図書館で


終日の曇り空だった木曜。
休館中の中央図書館に出向く。
複数日の連続休館中の図書館。
職員旅行のためじゃない。館内の、いわば棚卸し。そのための休館。
本やら備品やらの再整理がゆえ実は開館してる時よりもお勤めの職員は忙しい。

その忙しいさなかにお邪魔をし、とある資料の閲覧と複写を、した。
所蔵はしているが一般公開していない類いの資料。
かねてより予定に入れてくれてた日がたまたまに休館日にあたったというに過ぎないのだけども、部外者はただ1人。出向いたボクとしては何か特別な時間の感覚を味わった。
館長自ら対応してくれて、その資料現物を眼の前にすると、一種の緊張をおぼえもした。
すでに、それの精緻な複写データは持っていて、Macのモニターで何度となく拡大しては細部を見、それを元手に模型も作った資料なのだったけど、実物をマノアタリにすると、まったく違うベクトルの感慨が湧いてくる。

モナリザの複写絵は持っていても、でも、人はやはりルーブルに、あの2階の1室に向かう… という感覚がよく判る。
データ化されない、ホンモノのみが持つ磁力… なのだろう。
だから緊張をおぼえた。
おぼえつつ、舐めるように喰い入った。
部分を、より繊細に探査しようとする場合は、スキャニングされてデータ化された画像の方が便利ではある。モニター上でどんどん拡大出来るワケだし、場合により色をつけて部分を際立たせることも出来る。
その点では、実物はいささか扱いにくい。
けども、何はさておき"ホンモノ"なのだ。これは数値化出来ない。
たぶんに"緊張"の大部分は、そこから湧いてくる。

閲覧したのは、明治時代の木版画
部数は判らないけど大量に刷られたものだ。だから当時には、この岡山市内ではどこにでもあった代物だ。
実際、それは1銭で販売され、高額でも稀少品でもない。
でも、そんな代物ゆえに捨てられ、忘れられ、時間が経っておよそ120年… 現在ではこの図書館が所有するただ1枚が現存するだけだ。
そこが不思議なような、可笑しいような、かつ、凄いコトでもある。
ましてや、今、このただの1枚に興味をおぼえる人間は、そうはいない…。
およそ1時間、せわしない時間をさいて対応してくれた館長と職員さんにはただただ感謝するばかりなのだったけど、この木版印刷物が3重の紙やらハトロン紙にくるまれて保管されているのを眼にすると、図書館という装置は凄いな〜とあらためて感心もさせられた。
すごく大袈裟に、かつ妄想的に云えば、この1枚はボクが訪ね来るのを120年オーバー待っていた… わけだ。

新品ではない。
過去に、誰かが、どこかの部屋の壁に、貼っていたものだ。
四隅にピンの後がある。左と上には、テープだかの糊の痕跡もある。
人の痕跡があるのが、とても感慨深い。
どういう経緯を経て、捨てられず、終の棲家としての図書館にやってきたのだろうか…。
今回の閲覧は、来たる12月に予定の講演に用立てるためのもの(また後日に案内します)だったのだけど、この1枚との出会いを、どう言葉に出来るか… 恋のはじまりのようなときめきな喜色と一緒に重みを感じる。