8月のオリオン and ニール・アームストング

夜中の3時半頃に外に出て東の夜空を見ると、隣家の屋根のちょうど真上あたりに、オリオン座が登ってる。
この時刻の東空には金星と木星が燦然と輝いているから、オリオン座はまだ自分は主役ではない… といった感じで、やや弱い光輝で登ってる。
けれど、秋が近寄っている事を、冬がまたやって来る事を、この冬空の王様たるオリオン座は教えてくれる。
いま目視出来る星は限られ、ほぼ東にしか、ない。
金星の左手の双子座、木星の光輝の左のぎょしゃ座
プラス、隣家の上のオリオン。
たしか去年の今頃も、この時間帯に外に出てボクは、季節のうつろいを身におぼえたもんだった。
ジョデイ・フォスターが実に良かった『コンタクト』を思い出したりもしたもんだ。
カメラが地球を離れて太陽系の外に出ていくシーンでの、音の扱いが秀逸で、今もボクは、はじめて映画館で観たさいの圧倒される感触を思い出す。
地球の喧噪が遠のき、電波のみが地球を出て遠くに向かっている、その感触…。
幾つもの恒星が画面の奥に消えていく速度感。
カメラは地球から放っせられた電波を越える速度で移動するから、やがて聞こえるのは古い音源へと移行していく。
タイムマシン効果としての音の逆行…。
1970年代、1960年代、1950年代、1940年代… TV放映からラジオ放送へと逆戻りし、やがて、フツッ、とそれも聞こえなくなる。
それでもカメラはまだ、どんどん宇宙の彼方へ向かう。
その時の無音に、ボクはひどく打たれ、寂寥を感じ、孤独をおぼえ、いささかにうろたえた…。
宇宙、というスケールの兇猛なデカサに戦慄させられたワケだ。
どうも、この時の映画体験が、ボクの中には沈殿化だか沈潜化したようである。
1つの規範として、1つの達観めく情感として、これが時に頭をもたげるワケなのだ。
なので、昨今の地球上における紛争、戦争、競争、狂騒… などなどなどな足元の現実とのギャップを、否応もなく意識させられてしまうのだ。
人間がやっている行為のアホらしさみたいなものに、この宇宙的規模な"ああ、無情"がかぶさって、
「ハ〜〜〜〜〜ッ」
溜息をつく事しばしなのだ。
いわば、宇宙的規模での"上から目線"と、日々のニュースで感じるアレやコレやから受ける強い圧に身を悶んでの、憤怒とか苛立ちとか愛国的感情のたぎりとかが拮抗してせめぎ合い、煮えたり冷やされたりでの"足元目線"との、永劫的にミックスされないであろうジュースを刻々飲んでるようなアンバイに、
「ハ〜〜〜〜ッ」
2度3度、溜息をついているワケだ。
ジュール・ヴェルヌが創作したネモ船長みたいに… 理想と夢想と現実とがゴッチャになって浮き上がってくる自己矛盾めいた感じを、ボクもまた味わっているワケだ。
くだらない評論家みたいに云えば、ヴェルヌはまさに、この辺りの消息を『海底二万里』の根底に敷いていた… とも思えるのだけども、それはこじつけ。
たぶんにボクの視点は、結局、夢想家の系列、末席にあるに過ぎないんだろう、な。
温暖化でオゾン層が壊れちゃえば、人類に未来はないけども、一方で地球は… どうもそれでオシマイではないらしい。
オゾン層も人間もさほどに関係なく地球は呼吸し続け、大陸は移動し続け、やがて竹島尖閣も日本も中国も韓国も合体してより大型のものになり、その結果として地熱が表層に出にくくなって徐々に冷え、やがて、1万2千だか4千万年後には、地球はまた氷河期を迎えるワケだ。
数年ほど前まで、ボクは氷河期というのは、「チョット耐え難いくらいに寒い」くらいな認識しかなかったけど、現実はそ〜んな程度なもんではなくて、ニューヨークのセントラルパークには今も過去の痕跡があるらしいけども、ニューヨーク市街の上に600mを越える氷の層が出来ちゃうのだった。
1万2千年後というのは、ボクに子供があるとするなら、我が子から数えて概ねで120世代以上も先の話であるから、まったくもって、もはや無関係な世界ではあるんだけども… 夜中に、作業の手を休め、外に出て、シガレットをくゆらせつつ、ボワ〜〜っと東空を見上げて… そんなはるか未来に気分のみを旅させるのは… あんがいとイイもんだ。
我らが末裔どもは、とてものこと寒いもんだから次第に進化して、皆いちように、毛深くなってるかもしれない。
リスのように大きなフサフサしたシッポがはえて、寝る時にはそれを身体に巻いて寝ちゃうかもしれない… と、これは手塚治虫の「ゼロマン」だけども、ま〜、そんな空想妄想を描きつつの、朝の3時半なのだ。

そういった妄想めいた感慨は、だけども、夜が明けきった朝の7時頃には… もう消えてしまい、現実と対峙すべくアタフタと… 、
「今日中にはこのパーツを作図しきっちゃわねば、締め切りに間に合わんぞ」
てなアンバイなワケなのだから、てんでワヤなのだ。
………………
ニール・アームストロングの訃報を、いま聞いた。
彼の風貌には、どこか「2001年宇宙の旅」のボーマン船長に通じる何かがあって、いつのまにか、彼は、ボクの中の"スターチャイルド"だった。
なので訃報に、大きな感慨を、もつ。
大きな存在だったし、これからもずっと、そうだと思う。
でも、いま、この瞬間、ちょっと言葉がない。