耳なし芳一

いまだ日中はひどく暑いし日差しも強いけども、お盆を過ぎた辺りから少し変化がおきて、ちょっとだけ涼しい感触の風がふく。
温暖化は顕著ではあるけれど、季節のうつろいという歯車は廻っていて、それを肌で感じられは、する。
電力が不足するぞするぞの大合唱も気づくと止んでいて、
「あれ?」
と、思ったりもする。
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昨日の昼間、岡山県天神山文化プラザに出向いて、2本の怪談をみた。
朗読劇、というカタチでの納涼な催し。
耳なし芳一」と「怪談牡丹燈籠」。
かたや小泉八雲。かたや三遊亭圓朝(初代)の作。
これを複数の役者が朗読する。ちょっとだけ演技しつつ朗読する。
琴があり、三弦があり、笛があり、太鼓もある。
構成と演出を手がけ、ご自身も「怪談牡丹燈籠」では講談師としての役で登場のO.K氏の芝居は、過去に何度か観たし… 知り合いでもある (^_^;。
芝居はいずれも助演やら客演であったけど、今回は構成と演出を一手に担っての、いわば檜舞台。
日常における彼は、某高名な天文台の要職につき、そこの望遠鏡の巨大な鏡の大掃除というニュースなどでは、たいがいTV画面の中でインタビューに応えていたりもする人なのだけども、天神山文化プラザでの公演では、牡丹燈籠のいささか複雑な人物関係をコトバでもって、うまく聴き手を誘ってくれた。
圓朝作品というのは、意外や、ながい。
小泉さんの「耳なし芳一」みたいに小さくまとまっていない。
ちょっとした大河ドラマめく構成ゆえ、登場する人物も多々ありで、ややっこしい。
「怪談牡丹燈籠」全巻を一挙に音読すると、
「概ねで5時間はかかる」
と、O.K氏はいう。
圓朝のもう1つの傑作「真景累ケ渕(シンケイカサネガブチ)」。
ボクは6代目・三遊亭圓生が演じたCDを持っていて、聴くたびにその話術に圧倒されるのだけども、これとて、ながい。
圓朝は人の人情を丹念に作品に練り込んだから、ツイッターみたいなショートな文ではなく、自ずと、文字数は多くなる。
愛憎、執着、因縁、因果… そういった事々を人に伝えるには、やはり、それだけの言葉の厚みを要する…。
なので、こたびの朗読劇では、お話しのごく一部分が演じられたワケだ。
だから…、2本立てを見終わった感想としては、第一部として催された「耳なし芳一」の方が印象が濃い。
中学生の頃に読んでいらい、何度か接してきたお話だから、別にいまさら怖さはないんだけども、舞台というカタチの上での"朗読"には、新鮮があった。
うまく抽象化された舞台装置も気がきいている。
なにより演じてる方々が、うまい。純然たる芝居ではなくって台本を持っての"演技"ゆえ、ジ〜〜ッと舞台を見詰めてる必要はない。
なので、ときおり、眼を閉じて聴き入った。
後で気づいたけども、むしろこの作品の場合は、いっそハナっから眼を閉じて、盲目の芳一の気分でもって客席にいるべきだった…。
そうすれば、もっと凄みが味わえたかもと… も思ったな。
チケットを切ってもらってホール内に入場のさい、目隠しを渡されるというのは、どうかしら?
耳なし芳一」は、この目隠しをつけて"ご観覧ください"という仕掛け。
観に来てるのに、目隠しを渡されるというのが… オモシロいじゃんか。
感じてちょうだい、というワケだ。
なんだか… そういう舞台もあって良いな… と思ったりしちゃった今日この頃。
ちなみに、この朗読劇はほぼ満席の盛況であった。
皆さん… 納涼をお求めだったようで。