとりが芝居になっている。
地方演劇というカタチの中で、このF子さん演出・主演の「哄笑」は、東京や大阪といった場所での芝居を凌駕する秀逸で、今もってボクの中で燦然と輝く芝居体験の1つなのだけども… この芝居の最後で智恵子はタイトル通りに哄笑をする。
狂人のそれであり、達観の果ての女の叫びでもあるという感触の笑い声を、F子さんは舞台上であげた。
"哄笑"という表現の難しさ…。
悦びでなく、怒りでなく、躁的で鬱的でもあって、懈怠であり猛々しくもある笑い。虚ろであるようで充満しているようでもある、その兇猛な笑い。
聞いて、本当に鳥肌が立った。
その哄笑のさなか、舞台は暗転して幕となるのだけども、しばし、ボクはうたれてしまって声がでなかった。
何10年だか前に彼女F子さんが東京に出ておれば、彼女はきっと芝居なり映画の世界でその名を轟かせるようなそんな存在になっていたろうとも… 思う。
が、そうはならず、この岡山で、ボクを魅了した…。
サリエリモーツアルトに密かに魅了され、密かに独占したように…。
その「哄笑」と同じ声音で、鰻屋での一席で、F子さんは笑うのであるから、タ・マ・ラ・ナ・イ。

ちなみに、店の名は「海鮮酒処 美魚味」。
美魚味、と書いてミナミと読む。
そんな次第で時間と空間はウナギ味に満たされた。
お腹と心が満たされた。
店を出ると、西方の夜空に、火星と月とスピカが狭い範囲で光ってる。
この7月、夜空はにぎやかだ。
朝方になれば、東方に金星と木星が連星のように、やはり狭い範囲で縦に連なってもいる。
下の光点が金星で上が木星だ。
まばゆく、文字通り、スターめく輝いている。
未確認の方は夜空を見上げてくだされ。
うなぎ座、という星座はないけどさ。
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※ 紹介したドラマは岡山でも放送される。8/4の午後10時からNHKのFMで。